ページ内検索機能(Ctrl+F)をご活用下さい。

各時代の大争闘 のワード検索(日本語のみ)ができます。


各時代の大争闘

【 第1章 世界の運命の預言 】

ユダヤ民族の誇り、エルサレム

「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら・・・・しかし、それは今おまえの目に隠されている。

いつかは、敵が周囲に塁を築き、おまえを取りかこんで、四方から押し迫り、おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の1つの石も他の石の上に残して置かない日が来るであろう。

それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである」

(ルカ 19:42― 4 4 )。

 

イエスは、オリブ山の上からエルサレムを見られた。

美しい平和な光景が彼の前にひろがっていた。

それは、過越の祭りの時であった。ヤコブの子孫たちは、この国民的大祭を祝うために各地から集まっていた。

巡礼者たちの天幕が、庭園にも、ぶどう園にも、緑の斜面にも散在していた。そしてそのまん中に、段々に高くなった小山があって、そこに壮麗な宮殿とイスラエルの首都の巨大な城壁があった。

シオンの娘は、誇らかに、わたしは女王の位についている者であって悲しみを知らない、と言っているようであった。

幾世紀も前に、詩人ダビデ王が、「シオンの山は・・・・うるわしく、全地の喜びであり、大いなる王の都である」と歌った時と同様に、この時もエルサレムは、神の恵みに浴していることを確信しているかのように思われた( 詩篇 48 : 2 )。

そこには壮麗な神殿の建物が一目で見渡せた。

沈んでいく太陽の光が

純白の大理石の壁を照らし出し、

黄金の門とやぐらと尖塔に輝いていた。

それは、「麗しさのきわみ」であり、ユダヤ民族の誇りであった。

イスラエル人であれば、この光景をながめて、喜びと賛美に心を震わせないものがあるであろうか。

しかし、イエスは、それとは全くかけ離れたことを考えておられた。

「いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣」かれた

( ルカ 19 : 4 1 )。

すべての者が勝利の入城を祝って、

しゅろの葉を振り、喜ばしいホサナの声を山々に響かせ、

大群衆が彼を王と呼んでいるその時に、

世界の贖い主は、突然、

不思議な悲しみに打ちひしがれた。

神の子であり、イスラエルの約束のすえであり、

死を征服して墓から死者を呼び出されたお方が、

ただ単なる悲しみのためではなくて、

抑制しきれぬ激しい苦悩のために、涙を流されたのである。

 

彼は、ご自分がどこに向かって歩まれつつあるのかをよく知っておら

れたが、しかしこの涙は、ご自分のためではなかった。

彼の前には、近づきつつある苦悩の場、ゲッセマネが横たわっていた。幾世紀もの間、犠牲としてささげられる動物が通った羊の門も見えていた。

そしてこれは、彼が「ほふり場にひかれて行く小羊のように」ひかれて行く時に、彼のために開かれるのであった イザヤ 53:7)。

彼が十字架につけられる場所であるカルバリーも、あまり遠くはなかった。

まもなくキリストが、

ご自分をとがの供え物として歩まれる道は、

大きな暗黒の恐怖におおわれなければならなかった。

しかしこの喜ばしい時に彼の心を暗くしたのは、

こうした光景を思われたためではなかった。

彼の無我の心は、ご自分の超人的苦悩を予測して曇ることはなかった。

彼が泣かれたのは、滅亡の運命にあるエルサレムの多くの人々のためであった。

彼が祝し救うために来られた人々の盲目と強情のためであった。

選民イスラエルの歴史

神の特別の恵みと保護を受けた選民の、

1000年以上にわたる歴史が、

イエスの眼前に展開された。

約束の子イサクが、なんの抵抗もせずに犠牲として祭壇にしばられた

―それは、神のみ子の供え物の象徴であった―

モリヤの山がそこにあった。

そこで信仰の父アブラハムに祝福の契約、

輝かしいメシヤの約束が確認された

(創世記 22:9、16―18参照)。

ここは、オルナンの打ち場から犠牲の炎が天にのぼり、

滅びの天使のつるぎを

そらせたところであった(歴代志上 21:参照) が、

それは罪人のための救い主の犠牲ととりなしの適切な象徴であった。

エルサレムは、

全地のどこよりも、神の栄誉を受けていた。

「主はシオンを選び、それをご自分のすみかにしようと望」まれた

(詩篇 132:13)。

そこは、各時代にわたって、

聖預言者たちが警告の使命を発したところであった。

そこで、祭司たちは、香炉をゆり動かし、

そして礼拝者の祈りと共に、

薫香のけむりが神の前にのぼっていった。

そこで、日ごとに、ほふられた小羊の血がささげられて、

神の小羊を指し示していた。

そこで、主は、

贖罪所の上の栄光の雲の中にご自分の臨在をあらわされた。

そこに天と地を結ぶ不思議なはしごが立ち、

その上を神の使いたちが上り下りしていた。

そして、それは、最も聖なるところへの道を

世界に開いたのである(創世記 28:12、ヨハネ 1:51参照)。

もしイスラエルが国家として、天の神に忠誠をつくしたならば、

エルサレムは、神に選ばれたものとして、永遠に立ったことであろう

( エレミヤ 1 7:21―25参照)。

しかし、あの恵まれた民の歴史は、

背信と反逆の記録であった。

彼らは、天の神の恵みに反抗し、自分たちの特権を乱用し、

機会を軽んじたのであった。

天の最上の賜物

イスラエルは「神の使者たちをあざけり、その言葉を軽んじ、その預

言者たちをののしった」けれども、神はなおもご自分を、「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神」として彼らにあらわされた

(歴代志下 36:16、出エジプト34:6 )。

彼らが何度も拒んだにもかかわらず、

神は、恵み深く彼らに訴えつづけられた。

父が、その息子を憐れむ以上の愛をもって、

「主はその民と、すみかをあわれむがゆえに、

しきりに、その使者を彼らにつかわされた」

(歴代志下 36:15 )。

勧告と懇願と譴責が

むだであることが明らかになると、

神は、天の最上の賜物をお与えになった。

 

いやそれだけではない。

神は、その1つの賜物によって、全天を注ぎ出されたのである。

神のみ子ご自身が、かたくなな町に訴えるために送られた。

エジプトからイスラエルをよいぶどうの木として携え出されたのは、キリストであった(詩篇 80:8 )。

彼は、ご自身の手で、その前から異邦人を追い払われた。

彼は、それを「土肥えた小山の上に」植え、それを保護するために、そのまわりに垣をつくられた。

また、彼のしもべたちが、それを育てるためにつかわされた。

「わたしが、ぶどう畑になした事のほかに、何かなすべきことがあるか」と彼はおおせられるのである(イザヤ 5:1― 4 )。

彼はよいぶどうの結ぶのを待ち望んだのに、結んだものは野ぶどうであった。

それでもなお、実を結ぶのを熱望して、なんとかしてこれを滅びから救おうと、彼ご自身がぶどう畑においでになった。

彼は、ぶどうの回りを掘り、はさみを入れ、たいせつに育てられた。

彼はご自分が植えたぶどうを救うためには、あらゆる努力をおしまれなかった。

 

こうして、3年の間、光と栄光の主は、

彼の民と共に過ごされた。

彼は、「よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回され」た。

彼は、心のいためる者をいやし、捕われている者に解放を告げ、盲人の目を開き、足なえを歩かせ、耳しいに聞かせ、ハンセン病人をきよめ、死人を生きかえらせ、貧しい人々に福音を伝えられた

(使徒行伝 10:38、ルカ 4:18、マタイ 11:5 参照)。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。

あなたがたを休ませてあげよう」という恵み深い招きが、すべての階級の人々に同様に発せられたのである(マタイ 11:28 )。

 

善に報いるに悪をもってされ、愛に報いるに恨みをもってあしらわれ

ても、彼は、たゆまず慈悲深い働きを続けられた (詩篇 109:5参照)。

彼の恵みを求めた者で、拒まれた者は1人もなかった。

彼は家なき旅人として、屈辱と窮乏の生活を送られたが、彼の生きる目的は、困窮者に奉仕し、人々の苦しみを和らげ、彼らに生命の賜物を受けるように訴えることであった。

恵みの波は、かたくなな心によって押しかえされても、言葉では表現できない慈悲深い愛の大きな潮(うしお)となって、また返っていった。

それにもかかわらず、イスラエルは、

その最上の友であり唯一の援助者であるお方に背を向けた。

彼の愛の訴えはさげすまれ、彼の勧告は退けられ、彼の警告はちょう笑された。

ああ、エルサレム、エルサレム

希望と許しの時は、急速に過ぎ去りつつあった。

長く延ばされていた神の怒りの杯は、今にも満ちようとしていた。

各時代の背信と反逆によって、暗雲は無気味にその濃さを増し、罪深い民に向かって今にも破裂しようとしていた。

しかも、彼らの上にさし迫った運命から彼らを救うことのできる唯一のお方が、軽べつされ、虐待され、拒否されて、まもなく十字架につけられようとしておられた。

キリストがカルバリーの十字架につかれるならば、神に恵まれ、祝福された国としてのイスラエルの日は終わるのであった。

ただ1人の魂を失うことであっても、世界じゅうの富と財宝を失うことよりはるかに大きな不幸である。

しかしキリストがエルサレムをごらんになった時、滅亡にひんした都市全体と国家全体が、彼の前に横たわっていた。

それは、かつては神に選ばれ、神の特別の宝であった都市であり、国家であった。

 

昔の預言者たちは、イスラエルの背信と彼らの罪の罰として下る恐る

べき荒廃とを嘆いたのであった。

エレミヤは、彼の目が涙の泉となり、

民の娘の殺された者のためと主の群れのかすめられた者のために、昼も夜も嘆くことができるようにと願った

(エレミヤ 9:1、13:17参照)。

それでは、数年ではなくて、幾時代もの先を預言的眼光でごらんになった方の悲しみは、どんなであったことだろう。

彼は、滅びの天使が、長く主の住居であった都に向かって剣を上げているのを見られた。

彼は、後年ティトゥスとその軍隊が占領したオリブ山上の同じ場所から、谷の向こうの神殿の庭と柱廊とをごらんになった。

そして、涙にかすむ目で、外国の軍隊が城壁を包囲する恐ろしい光景をごらんになった。

彼は、進軍する軍隊の足音を聞かれた。

彼は、籠城(ろうじょう)中の婦女子が

食物を求める叫び声を聞かれた。

彼は美を極めた聖なる神殿や王宮や塔が、

炎に包まれ、あとかたもなく

廃墟と化してしまうのをごらんになった。

 

彼は、はるか未来に目を注ぎ、契約の民が、

「さばくに散らばる破片のように」、各地に離散するのを見られた。

エルサレムの子らの上に下ろうとしていたこの世の応報は、最後の審判の時に彼らが1滴もあまさず飲みほさなければならない怒りの杯の、ほんの一口に過ぎないことを彼はごらんになった。

こうして、神の憐れみと熱烈な愛は、悲しい言葉となってみ口からもれたのである。

「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった」。

ああ、他のすべての国にまさって恵まれた国よ、もし、おまえが、おまえの神のおとずれの時を知り、平和をもたらす道を知ってさえいたら。

わたしは、刑罰の天使をとどめて、おまえに悔い改めをうながしたが、むだであった。

おまえが拒み退けたのは、単にし

もべや代理人、預言者たちではなくて、おまえの贖い主、イスラエルの聖者なのだ。

もし、おまえが滅びるならば、それは、おまえだけの責任である。

「しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない」(マタイ 23:37、ヨハネ 5:40)。

世界の滅亡の象徴

キリストは、不信と反逆によってかたくなになり、急速に神の刑罰を

受けようとしていた世界を、エルサレムが象徴しているのを見られた。

堕落した人類の不幸に、キリストは深く心を痛め、あのように激しい苦悶(くもん)の叫びをあげられたのであった。

彼は、人間の悲惨と涙と流血とが物語る罪の記録を見られた。

彼の心は、地上で悩み苦しむ者のために、無限の憐れみを感じられた。

彼はなんとかしてこうしたすべての人々を救いたいと熱望されたのである。しかし、彼のみ手をもってしても、人間の不幸の潮は止めかねるように思われた。彼らの唯一の援助者であるキリストを求める者が、少ないからであった。

彼は、人々に救いをもたらすために、死に至るまで自分の魂を注ぎ出そうとしておられたのに、生命を得るために彼のところに来る者は少ないのであった。

天の君主が涙を流しておられる。

無限の神のみ子が、み心を悩まし、悲嘆にくれて打ち伏された。

この光景に全天は目を見はった。

この光景は、罪がどんなに恐ろしいものであるかをわれわれに示し、また、無限の力を持たれた神でも、

神の律法を破った結果から罪人を救うことが

どんなに困難であるかを示している。

イエスは、はるか最後の時代までをながめ、

エルサレムの滅亡を招いたのと同様の欺瞞(ぎまん)に、

世界が陥っているのを見られた。

ユダヤ人の大きな罪は、彼らがキリストを拒んだことであった。

キリスト教会の大きな罪は、天地を支配する神の統治の基礎

である神の律法の拒否ということである。

主の戒めは、軽べつされ、無視されるのであった。

罪に束縛され、サタンの奴隷となり、第2の死に定められた無数の者が、

神のおとずれの時に、真理の言葉を聞こうとしないのである。

それは、なんと恐ろしい盲目、

なんと不思議な愚かさであろう。

歴史的に見たエルサレムの神殿

過越の祭りの2日前、

キリストは、ユダヤの指導者たちの偽善を非難したあと、

神殿に最後の別れを告げてから、

もう1度弟子たちと共に、オリブ山に行き、

都を見おろす傾斜面の青草の上におすわりになった。

彼は、もう1度、都の城壁と塔と王宮とをごらんになった。

もう1度、聖なる山を飾る美しい王冠のような、まぶしく輝く神殿をごらんになった。

 

その時から1000年ほど前に、詩篇記者は、イスラエルの聖なる家

をご自分の住居となさった神の恵みをほめたたえた。

「その幕屋はサレムにあり、そのすまいはシオンにある。」

神は、「ユダの部族を選び、神の愛するシオンの山を選ばれた。

神はその聖所を高い天のように建て」られた

(詩篇 76:2、78:68、69)。

最初の神殿は、

イスラエルが歴史上最も隆盛をきわめた時代に建てられた。

ダビデ王は、このために、莫大(ばくだい)な財宝を集めた。

そして、その設計は、神の霊感によってなされた

(歴代志上 28:12、19参照)。

イスラエルの王の中で最も賢明であったソロモンが、

その工事を完成した。

この神殿は、世界で最も壮麗な建物であった。

しかし、主は、預言者ハガイによって、

第2の神殿について、次のように言われた。

「主の家の後の栄光は、前の栄光よりも大きい。」

「わたしはまた万国民を震う。万国民の財宝は、はいって来て、

わたしは栄光をこの家に満たすと、万軍の主は言われる」

(ハガイ 2:9、7)。

 

神殿は、ネブカデネザルに破壊されたあとで、

キリスト誕生の約500年前に、

長年にわたった捕囚生活から、

荒廃した故郷に帰ってきた人々によって再建された。

その時、人々の中には、ソロモンの神殿の

栄光を見た老人たちがいて、新しい建物の基礎が以前のものと比べてはるかに劣っているのを嘆いた。

こうした人々の気持ちを預言者は、「あなたがた残りの者のうち、以前の栄光に輝く主の家を見た者はだれか。あなたがたは今、この状態をどう思うか。これはあなたがたの目には、無にひとしいではないか」と、

力をこめて言っている(ハガイ 2:3、エズラ 3:12参照)。

この時、この後の家の栄光は、

前の家の栄光より大きいという約束が与えられた。

 

しかし、第2の神殿は、荘厳さにおいて、

第1の神殿の比ではなかった。

また、第1の神殿に与えられていた

神の臨在の目に見えるしるしはなかった。

その献堂を記念する超自然的力の現われもなかった。

栄光の雲が新築の聖所を満たすのも見られなかった。

祭壇の上の犠牲を

焼きつくす天からの火もなかった。

至聖所のケルビムの間に、

シェキーナーは、もう宿っていなかった。

そこには、契約の箱も贖罪所もあかしの板もなかった。

神に問う祭司に、

主のみこころを告げる天からの声はなかった。

何世紀もの間、ユダヤ人は、ハガイによって与えられた神の約束の成

就を示そうと努めてきたが、むだであった。

しかし、誇りと不信が彼らの心を盲目にし、預言者の言葉の真の意味を理解させなかった。

第2の神殿は、主の栄光の雲ではなくて、肉体をとって現われた神ご自身、満ちみちているいっさいの神の徳が宿っている方の生きた臨在によって、あがめられるのであった。

ナザレの人イエスが神殿の庭で、教え、いやされた時、

「万国民の財宝(万国の願うところのもの・文語訳)」が、

ほんとうに彼の神殿に来られたのである。

キリストが来られたこと、ただそのことだけで第2の神殿は、

第1の神殿の栄光をしのいだ。

しかし、イスラエルは、天から与えられた贈り物を退けてしまった。

その日、けんそんな教師イエスが、

黄金の門から出られた時に、栄光は、

永久に神殿から去ったのである。

「見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう」という救い主の言葉は、すでに成就したのであった (マタイ23:38)。

エルサレム滅亡の預言

弟子たちは、神殿の破壊に関するキリストの予告を聞いて、

恐れと驚きに満たされ、

彼の言葉の意味をもっとよく知りたいと願った。

神殿の壮麗さを増すために、財宝と労力と建築上の技術とが、

40年以上にわたって注ぎこまれていた。

ヘロデ大王も、

ローマとユダヤ両国の財宝を惜しみなく費やし、

ローマ皇帝さえも贈り物をささげて神殿を壮麗にした。

信じられないような巨大な白い大理石が、

この目的のためにローマから回送され、建物の1部に用いられた。

そして弟子たちは、これらの石に主の注意をひいて、

「先生、ごらんなさい。なんという見事な石、

なんという立派な建物でしょう」と言った(マルコ 13:1)。

 

ところが、これに対して、イエスは厳粛で驚くべき答えをされた。

「よく言っておく。その石1つでもくずされずに、

そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう」

(マタイ 24:2)。

 

エルサレムの滅亡というと、弟子たちは、

キリストが世界国家の王座につき、かたくななユダヤ人を罰し、

国家をローマのくびきから解放するために、

この世の栄光のうちに来られる時のできごとを連想した。

主は彼らに、ご自分がもう1度こられることを語っておられたから、

彼がエルサレムの滅亡のことを言われた時、

彼らはその再臨のことを思った。

そこで、彼らがオリブ山上で救い主のそばに集まった時に、

「いつ、そんなことが起るのでしょうか。

あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、

どんな前兆がありますか」と彼らは聞いた(マタイ 24:3)。

 

未来のことは、憐れみのうちに、弟子たちから隠された。

もしも、彼らがこの時、贖い主の苦難と死、

そして都と神殿の破壊という

2つの恐ろしいできごとを全部知ったならば、

彼らは恐怖にうちひしがれたことであろう。

キリストは、

終末の前に起こる主要事件のあらましを彼らに示された。

その時、彼の言葉は十分に理解されなかった。

しかし、その意味は、神の民がそこに与えられている教訓を必要とする時に明らかにされるのであった。

彼が言われた預言には、二重の意味があった。

それは、エルサレムの滅亡を予告するとともに、

最後の大いなる日の恐怖をも予表していた。

 

イエスは、耳を傾けている弟子たちに、

背信したイスラエルに下る刑罰、

特に、メシヤを拒んで十字架につけることに対して下る

懲罰報復を明らかにされた。

恐るべき頂点に達する前に明白なしるしが現われる。

恐怖すべき時が、突然、急速にやってくる。

救い主は、弟子たちに次のように警告を発せられた。

「預言者ダニエルによって言われた荒らす憎む

べき者が、聖なる場所に立つのを見たならば

(読者よ、悟れ)、そのとき、

ユダヤにいる人々は山へ逃げよ」

(マタイ 24:15、16、21:20、21参照)。

エルサレムの城外、数マイルにわたる聖地に、

ローマ人の異教の軍旗が立てられる時、

キリストに従う者たちは、

安全をもとめて逃げなければならなかった。

警報が見えたならば、

のがれることを望むものはためらってはならなかった。

避難警報は、エルサレム城内と同様に、

ユダヤ全土において、直ちに従うべきものであった。

屋上にいる者は、どんなに大切な宝物であっても、

それを取りに家の中に入ってはならなかった。

畠やぶどう畑で働いていたものは、

日中働いていた時に脱いでおいた上衣を

取りに帰ってはならなかった。

彼らは、一瞬でもためらってはならなかった。

さもないと一般の人々と共に滅びにまき込まれてしまうのであった。

 

エルサレムは、ヘロデ王の治世に大いに美化されたばかりでなく、

塔、城壁、要害などが建てられ、

それに地形が自然の要害となっていたので、

難攻不落の城と思われていた。

こうした時に、エルサレムの滅亡を公に予告するものは、

洪水前のノアのように狂気じみた

杞憂家(きゆうか)と呼ばれたことであろう。

しかし、キリストは、

「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない」

と言われた(マタイ 24:35)。

エルサレムは、その罪のために刑罰の宣告を受けていたが、

そのかたくなな不信によって滅亡を決定的にしたのであった。

罪悪の巣エルサレム

主は、預言者ミカによって、次のように言われた。

「ヤコブの家のかしらたち、イスラエルの家のつかさたちよ、すなわち公義を憎み、すべての正しい事を曲げる者よ、これを聞け。あなたがたは血をもってシオンを建て、不義をもってエルサレムを建てた。そのかしらたちは、まいないをとってさばき、その祭司たちは価をとって教え、その預言者たちは金をとって占う。しかもなお彼らは主に寄り頼んで、『主はわれわれの中におられるではないか、だから災はわれわれに臨むことがない』と言う」(ミカ 3:9―11)。

 

このみ言葉は、

腐敗に陥り自分を義とするエルサレムの住民を、正確に描写していた。

彼らは、神の律法の教えを厳格に守っているといいながら、

そのすべての原則を犯していた。

彼らは、キリストの純潔と聖潔とが

彼らの罪悪を暴露したために彼を憎んだ。

そして、自分たちの罪のためにふりかかってきた苦難について、

その原因は彼にあると言って非難した。

彼らは、キリストが無罪であることを承知の上で、

国家の安全を保つためには彼の死が必要であると宣言した。

「もしこのままにしておけば、みんなが彼を信じるようになるだろう。

そのうえ、ローマ人がやってきて、わたしたちの土地も人民も奪ってしまうであろう」とユダヤの指導者たちは言った

(ヨハネ 11:48)。

もしキリストを犠牲にしてしまえば、彼らは、もう1度強力な統一国家になることができる。

このように考えて彼らは、全国民が滅びるよりは1人の人が

人民に代わって死ぬほうがよいという大祭司の決定に、

同意したのであった。

 

このようにして、ユダヤ人の指導者たちは、「血をもってシオンを建

て、不義をもってエルサレムを建てた」(ミカ 3:10)。

彼らは、救い主が彼らの罪を譴責されたために、彼を殺しておきながら、

なお自分たちは神に恵まれていると考え、

神が彼らを敵の手から救ってくださると期待するほどに

自分を義としていた。

「それゆえ、シオンはあなたがたのゆえに田畑となって耕され、

エルサレムは石塚となり、宮の山は木のおい茂る高い所となる」

と預言者は言った

(同・3:12)。

 

神は、エルサレムの運命が

キリストご自身の口から宣言されてから

40年近くも、都と国家に対する刑罰を延ばされた。

福音を拒否し、

神のみ子を殺害した者に対する神の寛容は驚くべきものであった。

神がユダヤ国民を扱われる方法が、実を結ばない木の譬(たとえ)によくあらわされている。

「その木を切り倒してしまえ。なんのために、土地をむだにふさがせて置くのか」という命令がすでに出されていた(ルカ 13:7)。

しかし、神の憐れみは、なおしばらくの間、それを猶予しておられた。

ユダヤ人の中には、

キリストの品性と働きについて無知なものがまだ多くあった。

子供たちは、彼らの親が拒否した光に接する機会も、

それを受ける機会もなかった。

神は使徒たちやその仲間たちによって、

彼らに光を輝かそうと望まれた。

彼らは、キリストの誕生と生涯だけでなく、その死と復活についても、預言がどのように成就したかを見せられるのであった。

子供たちは親の罪の罰を受けるのではなかった。

しかし、子供たちが、親に与えられたすべての光を知った上で、

さらに自分たちに与えられた光を拒む時、

彼らは親の罪にあずかる者となり、

彼らの悪の升目を満たすのであった。

サタンの支配

エルサレムに対する神の忍耐は、ただユダヤ人をかたくなな不信に陥

れるだけであった。

彼らは、イエスの弟子たちを憎み、虐待して、最後の憐れみの招きを拒んでしまった。

その時、神は、彼らから保護の手を引き、サタンとその使いたちに対する神の抑制力を除去された。

そして国家は、その選んだ指導者のなすままになった。

イスラエルの人々は、

邪悪な衝動をしずめる力を

彼らに与えることのできるキリストの恵みを、退けてしまった。

そこで、今度は、こうした衝動が優位を占めた。

サタンは、人間の心の中の最も激烈で卑しい感情をよびおこした。

人々は、道理をわきまえなかった。

彼らは理性を越えた衝動と盲目的な激しい怒りに支配された。

彼らは、悪魔的残酷さをあらわしてきた。

家庭においても国家においても、

上流階級においても下層階級においても一様に、

疑い、ねたみ、憎しみ、争闘、反逆、殺人などが行われた。

どこも安全ではなかった。

友人も親族も、互いに裏切り合った。

親は子供を殺し、子供は親を殺した。

国民の指導者たちは、自分自身を統御する力がなかった。

押えきれない感情が彼らを暴君にした。

ユダヤ人は、神の罪なきみ子を罪に定めるために、

偽証を受け入れたのであった。

そして今、偽証が、彼ら自身の生命を脅かしていた。

彼らは、その行動によって、長い間、

「われらが前にイスラエルの聖者をあらしむるなかれ」と言ってきた

(イザヤ 30:11文語訳)。

今、彼らの願いはかなえられた。

彼らはもう神を恐れなくなった。

サタンが、国家のかしらとなった。

そして政治と宗教の最高の権威者たちは、彼の支配下にあった。

 

対立する諸党派の指導者たちは、時には結束して、

哀れな犠牲者たちを襲って苦しめるかと思うと、

今度は互いに攻め合い無慈悲に殺害し合った。

神聖な神殿でさえ、

彼らの恐ろしい残忍さをとどめることができなかった。

礼拝者が祭壇の前で殺され、

聖所は死体によって汚された。

しかし、この凶悪な行為の扇動者たちは、

その盲目で神をないがしろにした思い上がりから、

エルサレムは神ご自身の都であるから、

滅亡する恐れはないと公言していた。

彼らは権力を確保するために、にせ預言者を買収して、

ローマの軍隊が神殿を包囲している時でさえ、

神の救いを待つべきであると人々に言わせた。

群衆は、至高者であられる神が

敵を滅ぼすために介入なさることを、

最後まで信じていた。

しかし、イスラエルは、神の保護を退けてしまっていたから、

今、なんの防備もなかった。

不幸なエルサレムよ。

内紛に裂かれ、同志の手で殺害された子らの血が、

都の通りを赤く染め、

その上異邦人の軍隊が要塞(ようさい)を破壊し、

兵士たちを殺害したのである。

 

エルサレムの滅亡に関するキリストの預言はみな、

文字どおり成就した。

ユダヤ人は、「あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与え

れるであろう」というキリストの警告の言葉が事実であることを、身

もって知った(マタイ 7:2)。

 

災害と滅亡を予告するしるしと不思議があらわれた。

真夜中に、

神殿と祭壇の上に異様な光が輝いた。

戦いのために戦車や勇士たちが集結するのが、

日没の時雲の上に描き出された。

夜間、聖所で奉仕する祭司たちは、

不思議な物音に驚かされた。

地が震え、「われわれはここを去ろう」①

と大勢の声が叫ぶのが聞こえた。

20人がかりでもしめられないほど重く、

しかも堅い敷石に深く打ち込まれた鉄のかんぬきで閉じられた

東の門の扉(とびら)がだれもいないのに、

夜半に開かれた。

 

また、7年の間、

1人の男がエルサレムの町をあちこちとへめぐって、

都に下る災いについて叫びつづけた。

彼は、昼も夜も、激しい悲しみの歌をうたった。

「東からの声。西からの声。四方からの声。

エルサレムを責め、神殿を責める声。

新郎と新婦を責める声。全国民を責める声。」②

この不思議な男は投獄されて、

きびしく罰せられたが、

一言もつぶやきの言葉をもらさなかった。

彼は、侮辱とののしりに対して、

「エルサレムは、わざわいだ、わざわいだ。」

「エルサレムの住民はわざわいだ、わざわいだ」と答えるだけであった。

彼の警告の叫びは、彼が自分の予告したその包囲の中で殺されるまでやまなかった。

キリスト者の奇跡的な脱出

エルサレムが滅亡した時、キリスト者は1人も死ななかった。

キリストが弟子たちに警告を発しておられたので、

彼のみ言葉を信じたものは、みな、約束のしるしに注意していた。

「エルサレムが軍隊に包囲されるのを見たならば、そのときは、その滅亡が近づいたとさとりなさい。そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。市中にいる者は、そこから出て行くがよい」

とイエスは言われた

( ルカ 21:20、21)。

ローマ軍は、ケスティウスの指揮のもとに都を包囲したが、

すべてが即時攻撃に好都合であると思われたにもかかわらず、

不意に撤退してしまった。

籠城していた側では包囲に耐えかねて、今にも降伏するばかりになっていた時に、ローマの将軍は、一見、なんの理由もないのに、

軍隊を撤退させたのである。

しかしこれは、神が神の民のために

事件のなりゆきを導かれる憐れみに満ちた摂理であった。

すでに約束のしるしは、待っているキリスト者に与えられていた。

そして、今、救い主の警告に従おうとするすべての者に

機会が与えられた。

事件は、神の支配下にあったので、

ユダヤ人もローマ人も、キリスト者の避難を止めなかった。

ケスティウスの退却を見たユダヤ人は、

エルサレムを飛び出して敵軍のあとを追った。

両軍の交戦中に、

キリスト者は都を去ることができた。

この時、彼らの避難の妨害になったかもしれない敵の軍勢も、

国内から追い払われていた。

包囲された時、

ユダヤ人は仮庵(かりいお)の祭りを祝うために

エルサレムに集まっていた。

したがって全国のキリスト者は、無事のがれることができた。

彼らは直ちに安全な場所へ、

ヨルダンの向こうにあるペレアの地のペラの町に避難した。

 

ケスティウスとその軍隊を追跡したユダヤ軍は、

これを全滅させるかと思われる勢いで

後方から攻めたてた。

ローマ軍は、非常な困難のなかでやっと退却した。

ユダヤ軍は、ほとんど損失をこうむらずにすみ、

戦利品を携えて、意気揚々とエルサレムに引きあげた。

しかし、この勝利と思われたことは、

ただ彼らを不幸にしただけであった。

これは、ローマ人に対する頑強(がんきょう)な抵抗心を彼らにいだかせ、

滅亡にひんした都を言語に絶する苦難に陥れた。

 

ティトゥスの再攻撃とエルサレムの惨状

ティトゥスがふたたび包囲した時、

エルサレムに起こった災難は悲惨なものであった。

都の包囲は、城内に幾百万のユダヤ人が集まっていた

過越の祭りの時に起こった。

注意深く保存すれば、

数年は住民を養うことができたはずの食糧の蓄えは、

相争う党派のしっとやふくしゅうのためにすでになくなり、

人々は、

今や飢餓の恐怖にさらされていた。

小麦1升の価は1タラントであった。

人々は、非常な飢えのために、

帯皮やサンダル、

また盾のおおいをかんだりした。

多くの者は、夜間城外に忍び出て、

城壁の外に生えている野草を取ろうとしたが、その多くは捕えられて惨殺された。

また、無事帰ってきた者も、

非常な危険を冒して集めたものを他の人に奪われてしまうのであった。

権力者が、窮乏に陥った者から、

隠しているわずかの食物を奪い取るために加えた拷問は、

実に残忍なものであった。

こうした残忍なことは、十分に食物を持っていながら、

ただ将来のために蓄えておこうとする人々によって、

しばしば行われたのであった。

 

無数の者が、飢えと病気で倒れた。

人間本来の自然な愛情は失われてしまったように思われた。

夫は妻から、妻は夫から奪った。

子供は、老いた親の口から食物をもぎ取った。

「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、

あわれまないようなことがあろうか」という預言者の問いに対して、

滅亡にひんした城内から次のような答えがあった。

「わが民の娘の滅びる時には情深い女たちさえも、手ずから自分の子どもを煮て、それを食物とした」

(イザヤ 49:15、哀歌 4:10)。

また、それより1400年前に与えられた警告の預言が成就した。

「またあなたがたのうちのやさしい、柔和な女、

すなわち柔和で、やさしく、

足の裏を土に付けようともしない者でも、

自分のふところの夫や、むすこ、娘にもかくして、・・・・

自分の産む子をひそかに食べるであろう。

敵があなたの町々を囲み、

激しく攻めなやまして、

すべての物が欠乏するからである」

(申命記 28:56、57)。

神殿燃ゆ

ローマの将軍たちは、

ユダヤ人を脅かして、彼らを降伏させようとした。

彼らは抵抗した捕虜をむちで打って苦しめ、

都の城壁の前で十字架にかけた。

こうして、殺される者が毎日何百人とあった。

そして、この恐ろしいことは、

ヨシャパテの谷一帯と

カルバリーに無数の十字架が立てられ、

その間を歩くことさえ困難になるまで続いた。

ピラトの法廷で叫ばれた「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」という恐ろしいのろいの言葉は、

このように悲惨な罰となった(マタイ 27:25)。

しかし、ティトゥスは、

なんとかしてこの恐るべき状態をやめさせ、

エルサレムを全滅から救いたいと思った。

彼は、谷間に積まれた死体を見て戦慄(せんりつ)した。

彼は、オリブ山の上から

壮麗な神殿をながめて、

非常に心を打たれ、

その石1つにでも触れてはならないと命令した。

ティトゥスはこの要害を占領するに先だって、

ユダヤの指導者に熱心に訴え、彼がこの神聖な場所を血で汚さなくてもよいようにしてほしいと言った。

もし彼らが出てきて、他の場所で戦うことを望むならば、ローマ人はだれも神殿を汚すことはしないと言った。

ヨセフス自身も大いに熱弁をふるって、

ユダヤ人に降伏をすすめ、

自分たちを救うと共に都と神殿とを救うように訴えた。

しかし、こうした言葉に対して、彼は激しいのろいの声を浴びせられた。

最後の調停者として訴える彼に、

投げやりが投げられた。

ユダヤ人は、神のみ子の懇願を退けてしまったが、

今では忠告も懇願も

ただ彼らの心をかたくなにしてあくまで抵抗させるだけであった。

神殿を滅ぼすまいとしたティトゥスの努力はむだであった。

彼より偉大なお方が、その石1つでもくずされずに、他の石の上に残ることはないと宣言されていたのである。

 

ユダヤの指導者たちの盲目的頑強さと、

城内で行われた憎むべき犯罪とが、

ローマ人の恐怖と激怒をあおり、

ティトゥスはついに、

神殿を襲ってこれを占領することをきめた。

しかし彼は、できることならば神殿を破壊から守ろうとした。

けれども彼の命令は無視された。

彼が夜、天幕に帰ったあとで、

ユダヤ人は、神殿から城外に出て、敵の兵隊を攻撃した。

交戦中、1人の兵士が

柱廊のすきまから中へたいまつを投げ込んだ。

たちまち、神殿の回りの杉材のへやは火に包まれた。

ティトゥスは

将軍や兵隊をつれてその場に行き、

火を消すように兵隊たちに命じた。

しかし、その命令は顧みられなかった。

怒り狂った兵隊たちは、

神殿に隣接したへやにたいまつを投げ込み、

そこに避難していた多くの者を剣にかけて殺した。

血が神殿の階段を川のように流れた。

幾千というユダヤ人が死んだ。

戦いの物音に混じって、

「イカボデ」―栄光は去ったと叫ぶ声が聞こえた。

ティトゥスは、兵隊たちの激しい怒りを

しずめることが不可能であることを知って、

将校たちと共に中に入り、神殿の内部を調査した。

彼らはその壮麗さに目を見張った。

そして、火はまだ聖所まで回っていなかったので、必死になってこれを守ろうとし、飛び出して行って、ふたたび兵隊たちに火の進行を止めるように訴えた。

百卒長リベラリスは、その職権によって、服従をしいようと試みた。

しかし、皇帝への尊敬でさえ、ユダヤ人に対する激しい敵意と戦いの恐ろしい興奮と略奪に対する飽くことを知らない欲望の前には、

どうする力もなかった。

兵隊たちは、

金色に輝く周囲のものがみな、

燃えさかる炎に照りはえるのを見て、

聖所の中には無数の宝物がたくわえられていると考えた。

だれも気づかないうちに、1兵卒が、とびらのちょうつがいの間から火のついたたいまつを中に投げ入れた。

建物全体は、一瞬のうちに炎に包まれた。

立ちこめる煙と火のために、将校たちは、避難するほかなかった。

そして、広大な建物は、焼失するままになってしまった。

エルサレム陥落

「それは、ローマ軍にとって恐るべき光景であった。では、ユダヤ人

にとってはどうであったか。

全市を見おろす山頂全体が噴火山のように燃え上がった。

建造物は次々と大音響を立てて倒れ、

火の海にのまれた。

杉ぶきの屋根は一面の火と変わり、

金色の尖塔は赤い火の柱のように輝いた。

門塔は炎と煙を高く吹き上げた。

近くの山々は火に照りはえ、黒い人影が恐怖と不安にかられつつ、

滅亡のさまをながめていた。

都の城壁と高台のほうにも、

絶望に青ざめた人々や、

無益なふくしゅうの念に顔をしかめた人々が群がっていた。

走り回るローマの兵隊の叫び声や、

炎の中で倒れる反乱兵たちのうめき声が、

猛火のうなりと

材木の落下する大音響に混って聞こえた。

高台の人々の叫び声が山々にこだまし、

城壁の回り一面に、泣き叫ぶ声と嘆き悲しむ声が満ちた。

飢えて死にひんしている人々は、

わずかに残った力をふりしぼって、

苦悩と悲痛の叫びをあげた。

 

「城内の殺害は、

城外の光景よりいっそう悲惨なものであった。

男も女も、老いも若きも、

反乱兵も祭司も、戦った者もあわれみを請うた者も、

みな差別なく殺害された。

殺された者の数は、殺害者の数を上回った。

軍隊は死者の山をよじのぼって、

絶滅の仕事を続けねばならなかった。」③

 

神殿が破壊された後、まもなく、

全市がローマ軍の手に落ちた。

ユダヤの将軍たちは難攻不落の要塞を放棄したので、

ティトゥスがそこに来た時には、だれも残っていなかった。

彼はそれを見て驚き、これを彼の手に与えたのは神であると言った。

というのは、どんなに強力な兵器でも、

この巨大な要塞の胸壁を打ち破ることはできなかったからである。

都も神殿もともに完全に破壊され、

神殿の跡は、

「畑のように耕され」た(エレミヤ 26:18)。

包囲とその後の虐殺によって死んだ者は百万人以上であった。

生存者は、捕虜として連れていかれたり、

奴隷に売られたり、

勝利者の凱旋(がいせん)を飾るためにローマへ引かれて行ったりした。

また円形劇場で野獣の餌食になった者もあれば、

流浪の民として世界中にちらばった者たちもいた。

罪の収穫

ユダヤ人は、自分で自分の足かせをつくり、

自分でふくしゅうの杯を満たしたのである。

国家としての全滅の中で、そしてそれに続いて起こったあらゆる災いの中で、彼らは彼ら自身がまいたその収穫を刈り取っているにすぎなかった。「イスラエルよ、あなたはあなた自身を滅ぼす」「あなたは自分の不義によって、つまずいたからだ」と預言者は言っている

(ホセア 13:9・英語訳、14:1)。

彼らの苦難は、

神の直接の命令によって下った

刑罰のように言われることがよくある。

こうして大欺瞞者は、自分自身の行為をかくそうとしているのである。ユダヤ人は、神の愛と憐れみを頑強に拒否して、

神の保護を彼らから退け、

サタンが思いのままに彼らを支配するにまかせたのであった。

エルサレムの滅亡の時に行われた残虐行為は、

サタンの支配に応じる者に

サタンがどんな執念深い力をあらわすかを示している。

 

われわれは、自分たちの享受(きょうじゅ)している平和と保護が、

どんなに多くキリストに負うものであるかを、知ることができない。

人類が全くサタンの支配下に陥らないようにしているのは、

神の抑制力である。

神が慈悲と忍耐をもって、悪魔の残酷で悪意に満ちた力を止めておられることを、不従順で恩を知らない者たちは、

大いに感謝しなければならないのである。

しかし、人間が神の忍耐の限度を越える時、

この抑制は取り除かれる。

神は、罪に対する宣告の執行者として

罪人の前に立たれるわけではない。

しかし神は、神の憐れみを拒んだ者をそのなすがままにされるの

である。彼らは、自分たちがまいたものを刈り取らなければならない。

退けた光、軽んじ、無視した警告、ほしいままにした欲情、

神の律法にそむいたことなどはすべて、まかれた種であって、

それは必ずその収穫をもたらすのである。

神の霊は、頑強にそれを拒んでいると、

ついには、罪人から離れてしまう。

すると、もはや心の邪悪な感情を抑制する力がなくなり、

サタンの悪意と敵意から彼らを保護するものがなくなってしまう。

エルサレムの滅亡は、神の恵みの招きを軽んじ、

神の憐れみの訴えを拒む者に対する恐ろしい、

そして厳粛な警告である。

罪に対する神の憎しみと、

罪人に下る刑罰の確実性に関する、

これ以上の決定的証拠はない。

現代に対する神の警告

しかし、エルサレムに下った刑罰に関する

救い主の預言は、もう1つの成就を見なければならない。

あの恐ろしいエルサレム滅亡も、

そのできごとのほんのかすかな影にしかすぎないのである。

すなわち、われわれは、選ばれた都の滅亡のなかに、神の憐れみを拒み、神の律法をふみにじってきた世界の運命を見るのである。

この地上で、幾世紀の永きにわたって罪を犯し続けてきた悲惨な人類の歴史は、まことに暗いものである。

それを考える時、だれしも心痛み、気はなえてしまう。

神の権威を拒否する結果は、

実に恐ろしいことである。

しかし、さらに暗い光景が未来に関する啓示のなかに示されている。すなわち、混乱、争闘、革命、

「騒々しい声と血まみれの衣を持った戦士の戦い」

(イザヤ 9:5・英語訳)といった過去の歴史も、

神の霊の抑制力が悪人たちから全く取り除かれ、

人間の欲情とサタンの怒りを止めるものが何もなくなる

その日の恐怖と比べる時、ものの数ではないのである。

その時、世界は、これまでかつてなかったほどに、

サタンの支配の結果を見るのである。

 

しかし、その日、エルサレムの滅亡の時と同じように、生命の書に記

されたすべての神の民は救われる

(イザヤ 4:3、4参照)。

キリストは、忠実な者を集めるためにもう1度来ると言われた。

「そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。

またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。

また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、

天のはてからはてに至るまで、

四方からその選民を呼び集めるであろう」

(マタイ 24:30、31)。

その時、福音に従わない者は、彼の口の息をもって殺され、

その来臨の輝きによって滅ぼされる

(Ⅱテサロニケ 2:8参照)。

昔のイスラエルと同様に、悪人は、

自分自身を滅ぼし、自分の不義のために倒れる。

彼らは罪の生活によって、神と一致した生活から遠く離れ、

彼らの性質は悪に染まってしまった。

そのため、神の栄光のあらわれは、

彼らにとって焼き尽くす火となるのである。

 

われわれは、キリストの言葉に示された教訓をなおざりにしないように注意しなければならない。

キリストは、エルサレムの滅亡について弟子たちに警告を与え、

彼らが逃れることができるように、

滅亡の近いことを示すしるしをお与えになった。

そのように、彼は、最後の滅亡の日について世界に警告を発し、

すべてのものが来たるべき怒りから逃れるように、

その近いことを示すしるしをお与えになった。

「また日と月と星とに、しるしが現れるであろう。

そして、地上では、諸国民が悩み」とイエスは言われた

(ルカ 2:25、マタイ 24:29、マルコ 13:24-26、黙示録 6:12-17参照)。

 

キリストの再臨に関するこうしたしるしを見る者は、

「そのことが戸口まで近づいている」ことを知らなければならない

(マタイ 24:33・英語訳)。

「目をさましていなさい」と彼は勧めておられる

(マルコ 13:35)。

この警告を心にとめている者は、暗黒のうちに取り残され、その日が不意に彼らを襲うことはない。

しかし、目をさましていない者にとっては、「主の日は盗人が夜くるように来る」のである

(Ⅰ テサロニケ5:2、3―5参照)。

 

今、世界は、ユダヤ人が

エルサレムに関する救い主の警告を受け入れなかったのと同様に、

現代のためのメッセージを信じようとしないのである。

しかし、いずれにしても、

神の日は、神を信じない者に不意にやって来る。

生活はいつもと変わりなく続き、人々は快楽にふけり、事業や商売や金もうけに熱中し、宗教家が、世界の進歩と知識の増加を賞賛し、人々が偽りの安定に眠りをむさぼっている時、その時に、真夜中の盗人が不用意な家に忍び込むように、突然、滅亡が軽率で神を信じない人々に臨む。「そして、それからのがれることは決してできない」

(Ⅰテサロニケ 5:3)。

 

第1章 注

① Milman, "History of the Jews," b.13.

② Ibid., b.3.

③ Ibid., b.6.

 

【 第2章 ローマ帝国とキリスト教 】

激しい迫害

イエスは、エルサレムの運命と

再臨の光景を弟子たちに示された時、

彼が弟子たちから取り去られてから、

彼らを救うために力と栄光のうちに再臨される時までの、

神の民の経験をも予告された。

オリブ山上から救い主は、

使徒時代の教会にふりかかろうとしていた嵐を見られた。

そして、さらに遠い未来を貫いて、

来たるべき暗黒と迫害の時代において、

彼に従う者たちを襲う激烈で破壊的な嵐をごらんになった。

彼はここで、簡単ではあるがきわめて重大な発言によって、

この世の支配者が神の教会をどう扱うかを予告された

(マタイ 24:9、21、22参照)。

キリストに従う者たちは、

彼らの主が歩かれたのと同じ屈辱と非難と

苦しみの道を歩かなければならない。

世界の贖い主に向けられた敵意は、

彼の名を信じるすべての者に対してあらわされるのであった。

初代教会の歴史は、

救い主のみ言葉の成就を立証した。

地と黄泉(よみ)の力は、信徒たちに立ち向かうことによって、

キリストに対抗した。

異教は、もし福音が勝利を収めるならば、自分たちの神殿と祭壇は一掃されてしまうと予想し、そのために全力を挙げてキリスト教を撲滅しようとした。

迫害の火が点じられた。

キリスト者たちは持ち物を奪われ、家から追われた。

彼らは、「苦しい大きな戦いによく耐えた」

(ヘブル 10:32)。

彼らは、「あざけられ、むち打たれ、しばり上げられ、投獄されるほどのめに会った」

(同・11:36)。

多くの者は、彼らのあかしに血の印をおした。

貴族も奴隷も、金持ちも貧乏人も、知者も無知なものも一様に

容赦なく殺された。

 

ネロのもとで、パウロが殉教したころに始まったこのような迫害は、

その激しさに多少の差はあったが、数世紀間続いた。

キリスト者は、

極悪非道な犯罪を犯したものとして偽って訴えられ、

飢饉(ききん)、疫病、地震などの

災害の原因であるとされた。

彼らが、一般社会の憎悪と嫌疑(けんぎ)の的となると、

密告者たちは利益のために、

罪のない者を裏切った、彼らは、

ローマ帝国の反逆者、

宗教の敵、社会の害毒であると非難された。

数多くの者が円形劇場で、野獣の餌食(えじき)になり、

生きながら火で焼かれた。

十字架に架けられた者たちもあれば、野獣の皮を着せられて

闘技場に投げ込まれ、犬にかみ裂かれた者たちもあった。

こうした刑罰は、

しばしば、祝祭日の主な催し物にされた。

大群衆が集まってきて、その光景をながめて楽しみ、

彼らの死の苦しみを笑い、喝釆(かっさい)した。

カタコンベの教会

キリストに従う者たちは、

どこに避難しても、野獣のように狩り出された。

彼らは荒涼として人跡まれなところにかくれがを求めなければならなかった。

「無一物になり、悩まされ、苦しめられ、(この世は彼らの住む所ではなかった)、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた」

(ヘブル 11:37、38)。

カタコンベ(地下墓所)は、幾千の人々の避難所となった。

ローマ市外の丘の下には、

土や岩を掘って造った

長い地下道が網状に交錯して、

城外に幾マイルも広がっていた。

キリストに従う者たちは、この地下のかくれがに死者を葬った。

また、彼らが嫌疑をかけられ、

追放された時には、ここをすみかとした。

善き戦いを戦った者たちを生命の君が呼びさまされる時、

これらの暗いほら穴の中から、

キリストのために殉教した多くの者たちが出てくるのである。

 

もっとも激烈な迫害の中にあって、

イエスの証人たちは、自分たちの信仰を清く保った。

彼らは、あらゆる慰安を奪われ、太陽の光を見ることもできず、

暗いが親しみのある地のふところを家として、

つぶやきを口にしなかった。

彼らは、信仰と忍耐と希望に満ちた言葉で、互いに励まし合い、

欠乏と苦難に耐えた。

この世のあらゆる幸福が失われたにもかかわらず、

彼らにキリストを信じる信仰を捨てさせることはできなかった。

試練と迫害は、

彼らを休息と報賞とに近づける歩みに過ぎなかった。

昔の神のしもべたちのように、多くの者は、

「更にまさったいのちによみがえるために、拷問の苦しみに甘んじ、

放免されることを願わなかった」(ヘブル 11:35)。

彼らは、キリストのために苦しみを受ける時には喜び、喜べ、

天においてあなたがたの受ける報いは大きい、

あなたがたより前の預言者たちも、

同じように迫害されたのである、という主の言葉を思い出した。

彼らは真理のために苦しむに足る者とされたことを喜び、

燃えさかる炎のまっただ中から

勝利の歌声があがったのであった。

彼らは信仰によって上を仰ぎ、

キリストと天使たちが天の胸壁から

深い関心をもって彼らを見つめ、

彼らの堅い信仰をよしとされるのを見た。

神のみ座から、彼らに声が聞こえた。

「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう」

(黙示録 2:10)。

キリスト者の血は種

キリストの教会を暴力で滅ぼそうとしたサタンの努力はむだであった。

イエスの弟子たちがその生命をささげた大争闘は、

これらの忠実な旗手たちが

その持ち場で倒れた時にもやむことはなかった。

敗北によって彼らは勝利した。

神の働き人たちは殺されたが、

神の働きは着実に前進した。

福音は進展し続け、

それを信じる者の数は増加した。

それは、近づきがたいような地域にも入りこみ、

ローマの軍隊にまで及んだ。

迫害を推し進めようとする異教徒の支配者たちをいさめて、

あるキリスト者はこう言った。

あなたがたは、「われわれを殺し、苦しめ、罪に定めることができよう。・・・・あなたがたの不正行為は、われわれの無実の証拠である。・・・・また、あなたがたの残酷さも・・・・あなたがたの益とはならない。」

迫害は、他の人々を

キリスト教に導くさらに強力な招きとなったに過ぎなかった。

「われわれはあなたがたに刈り倒されるたびに、数が増加する。

キリスト者の血は、種である」(テルトゥリアヌス、「護教論」50節)。

 

幾千の者が投獄され、殺されたが、

すぐに他の者が現われてその場所を埋めた。

そして、信仰のために殉教した者は、キリストのものとして

確保され、彼に勝利者として認められた。

彼らはりっぱに戦いぬいたのであり、キリストが来られる時に、

栄光の冠を受けるのであった。

彼らが耐え忍んだ苦しみは、キリスト者たちを互いに近づけ、

また彼らの贖い主へと近づけた。

彼らの生きた模範と死ぬ時の証言は、

真理に対する絶えざるあかしであった。

そして、最も予期していないところで、

サタンの部下がその務めを去って、キリストの旗の下に加わった。

 

そこでサタンは、

彼の旗をキリスト教会内に立てることによって、

神の政府をもっと効果的に攻撃しようと計画した。

もし、キリストの弟子たちを欺き、

神のみこころを損わせることができるならば、彼らの力と忍耐と

堅固さは失われて、たやすく彼の餌食になるのであった。

 

大いなる敵、悪魔は、暴力でできなかったことを、

今や策略によって得ようと努めた。

迫害はやんだ。

そして、その代わりに、この世の繁栄と世俗の栄誉という

危険な誘惑物がおかれた。

偶像教徒は、他の重要な真理を拒否しながらも、

キリスト教の信仰の一部を受け入れるように導かれた。

彼らは、イエスを神の子として受け入れ、

彼の死と復活を信じると言いながら、

罪の自覚もなく、

悔い改めや心の変化の必要を感じなかった。

彼らは、自分たちも譲歩したのだから、キリスト者も譲歩して、

すべての者がキリストを信じる原則において

一致するようにしようと提案した。

妥協精神の侵入

今や教会は恐るべき危機に陥った。

これと比べるならば、

牢獄や拷問、火や剣は祝福であった。

キリスト者のある者たちは堅く立って、

妥協することはできないと宣言した。

しかし、ある者たちは、彼らの信仰のいくつかの特徴を捨てたり変更したりすることに、そしてキリスト教を部分的に受け入れていた者たちと結合することに賛成して、これは、彼らを完全な改宗に導く手段になるであろうと言った。

それは、キリストに忠実に従う者たちにとって、

深刻な苦悩の時であった。

サタンは、見せかけのキリスト教という上衣をまとって、

教会内に侵入し、信者たちの信仰を腐敗させ、

彼らの心を真理の言葉から離れさせた。

 

ついに、キリスト者の多くは、

標準を下げることに同意し、

キリスト教と異教との間の結合が成立した。

偶像礼拝者たちは、改宗したと言って教会に加わったものの、

依然として偶像礼拝を続けており、

礼拝の対象をイエスの像や、

マリヤ、聖人たちの像に変えたにすぎなかった。

こうして教会内に侵入したいまわしい偶像礼拝のパン種は、

その害を及ぼしていった。

不健全な教義、迷信的礼典や偶像礼拝的儀式が、

教会の信条と礼拝の中に取り入れられた。

キリスト者たちが偶像礼拝者たちと結合したことによって、

キリスト教は腐敗し、

教会はその純潔と力を失った。

しかしながら、

こうした惑わしに欺かれない者たちもいくらかはいた。

彼らは、真理の本源であられる神に依然として忠誠をつくし、

ただ神だけを礼拝した。

 

キリストの弟子であると自称する人々の中に、

常に2種類の人々がある。

一方の人々は、救い主の生涯を研究して、自分の欠点を正し、

模範に倣おうと熱心に求めるが、もう一方の人々は、

彼らの誤りを指摘する明白で実際的な真理を避けるのである。

教会は、その最善の状態にあった時でさえ、

真実で純潔で誠実な人々だけで成り立っていたのではなかった。

救い主は、故意に罪にふける人々を

教会に受け入れてはならないと教えられた。

しかし彼は、品性に欠点のある人々をご自分に結びつけ、

彼の教えと模範の利益を受けることを許された。

それは彼らに、

自分たちの誤りを認めてそれを正す機会を与えるためであった。

12使徒の中には裏切り者がいた。

ユダは、彼の品性の欠陥のためではなくて、

欠陥にもかかわらず受け入れられた。

ユダが弟子たちの仲間に加えられたのは、

彼がキリストの教訓と模範によって、

キリスト者の品性がどのようなものであるかを知り、

自分の過ちを認めて悔い改め、神の恵みの助け

と、「真理に従うことによって」魂を清めるためであった。

しかしユダは、

このように恵み深く彼を照らした光の中を歩かなかった。

罪にふけることによって、彼はサタンの誘惑を招いた。

彼の品性の悪い特徴が、主導権を握った。

彼は、自分の心を暗黒の力の支配に従わせ、

自分の欠点が譴責(けんせき)されると怒るようになり、

こうして、主を裏切るという恐ろしい罪を犯すようになった。

これと同じく、信心深いことを言いながら心に罪をいだいている者はみな、自分たちの罪の歩みを指摘して、心の平和をみだす者を憎むのである。

彼らは、よい機会が来るならば、ユダのように、彼らのためを思って彼らを譴責した者を裏切るのである。

光と暗黒との戦い

使徒たちも教会内で、

信心深い様子をしながら

ひそかに罪をいだいている人々に出会った。

アナニヤとサッピラは、人を欺いた。

彼らは、神のためにすべてを犠牲にしているように見せかけながら、欲のためにその一部を自分たちで保留していた。

しかし真理のみ霊がこうした偽り者の本性を使徒たちに暴露し、

神の刑罰が下って、

教会の純潔を損うこうした汚点を教会から取り除いた。

教会には真偽を見分けるキリストの霊があるというこの顕著な証拠は、

偽善者たちや悪事を行う者たちに恐怖を与えた。

彼らは、その習慣や品性が常にキリストを代表している者たちと、

長くつながっていることはできなかった。

ひとたびキリストの弟子たちに、試練と迫害が来た時、

真理のためにすべてを喜んで捨てる者だけが、

弟子になることを望んだのである。

こうして、迫害が続くかぎり、教会は比較的純潔を保つことができた。

しかし、迫害がやむと、それほど真剣でもなく

それほど献身もしていない改宗者たちが加わってきて、

サタンが足場を得る道が開かれた。

 

しかし、光の君と暗黒の君との間に一致はない。

そして、その弟子たちの間にも一致はあり得ない。

キリスト者たちが、

異教から半分だけ改宗した人々と

1つになることに同意した時、

彼らは真理からますます遠ざかる道に足を踏み入れたのであった。

サタンは、多くのキリストの弟子たちを

欺くことができたことを喜んだ。

そして彼は、この人々をさらに十分に自分の支配下に治めて、

彼らによって、神に忠誠を保つ人々を迫害させようとした。

かつてキリスト教信仰の擁護者であった人々ほど、どのようにして真

キリスト教信仰を圧迫すべきかを知っているものはない。

これら背教的なキリスト者たちは、

半ば異教的な仲間たちと結合して、

キリストの教理の最も重要な特徴を攻撃したのである。

 

忠誠を保とうとする人々は、

司祭服にかくれて教会のなかに導入された

欺瞞(ぎまん)と憎むべきこととに対抗して、

必死に戦わねばならなかった。

聖書は、信仰の規準として受け入れられなかった。

信仰の自由という教義は異端視され、

その支持者は憎まれ追放された。

忠実な少数者

長期にわたった激しい戦いの後、忠実なわずかの者たちは、教会が虚

偽と偶像礼拝とを捨てることをなお拒否するならば、背信した教会との一致をすべて絶つ決心をした。

彼らは、神のみ言葉に従おうとするならば、分離することが絶対に必要なことを認めた。

彼らは、自分たちの魂を危険に陥れる誤りを黙認したり、

自分たちの子孫の信仰を

危うくするような例を残したりすることはしたくなかった。

彼らは、神に対する忠誠と矛盾しないかぎり、

どんな譲歩でもして、平和と一致を保とうとした。

しかし、平和のために原則を犠牲にすることは、

あまりにも大きな代価であった。

真理と正義を曲げなければ得られない一致であるならば、

彼らはむしろ不和をも、

そして戦争をもいとわなかった。

 

これらの人々を堅く立たせた諸原則が、

神の民と称している人々の心の中によみがえるならば、

教会と世界にとってどんなにかよいことであろう。

キリスト教信仰の柱である教理が、

驚くほど無視されている。

結局こうしたことは重大なものではない、

という意見が強くなっている。

この堕落は、サタンの配下たちの手を強めるものであって、そのために、

各時代の忠実な者たちが、

生命をかけて反対し摘発してきた偽りの説や致命的な欺瞞が、

今やキリストに従っていると称する

多くの人々に歓迎されるようになってきた。

 

初代のキリスト者たちは、実際、特殊な民であった。

彼らの非難するところのない行状と確固たる信仰とは、

絶えず罪人の心を責めるものであった。

彼らは数が少なく、富も地位も名誉ある称号もなかったけれども、

その品性と教義とが知られているところではどこでも、

悪を行なう者たちにとって恐怖であった。

それゆえに彼らは、

アベルが神を恐れないカインに憎まれたように、悪人たちに憎まれた。

カインがアベルを殺したのと同じ理由から、

聖霊の抑制を拒む人々は

神の民を殺した。

ユダヤ人が救い主を拒んで十字架につけたのも、

同じ理由からであった。

すなわち彼の品性の純潔と神聖さとが、

絶えず彼らの利己心と堕落とを責めたからであった。

キリストの時代から今に至るまで、彼の忠実な弟子たちは、

罪を愛してその道を歩む者たちの

憎しみと反対とを引き起こしてきたのである。

福音の力

それならば、どうして福音を、

平和のメッセージと呼ぶことができるのであろうか。

イザヤはメシヤの誕生を預言して、彼を「平和の君」と呼んだ。

また天使たちは、キリストの誕生を羊飼いたちに告げた時、

「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、

み心にかなう人々に平和があるように」と

ベツレヘムの平原の上で歌った(ルカ 2:14)。

これらの預言の言葉と、「平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきた」

というキリストの言葉との間には、

一見、矛盾があるように思われる(マタイ 10:34)。

しかし、正しく理解されるならば、この2つは完全に一致している。

福音は平和のメッセージである。

キリスト教は、それを受け入れて従うならば、

全地を平和と一致と幸福で満たすものである。

キリストの宗教は、

その教えを受け入れるすべての者を親しい兄弟関係に入れる。

イエスの使命は、人々を神と和解させ、

そしてお互いに和解させることであった。

しかし世界は一般に、

キリストの大敵サタンの支配下にある。

福音が彼らに、

彼らの習慣や欲望と全く異なった生活の原則を示すために、

彼らはそれに反逆する。

彼らは自分たちの罪を指摘し非難する純潔を憎む。

そして、その公正で神聖な要求を守るように勧める人々を、

彼らは迫害し滅ぼすのである。

福音のもたらす崇高な真理は、憎しみや争いを引き起こすもとになるために、この意味において、福音は剣であると言われているのである。

 

苦難の意味

神が不思議な摂理のうちに、

義人が悪人に迫害されることを許されることは、

信仰の薄い多くの者を大いに困惑させてきた問題である。

神が、極悪人たちを栄えるがままにしておかれ、

一方最も善良で純潔な人々が、

彼らの残酷な力によって悩まされ苦しめられるのを見て、

神に対する信頼を捨て去ろうとする者さえいる。

正義にして憐れみ深く、無限の力を持った方が、

どうしてこのような不正と圧迫を黙認しておられるのか、

と人々は問う。

しかしこれは、われわれの関知すべき問題ではない。

神はその愛について十分な証拠を与えておられるのだから、

われわれは神の摂理の働きが理解できないからと言って、

神の慈愛を疑ってはならない。

救い主は、

試練と暗黒の日々に弟子たちの心を苦しめる疑惑を予見して、

「わたしがあなたがたに『僕はその主人にまさるものではない』

と言ったことを、おぼえていなさい。

もし人々がわたしを迫害したなら、

あなたがたをも迫害するであろう」と彼らに言われた( ヨハネ 1 5:20)。

イエスはわれわれのために、彼のどの弟子が悪人の残虐によって

苦しめられるよりも激しい苦しみを受けられた。

苦しみに耐え、殉教するために召された者は、

神の愛するみ子の足跡をふみ従うに過ぎないのである。

 

「主は約束の実行をおそくしておられるのではない」(Ⅱペテロ 3:9)。

主は、ご自分の子供たちを忘れたり、おろそかにしたりなさらない。

ただ、主のみこころを行おうとする者がだれも悪人に欺かれることがないように、悪人の本性があらわされることをお許しになるのである。

また、義人たちが苦難の炉に入れられるのは、

彼ら自身が清められるためであり、彼らの模範によって、

他の人々が信仰と敬虔(けいけん)な生活の実際をよく理解するためである。

そして、彼らの終始一貫した行為によって、

神を信じ敬うことをしない人々を責めもするのである。

 

神は、悪人が栄え、

悪人が神に対する敵意を表わすことをお許しになる。

それは、彼らの罪悪の升目が満ちた時、

彼らが全く滅ぼされることが神の正義と憐れみに

よるものであることをすべての者が知るためである。

神の報復の日が迫っている。

その時には、神の律法を破り神の民を圧迫した者がみな、

その行為に対する正当な報いを受ける。その時には、神に忠実に

仕える者に対して行われたすべての残酷な、また不正な行為が、

キリストご自身に対してなされたかのように罰せられる。

眠っている教会

ところで、

今日の教会が注意すべきもう1つのさらに重大な問題がある。

使徒パウロは、「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける」と言っている(Ⅱテモテ 3:12)。

それでは、迫害の火が消えているように思われるのは、

なぜであろうか。

その唯一の理由は、教会が世俗の標準に妥協したために、

反対を引き起こさないということにある。

今日、世に迎えられている宗教は、

キリストとその弟子たちの時代の信仰のように

純潔で聖なるものではない。

キリスト教が世の中から迎えられているように見えるのは、

罪と妥協する精神、

神のみ言葉の偉大な真理に対する無関心、

教会内における生きた

敬神の念の欠乏のゆえにほかならない。

初代教会の信仰と力が復興するならば、

迫害の精神もまた復興し、

迫害の火は再び点じられるのである。

【 第3章 中世の霊的暗黒時代 】

「不法の者」の出現

使徒パウロは、

テサロニケ人への第2の手紙のなかで、

法王権の樹立をもたらす大背教のことを預言した。

彼は、キリストの日が来る前に、

「まず背教のことが起り、不法の者、

すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。

彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに

反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する」

と言った。

パウロは、さらに、「不法の秘密の力が、すでに働いている」

と信者たちに警告している(Ⅱテサロニケ 2:7、3、4参照)。

早くも彼は誤りが教会に侵入し、

法王権の発展に

道を備えるのを見たのであった。

 

徐々に、最初はこっそりと静かに、そしてそれから勢力を増し、

人心を支配するようになるにつれて、

もっと公然と、「不法の秘密」は

その欺瞞(ぎまん)的冒涜(ぼうとく)的な働きを進めていった。

異教の習慣は、

目につかないほど少しずつキリスト教会の中に入ってきた。

教会が異教から

激しく迫害を受けていた間は、

一時妥協と迎合の精神は抑えられていた。

しかし迫害がやんで、

キリスト教が王侯の宮廷や宮殿に入った時、

教会はキリストと使徒たちの

つつましやかな単純さを捨て、

異教の司祭や王侯たちの虚飾と華美に倣った。

そして神のご要求のかわりに、人間の理論や伝説を取り入れた。

4世紀の初期に、コンスタンティヌス帝が名ばかりの改宗をして、

一般から大いに歓迎された。

そして、世俗が信心深い様子をして教会内に入ってきた。

今や、堕落は急速に進んだ。

異教は征服されたように見えながら、

勝利者となった。

異教の精神が教会を支配した。

その教義と礼典と迷信とが、

キリストの弟子であると公言する人々の

信仰と礼拝に織りこまれた。

 

この異教とキリスト教の妥協が、神に反抗して立ち上がると預言され

た「不法の者」を出現させることになった。

偽りの宗教のあの巨大な組織は、

サタンの権力が生んだ一大傑作であって、

自分の意のままにこの地上を支配しようとする

彼の努力の記念碑である。

 

サタンは前にも1 度、キリストと妥協しようと努めたことがあった。

彼は試みの荒野で、神のみ子のところに来て、

この世のすべての国々とその栄華とを見せ、

もしキリストが暗黒の君の主権を認めさえすれば、

すべてを彼の手に与えようと言った。

キリストは僣越(せんえつ)な誘惑者を譴責(けんせき)し、

追い払われた。

しかしサタンは同じ誘惑を人間の前に差し出して、

大きな成功を収めている。

教会はこの世の利益と栄誉を手に入れるために、

地上の有力者たちの賛成と支持を求めるようになった。

そして、このようにしてキリストを拒否したことによって、

教会はサタンの代表者である

ローマの司教に忠誠をつくすに至った。

非聖書的な法王至上権説

法王は全世界のキリストの教会の目に見える頭であって、

世界各地の司教と牧師に対する至上権が与えられている、

というのがローマ・カトリック教会の主要教義の1つである。

そればかりではない。

法王には、神の称号そのものが与えられている。

彼は「主なる神、法王」と呼ばれ、

誤ることがないとされてきた(付録参照)。

彼はすべての人間が彼を尊敬することを要求する。

サタンは試みの荒野において主張したのと同じことを、

今日もなおローマ教会を通じて主張している。

そして無数の人々が、心から彼に尊敬を払っている。

 

しかし、神を恐れ敬うものは、キリストが、

狡猾(こうかつ)な敵の誘惑に対抗されたように

「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」と言って、

神に逆らうこうした主張に立ち向かうのである( ルカ 4 : 8 )。

神はみ言葉の中で、

だれか人間を教会の頭にしたなどという暗示すら与えておられない。

法王至上権説は、

聖書の教えと全く相反するものである。

法王は、横領による以外に、

キリストの教会の上に権力を振うことはできない。

 

カトリック教徒は、プロテスタントを異端視しつづけ、

真の教会から故意に分離したものであると言ってきた。

しかしこうした非難は、

むしろ彼らにこそ当てはまるのである。

キリストの旗を捨てて、「聖徒たちに

よって、ひとたび伝えられた信仰」から離れたのは、

彼らであった(ユダ3 )。

 

サタンは、聖書が人々に、彼の欺瞞を見分け、彼の力に対抗できるよ

うにさせることをよく知っていた。

世の救い主でさえ、

み言葉によって、彼の攻撃を退けられた。

キリストは攻撃されるたびに、永遠の真理の盾を用いて、

「・・・・と書いてある」と言われた。

サタンのあらゆる誘惑に対し、

キリストはみ言葉の知恵と力をもって対抗された。

サタンが人々の上に権力をふるい、

横領者的な法王権をうちたてるには、

彼らを聖書について無知にしておかねばならなかった。

聖書は神を高め、有限な人間の真の立場を明らかにする。

それゆえに、その聖なる真理を隠し、抑圧しなければならない。

ローマ教会はこの論法をとった。

数百年にわたって、聖書の配布が禁止された。

人々は聖書を読むことも、それを家に持つことも禁じられた。

そして節操のない司祭たちや司教たちが、

自分たちの主張を支持するために

その教えを解釈した。

こうして法王は、地上における神の代表者、

教会と国家に対する権威を与えられた者として、

広く認められるようになった。

時と律法の変更

誤りを指摘するものが除かれたので、サタンは、思う存分に活躍した。

法王権は「時と律法とを変えようと望む」

と預言されていた(ダニエル7:25)。

このことは、さっそく実行に移された。

異教から改宗した人々に、偶像礼拝の代わりになるものを与え、

こうして彼らの名ばかりのキリスト教受容を促進するために、

聖画像や聖遺物崇拝が、

キリスト教の礼拝のなかに徐々に取り入れられた。

ついに公会議の布告によって、

この偶像礼拝制度が確立した(付録参照)。

ローマ教会は、神を汚す活動の結びとして、

僣越にも、

偶像礼拝を禁じる第2条を神の律法から削除し、

その欠けたところを補うために第10条を2つに分けたのである。

 

異教に譲歩する精神は、

なおいっそう神の権威を無視する道を開いた。

サタンは、教会の清められていない指導者たちによって、

第4条をも変更し、

神が祝福し聖別された昔からの安息日(創世記 2:2、3参照)

を廃そうとした。

そしてその代わりに、

異教徒が「太陽の神聖な日」として守っていた祭日を高めようとした。

この変更は初めから公然と行われたのではなかった。

最初の2、3世紀の間、

すべてのキリスト者たちは真の安息日を守っていた。

彼らは熱心に神をあがめ、

神の律法は不変であると信じていたから、

その戒めを熱心に清く守った。

しかしサタンは、彼の代理者たちを用いて非常に巧妙に働き、

その目的の達成をはかった。

人々の注目を日曜日にひくために、

それはキリストの復活を記念する

祝日とされた。

宗教的礼拝が日曜日に行われた。しかし、その日は

娯楽の日とみなされており、安息日が従来どおり清く守られていた。

 

サタンは、自分がなしとげようとしている仕事に道を備えるために、キリストの来臨に先だって、

ユダヤ人たちが安息日に苛酷な要求を増し加え、

それを守ることを重荷にするようにさせていた。

そしてサタンは、自分がそのようにして人々に

安息日を誤解させておきながら、今度はそれを利用し、

安息日はユダヤ人の制度だとしてそれを軽べつした。

キリスト者たちが、日曜日を楽しい祝祭日として祝う一方、

サタンは彼らがユダヤ教に対する憎しみの表現として、

安息日を断食の日、

ゆううつな悲しみの日とするようにしむけた。

 

4世紀の初期、コンスタンティヌス帝は、

日曜日をローマ帝国全土の公の祝日にするという

布告を出した(付録参照)。

太陽の日は、異教徒の国民に尊ばれ、

またキリスト者たちからもあがめられた。

それは、異教とキリスト教との

相反する点を一致させようとする皇帝の政策であった。

彼は、教会の司教たちから、こうするように勧められたのである。

彼らは権力を渇望していたから、

もしキリスト者と異教徒とが両方とも同じ日を守るならば、

異教徒が名目だけでもキリスト教を信じるのを助長し、

教会の権力と栄光を推し進めるものと考えた。

しかし多くの敬虔(けいけん)なキリスト者たちは、

次第に、日曜日にはいくぶんか神聖さがあると

見なすようになったものの、なお真の安息日を主の聖なる日とし、

第4条の戒めに従って守っていた。

偽りの安息日

大欺瞞者は、まだ十分にはその目的を達成していなかった。

彼は、キリスト教世界を彼の旗の下に集め、彼の代理人、

すなわち、キリストの代表者であると主張する高慢な法王によって、

力を振おうと決心した。

半分しか改宗していない異教徒たち、野心満々の司教たち、そして

世俗を愛する教会人たちによって、彼は自分の目的をなしとげた。

いくたびか公会議が開かれて、

教会の指導者たちが全世界から集められた。

そのほとんどの会議において、

神が制定された安息日が少しずつ低められると共に、

日曜日はそれに応じて高められていった。

こうして異教の祝祭日が、

ついには神聖な制度としてあがめられるようになり、その反面、

聖書の安息日はユダヤ教の遺物であると宣言され、

それを守る者たちはのろわるべきであると言われた。

 

大背信者は、「すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して」

自らをその上に高く上げることに成功した

(Ⅱテサロニケ 2:4)。

彼は、全人類を生きた

真の神へと誤ることなく向ける、

神の律法の唯一の戒めをあえて変更した。

神は、第4条の戒めのなかで、

天と地の創造主として示されており、

それによってすべての偽りの神々との区別が明らかにされている。

第七日が、人間の休息の日として聖別されたのは、

創造の業の記念としてであった。

それは人間が、生ける神を、存在の根源、

尊崇と礼拝の対象として、常に心に留めておくためであった。

サタンは人々に、神への忠誠をつくさせず、

神の律法に従わせまいと努力している。

それゆえに彼は、神が創造主であることを指し示す戒めを、

特に攻撃するのである。

 

今、プロテスタントの側では、キリストが日曜日に復活されたから日

曜日がキリスト教徒の安息日になったと主張している。

しかし、その聖書的証拠はない。

キリストや使徒たちも、

この日をそのように尊んではいない。

日曜日をキリスト教の制度として遵守することは、

すでにパウロの時代に活動しはじめた

「不法の秘密の力」にその起源をもつ(Ⅱテサロニケ 2: 7 )。

しかし主は、いつどこで、

この法王権の子とも言うべき日曜日の制度を

迎え入れられたのであろうか。

聖書が認めていない変更に対して、

どのような確かな理由をあげ得るであろうか。

暗黒時代の開始

第6世紀に至って、

法王権は確立した。

その権力の座はローマに置かれ、

ローマの司教が全教会の首長であると宣言された。

異教は法王権に地位を譲った。

龍は獣に、「自分の力と位と大いなる権威とを」与えた

(黙示録 13:2、付録参照)。

こうして、ダニエル書と黙示録に預言され

たところの、1 2 6 0 年間に及ぶ法王権の迫害が始まった

(ダニエル7:25、黙示録 13:5―7参照)。

キリスト者たちは、神に対する

忠誠を放棄して法王教の儀式と礼拝を受け入れるか、それとも、

地下の牢獄(ろうごく)に幽閉され、拷問や火刑、また斬首吏(ざんしゅり)のおので生命を失うか、そのどちらかを選ばねばならなくなった。

「しかし、あなたがたは両親、兄弟、親族、友人にさえ

裏切られるであろう。また、あなたがたの中で殺されるものもあろう。

また、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであ

ろう」というイエスの言葉が、ここで成就した(ルカ 21:16、1 7 )。

迫害は、これまで以上に激しく忠実な人々に向けられ、

世界は一大戦場となった。

何百年もの間、キリストの教会は人里離れた場所に難をのがれた。

預言者はこのように言っている。

「女は荒野へ逃げて行った。

そこには、彼女が1260日のあいだ養われるように、

神の用意された場所があった」

(黙示録 12 : 6 )。

 

ローマ教会が権力を握ったことは、

暗黒時代の始まりを意味した。

教会の権力が増すにつれて暗黒は深まった。

信仰は、真の基礎であるキリストから、

ローマ法王へと移された。

人々は、罪の許しと永遠の救いを求めて

神の子によりたのむかわりに、法王や、

法王が権力をゆだねた司祭や司教たちにたよった。

彼らは、法王はこの地上における

彼らの仲保者であって、

法王によらなければだれも神に近づくことができない、と教えられた。

さらに、法王は神に代わって彼らの前に立つ者であるから、

絶対に服従すべきであると教えられた。

彼の要求に従わない者が、

最も厳しい罰をその心身に受けるのは、当然のこととされた。

こうして人々の心は神から引き離されて、

誤りの多い残酷な人々に、

いや、彼らを通して力を振うところの暗黒の君自身に向けられた。

 

罪は聖潔の仮面をかぶった。

聖書が圧迫され、人間が自分を最高のものと見なすようになる時、

そこには、欺瞞と惑わし、

汚れた罪悪しか期待できない。

人間の律法と言い伝えとが高められるにつれて、

神の律法を放棄する時

常に起こる腐敗があらわれてきた。

真の宗教の危機

キリストの教会にとって危機の時代であった。

忠実な旗手はまことに少なかった。

真理の証人たちもいなかったわけではないが、

誤りと迷信が完全に勝利して、

真の宗教は地上からぬぐい去られたように思われた時もあった。

福音は見失われてしまった。

しかし宗教の形式は増大し、

人々は厳しい要求に苦しんだ。

 

彼らは、法王を彼らの仲保者として仰ぐだけでなく、

罪を贖うために自分自身の行いに頼らねばならないと教えられた。

長い巡礼の旅、難行苦行、聖遺物崇拝、

教会堂・寺院そして祭壇の建築、教会への大金納入―

これらの行為、またそれに類した多くの行為が、

神の怒りを和らげ、神の恵みにあずかるために要求された。

あたかも神が人間のように、ささいなことに怒り、

あるいは贈り物や苦行によってなだめられるかのように。

 

罪悪が一般に広く行われ、ローマ教会の指導者たちの中にさえ及んで

いたが、しかし教会の勢力は着実に増加していくように見えた。

8世紀の終わりごろ、カトリック教徒たちは、

初期の教会においてもローマの司教は、

現在有しているのと同じ宗教上の権力を持っていたと主張した。

この主張を確立するためには、

何かの手段を講じてそれを権威づける必要があった。

そしてそれには、偽りの父が直ちに示唆を与えた。

古文書が、修道士たちによって偽造された。

これまで聞いたこともないような会議の布告が発見されて、

法王が最も初期の時代から

普遍的な至上権を持っていたことが確立された。

そして、真理を拒否した教会は、

これらの欺瞞をすぐさま承認した(付録参照)。

 

真の土台の上に築いていたところの、

ごく少数の忠実な建設者たちは、

このようなくずに等しい偽りの教義が働きを妨害するために、

困惑し妨げられた(Ⅰコリント 3:10、11参照)。

ネヘミヤの時代にエルサレムの城壁を築いた者たちのように、

ある者たちは、「荷を負う者の力は衰え、

そのうえ、灰土がおびただしいので、

われわれは城壁を築くことができない」と言うばかりになった

(ネヘミヤ 4:10)。

迫害、不正、罪悪、その他サタンが、

彼らの働きの前進を妨げるために考案した

さまざまな妨害との絶え間ない闘いに疲れて、

さすがの忠実な建設者たちの中にも失望に陥る者があった。

そして自分たちの財産と生命を守るために、

彼らは真の土台から離れていった。

しかし、敵の攻撃にもくじけずに、

「あなたがたは彼らを恐れてはならない。

大いなる恐るべき主を覚え」よと大胆に宣言する者もあった

(同・4:14)。

そして彼らは各自が腰に剣を帯びながら

働きを推し進めたのであった(エペソ 6:7参照)。

 

真理に対する同じ憎しみと反対の精神が、

各時代の神の敵の心を満たしてきた。

そして同じ警戒心と忠実さが神のしもべたちに要求されてきた。

最初の弟子たちに言われたキリストの言葉は、

終末に至るまでの弟子たちに言われたのである。

「目をさましていなさい。わたしがあなたがたに言うこの言葉は、

すべての人々に言うのである」(マルコ 13:37)。

深まりゆく暗黒

暗黒はますますその濃さを増していくように見えた。

聖像崇拝はいっそう広く行われるようになった。

像の前に燈明があげられて、

祈りがささげられた。

最もばかげた迷信的な習慣が広まった。

人々の心は迷信によって完全に支配されたので、

理性そのものが失われてしまったかのように思われた。

司祭や司教たち自身が享楽を愛し、肉欲にふけり、

腐敗していたのだから、

彼らの指導を仰いでいた民衆が無知と不道徳に陥るのは、

当然のことであった。

 

さらに法王は、もう1つの僣越なことをした。

すなわち11世紀に法王グレゴリー7世は、

ローマ教会は完全であると宣言したのである。

その主張の中で彼は、

聖書によれば教会はこれまで誤ったことはないし、

これからも誤ることがないと言明した。

しかし聖書には、このような主張を裏付ける証拠はないのである。

高慢な法王はまた、皇帝を退位させる権力があると主張し、

自分が布告した宣言を破棄し得る者はだれもなく、

一方他のすべての者の決定を取り消す権力が

自分にはあると断言した(付録参照)。

 

こうした絶対無謬(むびゅう)を唱えた

法王の暴君的性格を示す顕著な実例は、

ドイツ皇帝ハインリヒ4世(ヘンリー4世)に対する処置である。

ハインリヒ4世は、

法王の権威をあえて無視したために、

破門と廃位の宣告を受けた。

法王の命令に力を得て

彼に反逆した諸侯たちの、

離反と威嚇に驚いたハインリヒは、

法王と和解する必要を感じた。

彼は王妃と忠実な従者とを伴って、

法王の前に身を低めるため、真冬のアルプスを越えた。

グレゴリーが留まっていた城に到着すると、

王は護衛もなく外庭に案内され、

その厳しい冬の寒さの中で、

みすぼらしい衣を着、頭には何もかぶらず、

はだしのまま、法王の前に出る許可を待った。

彼が3日間断食とざんげを続けた後、

ようやく法王は彼に赦免を与えた。

そしてそれさえも、皇帝が位に復して王権を行使する前に、

法王の認可を仰がねばならないという

条件つきのものであった。

こうしてグレゴリーは、自分の勝利に意気揚々となり、

王たちの誇りをはぐことが自分の義務であると誇った。

 

このごうまんな法王の横暴な態度と、

キリスト―ゆるしと平和をもたらすために、

心の戸の外に立って、入ることを求めておられるキリスト、

また弟子たちに、「あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、

僕とならねばならない」( マタイ 2 0 : 2 7 ) 

と教えられたキリスト―の柔和と優しさとは、

なんと異なっていることであろう。

誤った教義の数々

時代が進むにつれて、

誤った教義がローマからやむことなく送り出されていった。

法王制が確立する以前でさえ、

異教の哲学者たちの教えが教会の中で注目され、

影響を与えていた。

改宗したという人々の多くは、

依然として彼らの異教の哲学の教えに執着し、

それを自分で研究するばかりでなく、

異教徒の中で勢力を広げる手段として、他の人々にもそれを勧めた。

こうして重大な誤りがキリスト教信仰の中にもちこまれた。

それらのうちで特に目立つものは、人間は生来不死であって、

死んでも意識があるという信仰であった。

この教義を基礎にして、ローマ教会は、

諸聖人に祈りをささげることや、

聖母マリヤを崇拝することを確立した。

また早くから法王教の中に織りこまれていたところの、

最後まで悔い改めない者は永遠の責苦に会うという異端的な教えも、

ここから起こったのである。

 

これに伴ってもう1つ異教のつくりごとが

取り入れられることになった。

ローマ教会はそれを煉獄と呼び、

だまされやすく迷信的な民衆を脅すのに用いた。

この異端的な教えによれば、永遠の滅びを受けるほど

でない魂がその罪の罰を受けるべき苦しみの場所が存在し、

そこで不純な状態から清められた時

天国に入ることを許される、

というのである(付録参照)。

 

ローマ教会が、その信者たちの恐怖と悪行とを利用して益を得るため

には、さらにもう1つのつくりごとが、必要であった。

この必要は、免罪の教義によって満たされた。

法王の戦い―世俗的な主権を拡大し、敵を懲らしめ、

法王の霊的至上権を否定する者たちを撲滅するための戦い―に参加するすべての者に、過去・現在・未来の罪の完全な赦免と、

受けるべきすべての苦痛と罰の免除が約束された。

また、教会に金を払うことによって罪から解放されること、

そしてまた、苦しみの火の中にいる死んだ

友人たちの魂をも解放することができること、

これらのことを人々は教えられた。

このような方法によって、ローマ教会はその懐を肥やし、

キリスト―まくらする所さえ持たれなかったお方―の

代表者と称する者の豪華とぜいたくと

悪徳とを支えたのであった(付録参照)。

 

聖書的礼典である主の晩餐(ばんさん)は、

ミサという偶像崇拝的犠牲にとって代わられた。

カトリックの司祭たちは、

その無意味な儀式によって、

ただのパンとぶどう酒を実際の

「キリストの体と血」に変える

と主張した。①

彼らは、神を汚す僣越さをもって、

万物の創造主であられる神を創造する力があると公言した。

キリスト者たちはこの恐ろしい涜神(とくしん)的邪説を信じるように

要求され、さもないと死刑に処せられるのであった。

これを拒んだために火刑に処せられた者が無数にあった(付録参照)。

世界の真夜中

13世紀に、法王制の機関中で最も恐ろしいもの、

すなわち宗教裁判所(異端審問所)が設けられた。

暗黒の君は、法王制の指導者たちと共に働いた。

彼らの秘密会議においてサタンとその天使たちが、

悪人たちの心を支配した。

しかしそれと同時に、人の目にこそ見えなかったが、

神の天使がそのただ中に立ち、

彼らの不法な命令の恐るべき記録をとり、

とうてい人間の目が見るに耐えない

恐ろしい行為の記録を記していたのであった。

「大いなるバビロン」は「聖徒の血に酔いしれた。」

無数の殉教者たちの寸断された体は、

この背信した権力に対する神のふくしゅうを叫び求めた。

 

法王教は世界の専制君主となった。

王も皇帝も

ローマ法王の命令に服した。

人々の運命は、現世のものも来世のものも、

彼の支配下にあるように思われた。

数百年にわたってローマの教義は、

絶対的なものとして広く受け入れられ、

その儀式は厳粛にとり行われ、その祝祭はあまねく遵奉された。

聖職者たちは尊敬され、豊かにささえられた。

この時ほど、ローマ教会が

大きな威厳と壮大さと権力を誇った時代はなかった。

 

しかし、

「法王制の真昼は、世界の真夜中であった。」②

聖書は、民衆だけでなく、司祭たちにさえほとんど知られていなかった。

昔のパリサイ人たちと同様に、法王教の指導者たちは、

彼らの罪を明らかにする光を憎んだ。

義の標準である神の律法を放棄してしまったので、

彼らは無制限に権力を行使し、

自由に悪事を働いた。

詐欺、貪欲(どんよく)、放とうが広く行われた。

人々は、富と地位を得るためには

どんな罪でも犯した。

法王や高位聖職者たちの宮殿は、

最も罪深い放とうの現場であった。

何人かの法王たちはあまりにも非道な犯罪を犯したために、

世俗の支配者たちが彼らを、

許すことのできない極悪な人物として

その地位から退かせようとしたほどであった。

ヨーロッパは、幾世紀もの間、学問、芸術、

また文化の面で何の進歩もなかった。

キリスト教世界は、

道徳的、知的マヒ状態に陥っていた。

 

ローマ教会の権力下にあった世界の状態は、

預言者ホセアの言葉の恐ろしくも

的確な成就である。

「わたしの民は知識がないために滅ぼされる。

あなたは知識を捨てたゆえに、わたしもあなたを捨て、

・・・・あなたはあなたの神の律法を忘れたゆえに、

わたしもまたあなたの子らを忘れる。」

「この地には真実がなく、愛情がなく、

また神を知ることもないからである。

ただのろいと、偽りと、人殺しと、盗みと、姦淫することのみで、

人々は皆荒れ狂い、殺害に殺害が続いている」(ホセア 4:6、1、2)。

これが神の言葉を捨てた結果であった。

第3章 注

①Cardinal Wiseman, "The Real Presence of the Body and Blood of Our Lord Jesus

Christ in the Blessed Eucharist, Proved From Scripture," Lecture 8, sec.3, par.26.

②J. A. Wylie, "History of Protestantism," b.1, ch.4.

 

【 第4章 真理の擁護者たち 】

暗黒時代の神の証人

法王が長期間にわたって至上権を握っていた時、

地上は暗黒におおわれたが、しかし、その中にあって、

真理の光が全く消えてしまったわけではなかった。

どの時代にも神の証人がいた。

キリストを神と人間との間の唯一の仲保者として信じ、

人生の唯一の規準として聖書を受け入れ、

そして真の安息日を尊んだ人々がいたのである。

こうした人々に世界が負うところいかに大であるか、

後世の人々にはけっしてわからないであろう。

彼らは異端者の烙印(らくいん)を押され、その動機は非難され、

その品性は中傷され、そして彼らの書き物は禁圧され、

誤り伝えられ、骨抜きにされた。

しかし彼らは堅く立った。

そして、来たるべき時代のための神聖な遺産として、

彼らの信仰を、代々、純潔に保ったのである。

 

ローマが至上権を握ってからの、

暗黒時代における神の民の歴史は、天に記録されているが、

人間の手になる記録には、あまり記されていない。

彼らを迫害した者たちによる非難以外には、

彼らの存在の形跡はほとんどない。

教義や命令に異議を唱えるものは、

あとかたもなく抹殺(まっさつ)してしまうことが、ローマの政策であった。

教会は、人間であろうが書物であろうが、

異端的なものはすべて滅ぼそうとした。

法王の教義の権威に対する疑惑や質問を表明するだけで、

貧富、貴賎(きせん)の別なく、

生命を奪われるのに十分であった。

またローマは、反対者に対する教会の残酷な行為の記録を、

すべて消滅させようとした。

法王による宗教会議は、

こうした記事がのっている書物や文書を焼却することを命じた。

印刷機が発明される前は、

書物の数も少なく、

その形も保存には向いていなかったので、

彼らの目的の遂行を妨げるものはほとんどなかった。

 

ローマの管轄内にあるどの教会も、

良心の自由をいつまでも保つことはできなかった。

法王権は、権力を握るとすぐ、

その支配を認めない者

をみな粉砕するために、手を伸ばした。

こうして諸教会は、次々とその支配下に陥った。

ブリテン(イギリス)のキリスト教会

大ブリテンでは、

原始キリスト教が早くから根をおろしていた。

最初の2、3世紀にブリトン人たちが受けた福音は、

まだローマの背教によって腐敗してはいなかった。

この遠方の国にまで及んだ異教の皇帝たちによる迫害は、

ブリテンの初期の教会が

ローマから受けた唯一の贈り物であった。

すなわち、多くのキリスト者たちは、

イングランドでの迫害をのがれてスコットランドに避難し、

これによって真理は、アイルランドにも伝えられた。

そしてこれらの国々では、どこでも歓迎されたのであった。

 

ところが、サクソン人がブリテンに侵入した時、異教が支配権を握っ

た。

征服者たちは、

自分たちの奴隷から教えられることを好まなかったので、

キリスト者たちは、山や荒野に避難しなければならなかった。

しかし、光は、一時隠されたにしても、常に燃えつづけた。

1世紀の後、スコットランドでは、

その光は明るく輝き出て遠くの国々にまで及んだ。

アイルランドからは、

敬虔(けいけん)なコルンバとその共労者たちがあらわれ、

各地に離散した信者をアイオナの孤島に集めて、

そこを彼らの伝道活動の中心にした。

これらの伝道者の中には、

聖書に示された安息日を守る者もいて、

こころしてこの真理が人々に伝えられた。

また、アイオナ島に学校が設立され、ここから、スコットランド、

イングランドだけでなく、ドイツやスペインやイタリアにまで、

伝道者が送られた。

 

しかし、ローマはブリテンに目をつけ、これを自分の支配下におこう

と決心した。

6世紀に、ローマ教会の宣教師たちは、

異教のサクソン人を改宗させようと企てた。

彼らは誇り高き異教徒たちから歓迎され、

幾千という人々をローマ教に改宗させた。

働きが進展するにつれて、法王教の指導者たちと改宗者たちは、

初代教会の流れをくむキリスト者たちに出会った。

そこには著しい相違があった。

前者が法王教のもつ迷信的で華美で

尊大な性格をあらわしていたのに対し、後者は、単純で謙そんで、

品性においても教義においても態度においても、聖書的であった。

ローマの使節たちは、これらのキリスト教会に、

法王の至上権を認めることを要求した。

ブリトン人は、自分たちはすべての人を愛したいと思う、

しかし法王は教会における至上権を与えられたわけではないのだから、

自分たちとしては、すべてのキリスト者たちに対してすべき服従を、

法王に対してもなすことができるだけであると、

柔和に答えたのであった。

彼らがローマに対して

忠誠を尽くすようにさせようとする試みがくり返された。

しかし、これらの謙そんなキリスト者たちは、

ローマ教会の使節たちのごうまんな態度に驚き、

自分たちはキリスト以外のだれをも主として認めないと、

断固として答えた。

ここにおいて、法王制の真の精神があらわされた。

すなわちローマの指導者は、次のように言ったのである。

「平和をもたらす

兄弟たちを受け入れないなら、

戦いをもたらす敵を迎えることになろう。

われわれと一致して

サクソン人に生命の道を示さないなら、

彼らから死の打撃を受けるであろう。」①

これは口先だけのおどしではなかった。

戦争と陰謀と欺瞞(ぎまん)とが、聖書の信仰の証人たちに向けられ、

ついにブリトン人の諸教会は破壊され、

あるいは法王の権威に余儀なく屈した。

ワルド派(ワルデンセス)の人々

ローマの管轄外にあった国々には、幾世紀もの間、

法王教の腐敗にほとんど染まることなく

存在したキリスト者たちの諸団体があった。

彼らは異教に囲まれていたために、

時の経過につれて、その誤りに感化された。

しかし彼らは聖書を信仰の唯一の規準とし、

その真理の多くを固守し続けていた。

これらのキリスト者たちは、神の律法の永続性を信じ、

第4条の安息日を守っていた。

この信仰と習慣を保っていた諸教会は、

中央アフリカに、そしてアジアのアルメニア人の中にあった。

 

しかし法王権の侵入に抵抗した人々の中で、

最も著しいのがワルド派(ワルデンセス、ワルドウス派)であった。

法王庁が存在しているまさにその国家において、

その虚偽と腐敗は

最も激しい抵抗に会った。

 

数世紀にわたって、

ピエモンテの諸教会は独立を保っていた。

しかし、

ついにローマが彼らに屈服を迫る時がきた。

ローマの圧制に対して無益な抵抗を試みたあとで、

これらの教会の指導者たちは、

全世界が敬意を表しているように思われるこの権力の至高性を、

しぶしぶ認めた。

しかしながら、

法王や司教たちの権威に対する服従を拒否した者たちもあった。

彼らは、あくまでも神に忠誠を尽くし、

信仰の単純さと純潔とを保とうとした。

こうして分離が起きた。

古くからの信仰を固守する者たちは、今や身を引いて、

ある者たちは故郷のアルプスを去って外国で真理の旗をかかげ、

また他の人々は、

人里離れた谷間や岩角けわしい山岳地帯に逃れて、

そこで自由に神を礼拝した。

 

幾世紀にもわたってワルド派のキリスト者たちが信じ、

教えてきた信仰は、

ロ―マから出た偽りの教義と著しい対照をなしていた。

彼らの宗教的信念は、

キリスト教の真の体系である書かれた神の言葉に基づいていた。

しかし、世から隔離された寂しい隠れがに住み、

家畜の世話や果樹の栽培に労苦の日々を送っていた

そぼくな農民たちは、自分自身の力で、

背信した教会の教義や邪説に反対する

真理に到達したのではなかった。

彼らの信仰は、新たに受けた信仰ではなかった。

彼らの宗教的信念は、彼らの先祖から受け継いだものであった。

彼らは、使徒時代の教会の信仰、

すなわち、「ひとたび伝えられた信仰」を強く主張した(ユダ 3 )。

世界的な大都市に王座をかまえた高慢な法王制ではなくて、

この「荒野の教会」がキリストの真の教会であり、

世界に伝えるために神がご自分の民にゆだねられた

真理の宝の保管者であった。

 

真の教会がローマから分離しなければならなかった主な理由の中に、

聖書的安息日に対するローマの憎しみということがあった。

預言されていたとおり、法王権はこの真理を地に投げ捨てた。

人間の言い伝えや習慣が尊ばれる一方、神の律法は踏みにじられた。

法王権の支配下にあった諸教会は、早くから、日曜日を聖日としてあがめるよう強要された。

誤りと迷信が広くゆきわたっているさなかにあって、

多くの者が

―神の真の民でさえも―

当惑し、

真の安息日を守りながらも、

日曜日にも仕事を休むほどであった。

しかし法王教の指導者たちは、それでは満足しなかった。

彼らは、日曜日を尊ぶばかりでなく、安息日を汚すことを要求した。

そして、安息日を尊ぼうとする人々を、

最も激しい口調で非難した。

だれでも神の律法を平安のうちに守ろうとするならば、

どうしても、ローマの権力外に逃れるほかはなかった。

大自然の中の教会

ワルド派の人々は、ヨーロッパにおいて

最初に聖書の翻訳を手にした人々の1つであった(付録参照)。

宗教改革の数百年も前から、

彼らは、自国語で書かれた聖書の写本を持っていた。

彼らは混ぜ物のない真理を持っており、

そのために、特に憎しみと迫害とを受けたのであった。

彼らは、ローマの教会は黙示録の背教したバビロンであると宣言し、

生命の危険をもかえりみず、

その腐敗に抵抗するために立ち上がった。

長期にわたる迫害のために、信仰の妥協をしたり、

独特の主義を少しずつ放棄したりする者もあったが、

真理に堅く立った人々もいた。

暗黒と背教の全時代を通じて、

ローマの至上権を否定し、

聖画像崇敬を偶像礼拝だとして拒み、

真の安息日を守ったところのワルド派の人々がいた。

最も激しい弾圧のさなかで、彼らはその信仰を保った。

サボア人たちのやりに深手を負い、

ローマの火刑柱で焦がされようとも、

彼らは神の言葉と神の栄光のために、ひるまず堅く立ったのである。

 

そびえ立つ山々のかげに―それはいつの時代においても、

迫害され圧迫された人々の避難所であったが―

ワルド派は隠れ場を見いだした。

そしてここで真理の光が、

中世の暗黒のただ中にあって燃え続けた。

ここで、1000年以上もの間、

真理の証人たちは昔ながらの信仰を保持したのであった。

 

神は、ご自分の民におゆだねになった力強い真理にふさわしい、

極めて荘厳な避難所を、

彼らのために備えておられた。

忠実な避難者たちにとって、

山々は主の不変の義の象徴であった。

彼らは子供たちに堂々たる威厳をもって

彼らの前にそびえ立つ山々を指さし、

変化も回転の影もないお方、

そのみ言葉が永久の丘のように持続するお方について語った。

神は、山々を堅くすえ、それに力をお与えになった。

無限の力を持たれた神の腕以外のどんな腕も、

山々をその場所から動かすことはできなかった。

同様に神は、

天と地における神の統治の基礎である律法を、堅くすえられた。

人間は、手を伸ばして同胞の生命を奪うことはできよう。

しかし、主の律法の1つでも変えることができるならば、

あるいは、神のみこころを行う者に対する神の約束を

1つでも消し去ることができるならば、山々をその土台から

根こそぎにして、海の中にやすやすと投げ込むことができるであろう。

神のしもべたちは、不動の山々のように、

断固として神の律法に忠誠を尽くさなければならない。

 

低い谷間を取り巻く山々は、

神の創造の力を絶えずあかしするとともに、

神の保護の絶えざる保証であった。

信仰のゆえに故郷を後にした人々は、

主の臨在を無言のうちに表わしている大自然を愛するようになった。

彼らは自分たちの境遇の苦しさをつぶやかなかった。

ひっそりした山の中にあっても、彼らは寂しさを感じなかった。

人間の怒りと残酷さから

の避難所を備えていてくださったことを彼らは神に感謝した。

彼らは、神の前で自由に礼拝ができることを喜んだ。

時おり、敵の追撃を受けた時には、

強固な山々が確実な防御となった。

彼らは多くの高い断崖(だんがい)から、神を賛美する歌をうたった。

そしてローマの軍隊は、

彼らの歌う感謝の歌を沈黙させることができなかった。

宗教教育の模範

純潔、単純、熱心が、

キリストに従うこれらの人々の信条であった。

彼らは、真理の原則を、家屋、土地、友人、親戚はいうに及ばず、

生命そのもの以上に大切なものと見なした。

彼らは、これらの原則を

若い人々の心に植えつけようと熱心に努めた。

青年たちは幼い時から、聖書を教えられ、

神の律法の要求を

神聖なものと見なすよう教えられた。

聖書の部数は極めて少なかったので、

その尊いみ言葉を彼らは暗記した。

多くの者が、

旧新約聖書両方のかなりの部分を暗唱できた。

神を思う思いが、自然の荘厳な光景からも、

また、日常生活のささやかな祝福からも、同じように連想された。

幼い子供たちは、神を、すべての恵みとすべての慰めを

与えてくださるお方として、感謝をもって仰ぐよう教えられた。

 

両親たちは、慈愛と愛情に満ちていたが、同時に非常に賢明であって、

子供たちをわがままにさせたりはしなかった。

彼らの前途には、試練と困難の生涯が、

そしておそらくは殉教者としての死が待っていた。

それだから彼らは、子供のころから、困難に耐え、統制に服し、

しかも自ら思考し行動するように教えられていた。

幼い時から彼らは責任を負い、言葉を慎み、

沈黙の賢明さを理解するように教えられた。

敵に聞こえた軽率な一言が、

それを言った者だけでなく、

多くの同信者の生命を危険に陥れる恐れがあった。

真理の敵は、餌食(えじき)をさがしまわるおおかみのように、

信仰の自由を求める者たちをつけねらっていたからである。

 

ワルド派の人々は、真理のために、世俗的な繁栄を犠牲にし、

忍耐強く、自分たちの糧のために労苦した。

山岳地帯の中の耕せる土地はすべて、ていねいに開墾された。

谷間も、

あまり肥えていない山の中腹も耕されて、

作物を実らせるようになった。

節約と厳しい克己とが、子供たちの受ける

唯一の遺産としての教育の中に含まれていた。

子供たちは、人生が訓練となるよう神は計画しておられること、

そして自分たちの必要は、自分自身の労働と生活設計、

配慮と信仰によってのみ満たせるということを教えられた。

その過程は、労苦に満ち、疲れさせるものでは

あったが、しかし健康的なものであった。

そしてこれは、堕落した状態にある人間にちょうど必要なことであって、神が人間の訓練と発達のために備えられた学校であった。

青年たちは、ほねおりと困難に慣れる一方、知性の開発も怠らなかった。

彼らは、自分たちのすべての能力が神のものであって、そのすべてを神の奉仕のために開発し活用しなければならないことを教えられた。

 

ワルド派の教会は、

その純潔と単純さにおいて、使徒時代の教会に似ていた。

彼らは、法王や大司教の至上権を拒み、

聖書を唯一最高で誤りのない権威として主張した。

彼らの牧師たちは、ローマの尊大な司祭たちと異なって、

「仕えられるためではなく、仕えるため」に来られた彼らの主の模範に従っていた。

彼らは神の民を、神の聖なる言葉という緑の牧場、

生きた泉に導いて、彼らを養った。

彼らは、

人間の虚栄と誇りの記念物から遠く離れ、

華麗な会堂や大寺院ではなくて山々のかげに、

アルプスの谷に、あるいは危険な場合には、

岩のとりでの中に集まって、

キリストのしもべたちから真理の言葉を聞いた。

牧師たちは福音を説くだけでなくて、

病人を見舞い、子供たちを教え、

誤った者をさとし、争いをしずめて

一致と兄弟愛を育てるように努めた。

彼らは、平和な時には人々の自発的なささげ物によって

支えられていたが、テント作りのパウロのように、

各自は何かの職業を身につけていて、

必要な場合には自分で生活できるようにしていた。

 

青年たちは牧師たちから教育を受けた。

普通の学問の諸分野に注意が向けられる一方、

聖書が主要な科目であった。

マタイやヨハネによる福音書は、

多くの使徒書簡とともに、暗記された。

彼らはまた、聖書の写本に従事した。

聖書全体の写本もあれば、短い部分的なものもあり、それには、

聖書の解説ができる人々による

簡単な聖句の説明がついていた。

こうして、

神よりも自分たちを高めようとする人々によって

長く隠されていた

真理の宝が明らかにされた。

 

忍耐強くたゆまぬ努力によって、

時には暗い洞窟(どうくつ)の奥深くで、

たいまつの光をたよりに、聖書は1節ずつ、

また1章ずつ書き写されていった。

こうして働きは続けられ、あらわされた神のみ旨は

純金のように輝き出た。 試練を経たために、神のみ旨が

どんなにかいっそう輝かしく、明らかで強力なものとなったかは、

その働きに携わった者たちにしかわからない。

そして天使たちが、これらの忠実な働き人たちを取り囲んでいた。

ワルド派の信仰と生活

サタンは法王教の司祭や司教たちを促して、真理のみ言葉を

誤謬や邪説、迷信などのつまらないものの下に隠しておこうとした。

しかし、それは、暗黒時代の全期間を通じて、

驚くべき方法で純粋に保たれた。

それは、人間の印ではなくて、神の刻印を帯びている。

人間は、聖書の簡単、明瞭(めいりょう)な意味をあいまいにし、

それ自体が矛盾しているものであるかのように思わせようとして、

たゆまず努力してきた。

しかし神のみ言葉は、荒れ狂う大海に浮かぶ箱舟のように、

それをくつがえそうとする嵐にも動じないのである。

金や銀の鉱脈は、鉱山の地中深くにあって、

宝を発見しようとする者たちはみな掘らなければならないように、

聖書にも真理の宝が隠されていて、

それは心ひくく熱心に祈りつつ

探究する者にだけあらわされる。

神は聖書を、全人類にとって、

幼年時代、青年時代、壮年時代の教科書となり、

全生涯にわたって研究すべきものとなるよう意図された。

神は聖書を、ご自分の啓示として人間にお与えになった。

新しい真理が明らかになるたびに、

その真理の本源であられる神の品性が新たにあらわされる。

聖書を研究することは、人間を創造主とのいっそう密接な関係に入れ、

神のみこころをいっそう明瞭に知らせるために、

神がお定めになった方法である。

それは、神と人間とが交わる手段である。

 

ワルド派の人々は、

主を恐れることが知恵の初めであることを認めていたが、

それとともに、世界と接触して人間と実生活の知識を得ることが、

心を広くし、

知覚を鋭くするのに重要であることを知っていた。

青年たちのある者は、山の中の学校から、

フランスやイタリアの諸都市にある学校に送られた。

そこには郷里のアルプスにおけるよりはいっそう広範な、

研究と思索と観察の領域があった。

こうして送り出された青年たちは、誘惑にさらされ、

罪悪をまのあたりに見、

最も巧妙な邪説と最も危険な欺瞞を主張する、

サタンの狡猾(こうかつ)な手下たちに出会った。

しかし彼らが子供の時から受けた教育は、

こうしたすべてのことに対する準備となる性質のものであった。

 

彼らは、どこの学校に行っても、

心を打ち明けるような友をつくってはならなかった。

彼らの衣服は、

最大の宝すなわち聖書の貴重な写本を

隠せるように作られていた。

長年の苦心の結晶であるこれらの写本を、

彼らはいつも身につけていて、怪しまれない時にはいつでも、

真理を受け入れそうな人々に、その一部を注意深く手渡した。

ワルド派の青年は、

母親のひざもとで、このような目的のために訓育されたのであった。

そして彼らは、自分たちの働きを理解し、

それを忠実に実行した。

真の信仰に改宗する者たちが、

これらの大学内に出てきて、

その主義が学校全体にみなぎることもよくあった。

しかし法王教の指導者たちは、どんなに厳密に調べても、

いわゆる異端邪説の出所をつかむことができなかった。

ワルド派の伝道精神

キリストの精神は、伝道の精神である。

心が新たにされた人のまず最初の衝動は、

他の人をも救い主に導こうとすることである。

これが、ワルド派キリスト教徒の精神であった。

彼らは、単に自分たちの教会内において真理を純潔に

保つだけでなくて、それ以上のことを神が要求しておられると感じた。

彼らは、暗黒の中にいる人々に光を輝かす

厳粛な責任が自分たちに負わされているのを感じた。

こうして彼らは、神のみ言葉の偉大な力によって、

ローマが人々に負わせたくびきを砕こうと努めた。

ワルド派の牧師たちは宣教師としての訓練を受け、

牧師の職務にたずさわる者はみな、

まず伝道者としての経験を持たなければならなかった。

各自は、本国の教会の責任を負うに先だって、

どこかの伝道地で3年間奉仕しなければならなかった。

この奉仕には、まず克己と犠牲とが要求されたが、困難をきわめた時

代に牧師の生活をする者にとって、まことにふさわしい出発であった。

聖職に任じられた青年たちは自分たちの前途に、

世俗の富と栄光ではなくて、労苦と危険の生活、

あるいは殉教者の運命を見た。

宣教師たちは、イエスが弟子たちをつかわされたように、

2人ずつで出かけた。

青年たち1人1人に、たいていの場合、

年長で経験に富んだ人が組み合わせられ、青年たちは、

彼を訓練する責任を負った同伴者の指導の下で

その教えに従わねばならなかった。

こうした同労者たちは、

いつもいっしょにいたわけではなかったが、

たびたび祈りと相談のために集まって、互いに信仰を強めあった。

 

彼らの任務の目的を明かすことは、

不利を招くにきまっていた。

それゆえ彼らは注意深くその身分をかくした。

どの牧師も、何かの技術か職業をわきまえており、

伝道者たちも、世俗の職業に従事しながら

自分たちの働きを行った。

通常彼らは、行商の働きを選んだ。

「彼らは、当時遠い市場でなければ、

たやすく入手できなかった絹、宝石、その他の品を扱った。

そして、宣教師として訪れるならはねつけられるところに、

商人として歓迎された。」②

彼らの心は常に、金や宝石よりも尊い宝を人々に示す知恵を、

神に仰ぎ求めていた。

彼らはひそかに、聖書の全部、

またはその一部を幾冊か携えていた。

そして機会あるたびに、

これらの写本に客の注意を引いた。

こうしてしばしば、神のみ言葉を読もうとする興味が呼び起こされ、

み言葉の一部が、それを受け入れたいと願う人々のところに

喜んで置いていかれた。

 これらの伝道者たちの働きは、

彼らの住んでいた山々のふもとの平野や谷間から始まったが、

しかしそうした近辺だけではなく、はるか遠くまで広がった。

彼らは、彼らの主イエスのように、

旅によごれたそまつな衣服を着、はだしで、大きな町々を巡り、

遠方の地方にまで進んでいった。

至る所で彼らは、尊い種をまいた。

彼らが通ったところには教会が起こり、

殉教者の血が真理のあかしを立てた。

これら忠実な人々の働きによって集められた、

豊かな魂の収穫は、主の大いなる日にあらわされることであろう。

ひそかに、そして静かに、

神のみ言葉はキリスト教世界の中を進んでいき、

人々の家庭と心の中に喜び迎えられていった。

偉大な真理の発見

ワルド派にとって、聖書は、

過去の人間を神がどのように扱われたかという記録と、

現在の責任と義務の啓示であるだけではなくて、

将来の危険と栄光を開き示すものであった。

彼らは、万物の終わりが遠い先のことではないことを信じた。

そして、祈りと涙をもって聖書を研究した時、

ますますその尊い言葉に深く心を動かされ、

その救いの真理を

他の人々に伝える義務を感じた。

彼らは、救いの計画が

聖書のページに明らかにあらわされているのを見、

イエスを信じることの中に慰めと希望と平和を見いだした。

こうして光に照らされて明らかな理解を得、

心の喜びを感じた時に、彼らは、法王教の誤謬という

暗黒の中にいる人々に、その光を注ぎたいと熱望した。

 

彼らは、多くの人々が法王と司祭の指導のもとに、

自分たちの魂の罪の償いとして苦行をし、

罪のゆるしを得ようとむだな努力をしているのを見た。

人々は、善行に頼って救いを得るように教えられていたので、

たえず自分自身に目を向け、自分たちの罪深さを考え、自分たちが

神の怒りにさらされているのを見、心と体を苦しめたのであるが、

しかしなんの安心も得られないのであった。

こうして、良心的な人々は

ローマの教義に縛られていた。

幾千という人々が友人や親戚を捨て、

その一生を修道院の小部屋で過ごした。

たび重なる断食、残酷なむち打ち、夜半の勤行、

荒涼とした住まいの冷たくしめった石の上での数時間の平伏、

長途の巡礼、屈辱的苦行や恐ろしい拷問―

こうしたものによって、幾千という人々が、

良心の安らぎを得ようとしたがむだであった。

罪の意識に圧倒され、神の報復の怒りを恐れて、

多くの者は悩みつづけ、ついには精根つき果てて、

一条の光も希望も得ずに

墓に入ってしまうのであった。

 

ワルド派の人々は、これらの飢えた魂に生命のパンを与え、

神の約束の中にある平和のメッセージを示し、

救いの唯一の望みとしてキリストをさし示したいと切望した。

善行によって、神の律法を犯した罪を贖うことができるという教義は、

虚偽に基づくものであると彼らは主張した。

人間の功績に頼ることは、

キリストの無限の愛を見ることを妨げてしまう。

堕落した人類は神の前に、

何1つとして自分を推奨しうるものがないために、

イエスが人間の犠牲としてなくなられたのである。

十字架に架けられ、

復活された救い主の功績が、

キリスト者の信仰の基礎である。

人がキリストによりすがり、キリストにつながるということは、

手足が体につながり、枝が幹につながるのと同様に、

現実で密接なものでなければならない。

 

法王や司祭たちの教えは、神の品性またキリストの品性でさえも、

厳格で、暗く、近づきにくいものという

考えを人々にいだかせていた。

また救い主は、司祭や聖人の仲保がなければならないほど、

堕落した人間に対する

同情心に欠けたお方として提示された。

しかし、神のみ言葉によって目を開かれた者たちは、

罪の重荷と心配苦労を持ったままご自分のもとに来るようにと、

立って両手をひろげ、すべてのものを招いておられる愛と憐れみに

満ちた救い主イエスを、これらの魂に示したいと熱望した。

また、人々が神の約束を認めて、直接神に来て、罪を告白し、

ゆるしと平和を受けることがないようにするためにサタンが

積み上げた妨害物―人々が神の約束を悟らないようにするために、

そして、直接神のもとにきて罪を告白し、ゆるしと平和を得ることが

ないようにするために、サタンが積み上げた妨害物―を、

一掃したいと切望した。

真理の使者たち

ワルド派の伝道者は、興味をもった人々に、

福音の尊い真理を熱心に伝えた。

彼らは、注意深く書かれた聖書の一部を、

用心深く取り出した。

刑罰の執行を待ち構えている報復の神しか知らなかったところの、

罪に苦しむ良心的な魂に、希望を与えることは、

彼の最大の喜びであった。

くちびるを震わせ、目に涙を浮かべながら、

そしてしばしばひざまずいて、彼は、

罪人の唯一の希望を告げる尊い約束を彼の同胞に読んで聞かせた。

こうして真理の光は、暗黒に閉ざされていた多くの心を照らし、

黒雲を追い払い、そしてついには義の太陽が、

その光にいやしの力をもって、

心の中にさし込むようになった。

しばしば聖書のある部分は、

くり返し何度も何度も読むことを相手から望まれた。

相手は、それが聞きちがいではないということを、

確かめているかのようであった。

特に次の聖句は、何度もくり返すよう熱心に求められた。

「御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである」(Ⅰヨハネ 1:7 )。「そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げた

ように、人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる

者が、すべて永遠の命を得るためである」(ヨハネ 13:14、1 5 )。

 

多くの者が、ローマの主張に関して目をさまされた。

彼らは、罪人のための人間や天使のとりなしが、

どんなに無益であるかを知った。

彼らの心に真理の光が射し込んだ時、

彼らは喜びをもって叫んだ。

「キリストがわたしの祭司、彼の血がわたしの犠牲、

そして彼の祭壇がわたしの告白室である」と。

彼らは、イエスの功績に全く依り頼んで次のみ言葉を繰りかえした。

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない」(ヘブル 11:6 )。

「わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、

天下のだれにも与えられていないからである」(使徒行伝 4: 1 2 )。

 

嵐になやむ哀れな魂にとって、救い主の愛の保証は、

実感できないほど大いなるものに思われた。

大きな安心が与えられ、

あふれるばかりの光が彼らの上に注がれたので、

彼らは天に移されたかのように感じたほどであった。

彼らの手は、キリストをしっかりと握り、

彼らの足は永遠の岩の上に立っていた。

死の恐怖はすべて消え去った。

今や彼らにとって、救い主のみ名の栄光のためであるならば、

牢獄であれ火刑であれ、あえて切望するところとなった。

 

こうして、人目を避けたところで、神のみ言葉が持ち出され、

読まれたのであった。 時には、ただ1人のために、そして時には、

光と真理を渇望する小さい群れのために。

このようにして徹夜することもよくあった。

聴衆があまりにも驚き、感嘆するので、

彼らが救いのおとずれを十分に理解するまで、

憐れみの使者は朗読を中断せざるをえないこともまれではなかった。

また、しばしば、「神は、ほんとうにわたしの、献げ物を受け入れられるであろうか。神は、わたしに、恵みをお与えになるであろうか。神は、わたしを、おゆるしになるであろうか」という言葉が発せられた。

そしてその答えとして、「すべて重荷を負うて苦労している者は、

わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」

というみ言葉が読み上げられた(マタイ 11:28 )。

 

人々は信仰によって約束をしっかりと捉え、喜びをもって応答した。

「もう長い巡礼の旅に出ることはない。

もう苦労して宮詣(みやまい)りをしなくてもよいのだ。

罪深く汚れたまま、わたしはイエスのもとに行っていいのだ。

そして彼は、悔い改めた者の祈りを退けられない。

『あなたの罪はゆるされた』。

わたしの罪、わたしの罪でさえ、ゆるされるのだ!」。

 

きよい喜びが心に満ち、賛美と感謝によって

イエスのみ名があがめられるのであった。

喜びに満たされたこれらの人々は、

真の生ける「道」を発見したという自分たちの新しい経験を、

できるだけ十分に他の人々に語り、光を伝えるために、家路を急いだ。

真理を求めていた人々の心に直接語った聖書の言葉には、

不思議で厳粛な力が伴っていた。

それは神の声であった。

そしてそれは、それを聞いた者たちの心を強く動かした。

 

真理の使者は、また旅に出てしまう。

しかし、彼の謙そんな態度、誠実さ、

そして真剣で熱意にあふれていたことなどが、たびたび話題となった。

多くの場合聴衆は彼がどこから来て

どこへ行くのかをたずねていなかった。

彼らは、最初は驚きに圧倒され、そのあとでは感謝と喜びに圧倒されて、

彼にたずねることなど考えもしなかったのである。

彼らが、自分たちの家までいっしょに行くよう勧めると、彼は、自分は群れの失われた羊をたずねなければならないと答えるのであった。

もしかすると彼は天からのみ使いだったのではなかろうか、

と人々は不審がった。

 

たいていの場合、真理の使者は2度と現われなかった。

彼は、他の地方へ行ってしまったのか、

それとも人知れぬ牢獄の中で苦しんでいるのか、

または、真理のあかしを立てたその場所で、

骨をさらしているのかもしれなかった。

しかし、彼が後に残して行った言葉は、滅ぼすことができなかった。

それは人々の心の中で働いていた。その祝福された結果は、

審判の時になってはじめて明らかになることであろう。

ローマによる迫害

ワルド派の伝道者たちは、

サタンの王国に侵入しつつあったので、

暗黒の勢力も厳重な警戒を始めた。

悪の君は、真理を前進させようとするあらゆる努力を監視し、

自分の代理者たちの恐怖心をあおった。

法王教の指導者たちは、これらの素朴な旅商人たちの活動が、

彼らの側を危険に陥れる兆であることに気づいた。

もし真理の光が、なんの妨げもなしに輝くならば、

それは、人々を閉じこめている

誤りの厚い雲を一掃してしまうことであろう。

それは、人々の心をただ神だけに向けて、

ついにはローマの至上権を打破してしまうことであろう。

 

 初代教会の信仰を保っているこの人々の存在そのものが、

ローマの背教に対する絶えざるあかしであり、

それゆえに、

最も激しい憎悪と迫害をひき起こした。

彼らが聖書の引き渡しを拒否したことも、

ローマにとっては許せないことであった。

ローマは彼らを地上から一掃しようとした。

こうして、最も恐るべき戦いが、

山の中に住む神の民に向かって始められた。

また、宗教裁判官(異端審問官)が、彼らの後を追い、

罪なきアベルが残忍なカインに殺されるという光景が

しばしばくり返された。

 

何度となく、彼らの肥沃(ひよく)な土地は荒らされ、

住まいや礼拝堂は破壊され、なんの罪もない勤勉な人々の、

実り豊かな田園と家庭であったところが、

見渡すかぎりの荒れ地となってしまった。

飢えた猛獣が血をなめて、ますますたけり狂うように、

法王教徒たちは犠牲者たちの苦難を見て、

ますます激しく怒りを燃やした。

これら純粋な信仰の証人たちの多くは、

隠れていた山々から追われ、

谷間から狩り出され、

深い森林や岩山の峰々に避難した。

 

こうして追放された人々の品性には、なんのおちどもなかった。

彼らの敵でさえ彼らのことを、平和を愛し、穏やかで、

敬虔な人々であると言明している。

彼らの主要な罪は、彼らが法王の意志通りには

神を礼拝しないということであった。

この罪のために、人間または悪魔が考え出すことのできる

あらゆる屈辱と侮辱と拷問が、彼らに加えられたのである。

 

ローマが、憎むべき教派を全滅させようと決意した時、

彼らを異端として非難し、

滅ぼすよう命じた教書が、

法王によって出された(付録参照)。

彼らは、怠け者であるとか不正直であるとか、

秩序を乱すとかと言って訴えられたのではなかった。

そうではなくて、信心深く神聖な外観を装いながら、

「真の羊の群」を欺く者であると宣言されたのである。

それゆえに法王は、「そのような悪人たちの、有害で忌まわしい宗派は」、

もし彼らが「それを放棄しないならば、毒蛇のように撲滅せよ」

と命じた。③

この高慢な権力者は、

この言葉をふたたび聞くことを予期したであろうか。

彼は、この言葉が天の書に記されて、審判の時に彼はそれに直面す

るのだということを、知っていたであろうか。

「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、

すなわち、わたしにしたのである」とイエスは言われた 

(マタイ 25:40 )。

 

この教書は、

異端に対する戦いに教会の全員が参加するよう呼びかけた。

この残酷な仕事に従事させるための刺激として、

それは、「一般または特定を問わず、

すべての宗教的苦行と罰からの赦免を与えた。

戦いに加わる者すべてに、

どんな宣誓の不履行をもゆるした。

どんな不正によって得た物でも合法と認めた。

そして、異端者を殺すものは、すべての罪がゆるされると約束した。

また、ワルド派の人々に有利な契約はすべて破棄し、

彼らの使用人たちに家を去るよう命じ、すべての者に対して、

どんな援助をも彼らに与えることを禁じ、

そして、すべての者に彼らの財産を奪う権利を与えた。」④

こうした文書は明らかに、

その背後で働く悪の霊を示している。

ここに聞こえるのは、キリストの声ではなくて、龍のほえる声である。

宗教改革の種

法王教の指導者たちは、

彼らの品性を神の律法という偉大な標準に合わせようとはせず、

自分たちに都合のよい別の標準を設けた。

そして、ローマがそう命じるという理由のもとに

すべての者をそれに従わせようと決めた。

最も恐ろしい悲劇が演じられた。

堕落して神をけがしても恐れない司祭や法王たちは、

サタンが彼らに命じたことを行っていた。

彼らには、憐れみなど少しも見られなかった。

キリストを十字架にかけ、使徒たちを殺したのと同じ精神、

また、残忍なネロが彼の時代の忠実な者たちを

迫害したのと同じ精神が、

神に愛された人々を地上から除き去ろうとして働いていた。

 

神を恐れる民、ワルド派の人々は、

数世紀にわたって受けた迫害にも忍耐強く耐えて、贖い主をあがめた。

彼らにはしばしば十字軍が向けられて、

残忍な虐殺を受けたにもかかわらず、

彼らは貴重な真理をあちこちに伝えるために、

伝道者を派遣しつづけた。

彼らは狩り出され殺された。

しかし、その血は、まかれた種に水を注ぎ、必ず実を結ばせた。

 

こうしてワルド派の人々は、ルターが生まれる幾世紀も前に、

神のためにあかしを立てた。

彼らは多くの国々に散らばって、宗教改革の種をまいた。

宗教改革は、ウィクリフの時代に始まり、

ルターの時代に広く深く成長した。

そしてそれは、「神の言とイエスのあかしとのゆえに」喜んで

すべての苦難を忍ぶ人々によって、

世の終わりまで続けられるのである(黙示録 1 : 9 )。

 

第4章 注

①J. H. Merle D'Aubigne, "History of the Reformation of the Sixteenth Century ," b.17,

ch.2.

②Wylie, b.1, ch.7.

③lbid., b.16, ch.1.

④lbid.

 

【 第5章 改革の明星ウィクリフ 】

改革の先駆者

宗教改革以前には、

ほんの少ししか聖書がなかった時があったが、

神は、神のみ言葉が全く滅び失せることをおゆるしにならなかった。

聖書の真理は、永遠に隠しておかれるべきではなかった。

神は、牢獄の扉(とびら)を開き、鉄の門のかんぬきをはずして、

神のしもべたちを自由にすることができたのと同様に、

生命の言葉を解放することも、たやすいことであった。

ヨーロッパ各国において、人々は聖霊に動かされて、

隠れた宝をさがすように真理を研究した。

彼らは、摂理的に聖書に導かれて、

非常な興味をもってそれを研究した。

彼らは、どんな犠牲を払ってでも、

光を受けようとしていた。

彼らは、すべてのことをはっきりと認めたわけではなかったけれども、

久しくうずもれていた多くの真理を見出すことができた。

天からの使者として彼らは出て行き、

誤りと迷信の鎖を砕き、

長い間縛られていた人々に、

立ち上がって自由を主張するように呼びかけた。

 

ワルド派の人々を除いては、

神の言葉は長い間、

知識階級だけが読める言語の中に閉じ込められていた。

しかし、聖書が翻訳されて、

各国の人々に自国語で与えられる時が来た。

世界はその真夜中を過ぎた。

暗黒の時は過ぎようとしていた。

そして各国に、夜明けのしるしが現われつつあった。

 

14 世紀、英国に、

「宗教改革の明星」が現われた。

ジョン・ウィクリフは、英国だけでなくて、

全キリスト教国にとっての、改革の先駆者であった。

彼が語ることを許されたローマに対する一大抗議は、

決して沈黙させることができなかった。

その抗議は紛争のきっかけとなって、

ついに個人、教会、国家の解放が起こったのである。

ウィクリフの青年時代

ウィクリフは、高等教育を受けた。

彼にとって、神を恐れることは知恵のはじめであった。

彼は大学時代に、驚くべき才能と学識の持ち主であると共に、

熱心な信仰の持ち主として知られていた。

彼は知識欲にもえて、

あらゆる学問を身につけようとした。

彼は、スコラ哲学、

教会法、民法特に

自国の法律を学んだ。

こうした青年時代の教育は、

後年の彼の活動に大いに役立った。

彼はその時代の思弁哲学に通じていたから、

その誤りを指摘することができた。

そして、国の法律や教会の法規の研究によって、

彼は、市民的自由と宗教的自由のための

大いなる戦いにたずさわる準備ができた。

彼は、神のみ言葉から得た武器をふるうことができたと同時に、

学校における知的訓練を受けていたから、

哲学者たちのかけひきをも知っていた。

彼のすぐれた資質と

深遠な学識には、

敵も味方も尊敬を払った。

彼の支持者たちは、自分たちの戦士が国家の指導者たちの中でも

第一級の人物であることを誇りとした。

そして彼の敵たちは、

改革事業の支持者の無知と弱点を暴露して

軽べつするということができなかった。

 

ウィクリフは、まだ学生であった時から、

聖書の研究を始めた。

まだ古代語で書かれた聖書しかなかったその時代において、

学者たちは真理の泉への道を

見出すことができたが、

無学な者たちにはそれは閉ざされていた。

こうして、ウィクリフの改革者としての将来の働きへの道は、

すでに備えられていた。

学者たちは神の言葉を研究し、

そこに示されている豊かな神の恵みという大真理を見出していた。

彼らは、その教えにおいて、この真理の知識をひろめ、

他の人々を生きたみ言葉に導いていた。

 

ウィクリフの注意が

聖書に向けられた時、

彼は、学業の修得に当たったのと同じく徹底的に、

その研究に当たった。

これまで彼は、スコラ哲学にも、

教会の教えにも満足することができず、

非常な物足りなさを感じていた。

そして神のみ言葉の中に、

彼はこれまで求めても得られなかったものを発見した。

ここに彼は、救いの計画が啓示され、

キリストが人類の唯一の仲保者として示されているのを見た。

彼は、キリストの御用に自分自身を献げ、

自分が発見した真理を人々に宣布しようと決心した。

悪習誤謬の打破

その後の改革者たちと同様にウィクリフも、働きを始めたころは、

自分がどこに導かれるか知らなかった。

彼は、故意にローマに反抗したわけではなかった。

しかし、真理に献身した時、

必然的に虚偽と戦わなければならなくなった。

彼は、法王制の誤りがはっきりすればするほど、

熱心に聖書の教えを説いた。

彼は、ローマが神のみ言葉を捨てて

人間の伝説を取り入れたのを見た。

彼は、聖書を退けた司祭たちを大胆に非難

して、聖書をもう1度人々の手に回復することを、

そしてその権威を教会内でもう1度確立することを要求した。

彼は熱心で有能な教師であり、雄弁な説教者であった。

そして彼の日常生活は、

彼が宣べ伝えている真理の実証であった。

聖書に関する彼の知識、強力な論証、彼の純潔な生活、

確固とした勇気と誠実さとは、

一般の人々の尊敬と信頼をかちえた。

多くの者は、

ローマ教会にみなぎる罪悪を見て、

これまでの信仰に不満を抱くようになっていたから、

ウィクリフが示した真理を非常な喜びをもって迎えた。

しかし、法王教の指導者たちは、この改革者が自分たちよりも

大きな勢力を得つつあるのを見て、激しい怒りに満たされた。

 

ウィクリフは誤りを鋭く看破する人であって、

ローマの権威によって認められていた

多くの悪習を恐れず攻撃した。

彼は王室付牧師として活躍していたが、

法王が英国国王に課した税の支払いに勇敢に反対した。

そして、法王が

世俗の王たちの上に権力をふるう事は、

道理にも啓示にも反する事を指摘した。

法王の要求は人々を大いに憤慨させていたので、

ウィクリフの教えは

国家の指導階級に影響を及ぼした。

王と貴族達は、結束して法王の俗権に対する要求を拒絶し、

税の支払いを拒んだ。

こうして英国における法王の至上権に対して

大きな打撃が加えられた。

修道会の腐敗

ウィクリフが、長年にわたって

断固たる戦いをいどんだもう1つの悪習は、

たくはつ修道会の制度であった。

これらの修道士たちは、英国に群がり、

国家の偉大と繁栄にとっての障害となっていた。

産業・教育・道徳上に衰退的影響を及ぼしていた。

修道士たちの怠惰な乞食生活は、

財政的に人民の重い負担となったばかりでなく、

有用な労働を軽べつするに至らせた。

青年たちは堕落し腐敗した。

修道士たちの影響を受けて、修道院に入り、

隠遁(いんとん)生活をする者が多くいた。

しかもこのことは、親の同意を得ないばかりか、

彼らには知らせず、また彼らの命令に反してまで行われた。

ローマ教会初期の教父の1人は、子としての愛と義務の要

求以上に修道院生活の要求を重要視して、

次のように宣言していた。

「たとえ、なんじの父が戸口に倒れて嘆き悲しみ、なんじの母が、

なんじを抱きし身をあらわし、

なんじに乳ふくませし胸をあらわそうとも、

なんじこれを足下にふみにじり、まっすぐキリストヘと進み行くべし。」

後にルターが言っているように、

親に対して無情無感覚になった子供たちの心は、

こうした「ぞっとするような冷酷さ」のゆえに

「キリスト者や人間というよりは、

おおかみや暴君のような感じがする。」

こうして法王教の指導者たちは、昔のパリサイ人たちのように、

自分たちの言い伝えによって神の戒めを廃した。

こうして、家庭は荒廃し、

親は息子や娘たちとの交わりを奪われた。

 

大学の学生たちでさえ、

修道士たちの偽りの言葉に欺かれて、その団体に誘いこまれた。

多くの者が、後になって、

自分たちの一生を破滅させ親を悲しませたことに気づき、

後悔したが、

しかし、ひとたびわなにかかるや、

そこから抜け出ることはできなかった。

修道士たちの影響を恐れて、

息子たちを大学に送ろうとしなかった親も多くいた。

学問の中心である各地の

最高学府の学生の数は目立って減少した。

学校は衰微し、無学な人が多くなった。

 

法王はこれらの修道士たちに、

告白を聞いて許しを与える権威を授けた。

これが一大罪悪の原因となった。

修道士たちは利益の増大を図って、たやすく免罪を与えたので、

あらゆる種類の犯罪人が彼らのもとにやってきてゆるしを得るようになり、その結果、最もはなはだしい罪悪が急激に増加した。

病人と貧者はかえりみられず、

彼らの困窮を救うはずであった贈与物は

修道士たちの手にわたった。

修道士たちは、人々を脅して施し物を要求し、

彼らの団体に寄付しない者を不信心であると非難した。

表面では清貧を口にしながら、

修道士たちの富は殖える一方であった。

そして、彼らの壮大な建造物とぜいたくな食卓とが

国民をますます貧困に陥れることは明らかであった。

彼らはぜいたくと快楽にふける一方、

自分たちの代理として無知な者たちを派遣した。

この者たちは不思議な物語や伝説、たわごとしか話すことができず、

こうしたもので人々を喜ばせて、

ますます人々を修道士たちにとってだましやすいものとした。

修道士たちは依然として、

迷信深い大衆を支配し、

すべての宗教的義務は、

法王の至上権を認め、聖人たちをあがめ、

修道士に施し物をすることの中に含まれていると信じこませていた。

そして、天国に入るにはこれで十分であると思わせていた。

 

学識ある、信心深い人々は、

このような修道院制度を改革しようとしたがむだであった。

しかし、いっそうはっきりと洞察していたウィクリフは、

悪の根源をつき、制度そのものが偽りであって、

それは廃止すべきであると宣言した。

それについて、種々の議論と研究がわき起こった。

修道士たちが法王の免罪符を売りながら

国内を巡歴する時、多くの者が、

金でゆるしを買うことができるかどうか疑うようになった。

彼らは、ローマの法王のゆるしよりも、神のゆるしを

求めるべきではなかろうかと、質問したのである(付録参照)。

修道士たちの、飽くことを知らない貪欲(どんよく)を見て

驚いた者も少なくなかった。

「ローマの修道士と司祭たちは、

ガンのように、われわれをむしばんでいる。

神がわれわれを救ってくださらなければ、

人民は死んでしまう」と彼らは言った。②

托鉢(たくはつ)僧たちは自分たちの貪欲をおおいかくすために、

自分たちは救い主の模範に従っているのであって、

イエスと弟子たちは人々の施し物によって生活したのであると言った。

ところがこの主張は、彼らに不利な結果となった。

というのは多くの人々が、

自分で真理を学ぼうと聖書の研究を始めたのである。

これはローマがほかの何よりも望んでいなかったことであった。

人々の心は、真理の源泉へと向けられた。

それを隠すことが、ローマの目的であったのであるが。

 

 

ウィクリフは、修道士たちに反対する

パンフレットを書いて発行しはじめた。

しかしそれは、彼らと論争するためではなくて、

人々の心を聖書の教えとその著者である神に向けるためであった。

彼は、法王が持っている免罪や破門の権能は、

一般の司祭の権能以上のものではなく、

だれでも先ず

神から罪の宣告を受けることなくして、

破門されることはあり得ない、と断言した。

法王が築き、

無数の人々の心と体とをとりこにしていた

この霊・俗両界にわたる巨大な組織の倒壊に、

これ以上効果的な方法はなかった。

法王教との戦い

再びウィクリフは、

ローマの侵略に対して

英国王の権利を擁護するために召された。

彼は国王の大使に任命されてオランダに2年間滞在し、

法王の使節たちと会談した。

ここで彼は、フランス、イタリア、スペインの聖職者たちと交わり、

事件の背後にあるものを見、

英国では知ることができなかった

多くのことに関する知識を得ることができた。

彼は後年の働きに役立つことを多く学んだ。

法王庁から遣わされた代表者たちを見て、

彼は法王制の真の性格と目的とを見抜いた。

彼は英国に帰り、以前からの主張をさらに公然と、

そして熱心にくり返し、

貪欲と高慢と欺瞞とがローマの神であると宣言した。

 

彼は自分の書いたパンフレットの中で、

法王とその集金人たちについて次のように言った。

「彼らは、わが国の貧者の糧を奪い、

秘蹟やその他の霊的事物のために、

年々王から数千マルクを奪い取っている。

これは聖職売買というのろうべき異端である。

しかも全キリスト教界をこの異端に同意させ支持させている。

たしかに、わが国には山のように財宝があるが、

この高慢な世俗的司祭である集金人のほかには、

だれもそれを取ったものはないのだ。

そして彼のためにやがて、山のような宝はなくなってしまうであろう。

なぜなら彼はわが国から常に金を奪い去り、

その代わりに与えるものといっては、

聖職売買に対する神ののろいの他、何もないのだから。」③

 

英国に帰ると間もなく、

ウィクリフは王から、ラタワースの教区牧師に任じられた。

このことは王が彼の率直な発言を、

少なくとも不快に思っていなかった証拠であった。

ウィクリフの感化は、国民の信仰を形成するのと同様に、

宮廷の活動の方向をも決定するものとなった。

 

法王の怒りはすぐに彼に向けられた。

大学と王と高位聖職者たちとにあてられた

3つの教書が英国に送られ、

異端の教師を沈黙させるために

迅速かつ断固たる処置を

取るよう命じた。④

しかし司教たちは熱心のあまり、教書の到着に先だって、

審理のためにウィクリフを呼び出していた。

けれども王国内で最も勢力のある2人の王子が、

彼に同伴して法廷に行った。

そして人々は、

建物を取り巻いたり内部に乱入したりして裁判官たちを威嚇したので、

裁判は一時中止され、彼は安全にそこを去ることをゆるされた。

その後しばらくして、高位聖職者たちがウィクリフを

退けるために動かそうとしていた老齢のエドワード3世が死去し、

ウィクリフのかつての保護者が王国を統治することになった。

 

しかし教書の到着によって、

異端者を捕えて投獄せよという厳命が全英国に出された。

こうした処置は、直接処刑台につながっていた。

ウィクリフがすぐにローマの

ふくしゅうの犠牲になることは確かだと思われた。

しかし、昔の人に「恐れてはならない。わたしはあなたの盾である」

(創世記 1 5 : 1 )と言われた神は、

ご自分のしもべを保護するために、もう1度手を伸べられた。

改革者ではなくて、彼の死を命じた法王が死んだのである。

グレゴリー11世は死んだ。

そしてウィクリフの裁判のために集まっていた

聖職者たちは解散した。

神の摂理と改革事業の進展

神の摂理はさらに事件の動向を支配して、

改革事業が進展するための機会を与えた。

グレゴリーの死後、

2人の対立する法王が同時に選ばれた。

2つの対立勢力が、それぞれ絶対無謬(むびゅう)を主張して、

人々の服従を要求した(付録参照)。

おのおのが忠実な者たちの援助を求めて相手に戦いをいどみ、

敵対者には恐ろしい破門の宣告をもって、

また支持者には天国の報賞を約束して、自分の要求を押しつけた。

このような事態は、法王権を大いに弱めた。

敵対する両派は互いに

他の攻撃に全力をあげていたので、

ウィクリフにはしばらくの休息が与えられた。

両方の法王は、互いに破門と非難の応酬をし、

各自の相反する主張を支持するために多くの血が流された。

犯罪と醜聞が、教会内に氾濫(はんらん)した。

その間に改革者ウィクリフは、

彼の教区ラタワースの閑居で、

人々の心を、相争う法王たちではなくて、

平和の君イエスに向けるために、熱心に働いていた。

 

分裂とそれに伴うあらゆる闘争と腐敗とは、

人々に法王制の真相を暴露して、

宗教改革のために道を開いた。

ウィクリフは、彼が出版した

『法王の分裂について』というパンフレットの中で、

これら2人の聖職者たちが互いに他を反キリストと非難しているのは、

真実を語っているのではないか考えるように、人々に訴えた。

「神は、悪魔がこのような1人の

聖職者によって統治することを許さず、

・・・・それを2つに分けて、

人々がキリストの名によって、

その両方にたやすく打ち勝てるようになさった」と彼は言った。⑤

 

ウィクリフは主イエスのように、貧しい人々に福音を宣べ伝えた。

彼は、自分のラタワース教区内の

質素な家家に光を伝えるだけでなくて、

英国全土に伝えようと決心した。

このことを成し遂げるために彼は、

単純で信心深く、真理を愛し、

それを伝えるためには何も惜しまないという説教者の1団を組織した。

彼らは至るところへ行き、市場で、大都会の街頭で、

そして田舎の小道で説教した。

彼らは、老人や病める者、貧しい人たちをたずね、

彼らに神の恵みの福音を伝えた。

 

ウィクリフは、

オクスフォードの神学教授として、

大学の講堂で神のみ言葉を説いた。

彼は彼のもとにある学生たちに

真理を忠実に提示したので、

「福音博士」と呼ばれた。

しかし、彼の生涯の最大の事業は、

聖書を英語に翻訳することであった。

『聖書の真理と意味について』という著作のなかで、

彼は、英国のすべての人が、

神の驚くべき書を自国語で読むことができるようにするために、

聖書の翻訳を意図していることを語っている。

英語訳聖書の完成

ところが突然、彼の活動は中断された。

彼は、まだ60才にもなっていなかったのに、

絶え間ない苦労と研究と敵の攻撃が体にこたえて、

早くもふけこんだ。

彼は重病にかかった。

この知らせは、修道士たちを大いに喜ばせた。

彼らは、今こそ、

彼が教会に対して行った悪をいたく悔いるものと思って、

彼の告白を聞くために彼の部屋へと急いだ。

4つの修道会からの代表者たちが、4人の政府の役人たちとともに、

今にも死にそうだと思われた者のまわりに集まった。

「あなたは今、死にひんしている。

自分の過ちを認め、われわれを非難して言ったすべてのことを、

われわれの前で取り消せ」と彼らは言った。

ウィクリフは黙って聞いていた。それから付き添いの者に、

自分をベッドの上に起き上がらせるよう命じ、

彼の取り消しの言葉を待って立っている彼らをじっと見つめて、

これまで何度も彼らを戦慄(せんりつ)させた強いしっかりした声で、

「わたしは死なない。生きるのだ。

そして、もう1度、修道士たちの悪行を糾弾する」と言った。⑥

修道士たちは驚き恥入り、急ぎ足で部屋を出ていった。

 

ウィクリフの言葉は成就した。

彼は生きのびて、彼の同胞の手に、

ローマに対するあらゆる武器のうちで最も強力なものを与えた。

すなわち彼は、聖書を彼らに与えた。それは、人々を解放し

啓発し教化するために、神がお与えになったものであった。

この事業を完成するためには、

多くの大きな障害を越えなければならなかった。

ウィクリフは健康を害していた。

彼は、自分があと数年しか働くことができないことを知っていた。

反対に直面しなければならないことも知っていた。

しかし彼は、神のみ言葉の約束に励まされて、

恐れることなく前進した。

これまで彼は、旺盛(おうせい)な知力と豊かな経験のうちに、

彼の仕事の中でも最大の事業のために、

神の特別の摂理によって守られ準備させられてきた。

キリスト教国全体が混乱に満ちている時に、

改革者ウィクリフはラタワースの牧師館で、

外部のすさまじいあらしをよそに、彼が選んだ仕事に没頭した。

 

ついに仕事は完成した。

これは最初の英語訳の聖書であった。

神の言葉が英国に開かれた。

改革者は、もう牢獄も死も恐れなかった。

彼は英国民の手に、消すことができない光を渡したのである。

同胞の手に聖書を与えることによって、

彼は、無知と悪徳のかせを破壊して

自国を解放し高めるうえで、

戦場におけるどんな輝かしい勝利がもたらしたものよりも、

さらに大いなることを成し遂げたのである。

 

まだ印刷術が知られていなかったので、聖書は、

遅々としたうんざりするような労苦によって、

増やすより他はなかった。

聖書を手に入れたいという希望は非常に強く、

聖書を写す仕事に喜んで従事する者も多かったけれども、

筆記者たちは、なかなか要求を満たすことができなかった。

金持ちのなかには、聖書全巻を希望するものもあった。

他の人々は、一部分だけを買った。

何家族かがいっしょになって1冊を買うという場合も多かった。

こうして、ウィクリフの聖書は、

間もなく人々の家庭へと入っていった。

 

人間の理性に対するこうした訴えによって、

人々は、法王の教義にただ黙従することからめざめた。

ウィクリフは、ここにおいて、新教主義の独特の教理、

すなわち、キリストを信じる信仰による救いと、

聖書が唯一の無謬なものであることとを教えた。

また彼が派遣した説教者たちは、

ウィクリフの文書とともに聖書を配布し、

英国民の半数近くが

この新しい信仰を受け入れるという成功を収めた。

晩年の活躍

聖書の出現は、

教会の権威者たちをうろたえさせた。

今や彼らは、ウィクリフよりも強力な力、

彼らの武器も歯が立たない力と

対決しなければならなかった。

当時、英国には、聖書を禁止する法律がなかった。

まだ聖書が、民衆の言語で

出版されたことがなかったからである。

後になってそうした法令が発布され、厳重に実施された。

その間、司祭たちの反対はあったが、

しばし神のみ言葉を

配布する機会があったのである。

 

法王教の指導者たちは、

ふたたび、改革者の声を沈黙させようと謀った。

彼は続けて3回法廷に呼ばれたが、

事なきを得た。

最初の時は、司教たちの宗教教議が、

彼の著書を異端であると宣言した。

彼らは、若い王リチャード2世を自分の側に引き入れ、

禁じられた教義を信じる者はみな投獄するという勅令を得た。

 

そこでウィクリフは、宗教教議から議会に上訴した。

彼は、恐れることなく国会において教階制を非難し、

教会が公認している

数多くの悪習の改革を要求した。

強い説得力をもって、

彼は法王庁の侵害と腐敗とを描き出した。

敵は混乱に陥った。

ウィクリフの友人たちや支持者たちは、

すでに屈服させられていた。

そして、老齢のウィクリフ自身も、ただ1人で援助者もない以上、

国王と法王の合同権力の前に屈するものと予期されていた。

ところが、逆に法王の側が敗北してしまった。

議会はウィクリフの

力強い訴えを聞いてわき立ち、

迫害の勅令を取り消し、

改革者はふたたび自由にされた。

 

第3回目に、彼は、国家の最高宗教裁判所で裁判されることになった。

ここは異端に対して何の好意も示されないところであった。

ローマはついに、ここにおいて勝利し、

改革者の活動は中断されるであろうと法王側は考えた。

もし彼らが目的を達成しさえすれば、

ウィクリフは、その教義を放棄するか、

それとも火刑の宣告を受けて法廷を出るかのどちらかであった。

 

しかしウィクリフは、信仰を放棄せず、それを隠そうともしなかった。

彼は、恐れることなく自分の教えを固守し、

迫害者たちの攻撃を退けた。

彼は、自分のことも、立場も、場所も忘れて、

聴衆を天の法廷に集め、

彼らの詭弁(きべん)と欺瞞(ぎまん)を

永遠の真理というはかりで量った。

聖霊の力が法廷内に感じられた。

聴衆は神に魅せられた。

彼らはその場を去る力さえ失ったように思われた。

改革者の言葉は、

主の矢筒からの矢のように、彼らの心を射た。

ウィクリフは、彼らが彼に浴びせていた異端の告訴を、

強い説得力をもって彼らに投げかえした。

彼らはなにゆえに、あえて誤謬(ごびゅう)をひろめようとするのか、

それは利益のためなのか、神の恵みを商品化するためなのか、

と彼は問うた。

 

彼は最後にこう言った。

「あなたがたは、だれと戦っていると思っているのか。

今にも死にそうな老人とか。否!真理と戦っているのだ。

あなたがたより強く、あなたがたに打ち勝つ真理となのだ。」⑦

彼はこう言って法廷を出たが、

敵はだれ1人としてそれを止めようとしなかった。

法王への最後の警告

ウィクリフの仕事は、ほとんど終了した。

彼が長い間掲げてきた真理の旗は、まもなく彼の手から

落ちようとしていた。 しかしもう1度、彼は福音のために

あかしを立てるのであった。 真理は、誤謬の王国の、

まさにその本拠において宣言されねばならなかった。

ウィクリフは審理のために、ローマにある法王庁の法廷に召喚された。

そこはこれまでにしばしば、聖徒たちの血を流したところであった。

彼は身の危険を知らないわけではなかったが、

その召喚に応じようとした。

ところが中風になって、旅行することができなくなった。

しかし、ローマにおいて自ら語ることはできなくても、

手紙によって語ることはできた。彼はそうすることに決めた。

改革者は自分の牧師館から法王に手紙を書いた。

それは、敬意に満ちた語調とキリスト教の精神にあふれていたが、

同時に法王庁の豪奢(ごうしゃ)と誇りとを鋭く責めたものであった。

 

彼は次のように言った。「わたしは自分の信じる信仰を、

すべての人、特にローマの司教に申し上げることを

真に喜びとするものである。

わたしはこの信仰を、健全で真実であると思っているが、

彼は、快くわたしのこの信仰を確認するか、

あるいは、まちがっているならばそれを正して下さるであろう。

 

まず第1に、わたしは、

キリストの福音は神の律法の全体であると考える。・・・・

ローマの司教は、この地上におけるキリストの代理者である

といっているのであるから、だれにも勝ってこの福音の律法に

従わなければならないとわたしは確信する。

なぜならば、キリストの弟子たちの偉大さは、

世俗的威厳や栄誉ではなくて、キリストの生涯と態度に、

できるだけそのまま従うことにあるからである。・・・・

キリストはこの世におられた時、きわめて貧しい生活を送り、

すべての世俗的支配や栄誉を退けられた。・・・・

 

忠実な信徒たるものは、法王自身であろうが、

あるいはどんな聖人であろうが、彼が主イエス・キリストに

従っているという点のほかは、従うべきでない。

というのは、ペテロもゼベダイの子らも、キリストの足跡に

従わないで世俗的栄誉を望んだため、罪を犯した。それゆえに、

そのような過ちには、われわれは従わなくてもよいのである。・・・・

 

法王は、すべての領土と支配権を世俗の権力に一任し、

そのすべての聖職者たちに対して、

そのように勧め実行させるべきである。

なぜなら、キリストはそのようになさったのであり、

使徒たちも特にそのようにしたからである。

そこで、これらの点のいずれかにまちがいがあるなら、

わたしは謙虚にそれを正したいと思う。

もし必要とあれば、死をもいとわない。

わたしが、自分の意志と希望によって行動することが許されるならば、

わたしはぜひともローマの司教の前に伺候(しこう)することであろう。

しかし主は、わたしに病をお与えになり、

人よりは神に従うべきことをお教えになった。」

 

最後に彼は言った。

「われわれは、神が法王ウルバン6 世の心を動かし、

彼とその聖職者たちが、

生活と態度において主イエス・キリストに従い、

また人々にもよくこれを教えて、

彼らも忠実に主に従うようになることを、祈ってやまない。」⑧

 

こうしてウィクリフは、法王と枢機卿たちに、

キリストの柔和と謙そんを示し、

ただ彼らにだけでなくて全キリスト教国に、

彼らと、彼らが代表していると主張する主との、

著しい相違をあらわした。

ウィクリフの信仰と聖書

ウィクリフは、

神に忠誠を尽くすなら自分の生命は危険になることを覚悟していた。

国王も法王も司教たちも、力を合わせて、

彼をなきものにしようとしていた。

そして、遅くとも数か月後には、火刑になるに違いないと思われた。

しかし彼の勇気はくじけなかった。

「あなたがたは、なぜ、殉教の冠を遠くに求めることを語るのか。

キリストの福音を高慢な司教たちに伝えるがよい。

そうすればあなたがたは必ず殉教することとなろう。

なに?生きて黙っていよというのか? ・・・・

断じて否!弾圧が来るならば来るがよい。

わたしはそれが来るのを待っている」

と彼は言った。⑨

 

しかし神の摂理は、なお神のしもべを守っていた。

日々危険に身をさらして、一生の間勇敢に真理を擁護した者が、

敵の憎しみの犠牲になってはならなかった。

ウィクリフは、自分で身を守ろうとしてきたのではなかったが、

神が彼を保護してこられたのであった。

そして今、敵がその餌食(えじき)を手中にしたと思った時に、

神のみ手が彼を、彼らの手のとどかないところに移された。

彼がラタワースの教会において、聖餐式を執り行おうとしていた時、

突然中風の発作が起きて倒れ、まもなく息が絶えたのである。

 

神はウィクリフに、彼の仕事を与えておられた。

神は彼の口に真理のみ言葉を授け、

このみ言葉が人々に伝えられるようにと彼を守られたのである。

こうして、彼の生命は保護され、宗教改革の大事業の基礎が

すえられるまで、彼の働きは延ばされたのであった。

 

ウィクリフは、暗黒時代の薄暗さのなかから現われた。

彼の改革事業の基礎になるような仕事をしたものは、

彼の前にはだれもいなかった。

彼はバプテスマのヨハネのように、

特別の使命を果たすために立てられた、新時代の先駆者であった。

しかも、彼が示した真理の体系には、

彼に続いて起こった改革者たちも及ばない統一と完全とがあり、

百年後の人でも到達し得ないものもあった。

その基礎は広く深くすえられ、

その骨組みも正確堅固にできていたから、

彼の後にきた人々は、

それを建てなおす必要がなかった。

 

ウィクリフが創始した一大運動

―良心と知性を解放し、

長くローマの凱旋(がいせん)車につながれていた

諸国民を自由にした運動―の源泉は、聖書であった。

14世紀以来、

生命の水のように各時代を流れてきた祝福の

流れは、その源をここに発していた。

ウィクリフは、

聖書が霊感による神のみこころの啓示であって、

信仰と行為の十分な規準であることを絶対的に信じた。

彼は、ローマの教会を

神の絶対無謬の権威として認めるように、

そして1000年間にわたる確立された教義と慣習を

尊敬するように教育されてきた。

しかし彼は、こうしたいっさいのものを捨てて、

神のみ言葉に従った。

彼が人々に認めるよう促したものは、

この権威であった。

法王によって語る教会ではなくて、

み言葉によって語られる神のみ声が、

唯一の真の権威であると彼は宣言した。

彼は、聖書が神のみこころの完全な啓示であることだけでなく、

聖霊がその唯一の解釈者であること、

そして各自は、その教えを研究して、

自分でその義務を学ぶべきであることを教えた。

こうして彼は人々の心を、

法王やローマの教会から神の言葉へと向けたのである。

ウィクリフの人格

ウィクリフは、宗教改革者の中でも最も偉大な人物の1 人であった。

その該博な知識、明晰(めいせき)な思考、そして真理を堅く保持し、

大胆に擁護した点において、彼の後に現われたもので

彼に匹敵するものは、極めてまれであった。

彼の純潔な生涯、研究と活動における刻苦勉励、清廉潔白、

そして奉仕におけるキリストのような愛と忠実さが、

この最初の宗教改革者の特徴であった。

しかも彼は、彼が現われた当時の、

知的暗黒と道徳的腐敗の時代において、そのように生きたのであった。

 

ウィクリフの品性は、

聖書が人を教え改変する力を持っている証拠である。

聖書が、彼をこのような人物にしたのである。

啓示された偉大な真理を把握しようとする努力は、

すべての機能をはつらつとさせ活気づける。

それは知性を広げ、

知覚を鋭くし、判断力を円熟させる。

聖書の研究は、他のどんな研究よりも、

あらゆる思想と感情と抱負とを高尚にする。

また、確固とした目的と忍耐、勇気を与えるとともに、

品性を洗練し、魂を清める。

畏敬(いけい)の念をもって聖書を熱心に研究する時、

学ぶ者の心は直接神の無限の心と接触することができ、

どんな人間的哲学を修めても

達することができないような高潔な原則を持つとともに、

強く活発な知性を持った人々を世に提供することができる。

「み言葉が開けると光を放って・・・・知恵を与えます」と

詩篇記者は言っている( 詩篇119:13 0 )。

福音の伝播(でんぱ)

ウィクリフが教えた教義は、

その後もしばらくの間人々の間に広まっていった。

ウィクリフ派、ロラード派として知られた彼の信奉者たちは、

英国をへめぐっただけでなく、他の国々にも散っていって、

福音の知識を人々に伝えた。

今や指導者が取り去られたからには、説教者たちは

これまで以上の熱心さで活動した。

そして群衆は、彼らの教えを聞くために集まってきた。

改心者のなかには、貴族もあれば、

王妃さえ混じっていた。

多くの場所で、

人々の生活態度に著しい改革が行われ、

ローマ教の偶像的な象徴が教会から取り除かれた。

しかし、聖書を自分たちの指導書として信じる人々の上に、

間もなく、残酷な迫害のあらしが吹き荒れた。

ローマの支援を受けて

権力を強化しようとする英国の君主たちは、

改革者たちを犠牲にすることをためらわなかった。

英国の歴史上初めて、

福音の弟子たちに対して火刑の布告が出された。

殉教者があいついだ。

真理の擁護者たちは、追放され、拷問にかけられて、

その叫びを万軍の主にあげることしかできなかった。

彼らは、教会の敵、国家の裏切り者として狩り立てられながらも、

ひそかに説教をつづけ、

貧しい人々のあばらやでもどこにでも隠れ家を見つけ、

しばしば洞穴にさえ隠れたりした。

 

激しい迫害にもかかわらず、広く見られた信仰の腐敗に対するところの、冷静で敬虔(けいけん)、熱心で忍耐強い抗議が、

幾世紀にもわたって叫ばれ続けた。

当時のキリスト者たちは、真理の知識を部分的にしか

っていなかったが、神のみ言葉を愛し服従していたので、

そのための苦しみに耐えたのであった。

多くの者は、使徒時代の弟子たちのように、

キリストのためにこの世の財産を犠牲にした。

家に住むことを許された者たちは、

追放された兄弟たちを喜んでかくまい、

そして、自分たちも追放されたならば、喜んでその運命に甘んじた。

たしかに、おびただしい数の者が、

迫害者の激しい怒りを恐れて、信仰を犠牲にして自由を得た。

そして、自説撤回を公表するために悔悟者の衣を着て、

牢獄から出たのであった。

しかし、牢獄の独房や〝ロラード塔〝、

そして拷問と炎のなかにあっても、

「その苦難にあずかる」に足るものとされたことを喜び、

真理のために恐れずあかしを立てたものが少なからずあった。

そしてその中には身分の卑しい者もいたが、

同時に高貴な生まれの人々もあったのである。

改革への道

法王教の人々は、ウィクリフの生存中には自分たちの目的を

果たすことができなかった。 そして彼らの憎しみは、

彼の遺体が墓に静かに横たわっていることを許さなかった。

彼の死後40年以上も経過した時、コンスタンツ宗教会議の布告によって、彼の遺体は掘り出され、公衆の前で燃やされた。

そしてその灰は、近くの小川に投げ込まれた。

昔のある筆者は、次のように言っている。

「この小川は、彼の灰をアボン川に運び、

アボン川はセバーン川に、セバーン川は近くの海に、

そして、近くの海は大海へと運んでいった。

このようにウィクリフの灰は、彼の教義の象徴である。

それは今や、全世界にまき散らされたのだ。」

は、その悪意から出た行為がどんな意味を持っていたか、

夢想だにしなかった。

 

ボヘミアのヨハン・フスが、ローマ教の多くの誤りを放棄して、

改革に着手するようになったのは、

ウィクリフの著書を通してであった。

こうして、遠く離れた二か国において、

真理の種がまかれた。

働きはボヘミアから他の国々に波及していった。

人々の心は、長く忘れられていた

神のみ言葉に向けられた。

神のみ手が、

大宗教改革への道を備えていたのである。

第5章 注

①Barnas Sears,"The Life of Luther," pp.69, 70.

②D' Aubigne, b.17, ch.7.

③John Lewis, "History of the Life Suffering of J. Wiclif," pp.37.

④Augustus Neander, "Genral History of the Christian Religion and Church," period

6, sec.2, part 1,par. 8.、付録参照。

⑤R. Vaughan, "Life and Opinions of John de Wycliffe," voI.2, p.6.

⑥D' Aubigne, b.17, ch.7.

⑦Wylie, b.2, ch.13.

⑧John Foxe, "Acts and Monuments," vol.3, pp.49, 50.

⑨D' Aubigne, b.17, ch.8.

⑩Fuller, T., "Church History of Britain," b.4, sec.2, par.54.

 

【 第6章 殉教者フスとヒエロニムス 】

ボヘミアにおける光

福音は、

すでに9 世紀にボヘミアに伝えられていた。

聖書は一般の人々の言語に翻訳され、

礼拝も人々の言葉で行われていた。

しかし、法王の権力が増大するにつれて、

神のみ言葉はおおいかくされた。

王たちの誇りを砕くことを

自分の任務と考えたグレゴリー7世は、

同様に、

人々を奴隷にすることに意を注いだ。

そこで、ボヘミア語で礼拝を行うことを禁じる教書が発布された。

「全能の神は、人々が知らない言葉で神を礼拝することを喜ばれる。

そして多くの悪と異端とは、この規則に従わなかったために起こった」

と法王は宣言した。①

こうしてローマは、

神のみ言葉の光を消して人々を暗黒に閉じ込める布告を出した。

しかし神は、

教会の維持のために他の方法を設けておられた。

迫害によってフランスやイタリアの故郷を追われた

ワルド派やアルビジョア派の人々の多くが、

ボヘミアにやって来た。

彼らは、公然と教えはしなかったが、

隠れて熱心に働いた。

こうして、真の信仰が世紀から世紀へと保持されたのである。

 

ボヘミアでは、フスの時代以前に、

立ち上がって公然と教会の腐敗と、

民衆の不品行を非難した人々がいた。

彼らの活動は、広く一般の関心を呼んだ。

聖職者たちは恐怖を感じ、

福音を信じるものたちに対する迫害が始まった。

彼らは、森や山で礼拝しなければならなくなり、

兵隊たちにかり立てられ、殺されたものも多かった。

その後しばらくして、ローマ教の礼拝を離れたものは、

みな火刑にするという布告が出された。

しかしキリスト者たちは、その生命をささげながら、

彼らの運動の勝利を待望したのであった。

「救いは十字架にかけられた

救い主を信じることによってのみ与えられる、と教えた」

ものの1人は、その死ぬ時に次のように言った。

「真理の敵たちの怒りは、今われわれに勝っている。

しかし、永久にそうなのではない。

剣や権威によらないで、

一般の民衆の中から1人の人が立ち上がる。

そして彼に対して、真理の敵たちは勝つことができない。」②

ルターの時代は、まだずっと先のことであった。

しかし、すでに、

ローマに抗議して諸国民を揺り動かす者が起こりつつあった。

フスの生い立ち

ヨハン・フスは、

卑しい身分の家に生まれ、幼少の時に父親を失った。

しかし、彼の信心深い母親は、

教育と神を恐れることとを最も価値ある財産とみなして、

こうした遺産を息子のために確保しようとした。

フスは、地方の学校で学んでから、

慈善学生として

プラハの大学に入学を許された。

彼は母に付き添われて、プラハへと旅立った。

彼女は貧しい未亡人であって、

息子に与えるようなこの世の富は何も持っていなかった。

しかし彼らが大都会に近づくと、彼女は、父親のいない

息子のそばにひざまずいて、彼の上に天の父の祝福を祈り求めた。

自分の祈りがどのように答えられるか、

この母親は知るよしもなかった。

 

大学においてフスは、たゆまぬ熱心と急速な進歩によって、

すぐに頭角をあらわした。

また、彼の非難されるところのない生活、

穏やかで好感のもてる態度は、だれからも尊敬された。

彼は、ローマ教会の誠実な信者で、

教会が与えると主張している霊的祝福を

熱心に求めていた。

大赦のおりには告白に行き、

乏しいさいふをはたいてささげ、

罪のゆるしを受けるために行列に加わった。

彼は、大学を終えてから

聖職者の道に進み、

どんどん昇進して、間もなく王室づきになった。

彼はまた、母校の教授となり、

後には総長になった。

わずか数年のうちに

1人の卑しい慈善学生がボヘミアの誇りとなり、

彼の名はヨーロッパ全体に知れわたった。

 

しかし、フスが改革の事業を始めたのは、

別の分野においてであった。

彼は司祭に任じられてから数年後に、

ベツレヘム礼拝堂の説教者として指名された。

この礼拝堂の創設者は、

聖書を自国語で説くことが

非常に重要であると主張したのであった。

このことに対するローマの反対にもかかわらず、

ボヘミアでは、それが完全に中止されてはいなかった。

しかし聖書に関する無知ははなはだしく、

あらゆる階級の人々の間で、最もひどい不道徳が行われていた。

フスは、こうした悪習を容赦なく責め、

神のみ言葉を引用することによって、

彼の説く真理と純潔の原則を強調した。

ウィクリフの影響

プラハの一市民、ヒエロニムス(ジェローム)

―後にフスの親友になった人物―は、英国からの帰国に際して、

ウィクリフの著書を持ち帰っていた。

ウィクリフの教えに改宗した英国の女王は、

ボヘミアの王女であったから、

彼女の影響によって、

改革者の著書が広くボヘミアに配布された。

フスは、これらの著書を興味深く読んだ。

彼は、著者がまじめなキリスト者であることを信じ、

彼の主張する改革運動に賛成するようになった。

フスは、自分では自覚していなかったが、もうすでに、

ローマから遠く離れることになる道を歩きはじめたのであった。

 

ちょうどこのころ、プラハに、学識のある2人の旅人が

英国から到着した。彼らは光を受け入れており、

それを伝えるために遠くの地までやってきたのであった。

彼らは初めから法王の至上権を公然と攻撃したので、

すぐにその筋から発言をとめられてしまった。

しかし彼らは、そのまま引き下がることを好まず、

他の方法を用いることにした。

彼らは、説教者であると同時に画家でもあったので、

自分たちの技術を活用することにした。

人々の目につくところに、彼らは2枚の絵を描いた。

1枚はキリストのエルサレム入城をあしらっていた。

キリストは「柔和なおかたで、ろばに乗って」おられ、

その後に、旅ですり切れた衣をまとった弟子たちが

はだしで従っていた(マタイ 2 1 : 5 )。

もう1枚の絵は、法王の行列を描いていた。

法王ははなやかな衣を身につけ、三重の冠をかぶって、

りっぱに飾った馬に乗り、その前にはラッパを吹く者たちが行き、

後からは枢機卿や高位聖職者たちが豪華に着飾って従っていた。

 

これは、あらゆる階級の人々の注目をひいた説教であった。

群衆が集まって、絵を見つめた。

その教訓がわからない人はいなかった。

そして多くの人々は、主イエス・キリストの柔和と謙そんと、

そのしもべであると称する法王の高慢で尊大な態度との対照に、

深い印象を受けた。

プラハでは大きな騒ぎが起き、

しばらく後に旅人たちは、

身の安全のために立ち去らねばならなかった。

しかし、彼らが教えた教訓は忘れられなかった。

この絵はフスの心に強い印象を与え、

聖書とウィクリフの著書を

もっと詳しく研究するようにしむけた。

彼はまだ、ウィクリフが主張

する改革のすべてを受け入れる準備はなかったが、

法王権の真相が彼にはいよいよ明らかとなって、

彼はますます熱心に教権制度の高慢と野心と腐敗とを非難した。

プラハ市の騒動

光はボヘミアからドイツヘと広がった。

プラハ大学での騒動のために、

何百人というドイツの学生たちが退学したからである。

彼らの多くは、

フスから初めて聖書の知識を学んだ者たちであって、

帰国してから福音を祖国に広めたのである。

 

プラハにおける働きの知らせがローマに伝えられ、

フスはすぐに法王からの呼び出し命令を受けた。

これに応じることは、自ら死を招くことであった。

そこで、ボヘミヤの王と王妃、大学、貴族たち、

政府の役人たちは団結して、

フスがプラハに留まりローマでは代理者によって

答えることを許されるように、法王に訴えた。

ところが法王は、この願いを許すどころか、

裁判を行ってフスを罪に定め、

プラハ市の破門を宣言した。

 

その時代において、この宣告が発せられることは、

一大恐慌をひきおこした。

それに伴う諸儀式は、

法王を神ご自身の代表者とみなし、

彼が天国と地獄のカギを持ち、

霊的罰と同様に世俗の罰も与える力があると考えていた人々にとって、

恐怖を抱かせずにはおかぬものであった。

破門を受けた地方には天の門が閉ざされ、

法王が破門を解くまでは

死者は天国から閉め出されている、

と信じられていた。

この恐ろしい災いの証拠として、

すべての宗教的儀式は停止された。

教会は閉鎖された。

結婚式は、教会の庭で行われた。

死者は、

聖地に埋葬することが許されないので、

埋葬式もせずに、みぞとか野原に埋められた。

こうして、想像力に訴えるような方法で、

ローマは人々の良心を支配しようとした。

 

プラハ市は、大さわぎになった。

多くの者は、こうした災いはみなフスによるものであるとして

彼を非難し、彼をローマの懲罰に服させるべきであると主張した。

さわぎを静めるために、フスはしばらくの間故郷の村に退いた。

彼は、プラハに残した友人に次のように書いた。

「わたしが、こうして、あなたがたの間から退いたのは、

イエス・キリストの教えと模範に従うためである。

そしてそれは、悪意を抱いている人々が、

自分たちの上に

永遠の断罪を招かないようにするとともに、

信心深い者たちに苦難と迫害を

引き起こすことがないようにするためである。

また、不敬虔(ふけいけん)な司祭たちが、

あなたがたの間で神のみ言葉が説教されることを

長期にわたって禁じ続けることを恐れたからである。

わたしは神の真理を拒んで、あなたがたを去ったのではない。

神の真理のためには、わたしは神の助けによって、

喜んで命をささげる。」③

フスは、彼の活動をやめず、

周囲の地方を旅行して熱心な群衆に説教した。

こうして、法王が福音を抑圧しようとしてとった手段が、

かえってそれを広く伝える結果となった。

「わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理に

したがえば力がある」(Ⅱコリント 13:8 )。

 

「フスの生涯のこの時期において、

彼の心中では苦しい争闘が演じられていたようである。

教会は、その威嚇によって彼を圧倒しようとしたけれども、

彼は、教会の権威を否認してはいなかった。

彼にとって、ローマの教会は、なおキリストの花嫁であり、

法王は神の代表者、代理者であった。

フスが争っていたのは権威の乱用に対してであって、

原則そのものに対してではなかった。

これは、彼の理解に基づく確信と良心の

要求との間に、恐ろしい矛盾を引き起こした。

もし彼が信じたように、その権威が正当で無謬(むびゅう)であるならば、

なぜ、それに従い得ないと感じるのであろうか。

これに従うことは罪を犯すことであるのが彼にはわかった。

しかし、無謬教会に従うことが、

なぜこうした問題に至らせるのであろうか。

これは彼には解決できない問題であった。

これは彼を常に苦しめた疑惑であった。

彼が見いだした最も解決に近い答えは、かつて救い主の時代に、

教会の祭司たちがよこしまになり、

彼らの正当な権威を不正な目的のために用いていたが、

それと同じことがまた起こったということであった。

こうして彼は、よく理解された聖書の教えを

良心の導きとすべきであるという金言を、

自分自身のために採用し、また他の人々にも説き勧めるに至った。

つまり、神は聖書によって語られるのであって、

教会が司祭によって語るのではないことが、

誤ることのない手引きなのである。」④

ヒエロニムスの協力

しばらくして、プラハの騒動がおさまったので、

フスはベツレヘム礼拝堂に帰り、

これまで以上の熱心と勇気をもって神のみ言葉を説きつづけた。

彼の敵たちは活動的で強力であったが、

王妃や多くの貴族たちは彼の味方であった。

そして、多くの人々が彼の側についた。

彼の純粋で高尚な教えや清い生活を、

ローマ教会司祭の説く腐敗した教義や、

彼らが行っている貪欲(どんよく)や放蕩(ほうとう)と比較して、

多くの者はフスの側につくことを名誉とした。

 

この時まで、フスは単独で働いて来た。

しかし今、英国にいた時ウィクリフの教えを受け入れていた

ヒエロニムスが、改革事業に加わった。

それから後、2人は1つとなって働き、

死ぬ時も別々でなかった。

輝かしい天才、雄弁、学識など、

人々の人気を呼ぶ賜物は、

ヒエロニムスが著しく所有していた。

しかし、品性の真の力を構成する特質においては、

フスの方がさらに偉大であった。

彼の冷静な判断は、

ヒエロニムスの衝動的精神を抑える役を果たした。

ヒエロニムスは、謙そんに、彼の真価を認めて、その勧告に従った。

彼らの一致した働きによって、

改革事業は一段と急速に発展した。

 

 神は、これら選ばれた人々の心に大きな光を与え、

ローマの誤りの多くをお示しになった。

しかし彼らは、世に示すべき光を全部受けたのではなかった。

これらご自分のしもべたちによって、

神は人々をローマ教の暗黒から

導き出しておられたのである。

しかし、彼らは、さまざまの大きな障害に直面しなければならなかった。

神は、彼らが耐えられるだけ、1歩ずつ、お導きになった。

彼らはすべての光を一時に受ける用意がなかった。

長い間暗黒の中にいたものが、真昼の太陽の輝きを受けるのと

同じように、もしすべての光が1度に示されたならば

彼らは目をそむけたに違いない。

それゆえに神は、人々に受け入れられるだけの程度に従って、

少しずつ光を指導者たちに示されたのである。

世紀を追って、他の忠実な働き人たちが現われ、

人々をなおいっそう、改革の道に導いた。

コンスタンツ公会議

教会内の分裂は、なお続いた。

3人の法王が至上権を競い、

彼らの闘争はキリスト教界を犯罪と暴動で満たした。

彼らは互いに破門しあうだけで満足せず、

武力に訴えた。

各自は、武器の購入と

軍隊の確保に苦心した。

もちろん、金もなければならなかった。

こうしたものを手に入れるために、

教会の賜物、地位、祝福などが金銭で売られた(付録参照)。

司祭たちも高位の者たちにならって、

聖職売買を行い、

競争者を倒して自分の勢力を強化するために戦った。

フスは、ますます大胆に、

宗教の名のもとに行われている憎むべきことを非難した。

そして人々は、キリスト教界をこのような悲惨な状態に陥れたのは

ローマ教の指導者たちであると、公然と非難した。

 

ふたたびプラハ市は、流血の惨事が起きそうに見えた。

むかしと同様に、神のしもべは、

「イスラエルを悩ます者」と非難された(列王紀上1 8:1 7 )。

プラハ市は、ふたたび破門され、

フスは故郷の村に退いた。

彼が愛したベツレヘム礼拝堂からの忠実な証言は、ここに終わった。

彼は、真理の証人として生命をささげるに先だって、

もっと広い舞台から、

全キリスト教界に語ることになったのである。

 

ヨーロッパを混乱に陥れていた害悪を正すために、

コンスタンツにおいて公会議が召集された。

この会議は、ジギスムント皇帝の希望によって、対立している

3人の法王の1人、ヨハネス23世が召集したものであった。

ヨハネス23世の人格と政策は、当時の一般聖職者と同様に道

徳的に腐敗していた高位聖職者たちの調査にさえ

耐え得ないものであったので、

彼は、会議を歓迎するどころではなかった。

しかし彼は、ジギスムントの意志にさからいかねたのである(付録参照)。

 

会議の主要目的は、教会内の分裂を和解させ、

異端を根絶することであった。

そこで、2人の対立法王たちも、

新説の主唱者であるヨハン・フスとともに、

会議に召集された。

前者はそれぞれ、自分たちの身の安全を期して、

自分は出て来ず、代表を送った。

法王ヨハネスは、表向きは会議の召集者ではあったが、

種々の不安を抱いて臨んだ。

皇帝がひそかに彼を退位させようとしていないかと疑い、

また、三重の冠を手に入れるために犯した罪とともに、

それを辱しめた罪悪が問いただされるのではないかと恐れていた。

それでも彼は、

最高位の聖職者たちと廷臣の長い列を従えて、

威風堂々とコンスタンツ市に入った。

市のすべての聖職者や高官たちは、

数多くの市民たちとともに、彼を出迎えた。

彼の頭上には金色の天蓋(てんがい)がかかり、

それを4人の長官たちが支えていた。

彼の前には祭餅(さいへい)が運ばれ、

枢機卿や貴族たちのきらびやかな服装は、実に印象的であった。

フスの決意

この時、もう1 人の旅人がコンスタンツ市に近づいていた。

フスは、自分の身に迫る危険に気づいていた。

彼は、もう2度と会えないかのように、

友人たちに別れを告げた。

そして火刑への道であることを感じつつ旅をつづけた。

彼は、ボヘミアの王から安全通行券を得、

またジギスムント皇帝からも同様のものを得てはいたが、

死ぬこともあり得ると考えて、

万事その用意をしていた。

 

プラハの友人あての手紙の中彼は次のように言っている。

「わたしの兄弟たちよ、・・・・わたしは王からの通行券を持って、

多くの恐ろしい敵に立ち向かうために出かけようとしている。・・・・

わたしは、全能の神、わたしの救い主に全く信頼している。

わたしは、神があなたがたの熱心な祈りに答えて、

わたしの口に神の慎しみと神の知恵を賜わり、

彼らに抵抗することができるようにしてくださると信じる。

そして、神はわたしに聖霊を与えて堅く真理に立たせ、

勇敢に、試練と牢獄、そしてもし必要なら

残酷な死にすら立ち向かえるようにしてくださると信じる。

イエス・キリストは、彼の愛する者のために苦しみに会われた。

それゆえにわれわれは、われわれが自分自身の救いのために

すべてのことを根気よく耐え忍ぶよう、彼がわれわれのために

模範を残されたことに対して驚いてよいであろうか。

彼は、神である。そして、われわれは、彼に造られたものである。

彼は主であって、われわれは、彼のしもべたちである。

彼は世界の主であられ、われわれは、卑しい人間である。

それにもかかわらず、彼は苦しまれた。

とすれば、われわれもまた苦しむべきではなかろうか。

特にそれがわれわれのきよめのためであるとすれば。

それゆえに、愛する人々よ、

もしわたしの死が彼の栄光となるものならば、それが早く来るように、

そして、わたしにふりかかるすべての災いを

わたしが忠実に耐える力を主がお与えになるように祈ってほしい。

しかし、もしわたしがあなたがたのところに帰るほうが

良いのであれば、何の汚点も残さずに帰れるように神に祈ろう。

すなわち、わたしが、福音真理のどんな点でも隠すことなく、

わたしの兄弟たちがふみ従う

りっぱな模範を残すことができるように祈ろう。

おそらく、プラハで

あなたがたと会うことはもはやないであろう。

しかし、全能の神のみこころによって、

あなたがたのところに帰ることができれば、その時には、

いよいよ確固とした信念をもって、

神の律法の知識と愛のうちに進んでいきたい。」⑤

 

フスは、福音の使徒となった

ある司祭に送ったもう1つの手紙の中で、

きわめて謙虚に自分自身の誤りについて語り、

自分は「美服をまとうことに喜びを感じ、

軽薄なことに時を浪費していた」と自分を責めている。

そして、次のような感動的な勧告をつけ加えた。

「あなたは、聖職禄(ろく)や財産の所有ではなくて、

神の栄光と魂の救いを考えるようにせよ。

自分の魂以上にあなたの家を飾らぬように注意せよ。

何よりも徳を高めることに留意せよ。

貧者には、敬虔(けいけん)と謙そんをもって接し、

あなたの持ち物を饗応(きょうおう)のために消費してはならない。

もしもあなたが生活を改めず、ぜいたくをやめないならば、

わたしが今懲らしめられているように、

きびしく懲らしめられることであろう。・・・・

あなたは、幼い時から、わたしの教えを受けたから、

わたしの教義を知っている。

それだから、これ以上書く必要はない。

しかし、わたしは、主の憐れみによって、あなたに願う。

どうか、あなたは、わたしが陥ったのを見た

どんな種類の虚栄をもまねてはならない。」

手紙の封筒には、「わが友よ、わたしが死んだこと

を確かめるまでは、この封を開かないこと」と書きそえてあった。

 

フスは、旅行中、至るところで、

彼の教義が広まり、

彼の運動が歓迎されているのを見た。

群衆が彼を出迎え、

いくつかの町では長官が町じゅう彼に随行した。

信仰の放棄か、死か

コンスタンツに到着したフスは、

完全な自由が与えられた。

皇帝の通行券には、法王の個人的な保護の保証もつけ加えられた。

しかし、これら厳粛な、またくり返し保証された言明が無視されて、

フスは間もなく、法王と枢機卿たちの命令によって逮捕され、

いまわしい牢獄に入れられた。

後に彼は、ライン川の向こうの堅固な城に移され、

囚人として監禁された。

法王は、その背信によって益するところなく、

間もなく同じ牢獄にいれられた。⑦

彼は、会議において、

殺人、聖職売買、姦淫のほかに、

「言うことさえ恥じるべき罪、」

最も下劣な罪を犯したことが証明された。

こうして、会議そのものの宣言によって、

彼はついに三重冠を取り上げられ、投獄された。

彼と対立していた法王たちも廃されて、新しい法王が選ばれた。

 

コンスタンツ会議は、フスが常に非難し

改革を要求していた司祭たちよりも

大きな罪を犯していた法王自身を退位させたにもかかわらず、

改革者フスをも粉砕しようとした。

フスの投獄は、

ボヘミアの人々を大いに怒らせた。

有力な貴族たちは、

この暴挙に対して激しい抗議を会議に申し入れた。

通行券の侵害を許すことを好まなかった皇帝は、

彼に対する処置に反対であった。

しかし改革者の敵たちは、

激しい憎しみと堅い決意を抱いていた。

彼らは皇帝の、偏見と恐怖と教会に対する熱意とに訴えた。

「たとえ皇帝や王たちから

通行券を交付されていたとしても、

異端および異端の嫌疑を受けたものには、

約束を守るべきではない」

ということを証明するために、彼らは長い議論を展開した。⑧

こうして彼らは、その主張を通した。

 

牢獄内の湿気と悪い空気のために、フスは死ぬほどの熱病にかかった。

病気と獄中生活のために衰弱したフスは、

ついに会議に呼び出された。

彼は鎖につながれて、

彼を保護することを名誉と誠実にかけて誓った

皇帝の前に立った。

長期にわたる取調べのあいだ、

彼は堅く真理を主張した。

そして、教会と国家の高位高官たちのいならぶ前で、

彼は、教権制度の腐敗を、ありのままに厳かに抗議した。

彼の教義を取り消すか、それとも死を選ぶか求められた時、

彼は、殉教者の運命を受け入れた。

 

神の恵みが彼を支えた。

最後の宣告が下される前の苦難の数週間にわ

たって、天からの平安が彼の心を満たした。

彼は友人にこう書いている。

「わたしはこの手紙を牢獄の中で、そしてつながれた手で書いている。

明日死の宣告を受けることを予期しつつ。・・・・

イエス・キリストの助けによって、

われわれが、ふたたび、来世の快い平和のうちに再会するときに、

神がどんなに恵み深く、ご自身をわたしにあらわされたか、

また、誘惑と試練のただ中にあって、

どんなに力強くわたしを支えてくださったかを、

あなたは知ることであろう。」⑨

 

彼は、陰気な牢獄の中で、真の信仰の勝利を予見した。

彼は夢の中で、

自分が福音を説いていたプラハの礼拝堂に帰り、

そこで、自分が壁に描いたキリストの絵を、

法王や司教たちが消しているのを見た。

「この幻は彼を悩ました。

しかし次の日に、彼はたくさんの画家たちが、

これらの絵をさらに多く、さらに鮮かな色彩でもって、

回復しているのを見た。

その仕事が終わるや否や、

画家たちは集まったおびただしい群衆に叫んだ。

『さあ、法王でも司教でもくるがよい!

彼らには、もう決して消し去ることはできない』。」 

フスは夢の話をして、次のように言った。

「わたしは、

キリストのみ姿は消し去ることができないことを堅く信じる。

彼らはそれを破壊しようとしたが、

それは、わたしよりももっと力ある説教者たちによって

すべての人の心に鮮かに描かれることであろう。」⑩

フスの殉教

さて、いよいよ最後に、

フスは会議に呼び出された。

それは、皇帝、諸侯、使臣、枢機卿、司教、司祭たちが

列席しているはなやかな大会議であった。

また、その成り行きを見ようとする大群衆が集まっていた。

良心の自由を確保するための長い闘争における、

この最初の偉大な犠牲の目撃者たちが、

キリスト教国全土から集められていたのである。

 

フスは最後の決断を促されたが、

取り消すことを拒否した。

彼は、恥知らずにも約束を破棄した王を、

するどい目でみつめて言った。

「わたしは、ここにご臨席の皇帝の公の保護と信義のもとに、

自分の自由意志で、

この会議に出席することを決心したものである。」⑪

ジギスムントは、

会衆全員の視線を浴びて、顔を赤くした。

 

宣告は下され、聖職剥奪の儀式が開始された。

司教たちはフスに僧服を着せた。

フスは司祭の服を着た時、

「われわれの主、

イエス・キリストは、

ヘロデからピラトのところへ送られる時、

辱しめのために白い衣を着せられた」と言った。⑫

彼はふたたび取り消すことを勧められたが、

人々の方を向いて、こう答えた。

「そういうことをすれば、

わたしはどんな顔をして、天を仰ぐことができようか。

わたしが純粋な福音を宣べ伝えたたくさんの人々に、

どのようにして顔をあわせることができようか。

わたしは死に定められたこの哀れな体よりも、

彼らの救いをはるかに重大視する。」

彼の祭服は1枚ずつはずされていった。 そして司教たちは、

儀式におけるそれぞれの役を果たしながら、彼をのろった。

ついに、「彼らは、恐ろしい悪鬼の絵が描かれ、

前方によく目立つように『大異端者』という字が書かれた

ピラミッド型の紙の冠を、彼にかぶせた。

『主イエスよ、わたしは、心から喜んで、あなたのために

恥辱の冠をかぶります。あなたはわたしのために

いばらの冠をかぶられました』とフスは言った。」

 

彼にこのような装いをさせた後、

「司教たちは、『今、われわれは、なんじの魂を悪魔にわたす』と言った。

ヨハン・フスは、天を仰いで、

『おお、主イエスよ、わたしは、わたしの魂をみ手にゆだねます。

あなたはわたしを贖ってくださったからです』と言った。」⑬

 

こうして彼は、俗権の手に渡され、刑場へと引かれていった。

彼の後には、数百名の軍人たち、美衣をまとった司祭や司教たち、

コンスタンツの住民などの大行列が続いた。

彼が火刑柱に縛られ、火をつける準備が整った時に、

殉教者は、もう1度、

誤りを捨てて死を免れるよう勧告された。

しかしフスは言った。

「いったいどんな誤りを取り消せと言うのか。

わたしは、何も悪いことはしていない。

わたしが書き説教したことのすべては、

人々を罪と滅びから救うためのものだったことは、

神があかしをしてくださる。

したがって、わたしが書き説教した真理を

わたしの血をもって確証することは、

わたしの最も喜びとするところである。」⑭

彼の回りに火が点じられた時、

彼は、「ダビデの子、イエスよ、わたしをあわれんでください」

と歌い出した。そしてそれは、彼の声が永久に沈黙するまで続いた。

 

彼の敵たちでさえ、彼の英雄的な態度に強く心を打たれた。

ある熱心な法王教徒は、フスと、その後しばらくして死んだ

ヒエロニムスとの殉教を描写して言った。

「2人とも、最後の時が近づいた時、忠実に耐えぬいた。

彼らは、婚宴に行くかのように火刑にのぞんだ。

彼らは苦しみの声をあげなかった。

炎が上った時に、彼らは讃美歌を歌い出した。

激しい炎も彼らの歌を止めることができなかった。」⑮

 

フスの体が燃えつきた時、彼の灰は、

その下の土とともに集められて、

ライン川に投げ捨てられた。

こうして、それは、大海へと運ばれていった。

迫害者たちは彼が宣べ伝えた真理を根絶したものと考えたが、

そうではなかった。

その日大海に運び去られた灰が、

地のすべての国々にまかれた種のようになること、

また、まだ未知の国々において、それは多くの実を結び、

真理のあかしを立てるようになることに、彼らは考え及ばなかった。コンスタンツの会議場で叫ばれた声は、

その後の各時代を通じて

鳴りひびく反響を引き起こした。

フスはもはやいなかった。しかし、彼がそのために死んだ真理は、

決して滅び去るものではなかった。

彼の信仰と忠誠の模範は、拷問や死に面しても、

真理のために堅く立つようにと、

多くの人々を励ますのであった。

彼の処刑は、

ローマの不実な残酷さを全世界に示した。

真理の敵たちは、それとは知らずに、

彼らが撲滅しようとしていたその運動を、推し進めていたのであった。

ヒエロニムスの投獄

しかし、もう1つの火刑柱が、

コンスタンツに立てられねばならなかった。

もう1人の証人の血が、真理のために流されねばならなかった。

ヒエロニムスは、フスが会議に行くに当たり別れを告げて、

勇敢に堅く立つことを勧め、もし彼の身に危険が迫るならば、

ヒエロニムス自身がすぐに援助に行くと言った。

フスが投獄されたことを聞くや、この忠実な弟子は、

直ちに約束の実行にとりかかった。

彼は、通行券も持たず、ただ1人の従者を連れて、

コンスタンツに向かった。

到着してみると、

ただ自分自身を危険にさらすだけで、

フスを救い出すなどということは何もできないことがわかった。

彼は町から逃れたが、

帰途捕えられてかせをはめられ、

一団の兵隊たちに守られて送りかえされた。

彼が会議に最初に現われて、

彼に対する訴えの答弁をしようとすると、

「火刑にせよ!火刑にせよ!」

という叫びがあがった。⑯

彼は牢獄に入れられ、非常に苦しい姿勢で鎖につながれて、

パンと水しか与えられなかった。

ヒエロニムスは、獄中の残酷な取り扱いのために、

数か月後に、頻死(ひんし)の病気になった。

そこで敵たちは、彼が死んでしまうことを恐れて、

幾分ゆるやかに扱ったが、

それでも彼は1年間、牢獄に閉じ込められたままであった。

 

フスの死は、法王教徒たちが

期待したような結果をもたらさなかった。

彼の通行券に対する侵害は、人々を非常に憤慨させた。

そこで会議は安全策をとり、

ヒエロニムスを火刑にせず、

できれば取り消しを強要しようとした。

彼は、会議場にひき出され、取り消すか、

火刑による死かのどちらかを選べと言われた。

投獄された最初のころに死に処せられたならば、

その後に受けた恐ろしい苦難と比較して、

まだしも情ある処置だったことであろう。

しかし今、獄中の病と苦しみ、

懸念と不安の苦痛、友人たちとの離別、

そしてフスの死による失望のために、

ヒエロニムスの心は弱り、

勇気はくじけた。

そして彼は、会議に従うことに同意した。

彼は、カトリックの信仰を固守することを誓った。

そして、ウィクリフとフスが教えた教義の中で、

「聖い真理」以外のものを否認するという会議の決議を承認した。⑰

 

ヒェロニムスはこうした方法で、

良心の声をしずめ、死を免れようとした。

しかし、1人牢獄のなかで考えた時、彼は、

自分が何をしたかをはっきりと悟った。

彼はフスの勇気と忠実を思い、それにひきかえ、

自分が真理を拒否したことを考えた。

彼は、自分が仕えることを誓った主、

自分のために十字架の死を耐え忍ばれた

主のことを考えた。

彼が信仰を取り消す前は、

あらゆる苦難のなかにあっても慰めと神の恵みの確証があった。

しかし、今は、後悔と疑惑が彼の心を苦しめた。

彼は、ローマと和解するには、

なお他にも取り消さなければならないことがあるのを知っていた。

彼が踏み込んだ道は、完全な背信に行き着くしかないものであった。

ここにおいて、彼は決心した。

しばらくの苦難を逃れるために、

自分の主を拒むようなことはすまいと決心したのである。

ヒエロニムスの弁明

まもなく彼は、ふたたび会議に引き出された。

彼の服従は、まだ裁判官たちを満足させてはいなかった。

血にかわいた彼らは、フスの死によって刺激されて、

新たな犠牲を求めてやまなかった。

ヒエロニムスは、真理を無条件で放棄するのでなければ、

生命を全うすることはできなかった。

しかし彼は、信仰を告白し、

殉教者フスのあとに続いて火刑になる決心をしていた。

 

彼は自説撤回を取り消した。そして、死を前にした人間として、

弁明の機会が与えられることを厳粛に要求した。

しかし、彼の言葉の影響を恐れた司教たちは、

ただ彼に対する告訴に対して、

それを認めるか否かだけを答えるようにと言い張った。

ヒエロニムスは、そのような残酷と不正に対して抗議した。

「あなたがたはわたしを、不潔で有害で悪臭を放ち、

何1つない恐ろしい牢獄に、340日も閉じ込めておいた。

そして今度はわたしを引き出し、

わたしの憎むべき敵には耳をかしながら、

わたしの言うことは聞こうともしない。・・・・

もしもあなたがたが、真に賢き者であり、世の光であるならば、

正義に対して罪を犯さないように気をつけるべきである。

わたしはといえば、1人の弱い人間に過ぎない。

わたしの生命など、どうでもよいのだ。

わたしがあなたがたに、不正な宣告を下さぬように勧めるのは、

自分のためよりも、あなたがたのためを思って言っているのだ」

と彼は言った。⑱

 

彼の要求は、ついに許された。

ヒエロニムスは、彼の裁判官たちの前でひざまずき、

神の霊が彼の思想と言葉とを支配し、

真理に反することや、

主にふさわしくないことを語らないようにと祈った。

彼にとって、この日、

最初の弟子たちに対する神の約束が成就したのである。

「またあなたがたは、

わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。・・・・

彼らがあなたがたを引き渡したとき、

何をどう言おうかと心配しないがよい。

言うべきことは、その時に授けられるからである。

語る者は、あなたがたではなく、

あなたがたの中にあって語る父の霊である」(マタイ 10:18-20)。

 

ヒエロニムスの言葉は、彼の敵たちの中にさえ、驚きと賞賛を引き起

こした。

彼は、丸1年の間牢獄に監禁され、

読むことも見ることさえもできずに、

非常な肉体的苦痛と精神的不安のうちに過ごしたのであった。

しかし彼の論旨は、

なんの妨げもなく研究を継続したもののように、

明快で力に満ちていた。

彼は、不正な裁判官たちによって有罪の宣告を下された

数多くの聖徒たちを、聴衆に示した。

ほとんどどの時代においても、

その時代の人々を啓蒙しようとして、

恥辱をこうむって追放され、

そして後年になってあがめられた人々がいた。

キリストご自身も、不正な法廷において、

犯罪人として有罪を宣告された。

 

ヒエロニムスは、前に自説を撤回した時に、

フスの有罪の宣告は正当であると承認したが、

悔い改めを宣言した今は、

殉教したフスの無罪と潔白を証言した。

「わたしは子供の時から彼を知っている。

彼は、ただしく聖(きよ)く、最も優れた人物である。

彼は、罪がないのに有罪の宣告を受けた。・・・・

そしてわたしも、また。

―わたしは死ぬ覚悟でいる。

わたしは、わたしの敵と偽りの

証人たちが用意している責め苦にひるまない。

彼らは、やがて、欺くことのできない大いなる神の前で、

自分たちの欺瞞行為の申し開きをしなければならないのだ。」⑲

ヒエロニムスの殉教

ヒエロニムスは、自分が前に真理を拒否したことに心を責められなが

ら、次のように続けた。

「わたしが青年時代から犯したすべての罪のなかで、

最もわたしの心を悩まし、激しく心を責めたのは、

この重大な場所で、ウィクリフに対して、

また、わが師、わが友である聖なる殉教者、

ヨハン・フスに対してなされた

不法きわまる宣告を承認したことである。

しかり!わたしはそのことを心からざんげする。

そしてわたしは、不名誉にも死を恐れて彼らの教義を

否認したことを告白する。

それゆえに、全能の神が、わたしの罪を許し、

特に最も憎むべきこの罪を許してくださることを嘆願する。」

彼は、裁判官たちを指し、断固として言った。

「あなたがたは、ウィクリフやヨハン・フスを罪に定めたが、

それは、彼らが教会の教義を混乱させたからではなくて、

ただ彼らが聖職者たちの引き起こす醜聞 ―彼らのぜいたく、

彼らの高慢、そして司教や司祭たちのあらゆる罪悪― を、

非難攻撃したからである。

彼らが断言したことは、論ばくすることのできないものであるが、

わたしもまた彼らと同様に考え、彼らと同様に宣言する。」

 

彼の言葉はさえぎられた。

司教たちは、激怒にふるえて叫んだ。

「これ以上の証拠を求める必要があろうか。

今われわれは、われわれの目の前に、

最も頑固(がんこ)な異端者を見ている!」

この騒ぎにも動ぜず、ヒエロニムスは叫んだ。

「なに!あなたがたは、わたしが死を恐れていると思っているのか?

あなたがたはこの1年間、

わたしを死よりも悲惨な恐ろしい牢獄に監禁した。

そして、トルコ人やユダヤ人、

あるいは異教徒よりも残酷にわたしを扱った。

わたしの肉は、文字通り、わたしの骨から腐って落ちた。

それでもわたしは、つぶやきはしない。

悲しむことは、勇気ある人間にふさわしくないからだ。

しかし、キリスト教徒に対して、

かくも野蛮な行為が行われたことに、驚かざるを得ないのである。」⑳

 

ふたたび、人々が怒ってさわぎ立てたので、ヒエロニムスは急いで牢

獄に送りかえされた。

しかし、そこに集まっていた人々の中には、

彼の言葉に深い感銘を受けて、彼の生命を救おうとしたものもあった。

彼は、教会の高い地位の人々の訪問を受け、

会議に従うように勧告を受けた。

ローマに反対することをやめるならば、

その報賞として、輝かしい世的栄誉が約束された。

しかしヒエロニムスは、世の栄光が提示された時の

主イエスと同様に、ゆるがず堅く立った。

 

「わたしが間違っていることを聖書から証明してもらいたい。

そうすれば、わたしは、取り消そう」と彼は言った。

 

「聖書!なんでも聖書によって判断すべきであるというのか。

教会が解釈しないで、いったいだれが理解することができようか?」

と誘惑者の1人は叫んだ。

 

ヒエロニムスは答えた。「われわれの救い主の福音よりも、

人間の伝説のほうが信じる価値があるというのか。

パウロは、彼が手紙を書き送った人々に

人間の伝説に従うのではなくて、『聖書を調べ』よと勧めたのである。」

 

「異端だ! わたしはこれまで長い間あなたに嘆願してきたことを悔

いる。あなたは悪魔に取りつかれているということがわかった」

というのが答えであった。㉑

 間もなく、彼に有罪の宣告が下った。

彼は、フスが生命をささげたのと

同じ場所に引かれていった。

彼の顔は喜びと平安に輝き、

彼は歌を歌いながら進んでいった。

彼はキリストをみつめていた。

彼にとって、死は恐ろしいものではなかった。

刑の執行者が火をつけるために彼の後ろにまわった時、

殉教者は叫んだ。

「かまわず前に来て、わたしの目の前で火をつけなさい。

それがこわいくらいなら、わたしはここに来てはいない。」

 

炎が彼を包んだ時、

彼の最後の言葉は祈りであった。

「主、全能の父よ。どうか、わたしをあわれんでください。

わたしの罪をゆるしてください。

あなたは、わたしが

常にあなたの真理を愛したことを知っておられます。」㉒

彼の声はやんだ、しかし彼のくちびるは祈りつづけて動いていた。

全部が燃えつきた時、

殉教者の灰は土と共に集められて、

フスの時と同じようにライン川に投げいれられた。

こうして、神の忠実な証人たちは死んだ。

しかし、彼らが宣言した真理の光 ―彼らの雄々しい模範の光― は、

消し去ることができなかった。

当時すでに世界に臨みつつあった

夜明けの光を止めようとすることは、

太陽をあともどりさせようとするのと同じことであった。

ボヘミア人の奮起

フスの処刑は、

ボヘミアに怒りと恐怖の火を点じた。

全国民は、彼が司祭たちの悪意と皇帝の変節によって

犠牲にされたことを感じた。

彼は

忠実な真理の教師であったことが宣言され、

彼を死に処した会議は殺人罪に問われた。

彼の教義は、

今までになかったほど人の注目を引いた。

法王の布告によって、

ウィクリフの著書は火で焼かれていた。

しかし、焼かれなかったものがその隠されたところから持ち出されて、

聖書や、あるいは人々が手に入れ得た分冊と関連させながら

研究された。こうして多くの人々が

改革主義を受け入れるようになった。

 

フスの殺害者たちは、

彼の運動の勝利を手をこまねいて見てはいなかった。

法王と皇帝は力を合わせて

この運動を粉砕しようとし、

ジギスムントの軍隊がボヘミアに送りこまれた。

 

しかし、1人の救済者があらわれた。

ジシュカは、戦争が起こると間もなく失明してしまったが、

しかし当時の最もすぐれた将軍の1人で、

ボヘミア人たちの指導者であった。

ボヘミア人たちは、

神の助けと自分たちの運動の正しいことを信じて、

自分たちを攻撃する最強の軍隊に対抗した。

皇帝は、何度となく軍勢を召集して、ボヘミアを攻略しようとしたが、

無残な敗北を喫するだけであった。

フス派の人々は死の恐怖をのりこえていたので、

何ものも彼らに対抗できなかった。

戦争が起こって数年後に、勇敢なジシュカが死んだが、

プロコピオスが彼のあとを継いだ。

プロコピオスは、

ジシュカと同じく勇敢で老巧な将軍であり、

いくつかの点では、いっそう有能な指導者であった。

 

ボヘミア人の敵は

盲目の将軍の死を知って、

劣勢をばん回する絶好の機会がきたと思った。

法王は、フス派に対する十字軍を宣言し、

ふたたびおびただしい軍勢がボヘミアに送りこまれた。

しかしそれは、大敗北に終わったに過ぎなかった。

再度の十字軍が布告された。

ヨーロッパのすべての法王教国において、

人員と金と軍需品が徴集された。

群衆が法王の旗のもとに集合し、

フス派の異端者たちをついに全滅させ得ると考えた。

大軍は、必勝を期して、ボヘミアに侵入した。

人々は、これを撃退するために立ち上がった。

両軍は、

川を隔てて向かい合うまでに接近した。

「十字軍は、数においてはるかに優勢であった。

しかし彼らは、はるばる対戦するためにやって来たフス派に対し、

川を渡って突撃するのではなくて、

黙って相手の軍勢を見ていた。」㉓

すると突然、軍隊は不思議な恐怖におそわれた。

あの強力な軍隊が、一撃も加えることなく、

目に見えない力におい散らされるように四散してしまった。

フス派の軍隊によって、多くの者が殺された。

彼らは逃亡兵を追跡して、

おびただしい戦利品を手に収め、

ボヘミア人は戦争によって衰えるどころか豊かになったのであった。

法王軍の惨敗

それから数年後、新しい法王が立って、

もう1度別の十字軍が起こされた。

以前と同様に、人員も資金も

ヨーロッパのすべての法王教国から徴集された。

このような危険な企てに加わるものに対する勧誘は、

非常なものであった。

十字軍に参加するものは、

どんな極悪な犯罪もみな許された。

すべての戦死者には、

天で大きな報賞が約束され、

生存者には戦場での栄誉と富が約束された。

再び大軍が召集され、

国境を越えてボヘミアに侵入した。

フス派の軍勢は彼らの前から退却し、

侵入軍を国内深く誘い入れて、

勝利をすでに得たかのように彼らに思わせた。

やがてプロコピオスの軍隊は踏みとどまって敵に向きなおり、

反撃を加えた。

十字軍は、自分たちの失策に気づき、

陣地にとどまって敵の襲来を待った。

しかし、軍隊の進軍の音が聞こえてくると、

フス派の姿がまだ見えないのに、

十字軍はまた恐慌状態に陥った。

諸侯も将軍も、そして一般の兵隊も、武器を投げ捨てて四散した。

侵入軍の指揮官であった法王の使節は、

おびえて混乱した軍勢を

引きもどそうと努力したがむだであった。

必死の努力にもかかわらず、彼自身も、

敗走者の群れにまきこまれてしまった。

十字軍は完全に敗北し、ふたたび、

おびただしい戦利品が勝利者の手に入った。

 

こうして、再度、ヨーロッパの最強国家の大軍、

戦いの訓練と装備を整えた勇敢な戦士たちの軍勢が、

1戦をも交えずに、

弱小国家の防備軍の前に敗れ去った。

これは、神の力のあらわれであった。

侵入軍は、超自然的な恐怖におそわれた。

パロの軍勢を紅海で打ち破り、

ミデアンの軍勢をギデオンと

彼の300人の兵隊の前から逃走させ、

高慢なアッシリアの軍勢を一晩のうちに倒された神が、

ふたたび手を伸べて、圧迫者の力を砕かれたのである。

「彼らは恐るべきことのない時に大いに恐れた。

神はよこしまな者の骨を散らされるからである。

神が彼らを捨てられるので、彼らは恥をこうむるであろう」

(詩篇 53:5 )。

 

法王教の指導者たちは、武力で征服することができないのに気づいて、

ついに外交手段を用いるようになった。

つまり、これは妥協であって、

ボヘミア人に良心の自由を与えると言いながら、

実は彼らをローマの権力に引き渡すものであった。

ボヘミア人は、

ローマとの和解の条件を4つあげた。

聖書の自由説教、

教会全体が聖餐(せいさん)の

パンとぶどう酒の両方にあずかる権利と

礼拝における自国語の使用、

聖職者を

すべての公職公権から除外すること、

そして、犯罪を犯した場合、聖職者も一般信者も同様に

司法権に問われることであった。

法王側はついに、

「フス派の4項目を受け入れることに同意したが、

その解釈権、すなわち、その正確な意味の決定権は

会議にー言いかえると、

法王と皇帝にー属するとした。」㉔

このような条件に基づいて条約が結ばれ、

ローマは、戦争によって得ることができなかったことを

偽りと欺瞞によって得たのである。なぜなら、

ローマは、聖書と同様にフス派の条件にも自分かってな解釈を下して、

自分に都合のよいようにその意味を曲げることができたからである。

 

多くのボヘミア人は、それが自分たちの自由を裏切るものであるのを見て、条約に同意することができなかった。

不和と分裂が起こり、ついには争って血を流すまでに至った。

この紛争のなかで、高潔なプロコピオスは倒れ、

ボヘミアの自由は失われた。

 

こうして、フスとヒエロニムスを裏切ったジギスムントは、

ボヘミアの王となり、ボヘミア人の権利を確保する

誓約をしていたにもかかわらず、法王権を確立しようとした。

しかし、ローマに屈服して彼の得たものはほとんどなかった。

彼の生涯は、約20年にわたって、

労苦と危険に満ちたものであった。

長い無益な戦争のために、軍隊は弱くなり、

国庫はからになった。

そして、今、王にはなったが、1年で死んでしまった。

国家が、今にも内乱が起こりそうになっている中で、

彼は悪名を残して死んだ。

ボヘミア人の忍苦と待望

暴動、闘争、流血が相次いで起こった。

ふたたび、外敵がボヘミアに侵入した。

そして国内の紛争は、国を混乱に陥れ続けた。

福音のために堅く立った者たちは、血なまぐさい迫害に会った。

 

かつての仲間たちはローマと契約を結んで、

その誤りを受け入れたので、

昔からの信仰を固守する人々は別の教会を組織して、

それを「同胞一致教会」〔ボヘミア兄弟団〕と呼んだ。

このために彼らは、各方面から悪く言われた。

しかし、彼らは堅く立ってゆるがなかった。

彼らは森や洞穴に逃れなければならなかったが、

それでも集まって神のみ言葉を読み、礼拝を共にした。

 

彼らは、ひそかに各国に派遣した使者たちを通じて、

ここかしこに、「真理を告白しているものが、

この町に数名あの町に数名と孤立しており、

彼らと同様に迫害の対象になっていることを知った。

また、アルプスの山の中には、

聖書を基礎にした、

昔からの教会があって、

ローマの偶像的腐敗に抗議しているのを知った。」㉕

この知らせは

非常な喜びをもって迎えられ、

ワルド派キリスト教徒との通信が開始された。

 

ボヘミア人は福音を固守して迫害の夜を過ごし、

その最も暗黒な時においてもなお、

朝を待つ見張りのように、

彼らの目を地平線に向けていた。

「彼らは不運な境遇にあった。しかし、・・・・

彼らは、フスが最初に語り、ヒエロニムスによって繰りかえされた言葉、

すなわち、夜明けまでには1世紀を経なければならないという

言葉を忘れなかった。

この言葉は、タボル派〔フス派の人々〕にとって、

奴隷生活をしていたイスラエルの部族に対して

『わたしはやがて死にます。神は必ずあなたがたを顧みて、

この国から連れ出し(てくださるでしょう)』と言った

ヨセフの言葉のようなものであった。」㉖

「15世紀の末期において、兄弟団の教会は、

徐々にではあったが確実に増加していった。

彼らは、妨害などがなくなったわけではなかったが、

比較的安らかに過ごすことができた。

1 6 世紀の初めには、彼らの教会は、

ボヘミアとモラビアにおいて200を数えた。」㉗

「火と剣という破壊的激怒を逃れて、

フスが予告した夜明けを見ることを許された残りの者たちは、

非常に多かった。」㉘

 

第6章 注

①Wylie, b.3, ch.1.

②Ibid., b.3, ch.1.

③Bonnechose, "The Reformers before the Reformation," vol. 1, p.87.

④Wylie, b.3, ch.2.

⑤Bonnechose, vol.1, pp.147, 148.

⑥Iid., vol.1, pp.148, 149.

⑦Iid., vol.1, p. 247.

⑧Jacques Lenfant, "History of the Council of Constance" vol.1, p.516.

⑨Bonnechose, vol.2, p.67.

⑩D' Aubigne, b.1, ch.6.

⑪Bonnechose, vol.2, p.84.

⑫lbid., vol.2, p.86.

⑬Wylie, b.3, ch.7.

⑭lbid., b.3, ch.7.

⑮lbid., b.3, ch.7.

⑯Bonnechose, vol.1, p.234.

⑰lbid., vol.2, p.141.

⑱lbid., vol.2, pp.146, 147.

⑲lbid., vol.2, p.151.

⑳lbid., vol.2, pp.151ー153.

㉑Wylie, b.3, ch.10.

㉒Bounechose, vol.2, p.168.

㉓Wylie, b.3, ch.17.

㉔lbid., b.3, ch.18.

㉕lbid., b.3, ch.19.

㉖lbid.

㉗Ezra Hall Gillett, "Life and Times of John Huss," vol.2 p.570.

㉘Wylie, b.3, ch.19.

【 第7章 マルチン・ルターの登場 】

幼年時代と彼の両親

教会を、法王教の暗黒から、

純粋な真理の光に導くために召された人々の中の第1人者は、

マルチン・ルターであった。

熱心で、献身的で、神のほかなにも恐れることを知らず、

聖書以外のどんな信仰の基準をも認めなかったので、

ルターは、実に、その時代のための人物であった。

神は彼を用いて、

教会の改革と世界の啓蒙(けいもう)のために

大きな働きを成し遂げられた。

 

ルターは、福音の最初の使者たちと同様に、

貧しい階級の出であった。

彼は幼年時代を、

ドイツの農民の質素な家庭で過ごした。

彼の父は鉱夫で、

毎日の労苦によって彼の学費をかせいでいた。

父親は彼を弁護士にしようと思った。

しかし神は、彼を、幾世紀にもわたって徐々にではあったが、

建設されつつあった大神殿の建設者にしようとされた。

困難、窮乏、厳しい訓練は、無限の知恵の神が、

ルターにその生涯の重要な任務に対する

備えをさせられたところの学校であった。

 

ルターの父は、強固で活発な精神と、

品性の偉大な力の持ち主であって、

正直と決断と率直さを持った人であった。

彼は、結果がどうなろうと、

義務を忠実に果たす人であった。

彼の確かな判断力は、

修道院制度に対する不信感をいだかせた。

ルターが彼の許可を得ないで修道院に入った時、

彼は非常に腹を立てた。

父と子の和解には、2年かかったが、

その時でも彼の意見は変わらなかった。

 

ルターの両親は、

子供たちの教育と訓練に非常に注意を払った。

彼らは子供たちに、神を知ることと、

キリスト者の美徳を実行することとを教えるように努めた。

父親は、息子が主の御名を覚え、

いつかは神の真理の発展を助けるようになることを祈ったが、

ルターはこれをたびたび耳にした。

両親は、その労苦の生活の中で与え得る

あらゆる道徳的知的訓練の機会を、

熱心に活用した。

彼らは、子供たちが信心深く有用な生活を送るよう

準備させようと、熱心に忍耐強く努力した。

彼らが厳格で強固な品性の持ち主であったために、

時には厳しすぎることもあった。

しかしルター自身、ある点においては彼らの誤りを認めながらも、

彼らのしつけは非難するよりは

賛成すべきものであると思った。

ルターは、年少の時に送られた学校で、

非常に厳しい、乱暴なまでの扱いを受けた。

彼の両親は非常に貧しかったので、

彼が別の町にある学校へ家から通った時には、

一時、家々を歌を歌いながらまわることによって

食を得なければならず、空腹に苦しんだこともしばしばであった。

当時一般にゆきわたっていた、

陰うつで迷信的宗教観は、彼の心を恐怖で満たした。

彼は、夜、悲哀におそわれて床につき、暗い将来をながめておののいた。

そして、神を、慈愛に満ちた天父としてではなく、

厳格で容赦しない裁判官、残酷な暴君のように考えて、

常に恐怖におびえていた。

 

しかしルターは、多くの大きな失望の中にありながらも、

彼の心を引きつけた道徳的知的卓越の高い標準に向かって、

決然として進んでいった。

彼は、知識を渇望していた。

そして彼は、熱心で実際的な性質であったので、

はでで表面的なものよりは、堅実で有用なものを望んだ。

青年時代の学び

18 才の時、彼はエルフルト大学に入った。

この頃には彼の境遇は、年少の頃よりは順調で、

将来に明るい希望が持てた。

彼の両親は、節約と勤勉によって、

相当の資産を得ていたので、

必要な援助を全部支給することができた。

そして、彼は、賢明な友人たちの感化を受けて、前に受けた

教育の陰うつな感化を、いくぶんか少なくすることができた。

彼は、第一流の著者たちの研究に専念し、

彼らの最も重要な思想を努めて心に蓄え、

賢明な人々の思想を自分のものにした。

彼は、かつての教師たちの苛酷な訓練下にあってさえ、

早くから頭角を現わしたが、ここではよい環境に恵まれて、

彼の知力は急速に発達した。

彼は、記憶力が強く、想像力に富み、論理力も豊かで、

たゆまず研究に励んだので、

間もなく学友たちの間で第1人者となった。

知的訓練は彼の理解力を円熟させ、知力を活発にし、

知覚を鋭敏にして、

彼を彼の生涯の闘争のために準備させつつあった。

 

ルターの心に宿った主を恐れる思いは、

彼を目的堅固なものにするとともに、

神のみ前で心から謙遜なものにした。

彼は、自分が神の助けに依存していることを常に感じていた。

そして、毎日祈りをもって1日を始めることを忘れなかった。

彼の心は、絶えず、導きと支えとを祈り求めていた。

「よく祈ることは、勉強の半ば以上を成し遂げることだ」

と彼はよく言った。①

 

ある日、ルターは、大学の図書館で本を調べていた時に、

ラテン語の聖書を発見した。

彼は、こうした本を見たことがなかった。

そうしたものの存在さえ知らなかったのである。

彼は、福音書や使徒書簡の一部が、

公の礼拝の時に朗読されるのを聞き、

それが聖書の全部であると思っていた。

ところが彼は、今初めて、神の言葉の全体を見たのである。

畏敬(いけい)と驚きをもって、彼はその神聖なページをくった。

彼は、胸をどきどきさ

せながら、生命の言葉を自分で読み、

時々息をついては「神がこのような本をわたしに下さったなら!」

と叫ぶのであった。②

天使が彼のそばにいて、神のみ座からの光が、

真理の宝を彼に理解させた。

彼は、神の怒りを招くことを常に恐れていたが、

今、これまでになく、

自分の罪人としての状態を痛感した。

修道院での生活

彼は罪からの解放と神との平和を熱心に求めて、ついに修道院に入り、

修道院生活に身をささげることになった。

ここで彼は、最も卑しい仕事をさせられ、

戸ごとに食を乞(こ)い歩かせられた。

彼は、人々から尊敬と理解を受けることを最も願う年齢であった。

そして、このような卑しい勤めは、

彼の生まれながらの感情からすれば、

非常に苦しいものであった。

しかし彼は、それが自分の罪のゆえに必要なことであると信じて

この屈辱に耐えた。

 

彼は、日ごとの勤めから寸暇を見いだしては、

眠る時間もそまつな食事をとる時間も惜しんで、

研究に励んだ。

彼は何よりも

神のみ言葉の研究に喜びを感じた。

彼は、修道院の壁に聖書が鎖でつながれているのをみつけたので、

よくそこへ行った。

彼は罪の自覚が深まるにつれて、

自分自身の行いによって、許しと平和を得ようとした。

彼は非常に厳格な生活を送り、断食や夜の勤行(ごんぎょう)、

また体をむち打って、生まれながらの悪をおさえようとしたが、

しかしこうした修道院生活によっては、

なんの解放も得られなかった。

彼は、神のみ前に立ち得るような心の清めを得るためには、

どんな犠牲をも恐れなかった。

「わたしは、実に敬虔(けいけん)な修道僧であった。

わたしは、言葉では表現できないほど厳格に、

わたしの修道会の規則に従った。

もし修道僧が、修道僧としての働きによって

天国に行くことができるならば、

わたしは間違いなくその資格があったであろう。・・・・

もしあれ以上続いたならばわたしは苦行の果てに死んでしま

ったことであろう」と彼は後に言っている。③

こうした厳しい苦行の結果、彼は衰弱し、失神の発作を起こした。

そして、後になっても、それから完全に回復することはできなかった。

しかし、これらすべての努力にもかかわらず、

彼は心の悩みから救われなかった。

彼は、ついに、絶望のふちに追いやられた。

 

ルターが万事休すと思った時に、

神は、彼のために1人の友人、援助者を起こされた。

敬虔なシュタウピッツがルターに神のみ言葉を示して、

自分から目をそらし、

神の律法を犯したことに対する永遠の刑罰について考えることをやめ、

彼の罪を許す救い主、イエスを仰ぎ見るように命じた。

「罪のために自分を苦しめることをせず、

贖い主の腕の中に自分自身を投げ入れよ。彼を信頼せよ。

彼の生涯の義と彼の死による贖罪に信頼し、・・・・

神のみ子に耳を傾けよ、彼はあなたに神の恵みの確証を与えるために、

人となられた。」

「まずあなたを愛された彼を愛せよ。」④

このように、この憐れみの使者は語った。

彼の言葉は、ルターの心に深い感銘を与えた。

長い間抱いていた誤りについての多くの苦闘のあとで、

彼は真理をつかむことができ、

彼の悩み苦しんだ心に平和が与えられた。

 

ルターは司祭に任じられ、修道院から召されて、

ウィッテンベルク大学の教授になった。

ここで、彼は、原語による

聖書の研究に没頭した。

彼は聖書の講義を始めた。

そして、詩篇、福音書、

使徒書簡などは、

喜んで聞く多くの聴衆の心を啓発した。

彼の友人であり先輩であったシュタウピッツは、

彼に、説教壇に上って神のみ言葉を説くように勧めた。

ルターは、

自分はキリストにかわって人々に語る価値がないと感じてためらった。

彼は、長い間の苦悩の後、

初めて、友人たちの勧めに応じた。

すでに彼は聖書に精通しており、

神の恵みが彼に宿っていた。

彼の雄弁は聴衆を魅了し、

彼の明快で力強い真理の提示は、

彼らの知性を納得させ、彼の熱情は彼らの心を感動させた。

ローマ訪問

それでも、ルターは、カトリック教会の実子であり、

それ以外の何ものにもなる考えはなかった。

神の摂理によって、彼はローマを訪問することになった。

彼は、途中修道院に泊りながら、

歩いて旅を続けた。

彼はイタリアの修道院において、

その富と壮大さとぜいたくを見、非常に驚いた。

修道士たちは、王侯のような歳入を得て、

華麗な部屋に住み、高価な美服を着て、

ぜいたくな食卓をかこんでいた。

ルターは、このような光景と自分自身の

自制と苦難の生活とを比較して、疑惑に心を痛めた。

彼の心は混乱してきた。

 

ついに彼は、7つの丘の都〔ローマ〕を遠方に望み見た。

彼は感きわまって地上にひれ伏し、

「聖なるローマよ、わたしはあなたに敬意を表す」と叫んだ。⑤

彼は都に入り、教会を訪問し、

司祭や修道士たちがくりかえし語る驚くべき物語を聞き、

求められるままにあらゆる儀式を行った。

何を見ても

彼を驚きと恐怖に陥れるものばかりであった。

彼は、罪悪があらゆる階級の聖職者に及んでいるのを見た。

高位聖職者たちが

品の悪い冗談を言うのを聞いた。

そして、ミサの時にさえ見られる、

彼らの恐るべき不敬行為に戦慄(せんりつ)した。

修道士や市民と交わってみると、放蕩(ほうとう)や乱行が目についた。

どこに目を向けても、神聖であるべきところに涜神(とくしん)行為を見た。

彼は、次のように書いている。

「ローマにおいて、どんな罪や恥ずべき行為が行われているかは、

想像もできない。実際に見聞きしなければ信じられないほどである。

『もし地獄があるならば、ローマはその上に建っている。

それはあらゆる罪が生じてくるところの、底知れぬ穴である』

と一般に言われているほどだ。」⑥

当時、法王の教書が発布されて、

「ピラトの階段」をひざまずいて上るものにはみな、

免罪が約束されていた。

この階段は、救い主がローマの法廷を出る時に降りられたもので、

奇跡的にエルサレムからローマに移されたものであると言われていた。

ルターは、ある日、敬虔な思いをもってこの階段を上っていた。

すると突然、雷のような声が、「信仰による義人は生きる」

と言ったように思われた(ローマ 1:1 7 )。

彼はすぐに立ち上がり、恥と恐怖の念にかられて、

その場を急いで去った。

この聖句は、彼の一生を通じて、彼に力を与えた。

その時以来、彼は、人間の行為によって救いを得ようとすることの

誤りと、キリストの功績を絶えず信じることの必要を、

これまでよりもっと明瞭(めいりょう)に悟った。

彼の目は開かれた。

そして、法王制の惑わしに2度と陥ることがなかった。

彼がローマに背を向けた時、彼の心もローマから離れ去っていた。

そしてこの時から、隔たりは大きくなり、

ついに彼は、法王教会との関係を全く断つに至った。

聖書主義へ

ルターは、ローマからの帰国後、ウィッテンベルク大学から

神学博士の学位を授けられた。

今、彼は、これまでなかったほどに、

自由に彼の愛する聖書の研究をすることができた。

彼は全生涯を通じて、法王たちの言葉や教義ではなく、

神のみ言葉を注意深く学んで、

忠実に説教する、という厳粛な誓いを立てていた。

彼はもはや、単なる修道士や教授ではなくて、

正式の聖書解釈者であった。

彼は、真理に飢えかわいていた

神の群れを養う牧者として召されたのであった。

キリスト者は、

聖書の権威に基づいた教理以外は

受け入れてはならないと、彼は断言した。

この言葉は、法王至上権の、

まさにその根底を危うくするものであった。

この言葉には、宗教改革の極めて重大な原則が含まれていたのである。

 

ルターは、人間の理論を

神のみ言葉よりも高めることの危険を認めた。

彼は、恐れることなく、

学者たちの思弁的な不信仰を攻撃し、

長い間人々を支配してきた哲学や神学に反対した。

彼は、そうした研究は無価値であるばかりか有害であると

公然と非難し、

聴衆の心を哲学者や神学者の詭弁(きべん)から引き離して、

預言者と使徒たちが示した永遠の真理に向けようと努めた。

 

彼の言葉を熱心に聞いていた群衆にとって、

彼の伝えた使命は実に貴いものであった。

彼らは、今まで、このような教えを聞いたことがなかった。

救い主の愛の福音、

彼の贖罪の血による許しと平和の確証は、

彼らの心に喜びを与え、不滅の希望を持たせた。

ウィッテンベルクにおいて

点じられた光は全地に広がり、

時の終わりまで、その輝きを増すのであった。

 

しかし、光とやみとは調和することができない。

真理と誤謬(ごびゅう)との間には、押さえることのできない戦いがある。

その一方を支持して擁護する

ことは、もう一方を攻撃して打ち倒すことである。

救い主ご自身も、次のように言われた。

「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、

つるぎを投げ込むためにきたのである」(マタイ10:34)。

ルターは、宗教改革が始まってから数年後に、次のように言った。

「神は、わたしを導かれるのではなくて、わたしを前に押し出される。

神はわたしを連れ去られる。わたしは、自分ではどうにもならない。

わたしは静かに暮らしたいと思うのに、

騒ぎと革命のなかに投げこまれる。」⑦

彼は今まさに、戦いの中へとかりたてられようとしていた。

 

ローマ教会は神の恵みを商品にしていた。

両替人の台が祭壇のそばにおかれた(マタイ 21:12参照)。

そして、売買する者の声が

やかましくひびいた。

ローマに聖ペテロ教会を建設するための資金募集という名目のもとに、

法王の権威によって免罪符(贖宥状(しょくゆうじょう))が

公然と売り出された。

神を礼拝するための会堂が、犯罪の代価をもって建てられ、

その礎石が、不義の値をもって置かれようとしていた。

しかし、ローマの勢力拡大の手段そのものが、

ローマの権力と勢力に対して致命的打撃を与えるものとなった。

そして、これが、

法王制に対する最も手ごわい強敵を呼び起こし、

法王の座を動揺させてその頭上から

三重冠をつき落とすような戦いを招いたのであった。

欺瞞的な免罪符販売

ドイツにおいて免罪符の販売を委ねられたのは、

テッツェルという人であった。

彼は、社会と神の律法に対して、最も卑劣な犯罪を犯した人物であった。

しかし彼は、その犯罪の刑罰を免除されて、

法王の金銭ずくで

無節操な企てを促進するために雇われたのである。

彼は、非常なずうずうしさで、根も葉もないことを口にし、

無知でだまされやすい迷信的な人々を欺くために、

不思議な物語を聞かせた。

もしも人々が神の言葉を持っていたならば、

このように欺かれなかったことであろう。

聖書が人々の手に

与えられていなかったのは、

彼らを法王権の支配下において、

その野心的な指導者たちの

権力と富を増大するためであった。⑧

 

テッツェルが町に到着すると、

彼の前に使いの者が行って、

「神と法王の恵みが、あなたの門口に来た」と告げ知らせた。9

そして人々は、天から彼らのところに下った

神ご自身を迎えるかのように、

この冒涜(ぼうとく)もはなはだしい偽り者を歓迎したのであった。

汚らわしい売買が教会の中で行われ、テッツェルは説教壇に上って

免罪符をほめ上げ、これは神の最も尊い賜物であると言った。

彼は免罪符の功徳を述べて、

これを買う者は、

これから犯そうと思う罪もみな許される、

しかも「悔い改めさえ必要ではない」と言った。⑩

そればかりではなくて、彼は聴衆に、

免罪符は生きている者だけでなくて、

死者をも救う力がある、

金が箱の底に当たって音がした瞬間に、

それが支払われた魂は煉獄を逃れて天国に行くのである、

と保証した。⑪

 

魔術師シモンが、奇跡を行う力を、

使徒たちから金銭で買おうとした時に、ペテロは彼に答えて、

「おまえの金は、おまえもろとも、うせてしまえ。

神の賜物が、金で得られるなどと思っているのか」と言った

(使徒行伝 8:20)。

しかしテッツェルの申し出に対し、多くの人々は熱心に飛びついた。

金銀が彼の金庫に流れ込んだ。

悔い改めと信仰、そして熱心に努力して罪に抵抗し

勝利することによって得られる救いよりは、金で買うことができる

救いのほうが、たやすく得られるのであった(付録参照)。

 

免罪符の教義は、

ローマ教会の学識ある信心深い人々から反対されてきた。

そして、理性と啓示の両面から見ても非常に矛盾したこの主張を、

信じない人々も多かった。

この邪悪な売買に、あえて反対の声をあげる高位聖職者はいなかった。

しかし、人々の心は混乱し、不安になった。

そして多くの者は、神がだれかを起こして、

教会のきよめのためにお働きにならないであろうかと熱心にたずねた。

 

ルターは、依然として最も厳格な法王教徒であったが、

免罪符を扱う者たちの冒涜的な僣越(せんえつ)な態度に

激しい嫌悪(けんお)をおぼえた。

彼自身の会衆のなかにも、免罪符を買ったものが多くいた。

そしてまもなく、彼らは、

罪を悔いて改革したいという理由からではなくて、

免罪符を理由にして、司祭のところに来て罪を告白し、

許しを期待するようになった。

ルターは、彼らに許しを与えることを拒んだ。

そして、もしも彼らが悔い改めて生活を改めるのでなければ、

その罪のために滅びなければならないと警告した。

彼らは非常に当惑し、テッツェルのところへ行って彼らの聴

罪師が免罪符を拒否したことを訴え、

なかには大胆に返金を迫る者もあった。

テッツェルは激怒した。

彼は恐ろしいのろいの言葉をはき、町の広場に火をたかせて、

「自分は、この最も神聖な免罪符に反対する異端者

はみな火刑にする命令を、法王から受けている」

と宣言した。⑫

95か条の提題

今やルターは、

真理の闘士としての彼の仕事に、大胆に乗り出した。

彼は説教壇から、

熱心で厳粛な警告の声をあげた。

彼は人々に、罪のいまわしい性質を告げ、

人間は自分自身の行為によっては、

そのとがを減じることも罰を避けることもできないと教えた。

神に対する悔い改めと、キリストに対する信仰以外に、

罪人を救うことができるものはない。

キリストの恵みを買うことはできない。

それは、無償で与えられる賜物である。

彼は人々に、免罪符を買ったりしないで、

十字架につけられた贖い主を信仰をもって見つめることを勧めた。

彼は、自分が難行や苦行によって

救いを得ようとしたが得られなかった苦い経験を語り、

自分を見ないでキリストを信じることによって

平和と喜びを得たことを、聴衆にはっきり述べたのである。

 

テッツェルが売買と不敬虔な主張を続けたので、

ルターはこのはなはだしい悪弊に対して、

もっと効果的な抗議をする決心をした。

まもなく、その機会がやって来た。

ウィッテンベルクの城教会には多くの遺物があって、

祝祭日には一般に公開され、

その時に教会に出席して告白をする者はみな、

罪が完全に許されるのであった。

そのようなわけで、そういう祝祭日には、

人々がたくさん集まってきた。

祝祭日のうちで最も重要なものの1つで、

万聖(ばんせい)節というのが近づいていた。

その前日、ルターは、

すでに教会へと進んで行く群衆に加わって、

免罪符の教義に反対する

95か条の提題を書いた紙を扉にはった。

彼は、この提題に反対するすべての人に対して、

翌日大学において

喜んで答弁することを宣言した。

 

彼の提題は広く一般の注目をひいた。

人々はそれを何度も読み、各方面に伝えた。

大学や町全体に、

大きな興奮が起こった。

これらの論題は、罪を許し、

その罰を免除する力が、

法王にも他のどんな人にも与えられていないことを示していた。

そうしたたくらみ全体が、もともとまやかしごと

―人々の迷信に乗じて金を巻き上げるための策略―であって、

その偽りの主張に信頼するすべての者を滅ぼそうとする

サタンの計略であった。

論題はまた、キリストの福音は教会の最も価値のある宝であること、

そしてそこにあらわされた神の恵みは、

悔い改めと信仰とによって求めるすべての者に、

惜しみなく与えられるものであることを明示していた。

 

ルターの論題は討論を呼びかけた。

しかしだれもその挑戦に応じなかった。

彼が提出した問題は、数日のうちにドイツ全国に広まり、

数週間のうちには全キリスト教国に伝えられた。

教会内で一般に行われていた罪悪を見て、それを嘆いていたが、

その進行をどうやって止めるかを知らなかった

多くのローマ教徒たちは、論題を読んで非常に喜び、

そこに神の声を認めた。

彼らは、法王庁から発する

堕落の潮流を阻止するために、

神が恵み深いみ手をのべられたと感じた。

諸侯や長官たちも、自己の決定に対しては

他のだれの訴えをも入れないような尊大な権力が阻止されることを、

ひそかに喜んだ。

提題に対する反響

ところが、罪を愛する迷信的な群衆は、

彼らの恐怖を和らげていた詭弁が

一掃されて戦慄した。

悪賢い聖職者たちは、犯罪を是認する彼らの仕事が妨害され、

彼らの利益が危険にひんしたのを見て、大いに怒り、

その欺瞞(ぎまん)を擁護するために立ち上がった。

改革者は手きびしい告発に会った。 ある者たちは、

ルターが軽率に衝動的な行動を起こしたと言って非難した。

他の者たちは、彼を僣越であると非難し、

彼は神に導かれているのではなくて、

高慢とでしゃばりから行動したと言った。

ルターは答えて言った。

「だれでも、新しい意見を発表する時には、いかにも高慢に見え、

論争をひき起こすかのように非難されるのを知らない人があろうか。

・・・・なぜ、キリストとすべての殉教者たちは殺されたのか?

それは、彼らが、

その時代の知恵を高慢にも軽べつするように見え、

まず昔からの神託を謙そんに聞くことをせずに、

自分たちの新しい説を主張したからである。」

 

また、彼は言った。

「わたしのすることは、人間の思慮分別ではなくて、

神の勧告に基づいて行われる。

この働きが神のものであれば、だれがそれを止め得ようか。

もしそれが神のものでないならば、だれがそれを押し進め得ようか。

わたしの意志、彼らの意志、われわれの意志ではない。

天にいます、聖なる父よ、それは、あなたの意志であります。」⑬

 

ルターは聖霊に動かされて

彼の働きを開始したのであったが、

それを推進するためには激しく闘わなければならなかった。

敵の非難、彼の目的に対する誤解、

彼の品性や動機に対する

不正で悪意に満ちた非難などが、

洪水のように彼を襲い、彼はそれに悩まされた。

 

彼は、教会においても学校においても、

人々の指導者たちは喜んで彼と一致して改革のために

努力するものと確信していた。

高い地位の人々から受けた激励の言葉が、

彼に喜びと希望を与えた。

すでに彼は、

教会の輝かしい夜明けを予見していたのである。

それだのに、

激励は非難と有罪の宣告に変わった。

教会と国家の両方の高官たちの多くは、

彼の主張の真実であることを確信したけれども、

これらの真理を受け入れるならば大変化が起こることに、

すぐに気づいたのである。

人々を啓蒙し改革することは、事実上、ローマの権力を

くつがえすことであって、その金庫に流れ込んでいる

幾千の流れを止め、法王制の指導者たちの浪費とぜいたくを

大いに削減することになるのであった。

そればかりか、人々に、キリストだけに救いを仰ぎつつ、

責任ある人間として思考し行動するように教えることは、

法王の座をくつがえし、ひいては、

彼ら自身の権威をも失わせるのであった。

このようなわけで、彼らは、神から与えられた知識を拒んだ。

そして、神が彼らを啓蒙するためにお送りになった

人間に反対することにより、

キリストと真理とに対抗したのである。

 

ルターは自分自身を見た時震えおののいた。

ただ1人の人間が、地上最強の権力に反対しているのであった。

彼は、自分がほんとうに神に導かれて

教会の権威に対抗しているのかどうか疑う時もあった。

「地上の王たちと全世界がおそれおののく

法王の威光に反対するわたしは、いったいだれであろうか。

・・・・最初の2年間、わたしがどんなに苦しんだか、

また、どんな失望、いやどんな絶望に陥ったかは、だれにもわからない」

と彼は書いている。⑭

しかし彼は、落胆したまま放置されてはいなかった。

人間の支持を失った時、彼は、ただ神を仰いだ。

そして、その全能の腕にたよれば

絶対に安全であることを学んだ。

弾圧の動き

ルターは、宗教改革の友人に次のように書いた。

「われわれは研究や、知力によって聖書を理解することはできない。

まず第1になすべきは、祈って始めることである。

主が大きな憐れみによって、

主のみ言葉に対する真の理解を与えてくださるよう

祈り求めねばならない。

『彼らはみな神に教えられるであろう』

と神ご自身が言われたように、

神のみ言葉の解釈者は、この言葉の著者以外にはないのである。

自分自身の努力、自分自身の理解にたよらず、

全く神に頼り、神の霊の感化に頼るべきである。

これは、体験した者の言葉として、信じてほしい。」⑮

ここに、神は自分たちに、

現代に対する厳粛な真理を他の人々に伝えるよう

求めておられると感じる者への重大な教訓がある。

この真理は、サタンの憎しみと、

彼がたくらんだ作り話を愛する人々の憎しみをかき立てる。

悪の勢力との闘いにおいては、

知力や人間の知恵以上の

何物かが必要なのである。

 

敵が、習慣や伝説、あるいは法王の主張や権威に訴えた時に、

ルターは、聖書、しかも聖書のみをもって彼らに対抗した。

聖書には、彼らが答えることのできない論証があった。

そこで、形式主義と迷信の奴隷たちは、

ユダヤ人がキリストの血を求めたように、

彼の血を叫び求めた。

ローマの熱心党は叫んだ。

「彼は異端だ。このような恐ろしい異端者を

1時間でも生かしておくことは

教会に対する大逆罪である。

直ちに彼の処刑台を作ろう。」⑯

しかし、ルターは彼らの怒りの犠牲にならなかった。

神は、彼がなすべき仕事を持っておられた。

そして、彼を守るために天使が送られた。

しかし、ルターから尊い光を受けた多くの者が、

サタンの怒りの目標となって、

真理のために恐れることなく責め苦に会い、殺された。

 

ルターの教えは、

ドイツ全国の識者の注意を引いた。

彼の説教と著書から光が輝き出て、

幾千という人々を目覚めさせ啓発した。

生きた信仰が、教会を長い間縛っていた生気のない形式主義に

取って代わりつつあった。

人々は、日ごとに、

ローマ教の迷信を信じなくなった。

偏見の防壁がくずれつつあった。

ルターがすべての教義と

すべての主張を吟味した神の言葉は、

人々の心をえぐるもろ刃の剣のようであった。

至る所で

霊的向上の欲求が起こった。

長年起こったこともないような、

義に対する飢えと渇きが至る所に起こった。

長い間、人間の儀式と地上の仲保者に向けられていた人々の目が、

今や悔い改めと信仰をもって

キリストと彼の十字架とに向けられた。

 

このような関心が広く行きわたったことは、

なおいっそう法王側の当局者たちを恐れさせた。

ルターは、異端の訴えに答えるために

ローマに出頭せよという命令を受けた。

彼の友人たちは、この命令に震えおののいた。

彼らは、すでにイエスの殉教者たちの血を飲んだ

あの腐敗した都において、

どんな危険が彼を待っているかをよく知っていた。

彼らは、ルターがローマへ行くことに反対し、

彼がドイツにおいて調べを受けるように願い出た。

メランヒトンの協力

この取り決めは、ついに実現することになり、

法王の使節が、取り調べのために任命された。

法王からこの使節に伝えられた指示によれば、

ルターはすでに異端者として宣告されていた。

それゆえに使節は、

「直ちに起訴して、身柄を拘束する」ように命じられていた。

もしも彼が自分の説を固守して譲らず、

また使節が

彼を逮捕しそこねた時には、

「ドイツ全国において、ルターから法律の保護を奪い、

彼についた者をみな、

追放し、のろい、破門する」権限が彼に与えられていた。⑰

そればかりでなくて、法王は、この危険な異端を根絶するために、

ルターと彼の支持者たちを捕えてローマの裁判所に送ることを

怠ったものは、皇帝を別として、

教会や国家のどんな高官であろうとも

すべての者を破門するように、使節に命じた。

 

ここに法王教の真の精神があらわれている。

この記録全体のなかに、キリスト教の原則の痕跡(こんせき)どころか、

一般の正義の痕跡さえみられない。

ルターは、ローマから遠く離れており、

自分の立場を説明したり弁護したりする機会がなかった。

にもかかわらず、彼は、その事件が調査される前に、

即刻異端の宣告を受け、しかもその同じ日に、

戒告、告訴、裁判、判決を受けている。

そしてこうしたことはすべて、

教会あるいは国家において唯一で最高の無謬(むびゅう)の権威をもつ

聖なる父と自称する者によって行われたのである。

 

ルターが真の友の同情と勧告を大いに必要としていたこの時に、

神は摂理のもとに、

メランヒトンをウィッテンベルクに送られた。

メランヒトンは、年は若く、謙そんでひかえめな態度の人であったが、

彼の公正な判断、該博な知識、人を引きつける雄弁は、

彼の高潔で厳正な品性とともに、一般の賞賛と尊敬を受けた。

彼は優れた才能に恵まれていたが、

その温順な性質のほうが目立っていた。

彼はまもなく、福音の熱心な使徒となり、

ルターの最も信頼する友、

貴重な支持者となった。

彼の温順慎重できちょうめんな活動は、

ルターの勇敢で精力的な面をよく補った。

彼らが協力したことは宗教改革に力をそえ、

ルターにとって、大きな励ましの源であった。

法王使節による審問

審問の場所はアウグスブルクに決まり、

改革者ルターは

徒歩でそこへ出発した。

人々は、彼の身の安全を憂慮した。

途中で彼を捕えて殺害するという脅迫が公然と行われていたので、

彼の友人たちは行かないようにたのんだ。

彼らはルターに、しばらくウィッテンベルクを離れて、

彼を快く保護してくれる者のところに避難するように勧めさえした。

しかし、彼は、

神が彼を置かれた場所を離れようとしなかった。

どんなあらしが吹きよせようとも、

彼は忠実に真理を保持し続けなければならなかった。

彼は次のように言った。

「わたしは、争いと闘争の人、エレミヤのようである。

しかし、彼らが激しく脅迫すればするほど、わたしの喜びは増し加わる。

・・・・彼らはすでに、わたしの名誉と評判を傷つけた。

ただ1つだけ残っている。

それはわたしの哀れな体である。

これを持っていくがよい。

こうして彼らは、わたしの命を数時間縮めることができよう。

しかし彼らは、わたしの魂を取ることはできない。

キリストの言葉を世界に宣言しようとするものは、

いつでも死を覚悟しなければならないのだ。」⑱

 

ルターがアウグスブルクに到着したという知らせは、

法王の使節を大いに満足させた。

全世界の注目を集めたやっかいな異端者が、

今やローマの権力のもとに入ったように思われたので、

使節は彼を逃がすまいと決心した。

ルターは、通行券を手に入れていなかった。

彼の友人たちは、

それを持たずに使節の前に出ることがないように強く勧告し、

彼ら自身が、それを皇帝から入手するようにした。

使節は、できればルターを強いて自説を撤回させようとし、

もしそれができない場合には、彼をローマへ送り、

フスやヒエロニムスと同じ運命に陥れようとしていた。

そこで彼は、彼の部下を用いて、

ルターを通行券なしで出頭させ、

彼の手中に身をゆだねさせようとした。

ルターは、そうすることを断然拒否した。

彼は、皇帝の保護を保証する文書を受け取るまでは、

法王使節の前に出なかった。

 

法王側は策の1つとして、

うわべの穏やかさでルターを説き伏せようとした。

使節は彼との会談において、

非常に友好的な態度を示した。

しかし、彼は、ルターが教会の権威に絶対的に服従すること、

そして、議論や質問の余地なくすべての点において

服従することを要求した。

彼は、自分が相手にしなければならない人物の性格を、

正しく評価していなかった。

ルターは、それに答えて、教会に対する彼の関心、

真理に対する願いを述べた。

そして、彼が教えたことに対する反対には、すべて答える用意があり、

また、どこかの有力な大学に彼の教説の検討を

ゆだねる用意があると言った。

しかし彼はそれとともに、彼の誤りを証明もせずに

取り消しを要求する枢機卿のやり方に抗議した。

 

唯一の返答は、「取り消せ、取り消せ」ということだけであった。

ルターは、彼の主張が聖書に支持されたものであることを示し、

真理を破棄できないことを断言した。

法王使節は、ルターの議論に反論できなかった。

そこで彼は、言い伝えや教父たちの言葉を引用しながら、

激しく責め、あざ笑い、

またへつらいなどして、

ルターに話す機会を与えなかった。

このような状態で会議を続けても何もならないので、

ルターは、ついに、彼の答弁を文書によって提出する

許可をやっとのことで受けることができた。

 

「こうすることにより、

圧迫を受けている者は二重の利益を受ける。

第1に、書いたものを

他の人々の判断に訴えることができる。

次に、高慢な言葉によって圧倒しようとする横柄(おうへい)で

多弁な暴君の良心に訴えないとしても恐怖心を起こさせ得る」

とルターは、友人に書いて言った。⑲

ルターの弁明

次の会見において、ルターは、数多くの聖句の引用によって

十分に支持された、

彼の主張の簡潔明瞭で力強い説明を提示した。

彼は、この論文を、大声で読んだあとで、枢機卿に手渡した。

しかし、彼は、それを軽べつして投げすて、

むだな言葉と無関係な引用を集めたものにすぎないと宣言した。

そこでルターは、敢然と立ち、

高慢な枢機卿自身の立場―言い伝えと教会の教え―から論じて、

彼の憶説を完全に粉砕した。

 

法王使節は、ルターの論法に勝てないのを見て、

自制心を失い、激怒して叫んだ。

「取り消せ!さもないと、わたしはおまえをローマに送り、

おまえの件を審理するように命じられた裁判官たちの前に立たせる。

わたしは、おまえとおまえの仲間、そして、

いつであろうとおまえを支持する者は

みな破門し、教会から追放する。」

そして最後に彼は、怒気を帯びた高慢な大声をあげて、

「取り消せ。さもないと2度と帰るな」と宣言した。⑳

 

ルターは直ちに、友人たちと退場し、

彼が取り消す意志のないことを明らかに宣言した。

これは、枢機卿が意図していたことではなかった。

彼は、暴力に訴えてルターを従わせることができると

安易に考えていた。

こうして、自分の側の支持者だけと取り残された彼は、

自分の計画の予期しない失敗をひどく無念がって、

みなの顔を見まわした。

 

この時のルターの奮闘は、

良い結果をもたらさずにはおかなかった。

その場にいた多くの人々は、2人の人間を比較する機会が与えられ、

彼らの立場の力強さと真実性とともに、

彼らのあらわした精神を自分たちで判断することができたのである。

それらは、なんと著しく異なっていたことであろう。

ルターは、そぼくで謙そんで、神の力によって堅く立ち、

真理の側にあった。

しかし、法王の使節は、尊大で横柄、高慢で無分別で、

聖書に基づいた議論は1つもせずに、

ただ、激しく、「取り消せ、さもないとローマに送られて罰せられる」

と叫んでいた。

ザクセン侯フリードリヒによる保護

ルターは通行券を得ていたにもかかわらず、

法王側は彼を捕えて投獄しようとしていた。

彼の友人たちは、これ以上彼がとどまっていても無益なので、

直ちにウィッテンベルクに帰り、

彼の意向を極秘にしておくために

細心の注意を払うようにと勧めた。

そこで彼は、

長官がつけてくれた案内人1人をつれて、

夜明け前に、アウグスブルクを馬に乗って出発した。

彼は、さまざまな予感を抱きながら、

静まりかえった暗い町の通りをひそかに急いだ。

残酷で油断のない敵は、彼をなきものにしようと策動していた。

果たして彼は、彼らのわなを逃れることができるであろうか。

この時こそ、非常な心配と熱心な祈りの時であった。

彼は、町の城壁の小さな門に到着した。

門は彼のために開かれ、彼は道案内とともに、

なんの妨げも受けずに通りぬけた。

こうして安全に外に出るや、彼らは急いで逃げ去った。

そして、法王使節がルターの出発を聞く前に、

彼は迫害者たちの手のとどかないところに行っていた。

サタンと彼の使者たちは敗北した。

ちょうど、1羽の鳥が捕獲者のわなを逃れたように、

彼らは手中におさめたと思った者を逃がしてしまったのである。

 

ルターの逃亡の知らせを聞いて、法王使節は驚きと怒りに度を失った。

彼は、教会を騒がせるこの者を、賢明に、

かつ断固として処置することによって、

大きな栄誉を受けることを期待していたのであった。

しかし、彼の希望はかなえられなかった。

彼は、ザクセン(サクソニア)の選挙侯フリードリヒに

手紙を書いて憤りをもらし、激しくルターを非難し、

フリードリヒがルターをローマに送るか、

それともザクセンから追放することを要求した。

 

ルターは、自分を弁護して、

使節または法王が聖書に基づいて彼の誤りを示すよう求め、

もし彼の教義が神のみ言葉と矛盾していることを示し得るならば、

彼はそれらを放棄するときわめて厳粛に誓った。

そして、彼は、このような聖なる運動のために

苦しむに足るものとされたことを神に感謝した。

 

選挙侯は、

まだ改革の教義についての知識はほとんどなかったが、

ルターの率直で力強い明快な言葉に深く感動した。

そして、ルターが誤っているということが証明されるまで、

フリードリヒは彼の保護者となる決心をした。

法王使節の要求に答えて、彼は次のように書いた。

「『アウグスブルクにおいて、マルチン博士が

あなたの前に出頭したのであるから、それで満足されるべきである。

われわれは、あなたが彼の誤りを説得せずに

取り消しを迫るとは考えていなかった。

わが国の識者はだれ1人として、マルチン博士の教義が、

不敬、反キリスト教的、あるいは異端的であるとは言っていない。』

さらに、選挙侯は、

ルターをローマに送ること、

あるいは彼の国から追放することを拒否した。」㉑

 

選挙侯は、

社会の遵徳的抑制が一般に崩れつつあるのを見た。

改革の一大事業が必要であった。

もしも人々が神の律法を認めて従い、

啓発された良心の命令に従うならば、

複雑で広範囲に及ぶ禁令や罰則は

不必要になるのであった。

彼は、ルターがこの目的を達成するために

活動しているのを認め、

教会内に良い感化が及んでいるのを心ひそかに喜んだ。

 

 

彼はまた、ルターが大学の教授として

大いに成功を収めているのを認めた。

ルターが城教会に彼の論題を掲示してから

1年が経過しただけであるが、

すでに万聖節の時に教会に出席する巡礼の数は、

いちじるしく減少した。

ロ―マの礼拝者と献金は減少したが、

そのかわりに別の階層の人々がウィッテンベルクにやって来た。

彼らは聖遺物を崇拝する巡礼者たちではなくて、

大学の教室を満たすところの学生たちであった。

ルターの著書は、至る所で、

聖書に対する新しい興味をよび起こし、

ドイツ全国からだけでなく、

他の国々からも学生が大学に群がって来た。

ウィッテンベルクを初めて望み見た青年たちは、

「彼らの手を天にあげ、むかしのシオンからのように、

この町から真理の光が輝き出るようになったことを神に感謝した。

その光は、ここから、

最も遠い国々にまで広がったのであった。」㉒

改革運動の進展

ルターは、まだローマ教の誤りから部分的に改宗したにすぎなかった。

しかし、聖書を法王の教書や法典と比較した時に、

彼は、驚きに満たされた。

「わたしは、今、法王の教書を読んでいる。そして、・・・・

法王が反キリスト自身であるのか、それとも彼の使徒であるのか、

わたしは知らない。だがキリストは、教書のなかで、

はなはだしく誤り伝えられ、十字架につけられている」

と彼は書いた。㉓

しかしルターは、この時はま

だローマ教会の支持者であって、

その教会の交わりから分離することなど考えてもいなかったのである。

 

ルターの著書と教義とは、

全キリスト教国に広がっていった。

運動は、スイスとオランダにも広がった。

彼の著書の何冊かは、フランスとスペインにも入っていった。

英国では、彼の教えは生命の言葉として迎えられた。

真理は、ベルギーやイタリアにも及んだ。

幾千のものが、死んだような眠りから、

信仰生活の喜びと希望とに目覚めつつあった。

 

ルターの攻撃によって、ローマはますます激怒した。

そして、彼の熱狂的な敵たちのあるもの、

また、カトリック大学の博士たちでさえ、

この反逆的修道士を殺しても罪にならないと宣言した。

ある日、1人の見知らぬ人が、ピストルを外套の下に隠して、

ルターに近づき、なぜこのように1人で歩いているのかを聞いた。

ルターは答えて、

「わたしは、神の手の中にある。神はわたしの力、わたしの盾である。

人間はわたしに何をすることができようか」と言った。㉔

この言葉を聞いて、見知らぬ

人は真っ青になり、天使の前から逃げるように、去っていった。

 

ローマは、ルターをなきものにしようとしていた。

しかし、神が彼の防御であった。

の教義は至る所の「民家に、修道院に・・・・

貴族の城に、大学に、そして王の宮殿に」伝えられた。

そして、貴族たちは、

彼の運動を支持するために立ち上がっていた。㉕

 

ちょうどこのころ、ルターはフスの著書を読み、

彼自身が支持し教えていた信仰による義という大真理が、

ボヘミアの改革者によって

唱えられていたことを知ったのである。

「パウロ、アウグスティヌス、そしてわたしは、

知らずしてフス派であった」とルターは言った。

「真理は1世紀前に伝えられ、しかも焼かれたことに対して、

神は必ず世界を裁かれるであろう」と、彼は続けた。㉖

改革運動の危機

キリスト教の改革についてドイツの皇帝と貴族とに訴えた中で、

ルターは、法王のことを次のように書いた。

「キリストの代理であると自分で主張する人間が、

どんな皇帝も及ばないような豪華さを誇示するのを見るのは、

恐るべきことである。この者は、貧しいイエス、

または謙そんなペテロに、似ているであろうか。

人々は、彼が世界の主であると言っている。

しかし、彼が、代理者であると誇っているキリストは、

『わたしの国はこの世のものではない』と言われた。

代理者の国は、彼の主の国より広くてよいであろうか。」㉗

 

彼は、大学について、このように書いた。

「大学というところは、聖書を説明し、

それを青年たちの心に刻みこむために熱心に努力するのでなければ、

地獄の大きな門になってしまうのではないかと、わたしは恐れる。

わたしは、だれも聖書が最高位を占めていないところに

子供を送らないよう勧告する。

人々が神の言葉を絶えず研究していない学校は、

すべて腐敗するにきまっている。」㉘

 

こうした訴えは、速やかにドイツ全国に配布され、

人々に強力な影響を及ぼした。

全国民が奮い立ち、

群衆は改革の旗のもとに結集した。

ルターの敵たちは、復讐の念に燃え、

彼に対して断固とした処置をとるように、法王に迫った。

そこで、彼の教義を直ちに禁止する命令が出された。

ルターと彼の支持者たちには、

60日間の猶予が与えられた。

そして、もしその後も取り消さないならば、

彼らはみな破門されるのであった。

 

これは、宗教改革にとって、非常な危機であった。

幾世紀の間、ローマの破門宣告は、

有力な君主たちを震えあがらせ、

強力な帝国を悲嘆と荒廃に陥れてきた。

破門された人々は、

一般の人々から恐怖と嫌悪の情をもって見られ、

仲間との交際を絶たれ法律の保護外のものとされて、

かり出されて処刑されるのであった。

ルターは、彼のまわりに吹き荒れる

暴風雨に気づかないわけではなかった。

しかし彼は堅く立って、キリストが彼の支持者であり盾であることを信じた。 殉教者の信仰と勇気をもって、彼は次のように書いた。

「何が今起ころうとしているか、わたしは知らない。

また知ろうとも思わない。・・・・どこに打撃が加えられようとも、

わたしは恐れない。木の葉1枚でも、神のみ心でなければ落ちないのだ。

まして神は、われわれをどんなにみ心にとめておられることであろう。

肉体をとって来られたみ言葉イエスご自身が

なくなられたのであるから、み言葉のために死ぬことは何でもない。

もしわれわれが彼と共に死ぬならば、彼と共に生きるのである。

そして、彼がわれわれに先だって通られたものをわれわれも通り、

われわれは彼がおられるところへ行き、

彼と共に永遠に住むのである。」㉙

 

法王の教書がルターのところに到着した時に、彼は言った。

「わたしはこれを、不敬で虚偽のものとして軽べつし、排撃する。・・・・

ここで罪に定められているのは、キリスト、、、、ご自身である。・・・・

わたしは、最大の事業のために

このような苦難に会うことを喜びとする。

わたしはすでに、心の中に大きな自由を感じている。

なぜなら、わたしはついに、法王が反キリストであって、

彼の座はサタン自身の座であることを知ったからである。」㉚

ローマ教会との最後的分離

しかしローマの命令は、影響を及ぼさずにはいなかった。

投獄、拷問、剣は、

服従を強いる有力な武器であった。

弱く迷信的な人々は、法王の教書の前で震えた。

概して人々はルターに対して同情的ではあったが、

生命を改革事業にかけることは

あまりにも惜しいと思う者が多かった。

万事は、ルターの事業が、

にも終わろうとすることを示すように思われた。

 

しかしルターは、びくともしなかった。

ローマは、彼を破門した。

そして世界は、彼が死ぬか、

それとも服従を強制されるかするに違いない、と思って見ていた。

しかし彼は、恐るべき力をもって、教会に有罪の宣告を投げかえし、

永遠に教会と分離する決意を公然と宣言した。

ルターは、大勢の学生たちや博士たち、

そしてあらゆる階層の一般市民たちの目の前で、

法王の教書を、教会法規や教令集、

また法王権を支持する文書類とともに焼き捨てた。

「わたしの敵たちは、わたしの著書を焼くことによって、

一般の人々の心の中での真理の働きを妨げ、

彼らの魂を滅ぼそうとした。それだから、わたしも彼らの著書を焼く。

重大な闘いが、今始まったのである。

これまで、わたしはただ法王と遊戯をしていたに過ぎなかった。

わたしは、この仕事を神の名によって始めた。

それは、わたしがいなくても、神の力によって終了するであろう。」㉛

 

ルターの運動の勢力の弱さをあざけった敵の非難に答えて、

ルターは言った。

「神の選びと召しがわたしになく、

わたしを軽べつしても神ご自身を軽べつすることになる恐れはないと、

いったいだれが知り得ようか。

エジプトを去ったモーセは、ただ1人であった。

アハブ王の治世において、エリヤは1人であった。

イザヤは、エルサレムで1人であった。

エゼキエルは、バビロンにおいて1人であった。・・・・

神は、大祭司とか、他の偉大な人物を預言者に選ばれなかった。

神は、たいてい、身分の低い卑しめられた人を選び、

ある時は、羊飼いアモスをさえ選ばれた。

各時代において、聖徒たちは、

偉大な人々、王、貴族、祭司、賢者などを、

命がけで譴責したのである。・・・・

わたしは、自分が預言者であるとは言っていない。

しかし、彼らは、わたしが1人であり彼らが多数であるという

そのことを恐れるべきである。

わたしは、自分の側に神の言葉があり、

彼らの側にはないことを確信している。」㉜

 

とは言うものの、ルターが教会から最終的に分離する

決心をするまでには、激しい闘いを経なければならなかった。

ちょうどこのころ、彼は次のように書いた。

「わたしが子供の時から教えられたことを捨て去ることが、

どんなに困難なことであるかを、毎日、いよいよ強く感じる。

たとえ、わたしの側にわたしを支持する聖書があっても、

わたしがあえてただ1人立って法王に反対し、

彼を反キリストと呼ぶことは、なんとわたしを苦しめたことであろう。

わたしの心の悩みは、なんと激しかったことであろう。

『お前だけが正しいのか。他のすべての者は間違っているのか。

結局間違っているのがおまえ自身で、

多くの魂をおまえの誤りに引き入れているとすれば、どうするのか。

永遠の罰を受けるのはだれか。』

という法王側からたびたび聞かれた質問を、

わたしは何度くり返して自問し、心を痛めたことであろう。

こうして、わたしは自分自身と闘い、サタンと闘った。

そして、ついにキリストが、彼ご自身の誤ることのない言葉で、

わたしの心を強め、これらの疑念に勝たせてくださったのである。」

 

法王は、ルターが取り消さなければ破門すると脅していたが、

それが実行に移された。

新しい教書が出され、ルターがローマ教会から分離したことを

宣言するとともに、彼が天ののろいを受けたものであると非難した。

そして、彼の教義を信じる者はみな、

同じ宣告下に置かれるのであった。

大いなる闘いは、いよいよ本格的に始まった。

改革者の宿命

それぞれの時代において、その時代に特に適切な

現代の真理を伝えるために神に用いられる者は、

すべて、反対に会わなければならない。

ルターの時代には、現代の真理、すなわち、

その時代において特別重要な真理があった。

今日の教会のためにも現代の真理がある。

みこころのままに万事を行われる神は、

人々をさまざまの事情のもとにおいて、

その時代、また、彼らがおかれた状態に応じた

特殊な任務をお命じになる。

もし彼らが、与えられた光を尊重するならば、

真理に対するいっそう明らかな理解が与えられる。

しかし、真理は、法王教徒たちがルターに反

対したように、今日も多数の者の歓迎を受けないのである。

昔と同様に、

神の言葉の代わりに人間の理論や伝説を

受け入れるという同じ傾向がある。

この時代の真理を伝える者は、

初期の改革者たちより

歓迎されると期待してはならない。

真理と誤謬、キリストとサタンとの間の大争闘は、

この世界の歴史の終わりまで、

激しさを増すのである。

 

イエスは、彼の弟子たちに次のように言われた。

「もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、

この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。

しかし、あなたがたはこの世のものではない。

かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。

だから、この世はあなたがたを憎むのである。

わたしがあなたがたに『僕はその主人にまさるものではない』

と言ったことを、おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、

あなたがたをも迫害するであろう。また、もし彼らがわたしの言葉を

守っていたなら、あなたがたの言葉をも守るであろう」(ヨハネ 15:19、20 )。

また一方、主は次のように言明された。

「人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。

彼らの祖先も、にせ預言者たちに対して同じことをしたのである」

(ルカ 6:2 6 )。

この世の精神は、今日も昔と同様に、

少しもキリストの精神と調和してはいない。

そして、神のみ言葉をそのまま純粋に説く者は、

昔以上の歓迎を受けることはない。

真理に対する反対の形態は変わり、巧妙になって、

公然と敵意を表わすことはないかもしれない。

しかし、同じ敵対心が依然として存在し、

時の終わりに至るまで表わされる。

 

第7章 注

①D' Aubigne, b.2, ch.2.

②Ibid.

③Ibid., b.2, ch.3.

④Ibid., b.2, ch.4.

⑤Ibid., b.2, ch.6.

⑥Ibid.

⑦D' Aubigne, b.5, ch.2.

⑧John C. L. Gieseler, "A Compendium of Ecclesiastical History," par.4, sec.1,par.5.

⑨D' Aubigne, b.3, ch.1.

⑩Ibid.

⑪K. R. Hagenbach, "History of the Reformation," vol.1, p.96.

⑫D'Aubigne, b.3, ch.4.

⑬Ibid,, b.3, ch.6.

⑭Ibid.

⑮Ibid., b.3, ch.7.

⑯Ibid., b.3, ch.9.

⑰Ibid., b.4, ch.2.

⑱Ibid., b.4, ch.4.

⑲Martyn, "The Life and Times of Luther," pp.271, 272.

⑳D' Aubigne, London ed., b.4, ch.8.

㉑D' Aubigne, b.4, ch.10.

㉒lbid.

㉓lbid., b.5, ch.1.

㉔lbid., b.6, ch.2.

㉕lbid.

㉖Wylie, b.6, ch.1.

㉗D' Aubigne, b.6, ch.3.

㉘lbid.

㉙lbid., 3d London ed., Walther, 1840, b.6, ch.9.

㉚D' Aubigne, b.6, ch.9.

㉛lbid., b.6, ch.10.

㉜lbid.

㉝Martyn, pp.372, 373.

【 第8章 われここに立つ―国会におけるルター 】

カール5世の即位と国会の召集

新皇帝カール5 世(チャールズ5世)がドイツの帝位についた。

するとローマの使節は、急いで祝いの言葉を述べると共に、

彼の権力を用いて宗教改革を押えつけるように勧めた。

他方、カールが帝位につくに当たって

大いに力があったザクセンの選挙侯は、

ルターに発言の機会を与えるまでは

どんな処置もとらないように嘆願した。

こうして、皇帝は、非常な当惑と苦境に立たされた。

法王側は、

ルターに死刑を宣告する勅令が出なければ満足しなかった。

選挙侯は、

「皇帝もまた他のだれも、ルターの著書に反論していない」

と断固として言明し、

それゆえに、

「ルターは通行券を与えられて、学識のある、

敬虔(けいけん)で公平な裁判官による

法廷に出頭できるようにすべきである」

と願い出た。①

 

すべての党派の注目は、

カールの即位後まもなく

ウォルムスで開かれたドイツ国会に注がれた。

ドイツの諸侯たちの多くは、

審議のために初めて若い皇帝に会見するのであり、

この国会において審議すべき

重要な政治問題やその他の案件があった。

祖国のあらゆる地方から、

教会と国家の高官たちが集まった。

高貴の生まれで、勢力を持ち、

世襲の権利を主張して譲らない領主たち、

階級と権力における優越感に意気揚々としている威厳ある聖職者たち、

優雅な騎士たちとその武装した家臣たち、

外国や遠国の大使たちなどが、みなウォルムスに集まった。

しかし、この大会議において、

最も興味深い問題は、ザクセンの改革者ルターの件であった。

 

カールはこれ以前に、選挙侯にむかって、

ルターを同伴して国会に来るよう指示し、彼に対する保護と、

問題点に関し資格ある人物と自由に討議することとを

約束していたのであった。

ルターは、皇帝の前に出ることを切望していた。

この時、彼の健康は非常に損なわれていたが、

しかし彼は選挙侯に次のように書いた。

「もしわたしが健康な体でウォルムスに行くことができなければ、

病気のまま運ばれて行きたいと思います。

というのは、もし皇帝がわたしを召しておられるなら、それは神ご自身の召しであることを、わたしは疑うことができないからです。

もし彼らがわたしに暴力をふるうようなら、そしておそらくそうすることでしょうが(なぜなら彼らがわたしに出頭を命じるのは、わたしから教えを受けるためでないからです)、わたしはこれを主のみ手にゆだねます。

燃える炉の中から3人の青年を救い出された神は、

なお生きて支配しておられます。

もし神がわたしをお救いにならなくても、

わたしの命など取るに足りないものです。

ただ福音がよこしまな人々のちょう笑を受けることがないように

努めましょう。彼らが勝利を得ることのないように、

わたしたちは福音のために血を流しましょう。

すべての人の救いのために最も貢献するのは、わたしの命であるか、

それとも死であるか、それを決定するのはわたしではありません。

・・・・あなたはわたしにどんなこと

でも期待なさってけっこうです。・・・・

ただし、逃げることと信仰を取り消すこと以外は。

逃げることなど、わたしにはできませんし、

まして、取り消すことなどできません。」②

法王使節による攻撃

ルターが議会に姿を現わすという知らせがウォルムスに伝わると、

各方面で大騒ぎとなった。

今回の事件を特に委任されていた法王使節アレアンダー

(アレアンドロ)は、驚き、憤激した。

彼は、その結果が、

法王側にとっては破滅的であるのを認めた。

法王がすでに宣告を下した件について

取り調べを始めることは、

法王の権威を軽べつすることであった。

そればかりでなく、

彼は、ルターの雄弁で強力な議論によって、

諸侯たちの多くが法王側から引き離されることを懸念した。

それゆえに、彼は、ルターがウォルムスに来ないように、

激しくカールに諫言(かんげん)した。

このころ、

ルターの破門を宣言した教書が公布された。

使節の申し入れとともに、

この教書は、皇帝を屈服させた。

皇帝は選挙侯に、もしルターが取り消さないならば、

彼はウィッテンベルクにとどまっているべきであると書き送った。

 

アレアンダーは、この勝利で満足せず、

ルターを罪に定めるために、ありとあらゆる権力と策略を用いた。

彼は、非常なしつこさで、諸侯や高位聖職者、

そしてその他の議員たちの注意をこの問題に引き、

ルターに、「扇動、反逆、不敬、冒涜(ぼうとく)」の罪をきせた。

しかし、法王使節のあらわした激しい感情は、

彼がどんな精神に動かされているかを

あまりにも明らかにした。

「彼は、熱意と敬神というよりは、

憎しみとふくしゅうの念に動かされている」と

一般の人々は言った。③

議会の大部分の人々は、

これまでになくルターに好意を示した。

 

アレアンダーは、ますます熱心に、

法王の布告を実行すべきことを皇帝に迫った。

しかし、ドイツの法律によれば、

これは諸侯たちの同意を得ずにすることができなかった。

そこでカールは、法王使節のしつこい

要求に負けて、彼にその件を議会に提出することを命じた。

「それは法王使節にとって誇らしい日であった。

大会衆が集まっていたが、事件はさらに重大なものであった。

アレアンダーは、すべての教会の母であり女主人である

ローマのために、訴えるのであった。」

彼は、集まったキリスト教諸国の前で、

ペテロの首位権を擁護するのであった。

「彼は雄弁の才を持っていた。

そして、この重大な時機に立ちいたった。

ローマが罪に定められるに先だって、荘厳きわまる法廷において、

ローマの第一流の雄弁家が現われて訴えることは、

神の摂理であった。」④

ルターに好感を持っていた人々は、

アレアンダーの演説の結果にいくぶんか不安を抱いた。

ザクセンの選挙侯は出席していなかったが、

顧問官たちに命じて出席させ、

法王使節の演説を筆記させた。

 

アレアンダーは、学識と雄弁のかぎりをもって、

真理をくつがえそうとした。

彼はルターを、教会と国家の敵、また、

生ける者と死せる者との、聖職者と信徒との、

公会議と個々のキリスト者との、敵であると告発し続けた。

「ルターの誤りは、10万の異端者」を

焼くに匹敵するものであると彼は宣言した。

 

最後に彼は、

改革主義の信仰を支持する人々を軽べつしようとした。

「これらルター派とは、いったい何であろうか。

彼らは無礼な教師、腐敗した司祭、自堕落な修道士、

無知な弁護士、堕落した貴族といった連中と、彼らが誤らせ、

邪道に導いたところの民衆である。

彼らに比べてカトリックの側は、その数、

能力、権力において、なんと優れていることであろう。

このはなばなしい会議における満場一致の布告は、

愚かな者の目を開き、軽率な者に警告を与え、

迷っている者に決心を与え、

弱い者に力を与える。」⑤

 

各時代における真理の擁護者たちは、

こうした武器によって攻撃されてきたのである。

確立された誤りに反対して、神のみ言葉の明白で直接的な

教訓をあえて提示するものはみな、今でも同じ議論に迫られる。

「これらの新しい教義の説教者たちは、いったいだれであるか」と、

受けのよい宗教を望む人々は叫ぶ。

「彼らは、無学で少数の貧民階級である。

それだのに彼らは、

自分たちは真理を持ち、

神の選民であると主張する。

彼らは、無知で欺かれているのだ。

われわれの教会は、数においても、勢力においても、

なんとはるかに優れていることであろう。

われわれの中には、なんと多くの偉人や学者がいることであろう。

われわれの側には、なんと大きな力があることだろう。」

このような議論は、

世界に対して効果的な影響力を持っている。

しかしそれは、ルターの時代におけると同様に今日においても、

決定的な議論ではないのである。

 

宗教改革は、多くの者が考えているように、

ルターの時代をもって終わったのではない。

それはこの世界の歴史の終末まで続くのである。

ルターは、神が彼の上に照らしてくださった光を他に反映して、

大事業をしなければならなかった。

しかし彼は、世界に与えられるはずの光を、

全部受けたのではなかった。

その当時から今に至るまで、

新しい光が絶えず聖書を照らし、

新しい真理が常にあらわされてきたのである。

議会を導かれる神の力

法王使節の演説は、

議会に深い印象を与えた。

そこには、明快で説得力のある神のみ言葉の真理を提示して法王側の闘士を打ち負かすルターはいなかった。

ルターを弁護しようとする者もいなかった。

ルターとその教義を罪に定めるだけでなくて、

できれば異端を根絶しようという

一般的な傾向が出てきた。

ローマは、その主張を弁護する

絶好の機会を得たのであった。

自己を擁護するために言うべきことは、すべて言ってしまっていた。

しかし、一見勝利と思われたことが、敗北のしるしであった。

今後、公然たる戦いの場において争われるときに、

真理と誤謬(ごびゅう)の対照はいっそう明らかに見られるのであった。

この時以後ローマは、決してこれまでのように

安全に立つことはできないのであった。

 

国会の議員たちの大部分は、

ルターをローマの報復の手に

引き渡すことをためらわなかったとはいえ、

多数の者は、教会内に行われる堕落を認めて嘆き、

教権制度の貪欲(どんよく)と腐敗のためにドイツ国民が

こうむってきた虐待を止めたいと望んだ。

法王使節は法王の支配を、

最も都合のよさそうな見地から提示していた。

ここで主は、国会の1議員を動かして、

法王の暴政の結果をありのままに描かせられた。

ザクセンのゲオルク公爵は、集まった貴族たちの前で、

断固とした気高い態度で立ち上がり、法王制の欺瞞(ぎまん)と悪虐と

その悲惨な結果とを、恐るべき正確さで指摘した。

彼は、最後に次のように言った。

 

「これらは、ローマがそのために非難されているところの

悪弊の一部である。そこには恥も外聞もない。

彼らの唯一の目的は、・・・・金、金、金である。

したがって、真理を語るべき説教者たちは、虚偽のほかは何も語らず、

しかもそのことが黙認されているだけでなく、報賞にあずかっている。

それは、彼らの虚偽が大きければ大きいほど、

彼らの利益も大きいからである。

この汚れた泉から、こうした腐敗した水が流れるのである。

放蕩(ほうとう)は貪欲と結びついた。・・・・

ああ、多くの哀れな魂を永遠の滅びに陥れているのは、

聖職者たちの背徳行為である。

一大改革が行われねばならない。」⑥

 

ルター自身であっても、法王制の害悪について

これ以上巧みに力強く弾劾することはできなかったであろう。

しかも、演説者が、ルターに断固として反対していた敵であったことが、

彼の言葉に大きな力をそえた。

 

もし、集まった人々の目が開かれたならば、彼らは、

その中に神の天使たちがいて、誤謬の暗やみを貫いて光を輝かし、

彼らが真理を受け入れるように

その心を開いているのを見たことであろう。

宗教改革の敵たちさえも支配し、

まさに成し遂げられようとする大事業への道を備えたのは、

真理と知恵の神の力であった。

マルチン・ルターは、そこにいなかった。

しかし、ルターよりも偉大なお方の声が、

その会議において聞かれたのであった。

 

ドイツ国民に重く課せられた

法王制の抑圧を列挙するために

直ちに委員会が国会によって指名された。

101項目にわたる一覧表が、これらの悪弊を直ちに

矯正(きょうせい)することを要求した嘆願書と共に、

皇帝に提出された。

「キリスト教界の霊的頭を取り囲んでいる背徳行為のために、

キリスト者の魂は、なんという損害、なんという破壊、

なんという略奪をこうむっていることでしょう。

わが国民の没落と汚辱を阻止することは、

われわれの義務であります。

このような理由から、われわれは、陛下が全般的な改革をお命じになり、

その実施に当たられるよう、切に嘆願するものであります」

と請願者たちは述べた。⑦

ルターの召喚

次に議会は、

ルターが彼らの前に出頭することを要求した。

アレアンダーの嘆願、抗議、威嚇にもかかわらず、

皇帝はついにこれに同意し、

ルターは議会に出頭する命令を受けた。

召喚状とともに、

無事帰国することを保証した通行券も発行された。

これらは、彼をウォルムスに連れてくる命令を受けた使者が、

ウィッテンベルクに持って来た。

 

ルターの友人たちは、恐れ悲しんだ。

彼らは、ルターに対する敵の偏見を知っていたので、

彼の通行券さえ空文に帰すのではないかと懸念し、

危険に身をさらさぬようにと願った。ルターは、次のように答えた。

「法王教徒たちは、わたしがウォルムスに来ることを望まず、

ただ、わたしの断罪と死を求めている。それはかまわない。

わたしのためでなく、神のみ言葉のために祈ってほしい。・・・・

キリストは、これら誤謬の使者たちに打ち勝つように、

み霊をわたしに与えられるであろう。

わたしは一生彼らを軽べつする。

わたしは死によって彼らに勝利するであろう。

彼らはわたしに取り消しを強いようとして、

ウォルムスで忙しく働いている。

そして、わたしの取り消しは、こうである。

わたしは以前、法王はキリストの代理であると言った。

今、わたしは、法王はキリストの敵であり、

悪魔の使徒であると断言する。」⑧

 

ルターは、この危険な旅に1人で出なくてもよかった。

皇帝の使者のほかに、

彼の最もしっかりした3人の友人たちが、同道する決心をした。

メランヒトンも、彼らに加わることを熱望した。

彼の心はルターの心と結ばれていたので、

彼は同行を切望し、必要ならば牢獄や死をも共にしたいと望んだ。

しかし、彼の願いは許されなかった。

もしルターがなくなれば、改革の希望は、

この年若い共労者を中心としなければならないのであった。

ルターは、メランヒトンと別れる時に、次のように言った。

「もし、わたしが帰らず、敵がわたしを殺しても、

教えつづけて、真理に堅く立ってほしい。

わたしの代わりに働きなさい。・・・・

きみが生き残るならば、わたしの死はたいしたことではないのだ。」⑨

ルターの出発を見るために集まった学生や市民は、

深い感動を受けた。

福音に心を動かされた群衆は、

涙ながらにルターに別れを告げた。

こうして、改革者ルターとその一行は、

ウィッテンベルクを出発した。

ウォルムスヘの道

彼らはその途中で、

人々が悲しい予感に心を重くしているのを見た。

ある町では、彼らに対してなんの敬意も示されなかった。

夜、泊まったところでは、同情的な一司祭が、

ルターの前に、殉教したイタリアの改革者の肖像画をかかげて、

彼の憂慮を表わした。

翌日、彼らは、ルターの著書に対する有罪の宣告が

ウォルムスで下されたことを知った。

皇帝の使者たちが皇帝の命令を布告し、

禁じられた書籍を長官のところに持参するように、

人々に呼びかけていた。

使者は、会議におけるルターの安全を気づかい、

すでにルターの決意は揺らいでいるものと考えて、

なお彼が前進する希望であるかどうかをたずねた。

彼は、「すべての町で妨害を受けようとも、わたしは前進する」

と答えた。⑩

 

エルフルトでは、ルターは大いに歓迎された。

彼は、賞賛する群衆にかこまれて、

前によく托鉢(たくはつ)して歩いた通りを過ぎた。

彼は、彼の修道院の部屋を訪れ、当時の苦悩―その苦悩を通して、

光が彼の魂を照らし、そしてその光が、

今ドイツにあふれているのであるがーを思った。

彼は、説教をするように勧められた。

彼は、これを禁止されていたのであるが、

使者の許しがあったので、

かつては修道院の卑しい仕事をしていた者が、壇に上った。

 

彼は、集まった群衆に、「平安があなたがたにあるように」という

キリストの言葉をもって語りかけた。

「哲学者、博士、著者たちは、永遠の生命を得る道を人々に教えてきたが、

成功しなかった。わたしが今それをお伝えしよう。

・・・・神は、死を滅ぼし、罪を根絶し、陰府(よみ)の門を閉じるために、

1人の人、すなわち、主イエス・キリストを死からよみがえらせられた。

これが救いの業である。

・・・・キリストは勝利された。

これは、喜ばしい知らせである。

そして、われわれは、彼の業によって救われた。

われわれ自身の行為によってではない。・・・・

われわれの主イエス・キリストは、

『安かれ、わたしの手を見なさい』と言われた。

つまり、おお、人よ、見よ、あなたの罪を除き、

あなたを贖ったのは、わたし、わたしだけである。

そしてあなたは平和を得た、と主は言われるのである。」

 

彼は、引き続いて、

真の信仰は聖(きよ)い生活によってあらわされることを示した。

「神は、われわれを救われたのであるから、われわれの行為が、

神に受け入れられるようにしようではないか。

あなたは富んでいるか。それならあなたの財産を、

貧者の必要にささげよう。あなたは貧しいか。

それならあなたの奉仕が富んでいる人々に喜ばれるようにしよう。

もしあなたの労働が、ただあなたのためだけに役立つものであれば、

神につくしているように見せかけている奉仕は、偽りである。」⑪

 

人々は、あたかも魅せられたかのように聴き入った。

これらの飢えた魂に、生命のパンが裂き与えられた。

彼らの前で、キリストは、法王や法王使節、

皇帝や国王たちよりも高く掲げられた。

ルターは、自分の危険な立場については何も語らなかった。

彼は人々に、自分のことを考えさせたり、

同情させたりしようとはしなかった。

彼はキリストを瞑想して、自分を見失ってしまった。

彼は、カルバリーの人なるイエスの後ろ

に隠れ、イエスを罪人の贖い主として指し示すことだけを求めていた。

ウォルムス到着

ルターが旅を続けていくと、

至る所で非常な興味をもって迎えられた。

熱心な群衆が彼を取り囲み、好意を寄せる人々が、

ローマ教側の意図することについて、彼に警告した。

「彼らは、あなたを焼き殺し、ヨハン・フスに行ったと同様に、

あなたの体を灰にするでしょう」とある者は言った。

ルターはそれに答えた。

「たとえ彼らが、ウィッテンベルクから

ウォルムスまで火を点じ、炎が天にまでとどいたとしても、

わたしはその中を主の名によって過ぎ、彼らの前に立とう。

わたしは、この巨獣のあごに入り、

その歯を砕いて、主イエス・キリストのあかしをしよう。」⑫

 

ルターがウォルムスに近づいたという知らせは、

大きな騒動を引き起こした。

彼の友人たちは彼の身の安全を気づかい、

彼の敵たちは自分たちの側の成功をあやぶんだ。

彼が町に入るのを断念させようとする

非常な努力がなされた。

法王側の扇動によって、ルターは、

友好的な騎士の城へ行くようにと勧められた。

そこではすべての困難が円満に解決されうる、というのであった。

友人たちは、さし迫った危険を述べて、

彼に恐怖心を起こさせようとした。

しかし、彼らの努力は無に帰した。

ルターは少しも動ずることなく、

「たとえ、ウォルムスに屋根の瓦のように多くの悪魔がいても、

なおわたしはウォルムスへ行く」と断言した。⑬

 

彼がウォルムスに到着した時、

大群衆が門に集まって彼を歓迎した。

皇帝を出迎える時でも、

これほどの群衆が集まったことはなかった。

激しい興奮が起こった。

そして群衆の中からかん高くもの悲しい声が葬送歌を歌い出して、

ルターを待っている運命を警告した。

しかし彼は、馬車から降りる時、

「神はわたしの高きやぐらである」と言った。

 

法王側は、ルターがほんとうにウォルムスに

姿を現すとは考えていなかった。

彼の到着に彼らは驚いた。

皇帝は、直ちに議員を召集して、

どうすべきかを諮(はか)った。

厳格な法王教徒である、1人の司教は、次のように言った。

「われわれはこの問題を長く考慮してきました。

どうか皇帝は、この男を直ちに処分してくださるように。

ジギスムントはヨハン・フスを火刑にしたではありませんか。

われわれは、異端者に通行券を与える

ことも、それに束縛されることもありません。」

「いや、われわれは約束を守らねばならない」

と皇帝は言った。⑭

こうしてルターは、発言することにきまった。

 

全市は、この驚くべき人物を見ようとわきかえり、

まもなく、彼の宿舎には訪問者が殺到した。

ルターは、病気がなおったばかりであった。

彼は、丸2週間かかった旅行に疲れていた。

そして、翌日の重大なできごとに直面する準備を

しなければならなかった。

彼には安静と休養が必要であった。

しかし、貴族、騎士、司祭、市民など、

彼に会いたい人々が続々とつめかけて、

彼はわずか2、3時間の睡眠しかとれなかった。

これら訪問者の中には、聖職者たちの悪弊の改革を大胆に

皇帝に要求していた多くの貴族たちがいた。

ルターは、この人々は

「みな、わたしの福音によって解放された人たちだ」と言った。⑮

友人たちだけでなく、敵もまた、

この不屈の修道士を見ようとしてやってきた。

しかし彼は、ゆるがぬ冷静さをもって彼らに面会し、

だれにでも、威厳と知恵をもって答えた。

彼の態度はしっかりしていて、勇敢であった。

彼の青ざめた、やせた顔には、労苦と病気のあとがあったが、

思いやりと喜びの表情さえたたえていた。

厳粛で真剣な彼の言葉には、

敵でさえ全くたちうちできない力があった。

これには敵も味方も驚いた。

ある者たちは、彼の上に神の力が加わったと信じたが、

キリストについてパリサイ人が言ったように、

「彼は悪霊にとりつかれている」と言う者たちもいた。

国会での審問

ルターは、翌日、

議会に出頭するように命じられた。

式部官が彼を議場に案内することになっていたが、

そこまで行くのが非常に困難であった。

どの街路も、

法王の権威にあえて抵抗した

修道士を見ようとする群衆で

いっぱいだった。

 

彼がまさに、裁判官たちの前に出ようとした時、

幾多の戦いを経た英雄である一老将軍が、やさしく彼に言った。

「哀れな修道士、哀れな修道士よ。おまえは、わたしや、

その他の将軍たちのどのような血みどろの激戦よりも、

もっと崇高な戦いをしようとしている。

だが、おまえの主張が正しく、おまえがそれを確信しているならば、

神の名によって前進せよ。何も恐れるな。

神はおまえをお見捨てにならないだろう。」⑯

 

ついに、ルターは、議会の前に立った。

皇帝が玉座を占めていた。

彼の回りには、帝国内の最も著名な人々が並んでいた。

マルチン・ルターが自分の信仰の弁明のために、

その前に立ったような、堂々たる人々の前に立った者は、

これまでになかった。

「このように彼が現れたこと自体が、

法王制に対する著しい勝利であった。

すでに法王は、この人間を罪に定めた。

しかるに彼は、今、法廷に立っている。

そして、この事実そのものが、

この裁判の場が法王以上のものであることを示していた。

法王は彼を、聖務禁止に処し、すべての人間社会から切り離した。

それにもかかわらず、彼は、丁重な言葉で召喚されて、

世界で最も荘重な議会に迎えられた。

法王は彼に永久の沈黙を課したにもかかわらず、

今、彼は、キリスト教国の最も遠隔の地から集まった、

幾千という深い関心を持った

聴衆の前で語ろうとしている。

こうして、ルターという器によって、

大きな改革が起きたのである。

ローマは、すでに、その王座から降りつつあったが、

この屈辱をもたらしたのは、

一修道士の声であった。」⑰

 

卑しい身分のルターは、この権力をもった有爵議員たちの前で、

恐れ、当惑しているように思われた。

幾人かの貴族は、彼の心中を察して彼に近寄り、

その中の1人が次のようにささやいた。

「体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」

また、他の者は、

「あなたがたが会堂や役人や高官の前へ引っぱられて行った場合には、

・・・・言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださる」と言った。

こうして、キリストの言葉が、

世の偉大な人々によって持ち出され、

試練に直面した主のしもべを強めたのである。

 

ルターは、皇帝の玉座のすぐ前の位置に案内された。

満員の議会が静粛になった。

そこで、式部官が立ち上がり、

積み重ねられたルターの著書を指さして、

ルターに2つの質問に答えることを要求した。

すなわち、彼が、これを彼の著書と認めるかどうか、

また、その中で論じた主張を取り消すかどうか、

ということであった。

彼の著書の名が読み上げられ、

ルターは、第1の質問に対して、

それらの書物が彼のものであることを認めた。

「第2に関しては、それが信仰と魂の救いに関する問題であり、

天においても地においても、

最大で最も尊い神の言葉を含むものでありますから、

よく考えずに答えることは慎重を欠くことになります。

わたくしは、事情の要求に十分答えず、

あるいは、真理の命じること以上を述べて、

『人の前でわたしを拒む者を、

わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう』

というキリストの言葉に対して

罪を犯すことになるかも知れません(マタイ 10:3 3 )。

このために、わたくしは、神のみ

言葉に罪を犯さずに答えることができますよう、

時間が与えられることを、陛下に伏して懇願いたします」

と彼は言った。⑱

神との格闘

このように願い出ることによって、ルターは賢明にふるまった。

彼の態度は、彼が感情や衝動にかられて

行動しているのではないことを、集まった人々に確信させた。

この沈着と自制は、これまで大胆で妥協することのなかった

ルターには期待できなかったことで、

これが彼に力を増し加え、後に、彼が慎重、決断、知恵、

威厳をもって答弁する―そのことは彼の敵に驚きと失望を与え、

また彼らの高慢と不遜(ふそん)を譴責(けんせき)するものであったが―

ことを可能にしたのであった。

 

翌日、彼は最後の答弁をするために現れることになっていた。

一時、彼は、

真理に対抗して結束した勢力のことを考えて、気がめいった。

彼の信仰は揺らぎ、彼は恐怖と戦慄(せんりつ)に襲われ、

恐怖感に圧倒された。

彼の前に危険は増大した。

彼の敵は、まさに勝利しようとしているように見

え、暗黒の勢力がまさに勝とうとしているように思われた。

彼の回りには暗雲がたれこめ、

彼を神から引き離すように思われた。

彼は、万軍の主が

彼と共におられるという確証を熱望した。

彼は苦悶のあまり、地の上に突伏して、神のほかはだれにも

理解できないところの、切れ切れの悲痛な叫びをあげた。

 

彼は嘆願した。「ああ、全能で永遠の神よ、

この世界はなんと恐ろしいことでしょうか。

世は口を開いて、わたしをのみこもうとし、

しかもあなたに対するわたしの信仰は、まことに弱いのです。

・・・・わたしがこの世の力だけに信頼しなければならないのなら、

万事は終わりです。

・・・・わたしの最後の時が来ました。

わたしはすでに有罪の宣告を受けました。

・・・・ああ、神よ、世のすべての知恵に対抗してわたしを助けてください。

・・・・あなただけが・・・・わたしをお助けください。

これはわたしの業ではなく、あなたの業だからです。

わたしには何もできません。

これら世の偉大な人々と闘うものは何もありません。

・・・・しかし、この事業はあなたのものです。

・・・・しかもそれは、正しくて永遠の事業です。

ああ主よ、わたしをお助けください。

真実で不変の神よ、わたしは人には信頼を置きません。

・・・・人間はすべて不確かで、

人間のものはみな失敗に終わります。

・・・・あなたはわたしを、この仕事のためにお選びになりました。

・・・・わたしの力、盾、わたしの高きやぐらであられる愛する

み子イエス・キリストのゆえに、

わたしのそばに立ってください。」⑲

 

全知の神の摂理は、ルターが自分の力に頼って

僣越(せんえつ)に危険の中に飛び込まないように、

その危険をルターに自覚させられた。

しかしそれは、目前に迫るように思われた苦難や、

死の拷問の恐怖が、彼を圧倒したのではなかった。

彼は危機に直面していた。

そして彼は、

それに対する自分の無力さを感じたのであった。

 

彼の弱さのために、真理の運動が敗北するかも知れなかった。

自分自身の安全のためではなく、

福音の勝利のために、彼は神と格闘した。

夜、寂しい川のそばで苦闘したイスラエルのように、

彼は魂を注ぎ出して苦しみ闘った。

そして、イスラエルのように、彼は神に勝った。

彼は、自分が全く無力であることを感じ、

力ある贖い主、キリストをしっかりと信仰によって捕えた。

彼は、自分1人で

議会に出るのではないという確信に強められた。

彼の魂に平安がかえってきた。

そして彼は、神の言葉

を国々の王たちの前で高めることが許されたのを喜んだ。

 

ルターは、神に心を置きながら、

自分の前にある闘いの準備をした。

彼は、答弁の方法を考え、

自分の著書の文章を調べ、

聖書から彼の主張を支持する適当な証拠を引用した。

それから彼は、自分の前に開かれた聖書の上に左手を置き、

右手を天に向けて上げ、

「たとえ証言のために血を流すことがあっても、

福音に忠誠をつくし、

なにものにもとらわれずに自分の信仰を告白する」ことを誓った。⑳

議会における信仰告白

彼がふたたび議会に入ってきた時には、

彼の顔に恐怖や動揺の色はなかった。

沈着で穏やかで、しかも勇敢で気高い態度で、

彼は神の証人として、地上の偉大な人々の前に立った。

式部官は、ここで、

彼に教義を取り消すかどうかの決定を迫った。

ルターは、激しさや感情をまじえぬ

落ちついたけんそんな調子で答えた。

彼の態度は遠慮がちで、礼儀正しかった。

しかし彼は、

議会を驚かすほどの確信と喜びにあふれていた。

 

「いとも高き皇帝陛下、いとも高名なる諸侯、

いとも優渥ゆうあくなる諸賢」とルターは言った。

「本日、わたくしは、昨日わたくしに与えられましたご命令に従って、

ここにまいりました。そして、わたくしは、神の憐れみによって、

陛下および殿下方が、正しく真実であるとわたくしの信じております

運動に関する弁明を、慈悲深く聞いてくださるように懇願いたします。

もしわたくしが、知らずに宮廷の慣例や作法に背くことがあれば、

どうかお許しください。

わたくしは、宮廷で育った者ではなく、

修道院の隠遁(いんとん)生活をしていた者なのですから。」㉑

 

こうして、いよいよ本論に入り、

彼は、自分の著書は全部が同じ性質のものではないと述べた。

ある著書の中では、信仰と善行を扱っていて、彼の敵たちでさえ、

それが無害であるばかりでなくて有益であると言明している。

したがって、これらを取り消すことは、

すべての党派の人々が告白している真理を否認することである。

第2の部類は、

法王制の腐敗と悪弊とを暴露した著書である。

こうした著書を取り消すことは、ローマの圧政を助長し、

多くのはなはだしい邪悪行為への道を、さらに開くことになる。

彼の著書の第3の部類は、

現存する害悪を弁護した諸個人を攻撃したものであった。

これについて彼は、

度を越えて激しく行ったことを率直に告白した。

彼は、誤りがなかったとは言わなかった。

しかし彼は、これらの著書に関しても取り消すことはできなかった。

というのは、そうするならば、真理の敵を大胆にし、

ますます残忍に神の民を粉砕するおそれがあったからである。

 

彼は言葉を続けた。

「とはいえ、わたくしは単なる1個の人間にすぎず、神ではありません。

ですからわたくしは、キリストのように、

『もしわたしが何か悪いことを言ったのなら、

その悪い理由を言いなさい』と弁明するものであります。

・・・・神の憐れみによってわたくしは、いと高き皇帝陛下と諸侯、

そして、すべての諸賢が、預言者と使徒たちの書によって、

わたくしが誤っていることを証明してくださるよう懇願いたします。

わたくしがこれを納得いたしましたなら、ただちに、

すべての誤りを取り消し、わたくしがまず第1に、

わたくしの書物をとって火に投げ込みましょう。

 

ただいまわたくしが申し上げましたことから、

わたくしは自分が当面しております危険について

十分に考察吟味したということが、おわかりいただけると思います。

しかしわたくしは、少しも落胆してはおりません。

福音が昔のように、今、紛争と議論の原因になったことを、

わたくしは喜びます。これが、神のみ言葉の特質であり、運命なのです。

『平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである』

とイエス・キリストは言われました。

 

神は、驚くべき、また恐るべきことを仰せになっています。

紛争を鎮めようとして、神のみ言葉に逆らい、

自分自身の上に避けることのできない危険と

災害の恐るべき大洪水を招き、永遠の破滅に陥ることのないよう、

注意いたさねばなりません。・・・・

わたくしは、神のみ言葉から多くの実例を挙げることができます。

たとえば、パロや、バビロンの王たち、イスラエルの王たちは、

一見最も賢明と思われた方法である会議によって、

王国を強化しようとしたのですが、

実は、こうした彼らの努力が、

他の何よりも彼らの破滅を早めるのに貢献したのでした。

『神は山を移されるが、彼らはそれを知らない』

とあるとおりです。」㉒

われここに立つ!

以上のことを、ルターはドイツ語で語った。

そして今度は、同じ言葉をラテン語でくり返すように要求された。

彼は、これまでの奮闘によって疲れきっていたけれども、

それに応じて、ふたたび、

最初と同様の明快さと力強さをもって演説した。

これは神の摂理の導きであった。

多くの諸侯たちの心は、誤りと迷信に目がくらんでいたので、

最初の演説では、

ルターの議論の力を十分に認めることができなかった。

しかし、ふたたびくり返して聞いたために、

示された要点をはっきりと理解することができた。

 

光に対してかたくなに目を閉じ、

真理に説得されまいと心をきめていた人々は、

ルターの力強い言葉に激怒した。

彼が語り終えた時、議会の代弁者は怒って言った。

「あなたは質問されたことに答弁していない。・・・・

あなたには、明瞭(めいりょう)で正確な答えが要求されている。・・・・

あなたは取り消すのか、取り消さないのか。」

 

改革者は答えた。

「皇帝陛下と殿下方は、

わたくしに簡単で明瞭で正確な答えを要求しておられますので、

ここにお答えいたします。それは次のとおりであります。

わたくしはわたくしの信仰を、

法王にも会議にも

従わせることはできません。

と申しますのは、両者ともしばしば誤りを犯し、

また互いに矛盾してきたということが明白だからであります。

それゆえ、わたくしは、聖書からの証明、

あるいは明瞭な議論によって、納得させられないかぎり、

また、わたくしが引用した聖句によって納得させられないかぎり、

そして、このようにして、わたくしの良心が神のみ言葉によって

義務づけられないかぎり、わたくしは取り消すことができませんし、取り消そうとも思いません。なぜなら、キリスト者が良心に背いて

語ることは、危険だからであります。

ここに、わたくしは立ちます。

わたくしは、これ以外に何もできません。

神よ、わたくしを助けたまえ。アーメン。」㉓

 

こうして、義人ルターは、

神のみ言葉の確かな土台の上に立った。

天からの光が彼の顔を照らした。

彼の偉大で純潔な品性、彼の心の平和と喜びとが、

すべての者に明らかに示された。

こうして、彼は、誤りの力に対抗してあかしを立て、

世に勝つ信仰がいかに優れたものであるかを証明した。

 

集まった者はみな、

しばらくの間、驚きのあまり何も言えなかった。

ルターは、最初に答えた時に、

低い声で、敬意を表わしながら、従順な態度で話した。

法王側はこれを、

彼の勇気がくじけ始めた証拠であると解釈した。

彼らは、延期の願い出を、

取り消しの前提に過ぎないと考えた。

カール自身さえ、修道士の疲れた様子、彼の質素な衣服、

そして、彼の飾り気のない話に対し、

半ば軽べつ的に

「この修道士は、わたしを異端者にすることは決してできない」

と言った。

しかるに今、彼の議論の力と明瞭さと共に、

彼が表した勇気と堅固さとに、すべての者は驚き入った。

皇帝も賛嘆して、

「この修道士は、大胆にゆるがぬ勇気をもって語る」と叫んだ。

ドイツの諸侯たちの多くは、彼らの国のこの代表者に

誇りと喜びを感じたのである。

法王側の策動

ローマ派の者たちは敗北した。

彼らの運動は最も不利な立場に陥ったように見えた。

彼らは、聖書に訴えることをせず、

ローマの常套(じょうとう)手段で

ある脅迫によって、彼らの権力を維持しようとした。

議会の代弁者は、

「あなたが取り消さないならば、

皇帝と帝国内の諸国は、

頑迷(がんめい)な異端者に何をすべきかを協議する」と言った。

 

ルターの友人たちは、彼の堂々とした弁護を

非常に喜んで聞いていたが、この言葉を聞いて戦慄した。

しかしルター自身は冷静に、

「神がわたくしの援助者となってくださるように。

わたくしには何も取り消すことができないからです」と言った。㉔

 

彼は、諸侯たちが協議する間、

議会から出るように命じられた。

一大危機のやってきたことが感じられた。

ルターが従うことを頑強(がんきょう)に拒むことは、

幾時代にもわたる教会の歴史に影響を及ぼすものであった。

彼にもう1度取り消す機会を与えることが決定された。

彼は、いよいよ最終的に議会に連れ出された。

彼は、もう1度、

彼の教義を放棄するかどうかを聞かれた。

「わたくしは、すでに申し上げたこと以外に、

お答えすることはございません」と彼は言った。

どんな約束や脅迫によっても、

彼をローマの命令に屈服させることができないことは明らかであった。

 

法王側の指導者たちは、

王たちや貴族たちを戦慄させてきた彼らの権力が、

このようにして卑しい修道士によって軽べつされたことを無念がり、

彼に拷問の責め苦を加えて殺すことによって、

彼らの怒りを彼に思い知らせたいと望んだ。

しかしルターは、自分の危険を悟って、

すべての者にキリスト者の威厳と冷静さをもって答えた。

彼の言葉には、

高慢や激しい感情や誤り偽りなどは1つもなかった。

彼は、自分自身も、自分の回りの偉大な人物たちのことも忘れ、

ただ自分が、法王や高位聖職者や王や皇帝などよりも、

無限に優れておられるところの神の面前にある、

ということしか考えなかった。

キリストが、

ルターの証言を通して力強く堂々と語られたのであった。

そのために、敵も味方も、一時は驚嘆し敬服してしまった。

その議会には神の霊が臨在して、

帝国の首脳者たちの心に感銘を与えられた。

諸侯たちの幾人かは、

ルターの運動の正当性を大胆にも認めた。

多くの者が真理を悟った。

しかし、受けた印象が長続きしない者もあった。

そのほかに、

この時は受けた感銘の表示はしなかったものの、

後に自分で聖書を研究して、

恐れを知らぬ宗教改革の支持者になったものもあった。

 

選挙侯フリードリヒは、

ルターが議会に現れるのを、今か今かと待っていた。

そして、彼の演説を聞いて深く感動した。

彼は、喜びと誇りをもって

ルターの勇気と堅固さと沈着な態度を見、

ますます断固として彼を擁護する決心をした。

彼は、論争における両者を比較し、

法王や王たちや高位聖職者たちの知恵が、

真理の力によって打ちこわされたのを見た。

法王制は、

各国各時代に影響を及ぼす敗北をこうむった。

 

法王使節は、

ルターの演説が引き起こした影響に気づいた時、

これまでになかったほどローマの権力の安泰を心配し、

全力をあげて改革者ルターを倒そうと決意した。

彼は、その優れた特質であった雄弁と外交的手腕とをふるって、

名もない1修道士の主張のために、

強力なローマ法王庁の友交と支持を

犠牲にすることの愚かさと危険とを、

若い皇帝に説いた。

 

彼の言葉は影響を及ぼさずにはいなかった。

ルターの答弁が行われた翌日、

カールは、先祖たちの政策に従ってカトリック教を

擁護し保護するという決意を伝える布告を、

議会に提出させた。

ルターは自分が誤っていることを取り消すのを拒んだのであるから、

彼と、彼の唱えた異端に対しては、

断固とした処置が取られるのであった。

「自分自身の愚かな考えに道を誤った一修道士が、

キリスト教の信仰に反対して立ち上がった。

このような不敬虔を阻止するために、

わたしは、わたしの王国、わたしの宝、わたしの友、わたしの体、

わたしの血、わたしの魂、そして、わたしの生命を犠牲にする。

わたしは、アウグスチン派修道会士ルターを追放し、

彼が国民の間で少しでも秩序を乱すことを禁じる。

そして、わたしは、ルターと彼の支持者たちを、

反抗的な異端者として訴え、破門、聖務禁止、

そしてあらゆる手段をもって撲滅するであろう。

わたしは、議員たちが、

忠実なキリスト者として行動することを求める。」㉕

しかしルターの通行券は尊重すべきで、

彼に対する処分が行われる前に

彼は安全に帰宅を許されるべきであると

皇帝は宣言した。

二派の対立とカール5世

ここで、議会の議員の中で、

2つの相反する意見が主張された。

法王使節と法王側の代表者たちは、

改革者の通行券を無視することを

再び主張した。

「1世紀前のヨハン・フスのように、

彼の灰はライン河に投げられるべきである」と彼らは言った。㉖

しかしドイツの諸侯は、彼ら自身法王教徒でルターの宿敵ではあったが、そのような一般の信頼に背く行為に反対し、

それは国家の名誉を辱しめる汚点であるとして異議を唱えた。

彼らは、

フスの死後に起きた不幸なできごとを指して、

これと同様の恐ろしい災いを、

ドイツおよび年若い皇帝の上に降したくないと言明した。

 

カール自身もその卑劣な提案に答えていった。

「たとえ全世界から名誉と信義が追放されても、

それらは、諸侯の心の中に

隠れ家を見いださなければならない。」㉗

法王側の、ルターを最も憎んでいる敵は、ジギスムントがフスを扱ったように、皇帝がルターを処理するよう、さらに要求した。

それは、彼を教会の手中に一任することであった。

しかし、フスが公衆の面前で自分の鎖を指し、

皇帝の不実を指摘したことを思い起こして、

カール5世は、「わたしはジギスムントのように赤面したくない」

と言った。㉘

 

しかし、カールは、ルターが示した真理を故意に拒絶した。

「わたしは先祖たちの模範に従うことを堅く決心した」

と王は書いた。㉙

彼は、慣習の道からは1歩も外に出ない決心をし、

真理と義の道を歩こうとさえしなかった。

彼は、先祖たちが支持したゆえに、

残酷で腐敗しているにもかかわらず法王制を支持するのであった。

こうして彼は、

先祖たちが受けた光よりも進んだ光を受けることを拒み、

彼らが行わなかった義務は、何1つすまいとしたのである。

 

今日でも、

先祖の習慣や伝統を固守する人が多い。

主が彼らに新しい光をお与えになると、

彼らは、それが先祖に与えられておらず、

彼らがそれを受け入れていなかったという理由で受けることを拒む。

われわれは、先祖たちの時代におかれてはいない。

したがってわれわれの義務と責任は、

彼らと同じではない。自分で真理の言葉を探究せずに、

先祖の模範によってわれわれの義務を決定しようとすることは、

神に喜ばれない。

われわれの責任は、先祖たちの責任よりはいっそう重いのである。

われわれは、彼らが受けた光、

そして、われわれに遺産として伝えられたものに対して責任がある。

そして、われわれは、今神のみ言葉からわれわれの上に輝いている

追加的な光に対してもまた責任がある。

 

キリストは、不信仰なユダヤ人について言われた。

「もしわたしがきて彼らに語らなかったならば、

彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし今となっては、

彼らには、その罪について言いのがれる道がない」(ヨハネ 15:22 )。

同じ神の力が、ルターを通して、ドイツの皇帝と諸侯に語ったのである。

そして、光が神のみ言葉から輝いた時に、神の霊が、

議会内の多くの者に最後の訴えをした。

幾世紀の昔、ピラトが誇りと人々の歓心を買うために

世界の贖い主に対して心を閉じたように、また戦慄したペリクスが

「今日はこれで帰るがよい。また、よい機会を得たら、

呼び出すことにする」と言ったように、また、高慢なアグリッパが

「おまえは少し説いただけで、

わたしをクリスチャンにしようとしている」と言いながら、

天からのメッセージを退けたように、

そのようにカール5世は、この世的な誇りと政策に屈して、

真理の光を拒否することになったのである(使徒行伝 24:25、26:28 )。

広範な支援とルターの忠誠

ルターに危害を加えようとする陰謀のうわさが広く伝わり、

全市は大騒ぎになった。

改革者ルターは、多くの友人を持っていた。

彼らは、ローマの腐敗をあばくすべての者に対するローマの不実な

残虐行為を知っていたので、彼を犠牲にしてはならないと決意した。

数百の貴族が彼を保護することを契約した。

ローマの支配権に屈したことを示す皇帝の布告に対して、

公然と反対するものも少なくなかった。

家々の門や公の場所に、ポスターがはられ、

ルターを非難するものもあれば、支援するものもあった。

その1つには次のような、賢者の意義深い言葉だけが書かれていた。

「あなたの王はわらべであって、・・・・あなたはわざわいだ」

(伝道の書 10:16 )。

ルターの人気は、ドイツ全土において非常なものであったので、

もし彼に対する不正が行われるならば、

帝国の平和は破られ、王位さえ安定が

あやぶまれることを、皇帝も議会も共に痛感したのである。

 

ザクセンのフリードリヒは、

改革者に対する本心を注意深く表に出さず、沈黙を守っていた。

しかし同時に、ルターを厳重に保護し、

彼のすべての行動と彼の敵のあらゆる動きを見守っていた。

しかし、ルターに対する

同情を隠そうとしないものも多かった。

ルターは、諸侯、伯爵、男爵、その他、

一般と聖職両方面の高貴な人々の訪問を受けた。

「ルター博士の小さい部屋は、

訪問してきた人々をみな入れることができなかった」

とシュパラティンは書いている。㉚

人々は彼を、まるで超人であるかのようにながめた。

彼の教義を信じなかった人々でさえ、

自分の良心にそむくよりは死をさえいとわぬ彼の高潔さに対して、

賛嘆せずにはおれなかった。

 

ローマとの妥協にルターを同意させようとする

けんめいの努力がなされた。

貴族や諸侯たちは、もし彼が自説に固執して、

教会と議会の決定に背くならば、

彼はすぐに帝国外に追放され、

なんの防御もなくなると説明した。

この訴えに対して、ルターは次のように答えた。

「キリストの福音を伝えると必ず攻撃を受けます。・・・・しかしそうだからといって恐怖や不安のために主から離れ、唯一の真理である神の言葉から離れてよいでしょうか。

いいえ、わたしはむしろ、わたしの体、わたしの血、

わたしの生命をささげたいのです。」㉛

 

彼は、ふたたび、

皇帝の意見に従うように勧められた。

そうすれば彼は、何も恐れるものがなくなる。

彼は、それに答えて言った。

「わたしは、皇帝、諸侯、また、

どんなに身分の低いキリスト者であっても、わたしの著書を吟味し、

判断することに心から同意する。

この場合、唯一の条件は、彼らが神の言葉を標準にすることである。

人間は服従することのほかは何もできない。

わたしの良心に背くことを提案しないでほしい、

わたしの良心は聖書に縛られつながれている。」㉜

 

また、他の訴えに対して彼は、

「わたしは、自分の通行券を放棄することに同意する。

わたしは、自分の身と生命とを皇帝の手に渡す。

しかし、神の言葉は、決して渡さない」と言った。㉝

彼は、自分は喜んで議会の決定に服すといったが、

その場合の唯一の条件は、

議会が聖書に基づいて決定するということであった。

「神の言葉と信仰に関して、

法王には百万の会議の支持があるにせよ、

各キリスト者は法王に劣らずりっぱな裁判官である」

とつけ加えた。㉞

敵も味方も共に、これ以上妥協を勧

めてもむだなことを知った。

 

もしもルターが1つの点でも妥協したならば、

サタンとその軍勢は勝利をおさめたことであろう。

しかし、彼がゆるがず堅く立ったことが、

教会解放の道を開き、新しい、そしてよりよい時代の開始となった。

信仰問題について自ら思考し行動したこの1人物の影響は、

教会と世界に及び、

その時代だけにとどまらず、

その後の各時代にまで及んだ。

彼の確固不動の忠誠は、時の終わりに至るまで、

同様の経験をたどるすべての者を励ますのである。

神の力と威光とが、人間の会議と、

サタンの大きな力とを、超越したのであった。

ルター、ウォルムスを去る

まもなくルターは、皇帝の方から帰国を命じられた。

そして彼は、この指示の次には、

すぐに有罪の宣告が下されることを知っていた。

彼の前途を暗雲が覆(おお)った。

しかし、ウォルムスを去る時、

彼の心は喜びと賛美に満たされた。

「悪魔自身が法王のとりでを守った。

しかしキリストはこれに大きな破損を与え、サタンは、

主が彼よりも力あることを告白しなければならなかった」

と彼は言った。㉟

 

ルターは、出発した後も、

彼の堅い決意が反逆とまちがえられないために、皇帝に手紙を書いた。

「人間の生命が依存している神の言葉のこと以外において、

わたくしが、名誉であれ不名誉であれ、生であれ死であっても、

直ちに熱誠こめて陛下にお従いしようとするものでありますことは、

心を探られる神が、わたくしの証人であります。

現世のいっさいのことにおいて、わたくしの忠誠に動揺はございません。

と申しますのは、ここで得るも失うも、

救いには関係がないからであります。

しかしながら、永遠のことに関しましては、

人間が人間に従うことは神のみ旨ではございません。

なぜならば、霊的事柄におけるこのような服従は、

事実上の礼拝であり、

それはただ創造主にのみ帰すべきものだからであります。」㊱

 

ルターは、ウォルムスからの帰途、

行く時よりも盛大な歓迎を受けた。

高位の聖職者たちが破門された修道士を歓迎し、

長官たちが、

皇帝に譴責された者に敬意を表した。

彼は、禁じられてはいたが、

勧められるままに説教壇に立った。

「わたしは神の言葉を鎖につなぐとは誓わなかったし、

これからも決してそんなことはしない」と彼は言った。㊲

 

彼がウォルムスを去ってまもなく、法王側は皇帝に迫って、

ルターに対する布告を発布させた。

この布告の中で、ルターは、

「人間の形をとり修道士の衣をまとったサタン自身である」

と告発された。㊳

彼の通行券の期限が終わるとすぐに彼の運動をやめさせるよう、

命じられていた。

だれであっても、彼をかくまったり飲食を与えたり、

言葉であれ行為であれ、公私を問わず、

彼を支援し助けることが禁じられた。

彼は、発見されたならば直ちに逮捕され、

官憲に引き渡されねばならなかった。

彼の支持者たちもまた、

投獄されて財産を没収されなければならなかった。

彼の著書は破棄されねばならなかった。

そして、最後に、この布告に反

抗するものは、みな、同様の宣告を受けなければならなかった。

ザクセンの選挙侯と、ルターに好意的な諸侯たちは、

ルターの出発後すぐにウォルムスを去っていたので、

皇帝の命令は議会の賛成を得た。

こうして法王側は喜んだ。

彼らは、宗教改革の運命はもう決まったと考えた。

改革事業と神の導き

この危機においても、神は、ご自分のしもべのために、

逃れの道を備えておられた。

ルターの動きを片時も

目を離さず見守っていたものがあった。

そして、真実で高貴な心の持ち主が、彼を救援する決心をしていた。

ローマはルターを死に処するまでは

満足しないということは明らかであった。

彼をライオンのきばから救うには、彼を隠すほかなかった。

 

神は、ルターを庇護(ひご)する策略をたてるように、

ザクセンのフリードリヒ侯に知恵を授けられた。

選挙侯は、誠実な同志の協力によって目的を達成した。

そしてルターは、

敵からも味方からもうまく隠されたのである。

ルターは、帰る途中捕えられて、従者たちから引き離され、

森林の中を急いで通過し、

人里離れた山のとりでであるワルトブルクの城に連れていかれた。

彼の逮捕と潜伏とは極秘のうちに行われたために、

フリードリヒ自身でさえ、

彼がどこに連れていかれたかを長い間知らなかった。

これは、計画的に、侯には知らされなかったのであった。

つまり、実際にルターの居場所を知らぬかぎり、

聞かれても答えられなかったからである。

彼は、

ルターが安全であるということだけで満足であった。

 

春、夏、秋が過ぎて冬になったが、ルターはまだ捕われの身であった。

アレアンダーと彼の徒党は、

福音の光が消えてしまったように見えたので勝ち誇った。

しかし、そうではなくて、ルターは真理の宝庫で、

彼の燈(ともしび)に油を満たしていた。

そして、その光はますます明るく輝き出るのであった。

 

ワルトブルクの友好的で安全な場所で、ルターは、

闘いの熱と混乱から逃れたことをしばらくは喜んだ。

しかし彼は、静けさと休息の中で

長く満足していることはできなかった。

彼は、活動的生活と厳しい闘いになれていたので、

何もしないでいることはできなかった。

こうした孤独の時に、彼は、教会の状態を思い浮かべ、

「ああこの神の怒りの最後の日に、主の前に城壁となって、

イスラエルを救うものがいない」と絶望の叫びをあげた。㊴

彼は、再びわれに帰って、自分が争闘から身をひいて

おくびょう呼ばわりされることを恐れた。

そして、

自分の怠慢と放縦を責めた。

しかし、それでも彼は、毎日、

1人の人の仕事とは思われないほど多くのことを成し遂げていた。

彼は休みなくペンを動かしていた。

敵は彼を沈黙させたと楽観していた時に、

彼がなお活動しているという

具体的な証拠を見て驚きあわてた。

彼が書いた多くの小冊子が、

ドイツ全土に配布された。

彼はまた、

新約聖書をドイツ語に翻訳して、

彼の同胞のために最も重要な奉仕をした。

彼は、パトモスとも言うべきとりでから、

丸1年近くの間、福音を宣布し、

その時代の罪と誤りを譴責し続けたのである。

 

神がご自分のしもべを公的生活の舞台から退かせられたのは、

単にルターを敵の怒りから保護し、

また、このような重大な仕事のために

静かな時を与えるためだけではなかった。

これらよりもさらに尊い経験が与えられた。

人里離れた寂しい山の隠れ家で、

ルターは地上の援助と人間の賞賛から

切り離された。

こうして彼は、

成功にしばしば伴う誇りと自己過信から救われた。

彼は、苦難と屈辱によって、

彼が突然あげられた目の回るような高い所を

ふたたび安全に歩くことができるよう、準備が与えられたのである。

 

人々は、真理が彼らにもたらす自由を喜ぶ時に、

誤りと迷信の鎖を断ち切るために

神が用いられる人々を賞賛する傾向がある。

サタンは、人間の思想と愛情を神から引き離し、

人間的器に向けようとしている。

彼は人々を、単なる器に栄誉を帰すようにそして、すべてのできごとを摂理によって導かれる神の御手を無視するようにとしむける。

こうして賞賛され、

あがめられる宗教的指導者たちは、

しばしば、神に頼ることを忘れて自分に頼るようになる。

その結果彼らは、

神の言葉に頼るかわりに彼らの指導を仰ごうとする人々の、

心と良心とを支配しようとするのである。

改革事業は、支持者たちのこうした精神のために、

しばしば阻止された。

神は、宗教改革運動を

この危険から守ろうとされたのである。

神は、運動が人間の刻印ではなくて、

神の刻印を受けることを望まれた。

人々の目は、真理の解説者としてのルターに向けられていた。

そこで人々の目が、真理の本源である永遠の神に向けられるように、

彼は引き離されたのであった。

 

第8章 注

①D' Aubigne, b.6, ch.11.

②lbid., b.7, ch.1.

③lbid.

④Wylie, b.6, ch.4.

⑤D' Aubigne, b.7, ch.3.

⑥lbid., b.7, ch.4.

⑦lbid.

⑧lbid., b.7, ch.6.

⑨lbid., b.7, ch.7.

⑩lbid.

⑪lbid.

⑫lbid.

⑬lbid.

⑭lbid., b.7, ch.8.

⑮Martyn, p.393.

⑯D' Aubigne, b.7, ch.8.

⑰lbid.

⑱lbid.

⑲lbid.

⑳lbid.

㉑Ibid.

㉒Ibid.

㉓Ibid.

㉔Ibid.

㉕Ibid., b,7, ch.9.

㉖Ibid.

㉗Ibid.

㉘Lenfant, vol.1, P.422.

㉙D' Aubigne, b.7, ch.9.

㉚Martyn, vol.1, p.404.

㉛D'Aubigne, b.7, ch.10.

㉜Ibid.

㉝Ibid.

㉞Martyn, vol.1, p.410.

㉟D' Aubigne, b.7, ch.11.

㊱Ibid.

㊲Martyn, vol.1, p.420.

㊳D' Aubigne, b.7, ch.11.

㊴Ibid., b.9, ch.2.

第9章 スイスにおける改革運動

ツウィングリの生い立ち

教会を改革する器を選ぶに当たっては、

教会を設立する際と同様の神のご計画が見られる。

天からの教師キリストは、国民の指導者として

賞賛や栄誉を受けることに馴れた地上の偉大な人々、

肩書きや富を持った人々をお用いにならなかった。

彼らは、非常に高慢で、

自分に自信を持ち、優越を誇っていたために、

同胞に同情し、謙そんなナザレ人イエスと

協力することができなかった。

無学で苦労して働くガリラヤの漁夫たちに、

「わたしについてきなさい。

あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」

という召しが与えられた(マタイ 4:1 9 )。

この弟子たちは、謙そんでよく聞き従う人々であった。

その時代の偽りの教えに影響されていなければいないほど、

キリストが彼らを

ご用のために教え訓練することが成功を収める。

大宗教改革の時代でもそうであった。

主な宗教改革者たちは低い身分の出で、

その時代の地位の誇りや頑迷(がんめい)さ、

聖職者たちの政策などから最も縁遠い人々であった。

卑しい器を用いて大きな業績を完成することが神のご計画である。

そうするならば栄光は、人間たちではなくて、

彼らに願いを起こさせてそれを実現に至らせ、

神のみこころを行わせられた神に帰せられるのである。

 

ルターがザクセンの鉱夫小屋で生まれた数週間後に、

ウルリッヒ・ツウィングリが、

アルプス山中の羊飼いの小屋で生まれた。

ツウィングリの幼少時代の環境と教育は、

彼の将来の使命に対するよい準備であった。

雄大で美しく荘厳な自然のなかで育ったので、

彼の心には早くから、

神の偉大さと力と威厳とが刻みこまれた。

彼の故郷の山中で成し遂げられた勇敢な行為の歴史は、

彼の若い心に熱望の火を燃やした。

そして彼は、信心深い祖母のかたわらで、

彼女が教会の言い伝えや伝説の中から拾い集めた

貴重な聖書の物語に耳を傾けた。

彼は、熱心に興味深く、父祖たちや預言者たちの偉大な行為の話、

パレスチナの丘で羊を飼っていた羊飼いに天使があらわれた話、

ベツレヘムの赤ん坊でありカルバリーの人であられた

イエスの話を聞いた。

 

ハンス・ルターのように、ツウィングリの父も、息子に教育を

受けさせようと望み、早くから少年を郷里の谷間から送り出していた。

ツウィングリの知能の発達は早く、やがて、

彼を教えることのできる教師を見つけることが問題になった。

彼は13才の時に、

スイスの最高学府の所在地、ベルンに送られた。

しかし、ここで、

彼の前途をはばもうとする危険が迫った。

修道士たちが、

何とかして彼を修道院に誘い入れようとしたのである。

当時はドミニコ会士とフランシスコ会士とが、

人々の人気を得ようとして張り合っていた。

そのために彼らは、

教会を華麗に飾り、荘厳な儀式を行い、

有名な聖遺物や奇跡を行う像などで人を引きつけようとした。

 

ベルンのドミニカン派の修道士たちは、

この有能で若い学者を獲得することができれば、

利益と栄誉を共に確保できると考えた。

彼の非常な若々しさ、

雄弁家また著者としての天分、

音楽と詩の才能などは、

あらゆる誇示虚飾よりも効果的に人々を集会に引きつけ、

彼らの修道会の収入を増加させるものであった。

彼らは、不正な手段やこびへつらいによって、

ツウィングリを彼らの修道院に入れさせようとした。

ルターは学生時代、修道院の一室に閉じこもっていて、

もし神の摂理が彼を解放しなければ、

世から全く失われてしまうところであった。

ツウィングリは、同様の危険に陥ることを免れた。

摂理的に彼の父が、

修道士たちの策略を耳にしたのである。

彼は息子に、

修道士の怠惰で無価値な生活を送らせる気はなかった。

彼は、息子の有用な将来が危機にひんしているのを

知り、彼に直ちに帰宅することを命じた。

 

この命令に従ったものの、

青年は故郷の谷間において長く満足していることはできず、

しばらくしてバーゼルに行って再び勉学を始めた。

ツウィングリが、神の恵みによって救われるという福音に

初めて接したのはここにおいてであった。

古代言語の教授ウィッテンバッハは、

ギリシア語やヘブル語を研究している間に聖書を知るに至り、

こうして彼の教育を受けた学生たちの心に

真理の光が輝いたのである。

彼は、学者や哲学者が説く理論よりも

はるかに古くて

無限の価値を持つ真理があると断言した。

この古くからの真理とは、

キリストの死が罪人の唯一の贖いであるということであった。

ツウィングリにとって、こうした言葉は、

夜明けに先立つ最初の光のようであった。

ツウィングリ、働きにつく

まもなくツウィングリは、

バーゼルから呼ばれて、

彼の一生の仕事に従事することになった。

彼の最初の任地は、彼の郷里からそれほど遠くない

アルプスの教区であった。司祭としての按手を受けてから、

「彼は、全力をあげて、神の真理の探究に専念した。それは、キリストの群れを託された者は、どんなによく聖書を知らねばならないかを痛感したからであった」①と、彼の同僚である一改革者は語っている。

彼が聖書を探究すればするほど、

聖書の真理とローマの邪説との対照がいっそう明らかになった。

彼は、聖書が神の言葉であって、

完全で誤ることのない唯一の規準であることを信じた。

彼は、聖書が聖書自身の解釈者でなければならないことを認めた。

彼は、先入観による理論や教義を支持するために聖書を

説明しようとはせずに、聖書が直接はっきりと教えていることは

何かを学ぶことを彼の義務とした。

彼は、その意味を完全正確に理解するために、あらゆる助けを

活用しようとした。そして、彼は聖霊の助けを祈り求めた。

聖霊は、真剣に祈り求めるすべての者に、

その真意をあらわすのであると、彼は断言した。

 

ツウィングリは次のように言った。

「聖書は、人間からではなく、神から来ている。そして、光をお与えになる神が、み言葉が神からのものであることを理解させてくださる。神の言葉は、・・・・誤ることがない。それは輝き、それ自身を教え、それ自身を啓示し、あらゆる救いと恵みとによって魂を照らし、神にあって慰めを与え、謙虚にする。そこで魂は、自分を忘れ去って、神を受け入れるのである。」

ツウィングリは、こうした言葉を実際に体験していた。

当時の経験を、彼は後にこう書いた。

「わたしが聖書に没頭し始めると、

哲学や神学(スコラ哲学)が常にわたしに

反論するのであった。

そこでわたしは、ついに『それはそのままにしておいて、

神ご自身の単純な言葉からだけ、神が言おうとなさっていることを

学ばなければならない』という結論に達した。

それからわたしは、神の光を求めるようになり、聖書はわたしにとって、

たやすく理解できるようになった。」②

 

ツウィングリが説いた教義は、

ルターから受けたのではなかった。

それは、キリストの教義であった。

「もしルターがキリストを説教しているならば、

彼はわたしと同じことをしている。

彼がキリストに導いた人々は、わたしが導いた者よりは数が多い。

しかしこれは問題ではない。

わたしは、キリストの名以外のどんな名も帯びない。

わたしは彼の兵卒であり、彼だけがわたしの主である。

わたしはルターに一言も書かなかったし、彼もわたしに書いていない。

それだのに、なぜ?・・・・

われわれが何1つ共謀しなかったのに、

キリストの教義をこのように一様に教えるということは、

いかに神の霊ご自身が同一のものであるかを示している」

とツウィングリは言った。③

福音を説く

1516年、ツウィングリは、

アインジーデルン修道院の説教者として招かれた。

この地において、彼は、ローマの腐敗をいっそうつぶさに見た。

そして、彼の故郷のアルプスよりもはるか遠方までも、

改革者としての影響を及ぼすことになった。

アインジーデルンの主要な呼び物の1つに、

奇跡を行う力があると言われている

マリヤ像があった。

修道院の入り口の上には、

「ここで罪の大赦が得られる」と書き記されていた。④

マリヤ像の聖堂には、年中巡礼者が集まった。

しかも、毎年行われる献堂の大祭には、スイス全国は言うに及ばず、

フランスやドイツからも群衆がやってきた。

ツウィングリはこの光景を見て非常に心を痛め、

この機会を捕えて、迷信の奴隷になっている人々に、

福音による自由を宣言したのである。

 

「世界の他のところにまさって

神がこの会堂におられると思ってはならない。

どの国に住んでいても、

神はあなたの回りにおられて、祈りを聞かれる。・・・・

無益な苦行、長い巡礼、ささげ物、聖像、聖母マリヤや諸聖人の祈祷によって、神の恵みにあずかることができようか。・・・・

われわれの祈りの言葉が多くてもなんの役に立とうか。

また、光沢のあるずきん、そった頭、長々と垂れる衣服、

金で刺繍した上靴(うわぐつ)に、なんの功徳があるのか。・・・・

神は心を見られる。

そして、われわれの心は、神から遠く離れている。」

「1度十字架に架けられたキリストは、永遠にわたって、

信じる者の罪を十分に贖(あがな)う犠牲でありいけにえであった。」⑤

 

多くの聴衆にとって、このような教えは喜ばしいものではなかった。

苦しい旅をしてきたものが、無益なことであったと言われることは、

苦い失望であった。

彼らは、キリストによって惜しみなく

与えられる罪のゆるしを理解することができなかった。

彼らは、ローマが指示した天国への古い道で満足していた。

彼らは、さらによいものを探究する労をとりたくなかった。

心のきよめを求めるよりは、

司祭や法王に頼って救いを得る方がやさしかった。

 

しかし、他の部類の人々は、

キリストによる贖いの知らせを喜んで受け入れた。

ローマが命じる儀式は、心の平和を与えなかった。

そこで彼らは、信仰によって、

救い主の血を彼らの贖いの供え物として受け入れた。

彼らは帰国して、

自分たちの受けた貴い光を人々に伝えた。

こうして真理は、

村から村、町から町へと広がり、

マリヤ聖堂に来る巡礼の数は大幅に減少した。

献金額も減り、その結果そこから支給されていたツ

ウィングリの給料も減った。

しかし彼は、狂信と迷信の力が打破されたのを見て、

かえって喜んだ。

 

教会の当局者たちは、ツウィングリの活動に対して盲目でなかった。

しかし彼らはその当座は、

干渉をさしひかえた。

彼らはなお、彼を自分たちの側に引き入れようとして、

甘言によって彼を確保しようとした。

そしてこの間に、真理が人々の心を捕えていったのであった。

チューリヒでの活動

アインジーデルンにおけるツウィングリの活動は、もっと広い範囲の

働きの準備であって、彼はまもなくその働きに入った。

すなわちここに3年いた後、

彼はチューリヒ大聖堂の説教者として召された。

チューリヒは、当時スイス連邦の重要な都市で、

ここでの活動は、

遠くまで影響を及ぼすのであった。

しかし、彼をチューリヒに招いた聖職者たちは、

革新的なものの侵入を防止しようとして、

彼の務めについて次のように訓示を与えた。

 

「あなたは、小額の献金でも見過ごすことなく、

教会の収入を集めるように努力せよ。

説教壇と告解聴聞席の両方において、

忠実な信徒たちに、すべての10分の1税や教会税を納め、

献金によって彼らの教会に対する愛を示すように勧めよ。

病める者から、ミサから、

そしてその他一般の教会儀式から

生ずる収入を増加するよう熱心に努めよ。」

「秘蹟(ひせき)の授与、説教、

群れの世話などもまた、

司祭の務めである。

しかしこれらに関しては、

特に説教については、代理人を用いるがよい。

あなたは著名人にだけ

秘蹟を施し、

しかも、依頼された時だけ行うべきである。

だれかれの区別なく施してはならない。」⑥

 

ツウィングリは、

黙ってこの任命の言葉を聞いた。

そして、この重要な地位に召された栄誉を感謝した後で、

彼は、自分が採用しようとしている方針について説明した。

「キリストの生涯は、

長い間人々から隠されていた。

わたしは、マタイによる福音書全体について説教する。・・・・

わたしは、聖書の泉だけからくみ、その深さを探り、

聖句を聖句と比較して、

熱心で絶えまない祈祷によって理解力が与えられるように求める。

わたしは、神の栄光と神の独り子の賛美と、

魂の真の救いと真の信仰の成長のために、聖職に献身する」

と彼は言った。⑦

聖職者たちの中には彼の計画に反対し、

そうさせまいとする者もあったがツウィングリは

堅く立って動かなかった。

何も新しい方法ではなくて、

初期の純潔であった時代に用いられていた

古い方法を採り入れようとしているのだと彼は言明した。

 

すでに彼が教える

真理に対する興味が呼び起こされ、

多くの人々が彼の説教を聞くために群がって来た。

彼の聴衆の中には、

長い間集会に来ていなかったものも多かった。

彼は福音書を開き、キリストのご生涯、

教え、その死に関する霊感の記述を読んで説明することをもって、

彼の聖職の開始とした。

彼は、アインジーデルンにおけると同様にここでも、

神の言葉を唯一不変の権威あるものとし、

キリストの死を唯一の完全な犠牲として示した。

「わたしはあなたがたを、キリストへ、すなわち、救いの真の源であるキリストへ導きたいと願っている」と彼は言った。⑧

説教者の回りには、政治家や学者から職人、農民にいたるまで、

あらゆる階級の人々が押し寄せた。

非常な興味をもって、彼らは彼の言葉に聞き入った。

彼は、惜しみなく与えられる救いが提供されていることを宣言するだけでなく、当時の害悪と腐敗を恐れることなく譴責(けんせき)した。

多くの者は、神をあがめつつ大聖堂を去っていった。

「この人は、真理の説教者である。

この人は、われわれをエジプトの暗黒から救い出すモーセである」

と彼らは言った。⑨

福音主義と法王主義の抗争

最初、彼の働きは非常に歓迎されたが、

しばらくして反対が起こった。

修道士たちが彼の働きを妨害し、

彼の教えを非難した。

多くの者が、彼をあざけり侮べつした。

無礼な態度をとり、威嚇する者もあった。

しかし、ツウィングリはそれらをみな忍耐して、

「もし、われわれが、悪人をキリストに導こうとするならば、

多くのことに目を閉じなければならない」と言った。⑩

 

ちょうどそのころ、改革事業に一段と力を添えるものが現れた。

ルシアンという人が、

バーゼルにいる改革を信じる友人に遣わされて、

ルターの著書をたずさえてチューリヒに来たのである。

その友人は、これらの書籍の販売が、

光をまき散らす強力な手段であろうと言った。

「本人が慎重で機敏であるかどうかを確かめた上で彼にルターの著書、

特に主の祈りの注解を、

スイス全国の都市から都市、町から町、

村から村、そして家から家へ配布させられたい。

知られれば知られるほど、

買い手は多く現れるであろう」

と彼はツウィングリに書いた。⑪

こうして、光は伝えられていった。

 

神が無知と迷信のかせを打ち砕こうとしておられた時に、

サタンは、人々を暗黒に閉じこめ、

いっそう堅く束縛しようとして、

全力をあげて働いていた。

あちらこちらで人々が立ち上がり、

キリストの血によるゆるしと義とを説いた時に、

ローマはますます強力に、

キリスト教国全土に販路を広げ、金銭によるゆるしを提供した。

 

どの罪にも値段がついていた。

そして、教会の金庫が満たされてさえおれば、

人々はどんな犯罪でも犯すことが許されたのである。

こうして、2つの運動が進められた。

一方は、金銭による罪のゆるしであったが、

他方は、キリストによるゆるしであった。

ローマは罪を公認し、それを教会の財源にした。 改革者たちは

罪を非難し、キリストをその代償、また救出者として指し示した。

 

ドイツにおける免罪符の販売は、ドミニコ会修道士たちにゆだねられ、

悪名高きテッツェルによって行われていた。

スイスでは、イタリアの修道士サムソンの指揮のもとに

フランシスコ会修道士たちの手によって販売されていた。

サムソンは、すでに

ドイツとスイスから莫大(ばくだい)な金額を得て、

法王の金庫を満たし、教会のためによく働いていた。

今や彼は、スイスを巡回し、多くの群衆を引きつけ、

貧しい農民のわずかな収入を奪い、

富裕な階級からは巨額の献金を搾取していた。

しかし改革の影響は、売買を止めることはできなかったが、

すでにその収入を減少させていた。

サムソンが、スイス入国直後に、

免罪符をもって近隣の町に到着したのは、

ツウィングリがまだアインジーデルンにいる時であった。

彼の任務について知らされたツウィングリは、

さっそく彼に反対するために出かけた。

この2人は相会さなかったが、

ツウィングリは巧みにこの修道士の欺瞞をあばいたので、

サムソンは他の地方に去らなければならなかった。

改革事業の進展

ツウィングリはチューリヒにおいて、

免罪符の販売人に痛烈に反対を唱えた。

サムソンが町に近づいた時、議会からの使者が、

彼にそのまま通り過ぎるように通告した。

彼は結局、策略を用いて町に入りはしたが、

1枚の免罪符も売ることができずに退去させられた。

やがて彼はスイスを去った。

 

1519年、スイス全国に流行した大疫病によって、

改革事業に大きな刺激が与えられた。

すなわち、人々がこのために死に直面した時、

つい先ごろ買ったばかりの免罪符が

どんなにむなしく価値のないものであるかを、

多くの者は感じたのであった。

そして彼らは、より確かな信仰の基礎を得たいと熱望した。

チューリヒにいたツウィングリも、疫病に倒れた。

彼は、助かる望みがなかったほど衰弱し、

彼は死んだといううわさが広く伝えられた。

こうした試練の時にあっても、彼の希望と勇気はゆるがなかった。

彼は信仰をもって、カルバリーの十字架を見つめ、

罪に対する十分な贖いの供え物に信頼した。

彼は死の門から帰ってくると、以前にまさる大きな熱情をもって、

福音を宣べ伝えた。

彼の言葉には、異常な力があった。

人々は、瀕死(ひんし)の床から立ち上がってきた敬愛する牧師を、

喜びをもって迎えた。

彼ら自身も、

病人や死にそうな人々の看護をしていたから、

これまでになく福音の価値を感じた。

 

ツウィングリは、

福音の真理をいっそう明らかに理解し、

彼自身が、その新生の力をより十分に経験したのであった。

彼が扱った問題は、人間の堕落と贖罪の計画であった。

「アダムにあって、われわれは、みな死

んだもの、堕落して、罪に定められたものである」と彼は言った。⑫

「キリストは、・・・・われわれのために、永遠の贖いを買いとられた。

・・・・彼の受難は、・・・・永遠の犠牲で、永遠にいやす力がある。

それは、堅くゆるがぬ信仰をもって信頼するすべてのもののために、

神の義を永遠に満足させる。」

しかし人間には、キリストの恵みにあずかったからといって、

罪を続ける自由はないということを、彼ははっきりと教えた。

「神に対する信仰があるところはどこでも、神がおられる。

そして、神が宿られるところはどこでも、

人々によきわざを勧め促す熱心が存在するのである。」⑬

 

ツウィングリの説教に対する興味は、

非常なもので、大聖堂は、

彼の説教を聞きにやって来た群衆で満ちあふれた。

彼は、彼らが理解できる程度に従って、

少しずつ真理を語った。

彼らを驚かし偏見を抱かせるような点については、

最初に語らないように気をつけた。

キリストの教えに彼らの心を引きつけ、

キリストの愛によって彼らの心を和らげ、

彼らの前にキリストの模範を示すことが、彼の仕事であった。

彼らが福音の原則を受け入れるならば、迷信的信仰や習慣は、

必然的に捨て去られるのである。

法王側の妨害

チューリヒにおける宗教改革は、1歩1歩進んでいった。

敵は驚いて、活発に反対運動を起こした。

1年前にウィッテンベルクの修道士が、

ウォルムスにおいて法王と皇帝に対して否と言い、

今チューリヒにおいても、

法王の命令に対して同様の抵抗が起ころうとしていた。

ツウィングリに対して、くり返し攻撃が向けられた。

法王に属する州においては、

しばしば、福音の使徒たちは火刑に処せられた。

しかし、これでも十分

ではなかった。異端を唱えた教師を沈黙させなければならなかった。そこで、コンスタンツの司教は、

3人の使節をチューリヒの議会に派遣して、

ツウィングリは人々に協会の規則を破ることを教えており、

社会の平和と秩序を乱すものであると非難した。

もしも教会の権威をくつがえすならば、

至る所に、無政府状態が起こるであろう、と彼は主張した。

ツウィングリはそれに答えて、自分は4年間、

チューリヒおいて福音を教えてきたが、

「ここは、連邦の中で、他のどんな都市よりも、平穏で平和であった。」

「それだから、キリスト教は、一般社会の安全を保障する

最善のものではないだろうか」といった。⑭

 

教会以外に救いはないと言って、

使節たちは議員たちに、

教会にとどまるよう勧告した。

ツウィングリは次のように答えた。

「このような非難を受けても、動じてはならない。

教会の基礎は、ペテロが忠実にキリストを告白したゆえに

ペテロにその名を与えられたその同じ岩、同じキリストである。

どの国においても、

イエス・キリストを心から信じるものはみな、

神に受け入れられる。

まことに、ここに教会がある。

これ以外においては、だれも救われることはできない。」⑮

これらの協議の結果、

司教の使節の1人は改革派の信仰を受け入れた。

 

議会はツウィングリに不利な決議をすることを拒んだ。

そこでローマは、新しい攻撃の用意をした。

ツウィングリは、敵の策略を知らされた時、

このように叫んだ。

「攻めてくるなら来い。突き出した絶壁が、

そのふもとに打ち寄せる波に動じないように、わたしも恐れない。」⑯

聖職者たちのすることは、

彼らがくつがえそうとしたその運動を、促進するだけであった。

真理は広がり続けた。ドイツの支持者たちは、

ルターが行方不明になったために失望したが、

スイスにおける福音の進展をみて、勇気を取りもどした。

 

チューリヒにおいて宗教改革が確立した時、その結果は、

悪徳の鎮圧と、秩序と調和の促進となって著しくあらわれた。

「平和がわれわれの都市に宿っている。

口論、偽善、しっと、争闘はない。

主とわれわれの教義を除いて

ほかのどこからこのような一致が与えられるであろうか。

これは、われわれを

平和と敬虔(けいけん)の実で満たすのである。」⑰

法王側の策略

宗教改革が勝利を収めたので、

法王派はますます堅い決意をもって、

その撲滅を謀るようになった。

彼らはドイツにおいて、ルターの運動を迫害によっては

さほど鎮圧することができなかったのを見て、

改革それ自身の武器によって改革を迎え撃とうとした。

彼らは、

ツウィングリと討論を行う手はずを定め、

ただその場所だけでなくて、

討論の審査員も自分たちで決めて、必勝を期した。

そして彼らは、ひとたびツウィングリを自分たちの

手中に入れてしまえば、彼を逃さないようにしようとしていた。

指導者を沈黙させるならば、

運動は速やかに弾圧することができるのであった。

しかし、この計画は、極秘のうちに行われていた。

 

討論は、バーデンで行われることに決まった。

しかし、ツウィングリは現れなかった。

チューリヒの議会は、法王派の策略に気づくとともに、

法王派の州において福音を信じた者たちが

火刑に処せられたことに危険を感じ、

彼らの牧師がこうした危険に身をさらすことを禁じたのである。

彼は、チューリヒにおいてならば、

ローマが派遣するすべての法王派と会見するつもりであった。

しかし、真理のための殉教者の血が流されたばかりの

バーデンへ行くことは、明らかに死にに行くことであった。

そこで、エコランパデウスとハラーが改革派の代表として選ばれた。

一方、有名なエック博士が、博学な学者や司教たちの支援を受けて、

ローマを代表することになった。

 

ツウィングリは会議に出席していなかったが、

彼の感化はそこに及んでいた。

書記はみな法王派によって選ばれ、

他の者は筆記することを禁じられて、それを犯すと死刑であった。

それにもかかわらず、

ツウィングリはバーデンで論じられたことを毎日詳しく知らされた。

討論に出席していた学生が、

毎晩その日の議論を記録した。

この記録を、他の2人の学生が、エコランパデウスの

毎日の手紙とともに、チューリヒのツウィングリのところに届けた。

ツウィングリはそれに答えて、助言や指示を与えた。

彼の手紙は夜書かれ、学生たちは、

朝それを携えてバーデンにもどってきた。

町の門番の目を逃れるために、

使者たちは頭に鶏のかごを乗せ、

何のさまたげも受けずに行き来できた。

 

こうしてツウィングリは、

狡猾(こうかつ)な敵との戦いに当たることができた。

「彼は、瞑想(めいそう)、眠らぬ夜、また、バーデンに送った助言によって、

敵たちの間で自分が討論するより、もっと多くのことを行った」

とミコニウスは言っている。⑱

バーデン会談とその影響

ローマ側の人々は、勝利を見越して、

宝石をちりばめた美服をまとって

意気揚々とバーデンに乗り込んでいた。

彼らの食卓には、

ぜいたくのかぎりを尽くした美食と最高の酒が豊富に並べられていた。

彼らは、こうして陽気な歓楽にふけって、

彼らの聖職者としての義務を軽視していた。

改革者たちは、それとは全く対照的に、

乞食の一行よりはややましな程度と見なされるほど質素で、

彼らの食事はつましいものであり、

長く食卓にとどまってなどいなかった。

エコランパデウスの宿の主人は、

彼がいつも部屋で研究をしているか、

それとも祈っているかしているのを見て非常に驚き、

この異端者はとにかく「非常に敬虔」であると報告している。

 

議場において、「エックは、りっぱに飾られた講壇に、

高慢な態度で上ったが、謙虚なエコランパデウスは、

質素な衣服をまとっており、

エックの前にあった粗末な造りの腰かけにすわらせられた。」⑲

エックは、大声で、

無限の確信をもって語った。

信仰の擁護者には

多額の報酬が与えられることになっていたので、

彼の熱心は名誉とともに金銭にも刺激されていた。

そして議論に失敗すると、

相手を侮辱し、口ぎたなくののしりさえするのであった。

 

エコランパデウスは、慎み深く、

自己を過信せず、論争を避けていた。

そして、「私は神の言葉以外のどんな審判の標準も認めない」

という厳粛な誓いの言葉をもって議論に応じた。⑳

エコランパデウスは、柔和で礼儀正しかったが、

力強く、ひるむことなく立った。

法王側がいつものように、

教会の慣習に関する権威を主張した時にも、

改革者は聖書を固持してゆるがなかった。

「わがスイスにおいては、憲法に従ったものでないかぎり、

慣習は無効である。事、信仰に関しては、

聖書がわれわれの憲法である」と彼は言った。㉑

 

この討議に当たった両者の対照は、

影響を及ぼさずにはいなかった。

柔和で慎重な態度のうちに提示された、

改革者の冷静で明快な理論は、

エックの高慢でそうぞうしい憶説をきらった人々の心に訴えた。

 

討議は18日間続いた。

その最後に当たって、法王側は、

大いなる確信をもって勝利を宣言した。

議員たちの多くも、法王側に加担した。

議会は改革者たちの敗北を宣し、

指導者ツウィングリと共に

教会からの除名を布告した。

しかし、会議の結果もたらされたものは、

どちら側が有利であったかを明らかにした。

すなわちこの討議の結果、プロテスタントの運動が強力に推進され、

その後間もなく、ベルンとバーゼルという重要な都市が、

改革の側に立つことを宣言したのであった。

第9章 注

1 Wylie, b.8, ch.5.

2 Ibid., b.8, ch.6.

3 D' Aubigne, b.8, ch.9.

4 Ibid., b.8, ch.5.

5 lbid.

6 lbid., b.8, ch.6.

7 lbid.

8 lbid.

9 lbid.

1 0 lbid.

1 1 lbid.

1 2 Wylie, b.8, ch.9.

1 3 D' Aubigne, b.8, ch.9.

1 4 Wylie, b.8, ch.11.

1 5 D' Aubigne, London ed., b.8, ch.11.

1 6 Wylie, b.8, ch.11.

1 7 lbid., b.8, ch.15.

1 8 D' Aubigne, b.11, ch.13.

1 9 lbid.

2 0 lbid.

2 1 lbid.

【 第10章 ドイツ宗教改革の進展 】

ルターの失踪(しっそう)と人心の動揺

ルターの不可解な失踪は、

ドイツ全国を非常に驚かせた。

どこへ行っても、人々は、彼のことを尋ねていた。

途方もないうわさが広がり、

彼が殺されたと思い込む者も多かった。

明らかに彼の友人であるとわかる者だけでなく、

公然と宗教改革に加わってはいなかった幾千の者までが、

深い悲しみに沈んだ。

多くの者は結束して、

彼の死のふくしゅうを厳粛に誓った。

 

法王側の指導者たちは、

彼らに対する反感の高まりを見て恐れた。

初めはルターが死んだものと思って喜んだが、

すぐに彼らは、人々の怒りから隠れたいと願った。

ルターの敵は、彼が彼らの中にいてどんなに大胆に行動したにしても、

いなくなった今ほどには困らせられなかったのである。

激しく怒って、勇敢な改革者を殺そうとした者も、

今は、彼が自由のきかない

捕虜になっていることに恐怖を抱いた。

「われわれを救う唯一の方法は、

たいまつを点じ、

全世界を回ってルターを尋ね出して、

彼を呼び求めている国民にかえすことだ」という者もあった。①

皇帝の布告も、その威力を失ったかに見えた。

法王の使節たちは、皇帝の布告がルターの運命ほどには

人々の注意をひかないのを見て、非常に怒った。

 

ルターは捕われてはいるが安全であるという知らせに、

人々の不安は静まったが、それとともに、

彼を支持する熱意はさらに高まった。

彼の著書は、

これまでにない非常な熱心さで読まれた。

恐ろしい強敵に立ち向かって、

神の言葉を擁護した英雄の事業に、ますます多くの者が参加した。

宗教改革は、着実に勢力を増しつつあった。

ルターのまいた種が、至る所で芽を出した。

彼がいたのではできなかったような働きが、

彼がいないことによって成し遂げられた。

偉大な指導者が取り去られたために、

他の働き人たちが新たな責任を感じた。

彼らは、新たな信仰と熱心に燃えて

全力をあげて前進し、

りっぱに始められた働きが妨げられないようにしたのである。

 

しかし、サタンも、手をこまぬいてはいなかった。

彼は、今、他のあらゆる改革運動において

試みてきたことをしたのである。

すなわち、真の改革事業の代わりに偽物をつかませて人々を欺き、

滅ぼそうとした。

キリスト教会の第1世紀に

偽キリストたちが現われたように、

16世紀にも偽預言者たちが現れた。

 

宗教界の騒ぎに強く刺激された2、3の者が、

自分たちは天からの特別の啓示を受けたと思い込んだ。

そして、自分たちは、ルターが細々と始めた

改革を完成させるよう神の任命を受けたと主張した。

しかし、実際には、

彼らはルターが成し遂げた

働きそのものをくつがえしていた。

彼らは、改革の根底そのものである大原則、

すなわち、神の言葉は信仰と行為の

完全な規準であるということを拒んだ。

そして、その誤ることのない指導に代えて、

彼ら自身の感情と印象という

変わりやすい不確実な標準を用いた。

誤りと虚偽の偉大な検出器である神の言葉を廃棄する

この行為によって、

サタンが思うままに人間の心を支配する道が開かれた。

偽預言者たち

これらの預言者たちの1人は、

天使ガブリエルから教えを受けたと主張した。

彼と結束した一学生は、自分の勉強を放棄し、

自分は神ご自身から、

神の言葉を説明する知恵が与えられたと宣言した。

他に、生来狂信的な傾向の者たちが

彼らに加わった。

こうした狂信家の行動によって、

少なからず騒ぎが起こった。

ルターの説教によって、至る所の人々は

改革の必要を感じるようになっていたが、

今、真にまじめな人々のなかには、

新しい預言者たちの主張に惑わされる者があった。

 

この運動の指導者たちは、ウィッテンベルクに行き、

メランヒトンと彼の同労者たちに、彼らの主張を訴えた。

「われわれは、人々を教育するために神に遣わされた。

われわれは、親しく主と話してきた。

われわれは、何が起こるかを知っている。

一言で言えば、われわれは使徒であり、預言者である。

そして、ルター博士に訴える」と彼らは言った。②

 

改革者たちは、驚き当惑した。

こうしたことにはまだ当面したことがなく、

彼らはどうしてよいかわからなかった。

メランヒトンは次のように言った。

「確かに、この人々には、異常な霊が働いている。

しかし、それはなんの霊であるか。・・・・

一方において、われわれは、

神の霊を消さないように気をつけなければならない。

そして、他方においては、

サタンの霊に惑わされないようにしなければならない。」③

 

新しい教えの結果が、まもなく明らかになってきた。

人々は聖書を軽んじ、

あるいはそれを全く放棄するようになった。

学校は混乱に陥った。

学生たちは、すべての制限を無視して、

研究を放棄し、大学をやめてしまった。

改革事業を復興して支配することができると考えた人々は、

それを破滅の渕に沈め得ただけであった。

ローマ側は自信をとりもどし、

「あともう1戦交えれば、

すべてはわれわれのものだ」

と勝ち誇って叫んだ。④

 

ワルトブルクにいたルターは、

事の次第を耳にし、憂慮して言った。

「わたしは、サタンがこのような災いを

送ってくることを常に予期していた。」⑤

彼は、これらの偽預言者たちの本性を見抜いた。

そして、真理の運動が危険にさらされているのを見た。

法王や皇帝の反対も、

今彼が経験しているほど大きな悩みや苦しみではなかった。

改革事業の支持者と称する人々の中から、

最悪の敵が現れたのであった。

彼に大きな喜びと慰めを与えた真理そのものが、

教会の中に争闘と混乱を起こすために、

用いられていたのである。

 

改革の働きにおいて、ルターは神の霊によって

前進させられたのであり、自分自身を越えて導かれていた。

彼は、そのような立場をとろうとは意図していなかったし、

またあのような急激な変化を起こそうとは考えていなかった。

彼は、ただ、

無限の神の手中の器に過ぎなかった。

それにもかかわらず、彼は自分の働きの結果について、しばしば悩んだ。

彼は、ある時次のように言った。

「もしわたしの教義が、どんなに身分が低く卑しい人であっても、

その1人、ただ1人でも傷つけたとわかったならば、

―これは福音そのものであるから、

そのようなことはあり得ないのだが―、わたしはそれを取り消す。

取り消さないくらいならば、10回死んだほうがよい。」⑥

改革事業の危機

今や、宗教改革の中心地、

ウィッテンベルクそれ自体が、

狂信と無法の勢力下に急速に陥っていた。

この恐ろしい状態は、

ルターの教えの結果ではなかった。

しかし、ドイツ全国の彼の敵が、

それを彼のせいにした。

彼は非常に心を痛めて、時々、

「それでは、この宗教改革の大事業の

結果は、こんなものなのであろうか」と問うた。⑦

彼は、熱心に神に祈り求めて、ふたたび心に平安が与えられた。

「この仕事は、わたしのものではなくあなた自身のものである。

あなたは、それが迷信と狂信に腐敗されることをお許しにならない」

と彼は言った。

しかしこのような危機にあって、争闘から長く離れている

ということは、耐えられないことであった。

彼は、ウィッテンベルクに帰る決心をした。

 

直ちに、彼は危険な旅に出た。

彼は帝国から追放されていた。

敵は自由に彼の生命を奪うことができたし、

友人たちは彼を助けたりかくまったりすることを禁じられていた。

帝国政府は、

彼の支持者たちに最も厳しい処置をとっていた。

しかし彼は、福音事業が危機にひんしているのを見た。

そして彼は、真理のために恐れることなく闘うために、

主の名によって出ていった。

 

選挙侯に送った手紙の中で、ルターは、

ワルトブルクを去る目的を述べたあとで、次のように言った。

「わたしは、諸侯や選挙侯よりも強力な保護のもとに、

ウィッテンベルクに行こうとしていることを

殿下にお知らせいたします。

わたしは、殿下の支持を求めようとは思いません。

あなたの保護を願うよりは、わたしがあなたを保護したいと思います。

もし殿下がわたしを保護することができ、

あるいは保護しようとなさることがわかっているならば、

わたしはウィッテンベルクに行きたいとは少しも思いません。

この運動は、

剣によっては推進できません。

人間の援助や同意によらず、ただ神だけが万事をなさるべきです。

最大の信仰を持っている者が、最も保護する力があるのです。」⑧

 

ウィッテンベルクへの途中で書いた第2の手紙の中で、

ルターは次のように付け加えた。

「わたしは、殿下のきげんをそこね、

全世界の怒りを招くことを覚悟しています。

ウィッテンベルク市民は、わたしの羊ではないのでしょうか?

神は彼らを、わたしにおゆだねにならなかったのでしょうか?

そしてわたしは、必要ならば、

彼らのために生命を捨てなくていいのでしょうか?

さらに、わたしは、わが国に対する神の罰として、

ドイツに恐ろしい暴動が起こることを恐れるのです。」⑨

 

彼は、非常な慎重さと謙そんをもって、

しかも断固とした決意のもとに、彼の仕事を始めた。

「暴力によって立てられたものを、

われわれは、み言葉によってくつがえし滅ぼさなければならない。

わたしは、迷信深い人々や不信仰な人々に対して、暴力を用いない。

人を強いてはならない。

自由は信仰の本質そのものである。」⑩

ルターの訴え

ルターがすでにもどってきて、説教をしようとしているということは、

まもなくウィッテンベルク中に知れ渡った。

人々は、各地から集まってきて、

教会はあふれるばかりになった。

彼は、説教壇に上り、大いなる知恵と柔和をもって、

教え、勧め、譴責(けんせき)した。

ミサを廃止しようとして暴力に訴えた人々の行動について、

彼は次のように言った。

「ミサは、悪いものである。神は、それに反対しておられる。

それは廃されるべきである。わたしは、全世界において、

福音の聖餐(せいさん)がそれに代わることを望んでいる。

しかし、だれ1人として、暴力によってそれから引き離されてはならない。われわれは、その事を神の手にゆだねなければならない。

み言葉が行動を起こすべきで、われわれではない。

それはなにゆえか、とあなたがたはたずねるであろう。

それは、陶工が土を手に持つように、

人々の心がわたしの手中にあるわけではないからである。

われわれは語る権利がある。

だがわれわれに行動する権利はない。

われわれは宣べ伝えよう。だがそれ以上は神に属する。

わたしが暴力に訴えたとしても、なんの益があろうか。

しかめつら、形式、物まね、人間の儀式、そして偽善である。

・・・・そして、誠実さも信仰も愛も、そこには見られないであろう。

この3つが欠けていれば、すべてが欠けている。

そのような結果は、なんの価値もない。・・・・

神は、あなたとわたしと全世界とが、

力を合わせて行う以上のことを、み言葉だけによってなされる。

神は、人の心を捕えられる。

そして心が捕えられる時に、すべてが得られるのである。・・・・

わたしは、説教し、討論し、著述をする。

しかし、わたしは、だれも強制しない。なぜなら、信仰は自発的な行為だからである。わたしの行ったことを見てほしい。

わたしは、法王に、免罪符に、そして法王の支持者たちに反対したが、

暴力を用いたり騒ぎを起こしたりはしなかった。

わたしは神の言葉を差し出した。わたしは説教し、書いた。

これがわたしの行ったすべてである。

それにもかかわらず、わたしが眠っている間に、・・・・わたしが説いたみ言葉が法王権をくつがえしたのであって、諸侯も皇帝もこれほどの損害を与えたことはなかった。

しかし、わたしは何もしなかった。み言葉だけがすべてを行った。

もしわたしが暴力に訴えたならば、

恐らくドイツ全国に血の雨が降ったことであろう。

そして、その結果はどうであったろうか。

身体も霊魂も滅び失せてしまったことであろう。

それゆえに、わたしは静かにしていた。

そして、み言葉だけを、世界にゆきわたらせておいたのである。」⑪

 

ルターは、1週間にわたって、

毎日、熱心な聴衆に説教しつづけた。

神の言葉が、狂信的な騒ぎを静めた。

福音の力が、

惑わされた人々を真理の道に引きもどした。

 

ルターは、非常な害悪を及ぼした狂信家たちと会うことを望まなかっ

た。彼らは、判断力が健全でなく、感情の未熟な人々で、天からの特別の光を受けたと言いながら、

わずかの反論、または親切な譴責や

勧告さえも受けつけない人々であることを、

彼は知っていた。

彼らは、最高の権威を持ったものであると称して、

いやおうなしに、すべての者に彼らの主張を認めさせた。

しかし、彼らがルターに会見を申し込んできたので、

彼は、彼らに会うことに同意した。

そして彼は、巧みに彼らの化けの皮をはいだので、

偽り者たちは直ちにウィッテンベルクを退散してしまった。

狂信的なトマス・ミュンツァー

こうして、狂信は一時くいとめられた。

しかし、それは数年後にさらに激しく盛りかえして、

恐ろしい結果をもたらした。

この運動の指導者について、ルターは次のように言った。

「彼らにとって、聖書は死文に過ぎない。

そして彼らはみな、『聖霊、聖霊』と叫び出した。

しかし、わたしは彼らの霊の導く所には、

もちろんついて行かない。

どうか、憐れみ深い神が、自称聖徒だけしかいないような教会から、

わたしを守ってくださるように。

わたしは、自分たちの罪を痛感し、

神の慰めと支えを得るために、

心の底からたえずうめき、叫び求める人々、

謙そんで弱く病んでいる人々と共に住みたいと思う。」⑫

 

狂信家の中で最も活動的なトマス・ミュンツァーは、

非常な才能の持ち主であった。

もし彼が正しく指導されたならば、

世を益するところが多かったであろう。

しかし彼は、真の宗教の根本原則を知っていなかった。

「彼は、世界を改革しようと望んだ。そして、すべての熱狂家たちと

同様に、改革はまず自分から始まるべきであることを忘れた。」⑬

彼は、地位と勢力への野望を抱き、

ルターに次ぐ地位でも満足しなかった。

改革者たちが、

法王の代わりに聖書の権威を認めるならば、

それは、ただ別の形の法王権を樹立するだけであると彼は主張した。

そして彼自身は、自分は真の改革を行うために、

神の任命を受けたと主張した。

「この精神を持つものは、

一生涯聖書を見なくても、真の信仰を持つ」

とミュンツァーは言った。⑭

 

狂信的教師たちは、感情のままに支配され、

すべての思いと衝動を神の声であると考えた。

したがって、彼らは、非常に極端であった。

「文字は人を殺し、霊は人を生かす」と叫んで、

聖書を焼く者さえあった。

ミュンツァーの教えは、奇異を好む人心に訴えると共に、

事実上、人間の思想や意見を神の言葉以上に高めて、

彼らの誇りを満足させた。

彼の教義は、幾千のものに迎えられた。

彼はまもなく、公の礼拝のあらゆる秩序を公然と非難し、

諸侯に服従することは神とベリアルの

両方に仕えようとするものである、と宣言した。

 

すでに法王権の拘束を脱し始めていた人々の心は、

国家の権力の束縛にも

耐えられなくなっていた。

神の是認によるものと称したミュンツァーの改革的教義は、

彼らをあらゆる抑制から引き離し、

彼らの偏見と感情の赴くままにさせた。

最も恐ろしい暴動と争闘の場面が続いて起き、

ドイツの国土に血の雨が降った。

 

真理と虚妄(きょもう)との戦い

狂信の結果起こったことが、

宗教改革のせいにされたのを見たルターは、

ずっと以前にエルフルトで経験した苦悩に倍するほどの、

大きな苦悩を味わった。

法王側の諸侯は、ルターの教義は

当然反逆を引き起こすものであると断言し、

多くの者がそれを是認するありさまだった。

こうした非難は、なんの根拠もないものであったが、

改革者ルターに大きな悩みを与えずにはいなかった。

真理の事業が、卑劣な狂信と同一視されて、

このように辱しめられることは、

耐えられないことに思われた。

他方、反逆の指導者たちは、ルターが彼らの教義に反対し、

神の霊感によるものであるという彼らの主張を否定しただけでなく、

彼らを国家の権力に反逆する者であると言ったために、

ルターを憎んだ。

その報復として、彼らはルターを卑しい欺瞞(ぎまん)者と非難した。

彼は、諸侯と民衆の両方の敵意を

招いたかのように思われた。

 

宗教改革が急速に衰えるのを見た法王側は、

大いに喜んだ。

そして彼らは、ルターがけんめいに正そうと

努力してきた誤りさえもルターの責任にした。

狂信者たちは、不当な取り扱いを受けたと偽って、

多くの民衆の同情を得ることに成功した。

そして、誤った側に加担する者が

しばしばそうみなされるように、

彼らは殉教者とみなされた。

こうして、

宗教改革に全力をあげて反対していた者たちが、

残酷と圧制の犠牲者として、同情と賞賛を受けた。

これはサタンの働きであって、最初、天においてあらわされたのと

同じ反逆の精神に動かされたものであった。

 

サタンは、常に人々を欺き、

罪を義と呼び、義を罪と呼ばせる。

彼の働きはなんと成功していることであろう。

真理を擁護して堅く立つために、

神の忠実なしもべたちがなんとしばしば

非難攻撃を受けることであろう。

サタンの代理に過ぎない者が、賞賛とへつらいを受けて、

殉教者とさえみなされている。

他方、その神への忠誠に対して尊敬と支持を受けるべき人々が、

疑惑と不信のもとに孤立させられているのである。

にせの聖潔、偽りの清さが、今なお欺瞞の活動を行っている。

それは、ルターの時代のように、

種々の形態のもとにその精神をあらわし、

人々の心を聖書から引き離して、

神の律法に服従するよりは

自分たちの感情や印象に従うようにさせる。

これは、純潔と真理を非難する

サタンの最も巧妙な手段の1つである。

 

ルターは恐れることなく、

四方からの攻撃に対し福音を擁護した。

神の言葉は、

あらゆる争いにおいて、偉大な武器であった。

その言葉をもって、彼は、法王が僣取(せんしゅ)した権力や、

学者の思弁的な哲学に立ち向かった。

そして他方、彼は、宗教改革と合同しようとした狂信に反対して、

岩のように堅く立ったのである。

 

これら相対立する諸勢力は、

そのいずれもが、聖書を捨て去り、

人間の知恵を、宗教的真理と知識の根源として高めていた。

理性主義は、

理性を偶像にして、それを宗教の規準にする。

ローマ主義は、法王は、使徒伝来の、

そして全時代を通じて

不変の霊感を受けていると主張して、

使徒的任命という神聖な名目のもとに、

あらゆる種類のぜいたくと腐敗をおおいかくしている。

ミュンツァーとその仲間が主張した霊感とは、

気まぐれな想像に過ぎず、

人間の、また神の、

あらゆる権威を破壊するものであった。

しかし、真のキリスト教は、神の言葉を、

霊感による真理の一大宝庫として、

また、すべての霊感の試金石として受け入れるのである。

聖書のドイツ語訳

ルターは、ワルトブルクから帰るとすぐに、

新約聖書の翻訳を完成した。

そしてまもなく、ドイツ国民は、福音を自国語で手にすることができた。

この翻訳は、真理を愛するすべての人々から、

非常な喜びをもって迎えられた。

しかし、人間の伝説や人間の律法を選ぶ人々からは、

軽べつされ拒絶された。

 

司祭たちは、これからは一般の人々が神の言葉の戒めについて

自分たちと討論することができ、

こうして自分たちの無知が暴露されるのではないかと考えて

驚愕(きょうがく)し、不安になった。

彼らの肉的な理論という武器は、

霊の剣の前には無力であった。

ローマは全力をあげて、

聖書の配布を妨害した。

しかし、教書も破門も拷問も、みなむだであった。

聖書を非難し

禁止すればするほど、

人々は、聖書の教えを知ろうと欲した。

読むことができる者はみな、

自分で神の言葉を熱心に研究した。

彼らはそれを、持ち歩いてくり返し読み、

その大部分を

暗唱するまでは満足しなかった。

ルターは、新約聖書が歓迎されたのを見て、

直ちに旧約聖書の翻訳を開始し、

できしだい分冊にして発行した。

 

ルターの著書は、都市でも村でも歓迎された。

「ルターと彼の同志たちの作ったものを、他の者たちが配布した。

修道院制度の不法を悟って、怠慢な長年の生活を

活動的なものに一変しようと望んだが、

しかし神の言葉を宣言するには

無知すぎた修道士たちは、

各地を旅して村々や戸ごとを訪問し、

ルターとその仲間の著書を売った。

ドイツはまもなく、

こうした勇敢な文書伝道者の群れであふれた。」⑮

 

これらの著書は、貧富や学識の有無を問わず、

非常な興味をもって研究された。

村の学校の教師たちは、夜、

炉辺に集まった小さな群れに、それを読んで聞かせた。

こうした努力のたびに、

幾人かの魂が真理を認めて喜んで言葉を受け入れ、

今度は彼らが、福音を他の人々に伝えた。

 

「み言葉が開けると光を放って、

無学な者に知恵を与えます」という

霊感の言葉が実証された(詩篇 119:13 0 )。

聖書の研究は、

人々の心に大きな変化を起こしつつあった。

これまで法王権は、その支配下にある者を鉄のくびきで縛り、

無知と堕落に陥れていた。

形式の迷信的遵守が厳格に継続されていたが、

そのすべての儀式において、

心や知性はなんのかかわりも持たなかった。

しかしルターの説教は、神のみ言葉の明白な真理を示すとともに、

み言葉そのものが、一般の人々の手に渡ったことによって、

彼らの眠っていた能力を呼びさまし、

彼らの霊性を清めて高尚にするだけでなく、

知性に新しい力と活気を与えたのである。

聖書の普及と法王教の打破

あらゆる階級の人々が、聖書を手にして、

宗教改革の教義を擁護するのが見られた。

聖書の研究を司祭や修道士にゆだねていた法王教徒たちは、

彼らが出て来て新しい教義に

反論することを要求した。

しかし、聖書にも神の力にも無知であった司祭や修道士たちは、

彼らが無知だ異端だと弾劾(だんがい)していた人々によって、

完全に打ち負かされてしまった。

「あいにくとルターは、聖書以外のどんな神託も信じてはならないと、

彼の支持者たちに信じ込ませてしまった」

とあるカトリックの著者は言った。⑯

無学な人々が真理を擁護し、

また、学識ある雄弁な神学者と彼らが討論するのを、

群衆が集まって聞くのであった。

これらの大家たちは、

その議論が神のみ言葉の単純な教えによって反論されて、

無知の恥を暴露した。

労働者、兵卒、婦人、そして子供たちでさえ、

司祭や学識のある博士たちよりも、

聖書の教えをよく知っていたのである。

 

福音を信じる者と法王教の迷信を信じる者との対照は、

知識階級のみならず

一般の人々の目にも明らかであった。

「語学の研究と文学の素養をなおざりにしてきた

法王側の老戦士たちに対して、

・・・・広い心をもった青年たちが、

研究に没頭し、聖書を調べ、

古代の傑作に親しんでいた。

活発な頭脳、高貴な魂、そして勇敢な心を持ったこれらの青年たちは、

やがて、長い間にわたって

だれにもひけを取らない知識の持ち主になった。・・・・

従って、これらの若い改革擁護者たちは、

どのような会合において法王側の博士たちと相対しても、

非常なゆとりと確信をもって彼らを攻撃するので、

無知な彼らはうろたえ、当惑し、

衆人の前で恥をかくのであった。」⑰

 

ローマ側の司祭たちは、

自分たちの会衆が減少するのを見て当局の援助を求め、

自分たちも全力をあげて聴衆を引きもどそうと努めた。

しかし人々は、新しい教えの中に

彼らの魂の必要を満たすものを見いだした。

そして、長い間迷信的な儀式と人間の伝説という

無価値な豆がらを与えてきた者からは、顔をそむけて離れていった。

 

真理の教師たちに迫害の火の手があがった時、

彼らは、「1 つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい」

というキリストの言葉に従った(マタイ 10:23 )。

光は、至る所に照り輝いた。

逃亡者たちは、どこかで彼らを迎えてくれる家を見つけ、

そこに泊まって、ある時は教会で、またそれが許されなければ個人の家、

または戸外で、キリストを説教したのである。

どこであろうと聴衆がありさえすれば、

そこは彼らにとって聖い神殿であった。

このような活気と確信のもとに宣言された真理は、

破竹の勢いで広まった。

 

教会当局と政府当局の両方が異端を撲滅しようとしたが、

むだであった。

投獄、拷問、火刑、

剣を用いてもむだであった。

幾千という信者が殉教したが、

働きは前進していった。

迫害は、真理の進展を促すだけであった。

そして、サタンがそれと合流させようと努めた狂信も、

サタンの働きと神の働きの区別を

いよいよ明らかにする結果に終わったのである。

 

第10章 注

①D' Aubigne, b.9, ch.1.

②lbid., b.9, ch.7.

③lbid.

④lbid.

⑤lbid.

⑥lbid.

⑦lbid.

⑧lbid., b.9, ch.8.

⑨lbid., b.9, ch.7.

⑩lbid., b.9, ch.8.

⑪lbid.

⑫lbid., b.10, ch.10.

⑬lbid., b.9, ch.8.

⑭lbid., b.10, ch.10.

⑮lbid., b.9, ch.11.

⑯lbid.

⑰lbid.

 

【 第11章 信教の自由のための戦い 】

シュパイエル議会開かる

宗教改革擁護のために宣言された最も高潔な証言の1 つは、

1529年にシュパイエルの国会で、

ドイツのキリスト教諸侯が提出した『抗議書』であった。

これら神の人々の勇気と信仰と堅固な態度は、

その後の幾世代にわたって、思想と良心の自由を確保した。

彼らの『抗議書』が、

改革教会にプロテスタントという名称を与えた。

その原則は、「プロテスタント主義の真髄そのもの」である。①

 

宗教改革にとって、暗く険悪な時代が到来していた。

ウォルムスの勅令によってルターは破門され、

彼の教義を教えたり信じたりすることは禁じられていたけれども、

これまでのところ、ドイツにおいては、

宗教上の自由が保たれていた。

神の摂理によって、

真理に反対する勢力が抑えられていた。

カール5世は、宗教改革を鎮圧しようとしたが、

打撃を加えようとすると、

それを他へ向けねばならなくなることがしばしばあった。

幾度となく、ローマに反抗するすべてのものは、

直ちに打ち滅ぼされることが不可避に思われた。

しかし、そうした危機に、

トルコの軍勢が東の国境に現れたり、

あるいは、フランス国王、または法王自身でさえも、

皇帝の勢力の増大をねたんで、戦いをいどんできたのである。

こうして、諸国の紛争と騒乱の中で、

宗教改革は力をつけ、発展していくことができた。

 

しかし、ついに法王側が

彼らの紛争をやめ、力を合わせて

改革者たちに当たってきた。

1526年のシュパイエルの議会は、

一般教会会議が開かれるまでは宗教に関して

各国に完全な自由を与えていた。

しかし、このような譲歩を必要としたところの

危険が過ぎ去るやいなや、皇帝は、異端撲滅を目的とした

第2回シュパイエル議会を1529年に開いた。

諸侯たちは、できるなら平和的な方法で、

改革に反対するように誘われるのであった。

しかし、それが失敗すれば、

カールは剣に訴える用意をしていた。

 

法王側は勝ち誇った。

彼らは大ぜいでシュパイエルに乗り込み、

改革者と支持者たちのすべてに対して、

公然と敵意をあらわした。

メランヒトンは言った。

「われわれは、世ののろいを受け、ちりのように思われている。

しかし、キリストは、彼のあわれな民をながめ、

保護されるのである。」②

議会に出席中の、

福音を信じる諸侯は、彼らの邸宅において

福音の説教をすることさえ禁じられた。

しかし、シュパイエルの人々は、神のみ言葉にかわいていた。

そこで、禁じられていたにもかかわらず、

幾千という人々がザクセン選挙侯の礼拝堂で開かれた集会に集まった。

 

これは危機を早めた。

良心の自由を許した決議が大混乱を引き起こしたために、

皇帝はそれを撤廃する、

という勅令が議会に対して発表された。

この専横な行為は、

福音的キリスト者たちの憤りと驚きを引き起こした。

ある人は、「キリストは、ふたたび、カヤパとピラトの手に落ちた」

と言った。ローマ側は、さらに猛威をふるった。

ある頑迷(がんめい)な法王教徒は言った。

「トルコ人は、ルター派の者よりはよい。なぜならば、トルコ人は

断食を守っているが、ルター派はそれを破っている。われわれが、

神の聖書か教会の昔からの誤りかを選ばなければならないとすれば、

われわれは、前者を拒否する。」

メランヒトンは、「ファーベルは、毎日議会全体の前で、

われわれ福音を信じる者に、新しい石を投げつける」と言った。③

危険な妥協案

宗教の自由は、法的に確立されていた。

そして、福音主義に立つ諸州は、

彼らの権利の侵害に反対する決意をした。

ルターは、依然としてウォルムスの勅令によって破門されていたので、

シュパイエルに行くことは許されなかった。

しかし、彼の同労者と、この危機において神の事業を擁護するために神が起こされた諸侯とが、彼の代理をつとめた。

前にルターを保護したザクセンの高潔なフリードリヒ選挙侯は、

もうこの世の人ではなかった。

しかし、彼の兄弟で後継者のヨハン公も喜んで改革を歓迎し、

平和の愛好者でありながら、

信仰に関するすべてのことについては

非常な努力と勇気とを示した。

 

司祭たちは、宗教改革を受け入れていた諸州が、

ローマの支配に絶対的に従うことを要求した。

しかし改革者たちは、

以前に許されていた自由を主張した。

非常な喜びをもって神の言葉を受け入れた諸州を、

ふたたびローマの支配下におくことに、

彼らは同意することができなかった。

 

そこで、ついに妥協案として、

宗教改革がまだ確立されていないところにおいては、

ウォルムスの勅令を施行すべきことが提案された。

そして、「その勅令に従わない州、

また、これに従おうとすれば反乱が起こる危険のあるところでは、

少なくとも、新しい改革をなさず、論争点には触れず、

ミサを行うことに反対せず、ローマ・カトリック信者に

ルター主義を受け入れることを許さないようにする」ことが

提案された。④

この案が議会を通過し、

法王側の司祭と司教たちは、大いに満足した。

 

もしこの勅令が実施されるならば、「宗教改革は、

それがまだ伝わっていないところに・・・・伝えられることができず、

また、それがすでに伝えられたところでは、

堅固な基礎の上に確立されることもできなかった。」⑤

言論の自由が禁止され、改宗することも許されなくなる。

そして、このような制限と禁止に

改革支持者たちは

直ちに服さなければならなかった。

世界の希望は、消え去るかと思われた。

「ローマの教権制度の復興が・・・・

古来の悪弊を再びもたらすことは確かだった。」

そして、狂言と紛争のために

「すでに激しく動揺している事業を、完全に崩壊させる」

機会は、すぐに見いだされることであろう。⑥

信教自由の危機

福音派の会議が開かれた時に、

お互いは困惑した顔をしていた。

彼らは、次々に「どうすればよいのか?」と問うた。

今や、世界の運命を決定する

大問題が持ち上がっていた。

「改革派の首脳者たちは、屈服して、勅令に従うであろうか。

この危機、真に恐るべき危機において、

誤った道に落ちこんでしまうことは、何とやさしかったことであろう。

屈服するためのまことしやかな口実やもっともな理由は、

いくらでもあった。

 

ルター派の諸侯には、

信教の自由が与えられていた。

同じ自由は、

この案が通過する前に改革派の信仰を持った

すべての臣下にも、与えられていた。

彼らは、これで満足すべきではなかったか。

服従すれば、どんなに多くの危機を避けることができるであろう。

反対するならば、どんなにはかり知れない

危機と争闘に巻き込まれることであろうか。

将来、どんな機会があるかわからない。

平和を結ぼう。

ローマが差し出すオリーブの枝をつかんで、

ドイツの傷をつつもう。

―このような議論のもとに、

改革者たちは、

速やかに彼らの事業をくつがえしてしまう道に進むことを、

正当化することもできたであろう。

 

しかし幸いにも彼らは、こうした妥協の根底にある原則を見て、

信仰によって行動した。

その原則とは、なんであったろうか。

それは、ローマは良心を強制し、

自由な研究を禁じる権利を持つという主張である。

しかし、彼ら自身とプロテスタントの臣下には、

宗教上の自由が与えられないのであろうか。

いや、与えられはするが、それは妥協案の中で特に記載された

恩恵としてであって、権利としてではない。

その措置以外のあらゆる点においては、

権威の大原則が支配するのであった。

良心は無視された。

ローマは、誤ることのない裁判官で、服従を要求した。

妥協案を受け入れることは、

改革主義を受け入れたザクセンだけに宗教の自由を限定することを、

事実上認めたことになる。

そして、その他のすべてのキリスト教国においては、

改革主義の信仰を研究して信じることは犯罪で、

投獄と火刑の罰を受けなければならなかった。

彼らは、宗教の自由を一地方にとどめるということに、

同意できるであろうか。

宗教改革の改心者はこれで終わり、

征服すべき地はこれまでであると宣言するのであろうか。

そして、現在ローマが支配しているところはどこであっても、

永久にその主権が続くのであろうか。

改革者たちは、この協定が実施されることによって、

法王権下の地方において生命をささげなければならなくなる

幾百幾千の人々の血に対して、

自分たちの無罪を主張することができるであろうか。

そうすることは、この一大危機において、

福音の事業とキリスト教国の自由に対する

裏切りとなるのであった。」⑦

そこで彼らは、むしろ、「すべてのものを、国や王位や生命さえも、

犠牲にしよう」としたのである。⑧

皇帝側と改革派の対立

「われわれは、この法令を拒否しよう。良心の問題に関しては、多数

といえども権力を有しない」と諸侯は言った。

また代議員たちは言った。

「帝国の平和が保たれているのは、

1526年の勅令のおかげである。

それを破棄すれば、全ドイツは紛争と分裂に陥るであろう。

国会は、会議が開かれるまで宗教の自由を保つより他に、

何もすることはできない。」⑨

良心の自由を保護することは、国家の義務である。

そして、宗教の事に関して、これが国家の権力の限界である。

国家の権力によって、宗教的行事を規定し、

または強制しようとする政府はみな、

福音を信じるキリスト者が、

そのためにおおしく闘った原則そのものを犠牲にしているのである。

 

法王側は、彼らのいわゆる

「大胆な強情」を鎮圧しようと決意した。

彼らはまず、宗教改革の支持者間に分裂を起こさせ、

またそれに公然と賛成していない者を

みな威嚇しようとした。

ついに、自由都市の代表者たちは議会に召喚され、

提案の条項に同意するかどうかを

宣言することを要求された。

彼らはしばらくの猶予を願ったが、許されなかった。

彼らは試問を受け、

その約半数は改革者の側についた。

良心の自由と各自の判断の権利を犠牲にすることを拒んだ者は、

そうした立場をとったことが、

将来批判や非難や迫害の的になることをよく知っていた。

代議員の1人は、「われわれは、神の言葉を拒否するか、

それとも火刑になるかのどちらかである」と言った。⑩

 

議会における皇帝の代理者、フェルディナント王は、

諸侯に法令を受け入れさせ支持させるのでなければ、

重大な分裂が起こるのに気づいた。

そこで彼は、彼らに対して暴力を用いることは、

ますます彼らの決意を固めさせるだけであることを悟って、

努めて彼らを説得することにした。

彼は、「諸侯に、法令を承認することを請い、

皇帝はそれを非常に喜ばれるであろうと断言した。」

しかし、忠実な諸侯は、地上の支配者以上の権力を認めていた。

そして、彼らは、冷静に、

「われわれは、平和の維持と神の栄光のためであるならば、

万事皇帝に従う」と答えた。⑪

 

ついに、王は、議会において、

選挙侯と彼の支持者たちに、法令は

「皇帝の勅令として発布されるばかりであり、」

「彼らの残された唯一の道は、多数に従うだけである」

と伝えた。

彼は、こう言ってから議会を退場し、

改革者たちに討議や返答の機会を与えなかった。

「彼らは使者を派遣して、

王が議会にもどるよう懇請したが、むだであった。」

彼らの抗議に対して、王は、

「これはすでに決定している。後は服従があるのみである」

と答えるだけであった。⑫

 

皇帝側は、

キリスト教諸侯が聖書を人間の教義や

規則以上のものとして固守することを知っていた。

そして、この原則が受け入れられているところはどこでも、

必ず法王権がくつがえされてしまうことを知っていた。

しかし、彼らの時代以降の幾多の者たちと同様に、彼らは、ただ

「見えるもの」だけを見て、皇帝と法王の側が強く、

改革者の運動は弱いと思いこみ、

得意になったのであった。

もし改革者たちが、人間的な助けだけに頼っていたならば、

法王側の想像したとおり無力であったことであろう。

しかし、数は少なく、ローマに敵対してはいても、

彼らには力があった。

彼らは、「議会の決議ではなくて、

神の言葉、カール皇帝ではなくて、

王の王、主の主であられるイエス・キリストに」訴えたのである。⑬

『抗議書』の提出

諸侯は、フェルディナントが

彼らの良心の確信を認めなかったので、

彼の退席を意に介さず直ちに議会に

彼らの『抗議書』を提出することにした。

そこで、厳粛な宣言が作成されて、

議会に提出された。

 

「われわれは、われわれの唯一の創造主、維持者、贖罪主(しょくざいしゅ)、

救い主、また、われわれの審判者となられる神、

および、全人類と全被造物の前で、抗議を提出する。

われわれは、われわれとしても国民としても、その法令の中で、

神に反し、神のみ言葉、われわれの正しい良心、

われわれの魂の救いに反することには、

絶対に同意支持することはできない。」

 

「われわれがこの勅令を承認することなどできようか。全能の神が、

人間に神の知識を示されるにもかかわらず、人間は神の知識を

受けることはできないなどということがあり得ようか。」

「神の言葉に一致するもの以外に、確かな教義はない。・・・・

主は、その他の教義の宣布を禁じられる。・・・・

聖書は、他の、より明白な聖句によって説明されるべきである。・・・・

この聖書は、すべての事においてキリスト者に必要なものであり、

理解しやすく、

暗黒を撃退するためのものである。

われわれは、神の恵みによって、旧新約聖書各巻に含まれている

神の言葉だけの純粋独特の説教を維持し、

それに反するどんなものをも付加しないことを決意している。

この言葉が唯一の真理である。

これが、すべての教義と人生全般の確かな規準である。

それは決してわれわれを失望させたり、欺いたりしない。

この基礎の上に築くものは、

黄泉のすべての力に立ち向かうことができるし、

他方それに対抗して立てられたあらゆる人間的栄華は、

神の前に崩れ落ちるのである。」

 

「このような理由のもとに、われわれは、課せられた束縛を拒否する。」

「同時に、われわれは、

皇帝が、何よりも神を愛するキリスト者君主として、

われわれを遇されることを期待する。

そうすればわれわれは、あなたがた恵み深き諸侯に対すると同じく、

われわれの正当当然の務めである愛情と服従のすべてを、

喜んで皇帝に表明することを宣言するものである。」⑭

 

議会は、深い感動を受けた。

その大多数は、抗議者たちの大胆さを見て、

驚きと恐れとに満たされた。

将来は、波乱と不安に満ちているように思われた。

不和、争闘、流血は不可避に思われた。

しかし改革者たちは、彼らの運動が正しいことを確信し、

全能の神のみ手にすがり、

「勇気と堅い決意に満ちて」いた。

プロテスタントの根本精神

「この有名な抗議書に含まれた原則は、・・・・

プロテスタント主義の本質そのものであった。

この抗議書は、

信仰の問題に関する人間の2つの害悪に抗議している。

その第1は、為政者の侵害であり、

第2は、教会の独断的権力であった。

プロテスタント主義は、これらの害悪の代わりに、

政権以上に良心の能力を重んじ、

目に見える教会以上に神の言葉の権威を認める。

それは、まず第1に、政権が神の事柄に関与するのを拒み、

預言者や使徒たちと共に、

『人に従うよりは、神に従うべきである』と言う。

それは、カール5世の王冠の前で、

イエス・キリストの王冠を掲げる。

しかし、さらに1歩進めて、

すべての人間の教えは神の言葉に

従うべきである、という原則を規定する。」⑮

 

 

そればかりでなくて、抗議者たちは、

自分たちが真理と信じることを自由に語る権利を主張した。

彼らは、信じて従うだけでなくて、

神の言葉が提示していることを教えたいと望み、

司祭や政権の干渉権を拒んだ。

シュパイエルの抗議書は、

宗教的弾圧に対する重大な証言であった。

そして、それは、

良心の命じるままに神を礼拝する全人類の権利の主張であった。

 

宣言は行われた。

それは、幾千の人々の記憶に刻まれると共に、

だれも消すことができない天の書に記録された。

ドイツの福音派は、

すべて、この抗議書を信仰の表明として採用した。

各地において、人々は、この宣言に、

新しい、よりよい時代の希望を認めた。

諸侯の1人は、シュパイエルの抗議者たちに次のように言った。

「どうか、力強く自由に、恐れることなく告白する恵みを

あなたがたに与えられた全能の神が、

永遠の日まで、あなたがたにそのようなキリスト者の堅実さを

持たせられるように祈る。」⑯

 

もし宗教改革が、ある程度成功を収めた後で、

世俗の支持を得るために世と妥協したならば、

それは神に不忠誠であるとともに、運動そのものに背くことになり、

ついには自滅したことであろう。

これらの高潔な改革者たちの経験は、

その後のすべての時代の人々に教訓を与えている。

 

神と神の言葉に反対して働くサタンの方法は変わっていない。

彼は、16世紀におけると同様に、

今もなお、聖書を生活の規準にすることに反対している。

現代においては、

改革者たちの教義や信条からの大きな逸脱が見られる。

われわれは、信仰と行為の基準は、聖書、そして聖書だけである

というプロテスタントの大原則に、帰らねばならない。

サタンは、今なお、あらゆる手段を用いて、

宗教の自由を粉砕しようとしている。

シュパイエルの抗議者たちが拒否したところの反キリスト者的力は、

今新たな力をもって、

失った主権を回復しようとしている。

あの宗教改革の危機において表された、

神のみ言葉に対するゆるがぬ信仰が、

今日の改革の唯一の希望である。

天使の守護

改革者たちに危険が迫ったことを示すしるしがあらわれた。

また、忠実な者を保護するために

神のみ手がのべられたことを示すしるしもあった。

ちょうどこのころのことであった。

「メランヒトンは、彼の友人シモン・グリナエウスを連れて、

大急ぎでシュパイエルの町を通りぬけてライン河に向かい、

彼をせきたてて河の向こう側に渡らせた。

そのときシモンは、なぜこうも急がせられるのかと不思議に思った。

『謹厳な風采(ふうさい)をした見知らぬ1人の老人が、

わたしの前に現れて、フェルディナント公から派遣された役人が、

グリナエウスを捕えにすぐやってくると言ったのだ』

とメランヒトンは言った。」

 

その日グリナエウスは、法王側の大博士ファーベルの説教に憤慨し、

「まことに憎むべき誤り」を弁護しているとして、

彼に抗議したのであった。

「ファーベルは、怒りを隠していたが、その後直ちに王のところへ行き、

王から、このハイデルベルクのかたくなな教授、

グリナエウスの逮捕命令を得たのである。

メランヒトンは、神が、聖天使の1人を送って、

警告を与え、彼の友人を救ってくださったことを疑わなかった。」

 

「メランヒトンは、ライン河の岸辺にじっと立って、

川の流れが、迫害者の手からグリナエウスを救うのをみつめていた。

彼が対岸に到着すると、

『やっと彼は、罪なき者の血に飢えた残酷なきばから免れた』

とメランヒトンは叫んだ。

彼が家に帰ってみると、

グリナエウスの捜索隊が、

家の中を隅から隅まで捜し回ったことを知らされた。」⑰

アウグスブルクの議会

宗教改革は、地上の偉大な人々の前に、

卓越した存在として現れることになった。

フェルディナント王は、福音を信じた諸侯の訴えを

拒んだのであったが、彼らは、皇帝および教会と

国家の高位高官の集まった面前で、

彼らの信仰について述べる機会が与えられた。

カール5世は、国内を騒がせた紛争を静めるために、

シュパイエルの抗議の翌年、

アウグスブルクにおいて議会を開き、

自分自身が議長になると発表した。

そこへ、プロテスタントの指導者たちが召喚された。

 

宗教改革は、大きな危険にさらされた。

しかし、その支持者たちは、なお彼らの運動を神にゆだね、

福音のために堅く立つ決意であった。

ザクセンの選挙侯は、

議会に行かないように大臣たちから勧告された。

皇帝は諸侯をわなに陥れようとして、

彼らの出席を要求している、と大臣たちは言った。

「強力な敵がいる町に行って、その城内に自分を閉じこめることは、

すべてを危険にさらすことではありませんか。」

しかしおおしくも、

「諸侯はただ、勇気をもって身を処せばよい。

そうすれば、神の事業は救われる」と断言する人々もいた。

「神は忠実な方である。神はわれわれを捨てられない」

とルターは言った。⑱

 

選挙侯は従者たちを連れて、アウグスブルクに向かって出発した。

すべての者は、彼がさらされている危険を知っていた。

そして、多くの者は沈うつな顔をして、

重い気持ちをもって道を進んだ。

しかし、コーブルクまで同道したルターは、

その旅行中に作った「神は、わがやぐら」という讃美歌を歌って、

沈みがちな彼らの信仰を奮い起こさせた。

霊感のこもった歌声を聞いて、

多くの者の心の不安は去り、重い心は軽くされた。

 

改革側の諸侯は、自分たちの見解に

聖書の証明を添えて組織立てた宣言書を、議会に提出することにした。

そして、その作成の任務は、

ルターとメランヒトンとその同僚たちにゆだねられた。

この信仰告白は、プロテスタントの者たちによって、

彼らの信仰の表明として受け入れられた。

そして、彼らは、

この重要な書類に署名するために集まった。

それは、厳粛な試練の時であった。

改革者たちは、この運動が政治問題と

混同されることがないよう、気を使っていた。

彼らは、宗教改革が、神の言葉から出る

感化以外のどんな力をも行使すべきでないと感じていた。

キリスト者の諸侯が信仰告白に署名しようと進み出た時、

メランヒトンは彼らをさえぎって、

「これらのことは、神学者や聖職者が提議すべきものです。

地上の偉大な人々の権力は、他のことのために保留しておかれたい」

と言った。ザクセンのヨハンは、次のように答えた。

「いや、わたしを除外されては困る。

わたしは、自分の王冠のことなど問題とせず、

正しいと思ったことをする決意である。

わたしは、主を告白したい。わたしの選挙侯としての王冠や王衣は、

わたしにとって、イエス・キリストの十字架ほど尊くない。」

彼は、こう言って自分の名を署名した。

諸侯の1人は、ペンをとって言った。

「わたしの主イエス・キリストのみ栄え

のためであるならば、・・・・わたしの財産も生命も捨てる覚悟である。」

さらに次のように言った。

「この信仰告白のなかに含まれている教義以外のものを受け入れるよりは、むしろ、わたしの国民と国家を捨て、

無一物で父祖の地を追われることを望む。」⑲

これら神の人々は、このような信仰と勇気を持っていた。

堂々たる信仰告白

ついに皇帝の前に立つ時が来た。

カール5世は、

選挙侯や諸侯に囲まれて王位につき、

プロテスタントの改革者たちの言葉に耳を傾けた。

信仰の告白が読み上げられた。

この華麗な会議において、

福音の真理が明らかに宣言され、

法王の教会の誤りが指摘された。

この日を称して、「宗教改革の最大の日、

キリスト教と人類歴史の最も輝かしい日の1つ」で

あると言われるのは当然である。⑳

 

ウィッテンベルクの修道士がウォルムスの国会で

ただ1 人で立った時から、まだ数年しか経っていなかった。

今、彼に代わって、

帝国内の最も高貴で有力な諸侯たちが現れた。

ルターは、アウグスブルクに姿を見せることを禁じられていたが、

彼の言葉と祈りとによって出席していた。

「わたしは、この時まで生きてきたことを非常に喜ぶ。

今、キリストは、このような輝かしい会合において、

このような堂々たる告白者たちによって、

公然とあがめられたのである」と彼は書いた。㉑

こうして、「わたしはまた王たちの前にあなたのあかしを語」る

と言う聖書の預言が成就した( 詩篇 119:46)。

 

パウロの時代において、

パウロは福音のために投獄されたのであったが、

そのために福音は、ローマ市の王侯や貴族に伝えられた。

この場合も同様で、

皇帝が説教壇から説教することを禁じたものが、

王宮から宣言された。

召使いでさえ聞くべきものでないと言われたものを、

帝国の領主や諸侯たちが、

驚嘆して聞いたのである。

王侯、貴人が聴衆で、

諸侯が説教者で、説教は、

神の尊い真理についてであった。

「使徒時代以来、

これほどの大きな業や堂々たる告白が

行われたことはなかった」とある著者は言っている。㉒

 

「ルター派の言ったことは、みな真実である。

われわれは、それを否定することはできない」と法王側の司教が言った。

「選挙侯とその支持者たちが作成した告白を、

あなたは正しい理由のもとに論ばくできるか」

と他の者がエック博士に尋ねた。

「使徒や預言者の書によるならばできない。

しかし教父や会議の書によるならばできる」と彼は答えた。

「わかった。あなたの言葉によれば、

ルター派は聖書的であり、

われわれは非聖書的なのだ」と質問者は言った。㉓

 

ドイツの諸侯の何人かは、

改革派の信仰に導かれた。

皇帝自身が、

プロテスタントの信条は真実であると宣言した。

信仰告白は、多くの国語に翻訳されて、

全ヨーロッパに散布された。

そしてそれは、その後、

各時代の幾百万人の信仰の告白として用いられたのである。

 

神の忠実なしもべたちは、ただ1 人で苦労しているのではなかった。

もろもろの支配と権威と天上にいる

悪の霊がこぞって彼らに対抗しても、

主は主の民を捨てられなかった。

もしも彼らの目が開かれたならば、

彼らは、昔の預言者に与えられたのと

同じ神の臨在と助けの著しい証拠を見たことであろう。

エリシャのしもべが、自分たちは敵軍に包囲され、

逃げる機会が全くなくなったことをエリシャに告げた時に、

エリシャは、「主よ、どうぞ、彼の目を開いて見させてください」

と祈った(列王紀下 6:17)。

彼が見ると、火の馬と火の戦車が山に満ちて、

天の軍勢が神の人を保護するために

部署についていた。

このように、天使たちが、

宗教改革における働き人たちを保護したのであった。

ルターの持した態度

ルターが最も厳格に守った原則の1つは、

宗教改革支援のために世俗の権力に頼ったりせず、

その擁護のために武力に訴えたりしない、

ということであった。

彼は、福音が、

帝国の諸侯たちによって告白されたことを喜んだ。

しかし、彼らが擁護連盟を結成することを提案した時に、

彼は次のように言った。

「福音の教義は、

ただ神だけが擁護すべきものである。・・・・

人間の手出しが少なければ少ないほど、

福音のための神の介入はいっそう著しくあらわれるであろう。」

「すべての用心深い予防策は、

彼の意見によれば、

無用な恐怖とはなはだしい不信によるものであった。」㉔

 

強力な敵が、

合同して改革派の信仰をくつがえそうとした時、

そして、無数の剣が抜き放たれようとした時ルターは書いた。

「サタンは怒りに燃えている。

不信仰な司教たちは、策を練っている。

そしてわれわれは、戦争に脅かされている。

われわれは、信仰と祈りによって、

主のみ座の前で勇敢に神に訴えるように人々に勧め、

神の霊に征服された敵が平和を求めてくるようにしよう。

われわれの最大の必要、最大の仕事は祈りである。

人々に、今や彼らは剣の刃とサタンの怒りに

さらされていることを知らせよう。

そして彼らに祈らせよう。」㉕

 

後日ルターは、改革派の諸侯たちが

連盟を企てたことについて再び言及して、

この戦いにおける唯一の武器は、「御霊の剣」でなければならな

いと言明した。彼は、ザクセンの選挙侯に書いた。

「われわれは、連盟の提案には、

良心的理由によって賛成できません。

われわれは、福音のために1滴の血を流すよりは、

むしろ10回死ぬほうがよいのです。

われわれの側は、ほふり場の小羊のようなものです。

キリストの十字架を負わねばならないのです。

選挙侯よ、恐れないでください。

われわれは、敵が彼らの誇りによってなすすべての事以上のことを、

祈りによってなすのです。

ただ、あなたの手を兄弟の血で汚さないでいただきたい。

もし、皇帝がわれわれを裁判官に引き渡すならば、

われわれは出頭する覚悟です。

あなたは、われわれの信仰を擁護することはできません。

各自が、自分自身の責任において、信じなければならないのです。」㉖

祈りの力

大宗教改革によって世界を揺り動かした力は、

密室の祈りから出たものであった。

そこにおいて、神聖な静けさのうちに、

主のしもべたちは神の約束の岩の上にしっかりと立った。

アウグスブルクの闘争の間中、ルターは、

「1日に少なくとも3時間は、祈りに時を費やした。

そして、それは、

研究のために最もよい時間を割いたものであった。」

彼が1人自分の部屋の中で、「崇敬と恐れと希望に満ちて、

友人と語るかのような」言葉で、

神の前に彼の魂を注ぎ出すのが聞こえた。

「わたしは、あなたがわたしたちの父であり、

わたしたちの神であられることを知っています。そして、あなたが、あなたの子供たちを迫害するものを散らされることを知っています。

それは、あなたご自身が、わたしたちと共に危険に陥って

おられるからです。この事は、ことごとくあなたのものです。

そして、わたしたちが、それに着手したのも、あなたによって、

そうさせられたにすぎません。それですから、ああ、父よ、

わたしたちをお守りください!」と彼は言うのだった。㉗

 

不安と恐怖の重荷にうちひしがれていたメランヒトンに、

彼は、次のように書いた。

「キリストにある恵みと平和があるように。

世ではなくて、キリストにあるのだ。アーメン。

わたしは、あなたを圧倒する極度の心労を非常に憎んでいる。

もし改革事業が正しくなければ、それをすてよ。

もしそれが正しければ、

恐れず眠れと命じられる主の約束をなぜ信じないのか。・・・・

キリストは正義と真理のわざに欠けるお方ではない。

彼は生きて支配しておられる。

それならば、われわれは、何を恐れることがあろうか。」㉘

 

神は、神のしもべたちの叫びをお聞きになったのである。

神は、王侯たちや牧師たちに、この世の暗黒の支配者に対抗して、

真理を維持する恵みと勇気をお与えになった。

「見よ、わたしはシオンに、選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。

それにより頼む者は、決して、失望に終ることがない」

と主は言われる(Ⅰペテロ 2:6)。

プロテスタントの改革者たちは、キリストの上に築いた。

そして、黄泉の門は彼らに打ち勝つことができなかった。

 

 

 

第11章 注

①D' Aubigne, b.13, ch.6.

②Ibid., b. 13, ch.5.

③Ibid.

④Ibid.

⑤Ibid.

⑥Ibid.

⑦Wylie, b.13, ch.5.

⑧D' Aubigne, b.13, ch.5.

⑨Ibid.

⑩Ibid.

⑪Ibid.

⑫Ibid.

⑬Ibid., b.13, ch. 6.

⑭Ibid.

⑮Ibid.

⑯Ibid.

⑰Ibid.

⑱Ibid., b.14, ch.2.

⑲Ibid., b.14, ch.6.

⑳Ibid., b.14, ch.7.

㉑Ibid.

㉒Ibid.

㉓Ibid., b.14, ch.8.

㉔D' Aubigne, London ed., b.10, ch.14.

㉕D' Aubigne, b.10, ch.14.

㉖Ibid., b.14, ch.1.

㉗Ibid., b.14, ch.6.

㉘Ibid.

【 第12章 フランスの宗教改革 】

ドイツとスイスの状況

ドイツの宗教改革の勝利を画した

シュパイエルの抗議とアウグスブルクの信仰告白のあとには、

争闘と暗黒の年月が続いた。

内部の分裂に弱められ、

強力な敵の襲撃を受けたために、

プロテスタント主義は全滅するかと思われた。

幾千の者が、そのあかしに血の印を押した。

内乱が起きた。

プロテスタント運動は、

その指導者たちの1人に裏切られた。

改革派の諸侯たちの

気高い人々が皇帝の手中に陥り、

捕虜として町から町へ引き回された。

しかし皇帝は、

一見勝利と思われたその瞬間に、敗北した。

彼は、餌食(えじき)が彼の手から逃れるのを見た。

そして、滅ぼすことを自分の生涯の野心としていたその教義を、

ついに承認しなければならなくなった。

彼は、異端粉砕のために、

王国と財宝と生命さえかけた。

ところが、今や、彼の軍隊は戦いに疲れ、

国庫は底をつき、多くの国々は革命に脅かされていた。

他方、彼が弾圧しようとした信仰が、

至るところで発展していた。

カール5世は、全能者の力に対抗して戦っていたのであった。

神は、「光あれ」と言われた。

しかし皇帝は、暗黒のままにしておこうとした。

彼のもくろみは破れた。

皇帝は、長い戦いに疲れ、老齢でもないのに、

王位を退き、修道院に引きこもった。

 

スイスにおいてもドイツと同様に、

宗教改革の暗黒時代が来た。

多くの州が改革主義を信じたが、

その他は、ローマの信条に盲目的に固執した。

真理を受けようとするものに対する彼らの迫害は、

ついに内乱を引き起こした。

ツウィングリと彼の改革に参加した多くの者は、

カッペルの戦場で倒れた。

エコランパデウスもこの恐ろしい災いに圧倒されて、

その後まもなく死んだ。

ローマは勝ち誇った。

そして、多くの場所で、失ったものをみな取り返すかに見えた。

しかし、永遠の昔から目的を持っておられる神は、

神の事業と神の民とを捨てられなかった。

神のみ手は、彼らに救いをもたらされるのであった。

神は、他の国々で

改革を推進する働き人を起こされたのである。

フランスにおける先駆者

フランスにおいては、改革者としてルターの名が聞かれる以前に、

すでに夜は明けようとしていた。

光を捕えた最初の人々の1人は、

パリ大学の教授、博学で誠実で熱心なカトリック教徒、

老ルフェーブルであった。

彼は、古代文学の研究中に

聖書に心をひかれ、

その研究を学生に紹介した。

 

ルフェーブルは、聖人たちを崇敬する念が厚く、

教会の伝説の中に出ている聖人や

殉教者たちの歴史を著わそうとしていた。

これは、非常な労力を要する働きであった。

しかし、彼は、すでに相当のところまで進んだところで、

聖書に有益な参考があるかもしれないと考えて、

その目的で聖書の研究を始めた。

たしかに聖書には、聖人たちのことが書かれていたが、しかしそれは、

ローマの教会暦に描かれているようなものではなかった。

天来の光が、洪水のように彼の心に流れ込んできた。

驚きと嫌悪(けんお)の念を抱いて、

彼は自分のしようとした仕事をやめ、神の言葉の研究に没頭した。

まもなく彼は、

自分が聖書の中で見いだした尊い真理を教え始めた。

 

1512年、まだ、ルターもツウィングリも改革の仕事を始めていな

かった時に、ルフェーブルは次のように書いた。

「信仰によって、われわれに義―ただ恵みによって

義として永遠の命に至らせる義―をお与えになるのは、神である。」①

彼は、贖罪の神秘を瞑想(めいそう)して叫んだ。

「ああ、これは、言葉で表現できない、なんと大きな交換であろう。

罪なき方が罪せられ、罪人が自由にされる。

祝福された者がのろいを受け、

のろわれた者が祝福にいれられる。

生命の君が死なれ、死せる者が生きる。

栄光の君が暗黒に圧倒され、恥のほか何も知らぬ者が、

栄光を着せられる。」②

 

彼は、救いは、

ただ神だけにその栄光を帰すべきであると教えるとともに、

人間は服従すべきであることをも断言した。

「もしあなたが、キリストの教会の一員であるならば、

あなたは、彼の体の肢体(したい)である。

 

もしあなたが彼の体に属しているならば、

神の性質に満ちている。・・・・

ああ、もし人がこの特権を理解しさえすれば、

彼らは、どんなに純潔で貞潔で聖潔な生活を送ることであろう。

また、彼らの中にある栄光―肉の目では見ることができない栄光―

と比較してみるなら、

この世のすべての栄えはなんと卑しいものに思えることであろう。」③

ファーレルの熱意

ルフェーブルの学生たちの中には、

熱心に彼の言葉に耳を傾ける者が幾人かあった。

そして、教師の声が沈黙したずっと後に、

真理を宣言し続けるのであった。

その1人は、ギヨーム・ファーレルであった。

敬虔(けいけん)な両親に育てられ、

教会の教えを絶対的な信仰をもって受け入れるように教育された彼は、

使徒パウロとともに、「わたしたちの宗教の最も厳格な派にしたがって、

パリサイ人として生活をしていた」と言うことができた(使徒行伝 26:5)。

彼は、熱心なカトリック教徒として、

教会に反対するすべてのものを滅ぼそうという熱意に燃えていた。

「法王に反対する言葉を発する者には、

わたしは恐ろしいおおかみのようにきばをむき出した」と、

後に彼は、当時を回顧して言った。④

彼は、熱心な聖人崇拝者であったので、

ルフェーブルに従って、

パリの教会を巡り、聖壇で礼拝をし、

聖堂をささげもので飾った。

しかし、こうしたことを行っても、

心に平和をもたらすことはできなかった。

彼は、罪の意識を逃れることができなかった。

それは、あらゆる苦行によっても消えることがなかった。

その時彼は、天からの声のように、改革者の、「救いは恵みである」

という言葉を聞いたのである。

「罪なきお方が罪せられて、犯罪人が許される。」

「天の門を開き、黄泉(よみ)の門を閉じるのは、

キリストの十字架だけである。」⑤

 

ファーレルは、喜んで真理を受け入れた。

彼は、パウロのような悔い改めを経験して、

言い伝えの奴隷から神の子の自由に入った。

「貪欲なおおかみのような殺気立った心は去り、

柔和で無邪気な小羊のようになった。

心は全く法王から去って、イエス・キリストにささげられた」

と彼は言っている。⑥

 

ルフェーブルは、学生間に光を広め続けたのであるが、

ファーレルは、法王の事業のために持っていたのと

同じ熱心さをキリストの事業にあらわし、

公衆に真理を宣言するために出て行った。

教会の高い地位にある人物、モーの司教も、

その後間もなく彼らに加わった。

ほかに、才能と学識において高い地位にあった教授たちも、

福音の宣教に参加し、

職人や農民の家庭から王宮に至るまで、

あらゆる階級の中から支持者があらわれた。

当時君臨していたフランソア(フランシス)1世の皇妹も

改革主義を受け入れた。

王自身と母后も、

一時これに好感を示した。

そして、改革者たちは、大きな希望をもって、

フランスを福音の側に勝ちとる日を待望した。

著しい進展

しかし、彼らの希望は実現しなかった。

試練と迫害がキリストの弟子たちを待っていた。

ところが、これは、恵みのうちに彼らの目から隠されていた。

彼らがあらしに直面する力を養うために、

平和な時が与えられた。

そして、改革事業は著しく進展した。

モーの司教は、彼の教区内の聖職者と

人々とを教えるために熱心に働いた。

無知で不道徳な司祭は除かれ、

できるだけ学識と敬虔の念に富む人と交替した。

司教は、

人々が神の言葉を自ら手にするようになることを切望した。

そして、これはまもなく実現した。

ルフェーブルは、新約聖書の翻訳に着手した。

そして、ルターのドイツ語聖書が、

ウィッテンベルクの出版所から発行されていた時に、

フランス語の新約聖書が、モーで出版された。

司教は、それを彼の教区内に配布するために、

労力も費用も惜しまなかった。

やがてモーの農民たちは、聖書を持つようになった。

 

のどが渇いて死にそうな旅人が、

清水の泉を喜んで歓迎するように、

これらの人々は天からの使命を受け入れた。

畠で働く人々、

仕事場の職人たちは、

聖書の尊い真理を語り合って日ごとの仕事に励んだ。

夜は、酒場に行くかわりに、

お互いの家に集まって、神の言葉を読み、

祈りと賛美に加わった。

まもなく一大変化がこれらの町々に起こった。

 

彼らは、卑賤(ひせん)な階級に属する無学な労働者農民であったが、

彼らの生活に、

神の改変し向上させる神の恵みの力があらわれた。

彼らは、謙そんで愛と聖潔の人となり、福音は真心から

それを受け入れる人々をどのように変えるかの証人となった。

 

モーで点じられた光は、遠くまで輝いた。

信者の数は日ごとに増加した。

修道士たちの頑迷(がんめい)さを軽べつしていた王によって、

高位聖職者たちの怒りは、一時けんせいされていた。

しかし、ついに、法王側の指導者たちが勝利した。

今や、火刑柱が立てられた。

モーの司教は、火刑か取り消しかを選ぶように強いられて、

安易な道を選んだ。

しかし、指導者が倒れたにもかかわらず、彼の群れは堅く立った。

多くの者が、火炎の中で真理のあかしを立てた。

火刑における勇気と忠誠とによって、

これらの卑しいキリスト者たちは、

平和な時代には彼らのあかしを聞くこともなかった幾千の人々に、

語ったのであった。

改革者ベルカン

苦難とちょう笑の中で、勇敢にキリストのあかしを立てたのは、

卑しい貧民だけではなかった。

城や王宮の邸宅に、真理を、富や地位、

あるいは生命よりも高く評価した気高い人々があった。

堂々たる武装の下に、

司教の衣や冠をいただいた人々よりも、

高尚で堅実な精神が隠されていた。

ルイ・ド・ベルカンは、貴族の出であった。

彼は、勇敢で、上品な騎士で、学問に熱心で、

その動作は洗練され、道徳的に潔白であった。

ある著者は次のように言っている。

「彼は、法王制機構の熱心な支持者で、ミサや説教を熱心に聞いた。

・・・・そして、彼のすべての他の美徳に加えて、

ルター派に対して特別の嫌悪を持っていた。」

しかし、他の多くの者と同様に、彼は摂理によって聖書に導かれ、

そこに「ローマの教義ではなくて、

ルターの教義」を見いだして驚いた。⑦

その後、彼は、

福音のためにすべてをささげたのである。

 

「フランス貴族中の最も博学な者」であった彼の天才と雄弁、

不屈の勇気と熱心、そして宮廷における影響力

(彼は国王から愛顧を受けていた)、

などの理由で、多くの者は、

彼はフランスの改革者になる運命にあると思った。

「もしフランソア1世が第2の選挙侯であったなら、

ベルカンは第2のルターになっていたことであろう」とベザは言った。

「彼は、ルターより始末におえない」と法王側は叫んだ。⑧

 

実際、彼は、フランスの法王側の人々から、ルター以上に恐れられた。

彼らは、彼を異端者として投獄したが、

彼は王に釈放された。

争闘は、長年続いた。

フランソアは、ローマと改革との間をぐらつき、

修道士たちの激しい熱意を許したり、

禁じたりした。

ベルカンは、法王側の当局者によって3度投獄された。

しかし、日ごろから彼の天才と

高潔な品性を賞賛していた王は、彼を釈放し、

彼が教権の敵意の犠牲になることを拒んだ。

 

ベルカンは、フランスにおいて彼の身に迫る危険について

くり返し警告を受け、自発的に逃亡して身の安全を確保した

人々の例にならうよう、勧められた。

おくびょうで、迎合的なエラスムスは、学問的には非常に

優れていたけれども、真理のためには生命も栄誉も捨てるというあの道徳的偉大さに欠けていて、

ベルカンに次のように書いた。

「どこかの国の大使として送られることを求めてはいかがであろう。

ドイツに行って旅をされよ。

あなたは、ベダを知っている。

彼は、1000の頭をもった怪物のように、

至るところに毒気を放っている。あなたの敵の数は多い。

あなたの主張がイエス・キリストの主張よりよいものであれば、

彼らは、あなたを無残に殺すまでは手放さないであろう。

王の保護に頼りすぎてはならない。

とにかく、神学の教授間において、

わたしに累を及ぼさないでほしい。」⑨

 

しかし、危険が増すにつれて、

ベルカンはますます熱心になった。

彼は、エラスムスの政略的で自己本位の勧告に従うどころか、

かえって、いっそう大胆な手段に出る決意をした。

彼は、真理を擁護するだけでなく、誤りを攻撃するのであった。

法王側が彼に向けようとした異端の非難を、彼は彼らに向けたのである。彼の最も激烈な反対者たちは、偉大なパリ大学の神学部の、

学識ある博士たちや修道士たちであった。

 

パリ大学は、パリだけでなく、

フランス全体においても最高の宗教的権威の1つであった。

ベルカンは、この博士たちの著書から、

12の論題を掲げて、

それが「聖書に反するもので、異端である」

ということを公然と宣言した。

そして彼は、

王にその論争の審判官になることを請うた。

ベルカンの殉教

王は、両方の対立した弁士たちの力と鋭さとを

比較することをきらわず、

また、これら高慢な修道士たちの自尊心をくじくよい機会と考えて、

ローマ側に、聖書に基づいて、彼らの主張を擁護することを命じた。彼らは、この武器では、

自分たちの方が不利であることをよく知っていた。

投獄や拷問や火刑のほうが、彼らの使い慣れた武器だったのである。今や形勢は逆転し、

彼らはベルカンを陥れようと望んだ穴に、

自分たちが落ちこもうとしているのに気づいた。

彼らは驚いて、

どこかに逃げ道はないかと見回した。

 

「ちょうどその時、

町角に立てられていた聖母マリヤの像が、傷つけられた。」

それで町中が大騒ぎになった。

群衆がその場所に集まって、悲しみや怒りの言葉をあげた。

王も、非常に心を動かされた。

これは修道士たちを有利にするよい機会であった。

彼らは、さっそくそれを利用した。

「こうしたことは、ベルカンの教義の実である」と、彼らは叫んだ。

「このルター派の陰謀によって、

宗教も法律も王位までも、

みなくつがえされそうになっている。」⑩

 

ベルカンは、ふたたび捕えられた。

王は、パリを去った。

そこで修道士たちは思うままに活動することができた。

改革者ベルカンは、裁判によって死刑の宣告を受けた。

そして、フランソアが介入して彼を救わないようにと、

宣告が行われたその当日に刑が執行された。

ベルカンは、正午に刑場に送られた。

黒山のような群衆が、これを見るために集まった。

そして、受刑者がフランスの最高にして

最も勇敢な貴族のなかから選ばれたことに、

驚きと疑念をいだいたものが多くあった。

押し寄せた群衆の顔には、

驚き、怒り、軽べつ、憎しみが現われていた。

しかし、暗い影のない顔が1つあった。

殉教者の思いは、騒がしい光景から遠く離れ、

主の臨在だけを感じていた。

 

彼を乗せたそまつな護送車、迫害者たちの不きげんな顔、

彼が向かいつつある恐るべき死―彼はこれらをなんとも思わなかった。

生きて、死なれたことがあり、

そして永遠に生きておられるお方、

死と黄泉のカギをもっておられるお方が、

彼のそばにおられた。

ベルカンの顔は、天の光と平和に輝いていた。

ベルカンはりっぱな服装をしていた。

彼は、「びろうどの上衣、

しゅすとダマスク織りの胴着、

金色のくつ下」をまとっていた。⑪

彼は、王の王と、見守る宇宙との前で、

信仰のあかしをしようとしていた。

彼の喜びを隠すような悲しみの表情はなかった。

 

行列が混雑した通りをゆっくりと進んでいく時、

人々は、彼の顔つきと態度に、

少しの曇りもない平和と勝利の喜びとを見て驚いた。

「この人は、神殿に座して、聖なることについて瞑想する人のようだ」

と彼らは言った。⑫

火刑台のところで、ベルカンは、人々に少し語ろうとした。

しかし、修道士たちは、その結果を恐れて叫び声をあげはじめ、

また、兵士たちは、武器を打ち合わせて、

彼らの騒がしい音によって殉教者の声を消してしまった。

こうして、1529年、教養の都パリの文学と

神学の最高の権威者たちは、

「処刑台における死に面した人の最後の言葉をもみ消すという

卑劣な手本を、1793年の民衆に与えた。」⑬

 

ベルカンは絞殺され、

彼の体は火で焼かれた。

彼の死の知らせは、

フランス全国の改革派の同志を悲しませた。

しかし、

彼の死は、むだではなかった。

「われわれもまた、来たるべき生命に目を向け、

喜んで死につくつもりである」

と真理の証人たちは言った。⑭

迫害と、福音の前進

モーでの迫害の間、改革派の教師たちは、

説教の免許状を取り上げられたために、

他の地方に去っていった。

しばらくして、ルフェーブルはドイツに向かった。

ファーレルは、東フランスの故郷に帰り、

幼少のころの地に光を輝かした。

モーにおけるできごとがすでに伝えられていたので、

彼が恐れることなく熱心に伝える真理に、

耳を傾ける人々があらわれた。

まもなく、当局者が彼を沈黙させようとして立ち上がり、

町から追い出してしまった。

彼は、公然と働くことはできなくなったが、

村々をへめぐって歩き、

民家や人里離れた牧場で教え、

少年時代の遊び場であった森や

岩のほら穴に隠れ家を見いだしていた。

神は、さらに大きな試練のために、

彼に準備をさせておられたのである。

「わたしが予告を受けた十字架や迫害やサタンの陰謀は、

わずかなものではなかった。

それらは、わたしが耐えられないほど苛酷(かこく)であった。

しかし、神はわたしの父である。

神は、わたしに必要な力を備えてくださったし、

常に備えてくださる。」⑮

 

使徒時代におけると同様に、迫害は、

「福音の前進に役立つようになった」(ピリピ 1:12)。

彼らは、

パリやモーから追われて、

「御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた」(使徒行伝 8:4)。

こうして、光は、

多くのフランスの遠隔の地方にまで伝わった。

カルバンの苦悩

神は、ご自分の事業を進めていくために、

なお働き人たちの準備をしておられた。

パリのある学校に、思慮深く物静かな青年がいた。

彼は、頭脳明晰(めいせき)で、知的情熱を持ち、宗教的に献身していたが、

彼の生活もまた同様に高潔なものであった。

彼の才能と勤勉さとは、まもなく大学の誇りとなり、

ジャン・カルバン(ジョン・カルビン)こそ、

確かに教会の最も有力で栄誉ある

擁護者になるであろうと予想されていた。

しかし、神の光は、

カルバンを閉じ込めていたスコラ哲学と迷信の壁をさえ貫いた。

彼は、新しい教義を聞いて身震いし、

異端者が火刑に処せられるのは

当然であるということになんの疑いも持たなかった。

しかし、彼は、全く意識しないうちに異端と顔を合わせ、

プロテスタントの教えと戦うために

ローマ教の神学の力を試さざるをえなくなった。

 

改革派に加わったカルバンのいとこが、パリにいたのである。

この2人は、たびたび会って、

キリスト教国を混乱させている問題について話し合った。

「この世の中に、2つしか信仰はない。

1つは、人間が考え出したいろいろの宗教であって、

そこでは人間は、儀式や善行によって救われる。

もう1つは、聖書に啓示された宗教であって、それは、

価なくして与えられる神の恵みによってのみ救われると教えるのだ」

とプロテスタントのオリベタンは言った。

 

「ぼくはきみの新しい教義など信じない。

ぼくがこれまでずっと誤謬(ごびゅう)の中で生きてきたと、

きみは言うのか!」とカルバンは叫んだ。⑯

 

とは言うものの、自分の意志では消し去ることのできない思想が、

カルバンの心に起こった。

彼は、自分の部屋に閉じこもって、いとこの言葉を思いめぐらした。

彼は、罪の自覚に襲われた。

彼は、きよく正しい審判者の前に、

仲保者なしに立つ自分を感じた。

諸聖人の仲保、善行、

教会の儀式などはみな、罪をあがなうには無力だった。

彼の前には、

永遠の絶望の暗黒があるだけであった。

教会の博士たちが、

彼の悩みを和らげようとしたができなかった。

告白も苦行も行ってみたがだめであった。

それらは、魂を神と和解させることができなかった。

 

カルバンは、こうしたむなしい苦悩をなおも続けているうちに、

ある日、たまたま町の広場に出かけて、

異端者の火刑を目撃した。

彼は、殉教者の顔に平和が宿っているのを見て、

驚きに満たされた。

恐ろしい死の拷問のなかにあって、

そして、それにも勝る恐ろしい教会の宣告を受けながら、

彼は信仰と勇気をあらわしていた。

それに引きかえ、若い学生のカルバンは、厳格に教会に従った生活を送りながらも失望と暗黒のうちにある自分を顧みて、心を痛めた。

異端者が信じているのは聖書であることを彼は知った。

彼は、聖書を研究しよう、

そしてできれば彼らの喜びの秘訣をみきわめようと決心した。

福音の戦士としての登場

彼は、聖書の中にキリストを発見した。

「ああ父よ、彼の犠牲は、あなたの怒りをしずめ、

彼の血は、わたしの汚れを洗い去り、彼の十字架は、

わたしののろいをにないました。彼の死はわたしの贖いとなりました。

わたしたちは、自分たちのために、多くの無用な愚策を考案しましたが、

あなたはわたしの前に、み言葉を燈(ともしび)のようにかかげられました。

そしてあなたは、わたしの心に触れて、

イエスの功績(いさおし)以外のすべてのものを、

忌みきらうようにしてくださいました。」⑰

 

カルバンは、司祭になる教育を受けていた。

彼は、わずか12才の時に、

小さな教会の説教者に任じられ、

教会の規定に従って、司教に頭髪をそってもらった。

彼は按手(あんしゅ)の礼は受けず、

司祭の務めはしなかったけれども聖職の一員となって、

彼の務めの称号を持ち、

その報酬を受けていた。

 

今や、彼は、司祭にはなることができないのを知って、

しばらく法律の研究に当たったが、ついにこの目的をすてて、

一生を福音のためにささげる決心をした。

しかし彼は、公の教師になることはためらった。

彼は生まれつきおくびょうだったので、

そういう地位の責任を重荷に感じた。

そして彼は、さらに研究を持続することを願った。

しかし、友人たちが熱心に勧めるので、彼もついに同意した。

「このように卑賤な生まれの者が、

このように大きな栄誉ある地位に高められるとは、

不思議なことだ」⑱ と彼は言った。

 

カルバンは静かに彼の仕事を始めた。

彼の言葉は、あたかも地をうるおす露のようなものであった。

彼はすでにパリを去って、今は、福音を愛し、

その弟子たちを保護していたマルグリット王女の保護下にある、

田舎の町にいた。

カルバンはまだ、温和でひかえめな青年であった。

彼の働きは、まず郷里の人々から開始された。

彼は家族の者に囲まれて、

聖書を読み、救いの真理を伝えた。

福音を聞いた者は、それを他に伝えたので、

まもなく教師は、町を離れて、

その周囲の町々村々に行った。

彼は、城にも貧しい家にもはいって、働きをおし進め、

真理のためにおおしくあかしをすることになる諸教会の、

その基礎を築いた。

 

数か月後、彼はふたたびパリに来た。

知識人や学者の間では、

まれにみる動揺が起きていた。

古代言語の研究が、人々の心を聖書に向けるようになり、

その真理にまだ心を動かされていない多くの人々が、

熱心にそれについて論議し、

ローマ側の擁護者と論じ合いさえしていた。

カルバンは、神学的論争の分野においては、

有能な闘士であったけれども、これらのそうぞうしい学者たちよりは、

さらに大切な使命を帯びていた。

人々の関心が高まっていたので、

今こそ彼らに真理を伝える時であった。

大学の講堂が、神学の論争でさわがしかった時に、

カルバンは、家々を訪ねて、

人々に聖書を読んで聞かせ、

キリス彼の十字架について語った。

パリにおける争闘

パリは、神の摂理のもとに、

福音を受け入れるようにというもう1つの招きを受けることになった。

ルフェーブルとファーレルの呼びかけは拒否された。

しかし、大都市のあらゆる階級の人々は、

もう1度使命を聞くのであった。

王は政治的理由によって、まだ全的にローマ側について

改革運動に反対しているわけではなかった。

マルグリットは、プロテスタント主義が

フランスにおいて勝利することを、なお希望していた。

彼女は、改革主義の信仰をパリに宣布せねばならぬと決意した。

そこで、王の不在中に、彼女は、パリの教会で説教するように、

プロテスタントの牧師に命令した。

これは、法王側当局者から禁じられたので、

マルグリットは王宮を開放した。

王宮の1室を礼拝室に造作し、

毎日一定の時間に説教が行われ、

あらゆる階級や地位の人々に、

出席するようにと招待が出された。

集会には多くの人々が集まった。

礼拝堂だけでなく、

隣接した部屋も廊下も人でいっぱいになった。

貴族、政治家、弁護士、商人、職人など、

幾千という人々が、毎日集まった。

王も集会を禁じるどころか、

パリの2つの教会が開かれることを命じた。

パリの人々が

神のみ言葉にこれほど感動したことはなかった。

天からの生命の霊が、

人々に吹きこまれるように思われた。

泥酔、放蕩(ほうとう)、闘争、怠惰にかわって、

節制、純潔、秩序、勤勉が見られた。

 

しかし、法王側も、手を休めてはいなかった。

王は、相変わらず説教をやめさせようとはしなかったので、

彼らは、民衆に向かった。

無知で迷信的な民衆の、

恐怖と偏見と狂信をあおるためには、

手段が選ばれなかった。

パリは、偽教師に盲従し、

昔のエルサレムのように、

神のおとずれの時も、平和をもたらす道も知らなかった。

神の言葉は、2年の間、都で宣べ伝えられた。

その間に、福音を受け入れた者も多かったけれど

も、大半の人々は、それを拒んだ。

フランソアは、信教の自由を許したように思われたが、

それは、ただ単に自分の都合上であって、

法王側はふたたび勢力をもり返した。

教会は、また閉鎖され、火刑柱が立てられた。

カルバンの活動

カルバンはまだパリにいて、

研究と瞑想と祈りとによって、

将来の働きの準備をしながら、光を輝かしていた。

しかし、ついに、彼に嫌疑がかかった。

当局者たちは、彼を火刑にすることにきめた。

彼は、隠れ家にいて安全だと思っていたので、危険を感じなかった。とそのとき、友人たちがあわてて彼の部屋にやってきて、

役人たちが彼を捕えるためにやってくるということを知らせた。

それと同時に、

表の戸をたたく大きな音が聞こえた。

今や一刻も猶予はなかった。

友人たちが扉(とびら)のところで

役人に応対している間に、

他の者たちがカルバンを助けて、

窓からつりおろした。

彼は急いで都の外に逃れた。

改革主義に好意を持った労働者の家に隠れ、

そこで主人の着物を着て変装し、

くわを肩にして旅に出た。

彼は南に旅をつづけ、マルグリットの領内に入って、

ふたたび隠れ家を見つけた。⑲

 

ここで彼は、

有力な友人たちの保護のもとに数か月滞在し、

以前のように研究に従事した。

しかし、彼の心はフランスの伝道のことを考えていたので、

長くじっとしていることはできなかった。

あらしがいくぶんおさまってくると、

彼はポアチエに新しい働き場を求めた。

ここには大学があって、新しい主張が喜んで迎えられていた。

各階級の人々が喜んで福音に耳を傾けた。

カルバンは、公衆に説教はしなかったが、

長官の家、自分の住居、

また、時には公園で、

聞きたいと思う人々に永遠の生命の言葉を語った。

しばらくして聴衆の数が増加したので、

市外で集まるのが安全であろうと思われた。

狭く深い峡谷の洞穴が、木や突出した岩におおわれて、

人目を避けるのには何よりと思われたので、

そこが集会の場所に選ばれた。

少数の者が組になって町を出て、

別々の道を通ってここに集まった。

この隠れ家で、聖書が読まれ、説き明かされた。

ここでフランスのプロテスタントは、

初めて主の晩餐(ばんさん)を祝った。

この小さな教会から、

幾人かの忠実な伝道者が、世に送り出された。

 

カルバンは、もう1度パリに帰った。

彼は、フランスが国家として改革を受け入れるという希望を、

まだ捨てることはできなかった。

しかし、働きの門戸はほとんど閉ざされていることがわかった。

福音を教えることは、直接、火刑への道であった。

そこで彼は、ついにドイツへ行くことにした。

彼がフランスを脱出するやいなや、プロテスタントに対する

あらしがまき起こった。もし彼が残っていたならば、

全面的な破滅にまき込まれたにちがいない。

檄文(げきぶん)事件と弾圧の開始

さて、フランスの改革者たちは、

自分たちの国がドイツやスイスと歩調を合わせるようにと熱望し、

全国民に覚醒(かくせい)をうながすために、

ローマの迷信に大打撃を加えることを決意した。

そこで、ミサを攻撃したポスターが

一晩のうちにフランス国内中にはられた。

この熱心ではあるが無分別な運動は、改革を促進するどころか、

その主唱者だけでなく、フランス全国の、

改革主義の信仰に好意を持った人々に、破滅をもたらした。

これは、ローマ側が長く欲していたこと

―異端者たちは王位の安定と

国家の平和を脅かす扇動者であるとして

全滅を要求する口実―を彼らに与えた。

 

不謹慎な同志であるか、

それとも悪賢い敵であるのかわからなかったが、

1枚の檄文が、王の寝室の扉にはられた。

王は恐怖に襲われた。

この紙の中では、

長年尊ばれてきた迷信が手厳しく攻撃されていた。

こうした率直で驚くべき言葉が、

王の前につきつけられたことは前例がなかったので、

王は非常に怒った。

驚きのあまり、王はしばらくぼう然として、

何も言えなかった。

やがて王は、怒りに満ちて恐ろしい言葉を吐いた。

「ルター派と疑われるものはすべて差別なく捕えよ。

わたしは彼らを全滅させる。」⑳

さいは投げられた。

王は、全的に

ローマ側に加担する決心をした。

 

パリのルター派を

すべて捕える手はずが直ちにとられた。

改革派の信者で、

秘密の集会に信者を召集していた貧しい職人が捕えられた。

彼は、火刑によって直ちに殺すと脅されて、

法王側の密偵をパリの改革派1人1人の家に

案内することを命じられた。

彼は、卑劣な申し出に恐怖で縮みあがったが、

火刑を恐れて、

ついに兄弟たちを裏切ることに同意した。

聖体を持つ者に先導され、司祭たち、香炉を持った者たち、

修道士たち、兵士たちの行列に囲まれて、

王の密偵モランは裏切り者を連れて、

ゆっくりと静かに町の通りを過ぎていった。

行列は見たところ「秘蹟」のためのもの、

すなわち、改革派によって加えられた

ミサへの侮辱を償うためのものであった。

しかし、この行列のかげに恐ろしい目的が隠されていた。

ルター派の家の前に来ると、

裏切り者は、声こそ出さなかったが合図をした。

行列はとまり、その家に入って家族の者を引き出し、鎖につないだ。そして次の獲物を求めて、恐ろしい行列は進んだ。

彼らは、「大きい家も小さい家も見過ごさず、

パリ大学さえ見逃さなかった。・・・・

モランは、全市を戦慄(せんりつ)させた。・・・・

それは恐怖の時代であった。」㉑

無言の説教

捕えられた人々は、残酷な責め苦で殺された。

火刑の火は、苦痛を長びかせるために

弱めるように特に命令が発せられた。

しかし、彼らは、勝利者として死んだ。

彼らの忠誠はゆるがず、その平和は損なわれなかった。

迫害者たちは、彼らの堅い決意を動かすことができず、

敗北感に襲われた。

「処刑台は、パリの至る所に立てられ、

火刑は毎日行われた。

処刑が分散して行われたのは、

異端の恐怖を広く人々に知らせるためであった。

しかし、結局、

それは、福音の側に有利であった。

パリ全市は、改革主義がどのような

人物をつくり得るかを見ることができた。

殉教者を焼く薪の山のような説教壇はほかにない。

刑場にひかれてゆく時の彼らの顔に輝く静かな喜び、・・・・

激しい炎の中に立つ時の彼らの勇気、

迫害に対する柔和と許しは、

少なからぬ人々の、

怒りを同情に、憎しみを愛に変えて、

拒むことのできない雄弁をもって

福音のために訴えたのである。」㉒

 

司祭たちは、民衆の激しい怒りをあおることに狂奔し、

プロテスタントに対して、

最も恐ろしい非難を言いふらした。

彼らは、カトリック教徒の虐殺、政府の顛覆(てんぷく)、

王の暗殺計画などの罪を着せられた。

この申し立てに対して、

何1つとして証拠はなかった。

しかし、こうした悪いできごとの予告は、実現することになった。

ただしそれは、はるかにかけ離れた状況下において、

しかも逆の原因からであった。

カトリックが罪のないプロテスタントに与えた残酷な仕打ちは、

報復の重さを積み上げていた。

そして、彼らが国王と政府と

国民について予言したとおりのことが、

後世において行われた。

しかし、それは、

無神論者と法王教徒自身によって行われた。

300年後になって、

フランスにこうした不幸をもたらしたのは、

プロテスタントの樹立ではなくて、その圧迫のゆえであった。

 

今や疑惑、不信、恐怖が、

社会のすべての階級に広がった。

こうした恐慌のただ中にあって、

教育、勢力、また品性の高潔さにおいて最高位に立つ人々の間に、

ルター派の教えがどんなに深く根を下したかが、

明らかにされた。

信任と名誉の地位が、突然空席になった。

職人、印刷者、学者、大学教授、著述家、

そして、廷臣さえいなくなった。

多くの者がパリを逃れ、母国を捨てて自ら放浪者となった。

こうして、彼らが改革主義に好意をもっていたことを

初めて示したものが多かった。

法王側は、自分たちの間にあって

疑いを受けずにすんでいた異端者たちのことを考えて、

驚きの目を見張った。

彼らの怒りは、彼らの手中にある

多くの身分の低い犠牲者たちに向けられた。

牢獄はあふれた。

福音を信じる者のために点じられた火刑の煙で、

空そのものも暗くなったように思われた。

プロテスタント撲滅政策

フランソア1世は、

16世紀の初めに起こった

学問の大復興運動の指導者であることを誇っていた。

彼は、各国から宮廷に

学者たちを集めることを喜んでいた。

彼が宗教改革にある程度の自由を許したのは、彼が学問を愛し、

修道士たちの無知と迷信を軽べつしたことが、

少なくともその動機の一部であった。

しかし、ついにこの学問の後援者も、

異端撲滅の熱に燃えて、

フランス全国で印刷廃止の勅令を出した。

フランソア1世は、

知的教養が宗教的狭量と迫害に対する安全弁でないという

数多くの実例の1つを示している。

 

フランスは、厳粛な公の儀式によって、

プロテスタントの撲滅に全力を注ぐことになった。

司祭たちは、改革派がミサを非難することによって

天の神に与えた侮辱は、血によって贖わなければならない、

そして王は、国民に代わってこの恐ろしい行為に

公に制裁を加えるべきであると要求した。

 

1535年、1月21日に、

この恐ろしい儀式が行われることになった。

全国民の迷信的恐怖と

かたくなな憎しみがかきたてられた。

パリは、周囲の田舎からやってきて

通りにあふれた群衆で雑踏していた。

当日は、堂々とした行列が行われることになっていた。

「行列が通る道の家々では、

喪章をかかげ、所々に祭壇が設けられた。」

家々の前には、

「秘蹟」に敬意を表するかがり火が点じられた。

夜明け前に、王宮の前で行列が勢ぞろいした。

「まず、各教区の旗と十字架、その次に市民が2列に並んで、

たいまつを持っていた。」

その次に、四階級の修道士たちが、

おのおの特有の衣服をまとって続いた。

その次に、ありとあらゆる有名な遺物が来た。

その後に、紫色や緋色の衣をまとい、

宝石をちりばめた飾り物を身につけた、

威風堂々とした聖職者たちが続いた。

 

「聖体はパリの司教によって運ばれ、

その上を4人の王子たちが支える豪華な天蓋(てんがい)がおおっていた。

・・・・聖体の後を王が歩いた。・・・・フランソア1世は、

この日、王冠も王衣もつけていなかった。」

「頭には何もかぶらず、彼の目を地面に向け、手には、

火を点じたたいまつを持っていた。」

フランスの王は、「悔悟者の姿で」あらわれた。㉓

 

彼は、祭壇ごとにへりくだってひざまずいたが、

それは彼の心を汚した罪のためでも、

彼の手を汚した罪なき人の血のためでもなく、

ミサを汚した彼の臣民の恐ろしい罪のためであった。

彼の後ろには、王妃と国家の高官たちが、

これもおのおの手にたいまつを持って、2列で続いた。

 

その日の行事の1つとして、

王は自ら司教邸の大広間において、

王国の高官たちに演説した。

彼は、悲痛な顔をして彼らの前に現れ、

感動的言葉で雄弁に、

国民に降った

「犯罪、冒涜(ぼうとく)、悲しみと恥の日」について嘆いた。

そして、彼は、フランスを破滅の淵(ふち)に陥れる

有害な異端の全滅を、

すべての忠実な国民に訴えた。

「わたしが王であることが事実であるように、

もしわたしの手足がこの恐ろしい腐敗に感染しているならば、

わたしはそれを切ってしまうであろう。・・・・

また、わたしの子供の1人がそれで汚れているならば、

わたしは彼を許さない。・・・・わたしは自分で彼を捕え、

神への犠牲とするであろう。」

王の言葉は涙でとぎれた。

全会衆も泣き、声を合わせて

「われわれは、カトリック教のために生き、また死ぬ」と叫んだ。㉔

福音拒否の結果

真理の光を拒んだ国家の暗黒は、

恐ろしいものになった。

「人を救う」恵みがすでに表われた。

しかしフランスは、その力と神聖さを見、

幾千のものがその天来の美に心をひかれ、

町々村々がその光に照らされたにもかかわらず、

光よりも暗黒を選んで背いたのであった。

彼らは、

神の賜物が提供されたのにそれを退けた。

彼らは悪を善と呼び、善を悪と呼んで、

ついに自ら進んで自己欺瞞のとりこになった。

そして今、彼らは、神の民を迫害することにより、

神に奉仕していると実際に信じこんでいたが、

その真剣さが彼らを罪なしとするわけではなかった。

彼らは、彼らを欺瞞から救い、

彼らの魂を血で汚す罪から救うことができたはずの光を、

故意に拒んでしまったのであった。

 

異端撲滅の厳粛な誓いが、

大聖堂において行われた。

その場所には、約300年後に、

生きた神を忘れた国民が理性の女神を祭るのであった。

ふたたび、行列が整えられ、

フランスの代表者たちは、

誓ったことの実行に取りかかった。

「処刑台が少しの間隔をおいて立てられ、

プロテスタントのキリスト者が

生きながら焼かれることになっていた。

そして、王が近づいた時に、薪に火をつけ、

行列が止まって処刑を見るようにした。」㉕

これらの証人が、

キリストのために耐えたさまざまの責め苦は、

あまりに痛ましくて詳述できないほどである。

しかしながら彼らは、決して動揺しなかった。

取り消しを勧められた時、1人は次のように答えた。

「わたしは、預言者たちと使徒たちとがかつて教え、

そしてすべての聖徒たちが信じたことだけを信じる。

わたしの信仰は神に対する確信であって、

黄泉のすべての力に打ち勝つものである。」㉖

 

行列は幾たびとなく、

処刑の場に立ち止まった。

やがて王宮の出発点にもどると、

群衆は散っていき、

王と高位聖職者たちはその日の行動に満足し、

異端を全滅するまで継続すべき仕事が

始まったことを祝って別れた。

 

フランスが拒否した平和の福音は、

徹底的に根絶され、恐ろしい結果を招いた。

フランスが全力を挙げて、宗教改革者たちを迫害しはじめた日から、

258年後の1793年1月21日、以前とは

全く異なった目的のもとに、もう1つの行列がパリ市中を通った。

「ふたたび、王が主要な人物であった。

ふたたび、騒ぎと叫び声があった。

ふたたび、もっと多くの犠牲者を求める声があがった。

ふたたび、黒い処刑台が立てられた。

ふたたび、その日のできごとは、恐ろしい処刑で終った。

ルイ16世は、看守や処刑者たちに押さえられて、

もがきながら処刑台まで引きずられてきた。

そして、そこで、人々に力いっぱい押さえられ、

おのが落ち、彼の首は処刑台上に転がった。」㉗

犠牲になったのは王だけではなかった。

血なまぐさい恐怖時代に、

そのあたりで2800人がギロチンで殺されたのである。

 

宗教改革は、世の人々に聖書を開き、

神の律法の教えを示し、

その要求するところを人々の良心に訴えた。

無限の愛の神は、人々に天国の律法と原則を示しておられた。

神は言われた。「あなたがたは、これを守って行わなければならない。

これは、もろもろの民にあなたがたの知恵、

また知識を示す事である。彼らは、このもろもろの定めを聞いて、

『この大いなる国民は、まことに知恵あり、知識ある民である』

と言うであろう」(申命記 4:6)。

フランスが天の賜物を拒否した時に、

無政府と破滅の種をまいた。

そして、その必然の結果として、

革命と恐怖政治が起こったのである。

ファーレルの伝道

檄文事件によってひき起こされた迫害のずっと以前に、

勇敢で熱心なファーレルは、

彼の生まれ故郷を去らなければならなかった。

彼はスイスに行って、

ツウィングリの働きを援助し、

宗教改革を有利に導いた。

彼は、その余生をここで過ごすことになるのであったが、

それでもなお、フランスの改革に決定的な影響を及ぼしつづけた。

彼は、亡命後の最初の数年は、

故郷に福音を宣布することに特に心を用いた。

彼は、国境近くの同胞に

説教することに相当の時間を費やし、

この場所から絶えず注意深く見守り、

励ましと勧告の言葉を送って助けた。

彼は、他の逃亡者たちの援助を得て、

ドイツの改革者たちの著書をフランス語に翻訳し、

フランス語の聖書とともに、

大量に印刷した。

これらの著書は、文書伝道者によって、フランス国内で広く販売された。

文書伝道者にはこれが安価に提供されて、

彼らはその利益によって、活動を継続することができた。

 

ファーレルは、つつましい学校教師に変装して、

スイスにおける活動を始めた。

彼は、遠く離れた教区に行って、

子供たちの教育に専念した。

一般の学課のほかに、

彼は用心深く聖書の真理を教え、

子供たちを通じて親たちに伝えようと望んだ。

 

信じる者もいくらか現れたが、

司祭たちが彼の働きを妨害したので、

迷信的な田舎の人々は、彼に反対するようになった。

「それを宣伝すれば平和でなくて争いを起こすのを見ると、

それはキリストの福音ではあり得ない」

と司祭たちは力説した。㉘

そこで、初期の弟子たちのように、

1つの町で迫害されたなら次の町へ逃れた。

彼は、飢えと寒さと疲労に耐え

ながら、そして至る所で生命の危険にさらされながら、

村から村、町から町へと歩いて旅をした。

彼は、市場や教会で、

そして時には大聖堂の説教壇から説教した。

時には教会に聴衆が1人もいないこともあった。

時には、叫びやののしりの声に妨害されることもあった。

また、乱暴に説教壇から引きずりおろされたこともあった。

やじうまたちに襲われて、なぐられ、

死ぬばかりになったことも何度かあった。

それでも彼は前進していった。

何度撃退されても、たゆまず攻撃をくり返した。

そうしているうちに、

法王側の要塞(ようさい)であった町や都市が、

次々に福音に門を開くようになるのを彼は見た。

彼が最初に働いた小さな教区も、

まもなく改革の信仰を受け入れた。

モラとヌーシャテルの町々も、

ローマの儀式を廃止し、

教会から偶像を取り除いた。

 

ファーレルは、かねてから、

ジュネーブにプロテスタントの旗を立てたいと願っていた。

もしこの町に福音を伝えることができれば、

フランス、スイス、イタリアの、

宗教改革の中心地となるのであった。

彼は、この目的のもとに、働きを継続し、

その周囲の多くの町々村々に福音を伝えた。

それから彼は、ただ1人の同伴者とともに、ジュネーブに入った。

しかし彼は、ただ2回の説教が許されただけであった。

国家の権力によって彼を罪に定めようとしてできなかった司祭たちは、

彼を教会会議に呼び出した。

彼らは、衣の下に武器を隠し、

彼の生命を奪おうとしていた。

会場の前には、こん棒や剣を持った群衆が、

もし彼が会議を逃れて出て来たら、

彼を殺そうと待ちかまえていた。

しかし、長官や軍隊がいたために、

彼は助かった。

翌朝早く、彼と同伴者とは、

湖水の向こう岸の安全な地へ送られた。

こうして、ジュネーブの最初の伝道は終わった。

ジュネーブにおけるカルバン

その次の伝道に選ばれたのは、もっと劣った器であった。

それは、宗教改革の同志たちからさえ冷淡に扱われたほどの、

みかけの貧弱な青年であった。

ファーレルが拒絶された町で、このような人間に、

いったい何ができようか。

最も強力で勇敢であった者が逃げなければならなかったようなあらしに、この勇気も経験も乏しい男がどうやって耐えられようか。

「万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、

わたしの霊によるのである」(ゼカリヤ 4:6)。

「強い者をはずかしめるために、

この世の弱い者を選」ばれた。

「神の愚かさは人よりも賢く、

神の弱さは人よりも強いからである」(Ⅰコリント 1:27、25)。

 

フロマンは、教師として活動を始めた。

彼が学校で教えた真理を、

子供たちは家庭でくり返した。

やがて、親たちが聖書の説明を聞きに来て、

教室は熱心な聴衆であふれた。

新約聖書や小冊子が、数多く配布され、

新しい教義を公然と聞きに来ない

多くの人々の手にも渡った。

しばらくして、この伝道者も逃げなければならなかった。

しかし、彼が教えた真理は、

人々の心を捕えてしまっていた。

宗教改革の種はまかれ、

だんだん力を得て広がっていった。

説教者たちが帰ってきて、彼らの努力によって、

ついにジュネーブにプロテスタントの礼拝が確立した。

 

ジュネーブが宗教改革の宣言をしたころ、

各地を放浪していろいろの経験を経たカルバンが、ジュネーブに来た。

彼は、生まれ故郷に最後の訪問をして、

バーゼルに行く途中であったが、

そこへの直接の道がカール5世の軍隊に占領されているのを知って、

ジュネーブ経由で遠回りをしなければならなかったのである。

 

この訪問が神の摂理であることを、ファーレルは認めた。

ジュネーブは、改革主義の信仰を受け入れたとは言っても、

まだ、この地でしなければならない大事業が残っていた。

人々は、団体としてでなく、

個人的に神に悔い改めるのである。

新生の働きは、会議の法令ではなくて、

聖霊の力が心と良心に働くことによって行われなければならない。

 

ジュネーブの人々は、ローマの権威を投げ捨ててはいたが、

ローマの支配下で栄えていた悪習を捨てようとはしていなかった。

ここで福音の純粋な原則を確立し、

神の摂理が召している地位に適したものに

この人々を準備することは、

容易なことではなかった。

 

ファーレルは、カルバンこそ、

この事業において彼と協力できる人物であると確信した。

そこで彼は、神の名によって、青年伝道者に、

ここに残って働くように、厳かに懇願した。

カルバンは、驚いて辞退した。

彼は、気が弱く、平和を愛していたので、勇敢で独立心に富み、

激しい気性さえあるジュネーブの人々に接することを恐れた。

彼は、体が弱く、勉強好きでもあったので、

引きこもりがちであった。

彼は、文筆によって改革事業に最上の奉仕ができると信じ、

研究のために静かな場所を見つけて、

そこで印刷物によって教会を教え、築き上げたいと願った。

しかし、ファーレルの厳粛な勧告は、

彼にとって天からの召しと思われ、

彼は拒否することができなかった。

「神の手が天からのべられて私を捕え、

早く去ろうと考えていた場所に

どうしてもいなければならなくされた」

と彼には思われたのである。㉙

イエズス会の策動

この時、改革事業に一大危機が訪れた。

ジュネーブに対して法王の破門が宣言され、

強国がこぞってジュネーブを威嚇した。

これまでしばしば国王や皇帝を屈服させた強力な教権に、

この小さい都市がどうして対抗することができようか。

世界の偉大な征服者たちの軍隊に、

どうして対抗できようか。

 

プロテスタント主義は、

全キリスト教国において、恐るべき敵に脅かされた。

改革事業の最初の勝利は過ぎ、

ローマはその全滅を期して新たな勢力を奮い起こした。

この時、法王教の全闘士中、

最も残酷で無法で

強力なイエズス会が創設された。

彼らは、世俗のきずなや人間関係から切り離され、

人情も理性も良心もいっさいを無視して、

彼らの会以外のどんな規則もきずなも認めず、

ただ、その権力を伸張することだけを義務とした(付録参照)。

キリストの福音は、その信者たちに、危険を冒し、

苦難に耐え、寒さ、飢え、労苦、貧困にもめげず、

真理の旗をかかげ、

拷問も投獄も火刑も恐れない力を与えてきた。

この勢力に対抗するために、イエズス会は、

その会員を狂信的にさせ、同様の危険に耐えるように、

またあらゆる欺瞞の武器をもって真理の力に

対抗するようにさせた。

彼らは、どんな犯罪を犯しても罪にならず、

どんな欺瞞を行ってもかまわず、

どんな偽装もわけなくできた。

彼らは、一生の間貧困と質素な生活を送ることを誓ったが、

その目的とするところは、富と権力の獲得であり、

プロテスタント主義をくつがえし、

法王至上権を復興することであった。

 

彼らは、会の会員として活動する時は聖衣をまとい、

牢獄や病院を訪ねて病人や貧者に奉仕し、

世俗を捨てたことを公言し、

よい働きをしながら巡回された

イエスの清い名を帯びていた。

しかし、この潔白な外観のかげに、

しばしば、極悪非道な目的が隠されていた。

目的は手段を正当化するというのが、

会の基本原則であった。

この規定によって、虚偽、盗み、偽証、暗殺などは、

教会のために役立つならば許されるだけでなく、

賞賛すべきものであった。

さまざまな偽装のもとに、イエズス会の会員たちは、

国政にまで手を伸ばし、国王の顧問の地位について、

国家の政策をまとめた。

また、人々の様子を探るために、そのしもべとなった。

彼らは、王侯、貴族の子弟のための大学を設立し、

一般の国民のための学校を建てた。

そして、プロテスタントの親の子供たちは、

カトリックの儀式を守るように影響された。

ローマ・カトリックの礼拝の華麗な様子は、

心を混乱させ、想像力を眩惑(げんわく)し魅惑した。

こうして子供たちは、

彼らの父たちが苦難と血によって得た自由を売り渡してしまった。

イエズス会は、ヨーロッパに急速にひろがった。

そして、彼らの行ったところは、どこでも法王権が勢力を回復した。

 

宗教改革におけるカルバンの位置彼らにさらに大きな力を

与えるために、宗教裁判所再建の教書が出された(付録参照)。

この恐ろしい裁判所はカトリック国においてさえ、

嫌悪の念をもって見られていたにもかかわらず、

法王教の支配者たちによってふたたび設置され、

白日の下では行いえないような残忍な行為が、

ひそかな牢獄において行われた。

多くの国々において、

国家の花とも言うべき幾千幾万の純潔で高潔な人、

最も知的で高い教養を持った人、

敬虔で献身的な牧師、勤勉で愛国的な市民、聡明(そうめい)な学者、

才能ある芸術家、技量ある職人などが、

殺され、あるいは他国に逃れねばならなかった。

 

ローマは、このような方法で、

宗教改革の光を消し、

人間から聖書を取り去り、

暗黒時代の無知と迷信を回復しようとした。

しかし、神の恵みのもとに、

そしてルターに続いて神が起こされた高潔な人々の努力によって、

プロテスタント主義はくつがえされなかった。

その力は、

諸侯の好意や武力にたよってはならなかった。

最も小さい国々、最もつつましく力ない国々が、

その要塞となった。

それは、滅亡をはかる強敵のただ中にあった

小さなジュネーブであった。

また、北海の沿岸にあって、

当時強大さと富を誇ったスペインの圧政に

対抗していたオランダであった。

また、宗教改革が勝利したのは、

荒涼とした不毛のスウェーデンであった。

 

カルバンは、30年近くジュネーブで働いた。

最初は、聖書の道徳を守る教会の設立のため、

その後は、ヨーロッパ全体に

宗教改革を進展させるためであった。

彼の公の指導者としての行動は、無傷ではなく、

彼の教義にも誤りがなかったわけではない。

しかし、彼は、その当時

特に重要であった真理を宣布する器であった。

彼は、急速に回復しつつあった法王権に対抗して、

プロテスタント主義の原則を維持した。

また、ローマの教えのもとに助長された高慢や腐敗のかわりに、

単純で純潔な生活を改革教会において促進させた。

 

ジュネーブから、

印刷物や教師が出ていって、改革の教義をひろめた。

各地の迫害を受けた人々が、

この地点に、教えと勧告と励ましを求めた。

カルバンの都市ジュネーブは、

西ヨーロッパ全体のかり立てられた改革者たちの避難所となった。

幾世紀も続いた恐ろしいあらしを逃れて、

避難者たちがジュネーブの門に来た。

家と親族を離れ、飢え、傷ついた彼らは、

ここで温かく迎えられて看護された。

彼らは、ここに住みつき、その技量、学問、敬虔さによって、

この都市を祝福した。

ここに避難した者の多くは、

ローマの圧政に対抗するために自国に帰っていった。

勇敢なスコットランドの改革者、ジョン・ノックス、

多くの英国の清教徒たち、オランダやスペインのプロテスタントたち、

また、フランスのユグノーたちは、彼らの故国の暗黒を照らす

真理のたいまつを、ジュネーブから持っていったのである。

 

第12章 注

1 Wylie, b.13, ch.1.

2 D' Aubign e, London ed., b.12, ch.2.

3 Ibid.

4 Wylie, b.13, ch.2.

5 Ibid

6 D' Aubign e, b.12, ch.3.

7 Wylie, b.13, ch.9.

8 Ibid.

9 Ibid.

1 0 Ibid.

1 1 D' Aubign e, "History of the Reformation in Europe in The Time of Calvin," b.2,

ch.16.

1 2 Wylie, b.13, ch.9.

1 3 lbid.

1 4 D' Aubigne, "History of the Reformation in Europe in the Time of Calvin," b.2,

ch.16.

1 5 D' Aubigne, "History of the Reformation of the Sixteenth Century," b.12, ch.9.

1 6 Wylie, b.13, ch.7.

1 7 Martyn, vol.3, ch.13.

1 8 Wylie, b.13, ch.9.

1 9 D' Aubigne, "History of the Reformation in Europe in the Time of Calvin," b.2,

ch.30.

2 0 lbid., b.4, ch.10.

2 1 Ibid.

2 2 lie, b.13, ch.20.

2 3 lbid., b.13, ch.21.

2 4 D' Aubigne, "History of the Reformation in Europe in the Time of Calvin," b.4,

ch.12.

2 5 Wylie, b.13, ch.21.

2 6 D' Aubigne, "History of the Reformation in Europe in the Time of Calvin," b.4,

ch.12.

2 7 Wylie, b.13, ch.21.

2 8 Wylie, b.14, ch.3.

2 9 D' Aubigne, "History of the Reformation in Europe in the Time of Calvin" b.9,

ch.17.

 

【 第13章 北欧諸国の宗教改革 】

オランダにおける真理の伝統

オランダにおいては、非常に早くから、

法王の圧制に対して断固とした抗議が行われた。

ルターの時代の700年も前に、ローマに使節として遣わされ、

「法王庁」の真相を知った2人の司教が、

恐れることなくローマ法王を非難した。

神は、「その女王であり配偶者である教会に、

その家族のための貴い永遠の備えをなし、

衰えることも滅びることもない婚礼の贈り物と、

永遠の冠と笏(しゃく)とを与えられた。・・・・

あなたは、それらの祝福のすべてを、盗人のように横取りする。

あなたは、自分自身を神の宮にすえる。

あなたは牧者ではなくて、羊に対するおおかみになっている。・・・・

あなたは、自分が最高の司教であると

われわれに信じさせようとしているが、暴君のようにふるまっている。

・・・・あなたは、自ら称するとおり、

しもべのしもべでなければならないのに、主の主になろうとしている。

・・・・あなたは、神の戒めを侮辱している。・・・・地上の至る所

に教会を建てるのは、聖霊である。・・・・

われわれが市民であるところの神の都は、

諸天の全域に及ぶものである。

それは、預言者たちがバビロンと呼び、

自分は神であって天に達し、自分の知恵は不滅であると誇り、

不当にも自分には誤りはない、

また誤つことはあり得ないと主張している都よりは、

はるかに大きい都である。」①

 

その後各時代を通じて、

他の者たちが起こってこの抗議をくり返した。

いろいろの名称で呼ばれていたが、

ワルド派の宣教師の特徴をもったこれらの初期の教師たちは、

各地を巡回し、至る所に福音の知識をひろめて、

オランダに浸透した。

彼らの教義は速やかにひろまった。

彼らは、ワルド派の聖書をオランダ語の詩に翻訳した。

彼らは宣言した。

「これは、非常に有利であった。

冗談、作り話、軽薄、偽りはなく、ただ真理の言葉だけがあった。

もちろん、ところどころに難しいところはあっても、

善と聖の真髄と美味とは、たやすくその中に発見された。」②

昔からの信仰を支持する者たちは、

12世紀にこのように書いた。

 

さて、ローマの迫害が始まった。

しかし、火刑と拷問の中にあっても、信者は増加しつづけ、

聖書が宗教の誤つことのない唯一の権威であることを

断固として宣言し、

「人間は、信じることを強いられるべきものでなく、

説教によって導くべきである」と言った。③

改革者メノー・シモンズ

ルターの教えは、

オランダでそれに適した土壌を見いだし、

熱心で忠実な人々が福音の宣教に立ち上がった。

オランダの州の1つから、メノー・シモンズが現れた。

彼は、ローマ・カトリック教徒として教育を受け、

司祭になったが、

聖書のことは何も知らなかった。

そして、異端に欺かれるといけないと思って、

読もうとしなかった。彼が化体説(全質変化)について疑問を抱いた時、

彼はそれをサタンの誘惑であると考え、

祈りと告白によって、それからの解放を求めた。

しかし、それはむだであった。

彼は、遊興の場に行って、良心の声を消そうとしたが、

それも役には立たなかった。

その後しばらくして、彼は新約聖書の研究に導かれ、

これと、ルターの著書とが、彼に改革の信仰を受け入れさせた。

その後まもなく、近くの村で、

再洗礼を受けたために死刑に処せられる人が、

首を切られるのを目撃した。

このことから彼は、幼児洗礼に関して聖書を調べてみた。

彼は、それを支持する証拠を聖書の中に見つけることはできなかった。

かえって、バプテスマを受ける条件として、

悔い改めと信仰が至る所で要求されているのを見た。

 

メノーは、ローマ・カトリック教会を離れて、

彼が信じた真理を教えるために一生をささげた。

ドイツにもオランダにも、狂信的な人々が起こって、

途方もない扇動的教義を主張し、

秩序と風紀を乱し、

暴力と反乱を引き起こしていた。

メノーは、このような運動が

必然的にもたらす恐ろしい結果を見て、

狂信家たちの誤った教えと無暴な方法とに極力反対した。

しかし、こうした狂信家たちに迷わされたが、

やがてその有害な教義を捨ててしまったものが多くいた。

また、昔からのキリスト者たちの子孫たち、

すなわち、ワルド派の教えの実である人々も多く残っていた。

メノーは、こうした人々の間で、

熱心に働いて成功を収めた。

 

彼は、妻と子供たちを連れて25年間旅を続け、

大きな困難と欠乏に耐え、

しばしば生命の危険にさらされた。

彼は、オランダと北ドイツを巡り、

主として下層階級の間で働いたが、

その感化は広範囲に及んだ。

限られた教育しかなかったが、生まれつき雄弁であった彼は、

ゆるがぬ誠実さ、謙そんな精神と柔和な態度、

そして真実で熱心な信仰の持ち主であって、

自分が教えるところを生活に実践し、

人々の信頼を受けた。

彼の弟子たちは、散らされ、迫害された。

彼らは、狂信的なミュンスター暴徒たちと混同されたために、

非常に苦しめられた。

しかし、彼の働きによって、多数の者が悔い改めた。

迫害と宣教

改革の教義がオランダほどに

広く受け入れられた所は他になかった。

また、ここほど改革主義を信じた者たちが

恐ろしい迫害を受けた国も少ない。

ドイツでは、

カール5世が宗教改革を禁じ、

その信者たちをみな火刑にしようとした。

しかし、諸侯たちが

立ち上がってその暴虐を防いだ。

オランダにおいては、彼の権力はさらに大きく、

迫害の命令が次々に発せられた。

聖書を読むこと、聖書を聞いたり説教をしたりすること、

また、それについて語ることさえ、火刑に値する罪であった。

ひそかに神に祈ること、偶像を拝むのを拒否すること、

あるいは詩篇を歌うことも死罪に値した。

自分の誤りを捨てることを誓ってさえ、男子は剣で殺され、

女子は生き埋めにされた。カールとフェリペ(フィリップ)2世の

時代に殺された者は、幾千にのぼった。

 

ある時、ミサに出ないで家庭で

礼拝をしたという理由で、

1家族全員が宗教裁判官の前に引き出された。

ひそかに行っていたことについての取り調べに対し、

一番番下の息子は答えた。

「わたしたちはひざまずいて、神がわたしたちの心を照らし、

わたしたちの罪をゆるしてくださるようにと祈ります。

わたしたちは、わたしたちの王様のために祈り、

王様の治世が栄えてご幸福であられるように祈ります。

わたしたちは長官たちのために祈り、

神が彼らを守ってくださるように祈ります。」④

裁判官の中には、非常に感動した者たちもいた。

しかし、父親と、息子たちの1人は、火刑の宣告を受けた。

 

迫害が激しくなるにつれて、

殉教者たちの信仰も熱してきた。

男子だけでなくて、かよわい女性や年若い少女たちも、

確固とした勇気をあらわした。

「妻たちは、夫の火刑柱のそばに立って、

夫が火に耐えている間、

慰めの言葉をささやき、詩篇を歌って夫を励ました。」

「少女たちは、夜寝床に入るかのように、

生きながら墓に横たわり、あるいは婚礼に行くかのように、

最上の衣裳(いしょう)をまとって、

絞首台や火刑台に進んでいった。」⑤

 

多神教が福音を撲滅しようとした時代と同様に、

キリスト者の血は種であった

(テルトゥリアヌス「護教論」50節)。

迫害は、真理の証人たちの数を

増加させるだけであった。

征服することのできない人民の決意に、

たけり狂った王は、年々その残酷な行動を推し進めていったが、

しかしむだであった。

そして、高貴なオレンジ公ウィリアムの下における

独立は、ついにオランダに、神を礼拝する自由をもたらしたのである。

デンマークの改革者タウセン

ピエモンテの山々で、フランスの平原で、

そしてオランダの海岸で、

福音の進んでいった所は、その弟子たちの血で彩られた。

しかし、

北欧諸国には、平和に入っていった。

ウィッテンベルクの学生たちは、故郷へ帰る時、

改革の信仰をスカンジナビアに伝えた。

ルターの著書の発行も、光を広めた。

単純で強健な北欧の人々は、

ローマの腐敗、華美、

迷信を捨てて、純潔、単純で

生命を与える聖書の真理を歓迎した。

 

「デンマークの改革者」タウセンは、農夫の息子であった。

彼は、幼い時から、知力の活発な少年であった。

彼は、教育を渇望した。

しかし、親の事情がそれを許さなかったので修道院に入った。

ここで、彼の勤勉と誠実と純潔な生活が、

先輩の好意をかち得た。

彼は、試験の結果、将来教会のために

よい奉仕をする才能の持ち主であることが認められた。

そこで、ドイツかオランダの大学で、

教育を受けさせることにきまった。

この青年学徒は、

ウィッテンベルクには

行かないという1つの条件のもとに、

自分で学校を選ぶ自由が与えられた。

教会の学者たるものは、異端の害毒にさらされてはならない。

このように修道士たちは言った。

 

タウセンは、今日同様当時においても、

ローマ教の本拠の1つであったケルン大学に入った。

ここで彼はまもなく学者たちの神秘主義にあいそをつかした。

ちょうどそのころ、彼は、ルターの著書を手に入れた。

彼はこれを読んで非常な驚きと喜びとを感じ、

ルターの教えを直接受けたいと切望した。

しかし、そうすることは、修道院の先輩を怒らせ、

彼の支持を失うことであった。

彼はすぐに決心した。

そして、まもなくウィッテンベルク大学に入学した。

 

彼は、デンマークに帰ってから、ふたたび修道院にもどった。

彼がルター派ではないかと疑う者は、だれもまだいなかった。

彼は、自分の秘密をあらわさなかったが、

同僚の偏見を起こさないようにして、

彼らを純粋な信仰と清い生活に導こうと努めた。

彼は、聖書を開いてその真の意味を説明し、

ついに罪人の義、救いの唯一の希望として、キリストを宣べ伝えた。修道院長の怒りは大きかった。

彼はタウセンに、ローマの擁護者としての

大きな期待をかけていたのであった。

タウセンは直ちに、彼の修道院から別の修道院に送られて、

厳重な監視のもとに個室に閉じ込められた。

 

ところが、彼の新しい監視人たちが驚いたことには、まもなく

修道士たちが数名、プロテスタント主義に改宗したことを宣言した。

タウセンは、独房のこうしの間から、

彼の同僚たちに真理を教えたのであった。

もしデンマークの修道院長たちが、

異端に対する教会の処置に通じでいたならば、

タウセンの声は2度と聞かれなかったであろう。

しかし彼らは、どこかの地下牢で彼を埋葬するかわりに、

修道院から彼を追放した。

これで、もう彼らには、どうすることもできなかった。

ちょうどその時、新しい教義の教師たちを保護する勅令が発せられた。

タウセンは、説教しはじめた。

諸教会は彼に扉(とびら)を開いた。

多くの人々が集まって聞いた。

他にも神の言葉を伝える者がいた。

新約聖書がデンマーク語に翻訳され、

広く配布された。

この働きをくつがえそうとする法王側の努力は、

かえってこれを促進し、

まもなく、デンマークは改革主義の承認を宣言した。

スウェーデンの改革者ペトリ兄弟

スウェーデンにおいても、ウィッテンベルクの井戸から

学んだ青年たちが、生命の水を自国の人々に伝えた。

スウェーデンの宗教改革の指導者のうちの2人、

オラフ・ペトリとローレンティウス・ペトリは、

オレブロの鍛冶屋(かじや)の息子たちで、ルターとメランヒトンの下で学び、こうして学んだ真理を熱心に教えた。

オラフは、偉大な改革者ルターのように、

熱と雄弁によって、人々を覚醒させた。

一方ローレンティウスは、メランヒトンのように、

学識があり、思慮深く静かな人であった。

両方とも、熱心に神を敬う人たちで、

神学に深く通じ、断固とした勇気をもって真理を推進させた。

法王側の反対はやまなかった。

カトリックの司祭たちは、

無学で迷信的な人々を扇動した。

オラフ・ペトリは、しばしば暴徒に襲われ、

命からがら逃げたことも何度かあった。

しかし、これらの改革者たちは、

王の愛顧と保護を受けていた。

 

ローマ教会の支配の下で、

人々は貧困に苦しみ、圧迫にあえいだ。

彼らは、聖書を持っていなかった。

そして心に光を伝えない単なるしるしと儀式だけの

宗教を持っていたので、彼らは、彼らの異教の先祖たちの、

迷信的信仰と多神教的習慣にもどりつつあった。

国民は党派に分かれて相争い、

絶えまなく続く争いは、すべての者の悲惨を増した。

王は、国家と教会の改革を決意し、

ローマと戦うために

これらの有能な援助者を歓迎した。

 

オラフ・ペトリは、スウェーデン国王と指導者たちの前で、

ローマ側の支持者に対抗して、

改革主義の信仰の教義をりっぱに擁護した。

彼は、教父たちの教えは、

聖書と一致するものだけを信じるべきであると言った。

また、信仰上の重要な教義は、

聖書に簡単明瞭(めいりょう)に示されているから、

すべての者が理解できると言明した。

「わたしの教はわたし自身の教では

なく、わたしをつかわされたかたの教である」と

キリストは言われた(ヨハネ 7:16)。

そして、パウロは、彼が受けた福音以外のことを宣べ伝える者は、

のろわるべきであると言った(ガラテヤ 1:8参照)。

「それでは、いったいだれがかってに教義を規定して、

それが救いに必要なものであると強制することができるでしょうか」

と改革者は語った。⑥

彼は、教会の法令が神の命令に反する時は、

権威がないことを示し、プロテスタントの

「聖書、そして聖書のみ」という大原則が、

信仰と行為の規則であることを主張した。

 

この論争は、割合目立たない程度のものであったが、

しかし「宗教改革者側の陣営が、

どのような人々によって占められていたかを」

示してくれるものである。

「彼らは、無学で党派心に強くそうぞうしい論争家では、

けっしてなかった。彼らは、神の言葉を研究した人々であり、

聖書の兵器庫が彼らに与えた武器を、

十分に使いこなせる人々であった。

博学の点においては、彼らは、彼らの時代に先んじていた。

われわれは、ウィッテンベルクやチューリヒのような

輝かしい中心地、また、ルターやメランヒトン、

ツウィングリやエコランパデウスのような著名な人物に注目する時、

当然、彼らは運動の指導者であって、

驚くべき能力と学識の持ち主であったが、

その他の人々はそうではなかったように考えがちである。

しかし、遠く離れたスウェーデンの舞台に目を転じ、

オラフとローレンティウス・ペトリという

つつましい名前に目を向けてみよう。

教師たちからその弟子たちへと目を転じるのである。

するとそこに、われわれは何を見いだすであろうか。・・・・

学者と神学者である。福音の真理の全体系を完全にこなして、

学校の哲学者やローマの司教たちを容易に打ち負かす人々である。」⑦

 

この論争の結果、スウェーデンの王は改革主義を受け入れ、

その後まもなく、国会が賛成した。

新約聖書は、オラフ・ペトリによって、

スウェーデン語に翻訳され、王の希望によって、

2人の兄弟は聖書全体の翻訳にとりかかった。

こうして、スウェーデン人は、

初めて神の言葉を自国語で持つことができた。

また、王国全体において、牧師は聖書を説き明かすように、

そして学校において

子供たちに聖書を読むことを教えるように、

国会で定められた。

 

無知と迷信の暗黒は、徐々にではあるが確実に、

福音の祝福された光によって追い払われていった。

ローマの圧迫から解放された国は、

これまで到達したことのない力と偉大さに達した。

スウェーデンは、プロテスタント主義のとりでの1つとなった。

1世紀後、非常な危険の時に、

この小さく弱かった国―ヨーロッパにおいて、

支援の手をさしのべた唯一の国―が、

30年戦争の恐ろしい戦いに際して、ドイツを救ったのである。

北欧全土は、ふたたびローマの圧制下に置かれるかと思われた。

ドイツが法王側勝利の形勢を一変させて、

ルター派同様にカルバン派の

プロテスタント主義の信教の自由を確保し、

宗教改革を受け入れたこれらの国々に、

良心の自由を回復することができたのは、

スウェーデンの軍隊のおかげであった。

 

 

第13章 注

1 Gerard Brandt, "History of the Reformation in and About the Low Countries,"b.1,p.6.

2 lbid., b.1, p.14.

3 Martyn, vol.2, p.87.

4 Wylie, b.18, ch.6.

5 lbid.

6 Wylie, b.10, ch.4.

7 lbid.

 

【 第14章 英国における真理の前進 】

聖書を英国民の手に

ルターが、封じられた聖書をドイツの人々に開いていた時に、

ティンダルも神の霊に動かされて、

英国(イングランド)のために同じことを行った。

ウィクリフの聖書は、

多くの誤りを含むラテン語訳からの翻訳であった。

それは、印刷されず、

写本の価格は非常に高価であったために、

金持ちか貴族でなければ手に入れることができなかった。

その上、教会が厳しく禁じていたために、

比較的小範囲にしか広まっていなかった。

1516年、すなわち、

ルターの95か条の論題が公にされる前年、

エラスムスは、ギリシア語とラテン語の新約聖書を出版した。

神の言葉が原語で印刷されたのは、

これが初めてであった。

この事業によって、以前の訳の多くの誤りが正され、

意味も明瞭(めいりょう)になった。

これによって、

多くの知識人たちが真理をよく知るようになり、

改革事業に新たな刺激を与えた。

しかし、一般の人々はまだ、その大部分が、

神の言葉から除外されていた。

ティンダルは、ウィクリフの事業を完成して、

同胞に聖書を与えるのであった。

 

勤勉で熱心な真理の探究者であった彼は、

エラスムスのギリシア語新約聖書によって、

福音を受け入れた。

彼は、恐れることなく自分の確信を説教し、

すべての教義は聖書によってためすべきであると主張した。

聖書を与えたのは教会であって、教会だけが聖書を説明することが

できるという法王側の主張に対して、ティンダルは答えた。

「ワシにえさを見つけることを教えたのがだれか、

あなたは知っているか。その同じ神が、神の飢えた子供たちに、

聖書の中に彼らの父を見つけるよう教えておられる。

あなたがたは、われわれに聖書を与えるどころか、

われわれから聖書を隠してきた。

聖書を教える人々を焼くのがあなたがただ。

そしてあなたがたは、

できることなら聖書そのものまで焼こうとしている。」①

 

ティンダルの説教は、非常に人々の興味をかきたてた。

そして多くの者が真理を受け入れた。

しかし、司祭たちは待機していて、彼が伝道地を去るやいなや、

脅迫や偽りによって、彼の働きを破壊しようとした。

彼らが成功することがしばしばであった。

「どうしたらよいだろうか。一か所で種をまいていると、

敵は、今わたしが去ったばかりの所を荒らしている。

わたしは、至る所にいることはできない。

そうだ!もしキリスト者たちが、

自国語で聖書を持つことができるならば、

彼らはこれらの詭弁家(きべんか)たちに対抗できることであろう。

聖書がなければ、信徒を真理に定着させることはできない。」②

ティンダルの偉大な事業

彼は、新しい目的を心に抱いた。

「イスラエルが主の宮で詩篇を歌ったのは、

イスラエルの国語によってであった。

それではわれわれの間で、

福音が英語で語られてはいけないであろうか。・・・・

教会では、明けがたよりも真昼の光の方が弱くてよいであろうか。

・・・・キリスト者は、母国語で新約聖書を読まなければならない」

と彼は言った。

教会の博士たちや教師たちの意見は、

互いに異なっていた。

人々は、ただ聖書に基づいてのみ、真理を知ることができる。

「ある者は、この博士を信じ、他の者は、別の博士を信じる。・・・・

これらの著者たちは、互いに他を否定する。

それでは、正しいことを言う人と誤ったことを言う人とは、

どのようにして区別することができようか。・・・・

それは真に、神の言葉によってである。」③

 

その後まもなく、学識あるカトリックの博士が、彼と論争して叫んだ。

「われわれは、法王の法律を廃するよりは、

神の律法を廃したほうがよい。」ティンダルは答えた。

「わたしは、法王と彼のすべての法律を無視する。

そして、もし神がわたしの生命を長らえさせてくださるならば、

わたしは幾年もたたぬうちに、農業に従事する少年が、

あなたよりももっと聖書のことを知るようにするであろう。」④

 

人々に自国語の新約聖書を与えるという、

ティンダルが心に抱き始めた計画は、

今や確固たるものとなり、

彼は直ちにその仕事に取りかかった。

彼は迫害のために家を追われ、ロンドンへ行って、

そこでしばらくじゃまされずに仕事に従事した。

しかし彼は、ふたたび法王側の人々の暴行によって、逃げなければならなかった。イギリス全国が、彼に対して閉じられたように思われたので、彼はドイツに隠れ家を求める決心をした。

ここで彼は、英語の新約聖書を印刷しはじめた。

仕事は2度も妨害された。

しかし、1つの町で印刷を禁じられると、彼は次の町へ行った。

ついに彼は、ウォルムスに向かったが、ここは数年前に、

ルターが国会において福音を擁護した所であった。

この古い町には、宗教改革の多くの支持者たちがいたので、

ティンダルはその後なんの妨害もなく、

仕事を継続することができた。

間もなくここで3000冊の新約聖書が完成し、

同じ年に第2版も発行された。

 

彼は、非常な熱心と忍耐をもって、

仕事を続けた。

英国当局が各港を厳重に監視していたにもかかわらず、

神の言葉は、さまざまの方法で、ひそかにロンドンに運ばれ、

そこから全国に配布された。

法王側は真理を圧迫しようとしたが、むだであった。

ある時ダラムの司教はティンダルの友人であった書籍販売人から、

彼が持っているだけの聖書を買い取った。

これは聖書を焼き捨てるためで、そうすれば、

改革事業を大いに妨害することができると考えたからであった。

ところが、こうして得た金で、

新しいよりよい版のための材料を買うことができた。

もし、これがなければ、その出版はできなかったのである。

後に、ティンダルが捕えられた時、

彼は、聖書の印刷費を援助した人々の名を明かせば、

自由にすると言われた。

彼は、ダラムの司教が、

他のだれよりも多くの援助をしたと答えた。

それは、司教が手もとに残っている聖書を高い値段で

買ってくれたために、

彼は、勇気をもって

仕事を継続することができたからであった。

 

ティンダルは、裏切られて敵の手に渡され、

一時何か月もの間牢獄に入れられた。

彼はついに、殉教の死を遂げて信仰のあかしを立てた。

しかし、彼が用意した武器は、

今日に至るまで幾世紀にわたって、

他の兵士たちの戦闘を可能にしたのである。

改革主義者たちの輩出

ラティマーは、聖書は自国語で読むべきものであると、

説教壇から主張した。

聖書の著者は、「神ご自身である。」

そして、この聖書は、

その著者の力と永遠性を帯びている、と彼は言った。

「王、皇帝、長官、統治者であっても、・・・・

神の聖なる言葉に・・・・従う義務のない者はいない。」

「われわれは、横道にそれず、神の言葉に導かれるようにしよう。

われわれは、先祖たちの道を歩かず、

彼らのしたことをしようとせず、

彼らがすべきであったことをしよう。」⑤

 

ティンダルの忠実な友人たち、バーンズとフリスが、

真理を擁護するために立ち上がった。

それに、リドリとクランマーが続いた。

これら英国の宗教改革指導者たちは学識ある人々で、

たいていはカトリックの社会で、

その熱意と敬虔(けいけん)さを高く評価されていた人々であった。

彼らが法王権に反対したのは、

「法王庁」の誤りを認めた結果であった。

彼らがバビロンの奥義をよく知っていたことは、

教会に反対する彼らのあかしをいっそう力強いものにした。

 

ラティマーは言った。「ここでわたしは、奇妙な質問をしようと思う。

英国全体のなかで、

いったいだれが最も勤勉な司教であり高位聖職者であろうか。・・・・

みなさんは、わたしがだれの名前を言うかと、耳をそばだてておられる。

・・・・それでは申し上げよう。それは悪魔である。・・・・

彼は自分の教区からけっして出ない。

彼を訪問すれば、いつでも家にいる。・・・・

彼はいつでも仕事をしている。・・・・請け合ってもいいが、

みなさんはけっして彼が怠けているのを見ることができない。・・・・

悪魔が住みついたところは、・・・・

書物を捨て去って、ろうそくを立てる。

聖書は捨てて、じゅずを取り上げる。

福音の光を捨てて、白昼にろうそくの光を掲げる。・・・・

キリストの十字架を捨てて、煉獄という搾取が行われる。・・・・

裸の者、貧しい者、力ない者に着せることをせず、偶像を飾り、

さまざまの像をきらびやかに飾る。

人間の言い伝えと律法をたいせつにして、

神の教えと最も神聖な言葉を捨てる。・・・・

ああ、われわれの高位聖職者たちが、

サタンが毒麦をまくような熱心さで、

良い教義の種をまけばよいのだが!」⑥

 

これらの改革者たちが主張した大原則は、

ワルド派、ウィクリフ、ヨハン・フス、ルター、カルバン、

ツウィングリその他の同志たちが信じた原則と同じであって、

信仰と行為の規則としての聖書の、

誤ることのない権威ということであった。

彼らは、法王、会議、神父、王たちの、

宗教の問題において良心を支配する権利を拒んだ。

聖書が彼らの権威であった。

そして彼らは、その教えによって、

すべての教義とすべての主張を試した。

これらの聖徒たちが処刑台の露と消えた時に、

彼らを支えたのは、神と神の言葉に対する信仰であった。

ラティマーは、炎のために、今にも声が沈黙させられそうになった時、

同僚の殉教者に向かって叫んだ。

「喜べ。きょうわれわれは、神の恵みによって、

英国にろうそくをともすのだ。その火は決して消えないであろう。」⑦

スコットランドの情勢

スコットランドにおいて、真理の種は、コルンバによってまかれた。

そして彼の同志たちは、その後も決してなくならなかった。

英国の教会が

ローマに服従してから数百年の間、

スコットランドの教会は自由を保ち続けた。

しかし、12世紀に至って、法王権がこの地に打ち立てられ、

他国では見られなかった絶対的支配が行われた。

ここほど暗黒なところは他になかった。

それにもかかわらず、光が輝いて暗黒をさし貫き、

来たるべき日の約束を与えた。

ロラード派の人々が、

英国から聖書とウィクリフの教えを携えて来て、

福音の知識の保持のために大いに貢献した。

また、各世紀に、福音の証人と殉教者があらわれた。

大宗教改革の開始とともに、ルターの著書が紹介され、

それに続いて、ティンダルの英語の新約聖書がはいってきた。

これらの書物は、法王側の目を逃れて、

黙々と山々や谷間を行きめぐり、

スコットランドで今にも消えそうになっていた

真理の燈に新たな生命を与え、

ローマが4世紀にわたって行ってきた圧迫から人々を解放した。

 

さらに、殉教者の血が、

運動に新たな刺激を与えた。

法王側の指導者たちは、

突然、彼らの働きが危機に陥ったのを悟って、

スコットランドの最も高貴で栄誉ある人々を火刑にした。

しかし、彼らは、説教壇を立てたにすぎなかった。

そしてそこから、これらの証人たちの最後の言葉が全国に響き、

ローマの束縛を打破するという不滅の目的をもって、

人々の心を感動させたのであった。

 

ハミルトンとウィシャートは、家柄も品性も高貴であったが、

他の多くの質朴(しつぼく)な弟子たちと共に、火刑にされて死んだ。

しかし、ウィシャートの火刑柱から、炎も沈黙させることができない者、

神の力によってスコットランドの

法王権の没落を来たらせる者が現われた。

大胆不敵なジョン・ノックス

ジョン・ノックスは、教会の伝説と神秘主義を捨てて、

神の言葉の真理を研究した。

そして、ウィシャートの教えが、

彼に、ローマ・カトリック教会を出て、

迫害されている改革者の側に加わる決心を固めさせた。

 

彼は、仲間から説教者になるように勧められた時、

その責任の重大なことを恐れてしりごみした。

そして、数日間閉じ込もって苦悩した後、

初めてそれに同意した。

しかし、1度その職につくと、

断固とした決意とひるむことなき勇気をもって、

一生の間前進していった。

この誠実な改革者は、人の顔を恐れなかった。

迫害の炎が彼を取り囲んだが、

それはただ彼の熱をあおるだけであった。

暴君のおのが彼の頭上を脅かしていたが、

彼は自分の立場を貫き、

偶像を破壊するために右や左に強力な打撃を加えた。

 

スコットランドの女王の前に連れ出されると、

プロテスタントの指導者の多くは、

熱意がさめてしまうのであるが、

ジョン・ノックスは、真理のためにゆるがぬあかしを立てた。

彼は、愛顧を受けても譲らず、

脅かされてもひるまなかった。

女王は彼を異端者扱いした。

彼は、国家が禁じた宗教を信じるように人々に教えたのであるから、

国民は君主に服従することを命じる神の命令に背いたと、

女王は宣言した。

ノックスは、断固として答えた。

 

「正しい宗教は、世俗の君主からではなく、ただ永遠の神から、

その本来の力と権威を受けています。

それゆえに、国民は、君主の嗜好(しこう)のままに

宗教を定める必要はありません。

なぜなら、君主は他のだれよりも、

神の真の宗教について無知なことがあるからです。・・・・

もしアブラハムの子孫がみな、

彼らの長く隷属していたパロの宗教を続けていたならば、

世界には、どんな宗教が出現していたことでしょうか。

あるいは、使徒時代の人々がみな、

ローマ皇帝の宗教を信じていたならば、

この地上には、どんな宗教が起きたことでしょうか。・・・・

それゆえ、女王よ、国民は君主に服従すべきではありますが、

宗教に関しては、君主に縛られるべきではないということが、

おわかりになるでしょう。」

 

メアリ女王は言った。「おまえが聖書をこういう意味に解釈すれば、

彼ら〔ローマ・カトリックの教師たち〕は別の解釈をする。

わたしは、だれを信じたらよいのか、だれが裁判官になるのか。」

 

改革者は答えた。

「聖書によって明瞭に語られる神を信じればよいのです。

そして、み言葉が教える以外のものは、

これもあれも信じなくてよいのです。

神の言葉は、それ自体明瞭です。

もしどこかに不明瞭なところがあれば、

ご自身に矛盾することのない聖霊が、

それを他の場所において明らかに説き明かしてくださいます。

それですから、かたくなに知ろうとしない者を除いては、

なんの疑惑も残りえないのです。」⑧

 

恐れを知らぬ改革者は、自分の生命の危険も顧みず、

女王の前で、このような真理を語った。

彼は、この同じひるむことのない勇気をもって、

目的に向かって進み、ついにスコットランドが法王権から解放されるまで、祈りつつ主の戦いを戦った。

イングランドの情勢

イングランドでは、

プロテスタント主義が国教になったので、

迫害は減ったけれども、全くやんだわけではなかった。

ローマの教義が多く破棄されたけれども、

形式は少なからず残っていた。

法王の至上権は拒否されたけれども、

その代わりに、国王が教会の頭の座を占めた。

教会の礼拝は、

福音の純粋さと単純さとからまだ遠く離れていた。

宗教の自由という大原則も、

まだ理解されていなかった。

プロテスタントの国王たちは、

ローマが異端に対して用いた恐ろしい残酷行為は行わなかったが、

おのおのが自分の良心に従って

神を礼拝する権利は認めていなかった。

すべての者は、国教会が規定した教理を受け入れ、

礼拝の形式を守らなければならなかった。

国教反対者は、幾百年にわたって、

程度の差こそあれ迫害に苦しんだ。

 

17世紀には、

幾千という牧師がその地位を追われた。

人々は、教会が承認したもの以外の

どんな宗教的集会に出席することをも禁じられ、

違反する者は重い罰金、投獄、追放に会わねばならなかった。

そこで、神を礼拝するために集まらずにはおれない忠実な人々は、

やむをえず、暗い路地、薄暗い屋根裏、またある季節には、

夜中に森に集まった。

神ご自身がお建てになった神殿である森の奥深くに、

これらの散らされ迫害された主の子供たちは集まり、

魂を注ぎ出して祈り、

神を賛美した。

このように用心深くしていてもなお、

信仰のために苦しむ者が多かった。

牢獄はあふれた。家族は離散した。

外国に追放された者も多かった。

それでも神は、ご自分の民と共におられ、

迫害は、彼らのあかしを沈黙させることができなかった。

海のかなたのアメリカに追われた者も多かった。

そして彼らは、アメリカにおいて、同国のとりでであり栄光である

政治と宗教の自由の基礎を築いたのであった。

 

また、使徒時代のように、

迫害はかえって福音を進展させた。

ジョン・バンヤンは、放蕩(ほうとう)者や

重罪犯人が群がっている薄気味悪い牢獄のなかで、

天国のふんい気にひたり、そこで、滅亡の国から天の都に行く

巡礼の旅のすばらしい寓話(ぐうわ)を著わした。

それ以後200年以上にもわたって、ベッドフォードの

牢獄からの声は、人々の心に感動的な力をもって語ってきた。

バンヤンの『天路歴程』と『罪人の頭に溢るる恩寵』は、

多くの人を生命の道に導いた。

 

バクスター、フレーベル、アリーン、その他、才能と教育と

キリスト者経験の豊かな人々が、

聖徒たちにひとたび伝えられた信仰を勇敢に擁護した。

この人々の成し遂げた仕事は、この世の支配者からは厳しく禁じられたものであったが、けっして滅びることのないものである。

フレーベルの『生命の泉と恵みの道』は、

魂をキリストにゆだねる方法を

幾千の人々に教えてきた。

バクスターの『改革牧師』は、

神の働きの復興を望む多くの人々に祝福を与え、

『聖徒の永遠の安息』は、神の民のために存続している「安息」に、

魂を導く役割を果たしてきた。

ウェスレー兄弟の出現

それから100年後、霊的大暗黒の時代に、

ホイットフィールドとウェスレー兄弟が、

神の光を掲げる者として現れた。

国教会の支配下にあって、英国の人々は、

異教と見分けがつかないほどの

宗教的堕落状態に陥っていた。

牧師たちは、自然宗教を好んで研究し、

それが彼らの神学の大半であった。

上流階級は信心を冷笑し、自分たちは、

いわゆる狂信よりすぐれていると誇っていた。

下層階級は非常に無知で、悪習にふけっていた。

一方、教会は、ふみにじられた真理の運動を、

支持する勇気も信仰もなかった。

 

ルターがあれほどはっきりと教えた、

信仰による義という偉大な教理は、

ほとんど姿を消してしまっていた。

そして、善行によって救いを得るというローマ教の原則が、

その代わりになっていた。

ホイットフィールドとウェスレー兄弟は、国教会の信者であった。

彼らは、神の恵みを真剣に求め、そしてそれは、

高潔な生活と宗教儀式の遵守とによって与えられると教えられていた。

 

ある時、チャールズ・ウェスレーが病気にかかり、死にそうになった。

彼は、永遠の生命の希望を何においているかという質問を受けた。

彼は答えた。

「わたしは、神に仕えるために全力を尽くしてきた。」

しかし、質問した友人は、この答えでは満足しないらしかった。

ウェスレーは考えた。「なんだって?わたしの努力が、

希望の十分な根拠でないというのか。

彼は、わたしから、わたしの努力を奪おうとするのか。

わたしは他に何も頼るものがない。」⑨

教会にはこうした深い暗黒がおおいかぶさり、

贖罪(しょくざい)を隠し、キリストからその栄光を奪っていた。

そして、人々の心を、救いの唯一の希望―十字架に架けられた

贖い主の血から引き離していた。

 

ウェスレーと彼の仲間は、真の宗教は心に根ざすものであって、

神の律法は、言葉や行為と同様に思想にまで

及ぶものであることを悟った。

外部の行状が正しいのと同様に、

心の聖潔の必要を確信して

新しい生活に入ろうと熱心に努めた。

彼らは、非常な努力と祈りによって、

生来の心の悪を抑制しようとした。

彼らは、自己犠牲、愛、謙そんの生活を送り、

彼らが何よりも望んだもの―すなわち、

神の恵みを受けることができる聖潔―に到達するために

役立つことはどんなことでも、

非常な厳格さと正確さをもって実行した。

しかし、彼らは、求めたものを得ることはできなかった。

罪の宣告や罪の力から

自由になろうとする彼らの努力はむなしかった。

これは、ルターが、

エルフルトの小部屋で経験したのと同じ悩みであった。

「人はどうして神の前に正しくありえようか」

という、彼の魂を悩ましたのと同じ問題であった(ヨブ 9:2)。

モラビア派との出会い

プロテスタント主義の祭壇の上で、

今にも消えそうになっていた神の真理の火は、

各時代を通じてボヘミアのキリスト者たちによって

伝えられてきた古いたいまつによって、再び点じられることになった。

宗教改革の後、ボヘミアのプロテスタント主義は、

ローマの軍勢によってふみにじられた。

真理を放棄することを拒んだ者は、みな逃亡しなければならなかった。

ある者はザクセンに避難所を見いだし、

そこで昔ながらの信仰を保った。

ウェスレーと彼の仲間が光を受けたのは、

これらのキリスト者たちの子孫からであった。

 

ジョン・ウェスレーとチャールズ・ウェスレーは、

牧師の按手礼(あんしゅれい)を受けたあとで、米国の伝道に遣わされた。

同じ船に、モラビア人の一団が乗っていた。

途中、激しい暴風雨に出会い、

ジョン・ウェスレーは死に直面して、

まだ自分が神との平和の確証を持っていないのを感じた。

ところが、このドイツ人たちは、

彼が味わっていない平静さと信頼をあらわしていた。

 

彼は、次のように言っている。

「わたしは、ずっと以前から、

彼らの非常にまじめな態度に気づいていた。

彼らは、英国人がしようともしない卑しい仕事を

他の船客のために行って、彼らの謙そんを常に実証した。

彼らは、これに対する報酬を望まず、また受けようともせず、

これは自分たちの高慢な心に益であり、

自分たちの愛する救い主は、

自分たちのためにもっと多くのことをされた、と言った。

そして毎日、彼らは、どんな害を受けても動ぜず、柔和であった。

もし、押されたり、打たれたり、投げ倒されたりしても、

立ち上がって行ってしまう。彼らはつぶやいたりはしなかった。

ところで今、彼らが、誇りや怒りやふくしゅうの念と同様に、

恐怖からも救われているかどうかを試す時がやってきた。

彼らの礼拝は詩篇で始まったのであるが、

その詩篇を読んでいる最中に、海が大荒れになり、

主帆をずたずたに引き裂き、水は船におおいかぶさって、

まるで大海がわれわれを飲んでしまったかのように、

甲板の間に流れ込んだ。

英国人の間からは恐ろしい叫び声が起こった。

ドイツ人たちは静かに歌い続けていた。

わたしは後で、彼らの1人に、『恐ろしくなかったですか』と聞いた。

彼は、『神様のおかげで、少しも』と答えた。

わたしは、『でも婦人や子供たちは恐ろしくなかったですか』と聞いた。

彼は穏やかに答えた。

『いいえ、私たちの婦人や子供たちは、

死ぬことを恐れてはいません』。」⑩

 

サバナに到着しても、

ウェスレーはしばらくの間モラビア人といっしょに住んだ。

そして、彼らのキリスト者的な行状に強く心を打たれた。

英国の教会の無気力な形式主義とは対照的な、

彼らの礼拝について、彼は次のように書いた。

「その全体の非常な厳粛さと単純さとは、

わたしに1700年の隔たりを忘れさせ、

形式も儀礼もない、

あの天幕作りのパウロや漁師のペテロの司会する

集会にいるかのような感を与えた。

しかも、そこに霊と力のあらわれがあった。」⑪

 ウェスレーは、英国に帰ってきて、

モラビア人の説教者の指導のもとに、

聖書の信仰をはっきりと理解することができた。

彼は、救いを得るために自分自身の行為に頼ることを全く捨てて、

「世の罪を取り除く神の小羊」に

全的に信頼しなければならないことを悟った。

 

 

ロンドンのモラビア人の集会で、神の霊が信じる者の

心に起こす変化について述べたルターの言葉が読まれた。

これを聞いて、ウェスレーの心に信仰の火が点じられた。

「わたしは、自分の心が不思議に温まるのを感じた。

わたしは、救われるためにキリストに、

ただキリストに頼る自分を感じた。

そして、キリストが、わたしの罪、わたしの罪さえ取り去って、

わたしを、罪と死との法則から救ってくださった、

という確証が与えられた」と彼は言っている。⑫

キリストの兵卒として

長年にわたる重苦しく慰安のない苦闘―苛酷(かこく)な自制、

自己譴責(けんせき)、へりくだり―によって、

ウェスレーは、神を求めるという1つの目的を

ひたすら追求してきた。

そして今、彼は、神を見いだした。

彼は、自分が祈祷や断食や施しや

自己否定によって得ようとしてきた恵みは、

「金を出さずに、ただで」与えられる賜物であることを知ったのである。

 

ひとたびキリストを信じる信仰に堅く立つと、彼の心は、

神から価なくして与えられる恵みという輝かしい福音を、

あまねく人々に伝えたいという願いに燃えた。

「わたしは全世界をわたしの教区とみなす。

そしてわたしは、世界のどこにいようと、

喜んで耳を傾けるすべての者に救いの福音を宣べ伝えることを、

わたしの当然なすべき正当な義務と考える」と彼は言った。⑬

 

彼は、相変わらず、厳格な克己の生活を続けた。

しかし、今それは、信仰の根拠ではなくて、

結果であり、聖潔の根ではなくて、実であった。

キリストによって与えられる神の恵みは、

キリスト者の希望の基礎であり、この恵みは、服従となって現われる。

ウェスレーの生涯は、彼が受けた大真理―

キリストの贖罪の血を信じる信仰による義認、

人の心を変える聖霊の改変力、

そして、キリストの模範と一致した生活となって

実を結ぶこと―の宣教のためにささげられた。

 

ホイットフィールドとウェスレー兄弟は、

自分自身の望みのない失われた状態について、

長い間深刻に自覚してきたことによって、

彼らの働きの準備ができていた。

また彼らは、大学時代にも、牧界に入った時にも、

軽べつやちょう笑や迫害といった、激しい試練を受けていたので、

キリストのよき兵卒として困難に耐えることができた。

彼らと、彼らに共鳴した少数の人々とは、

不信心な学生仲間から、

軽べつ的に「メソジスト」と呼ばれた。

しかし、この名称は、現在、英国とアメリカの

最大の教派の1つの名称となって、名誉あるものとなっている。

奇跡的な神の守り

彼らは、英国国教会の会員として、

教会の礼拝形式に強い愛着を感じていたが、

主は、聖書によって彼らにさらに高い標準を示された。

聖霊は彼らに、

キリストと彼の十字架を宣教することを迫った。

至高者の力が彼らの運動に伴った。

幾千の者が罪を認め、真に悔い改めた。

これらの羊を、貪欲(どんよく)なおおかみから

守らなければならなかった。

ウェスレーは、

新しい教派をつくろうという考えはなかったが、

いわゆるメソジスト会のもとに人々を組織した。

 

これらの説教者たちは、

国教会から理解に苦しむほどの激しい迫害を受けた。

しかし神は、教会それ自体の内部に改革が起こるように、

事態を導いておられたのであった。

もしこれが、全く外部からのものであれば、

最も必要なところまで浸透しなかったことであろう。

しかし、リバイバル(信仰復興)の説教者が教会内の人で、

機会あるごとに教会内において活動したので、

真理は、さもなければ閉じられたままのところにも、

入っていくことができた。

聖職者のあるものは、自分たちの道徳的無感覚にめざめて、

それぞれの教区で熱心に宣教するようになった。

形式主義によってマヒしていた教会が、

生きかえったのである。

 

教会歴史の各時代におけると同様に、ウェスレーの時代にも、異なっ

た賜物を与えられた人々が、それぞれに定められた任務を果たした。

 

彼らは、教義のすべての点において一致しているわけではなかったが、

すべての者は聖霊に動かされており、

魂をキリストに導くという大目的において一致していた。

ホイットフィールドとウェスレー兄弟は、ある時、

見解の相違から仲違いが起こりそうになった。

しかし彼らは、キリストの学校で柔和を学んでいたので、

お互いに忍耐と愛をもって和解した。

至る所に誤りと悪が満ち、罪人が滅びに沈んでいる時に、

争っている暇はなかった。

 

神のしもべたちは、困難な道を歩いた。

有力者や学者たちは、

その力を振って彼らに反対した。

しばらくして、聖職者の多くは、彼らに断固たる敵意をあらわし、

純粋な信仰とその宣言者とに対して、

教会の扉(とびら)はふたたび閉じられた。

彼らに対する聖職者たちの説教壇からの非難は、

人々の間に暗黒と無知と不法を引き起こすものであった。

ジョン・ウェスレーは、

何度となく神の憐れみ深い奇跡によって死を免れた。

群衆が彼に対して激しく怒って、

もはや逃げられないように思われた時、

人間の姿をした天使が彼のそばに来て、群衆が後退したすきに、

キリストのしもべは危険な場所から安全なところに行くことができた。

 

このようにして激怒した群衆から救い出されたのであるが、

そうした経験の1つについて、ウェスレーは次のように語っている。

「われわれが町へ向かって、すべりやすい道を下っていた時、

多くの者がわたしを倒そうとした。もし1度倒れたならば、

それきり起き上がれなかったことだろうと思う。

しかしわたしは1度も転ばず、すべりもせずに、

彼らの手から完全に逃れた。・・・・

多くの者がわたしのえりや服をつかんで引き倒そうとしたが、

彼らは、しっかりつかむことができなかった。

ただ1人、わたしのチョッキのポケットのたれぶたをつかんだが、

それはすぐにちぎれてしまった。

もう一方の、銀行の小切手の入っていたポケットの

たれぶたもちぎれて、半分だけ残った。・・・・

わたしのすぐ後ろにいた頑丈(がんじょう)な男は、

わたしを大きな樫(かし)の棒で数回なぐった。

もしも彼が、それでわたしの後頭部を1度なぐったならば、

もうわたしは、それでおしまいだったであろう。

しかし、そのたびに、棒はわきにそれた。

どんなふうにかは知らない。なぜならわたしは、右にも左にも動くことができなかったのだから。・・・・また、もう1人の男が群衆をかきわけて近づき、手を上げていきなり打ち下ろしたが、

わたしの頭をなでただけであった。

『なんて柔らかい髪をしてるんだ!』と彼は言った。・・・

1番最初に悔い改めたのは、町の英雄たち、

どんな時にでも野次馬たちの先頭に立つ男たちで、

その中の1人は、

娯楽場の拳闘選手だった男であった。・・・・

 

神は、なんと穏やかにわれわれを導いて、

み心を行わせられることであろう。

2年前に1個のれんがが

わたしの肩をかすめた。

その1年後には、石がわたしの両眼の間に当たった。

先月は1回なぐられ、

今夜は町に入る前に1回と町を出てから1回、計2回なぐられた。

しかし、2回ともなんともなかった。

1人はわたしの胸を力いっぱい打ち、もう1人は、

血が吹き出るほどの勢いでわたしの口を打ったのだが、

わたしは、どちらの場合も、

わらがさわったほどの痛みも感じなかった。」⑭

初期メソジストの苦闘

こうした初期のメソジストは、説教者も一般信徒も、

国教会の会員と彼らの偽りの言葉によって興奮した

一般の不信心な人々から、ちょう笑と迫害を受けた。

彼らは裁判所に引き出された。

しかし、正義の法廷とは名ばかりで、

当時、法廷で正しい裁判はまれであった。

彼らはしばしば、迫害者たちの暴行を受けた。

暴徒が家々を襲って、家財道具を破壊し、

手当たりしだいに略奪し、

男や女や子供たちを残酷に扱った。

またある時には、

メソジストの家の破壊と略奪を手伝いたい者は、

どこそこにいつ集まれという公の掲示がはられた。

このような、人間の律法と神の律法に対する明らかな違反が、

なんのとがめもなく許されていた。

組織的な迫害が、

この人々に加えられたのであるが、

彼らの唯一の罪状は、

罪人の足を滅亡の道から聖潔の道へ向けようとすることであった。

 

ジョン・ウェスレーは、彼自身と彼の仲間とに対する非難について、

次のように言っている。

「ある人々はこう言う。

この人々の教義は偽りで、誤っていて、狂信的である。

新しいもので最近まで聞いたこともないものである。

クエーカー的、狂信的、法王教的である。

しかし、こうした主張は、全く根拠のないもので、

この教義のどの部分も、われわれの教会によって説き明かされた、

聖書の明白な教義なのである。

それだから、聖書が真実であるならば、

これも偽りでも誤りでもあり得ない。」

 

「他の者は、『彼らの教義は、厳格すぎる。

彼らは天国への道を狭くしすぎる』と言った。

実は、これが、そもそも最初からの反対理由であって

(しばらくの間、これがほとんど唯一の反対理由だったのだが)、

いろいろの形で現われる多くの反対の根底にひそんでいる。

しかしわれわれは、主や使徒たちよりも

天国の道を狭くしているであろうか。われわれの教義は、

聖書の教義よりも厳格であろうか。

ほんの2、3のはっきりした聖句を考えてみたい。

『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、

思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。』

『審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、

言い開きをしなければならないであろう。』

『だから、飲むにも食べるにも、また何事をするにも、

すべて神の栄光のためにすべきである。』

 

もしわれわれの教義が、これよりも厳格であれば、

われわれにその責任がある。

しかし、そうでないことはあなたがたがその良心において、

よくごぞんじである。

そして、一点においても厳格さを欠きながら、

神の言葉を汚さないでおられるものがあろうか。

神の奥義の管理者が、その神聖な委託をいくらかでも変えるならば、

彼を忠実なしもべということができようか。

いや、管理者は、何1つ減らしても、和らげてもならない。

彼は、すべての人に向かって、

『わたしは、あなたの好みに合わせて聖書を下げることはできない。

あなたがそこまで上って来なければならない。

さもなければ、永遠の滅びである』と言わなければならない。

よく『彼らには愛がない』という叫びがきかれるが、

それは実はこうしたことに基づいている。

いったい、われわれには愛がないのだろうか。

どの点においてであろうか。

われわれは、飢えた者に食べさせず、裸の者に着せないのであろうか。

『いや、そうではない。彼らはこの点では欠けてはいない。

しかし、彼らは、人を裁くことにおいて愛がない。

彼らは、自分たちのようにしなければ救われないと考えている』

(と反対者たちは言うのだ)。」⑮

律法不要論との戦い

ウェスレーの時代の直前に、

英国に起こった霊的衰退は、

律法廃棄論の教えの結果であった。

キリストは道徳律を廃棄されたのであるから、

キリスト者はそれを守る必要がない、

また、信者は「善行のくびき」から解放されている、

と多くの者は主張した。

また他の者は、律法の永続性を認めながらも、

牧師が人々にその戒めに従うよう勧めることは無用であると言った。

なぜならば、神が救いに選ばれた人々は、

「抵抗できない神の恵みの衝動にかられて、

敬虔と徳の実行へと導かれる」し、他方、永遠の滅びの運命にある者は、

「神の律法に従う力を持っていない」からである、というのであった。

 

そのほかにも、「選ばれた者は、恵みを失い、

神の愛顧を失うことはあり得ない」と主張し、

「彼らが犯す悪行は、真に悪いものではなく、

神の律法を犯すものと考えるべきではない。

したがって、彼らの罪を告白することも、

悔い改めによって罪から離れることも、必要ではない」と

いうさらに恐るべき結論に到達する者たちもいた。⑯

それゆえに、もしも選ばれた者の1人の罪であれば、

どんなに恐ろしい罪で

「一般に神の律法のはなはだしい違反であると思われているものでも、

神の前に罪ではない。なぜならば、神のみ心を痛めたり、

律法によって禁じられていたりするようなことは、

何1つすることができないと言うのが、選ばれた者の本質的な、

そして顕著な特徴の1つだからである」

と彼らは断言するのであった。

このように恐ろしい教義は、

後世の人気のある教育家や神学者たちの教えと、本質的に同じである。

すなわち、義の標準としての不変の神の律法はない。

道徳の標準は、社会自体が示すものであって、

常に変化するものである、と彼らは言うのである。

こうした考えは、みな、同じサタンの精神の影響によるもので、

彼は、罪のない天の住民たちの間にいた時でさえ、

神の律法の正当な抑制を破ろうとしたのである。

 

人間の品性を動かすことができぬように決めたという

神の定めの教義は、多くの者に、

神の律法を事実上拒否させるに至った。

ウェスレーは、この律法廃棄論者たちの誤りに断固として反対し、

律法廃棄論に至らせるこの教義は、

聖書に反するものであることを示した。

「すべての、人を救う神の恵みが現れた。」

「これは、わたしたちの救主である神のみまえに良いことであり、

また、みこころにかなうことである。

神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。

神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、

それは人なるキリスト・イエスである。

彼は、すべての人のあがないとしてご自身をささげられた」

(テトス 2:11、Ⅰテモテ 2:3―6)。

すべての人が救いの道を悟ることができるように、

神の霊が豊かに与えられている。

こうして「まことの光」であられるキリストは、

「すべての人を照」らされる(ヨハネ 1:9)。

人は、生命の賜物を故意に拒否することによって、

救いを受け損じるのである。

律法と福音

キリストの死によって十戒は礼典律と共に廃された、

という主張に答えて、

ウェスレーは言った。

「十戒に含まれ、

預言者が強調した道徳律を、主は廃されなかった。

彼が来られたのは、そのどれをも廃止するためではなかった。

これは、廃することができない律法で、

『天の証人として堅く立つ』ものである。・・・・

これは、世のはじめから、『石の板にではなく、』

すべての人の心に、

創造主の手によって造られた時に書かれた。

しかし、ひとたび神の指によって書かれた文字は、

今は罪のために大部分損なわれてはいるが、

善悪に関する良心があるかぎり、

文字を全部消し去ることはできない。

この律法のすべての部分は、各時代のすべての人類が

守るべきものとして存続すべきものであって、

時や場所や環境などによって左右されるものではなく、

神のご性質と人間の性質及びその相互間の

不変の関係によっているのである。

 

『廃するためではなく、成就するためにきた』・・・・

このところの意味は(その前後の関係から見て)、

疑いもなく、次のような意味である。

わたしは、人々のあらゆる曲解にもかかわらず、

それを完全に成就するために来た。

その不明また不明瞭な点は、なんであれ完全に明らかにする

ために来たのである。

その各部分の真の完全な意味を宣言するために、

そこに含まれているすべての戒めの長さと広さ、すなわちその全範囲、

そして、そのあらゆる分野における高さと深さ、

すなわち人間の思いも及ばぬ純潔と霊性を示すために、

わたしはきたのである。」⑰

 

ウェスレーは、律法と福音の完全な一致について、

次のように言っている。

「それゆえに、律法と福音の間には深い関係がある。

一方において律法は、たえずわれわれを福音へ導き、

われわれに福音を指し示す。

また、他方において、福音はわれわれを導いて、

もっと正しく律法を成就させようとする。

たとえば律法は、神を愛し隣人を愛し、

柔和で謙そんで聖潔であるようにと、われわれに要求する。

われわれは、こうしたことにおいて、不十分であることを感じる。

たしかに、『人にはそれはできない。』

しかし、その愛をわれわれに与え、われわれを謙そん、柔和、

聖潔にするという神の約束を見る。

われわれは、この福音、この喜ばしいおとずれをつかむ。

それは、われわれの信仰に従って行なわれるのである。

そして、イエス・キリストを信じる信仰によって、

『律法の要求が・・・・わたしたちにおいて、満たされる』のである。」

 

またウェスレーは、こう言った。

「キリストの福音の最大の敵の中には、公然とあからさまに、

『律法をさばき』『律法をそしる』人々があり、

また、律法の中の1つ(最大のものであれ最小のものであれ)

というのではなく、すべての戒めを、

一撃のもとに破壊する(廃止する、解消する、その義務を解く)

ことを人々に教える者がある。・・・・

この強力な欺瞞(ぎまん)に伴う状態で最も驚くべきことは、

それに没頭している人々が、

キリストの律法をくつがえすことによって、

キリストをあがめていると信じ、彼の教義を廃しながら、

彼の務めを大いならしめていると信じこんでいることである。

実に彼らは、ちょうどユダが、『「先生、いかがですか」と言って、

イエスに接吻(せっぷん)した』ようにして、主をあがめているのだ。

 

キリストは、このような人々に対して、

同じく『あなたは接吻をもって人の子を裏切るのか』

と言われることであろう。彼の血について語りながら、

彼の冠を取り去り、福音の進展という名目のもとに、

彼の律法のどの部分であれ軽々しく廃することは、

接吻をもって彼を裏切ることにほかならない。

直接であれ間接であれ、

服従のなんらかの部分を廃するというやり方で信仰を説こうとする者、

また、神の戒めのどんなに小さいものでも、それを取り消したり、

または少しでも弱めたりして、キリストを宣べ伝える者は、

この非難を免れることはできない。」⑱

 

「福音を宣べ伝えれば、律法の目的はみな達せられる」と主張する

人々に、ウェスレーは答えた。「この事をわれわれは、全く否定する。そ

れは、律法の第1の目的、すなわち、人々に罪を自覚させること、まだ黄泉(よみ)の淵(ふち)で眠っている者を覚醒させるということを

果たしていない。」使徒パウロは、

「律法によっては、罪の自覚が生じる」と宣言している。

「人間は、罪を自覚しないかぎり、

キリストの贖罪の血の必要をほんとうには感じない。・・・・

われわれの主ご自身も、『丈夫な人には医者はいらない。

いるのは病人である』と言われた。

それゆえに、丈夫な者、または、

少なくとも自分は丈夫であると思っている者に、

医者を与えても意味がないのである。

まず、彼らが病人であることを自覚させなければならない。

さもないと、彼らは、あなたがたの労力に感謝しないであろう。

これと同様に心が丈夫で、まだ砕かれたことのない者に、

キリストを示すことも、意味のないことである。」⑲

ウェスレーの生涯の意味

こうしてウェスレーは、神の恵みの福音を宣べ伝えるとともに、

彼の主と同様に、「その教え(律法)を大いなるものとし、

かつ光栄あるものとすることを」努めた。

彼は、神から与えられた仕事を忠実に成し遂げた。

そして、彼が見ることを許された結果は、輝かしいものであった。

彼の80才以上の長い生涯と、

半世紀を越えた巡回伝道の終わりにおいて、

公然と彼を支持する信仰が50万人を超えたのである。

 

しかし、彼の活動によって、

罪の破滅と堕落から高潔な清い生活へと高められた群衆、

また、彼の教えによって、

深く豊かな経験に入れられた者の数は、

贖われた者の全家族が神の国に集められるまでは、

知ることができないであろう。

彼の生涯は、すべてのキリスト者にとって、

非常に価値ある教訓を示している。

この神のしもべの信仰、謙そん、うむことを知らない熱意、

自己犠牲、献身が、

今日の教会の中にあらわれることを願うのである。

 

 

第14章 注

1 D' Aubigne, "History of the Reformation of the Sixteenth Century," b.18, ch.4.

2 lbid.

3 lbid.

4 Anderson, "Annals of the English Bible," p.19.

5 Hugh Latimer, "First Sermon Preached Before King Edward Ⅵ ."

6 lbid., "Sermon of the Plough."

7 "Works of Hugh Latimer," vol.1, p.13.

8 David Laing "The Collected works of John Knox," vol.2, pp.281, 284.

9 John Whitehead, "Life of the Rev Charles Wesley," p.102.

1 0 Whitehead, "Life of the Rev. John Wesley," p.10.

1 1 lbid., pp.11, 12.

1 2 lbid., p.52.

1 3 lbid., p.74.

1 4 John Wesley "Works" vol.3, pp.297, 298.

1 5 lbid., vol.3, pp.152. 153

1 6 McClintock and Strong, "Cyclopedia," art, 'Antinomians.'

1 7 Wesley, Sermon 25.

1 8 lbid., Sermon 35.

1 9 lbid.

 

【 第15章 聖書とフランス革命 】

恐るべき預言

宗教改革は、

16世紀に、聖書を人々に開いてみせ、

ヨーロッパのあらゆる国々に入っていこうとした。

ある国々では、

それを天からの使者として喜んで迎えた。

他の国々では、法王権が、その侵入を防ぐのに大いに成功し、

聖書の知識の光とその高尚な感化力は、

全くといっていいほど締め出された。

ある国では、光が入ったにもかかわらず、

暗黒はそれを理解しなかった。

何世紀もの間、真理と誤謬(ごびゅう)とは覇(は)を競った。

ついに悪が勝利し、

天の真理は追い出された。

「そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、

人々は・・・・光よりもやみの方を愛したことである」(ヨハネ 3:19)。

その国は、

自ら選んだ道の結果を刈りとることになった。

神の霊の抑制が、

神の恵みの賜物を軽べつした国民から取り去られた。

悪は、成熟するままにされた。

全世界は、故意に光を拒むことの結果を見た。

 

フランスで幾世紀も続いた、

聖書に対する闘争は、

ついに革命へと発展した。

この恐ろしいできごとは、

ローマが聖書を圧迫した当然の結果にほかならなかった(付録参照)。

革命は、

世界がローマの政策の成り行きについて目撃したところの、

最も著しい例であった。

それは、ローマ教会が1000年以上にわたって

教えてきたことの結果の実例であった。

 

法王至上権時代における聖書の禁止については、

預言者たちによって預言されていた。

また、黙示録の記者は、

「不法の者」の支配のために、

特にフランスに起こる恐ろしい結果をも指摘している。

 

主の天使は、次のように言った。

「『彼らは、42か月の間

この聖なる都を踏みにじるであろう。

そしてわたしは、

わたしのふたりの証人に、荒布を着て、

1260日のあいだ預言することを許そう。』・・・・

そして、彼らがそのあかしを終えると、

底知れぬ所からのぼって来る獣が、

彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。

彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている

大いなる都の大通りにさらされる。

彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。・・・・

地に住む人々は、彼らのことで喜び楽しみ、互に贈り物をしあう。

このふたりの預言者は、

地に住む者たちを悩ましたからである。

3日半の後、いのちの息が、神から出て彼らの中にはいり、

そして、彼らが立ち上がったので、

それを見た人々は非常な恐怖に襲われた」

(黙示録 11:2-11)。

 

ここに、「42か月」と「1260日」という

2つの期間があげられているが、

これは同じもので、

キリストの教会がローマの圧迫を受ける期間を表わしている。

1260年の法王至上権時代は、紀元538年に始まったから、

1798年に終わることになる(付録参照)。

この時、フランスの軍隊がローマに侵入し、法王を捕虜にした。

そして彼は配所で死んだ。

その後、すぐ新法王が選ばれたけれども、

法王制度は、もはや以前のような権力を振うことはできなかった。

 

教会の迫害は、

1260年の全期間を通じて続いたわけではなかった。

神は、神の民をあわれんで、

火のような試練の期間を短縮された。

救い主は、教会にふりかかる

「大きな患難」を預言して言われた。

「もしその期間が縮められないなら、

救われる者はひとりもないであろう。

しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう」

(マタイ 24:22)。

迫害は、宗教改革の影響を受けて、

1798年より前に終わったのである。

2人の証人

2人の証人について、

預言者は、次のように言っている。

「彼らは、全地の主のみまえに立っている2本のオリブの木、

また、2つの燭台である。」

また詩篇記者は、

「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」と言った

(黙示録 11:4、詩篇 119:105)。

2人の証人というのは、

旧約と新約の聖書を表わしている。

両方とも、

神の律法の起源とその永続性に関する重要な証言である。

両者はまた、救いの計画の証人でもある。

旧約聖書の型、犠牲、預言は、

来たるべき救い主をあらかじめ示している。

新約聖書の福音書と手紙とは、

型と預言に示されたとおりに来られた

救い主について語っている。

 

「わたしは、わたしの2人の証人に、荒布を着て、

1260日のあいだ預言することを許そう。」

この期間の大部分の間、

神の証人は、人の目につかない状態にあった。

法王権は、真理の言葉を人々から隠そうと努め、

彼らの前に、その証言に

反ばくするために偽りの証人を立てた(付録参照)。

聖書が、宗教界と俗界の権威によって禁止された時、

その証言が曲解され、人々の心をそれから引き離すために、

人間と悪鬼とが考え出すことのできるあらゆる努力がなされた時、

聖書の聖なる真理を宣言する者たちがかり立てられ、

裏切られ、拷問され、牢獄に入れられ、

信仰のために殉教し、あるいは山のとりでや

地の洞窟(どうくつ)に逃げなければならなかった時、

―そのとき忠実な証人たちは、荒布を着て預言したのである。

しかも彼らは、1260年の全期間を通じて、

あかしを立てつづけたのである。

最も暗黒な時においても、神の言葉を愛し神の御名をあがめるのに

熱心な、忠実な人々があった。

これらの忠誠なしもべたちに、この全期間を通じて、

神の真理を宣言する知恵と力と権威とが与えられた。

 

「もし彼らに害を加えようとする者があれば、

彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。

もし彼らに害を加えようとする者があれば、

その者はこのように殺されねばならない」(黙示録 11:5)。

神の言葉をふみにじる者は、罰を受けずにはすまない。

この恐ろしい宣告の意味は、

黙示録の最後の章に示されている。

「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。

もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、

この書に書かれている災害を加えられる。

また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、

神はその人の受くべき分を、

この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる」

(黙示録 22:18、19)。

 

神が啓示または命令されたものを、

人間がどのような方法によっても変更することがないようにと、

神はこのような警告をお与えになった。

この厳粛な警告的宣言は、

人々に神の律法を軽視する影響を及ぼすすべての人に当てはまる。

神の律法に従っても従わなくてもたいした問題でないと

軽率なことを言う者は、

この警告に震えおののかねばならない。

神の啓示よりも自分の意見を重要視し、自分に都合のいいように、

または世俗と妥協するために、

聖書の明白な意味を変更しようとする者はみな、

恐ろしい責任を自分で負っているのである。

聖書と神の律法は、すべての人の品性をはかり、

この過つことのないテストの結果、

欠けていると宣言されるすべての者を、罪に定めるのである。

 

「彼らがそのあかしを終えると。」

2 人の証人が

荒布を着て預言する期間は、

1798年で終わった。

彼らが人目につかずに働く期間が終わりに近づくと、

「底知れぬ所からのぼって来る獣」

といわれている権力が、

彼らに戦いをいどむのであった。

ヨーロッパの多くの国々において、

教会と国家を支配した諸権力は、

幾世紀にもわたって、法王権を通して、サタンに支配されていた。

しかし、ここに、

新たなサタン的権力があらわれたのである。

神を否定する国の出現

聖書を崇敬すると言いながら、

それを人々の知らない言語のまましまい込んで、

人々から隠しておくことがローマの政策であった。

ローマの統治下において、証人たちは、「荒布を着て」預言した。

しかし、もう1つの権力―底知れぬ所からのぼって来る獣―が

あらわれて、神の言葉に対して公然と戦いをいどむのであった。

 

証人たちが大通りで殺され、その死体を横たえたという

「大いなる都」は、エジプトに「たとえられて」いる。

聖書歴史にあらわれているすべての国々の中で、

エジプトほど、生きた神の存在を大胆に否定し、

神の命令に抵抗した国はない。

また、エジプトの王ほど、

天の権威に対して、

公然たる横暴な反逆を企てた王はない。

モーセが主の名によって、彼に使命を伝えた時、パロは高慢に答えた。

「主とはいったい何者か。わたしがその声に聞き従って

イスラエルを去らせなければならないのか。わたしは主を知らない。

またイスラエルを去らせはしない」(出エジプト 5:2)。

これは無神論である。

そして、エジプトにたとえられた国は、

同様に、生きた神の要求を拒み、

同じような不信と反抗の精神をあらわすのである。

「大いなる都」はまた、ソドムに「たとえられて」いる。

ソドムが神の律法を犯して腐敗したのは、

特に放縦の点で著しかった。

そこで、この聖句の記述にあてはまる国においては、

この罪もまた著しい特徴となるのであった。

 

預言の言葉に従うならば、1798年の少し前に、

サタン的起源と性質をもったある種の権力が、

立ち上がって聖書に戦いをいどむのであった。

そして、神の2人の証人の証言が

こうして沈黙させられるその国において、

パロの無神論とソドムの放縦とがあらわれるのであった。

 

この預言は、フランスの歴史において、

最も正確に最も著しく成就した。

革命のさなか、1793年に、

「文明国に生まれて教育を受け、

ヨーロッパ諸国中最も優れた国の1つを統治する権利を有する

人々から成る議会が、人の心が抱く最も厳粛な真理を、

声をそろえて否定し、

神に対する信仰と礼拝を満場一致で放棄するのを、

世界は初めて聞いたのである。」①

「フランスは、宇宙の創造主に対して

公然と反逆の手をあげた国として、

公式の記録が残っている世界でただ1つの国である。

英国、ドイツ、スペインその他の国にも、

多くの神を汚す者、多くの無神論者があらわれたし、

これからも現れるであろう。

しかし、

フランスは、

議会の決議によって無神論を宣言し、

首都の住民全体と他の地域の大群衆とが、

男も女もその宣言を喜び、

歌い踊ったという、

世界史上唯一の国である。」②

 

またフランスは、特にソドムで著しかった特徴をあらわした。

革命の時の堕落と腐敗の状態は、

平原の町々に滅亡をもたらしたものと似ていた。

そして歴史家は、預言のとおりに、

フランスの無神論と放縦な生活をともにあげている。

「宗教に影響を及ぼすこれらの

法律と密接な関係があったのが、

結婚を軽視した法律であった。

結婚は人間が結ぶ最も神聖な契約であって、

その永続が社会の統合に

最も貢献するものであるにもかかわらず、

これを、2人の人間が随意に結んだり解いたりできる

単なる一時的な民事契約にしてしまった。

・・・・もし悪魔が、家庭生活の尊ぶべきもの、

優雅なもの、また永続的なものを最も効果的に破壊し、

それと同時に、その目的としている害毒を、

世々にわたって引き続いて及ぼそうとするならば、

結婚の堕落以上に効果的な手段を考え出すことは

できなかったであろう。・・・・

機知に富んだことを言うことで有名な女優、ソフィ・アルノーは、

フランス革命時代の結婚を、

『姦淫(かんいん)の秘蹟(ひせき)』と評した。」③

 

フランスの殉教者たち

「彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。」

この預言の言葉もまた、

フランスによって成就した。

キリストに対する敵意が、

この国以上に著しくあらわれたところはない。

真理が、これ以上に激しく

残酷な反対に会った国は他にない。

フランスは、

福音を信じる者に迫害を加えることによって、

主の弟子たちを通してキリストを十字架につけたのであった。

 

聖徒の血は、幾世紀にわたって流された。

ワルド派の人々は、「神の言葉とイエス・キリストのあかしのために」、

ピエモンテの山々で彼らの生命を捨てた。

彼らの同信の仲間たち、フランスのアルビ派の人々も、

真理のための同様のあかしを立てた。

宗教改革時代には、

その支持者たちは恐ろしい拷問によって殺された。

国王や貴族、上流の婦人や優雅な少女、

国家の誇りである騎士たちが、

イエスの殉教者たちの苦悩を見て楽しんだ。

勇敢なユグノー教徒たちは、

人間の心が最も神聖視するこれらの権利のために闘い、

多くの激戦地で彼らの血を流した。

プロテスタント教徒は、法律の保護外の者とみなされ、

彼らの首には

懸賞金がつけられて、

あたかも野獣のようにかり立てられた。

 

「荒野の集会」と呼ばれる、昔のキリスト教徒の子孫が、

18世紀のフランスにわずかながら残っており、

南方の山中に隠れて、先祖の信仰を依然として守っていた。

彼らが、夜、山腹や寂しい荒れ地で集会を開こうとすると、

竜騎兵に追撃され、

一生ガレー船につながれる奴隷として

引き立てられるのであった。

 

フランスの、最も純潔で最も洗練され、

最も知的な人々が、強盗や暗殺者に混じって鎖につながれ、

恐ろしい拷問を受けた。④

少しは情けある扱いを受けた他の者たちは、

武装もなく無力なまま、

ひざまずいて祈っているところを射殺された。

彼らの集会の場所は、何百人という年老いた人々、

無防備な婦人、罪のない子供たちが、

彼らが集会をもったその場所で殺されて地上に捨てておかれた。

彼らがよく集会を開いていた

山腹や森林を通る時、「数歩行くごとに、草原に死体が散在するか、

または木からたれ下がっている」のを見つけるのは、

珍しいことではなかった。

彼らの地方は、剣とおのと火刑のまき束で荒らされ、

「陰うつな一大荒野と化した」

「こうした残虐行為は、・・・・暗黒時代ではなくて、

輝かしいルイ14世の時代に行われたのであった。

その当時、科学は発達し、文芸は栄え、

宮廷や首都の聖職者たちは

学識ある雄弁家たちで、

柔和と愛の美徳を大いに愛好する人々だったのである。」⑤

聖バーソロミューの虐殺

しかし、陰惨な犯罪の歴史中最も暗黒で、

各世紀を通じて行われたあらゆる極悪非道な行為中、

最も恐ろしいものは、聖バーソロミューの虐殺であった。

世界は今でも、あの最もひきょうで

残忍な殺害の光景を思い起こして身震いする。

フランスの王は、ローマ教の司祭や高位聖職者に迫られて、

恐ろしい行為に彼の許可を与えた。

夜の静けさを破って聞こえる鐘の音が、虐殺の合図であった。

幾千のプロテスタントは、王の名誉にかけての約束に信頼して、

自分たちの家で眠っていたが、

何の警告もなく引きずり出されて、冷酷に殺された。

 

エジプトの奴隷から神の民を導き出した目に見えない指導者が

キリストであったように、殉教者の数を増したこの恐ろしい行為に

おいて、その部下たちの目に見えない指導者はサタンであった。

虐殺は、パリで7日続き、

特にその最初の3日間は狂暴を極めた。

そしてそれはパリ市内だけでなく、王の特別な命令によって、

プロテスタントのいるすべて

の地方や町々にも及んだ。

老若男女の差別はなかった。

何も知らぬ赤ん坊や

白髪の老人にも容赦はなかった。

 

貴族も農民も、老いも若きも、母も子もともに切り殺された。

フランス全国において、虐殺は2か月間続いた。

国民の花とも言うべき7万人が殺害された。

「虐殺の知らせがローマに伝わると、

聖職者たちの喜びは非常なものであった。

ロレーヌの枢機卿(すうきけい)は、

使者に1000クラウンを報賞として与えた。

聖アンジェロ城の大砲は祝砲を放った。

そして、すべての塔から鐘の音が聞こえ、

かがり火は夜を昼のように明るくした。

そして、グレゴリー13世は、

枢機卿やその他の高位聖職者を従えて、

長い行列を作って聖ルイ教会へ行き、

そこでロレーヌの枢機卿は、『テ・デウム』を詠唱した。・・・・

虐殺を記念するメダルが鋳造され、バチカンでは今でも、

バサーリの3つの壁画を見ることができる。

それは、提督襲撃の場面、王が虐殺を計画しているところ、

そして虐殺そのものの光景である。

グレゴリーは、シャルルに金製バラ章を贈った。

そして、虐殺があってから4か月後、・・・・

フランスの司祭の説教を満足げに聞いた。・・・・

この司祭は、

『幸福と喜びに満ちた日、法王が知らせを受けて、

神と聖ルイとに感謝するために、

威儀を正して行かれたあの日』について、語ったのであった。」⑥

 

聖バーソロミューの虐殺を引き起こした同じ精神が、

革命の場面をも導いた。

イエス・キリストは詐欺師であると宣言され、

フランスの無神論者たちはこぞって「卑劣漢をやっつけろ」と叫んだが、

これはキリストのことであった。

天を恐れない冒涜(ぼうとく)と言語道断の罪悪とがともに行われ、

最も卑劣な人間たち、残酷悪徳のかぎりを尽くした無頼漢たちが、

最も賞賛された。

こうしたすべてのことにおいて、最高の栄誉がサタンにささげられた。

それに反して、真理、純潔、無我の愛という

特質をもっておられるキリストが、十字架につけられたのであった。

 

無神論の挑戦

「底知れぬ所からのぼって来る獣が、

彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。」

革命と恐怖政治の時代にフランスを支配した無神論的権力は、

これまで世界になかったほどの戦いを、

神と聖書に対していどんだ。

神の礼拝が、国会によって廃止された。

聖書は集められて、

あらゆる軽べつを浴びせられながら、

公衆の前で焼かれた。

神の律法はふみにじられた。

聖書的な諸制度は廃止された。

毎週の休日は廃止され、

その代わりに、

10日目が歓楽と冒涜の日に定められた。

バプテスマと聖餐式(せいさんしき)は禁止された。

そして墓地には、

死は永遠の眠りであると宣言する掲示が、

目立つように立てられた。

 

神を恐れることは、知恵のはじめであるどころか、

愚のはじめであると言われた。

自由と国家とに対するもの以外の

すべての宗教的礼拝は禁止された。

「パリの憲法宣誓司教は、

国民の代表たちの前で、

最も恥知らずで言語道断の茶番劇の主役を演じさせられた。・・・・

彼は行列を従えて出て来て、

彼が長年教えてきた宗教は、

すべての点において聖職者たちの政略であって、

歴史にも神聖な真理にも基づいていないものであると、

国民議会で宣言させられた。

彼は、厳粛で明白な口調で、

これまで自分が礼拝のために献身してきた神の存在を否定し、

これからは、自由、平等、徳、道義に忠誠を誓うと言った。

それから彼は、自分の司教の衣服を脱いで卓上におき、

国民議会の議長から友愛の抱擁を受けた。

数名の背教した司祭が、この高位聖職者の例にならった。」⑦

 

「地に住む人々は、彼らのことで喜び楽しみ、

互に贈り物をしあう。このふたりの預言者は、

地に住む者たちを悩ましたからである」(黙示録11:10)。

不信のフランスは、

神の2人の証人の譴責(けんせき)の声を沈黙させた。

真理の言葉は殺されて、大通りに横たえられた。

そして、神の律法の制限や

要求を憎んだ人々は、歓声をあげた。

人々は、公然と天の王に挑戦した。

昔の罪人たちのように、

「神はどうして知り得ようか、いと高き者に知識があろうか」

と叫んだ( 詩篇 73:11)。

 

新しい秩序のもとでの司祭の1人は、

信じられないような大胆な冒涜さで言った。

「神よ、もし存在するならば、

あなたの傷つけられた名のふくしゅうをせよ。わたしは挑戦する。

あなたは黙っている。怒ることはできまい。

今後、だれがあなたの存在を信じるであろうか。」⑧

これはパロの言った、

「主とはいったい何者か。

わたしがその声に聞き従わ・・・・なければならないのか。」

「わたしは主を知らない」という言葉と、

なんとよく似ていることであろう。

「理性の女神」

「愚かな者は心のうちに『神はない』と言う」(詩篇 1 4: 1)。

そして、主は、真理を曲解する者について、

「彼らの愚かさは・・・・

多くの人に知れて来るであろう」

と言われた(Ⅱテモテ 3:9)。

フランスは、「いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者」

である生きた神の礼拝を放棄して間もなく、

理性の女神の礼拝という低劣な偶像礼拝に陥った。

不品行な一女性が、この理性の女神に仕立てられた。

しかも、これが、国民を代表する議会において、

そして、行政と立法の最高の権威者たちによって、行われたのである。

歴史家は、次のように言っている。

「この狂気の時代の儀式の1つは、

不合理と不敬虔(けいけん)とを結合した点で、他に類を見ない。

議会の扉(とびら)が広く開かれ、音楽隊を先頭に、

市当局の役員が厳粛な行列を作って、

自由の賛歌を歌いながら入って来た。

そして、これから彼らが礼拝する対象、

すなわち、彼らが理性の女神と称するところの、

ベールをかけた女性を案内してきた。

いよいよ会場内に入ると、

彼らは厳かに彼女のベールを脱がせて、議長の右側にすわらせた。

そしてその時人々は、

彼女がオペラのダンサーであることに気づいた。

・・・・この女性に対して、フランスの国会は、

彼らの礼拝する理性に最もふさわしい代表者として

公の敬意を表わしたのである。

この不敬虔で、

言語道断の無言劇は流行した。

理性の女神の除幕式は、

革命の最高潮に遅れをとるまいとする住民のいる、

国内の至る所でくり返され模倣された。」⑨

 

理性の女神の礼拝を提案した演説者は言った。

「代議士諸君、

今や狂信は理性に敗れた。

そのかすんだ目は、

輝かしい光に耐えられなかった。

今日、無数の群衆がゴシックの丸天井の下に集まり、

初めて真理を反響させたのである。

フランス人は、

ここで唯一の真の礼拝、

自由と理性の礼拝を行った。

ここでわれわれは、

共和国の軍隊の隆盛を祈った。

ここでわれわれは、生命のない偶像を捨てて、

理性、生命のある像、自然の傑作を礼拝したのである。」⑩

 

女神が議場に入ってきた時、演説者は彼女の手をとり、

会衆に向かって言った。

「人間たちよ。あなたがたの恐怖が造り出した神の、

無力な怒りの前に震えるのをやめよ。

これからは、理性以外の神を認めるな。

わたしは、その最も高貴で純粋な像を紹介する。

もしあなたがたが偶像を持たねばならぬのならば、

このようなものにだけ犠牲をささげよ。・・・・

堂々たる自由の殿堂の前で、理性から幕を除こう!」

 

「女神は、議長から抱擁を受けたあとで、

豪華な車に乗せられ、神の地位につくために、

大群衆の中を通ってノートルダムの聖堂へ導かれた。

ここで彼女は、

高い祭壇にあげられて、

列席したすべての者の礼拝を受けた。」⑪

 

これに続いてまもなく、公衆の前で聖書が焼かれた。

ある時、「民間博物館協会」の人々が、「理性万歳!」

と叫びながら市の公会堂に入った。

棒の先には、半焼けになった何冊かの本を突き刺していたが、

その中には、祈祷書、

ミサ典書、旧新約聖書などがあった。

それらは

「人類をして犯さしめたあらゆる愚行を、

大いなる火でもって償ったのである」と会長は言った。⑫

ローマの政策

無神論者が完成しつつあった仕事を、

最初に始めたのは法王権であった。

フランスをこのように速やかに破滅に陥れた、

社会的政治的宗教的状勢を引き起こしたのは、

ローマの政策であった。

著作家たちは、革命の恐怖に言及して、

これらの暴挙は国王と

教会の責任であると述べている(付録参照)。

厳密に言うならば、それらは教会の責任であった。

法王側は、王たちに、

宗教改革に対する反感を抱かせ、

それが王の敵であり、

国家の平和と秩序を破壊する不穏な分子であると考えさせた。

こうして、国王に最も恐ろしい残酷な行為と

悲惨な迫害を行わせるのが、ローマのやり方であった。

 

自由の精神は、聖書と共に伝わった。

福音が伝えられたところはどこでも、

人々の心が覚醒された。

彼らは、今まで自分たちを、無知と悪習と迷信の奴隷として

縛っていた拘束を捨て始めた。

彼らは、人間として思考し行動しはじめた。

国王たちはこれを見て、彼らの専制政治の安泰を気づかった。

 

ローマは、彼らのしっと深い恐怖心を

たきつけるのに後れをとらなかった。

1525年、フランスの摂政にあてて法王は言った。

「この宗教狂(プロテスタント主義)は、

宗教を混乱させ破壊するだけでなくて、すべての主権者、

貴族、法律、秩序、階級をも破壊するものである。」⑬

その数年後に、法王の使節は、王に警告して言った。

「陛下、欺かれてはなりません。

プロテスタントは、宗教的秩序とともにあらゆる市民的秩序をも

くつがえすでしょう。・・・・祭壇と同様に、

王座も非常な危険にさらされております。・・・・

新しい宗教をとり入れることは、

当然新しい政府をもたらすことになります。」⑭

また神学者たちは、プロテスタントの教義は、

「人々を目新しい愚かなものに誘い、

国民の王に対する敬愛を失わせ、

教会と国家を2つとも荒廃させる」と言って、人々の偏見をあおった。

こうして、ローマは、

フランスをして宗教改革に敵対させるのに成功した。

「フランスにおいて、迫害の剣が最初に抜かれたのは、

王位を安全にし、貴族を保護し、

法律を維持するという名の下にであった。」⑮

革命の遠因

国の支配者たちは、この致命的政策の結果を予見することが、

ほとんどできなかった。

聖書の教えは、

正義、節制、真実、平等、慈愛など、

国家の繁栄の基礎である原則を、

人々の心と思いに植えつけたはずであった。

「正義は国を高く」し、正義によって、

「その位が・・・・堅く立」つのである(箴言 14:34、16:12)。

 

「正義は平和を生じ、

正義の結ぶ実はとこしえの平安と信頼である」(イザヤ 32:17)。

神の律法に従う者は、

真心から自分の国の法律を重んじて、守るのである。

神を恐れる者は、

すべての正当で合法的な権威を行使する王を、尊ぶのである。

しかし、不幸なことに、フランスは聖書を禁止し、

それを信じる者たちを追放した。

幾世紀にわたって、原則に堅く立つ誠実な人々、知的鋭さと

道徳的強靱(きょうじん)さを持った人々、確信するところを公言する勇気と、

真理のために苦しむ信念を持った人々―こうした人々が幾世紀にも

わたって、ガレー船の奴隷となって苦しみ、火刑にされ、

あるいは牢獄でやせ衰えていった。

幾千もの人々が逃亡して、安全な地に行った。

そしてこれは、宗教改革が始まってから、

250年間も続いたのである。

 

「その長期間のどの時代においても、

迫害者の狂った怒りから逃亡する福音の使徒たちを見なかった

フランスの世代は、ほとんどなかった。

そして彼らは一般に、著しく優れた知能、技術、工芸、

秩序を持っていて、逃亡した先の国々を富ませた。

そして、彼らがこれらの優れた才能によって、

他の国々を満たしたのに比例して、フランス自体は

からになっていった。

追いやられた人々がみなフランスに残っていたならば、

また、この300年の間に、逃亡者たちの産業的技術が、

土地の耕作に向けられていたならば、

そしてこの300年の間に彼らの芸術的趣向が、

フランスの製品を改善していたならば、

また、もしこの300年の間に彼らの創造的才能と分析的能力とが、

フランスの文学を豊富にし、

科学を発展させていたならば、

また、もし彼らの知恵がフランスの議会を指導し、

彼らの勇敢さが戦場で戦い、彼らの公正が法律を制定し、

聖書の宗教がフランス人の知能を啓発し、

良心を支配していたならば、

今、フランスはどんなにか栄光に輝いていたことであろう。

フランスは、どんなにか偉大な、繁栄した幸福な国となり、

諸国の模範となっていたことであろう。

 

しかし、盲目で冷酷な頑迷さのために、フランスは、

その国土からすべての高潔な教師、すべての秩序の支持者、

すべての真実な王位擁護者を追い払ってしまった。

フランスは、自国を「名声と栄光」の国としたはずの人々に、

火刑か追放か、

そのどちらかを選べと言ったのであった。

ついに国家は、衰退の極に達した。

もはや禁じるべき良心はなくなり、

火刑に引きずっていくべき宗教はもうなくなった。

かり立てて追放すべき愛国心は、もはやなくなってしまった。」⑯

そして、その恐るべき結果として、戦慄すべき革命が起きたのであった。

革命前夜

「ユグノー教徒の逃亡によって、

フランスは全般的に衰退した。

製造業の繁栄していた都市が衰えた。

肥沃(ひよく)な地方が元の荒れ地にもどった。

まれな進歩の期間のあとに、

知的沈滞と道徳的退化が続いた。

パリは巨大な救貧院のようになり、

革命が起こった当時は、

20万の貧民が王からの施しを請うていた。

イエズス会だけが、衰微していく国内にあって繁栄し、

教会と学校と牢獄とガレー船の上に、

恐ろしい圧政を行っていた。」

 

福音は、フランスに、政治的社会的諸問題―聖職者、国王、

立法者たちの手に負えず、

ついに国家を無政府状態と破滅に陥れたところの諸問題―の解決を

もたらすはずであった。

しかし人々は、ローマの支配下にあって、

自己犠牲と無我の愛という、救い主のすばらしい教訓を忘れていた。

彼らは、他人の幸福のために自分を犠牲にすることから、

かけ離れてしまっていた。

金持ちが貧者を圧迫してもだれからも譴責されず、

貧者は、その苦役と堕落からの救いを与えられなかった。

富と権力を持つ者の利己心は、

ますます露骨で圧制的になった。

幾世紀にわたって、貴族の貪欲(どんよく)と放蕩(ほうとう)は、

農民に対する苛酷な搾取を行なってきた。

金持ちは貧者をしいたげ、貧者は金持ちを憎んだ。

 

多くの地方において地所は貴族が所有し、

労働者階級は小作人に過ぎなかった。

彼らは地主の言いなりであって、

彼らの法外な要求に従わなければならなかった。

教会と国家をささえる負担は、

中流と下層階級に負わされ、

彼らには国家と聖職者から重税がかけられた。

「貴族は快楽の追求を第1とし、

圧迫者たちは農民たちが

餓死しようといっこうにかまわなかった。・・・・

民衆はどんな場合でも、

地主の利益だけを考えなければならなかった。

農業労働者の生活は労働の連続で、

救われる道のない悲惨な生活であった。

彼らの苦情は、それを訴えることができたにしても、

おうへいな軽べつ的態度で扱われた。

法廷は常に貴族の言い分を聞いて、

農民の言い分を聞かなかった。

裁判官がわいろを受け取るのは、公然の秘密であった。

このような全般的腐敗の体制の中では、

貴族のほんの気まぐれが法としての力を持った。

一方では世俗の権力が、そして他方では聖職者たちが、

庶民から巻き上げた税金の、

その半分も王室や教会の金庫には入らなかった。

残りは遊興と放縦のために浪費されてしまった。

こうして、同胞を窮乏に陥れた人々自身は税金を免れ、

法律によって、あるいは習慣に従って、

国家のすべての要職を占めていた。

特権階級は、15万人に達していた。

そして、彼らを満ち足らせるために、幾百万の人々が、

望みのない惨めな生活を余儀なくされていた」(付録参照)。

 

宮廷は、ぜいたくと放蕩にふけっていた。

国民と支配者の間に

信頼はなかった。

政府の政策はみな、たくらみのある我欲に満ちたものであると、

疑惑の目で見られた。

革命が起こる前、50年以上にわたって、

ルイ15世が王位を占めていたが、

彼は、そのような堕落した時代においてさえ、

怠惰で軽薄、淫蕩(いんとう)な王として有名であった。

腐敗し残酷な上流階級、窮乏に陥り無知な下層階級、

国家の財政困難、国民の憤激などを見れば、

預言者でなくても、

恐ろしい暴動が起ころうとしていることは予想できた。

王は、

顧問官たちの警告に対して、

「わたしの存命中は、現状のままで継続せよ。

わたしの死後は、どうなってもかまわない」と答えるのが常であった。

改革の必要を力説してもむだであった。

王は弊害を認めてはいたが、

それを改める勇気も力もなかった。

彼の怠惰で利己的な「あとは野となれ山となれ」という答えは、

切迫したフランスの運命を、あまりにも正確に描写していた。

ローマ教と無神論

ローマは、王や支配階級のしっと心に訴えて、

国民を奴隷として縛っておくように彼らを動かした。

ローマはこうすれば国家が弱くなり、

この方法で支配者と国民を両方とも

ローマの奴隷にしておけることをよく知っていた。

ローマは、はるか将来を見通して、

人間を思いのままに奴隷にするには心を束縛しなければならないこと、

また、彼らがその束縛から

どうしても逃れることができないようにするには、

自由を与えないようにしなければならないことを知っていた。

ローマの政策がひき起こした肉体的苦痛より幾千倍も恐ろしいことは、

道徳的堕落であった。

人々は聖書を奪われ、偏狭で利己的な教えを聞かせられ、

無知と迷信に閉ざされていた。

そして彼らは、悪習に陥り、全く自制ができなくなっていた。

 

しかしこれらすべてのことの結果は、

ローマが意図したものとは非常に異なったものであった。

ローマの行なったことは、

大衆を盲目的にローマの教義に服従させる代わりに、

彼らを無神論者と革命論者にしてしまった。

彼らはローマ・カトリック教を、僧侶の策略であるとして軽べつした。

彼らは、聖職者たちを、彼らを圧迫するものの一部とみなした。

彼らが知っている唯一の神は、ローマの神であった。

またその教えが、彼らの唯一の宗教であった。

彼らは、ローマの貪欲と残酷は、聖書が結ぶ当然の実であると考え、

そのようなものはいらぬと思った。

 

ローマは、神の品性を誤って伝え、

神の要求をゆがめていた。

そこで人々は、聖書もその著者も、共に拒否してしまった。

ローマは、聖書がそれを認めているかのように装いつつ、

自分の教義に盲目的信仰を要求してきた。

その反動として、ボルテールと彼の仲間たちは、

聖書を全面的に拒否し、

至る所に不信の害毒を広めた。

ローマは人々を弾圧し、苦しめてきた。

そして今度は、堕落し狂暴になった大衆が、

ローマの暴虐をはねのけて、すべての束縛を投げ捨てた。

彼らは、自分たちが長い間尊敬を払ってきた華麗な詐欺に憤激して、

真理と虚偽の両方を拒絶した。

そして、放縦を自由と取り違えて、

悪徳の奴隷たちは自由を得たものと思って狂喜した。

 

革命が始まった時、

人々には王の譲歩のもとに、

貴族と聖職者を合計した数以上の代表数が与えられた。

こうして彼らは、政治の実権を握った。

しかし彼らは、

それを賢明に適度に用いる準備がなかった。

彼らは、自分たちが苦しんできた圧迫を除くことに熱心で、

社会の改造を断行しようとした。

長い間虐待されてきた

苦い思い出をもつところの憤激した群衆は、

もはや耐えられないまでになった悲惨な状態を変革し、

このような苦境に彼らを陥れたと思われる者たちに

ふくしゅうしようと決意した。

圧迫を受けた者たちは、

暴政の下で学んだことを実行し、

彼らを圧迫した者たちの圧迫者となった。

革命勃発(ぼっぱつ)

不幸なフランスは、

自分がまいた種の収穫を、血で刈り取った。

フランスがローマの支配力に従った結果は、

実に恐ろしいものであった。

フランスが、ローマ・カトリック教会の影響下において、

宗教改革の初期に最初の火刑柱を立てたところに、

革命は、その最初のギロチンをすえた。

16世紀に、プロテスタントの

信仰のための最初の殉教者が焼かれたその同じ場所で、

18世紀に、最初の犠牲者がギロチンで殺された。

フランスに癒(いや)しをもたらしたはずの福音を拒んだために、

フランスは、不信と破滅の門を開いた。

神の律法の抑制を放棄してしまった時に、

人間の法律では人間の激情の強力な潮流を、

抑止できないことが明らかになった。

そして国民は、反乱と無政府状態に陥ってしまった。

聖書に戦いをいどんだことが、

世界史において恐怖政治の時代と呼ばれる一時代を開くことになった。

人々の家庭と心から、

平和と幸福が去った。

だれも安心しておられなかった。

今日勝ち誇っている者が、

明日は嫌疑をかけられて罪に定められた。

暴力と欲望が、わがもの顔に横行した。

 

王侯、聖職者、貴族たちは、

興奮して熱狂した人々の残虐行為に服するほかなかった。

彼らのふくしゅう欲は、王の処刑によって、

いっそう強烈になるばかりであった。

そして、王の処刑を命じた人々が、

間もなく引き続いて処刑台に上った。

革命の反対者であるという嫌疑を受けた者たちは、

皆殺しにされた。

牢獄は満ちあふれ、

一時は囚人が20万人を超えた。

国内の諸都市は、恐ろしい光景で満ちた。

革命家の一派は他の一派と争い、フランスは、

大群衆の激情のあらしのままに揺れる

一大戦場と化した。

「パリでは暴動が次々に起こり、

市民たちは、さまざまの党派に分かれていたが、

それは互いに滅ぼし合おうとしているとしか思えなかった。」

国を挙げての悲惨に加えて、

国家はヨーロッパ大同盟軍との、

長期にわたる破壊的な戦争状態に陥った。

「国家は破綻(はたん)をきたし、

軍隊は給料の支払を要求し、

パリっ子たちは食に飢え、地方は盗賊に荒らされ、

文明は、無政府と放縦のために絶滅しそうになっていた。」

 

ローマがたんねんに教えた残虐と拷問のやり方を、

人々はあまりにもよく覚えていた。

ついに、報復の日がやって来た。

今度、牢獄に入れられ、火刑柱に引かれていくのは、

イエスの弟子たちではなかった。

この人々は、ずっと前に殺されるか、あるいは追放されるかしていた。

今、苛酷(かこく)なローマは、流血行為を喜ぶように

自分が訓練してきた人々の、恐ろしい力を感じた。

「フランスの聖職者たちが

長年にわたって演じて来た迫害の前例は、

今彼らに手厳しくはね返って来た。

処刑台は、司祭の血で赤く染まった。

かつてユグノー教徒で充満したガレー船と牢獄は、今、

彼らの迫害者たちで満員になった。

ローマ・カトリックの司祭たちは、鎖で腰掛けにつながれてかいをこぎ、

教会が温和な異端者たちに容赦なく味わわせた苦悩を、

あますところなくなめたのであった」(付録参照)。

恐怖の時代

「最も凶悪な裁判官が最も残忍な法典を執行する時、

極刑の危険を冒さずには・・・・

隣人とのあいさつも祈りもできない時、

密偵が至る所に潜んでいる時、

ギロチンが毎朝忙しく長時間動く時、

牢獄が奴隷船の船倉のように満員の時、

下水が血であわ立ってセーヌ川に流れる時、

このような時が到来した。・・・・

パリでは毎日、

処刑を受ける人々を満載した護送車が通りを通過している時に、

最高委員会によって派遣された地方の総督たちは、

首都パリでさえ行われたことのないような残虐行為を行った。

彼らの殺人のためには、

恐ろしい機械の刃が上り下りするのでは遅すぎた。

数珠(じゅず)つなぎにされた囚人たちが、ブドウ弾でなぎ倒された。

 

満員のはしけの底に穴が開けられた。

リヨンは荒れ地と化した。

アラスでは、すぐに殺すという

残酷な憐れみさえ囚人たちに与えられなかった。

ロアール川沿岸では、ソーミュールから海まで、

2人ずついまわしい抱擁をさせた裸の死体を、

カラスやトビの大群の餌食(えじき)にした。

女も年寄りも容赦なく殺された。

のろわしい政府に殺された

17才の少年少女の数は

数百もあった。

母の乳ぶさからもぎ取られた赤ん坊は、

ジャコバン党員のほこ先からほこ先へと投げ渡された」(付録参照)。

わずか10年の間に、

おびただしい数の人間が殺された。

 

これはみな、サタンの望むところであった。

これはサタンが、

幾時代にわたって確保しようとしてきたことであった。

彼の策略は、初めから終わりまで欺瞞(ぎまん)であって、

彼の不動の目的は、人間の世界に不幸と悲惨をもたらし、

神のみ業を傷つけ、汚し、神の慈悲と愛のみ心をだいなしにし、

こうして天を悲しませようとするにある。

こうしてサタンは、その欺瞞的な方法によって人の心を盲目にし、

これらすべての不幸が創造主の計画の結果であるかのように

考えさせて、彼の働きを神のせいだと思わせようとするのである。

同様に、彼の残酷な力によって堕落し、

残忍になった者たちが自由を得ると、サタンは彼らに、

極端で非道なことを行わせる。

すると暴君や圧制者は、

この無軌道な放縦を、

自由の結果が何であるかを示す好例であるというのである。

 

サタンは、1つの扮装(ふんそう)の誤りが見破られると、

また別の仮面をかぶって現われ、

群衆は前と同様に熱狂してこれを迎える。

ローマ・カトリック教が欺瞞であることが人々にわかり、

これを用いて人々に神の律法を犯させることができなくなると、

サタンは、すべての宗教は人をまどわすものであり、

聖書は作り話であると主張した。

そして彼らは、神の律法を放棄して、

無軌道な罪の生活に陥った。

真理拒否の結果

フランスの国民をこのような悲惨な状態に陥れた致命的誤りは、

真の自由は神の律法の範囲内にあるという

一大真理を無視したためであった。

「どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。

そうすれば、あなたの平安は川のように、

あなたの義は海の波のように」なる。

「主は言われた、『悪い者には平安がない』と」。

「しかし、わたしに聞き従う者は安らかに住まい、

災に会う恐れもなく、安全である」

(イザヤ 48:18、22、箴言 1:33)。

 

無神論者、不信仰者、背教者たちは、

神の律法に反対し非難を向けるが、

彼らのもたらす結果を見るならば、

人類の幸福は神の律法に服従することにあることがわかるのである。

神の書から教訓を読み取ろうとしない者は、

諸国の歴史の中にそれを読み取るように命じられている。

 

サタンが、

ローマ教会を通じて人々を神に背かせた時、

彼の活動は隠されていた。

そして、彼の働きは巧みに偽装されていたので、

その結果起こった堕落と不幸は、

罪を犯した結果であるとは思われなかった。

また、彼の力は、

これまで神の聖霊の働きによって妨げられ、

十分に実を結ぶに至っていなかった。

人々は原因を探ることをせず、

彼らの不幸の源を見出さなかった。

しかし、革命が起こり、議会は公然と神の律法を廃した。

そして、それに続いた恐怖時代に、

その原因結果がすべての者に明らかとなった。

 

フランスが公然と神を拒み、聖書を放棄した時、

悪人たちと暗黒の霊とは、

彼らが長く望んでいた目的を達成して喜んだ。

それは、神の律法の制限を受けない国であった。

悪の行為に対する判決が、速やかに執行されないために、

人の子らの心は

「もっぱら悪を行うことに傾いている」(伝道の書 8:11)。

しかし、公正で義である律法を犯すならば、

その結果は必然的に不幸と破滅である。

人間の悪事は、直ちに罰が与えられないにしても、

必ず破滅をもたらすのである。

幾世紀にもわたる背信と罪悪は、

報復の日の神の怒りを蓄えてきた。

そして、彼らの罪が満ちた時に、神を軽べつした人々は、

神の忍耐がつき果てることがどんなに恐ろしいことであるかを

知ったのであるが、時はすでに遅かった。

 

サタンの残酷な力を抑えていた

神の霊の抑制力が、大半取り除かれた。

そして、人々を不幸にすることだけを喜びとしている

サタンのなすがままになった。

反逆に荷担した者は、その実を刈り取った。

そして地はついに筆紙に尽くし得ない

恐ろしい犯罪で満たされた。

荒廃した地方や破壊された都市から、

恐ろしい叫び、耐えがたい苦悩の叫びがあがった。

フランスは、地震で震動するかのように揺れ動いた。

宗教、法律、社会秩序、家族、国家、

そして教会などすべてのものが、

神の律法に反抗してあげられた邪悪な手で打ち倒された。

賢者は実にこう語った。

「悪しき者は、その悪によって倒れる。」

「罪びとで百度悪をなして、なお長生きするものがあるけれども、

神をかしこみ、み前に恐れをいだく者には幸福があることを、

わたしは知っている。しかし悪人には幸福がない」

(箴言 11:5、伝道の書8:12、13)。

「彼らは知識を憎み、主を恐れることを選ばず、」

「自分の行いの実を食らい、自分の計りごとに飽きる」

( 箴言 1:29、31)。

聖書の勝利

「底知れぬ所からのぼって来る」

神を汚す権力に殺された神の忠実な証人は、

長く沈黙していなかった。

「3日半の後、いのちの息が、神から出て彼らの中にはいり、

そして、彼らが立ち上がったので、それを見た人々は

非常な恐怖に襲われた」(黙示録 11:11)。

キリスト教を廃し聖書を破棄する法令が、

フランスの議会を通過したのは、1793年であった。

それから3年半後にはこの法令は廃止され、

聖書を読むことを許す決議が、

同じ議会において採択された。

聖書を拒否した結果起こった極悪非道さに、

世界は驚きを禁じ得なかった。

そして人々は、神に対する信仰の必要と、神の言葉が、

徳と道徳の基礎であることを認めたのであった。

主は言われた、「あなたはだれをそしり、だれをののしったのか。

あなたはだれにむかって声をあげ、目を高くあげたのか。

イスラエルの聖者にむかってだ」(イザヤ 37:23)。

「それゆえ、見よ、わたしは彼らに知らせよう。

すなわち、この際わたしの力と、わたしの勢いとを知らせよう。

彼らはわたしの名が、主であることを知るようになる」

(エレミヤ 16:21)。

 

2人の証人について、預言者はなお次のように言っている。

「その時、天から大きな声がして、

『ここに上ってきなさい』と言うのを、彼らは聞いた。

そして、彼らは雲に乗って天に上った。

彼らの敵はそれを見た」(黙示録 11:12)。

フランスが神の2人の証人に戦いをいどんで以後、

かえって彼らは、それまでになかったほどあがめられてきた。

1804年に、英国聖書協会が組織された。

これに続いてヨーロッパ大陸に、

多くの支部をもった同様の聖書協会が設立された。

1816年には、米国聖書協会が設立された。

英国聖書協会が設立されたとき、聖書は50か国語で印刷配布された。

そしてその後、

聖書は幾百の国語と方言に翻訳されてきた(付録参照)。

 

1792年以前の50年間、

外国伝道事業についての関心はなかった。

新たな伝道協会は設立されなかった。

そして、異教国にキリスト教を宣べ伝えようと努力する教会は、

ほとんどなかった。

しかし、18世紀の終わりになって、

大変化が起こった。

人々は、合理主義の結果に不満を感じ、

神の啓示と体験的宗教の必要を痛感したのである。

この時から外国伝道事業が、

これまでにない

発展を遂げたのであった(付録参照)。

 

印刷技術の発達が、聖書配布事業を促進した。

諸国間の交通機関の発達、

昔ながらの偏見の壁や国家的排他主義の崩壊、

ローマ法王の俗権の喪失などが、

神の言葉が入っていく道を開いた。

数年前から聖書は、ローマの通りにおいてさえ、

何の束縛も受けずに販売されている。

そしてそれは、今、

人類の住んでいるところはどこにでも、

配布されるようになったのである。

 

かつて無神論者ボルテールは、次のように自慢して言った。

「12人がキリスト教を設立したということを、

わたしはもう聞き飽きた。わたしは、それをくつがえすのに

ひとりで十分であることを証明しよう。」

彼の死後、幾世代が過ぎ去った。

幾百万の者が、聖書に対する戦いに加わった。

しかし聖書は、滅びるどころか、

ボルテールの時代に100あったところには、

1万、いや10万の神の書があるのである。

ある初期の改革者は、キリスト教会に関して、

「聖書は多くの金づちをすりへらしたかなとこのようなものである」

と言った。

「すべてあなたを攻めるために造られる武器は、その目的を達しない。

すべてあなたに逆らい立って、争い訴える舌は、あなたに説き破られる」

と主は言われた(イザヤ 54:17)。

 

「われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない」。

「すべてのさとしは確かである。

これらは世々かぎりなく堅く立ち、

真実と正直とをもってなされた」

(イザヤ 40:8、詩篇 111:7、8)。

人間の権威の上に建てられたものはみな崩れる。

しかし、神の不変の言葉の上に基礎をおいたものは、

永遠に立つのである。

 

第15章 注

1 Sir Walter Scott, "Life of Napoleon,"vol.1, ch.17.

2 "Blackwood's Magazine," November, 1870.

3 Scott, vol.1, ch.17.

4 Wylie, b.22, ch.6.

5 lbid., b.22, ch.7.

6 Henry White, "The Massacre of St. Bartholomew," ch.14, par. 34.

7 Scott, vol.1, ch.17.

8 Lacretelle, "History," vol.2, p.309. in Sir Archibald Alison, "History of Europe,"

vol.1, ch.10.

9 Scott, vol.1, ch.17.

1 0 M. A. Thiers, "History of the French Revolution" vol.2, pp.370, 371.

1 1 Alison, vol.1, ch.10.

12 'Journal of Paris, 1793, No.318.' Buchez-Roux, "Collection of Parliamentary

History" vol. 30, PP. 200, 201 より引用。

1 3 G. de Felice, "History of the Protestants of France," b.1, ch. 2, par. 8.

1 4 D' Aubigne, "History of the Reformation in Europe in the Time of Calvin," b.2,

ch.36.

1 5 Wylie, b.13, ch.4.

1 6 lbid., b.13, ch.20.

【 第16章 アメリカ合衆国と建国の精神 】

英国宗教界の情勢

英国の改革者たちは、ローマ・カトリック教会の教義を捨てながらも、

その形式の多くを保持していた。

こうして、ローマの権威と信条は否定していながら、

その習慣と儀式が、

少なからず英国国教会の礼拝に取り入れられた。

こうしたことは良心の問題ではない、

また、聖書に命じられていないから重要ではないが、

それでも禁じられていないから本質的には悪ではない、

という主張が行われた。

これらの遵守は、

ローマと改革教会との間の隔たりを狭めるものであった。

そしてそれは、カトリック教徒が

プロテスタントの信仰を受け入れるのを促進すると力説された。

 

保守的で妥協的な人々にとっては、

このような議論は決定的なものに思われた。

しかし、そう判断しなかった人々もいた。

こうした習慣は、「ローマと改革主義との間の深い割れ目に

橋を架けるものである」からこそ、

それらの保持には断固として反対である、

というのが彼らの意見であった。①

彼らはそれらを、

奴隷状態―彼らはそこから解放されたのであって、

そこにもどる気持ちなど全くないのであった―のしるしとみなした。

神はみ言葉の中で、神の礼拝に関する規則を定められたのであるから、

人間が自由にそれに加えたり減じたりすることはできないと、

彼らは論じた。

大背教のまず第1歩は、

教会の権威によって神の権威を補おうとしたことにあった。

ローマは、神が禁じられなかったことを禁じることから始めて、

神が明らかに命じておられることを禁じるに至ったのであった。

 

多くの者は、初代教会の特徴であった

純潔と単純にもどることを熱望した。

彼らは、英国国教会に根をおろした多くの習慣を

偶像礼拝の遺物とみなし、

良心上その礼拝に参加することができなかった。

しかし教会は、国家の権力によってささえられていて、

その儀式に反対することを許さなかった。

教会の礼拝に出席することが法律で要求され、

許可なくして宗教的集会を開くことは禁じられて、

もしそれを犯せば、投獄、追放、死刑であった。

清教徒の海外移住

17世紀の初め、王位についたばかりの英国王は、

清教徒(ピューリタン)たちに、

「国教に従わせるか、・・・・

それとも国外に追放、

または、それ以上の刑に処す」という決意を明らかにした。②

彼らは、かり立てられ、迫害され、

投獄されて、将来、事態の好転を望むことができなくなった。

そして、良心の命じるところに従って

神に仕えようとするものにとって、

「英国は永久に住むところではなくなった」

と考える者が多かった。③

ある者は、少なくとも、

オランダまで避難しようと決心した。

彼らは、困難や損失や投獄のうきめに会った。

彼らの目的は妨げられ、裏切られて敵の手に渡された。

それでも屈せず耐え忍んで、ついに彼らは、

オランダ共和国にあたたかく迎えられ、避難することができた。

 

彼らは逃げる際、

家も財産も生計の手段をも置いてきた。

彼らは異国に住む異邦人となり、

言葉も習慣も異なる人々の中で暮らした。

彼らは、生計を立てるために、

新しい不慣れな職業につかなければならなかった。

これまで耕作に従事していた中年の男が、

今度は技術的な職業を覚えなければならなかった。

しかし彼らは、そうした事態をも快活に受け入れた。

怠けたり悔やんだりして時間を浪費したりしなかった。

彼らはしばしば貧困に陥ったけれども、

なお彼らに与えられた福音を神に感謝し、

妨げられずに霊の交わりができることを喜んだ。

「彼らは、自分たちが旅人であることを知り、

そのようなものに心を奪われることなく、

彼らの最も愛する国、天国に目を向け、心安んじていた。」④

 

流浪と困難のただ中にあっても、彼らの愛と信仰は強くなった。

彼らは主の約束に信頼した。

そして神は、必要な時に必ず助けを与えられた。

 

神の天使は彼らのそばにいて、

彼らを励ましささえた。

そして、神のみ手が、

海の向こうの土地―そこで彼らが国を建設し、

宗教の自由という尊い遺産を子孫に残すことのできるところ―

を指さした時、彼らは、

ひるむことなく摂理の道に従って前進した。

 

神は、ご自分の民に対する恵み深いみこころの完成のために、

彼らに準備をさせるよう、彼らに試練が来るのを許された。

教会が衰えたのは、また高められるためであった。

神は、教会のために力をあらわし、

神に信頼する者を捨てないという

もう1つの証拠を世界に示そうとしておられた。

神は、サタンの怒りと悪人の策略が、

神に栄光を帰して神の民を安全な場所に導くことになるように、

諸事件を支配しておられた。

迫害と追放が自由への道を開きつつあった。

ジョン・ロビンソンの告別の辞

清教徒たちは、最初に英国国教会から分離しなければならなかった時、

主の自由な民として、

「彼らに知らされた、あるいは、

これから知らされるすべての神の道を共に歩く」ことを、

一致団結して厳粛に誓った。⑤

ここに、改革の真の精神、

プロテスタント主義の極めて重大な原則があった。

清教徒たちが、オランダを去って新世界に移住したのは、

この目的のためであった。

彼らの牧師、ジョン・ロビンソンは、

摂理によって彼らに同行できなかったが、

亡命者たちへの告別説教において次のように言った。

 

「兄弟たちよ、われわれは今、まもなく別れようとしている。

わたしが再び、あなたがたの顔を見ることができるかどうかは、

ただ神だけが知っておられる。

しかし、主がそうお定めになっていようといまいと、

わたしは、神と聖天使たちの前で、

わたしがキリストに従ったように、

あなたがたがわたしに近く従うように命じる。

もし神が、ご自分の他の器を用いて、

何かをあなたがたに示されるならば、

わたしが教える真理を受けたように、喜んで信じてほしい。

わたしは、主がみ言葉のなかから、

これからももっと真理と光を輝かせてくださると確信している。」⑥

 

「わたしとしては、宗教的に行き詰まった改革教会の状態を、

嘆かないではおられない。

教会は現在、改革運動を起こした器たちから1歩も進んではいない。

ルーテル教会員は、

ルターが認識したこと以上に出ていない。・・・・

そして、カルバン派の人々は、

神の偉大な人物ではあったがすべてを認識していたとは

言えない人の残したことを、堅く守っている。

これは、非常に悲しむべきことである。

彼らは、その時代においては、燃え輝く光ではあったが、

神の教えをすべて知りつくしたのではなかった。

彼らは、もし今日生きていたならば、

彼らが初めに受けた光と同様に、

それ以上の光も喜んで受けることであろう。」⑦

 

「すでに示され、またこれからも示される

すべての主の道を歩くことに同意した、

教会の契約を覚えていてほしい。

神のみ言葉から示される光と真理は、

なんでも受け入れるという神とお互いとの約束と契約とを、

覚えていてほしい。

さらに、真理として受け入れる場合に注意してほしいことは、

それを受け入れる前に、

他の聖書の真理と比較してよく検討することである。

なぜならば、

非キリスト教的暗黒から最近出て来たばかりのキリスト教会に、

一時に完全無欠の知識が輝き出ることは

あり得ないからである。」⑧

アメリカの岸辺で

この、いわゆる「巡礼者」(ピルグリム)たちが、

勇敢にも長途の航海の危険を冒し、荒野の種々の困難と危険に耐え、

そしてついに神の恵みによって、

アメリカの岸に偉大な国家の基礎をすえたのは、

良心の自由を得たいという願いからであった。

しかし、これらの清教徒たちは、

誠実で神を恐れる人々ではあったけれども、

まだ宗教の自由の大原則を理解していなかった。

彼らは、大きな犠牲を払って獲得した自由を、

等しく他の者に与えようとはしなかった。

「17世紀の最も進歩的な思想家たちや道徳家たちでさえ、

新約聖書より発している大原則、すなわち神以外にはだれも

人間の信仰をさばくことはできないということを、

正しく認識したものはほとんどいなかった。」⑨

人間の良心を支配し、異端を定義し、処罰する権を、

神は教会にゆだねられたという教義は、

法王教の誤謬に最も深く根ざす誤りの1つである。

改革者たちは、ローマの教義を否定はしたが、

その狭量な精神から完全にぬけきってはいなかった。

法王権の長期にわたる支配下において、

キリスト教会全体をおおった濃い暗黒は、

まだ全部消え去ってはいなかった。

マサチューセッツ湾の植民地における有力な牧師の1人は、

次のように言った。

「寛容であったことが世界を反キリスト教的にした。

そして教会は、

異端を罰しても何の害も受けなかった。」⑩

植民地開拓者たちは、

教会員だけが政治に発言権を持つべきであるという規則を採用した。

一種の国教が制定され、すべての住民は聖職者を支持するために

献金することを要求された。

そして、長官には異端を鎮圧する権が授けられた。

こうして、世俗の権力が教会の手中にあった。

やがて、こうした方法は、

その必然的な結果である迫害をひき起こすことになった。

 

植民地が創設されてから11年後に、

ロージャー・ウィリアムスがアメリカに来た。

初期の清教徒たちのように、彼も宗教の自由を享受するために来た。

しかし彼は、彼らとは異なって、当時まだ、ほとんどだれも気づいていなかったこと、すなわち、この自由は、その信条が何であろうと、

すべての者にとって譲渡できない権利であることを認識していた。

彼は、熱心な真理の探究者であった。

そしてロビンソンと共に、神のみ言葉の真理が

すべて与えられてしまったとは思っていなかった。

ウィリアムスは、

「近代のキリスト教世界において、

良心の自由、法の前における意見の平等という教義に基づいて

政府を制定した、最初の人物であった。」⑪

犯罪を抑止することは行政長官の義務であるが、人間の良

心を支配してはならないと、彼は宣言した。

彼は次のように言った。

「公衆または行政長官は、人間と人間との間の義務を決定するが、

彼らが神に対する人間の義務を規定しようとするならば、

それは越権行為であって、安全ではあり得ない。

なぜならば、もし長官にその権威があれば、

朝令暮改の誤りを犯すことは明らかだからである。

英国において、さまざまな国王や女王が行ったように、

また、さまざまな法王やローマ教会の会議が行ったように、

信仰は、非常な混乱に陥るであろう。」⑫

信教自由の闘士ロージャー・ウィリアムス

教会の礼拝には出席が要求されていて、行かない者は、

罰金または投獄の罰を受けた。

「ウィリアムスは、この法律に反対した。

英国における最悪の法令は、教区教会に出席を強要したものであった。

異なった信条の者を一致するように強制することは、

彼らの生得の権利を公然とふみにじることであると彼は考えた。

非宗教的で、来ることを好まない人々を、

公の礼拝に引きずってくることはただ偽善を要求しているように

思われた。・・・・『だれも自分の意志に反して、

礼拝や教会維持を強制されるべきではない』と彼は述べた。

彼の反対者たちは、彼の主義に驚いて、

『働き人がその報酬を受けるのは当然ではないか』と叫んだ。

すると彼は、『その通り。彼を雇った者たちからである』

と答えた。」⑬

 

ロージャー・ウィリアムスは忠実な牧師、そして、非凡な才能、

不動の誠実さ、真の愛の持ち主として尊敬され愛された。

しかし彼が、

行政長官が教会の上に権をとることを断固として拒否し、

宗教の自由を要求していることは、許しておくことができなかった。

この新しい教義が行われるならば、

「国家の基礎と政治をくつがえす」であろうと、

人々は主張した。⑭

彼は、植民地からの追放の宣告を受けた。

そして、ついに彼は、逮捕を免れるために寒い冬の吹雪の中を、

まだ開かれていない森の中へと逃げ込まなければならなかった。

 

「わたしは14週間の間、パンも寝るところもなく、

厳寒の季節をあちこちと激しく逃げ回った」

と彼は言っている。

しかし、「荒野で、カラスがわたしを養ってくれ、」

そしてしばしば、木の幹の穴が彼の隠れ家となった。⑮

こうして彼は、雪と道のない森の中を苦労して逃げて行き、

ついに、インディアンの部族にかくまわれた。

ここで彼は、彼らに福音の真理を教えながら、

彼らの信頼と愛をかち得たのである。

 

彼は、数か月にわたって転々と流浪して、

ついに、ナラガンセト湾の岸に到着し、

ここで、宗教の自由を完全に認めた、

近世における最初の州の基礎を築いた。

 

ロージャー・ウィリアムスの植民地の根本的原則は、

「人間はだれでも、自分の良心に従って、

神を礼拝する自由をもつべきである」ということであった。⑯

彼の小さなロード・アイランドという州は、

迫害に苦しむ人々の避難所となり、次第に人口が増加して繁栄し、

ついに、その基本的原則である政治的宗教的自由が、

アメリカ共和国の礎石となった。

合衆国と信教自由の精神

われわれの先祖たちが、基本的人権の宣言として公にした偉大な

古文書、すなわち「独立宣言」のなかで、次のように表明されている。

「われわれは、これらが自明の真理であると考える。

すなわち、すべての人間は平等に創(つく)られ、

創造主から、ある譲渡することのできない権利を授けられていて、

その中には、生命、自由、幸福の追求が含まれている。」

そして憲法は、良心は侵すことができないものであることを、

極めて明白な言葉で保証している。

「アメリカ合衆国のどんな公職に対しても、

その資格として、宗教的な審査を要求してはならない。」

「国会は、宗教の設立に関する法律や、

その自由な活動を禁止する法律をつくってはならない。」

 

「憲法の起草者たちは、

人間と神との関係は人間の法律以上のものであり、

人間の良心は固有の権利を持つという永遠の原則を認めていた。

この真理を確立するのに、議論する必要はなかった。

われわれは自らの胸中において、それを意識しているのである。

多くの殉教者たちが、人間の法律を無視して、

拷問や炎に耐えたのはこのことを自覚していたからであった。

彼らは、神に対する義務は人間の法令以上のものであり、

人間は良心にまで

権力を及ぼすことができないと感じていた。

それは、生まれながらに備わった原則であって、

なにものによっても根絶されえないものなのである。」⑰

 

すべての人が自分の勤労の実を享受し、

良心の確信することに従うことができる国についての報道が、

ヨーロッパの国々に伝わると、

幾千という人々が、新世界アメリカの岸に群がった。

植民地は急速に増加した。

 

「マサチューセッツ州は、特別の法律を設けて、

『戦争、飢饉(ききん)あるいは迫害者の圧迫を逃れて、』

大西洋を越えてやってくるキリスト者は何国人であっても、

公費によって、無償の歓迎と援助を提供した。

こうして、亡命者や圧迫された者たちが、

法令によって州の客となった。」⑱

最初プリマスに上陸してから20年後には、

何千という清教徒たちが、ニュー・イングランド地方に住みついていた。

その求める目的を達するために、

「彼らは、倹約と勤労の生活によって、

かろうじて生きることに満足した。

彼らは、自分たちが耕す土地からも、

その労苦の正当な報酬のほかは何も求めなかった。

一攫千金(いっかくせんきん)の夢も見なかった。・・・・

彼らは、自分たちの社会の組織が、

徐々にではあるが着実に進歩していくことに満足であった。

彼らは荒野の苦難に忍耐強く耐え、自由という木に涙で水を注ぎ、

それが土に深く根をおろすまで、額に汗しつつ育てたのである。」

 

聖書は、信仰の基礎、知恵の源、

自由の憲章として重んじられた。

その原則は、家庭、学校、教会において忠実に教えられ、

その実は、勤倹、聡明(そうめい)、

純潔、節制となってあらわれた。

清教徒の植民地に長年住んでも、

「1人の酒飲みも見ず、一言のののしりも聞かず、

1人の乞食にも会わない」のであった。⑲

聖書の原則は、

国家を偉大にする最も確かな安全策であることが、明らかにされた。

微弱で孤立していた植民地が、

強力な合衆国に成長し、

世界は、「法王のない教会、国王のない国家」の、

平和と繁栄に驚きの目をみはった。

米国宗教界の堕落

しかし、最初の清教徒たちとは

全く目的を異にした者が、

続々とアメリカの岸にひかれてやって来た。

初期の信仰と純潔は、

広く感化力を及ぼしていたけれども、

ただ世俗の利益だけを求める者の数が増加するにつれて、

その影響は、次第に衰えていった。

 

初期の移住者が採用した、教会員だけが投票権を持ち、

あるいは政府の職につくことができるという規則は、

有害きわまる結果を生じた。

この方策は、州の純潔を保つために採用されたのであったが、

教会を腐敗させることになった。

信仰の告白が、投票と公職につく条件であったために、

多くの者が、心の変化なしに、

ただ世俗的目的のために教会に加わった。

こうして教会は、

多くの悔い改めていない人々で満たされるようになった。

そして、聖職者の中にさえ、誤った教義を保持するだけでなく、

聖霊の改新の力を知らない者もいるようになった。

こうして、コンスタンチヌスの時代から現代に至るまで、

教会歴史にしばしば見られた悪い結果が、

ふたたびあらわれたのである。

すなわち、国家の援助によって教会を盛り立て、また、

キリストの福音を支持するために俗権に訴えようとすることである。

しかし、そのキリストは、「わたしの国はこの世のものではない」

と宣言された(ヨハネ 18:36)。

教会と国家との結合は、

たとえどんなにささいなものであっても、

世俗を教会に近づけるように見えながら、

実際は、教会を世俗に近づけることにほかならないのである。

 

ロビンソンとロージャー・ウィリアムスが堂々と主張した大原則、

すなわち、真理は漸進(ぜんしん)的なものであって、

キリスト者は神の聖書から輝き出る光をみな、

いつでも信じる用意をしているべきである、

ということを彼らの子孫たちは忘れていた。

ヨーロッパの教会も同様であるが、アメリカのプロテスタント教会は、宗教改革の恩恵をあれほどまでに受けていながら、

改革を推し進めることに失敗した。

時おり、忠実な人々がわずかながら立ち上がって、

新しい真理を宣言し、旧来の誤りを指摘したりしたのであるが、

大部分の人々はキリストの時代のユダヤ人、

あるいは、ルターの時代のカトリック教会の人々のように、

先祖たちが信じたように信じ、

彼らが生活したように生きることで満足した。

そのために、宗教はふたたび形式主義に堕してしまった。

そして、教会が神のみ言葉の光の中を歩き続けたならば、当然捨て去ってしまったはずの誤りや迷信が、そのまま残存し固守された。

こうして、宗教改革によって奮い立った精神が次第に衰えて、

ルター時代のカトリック教会とほとんど同様の大改革が、

プロテスタント教会に必要となるまでになった。

同様の世俗化と霊的無感覚、

人間の意見に対する同様の尊敬、神のみ言葉の教えの代わりに、

人間の説の代用が見られるのであった。

 

19世紀の初期において、聖書が広く配布され、

大いなる光が世界に輝いたのであるが、

啓示された真理の知識に対応する前進、

あるいは、体験的宗教の前進はなかった。

サタンは、以前のように神の言葉を人々から

隠しておくことはできなかった。

聖書はだれでも手に入れられるようになった。

しかしサタンは、なおその目的を達成するために、

多くの者にそれを低く評価するようにさせた。

人々は、聖書の研究を怠り、こうして、相変わらず誤った解釈を信じ、

聖書に根拠のない教義を固守するのであった。

 

サタンは、迫害によって

真理を粉砕することができなかったのを見て、

大背教とローマ教会の出現の原因となったところの妥協策を、

ふたたび採用した。

サタンはクリスチャンを、今度は異教徒ではなくて、

世俗の事物に執着して、

刻んだ像を拝むのと同様に偶像礼拝者となってしまった者たちと、

結合させようとした。

こうした結合の結果は、昔と同様に有害なものであった。

宗教の仮面のもとに、

虚栄とぜいたくがほしいままに行われて、

教会は堕落した。

サタンは聖書の教義をゆがめつづけ、

無数の者を滅びに陥れるような伝説が、深く根をおろしつつあった。

教会は、「聖徒たちによって、ひとたび伝えられた信仰」

を主張するかわりに、こうした伝説を支持し、擁護した。

こうして、宗教改革者たちの

非常な努力と苦難によって確立された原則が、

崩壊したのである。

 

第16章 注

1 Martyn, vol.5, p.22.

2 George Bancroft, "History of the United States of America," pt.1, ch.12, par.6.

3 J. G. Palfrey, "History of New England," ch.3, par.43.

4 Bancroft pt.1 ch.12, par.15.

5 J. Brown, "The Pilgrim Fathers," p.74.

6 Martyn, vol.5, p.70.

7 D. Neal, "History of the Puritans," vol.1, p.269.

8 Martyn, vol.5, pp.70, 71.

9 lbid., vol.5, p.297.

1 0 lbid., vol.5, p.335.

1 1 Bancroft, pt.1, ch.15, par.16.

1 2 Martyn, vol.5, p.340.

1 3 Bancroft, pt.1, ch.15, par.2.

1 4 lbid., pt.1, ch.15, par.10.

1 5 Martyn, vol.5, pp.349, 350.

1 6 lbid., vol.5, p.354.

1 7 Congressional Documents (U. S. A.), Serial No.200, Document No. 271.

1 8 Martyn, vol.5, p.417.

1 9 Bancroft, pt.1, ch.19, par.25.

【 第17章 最大の希望 】

各時代の希望

聖書に啓示された最も厳粛で、最も輝かしい真理の1つは、

キリストが、贖罪(しょくざい)の大きな業を完成するために

ふたたび来られるという真理である。

長い間、「死の地、死の陰」をたどってきた神の旅人たちにとって、

「よみがえりであり、命で」あり、

「追放されたものを帰らせ」られる主の出現の約束は、

尊く喜びに満ちた希望であった。

キリストの再臨という教義は、聖書の基調そのものである。

われわれの祖先が、悲しみながらエデンを去った日以来、

信仰の子供たちは、約束のみ子が現われて、破壊者の力をこぼち、

失われた楽園に彼らをふたたび連れもどすのを待っていた。

昔の聖者たちは、メシヤが栄光のうちに来られて、

彼らの希望が成就されるのを待ち望んだ。

エデンに住んだ者からわずか7代目に当たるエノクは、

この地上において、300年の間神と共に歩み、

救い主の来臨をはるか遠くから見ることを許された。

「見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた。

それは、すべての者にさばきを行うため」である

と彼は言った(ユダ 14、15)。

また家長ヨブは苦難の夜、ゆるがぬ信仰をもって言った。

「わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、

後の日に彼は必ず地の上に立たれる。・・・・

わたしは肉にあって神を見るであろう。

わたしはこのかたを、自分自身で見るであろう。

そして、わたしの目がこれを見る。他の者の目ではない」

(ヨブ 19:25―27・英語訳)。

 

正義の時代の到来を告げるキリストの再臨は、

聖書記者たちに、

最も崇高で熱烈な言葉を言わせたのである。

聖書の詩人や預言者は、

天来の火に燃やされて、そのことを語った。

詩篇の記者は、イスラエルの王の力と威光とを歌った。

「神は麗しさのきわみであるシオンから光を放たれる。

われらの神は来て、もだされない。・・・・

神はその民をさばくために、

上なる天および地に呼ばわれる」(詩篇 50:2―4 )。

「天は喜び、地は楽しみ、・・・・主のみ前に喜び歌うであろう。

主は来られる、地をさばくために来られる。

主は義をもって世界をさばき、まことをもって

もろもろの民をさばかれる」(詩篇 96:11―13)。

 

預言者イザヤも次のように言った。

「ちりに伏す者よ、さめて喜び歌え。あなたの露は草木をうるおす

露のごとく地はなきたまをいださん(後半文語訳)。」

「あなたの死者は生き、彼らのなきがらは起きる。」

「主はとこしえに死を滅ぼし、主なる神はすべての顔から涙をぬぐい、

その民のはずかしめを全地の上から除かれる。

これは主の語られたことである。

その日、人は言う、『見よ、これはわれわれの神である。

わたしたちは彼を待ち望んだ。彼はわたしたちを救われる。

これは主である。わたしたちは彼を待ち望んだ。

わたしたちはその救を喜び楽しもう』と」(イザヤ26:19、25:8、9 )。

 

ハバククは、神からの幻を与えられて、主が来られるのを見た。

「神はテマンからこられ、聖者はバランの山からこられた。

その栄光は天をおおい、そのさんびは地に満ちた。

その輝きは光のようであり、」

「彼は立って、地をはかり、彼は見て、

諸国民をおののかせられる。

とこしえの山は散らされ、永遠の丘は沈む。

彼の道は昔のとおりである」。

「主よ、あなたが馬に乗り、勝利の戦車に乗られる。」

「山々はあなたを見て震い、・・・・

渕は声を出して、その手を高くあげた。

飛び行くあなたの矢の光のために、電光のようにきらめく、

あなたのやりのために、日も月もそのすみかに立ち止まった。」

「あなたはあなたの民を救うため、

あなたの油そそいだ者を救うために出て行かれた」

(ハバクク 3:3、4、6、8、10、11、13)。

再臨の約束

救い主は、弟子たちから離れていこうとするに当たり、

また来るという確証を与えて、彼らの悲しみを慰められた。

「あなたがたは、心を騒がせないがよい。・・・・

わたしの父の家には、すまいがたくさんある。・・・・

あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。

そして、行って、場所の用意ができたならば、

またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう」(ヨハネ 14: 1 ― 3 )。「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、

彼はその栄光の座につくであろう。

そして、すべての国民をその前に集め」る(マタイ 25:31、3 2 )。

 

キリストの昇天後、オリブ山にとどまっていた天使たちは、

キリスト再臨の約束を弟子たちにくり返した。

「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、

天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、

またおいでになるであろう」(使徒行伝 1:11 )。

また、使徒パ

ウロは、霊感に動かされて次のようにあかしした。

「すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と

神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる」

(Ⅰテサロニケ 4:1 6 )。

パトモスの預言者も、「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。

すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、

彼を仰ぎ見るであろう」と言っている(黙示録 1:7 )。

 

彼の再臨には、

「神が聖なる預言者たちの口をとおして、

昔から預言しておられた万物更新の時」

の輝かしい光景が関連している(使徒行伝3 : 2 1 )。

その時、長く続いた悪の支配が砕かれて、

「この世の国は、

われらの主とそのキリストとの国となった。

主は世々限りなく支配なさるであろう」(黙示録 11:15)。

「こうして主の栄光があらわれ、

人は皆ともにこれを見る。」

「主なる神は義と誉とを、

もろもろの国の前に、生やされる」。

主は、「その民の残った者のために、栄えの冠となり、

麗しい冠となられる」(イザヤ 40:5、61:11、28:5 )。

 

長く待望してきた平和なメシヤの王国が、

全天のもとで建設されるのは、この時である。

「主はシオンを慰め、またそのすべて荒れた所を慰めて、

その荒野をエデンのように、そのさばくを主の園のようにされる。」

「これにレバノンの栄えが与えられ、

カルメルおよびシャロンの麗しさが与えられる。」

「あなたはもはや、『捨てられた者』と言われず、

あなたの地はもはや『荒れた者』と言われず、

あなたは『わが喜びは彼女にある』ととなえられ、

あなたの地は『配偶ある者』ととなえられる。」

「花婿が花嫁を喜ぶようにあなたの神はあなたを喜ばれる」

(イザヤ 51:3、35:2、62:4 、5 )。

 

主の再臨は、各時代において、

神の真の弟子たちの希望であった。

また来るという、オリブ山上での救い主の、

離別にあたっての約束は、

弟子たちの未来を明るく照らし、彼らの心を喜びと希望で満たし、

どんな悲しみも試練もこれを消し去ることはできなかった。

苦難と迫害のただ中にあって、

「大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現」は、

「祝福に満ちた望み」であった。

生きて主の来臨を見たいと望んでいた愛する者たちを葬って、

悲しみのうちにあったテサロニケの人々に、

彼らの教師パウロは、

救い主の再臨の時に起こる復活を指し示した。

その時には、キリストにあって死んだ人々がよみがえり、

生きている人々と共に引き上げられて、空中で主にお目にかかる。

こうして、「いつも主と共にいるであろう。

だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい」

と彼は言った(Ⅰテサロニケ 4:16―1 8 )。

 

岩角険しいパトモス島において、愛する弟子ヨハネは

「しかり、わたしはすぐに来る」という約束を聞いた。

そして、「主イエスよ、きたりませ」という彼の切実な応答は、

流浪のうちにある教会の祈りでもあった。(黙示録 22:20 )。

改革者たちの再臨信仰

聖徒や殉教者たちは、

牢獄、火刑柱、処刑台において、

真理のあかしを立てたが、彼らの信仰と希望の言葉が、

幾世紀後のわれわれに伝えられている。

彼らは、「主の復活を確信し、したがって主の再臨の時に

彼ら自身も復活することを確信していたので、

彼らは死を恐れず、死を超越していた」と、

あるキリスト者は言っている。①

彼らは、「自由の身になって復活する」ために、

喜んで墓に下っていった。②

彼らは、

「主が、父の栄光をもち、天の雲に乗って来られ、」

「義人たちに王国の時代をもたらされる」のを待望した。

ワルド派も同じ信仰を抱いていた。3

ウィクリフも、

贖い主の出現を教会の希望として待望していた。④

 

ルターは次のように言った。

「わたしは、今後300年もすれば必ず、審判の日が来ると確信する。

神は、この邪悪な世界を長く忍ぶことはなさらないであろうし、

また、おできにならないのである。」

「悪虐な王国を打ち砕く大いなる日が近づいている。」⑤

 

「この古びた世界は、終末から遠くない」とメランヒトンは言った。

カルバンは、「キリストの再臨を、

あらゆる事件中の最も喜ばしいものとして、

ためらわず、熱心に待望するよう」キリスト者に命じ、

「忠実なものの家族全員が、その日を待望するように」勧めている。

「われわれは、主がみ国の栄光を十分にあらわされる

大いなる日の夜明けまで、飢えかわくようにキリストを求め、

たずね、瞑想(めいそう)しなければならない」と彼は言っている。⑥

 

「われわれの主イエスは、

われわれの肉体を天にたずさえて行かれたのではなかったか。

そして彼は、帰って来られないであろうか。われわれは、彼が帰って来られること、しかもそれが速やかであることを知っている」

とスコットランドの改革者ノックスは言った。

真理のために生命をささげたリドリとラチマーは、

主の再臨を信じて待ち望んだ。

「わたしは、この事を信じるから言うのであるが、

この世界は疑いもなく終末に近づいている。

われわれは、神のしもべヨハネと共に、来てください、

主イエスよ、来てくださいと、われわれの救い主キリストに向かって、

心の中で叫ぼう」とリドリは書いた。⑦

 

「主の再臨を考えることは、

わたしには最も楽しく喜ばしいことである」

とバクスターは言った。⑧

「彼の出現を愛し、祝福された望みを待ち受けることは、

信仰のわざであり、聖徒の特質である。」

「死が、復活の時に滅ぼされる最後の敵であるならば、

この最後の完全な勝利が与えられるキリストの再臨を、

信者たちがどんなに熱心に待望し、

そのために祈るべきであるかがわかるのである。」⑨

「この日こそ、すべて信ずる者の贖罪のすべての働きと、

彼らの魂の願望と、努力のすべてが完成されるのであるから、

すべての信者は、この日を熱望し、

待ちかまえていなければならない。」

「主よ、この祝福された日を早めてください。」⑩

これが使徒時代の教会の希望であり、

「荒野の教会」の希望であり、また改革者たちの希望であった。

再臨の前兆―リスボンの大地震

預言は、キリスト再臨のようすと目的を予告するだけでなく、

人々がその近づいたことを知るように、

しるしも与えている。

イエスは、「また日と月と星とに、しるしが現れるであろう」

と言われた(ルカ 21:25 )。

「日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、

星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。

そのとき、大いなる力と栄光とをもって、

人の子が雲に乗って来るのを、

人々は見るであろう」(マルコ 1 3 :24-26)。

黙示録の記者も、再臨に先だつ第1のしるしを

このように描写している。

「大地震が起って、太陽は毛織の荒布のように黒くなり、

月は全面、血のようにな」った (黙示録 6: 1 2 )。

 

こうしたしるしは、19世紀の開始前に起こった。

この預言の成就として、1755年に、

これまでの記録を破る恐ろしい地震が起きた。

これは、一般にリスボンの地震と言われているが、

ヨーロッパの大部分、アフリカ、アメリカにも及んだ。

グリーンランド、西インド諸島、マデイラ島、ノルウェー、

スウェーデン、大ブリテン(英国)アイルランドでも感じられた。

その範囲は、400万平方マイルに及んだ。

アフリカでは、

ヨーロッパと同様の激震であった。

アルジェは大半崩壊した。

そしてモロッコ付近の、8000から1万人ぐらいの

人口をもっていた村が陥没した。

スペインとアフリカの沿岸には、

高波が押し寄せて町々をのみ尽くし、

大きな破壊をもたらした。

 

地震が特に激しかったのは、

スペインとポルトガルであった。

カディスでは、押し寄せる波の高さが、

60フィート(約18メートル)もあったという。

「ポルトガルの高山のいくつかは、

あたかもその根底から覆えされるかのように、猛烈に震動した。

そのうちのいくつかは頂上が開いて、

異様な形に裂けて割れ、

巨大な塊が隣接した谷間に崩れ落ちた。

これらの山々からは炎が噴き出たと言われている。」⑪

 

リスボンでは、

「雷のような音が地下で聞こえたかと思うと、

その直後に激しい震動が起こって、市の大部分が倒壊した。

6分ほどの間に6万人死んだ。

海は、最初潮がひいて砂州(さす)が露出したが、

平常の水準よりも

50フィート(約15メートル)以上も高くなって、

またもどってきた。」

「この災害のときに、リスボンで起こったと伝えられる

異常なできごとの1つは、

巨額の費用を投じて造られた総大理石の

新しい埠頭(ふとう)が陥没したことであった。

大群衆が、倒壊物を避ける安全な場所としてそこに避難していた。

ところが、埠頭は突然人々もろともに陥没して、

遺体は1つも表面に浮いて来なかった。」⑫

 

「震動後直ちに、すべての教会や修道院、

ほとんどすべての大建造物と

家屋の4分の1以上が倒壊した。

震動後約1時間のうちに、

各地から火事が起こり、

3日近くも非常な激しさで燃えつづけ、

都市は全滅した。

地震は聖日に起こり、

教会や修道院は人々でいっぱいだったが、

逃れた者はほとんどいなかった。」⑬

「人々の恐怖は、言葉では表現できないほどだった。

だれも泣かなかった。泣くどころではなかった。

彼らは恐怖と驚きに狂乱状態となって、あちこち走りまわり、

顔や胸を打って、『あわれみたまえ!世の終わりだ!』と叫んでいた。

母親は子供たちを忘れて、十字架の像を背負って走り回った。

多くの者が教会に避難したことが悲惨を招いた。

聖体を取り出してもむだであった。

哀れにも人々は祭壇にしがみついたが、むだであった。

聖画像も司祭も人々も、もろともに埋没してしまった。」

この恐るべき日に生命を失った人の数は、

9万と推定されている。

再臨の前兆―暗黒日

日と月が暗くなるという預言の次のしるしは、

その25年後にあらわれた。

このしるしに関してさらに驚くべきことは、

その成就の時が明確に示されていたことである。

救い主は、オリブ山上で弟子たちと語り、

教会の長い試練の期間、すなわち、

1260年間にわたる法王権の迫害について述べ、

その苦難は短くされると約束された。

それから、再臨に先だって起こる諸事件をあげて、

その最初のものがいつ起こるかを定められた。

「その日には、この患難の後、日は暗くなり、

月はその光を放つことをやめ」(マルコ 13:24 )。

1260日、すなわち1260年は、1798年に終わった。

その四半世紀前に、

迫害はほぼ完全にやんでいた。

キリストの言葉によれば、

この迫害のあとで日が暗くなるのであった。

1780年5月19日に、この預言は成就した。

 

「この種の現象として、

他に類例がなく、

最も不思議で説明することができないものは・・・・

1780年5月19日の暗黒日である。

これは、ニュー・イングランド地方の

空全体をおおった不可解な暗黒である。」⑭

 

マサチューセッツ州に住んでいた目撃者は、

そのできごとを

次のように語っている。

「太陽は、朝晴れやかに昇ったが、

まもなく雲がかかった。

雲は荒れ模様となり、まもなく、

黒く無気味な雲から稲光りが光り、雷が鳴り、雨も少し降った。

9時ごろには雲が薄らぎ、真ちゅうか銅のような色になり、

地面も、岩も、木も、建物も、水も、人々も、この不思議な、

この世のものとは思われない光に照らされて変わってみえた。

その数分後には、地平線に細い一線を残して、

全天を黒い雲がおおった。

その暗さは普通の夏の夜の9時ごろの暗さであった。・・・・

 

人々の心は徐々に、恐怖と不安と畏怖(いふ)の念に満たされた。

女たちは戸口に立って、暗いけしきをながめていた。

男たちは畑の仕事から帰って来た。

大工は道具を、かじやはふいごを、商人は売り場を離れた。

学校は授業を取りやめ、子供たちはおびえながら家に帰った。

旅人は最寄りの農家に泊まった。

『いったい、どうなるのだろう?』とだれもが心に思い、

口に出してたずねていた。

それは、あたかも大あらしが地上を襲おうとするか、

それとも万物の終わりの日であるかのように思われた。

 

ろうそくに火がつけられた。

炉の火は、月の出ない秋の夜のようにあかあかと燃えた。・・・・

鶏は巣に帰ってねた。

家畜は、牧場の柵(さく)に寄ってきて鳴いた。

カエルが鳴き、小鳥は夜の歌をうたい、こうもりは飛びかった。

しかし、人間は、夜がきたのではないことを知っていた。・・・・

 

セイレムのタバナクル教会の牧師、ナサニエル・ホイッテカー博士は、

集会所で伝道集会を開いて説教し、その中で、

この暗黒は超自然的なものであると言明した。

その他多くの場所で、会衆が集まった。

即座に行われた説教の聖句は、どれも、

暗黒が聖書の預言と調和することを

示すと思われるものであった。・・・・

暗黒は、11時を少し過ぎたころが

最も濃かった。」⑮

「昼間であるにもかかわらず、

その地方一帯の暗黒は非常に深く、

ろうそくをつけなければ、

時計や柱時計を見て時間を知ることも、

食べることも家事をすることもできなかった。・・・・

 

この暗黒の範囲は

非常なものであった。

東は、ファルマスに及んだ。

西は、コネクティカットの端と、

アルバニー市に至った。

南は、海岸地方一帯に及び、

北は、アメリカの植民地が広がっている全域をおおった。」⑯

 

昼間の濃い暗黒は、

夕方の1、2時間前まで続き、

まだ暗く重くるしい霧にさえぎられてはいたが、

幾分か晴れた空のすきまから太陽が現われた。

「日没後、また雲がでてきて、

急速に暗黒になった。」

「その夜の暗黒は、

昼間の暗黒に勝るとも劣らぬ

異常で恐ろしいものであった。

月は、ほとんど満月であったにもかかわらず、

灯火の助けをかりなければ、何も見えなかった。

その灯火でも、隣の家々や遠方から見たならば、

光線をほとんど通さない

エジプトの暗黒を通して見るようであった。」⑰

この光景の目撃者は言った。

「わたしはその時、

宇宙のすべての発光体が、

なにものをも通さないやみにつつまれるか、

あるいは消え去るかしても、

これ以上の暗黒はあり得ないのではないかと、

考えずにはおれなかった。」⑱

その夜9時に、月は完全に姿を現わしたが、

「それには、死のようなやみを消す力はなかった。」

夜半後になってやみは消え、

月が見えはじめたが、その時、それは血のようであった。

 

1780年5月19日は、歴史上「暗黒日」となっている。

モーセの時代以来、

これほどの濃さと広さと時間的長さをもった暗黒は、

記録されていない。

目撃者によるこの事件の描写は、

その成就の2500年前の

預言者ヨエルが記録した

主の言葉のくり返しに過ぎない。

「主の大いなる恐るべき日が来る前に、

日は暗く、月は血に変る」(ヨエル 2:31 )。

再臨直前の教会の状態

キリストはご自分の民に、

彼の再臨のしるしによく注意し、

来たるべき王のしるしが見えたならば喜べとお命じになった。

「これらの事が起りはじめたら、身を起し頭をもたげなさい。

あなたがたの救が近づいているのだから」と主は言われた。

彼は、春芽を出す木々を指さして、弟子たちに言われた。

「はや芽を出せば、あなたがたはそれを見て、

夏がすでに近いと、自分で気づくのである。

このようにあなたがたも、

これらの事が起るのを見たなら、

神の国が近いのだとさとりなさい」(ルカ 21:28、30、3 1 )。

 

しかし、教会のなかの謙そんと献身の精神が、

高慢と形式主義に変わった時、

キリストに対する愛と彼の再臨に対する信仰が冷えていった。

世俗と快楽の追求に熱中して、

神の民と自称する人々は、

再臨のしるしについての救い主の教えに、盲目になった。

再臨の教義は、ないがしろにされた。

再臨に関する聖句は、曲解されて不明瞭(ふめいりょう)となり、

ついにはその大部分が無視されて、見失われてしまった。

こうしたことは、特に、アメリカの諸教会で起こった。

社会のすべての階層が

自由と安楽を享受することができるので、

人々は、富とぜいたくにあこがれ、金もうけに熱中し、

だれもが手に入れられると見える名誉と権力を追求し、

この世の事物に関心と希望を集中させ、

現在の秩序が崩壊するあの厳粛な日を、

はるか将来に押しやってしまった。

 

救い主は、再臨のしるしを弟子たちに示された時に、

再臨の直前における背教の状態を予告された。

ちょうど、ノアの時代のように、世俗の事業と快楽の追求に忙殺されて、

売り買い、植えつけ、建築、とつぎ、めとりなどして、

神と来世のことを忘れてしまうのである。

このような時代に生存する者に、

キリストは、次のように勧告される。

「あなたがたが放縦や、泥酔や、

世の煩いのために心が鈍っているうちに、思いがけないとき、

その日がわなのようにあなたがたを捕えることがないように、

よく注意していなさい。」

「これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、

人の子の前に立つことができるように、

絶えず目をさまして祈っていなさい」(ルカ 21:34、3 6 )。

 

この時の教会の状態は、黙示録の中の

「あなたは、生きているというのは名だけで、実は死んでいる」

という救い主の言葉の中に指摘されている。

そして、その軽率な安心感からめざめようとしない者に、

次のような厳粛な警告が発せられている。

「もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。

どんな時にあなたのところに来るか、

あなたには決してわからない」(黙示録 3:1、3 )。

 

人々は、自分たちの危険にめざめなければならない。

恩恵期間に関連した厳粛なできごとの準備をするために、

目をさまさなければならない。

神の預言者は、「主の日は大いにして、はなはだ恐ろしいゆえ、

だれがこれに耐えることができよう」と言っている。

「目が清く、悪を見られない者、また不義を見られない者」

であられるお方が現われる時に、だれが立つことができようか

(ヨエル 2:11、ハバクク 1:1 3 )。

「わが神よ、われわれは・・・・あなたを知る」と言いながら、

神の契約を破り、ほかの神を選び、心に悪を隠し、

不義の道を愛する人々には、主の日は、

「暗くて、光がなく、薄暗くて輝きがない」のである

(ホセア 8:2、1、アモス 5:20、詩篇 16:4参照)。

「その時、わたしはともしびをもって、エルサレムを尋ねる。

そして滓の上に凝り固まり、その心の中で、

『主は良いことも、悪いこともしない』と言う人々をわたしは罰する」

と主は言われる(ゼパニヤ 1 : 1 2 )。

「わたしはその悪のために世を罰し、

その不義のために悪い者を罰し、高ぶる者の誇をとどめ、

あらぶる者の高慢を低くする」(イザヤ 1 3:1 1 )。

「彼らの銀も金も、・・・・

彼らを救うことができない。」

「彼らの財宝はかすめられ、彼らの家は荒れはてる」

(ゼパニヤ 1:18、1 3 )。

 

預言者エレミヤは、この恐るべき時を予見して叫んだ。

「わたしは苦しみにもだえる。・・・・

わたしは沈黙を守ることができない、

ラッパの声と、戦いの叫びを聞くからである。

破壊に次ぐに破壊があ」る(エレミヤ4:19、2 0 )。

 

「その日は怒りの日、なやみと苦しみの日、

荒れ、また滅びる日、

暗く、薄暗い日、雲と黒雲の日、ラッパとときの声の日」

(ゼパニヤ 1:15、16)。

「見よ、主の日が来る。・・・・この地を荒し、

その中から罪びとを断ち滅ぼすために来る」(イザヤ 13 : 9 )。

再臨と神の警告

この大いなる日に関して神の言葉は、最も厳粛で印象深い言葉で、

神の民に、霊的昏睡(こんすい)から目覚めて、

悔い改めとへりくだりによって神の顔を求めるよう促している。

「あなたがたはシオンでラッパを吹け。

わが聖なる山で警報を吹きならせ。

国の民はみな、ふるいわななけ。主の日が来るからである。それは近い。」

「断食を聖別し、聖会を召集し、民を集め、会衆を聖別し、

老人たちを集め、幼な子・・・・を集め、花婿をその家から呼びだし、

花嫁をそのへやから呼びだせ。主に仕える祭司たちは、

廊と祭壇との間で泣」け。

「『今からでも、あなたがたは心をつくし、断食と嘆きと、

悲しみとをもってわたしに帰れ。

あなたがたは衣服ではなく、心を裂け』。

あなたがたの神、主に帰れ。

主は恵みあり、あわれみあり、怒ることがおそく、

いつくしみが豊かで」ある(ヨエル 2:1、15―17、12、1 3 )。

 

神の日に立ち得る民を準備するには、

改革の大いなる働きが成し遂げられねばならなかった。

神は、神の民と称する人々の多くが、

永遠のために築いていないのを見られ、

憐れみのうちに彼らに警告の使命を与えて、

彼らを昏睡から目覚めさせ、主の再臨の準備をさせようとされた。

 

この警告が、黙示録 14 : に記されている。

ここには、天使が宣言するといわれている

三重の使命が書かれていて、

すぐそれに続いて人の子が来られ、

「地の穀物」を刈られる。

警告の使命の第1は、審判の切迫を宣言する。

預言者は、天使が

「中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、

あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、

永遠の福音をたずさえてきて、大声で言った。

『神をおそれ、神に栄光を帰せよ。

神のさばきの時がきたからである。

天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め』」(黙示録 14:6、7 )。

 

この使命は、

「永遠の福音」の一部として宣言されている。

福音宣布の働きは、天使にゆだねられたのではなく、

人間に委託されているのである。

天使はこの働きを指導するために用いられ、

人間の救いのための大運動の任を負わせられている。

しかし、福音の実際の宣教は、

地上のキリストのしもべたちによって行われるのである。

 

神の聖霊の感動と

み言葉の教えに従った忠実な人々が、

この警告を世界に宣言するのであった。

彼らは、「夜が明け、

明星がのぼる・・・・まで、この預言の言葉を」

心にとめていた人々であった(Ⅱ ペテロ 1:1 9 )。

彼らは、すべての隠された宝以上に神を知ることを求め、

それを、「銀によって得るものにまさり、その利益は精金よりも良い」

とみなしたのであった(箴言 3:14 )。

主は、彼らにみ国の偉大な事物を啓示された。

「主の親しみは主をおそれる者のためにあり、主はその契約を彼らに知

らせられる」(詩篇 25:14 )。

 

この真理を理解し、その宣布に従事したのは、

博学な神学者たちではなかった。

もしも彼らが、祈りつつ勤勉に聖書を研究する

忠実な夜回りであったならば、夜の時刻を知ったことであろう。

預言は、まさに起ころうとしていたできごとを、

彼らに示したことであろう。

しかし彼らはそうでなかったために、

使命は、彼らより劣る人々によって伝えられた。

「光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい」

とイエスは言われた(ヨハネ 12:35)。

神から与えられた光に背をむけ、

手近にある光を求めない者は、暗黒のなかに残される。

しかし、「わたしに従って来る者は、

やみのうちを歩くことがなく、

命の光をもつであろう」と救い主は宣言された(ヨハネ 8:1 2 )。

ひたすら神のみこころを行おうと願い、

すでに与えられた光を熱心に心に留める者はだれでも、

もっと大きな光を受ける。

そのような魂には、天の光に輝く星が送られて、

すべての真理に彼を導くのである。

初臨と再臨

キリストの初臨の時、神の言葉を托されていた

聖都の祭司や学者たちは、時のしるしを見わけて約束された

お方の来臨を宣布することができたはずであった。

ミカの預言は、彼の誕生の地を指示していた。

ダニエルは、彼の来臨の時をはっきり示した

(ミカ 5:2、ダニエル 9:25参照)。

神はこうした預言を、ユダヤの指導者たちに托された。

彼らがメシヤの来臨が近づいたことを知らず、

人々に宣布しなかったことに対して、弁解はあり得ない。

彼らの無知は、罪深い怠慢の結果であった。

ユダヤ人は、殉教した神の預言者たちの記念碑を建てていたが、

その一方では地上の偉大な人物たちに

敬意を払うことによって

サタンのしもべたちに誉れを帰していた。

彼らは、世俗の地位と権力の争奪に心を奪われて、

天の王が彼らに与えようとされた栄誉を見失ってしまった。

 

人類の贖罪の完成のために

神のみ子が来られるという、

史上最大のできごとの場所、時、状況などを、

イスラエルの長老たちは心からの畏敬(いけい)の念をもって

研究していなければならないはずであった。

すべての人々は、世の贖罪主をまっ先に歓迎する者の中に入ろうと、

目をさまして待っているべきであった。

ところが、見よ、ベツレヘムでは、

ナザレの山地から来た

2人の疲れた旅人は、一夜の泊まる場所を求めて、

狭く長い通りを町の東のはずれまで歩いているが得られない。

彼らを迎えて開く戸はどこにもない。

彼らはついに、家畜を入れるみすぼらしい小屋に休み場を見つける。

そしてそこで、世の救い主がお生まれになる。

 

み子が、世界が造られる前から、父とともに持っておられた

栄光を見ていた天使たちは、彼が地上に現われるのをすべての人々が、

大きな喜びをもって迎えるであろうと、

非常な関心を持って期待していた。

天使たちは喜びの知らせを、それを受ける準備のできている者たちに、

そして喜んでそれを地の住民たちに知らせる者たちに

伝達するようにという任命を受けた。

キリストは、身を低くして人性をとられた。

彼がご自分の魂をとがの供え物となす時、

苦悩の無限の重荷を負われるのであった。

しかし天使たちは、至高者のみ子が、ご自分を低くされたとはいえ、

そのご品性にふさわしい威光と栄光とをもって

人々の前にお現われになるよう望んだ。

地上の偉大な人々が、イスラエルの首都に集まって、

彼のおいでを迎えるであろうか。

天使の大軍が、待ちうけている群衆に、彼を紹介するであろうか。

 

天使が、イエスを迎える準備のある者は

だれかを見るために、地を訪れる。

しかし、待ち受けている様子はどこにも見られない。

メシヤ到来の時が近づいたという

賛美と勝利の声は聞こえない。

天使は、しばらく、

選ばれた都の上に、そして、

長い間神の臨在があらわされていた神殿の上にとどまる。

しかし、ここにも同じ無関心さがある。

祭司たちは、虚飾と高慢に満ちて、

汚れた犠牲を神殿でささげている。

 

パリサイ人たちは、大声で人々を教えているか、

それとも、町角で高慢な祈りをささげているかである。

王宮も、哲学者の会合も、ラビの学校も、

みな全天を歓喜と賛美で満たしている驚くべき事実、

すなわち、人類の贖い主が今まさに

地上にあらわれようとしておられるということを、

知らずにいるのである。

ベツレヘムの物語の教訓

キリストに対する期待、

生命の君を迎える準備は、どこにも見られない。

驚いた天使は、

この恥ずべき報告をもって天に帰ろうとする。

とその時、夜羊の番をしながら星空を仰ぎ、

メシヤが地上に来られるという預言を瞑想し、

世界の贖い主の来臨を待望している、

羊飼いの一群を見つける。

ここに、天来の知らせを受ける

用意のできた一団がいるのである。

そこで、突然主の使いが現われて、

大いなる喜びの福音を宣言する。

天の栄光が平原に満ち、数えきれない天使たちがあらわれる。

あたかもこの喜びは、

ただ1人の天使が伝えるにはあまりにも大きすぎるかのように、

おおぜいの声が高らかに、

やがてすべての国々から贖われた者たちの歌う賛美の歌を歌う。

「いと高きところでは、神に栄光があるように、

地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」(ルカ 2:1 4 )。

 

このベツレヘムの驚くべき物語は、なんという教訓を教えていることであろう。それはなんとわれわれの不信、高慢、うぬぼれを譴責することであろう。それは、われわれもまた、恐るべき無関心に陥って、

時のしるしを見分けることができず、そのために神のおとずれの日を知らずに過ごすことがないように、注意するようにとわれわれに警告を与えている。

 

天使が、メシヤの来臨を

待望している人々を見つけたのは、

ユダヤの丘の卑しい羊飼いたちの中だけではなかった。

異教徒の国でも、彼を待っている人々があった。

彼らは、高貴で富裕な賢者、東方の哲学者であった。

この賢者たちは、自然の探究者であり、

神のみ手のわざの中に神を認めたのである。

 

ヘブルの聖書から、彼らは、ヤコブから星が現われることを学び、

「イスラエルの慰め」であるばかりでなく、

「異邦人を照す啓示の光」であり、「地の果までも救をもたらす」

おかたが来られるのを熱心に待望していた

(ルカ 2:25、32、使徒行伝 13:4 7 )。

彼らは光を求めていた。

そして、神のみ座からの光が彼らの歩く道を照らした。

真理の擁護者、また解説者として任じられた

エルサレムの祭司や教師たちが、暗黒に閉ざされていた時に、

天からの星はこれら異邦の旅人を、

新たにお生まれになった王の誕生地へと導いたのである。

教会の覚醒と、再臨を迎える準備

キリストが、「罪を負うためではなしに2度目に現われて、救を与え

られる」のは、「彼を待ち望んでいる人々に」である(ヘブル 9:2 8 )。

救い主の誕生の知らせと同様に、

キリストの再臨の知らせも、人々の宗教的指導者に托されなかった。

彼らは、神との接触を保つことをせず、天からの光を拒んでしまった。

それゆえに彼らは、

使徒パウロが描いた人々の中に入っていなかった。

「しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、

その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。

あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。

わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない」

(Ⅰテサロニケ 5:4 、5 )。

 

シオンの城壁の上の見張り人たちは、

救い主の来臨の知らせを最初に認め、

最初に声をあげてその近いことを宣言し、人々に、

その来臨のための準備をするよう最初に警告を発すべきであった。

しかし彼らは、安易な気持ちで平穏無事の夢をむさぼっていた。

そして人々は、罪のなかで眠っていた。

イエスは彼の教会が、葉ばかり数多く茂っているが、

貴い実のなっていない、実のない、

いちじくの木のような状態であるのを見られた。

宗教の形式は遵守してそれを誇っていたが、真の謙そん、

悔い改め、信仰の精神は欠けていた。

 

実はこれらだけが、神に喜ばれる礼拝であったのである。

聖霊の実の代わりに、高慢、

形式主義、虚栄、利己心、圧迫などがあらわれていた。

背信した教会は、

時のしるしに対して目を閉じてしまった。

神は、彼らを捨てたり、誠実を曲げたりなさらなかった。

しかし、彼らは神から離れ、神の愛から離反したのである。

彼らが条件に従うことを拒んだ時に、

神の約束は、彼らに果たされなかったのである。

 

神がお与えになる光と特権を、

感謝して受けて活用するようにしないならば、

必ずこのようになる。

教会が、すべての光を受け入れ、

啓示されるすべての義務を行って、

神の摂理の導きに従っていかないならば、

宗教は必ず形式化して、

堕落し、生きた敬神の精神は失われるのである。

このことは、教会の歴史において、くり返し起こった。

神は、受けた祝福と特権に

相応する信仰と服従の行為を、神の民に要求される。

服従は犠牲を要求し、十字架を伴っている。

多くの自称キリスト信者が、天からの光を受けることを拒み、

昔のユダヤ人のように、神のおとずれの時を知らなかったのは、

このためである(ルカ 19:44参照)。

彼らが高慢不信であったために、神は彼らを素通りして、

ベツレヘムの羊飼いや東方の賢者たちのように、

示されたすべての光に心を留めていた人々に、

神の真理をあらわされたのである。

 

第17章 注

1 Daniel T. Taylor, "Tue Reign of Christ on Earth: or, The Voice of the Church in

All Ages," p.33.

2 lbid., p.54.

3 lbid., pp.129-132.

4 lbid., pp.132-134.

5 lbid., pp.158, 134.

6 lbid., pp.158, 134.

7 lbid., pp.151, 145.

8 Richard Baxter "Works" vol.17, p.555.

9 lbid., vol.17, p.500.

1 0 lbid., vol.17, pp.182, 183.

1 1 Sir Charles Lyell, "Principles of Geology," p.495.

1 2 lbid., p.495.

1 3 "Encyclopedia Americana," art Lisbon,' note (ed. 1831).

1 4 R. M. Devens, "Our First Century," p.89.

1 5 "The Essex Antiquarian," April, 1899, vol.3, No.4, pp.53, 54.

1 6 William Gordon "History of the Rise, Progress, and Establishment of the

Independence of the U.S.A.," vol.3, p.57.

1 7 Isaiah Thomas, "Massachusetts Spy; or American Oracle of Liberty." vol.10,

No.472 (May 25, 1780).

18 Letter by Dr. Samuel Tenney, of Exeter, New Hampshire, December, 1785 (in

"Massachusetts Historical Society Collections," 1792, 1st Series, vol.1, p.97

【 第18章 最も重要な預言― ウイリアム・ミラーと再臨運動の開始 】

ウィリアム・ミラーの歩み

聖書の権威に疑惑を抱きながらも、

なお真理を知りたいと心から望んでいた、

高潔で誠実な一農夫が、

キリスト再臨の宣布において指導的な役割を果たすために、

神によって特に選ばれた。

他の多くの宗教改革者たちと同様に、

ウィリアム・ミラーは、年少のころから貧困と戦い、

勤勉と自制という大きな教訓を学んでいた。

彼の家族は、独立心、

自由を愛する精神、忍耐力、

そして熱烈な愛国心に燃えた人々であって、

彼もまた、こうした特質の人であった。

彼の父は、独立戦争当時の大尉で、

あの波乱に富んだ時代の

奮闘と苦難による犠牲が、

ミラーの少年時代を窮乏に陥れた。

 

 

ミラーはじょうぶな体の持ち主で、

幼少のころから非凡な知力を示した。

そしてそれは、彼が成長するにつれて、ますます顕著になった。

彼の知性は、

活発でよく発達し、知識を渇望していた。

彼は、大学教育を受けなかったけれども、

研究に対する愛着や、

注意深い思索と精密な批判の習慣は、

彼を健全な判断と理解力に富んだ人にした。

彼は、申しぶんのない道徳的品性の持ち主で、

評判もうらやましいほど良く、

誠実、倹約、慈悲深い心などが、人々から高く評価されていた。

彼は、勤勉努力の結果、早くから相当の財産を作ったが、

しかし相変わらず研究の習慣を持ちつづけた。

彼は、いろいろの政治的や軍事的職務について功績をあげ、

富と名誉への道が、彼の前に広く開けているように思われた。

 

彼の母は、真に敬虔(けいけん)な婦人で、

彼は幼少の時に、宗教的な感化を受けたのであった。

しかし早くから彼は、

理神論者の仲間に引き入れられた。

この人々は、概して善良な市民で、

人情味豊かで慈愛深い人々であったために、

その影響力はいっそう強かった。

彼らは、キリスト教的な制度のただ中で生活しており、

彼らの品性は、ある程度まで、そうした環境に影響されていた。

彼らが人々の尊敬と信頼をかち得たところの美点は、

聖書に負うところが多かった。

ところが彼らは、こうしたすぐれた賜物を悪用して、

神のみ言葉に敵対する感化力を及ぼしたのである。

ミラーは、こうした人々との交際によって、

彼らと同様の考えを持つようになった。

当時の聖書解釈は、難解で、

彼には、とうてい理解できないように思われた。

しかし、彼の新しい信仰は、聖書を放棄しながらも、

それに代わるさらによいものを与えなかったので、

彼にはなんの満足も得られないのであった。

それでも彼は、

こうした見解を約12年の間持ち続けた。

しかし、彼が34才の時、聖霊は、

彼が罪人であるということを彼の心に印象づけた。

彼は、従来の信仰によっては、

墓のかなたに幸福の確証を得ることができなかった。

未来は暗く陰惨であった。

後日、彼は、この時の感じを次のように言っている。

 

「絶滅とは、冷たく冷え冷えした思想であった。

そしてわれわれは、責任を問われて、みな死滅するのであった。

天は、頭上にある真ちゅうのようであり、

地は、足の下にある鉄のようであった。

永遠―それはなんであろうか?

そして死―なぜ死ぬのであろうか?

論理を進めれば進めるほど、わたしは論証から遠ざかってしまった。

考えれば考えるほど、結論が出なくなってしまった。

わたしは考えるのをやめようとした。

だが、思いは自由にならなかった。わたしはほんとうに悲惨であった。

しかし、その理由がわからなかった。わたしはつぶやき、不平を言った。

しかし、だれについて言っているのか知らなかった。

わたしは、悪が存在していることを知っていたが、

善をどこでどうして見いだすかを知らなかった。

わたしはもだえ苦しみ、なんの希望も持てなかった。」

暗黒から光明へ

彼は、こうした状態で数か月間過ごした。

そして、次のように言っている。

「突然、救い主の品性が、わたしの心に生き生きと印象づけられた。

恵みと憐れみの思いに満ち、ご自身でわれわれの罪を贖い、

罪の罰である苦難からわれわれを救って下さる方があるように思えた。

わたしはその時すぐに、そのような方は、

なんとうるわしい方であろうと考えた。

そしてわたしは、そのかたの腕に自分自身を投げかけ、

その憐れみに頼ることができると想像したのである。

しかし、果たして、そのような方がおられることを

証明することができるであろうか、という疑問が起こった。

そうした救い主、あるいは来世についても、聖書を除いては、

その存在の証拠を見いだすことはできなかった。・・・・

 

聖書は、ちょうどわたしが必要としているような

救い主を示していることがわかった。

堕落した世界の必要に、このように完全に適合した原則を

展開している書物が、霊感によらずに与えられるとは、

わたしにはどうしても考えられなかった。

わたしは、聖書が神の啓示に違いないと認めないわけにいかなかった。

聖書は、わたしの喜びとなった。

そして、わたしは、イエスという友を見いだした。

救い主は、わたしにとって、万人にぬきんでた方となられた。

そして、不可解で矛盾していると思われた聖書が、

今度は、わが足のともしび、わが道の光となったのである。

わたしの心は落ち着き、満たされた。

わたしは、主なる神が、

人生の大海のただ中にある岩であることがわかった。

今や聖書が、わたしの主要な研究書となった。

そしてわたしは、自分は大きな喜びをもってそれを研究したと、

心から言うことができる。

わたしは、その半分も知らされていなかったことがわかった。

わたしは、なぜその美と栄光とを、

以前には見ることができなかったのであろうかといぶかり、

それをどうして拒否することができたのであろうかと驚いた。

わたしは自分の心の願いがすべて啓示されているのを見いだし、

心のすべての病のいやしが備えられているのを見いだした。

わたしは、他の読書を全くしたくなくなり、

神から知恵をいただくことに心を集中した。」①

 

ミラーは、彼が軽べつしていた宗教に対する信仰を公に告白した。

しかし、彼の無信仰な友人たちは、

彼自身がしばしば聖書の権威に対して抱いた

あらゆる議論を吹きかけてくるのに、後れをとらなかった。

その時彼は、それらに答えることができなかったが、

しかし、聖書が神の啓示であるならば、

そこに矛盾はないはずであると考えた。

また、聖書は人を教えるために与えられたものであるから、

人間の理解にふさわしいものであるに違いないと考えた。

彼は、自分で聖書を研究して、

一見矛盾と思われるものを調和させることができないか、

確かめようと決心した。

 

彼は、すべての先入観を捨てようと努め、

注解書を用いないで、

欄外の引照とコンコーダンス(用語索引)を参考にして、

聖句と聖句とを比較した。

彼は、規則正しく組織的に研究を続けた。

まず創世記から、

1節ずつ読んでいき、数節の意味が、

なんの疑念もなくはっきり理解されるまでは

先に進まなかった。

何か不明瞭(ふめいりょう)なところがあると、

彼は、その問題点に関係があると思われる

他の聖句を全部比較してみるのであった。

すべての言葉は、その聖句の主題に対して適正な意味を持つものとし、

もし彼の見解が、すべての関連した聖句と一致するならば、

それで問題は解決するのであった。

こうして彼は、

理解することが困難な聖句に当面すると、

聖書の他のところにその説明を見いだした。

彼が神の光を求めて、

熱心に祈りつつ研究していった時に、

これまで不可解と思われていたところが明らかにされた。

彼は、詩篇記者の次の言葉が真実であることを経験した。

「み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます」

(詩篇 119:130)。

ダニエル書と黙示録の研究

彼は、非常な興味をもって、

他の聖句の解釈と同様の原則を用いつつダニエル書と黙示録を研究し、

預言的象徴が理解できることを発見して大いに喜んだ。

彼は、その時までの預言が、文字どおりに成就したことを知った。

また、さまざまの比喩(ひゆ)、隠喩、たとえ、類似などは、

みな、その前後関係で説明されるか、

それとも、そこで表現された言葉が他の聖句によって

定義づけられているかであることを知った。

そして、このように説明された時、

それは文字どおりに理解すべきであった。

「こうしてわたしは、聖書が、啓示された真理の体系であって、

道を行く者が、たとえ愚かであっても、迷う必要がないほど、

明らかに単純に与えられているのに満足した」

と彼は言っている。②

預言の大筋を1歩1歩たどっていった時に、

真理の鎖が1つずつ明らかにされて、

彼の努力は報いられた。

天使が彼の心を導き、聖書を彼に理解させた。

 

過去において成就した預言を規準にして、

将来に関する預言を判断するならば、

キリストの霊的支配―すなわち、

世界の終末に先だつこの世の千年期―という一般の見解は、

神のみ言葉の支持を得ていないことを知って、彼は納得がいった。

主がみずから再臨されるに先だって

義と平和の千年期があるというこの教義は、

神の日の恐怖をはるか先へと延期するものであった。

しかし、どんなに耳ざわりの良いものであっても、

それは、収穫すなわち世界の終末まで、

麦と毒麦とはともに生長するという

キリストと使徒たちの教えに、

相反するのである。

「悪人と詐欺師とは、・・・・悪から悪へと落ちていく。」

「終わりの時には、苦難の時代が来る。」

そして、暗黒の王国は主の再臨まで継続し、

主の口の息によって焼きつくされ、

来臨の輝きによって滅ぼされる

(マタイ 13:30、38-41、Ⅱテモテ 3:13、1、Ⅱテサロニケ 2:8)。

 

全世界が改心しキリストの霊的支配が来るという教義は、

使徒時代の教会が支持したものではなかった。

それは、18世紀の初期になって初めて、

一般キリスト教会が受け入れたものであった。

他のすべての誤りと同様に、その結果は有害なものであった。

それは人々に、主の再臨をはるか遠い将来のことに思わせ、

主が近づいておられることを告げるしるしに

人々が注意することを妨げた。

それは、根拠のない自信と安心感を与え、

主に会うために必要な準備を怠らせたのである。

再臨信仰へ

ミラーは、キリストご自身が文字どおりに来られることが、

聖書に明らかに教えられていることを発見した。

パウロは、次のように言っている。

「主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、

合図の声で、天から下ってこられる」(Ⅰテサロニケ 4:16)。

「そして力と大いなる栄光とをもって、

人の子が天の雲に乗って来るのを、

人々は見るであろう。」

「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、

人の子も現れるであろう」と救い主は言われた(マタイ 24:30、27)。

彼には、天の全軍が従ってくるのである。

「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来る」

(マタイ 25:3 1 )。

「また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、・・・・

四方からその選民を呼び集めるであろう」(マタイ 24:31)。

 

キリストの再臨の時に、死んだ義人はよみがえらされ、

生きている義人は変えられる。

パウロは次のように言っている。

「わたしたちすべては、眠り続けるのではない。

終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。

というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、

わたしたちは変えられるのである。

なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、

この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである」

(Ⅰコリント 15:51-53)。

また彼は、テサロニケ人への手紙の中で、

主の再臨を描写したあとで次のように言っている。

「その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、

それから生き残っているわたしたちが、

彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、

こうして、いつも主と共にいるであろう」(Ⅰテサロニケ 4:16、17)。

 

キリストがご自身で来られるまでは、

神の民はみ国を受けることができないのである。

救い主は言われた。

「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、

彼はその栄光の座につくであろう。

そして、すべての国民をその前に集めて、

羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、

羊を右に、やぎを左におくであろう。

そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、

『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めから

あなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい』」

(マタイ 25:31-34)。

今ここに引用した聖句によって、人の子が来る時に、

死者はよみがえらせられて朽ちないものとなり、

生きている者は変えられるということをわれわれは知った。

この大変化によって、彼らはみ国を受ける準備ができるのである。

パウロは次のように言っている。

「肉と血とは神の国を継ぐことができないし、

朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない」(Ⅰコリント 15:50)。

人間の現在の状態は、死ぬべきものであり、朽ちるものである。

しかし、神の国は、朽ちず、永遠に続くものである。

それゆえに人間は、現在の状態のままでは、

神のみ国に入ることはできない。

しかし、イエスが来られる時に、彼はご自分の民に不死をお与えになる。

そして、これまではただ相続人でしかなかった彼らに、

み国を継ぐようにと言われるのである。

年代に関する預言の解釈

以上の聖句と他の聖句によって、

キリスト再臨前に起こると

一般に期待されていた世界的な平和の治世、

地上における神の国の樹立といったことは、

再臨に続いて起こるものであることが、

ミラーの心に明らかになった。

さらに、すべての時のしるしと世界の状態は、

最後の時代についての預言的描写と一致していた。

彼は、聖書だけの研究によって、

地球が現在の状態のままで継続するように定められた期間は、

まさに終わろうとしているという結論に達せざるをえなかった。

 

ミラーは、次のように言っている。

「もう1 つ真にわたしの心に感動を与えた証拠は、

聖書の年代であった。・・・・過去において成就した預言のできごとは、

しばしば定められた期間内に成就したということを、

わたしは見いだした。洪水までには、120年(創世記 6:3)。

洪水に先だつ7日間、

そして、預言された雨が40日間(同 7:4)。

アブラハムの子孫の400年の寄留(同 15:13)。

給仕役の長と料理役の艮の夢のなかの3日(同40:12-20)。

パロの夢の7 年(同 41:28-54)。

荒野の4 0 年 (民数記 14:4 3 )、

3年半のききん (列王紀上 17 : 1 )〔ルカ 4:25参照〕、・・・・

70年の捕囚(エレミヤ25:11)、

ネブカデネザルの7つの時(ダニエル 4:13-16)、

ユダヤ人のために定められた

7 週と6 2 週と1 週から成る7 0 週( 同9:24-27)。

―時に区切られたできごとは、

みな、かつては預言に過ぎなかったが、

その預言どおりに成就したのである。」③

 

そこで彼は、聖書の研究において、さまざまの年代的期間が、

彼の理解によればキリストの再臨にまで及ぶものであることを

発見した時、それらは「その時代に先だって」

神がそのしもべたちにあらわされたものであると

考えないわけにいかなかった。

「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。

しかし表わされたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属し、」

とモーセは言っている。

また、主は、預言者アモスによって、主は、

「そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、

何事をもなされない」と言われた(申命記 29:29、アモス 2:7)。

したがって、神のみ言葉の研究者は、人類歴史における

最も重大な事件が、真理のみ言葉の中に明示されていることを、

確信をもって期待することができるのである。

 

ミラーは次のように言っている。「わたしは、

聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたものであって・・・・

有益であること(Ⅱテモテ 3:16)、

また、預言は決して人間の意志から出たものではなく、

人々が聖霊に感じ、

神によって書いたものであること(Ⅱペテロ 1:21)、そして、

それは『すべてわたしたちの教のために書かれたのであって、

それは聖書の与える忍耐と慰めとによって、

望みをいだかせるためである』(ローマ 15:4)ことを

十分に確信したので、聖書の年代的部分も、聖書の他の部分と同様に、

神の言葉の一部であり、

まじめに研究すべきものであると考えざるをえなかった。

そこで、わたしは、

神が慈悲深くもわれわれに表そうとされたことを

理解しようと努めるにあたっては、

預言の期間を見過ごしてはならないと感じた。」④

「2300の朝夕」の預言

キリストの再臨の時を最も明らかに示していると思われる預言は、

ダニエル 8:14の「2300の夕と朝の間である。

そして聖所は清められてその正しい状態に復する」

という預言であった。

ミラーは、聖書を聖書自身の注解書とするという彼の規則に従って、

象徴的預言においては、1日が1年を表わすことを知った

(民数記 14:34、エゼキエル4:6)。

彼は、預言の2300日は字義的には2300年であって、

ユダヤ時代の終結する時をはるかに越えているから、

その時代の聖所を指すものではないということを悟った。

ミラーは、キリスト教時代においては、

地上が聖所であるという一般の見解を受け入れた。

そこで彼は、ダニエル 8:14に預言されている聖所の清めとは、

キリストの再臨の時に、

地上が火で清められることであると理解した。

したがって、2300日の正確な起算点を発見することができれば、

キリスト再臨の時は容易に確かめることができると、彼は結論した。

こうして、大いなる終結の時、

すなわち現在の状態が

「そのあらゆる高慢と権力、華麗と虚飾、罪悪と圧迫とともに終わり、」

のろいが「地から除かれ、死が滅ぼされ、神のしもべたち、

預言者や聖徒たち、また、

神の名を恐れる者たちに報いが与えられ、

地を滅ぼすものが、滅ぼされる」時が、

明らかにされるのであった。⑤

 

ミラーは、新たな、そしていっそうの熱心さをもって、

預言の研究を続け、今や驚嘆すべき重要性と

尽きない興味にあふれていると思われる問題の研究に、

日夜没頭した。

彼は、2300日の起算点の手がかりを、

ダニエル 8:には見つけることができなかった。

天使ガブリエルは、幻をダニエルに理解させるように

命令されてはいたが、彼に、部分的説明しか与えていなかった。

教会にふりかかる恐ろしい迫害が、預言者の幻に展開された時に、

ダニエルは体力が衰えてしまった。

彼は、もう耐えられなくなり、天使は、しばらく彼を離れた。

ダニエルは、「疲れはてて、数日の間病みわずらった。」

「しかし、わたしはこの幻の事を思って驚いた。

またこれを悟ることができなかった。」

 

しかし神は、「この幻をその人に悟らせよ」

と天使に命じておられた。

この命令は遂行されねばならなかった。

天使は、それに従って、しばらくたった時に、

ダニエルのところにもどって、

「わたしは今あなたに、知恵と悟りを与えるためにきました。」

「ゆえに、このみ言葉を考えて、この幻を悟りなさい」

と言った(ダニエル 8:27、16、9:2 2 、23、24―27)。

8章の幻のなかで、

重要な点が1つ説明されていなかった。

それは、時、すなわち2300日の期間に関するものであった。

それゆえに天使は、再び説明を始めるにあたって、

主に時の問題に関して述べた。

 

預言的期間の起算点

「あなたの民と、あなたの聖なる町については、

70週が定められています。・・・・

それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、

メシヤなるひとりの君が来るまで、7週と62週あることを知り、

かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、

エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。

その62週の後にメシヤは断たれるでしょう。

ただし自分のためにではありません。・・・・

彼は1週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。

そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。」

 

天使は、ダニエルが8 :の幻のなかで理解しなかった点、

すなわち、「2300の夕と朝の間である。

そして聖所は清められてその正しい状態に復する」という、

時に関する言葉を説明するという目的のために、

特につかわされたのであった。

「このみ言葉を考えて、この幻を悟りなさい」と命じたあとで、

天使が最初に語った言葉は、「あなたの民と、

あなたの聖なる町については、70週が定められています」

ということであった。

ここで「定められています」と訳された言葉は、

字義的には、「切り取る」という意味である。

70週、すなわち490年は、

特にユダヤ人のために切り取られていると天使は宣言した。

しかし、それは、何から切り取られたのであろうか。

2300日がダニエル 8:において述べられている

唯一の期間であるから、70週が切り取られたのは、

それからに違いない。

したがって70週は、2300日の一部であり、

この2つの期間は、同時に始まるものでなければならない。

70週は、エルサレムを建て直せという

命令が出た時から始まると、

天使は言明した。

この命令の年代を発見することができるなら、

2300日という長い期間の起算点も

確かめることができる。

 

この命令は、エズラ記の7 章にしるされている( 1 2― 26 参照)。

それは紀元前457年に、ペルシャ王アルタシャスタによって、

最も完全な形で発布された。

しかしエズラ 6:14には、エルサレムにある主の家が、

「クロス、ダリヨスおよびペルシャ王アルタシャスタの命によって」

建てられたと言われている。

勅令を発し、確認し、完成したこれら3 人の王によって、

預言が2300年の起算点として

要求していることが成し遂げられた。

勅令が完全なものとされた

紀元前457年を出発点として、

70週に関する預言は

すべて成就されたことがわかった。

 

預言の成就

「エルサレムを建て直せという命令が出てから、

メシヤなるひとりの君が来るまで、

7週と62週ある」

―すなわち、69週、つまり483年ある。

アルタシャスタ王の勅令は、

紀元前457年の秋に実施された。

その時から483年がたつと、紀元27年の秋になる(付録参照)。

その時、この預言は成就した。

「メシヤ」とは、「油を注がれた者」という意味である。

キリストは、紀元27年の秋、

ヨハネからバプテスマを受け、聖霊の油を注がれた。

使徒ペテロは、「神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました」

とあかししている(使徒行伝 10:38)。

そして、主ご自身も、「主の御霊がわたしに宿っている。

貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別して

くださったからである」と宣言された(ルカ 4:18)。

彼は、バプテスマの後、ガリラヤに行き、

「神の福音を宣べ伝えて言われた、

『時は満ちた』」(マルコ 1:14、15)。

 

「彼は1週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。」

ここで言われている「1週」は、70週の最後の週のことである。

それは、ユダヤ人のために特に定められた期間の

最後の7年である。

紀元2 7 年から34年に及ぶこの期間内に、

最初はキリストご自身によって、

そしてその後は彼の弟子たちによって、

福音の招きが特にユダヤ人たちに与えられたのである。

使徒たちが、天国の喜ばしい福音を宣べ伝えるために出て行った時に、

救い主は「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。

むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け」

とお命じになった(マタイ 10:5、6)。

 

「彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう」

紀元31年、われわれの救い主は、

そのバプテスマから3年半の後に十字架にかかられた。

カルバリーにおいてささげられた大いなる犠牲によって、

4000年の間神の小羊を指し示してきた犠牲制度は終わった。

型は実体と出会い、

儀式的な制度のあらゆる犠牲と供え物は、

そこで終わるのであった。

 

ユダヤ人のために特に定められた70週、すなわち490年は、

これまで見てきたように、紀元34年で終わった。

ユダヤ国民は、その時、サンヒドリンの決議によって、

ステパノを殉教させ、

そしてキリストの弟子たちを迫害することにより、

福音の拒否を決定的なものにしてしまった。

それ以後、救いのメッセージは、

もはや選民に限られることなく、全世界に伝えられた。

迫害のためにエルサレムを逃げなければならなくなった弟子たちは、

「御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた。」

「ピリポはサマリヤの町に下って行き、

人々にキリストを宣べはじめた。」ペテロは、神に導かれて、

カイザリヤの百卒長、神を敬うコルネリオに福音を伝えた。

また、キリストに対する信仰へと導かれた熱心なパウロは、

「遠く異邦の民へ」福音を伝える任命を受けた(使徒行伝 8:4、5、22:21)。

 

ここまで、預言に指示されたことはみな、驚くばかりに成就した。

そして70週が紀元前457年に始まり、

紀元34年に終わることが、疑いの余地なく確定した。

この年代から2300日の終わりを見いだすことは、

難しいことではない。70週、すなわち490日が

2300日から切り取られると、

あとに1810日が残る。

490日が終わったあとで、

1810日もまた成就するはずであった。

紀元34年から1810年たてば、

1844年になる。

この大いなる預言の期間が終わったところで、

「聖所は清められる」と神の天使はあかししたのである。

こうして、聖所の清め

―それはキリストの再臨の時に起こるものと、

ほとんどすべての人が信じていた―

の時が、はっきりと指示された。

驚くべき結論

ミラーとその仲間たちは、初め、1844年の春に

2300日が終わると信じたが、

預言では同年の秋になっていた。

この点についての思い違いは、

主の再臨の時として早いほうの時期を定めていた人々に、

失望と困惑をもたらした。

しかしこれは、

2300日が1844年に終わって、

その時聖所の清めということで表されている大事件が起こる、

という議論の確かさについては、なんの影響もなかった。

 

ミラーは、聖書が神の啓示であることを証明するために、

聖書の研究を始めたのであって、

最初、このような結論に到達することは、

全く予期していなかった。

彼自身、自分の研究の結果を信じることができないほどであった。

しかし、聖書の証拠は、非常に明白で力強いものであったので、

無視することができなかった。

 

彼は、2年間、聖書の研究に没頭していたが、

1818年に、あと約25年でキリストが

神の民を贖うために出現される、という厳粛な確信を抱いた。

ミラーは、次のように言っている。

「このような喜ばしいできごとを前にしたわたしの心の喜び、

また贖われた者の喜びに自分もあずかりたいという

わたしの心の熱望については、語る必要がないであろう。

聖書は、わたしにとって新しい書物となった。

聖書は、実にすばらしい論理的な書物であった。

その教えの中で、私にとってわかりにくく、

神秘的であいまいであったものが、

今やそのページから輝く明らかな光によって、

みな消えうせてしまった。

そして、ああ、なんと明るく輝かしく、真理はあらわれたことであろう。

わたしが前にみ言葉の中に見いだした矛盾と不調和は消え去った。

そして、十分に理解したとは思わないところも数多くったが、

しかしそれでも、聖書から多くの光が出て、

かつては暗かったわたしの心を照らしたので、

わたしは今まで想像することもできなかった喜びを、

聖書の研究から感じたのであった。」⑥

 

「このような重大な事件に関する預言が聖書に記され、

それが、短期間のうちに成就するという厳粛な確信を抱いた時、

大きな力でわたしに迫った問題は、

わたし自身の心を動かした証拠を前にして、

わたしが世界に対して負っている義務に関するものであった。」⑦

彼は、受けた光は他の人々に伝えなければならないと

感じずにはおれなかった。

彼は、不信仰な人々の反対を受けることは予期したが、しかしすべてのクリスチャンは、自分たちが愛すると公言している救い主に会うという希望を、喜ぶに違いないと彼は確信した。

彼が恐れたただ1つのことは、多くの人々が、

輝かしい救済がこんなに早く完成されることを喜ぶのあまり、

真理の表明に際し、十分に聖書を調べもせずに

教理を受け入れるのではないかということであった。

そこで彼は、自分が誤りに陥り、他の人々をも誤らせはしないかと

恐れて、他の人々に伝えることをためらった。

こうして彼は、

到達した結論を支持する証拠をもう1度検討し、

彼の心に浮かぶあらゆる反対意見を注意深く吟味した。

ちょうど太陽の光に照らされる霧のように、

反対意見は、神の言葉の光に照らされて消えるのであった。

こうして5年間が経過し、彼は、

自分の見解の正確さについて十分な確信を抱いた。

伝道への召し

そして今や、聖書に明らかに教えられていると彼が信じたことを、

他の人々に伝えなければならないという義務が、

新たな力をもって彼に迫った。

彼は次のように言った。

「わたしが自分の仕事をしようとすると、

『行って、世界にその危険を告げよ』という声が、

常にわたしの耳にひびいた。わたしは、いつも次の聖句を思い出した。

『わたしが悪人に向かって、悪人よ、あなたは必ず死ぬと言う時、

あなたが悪人を戒めて、その道から離れさせるように語らなかったら、

悪人は自分の罪によって死ぬ。

しかしわたしはその血を、あなたの手に求める。

しかしあなたが悪人に、その道を離れるように戒めても、

その悪人がその道を離れないなら、彼は自分の罪によって死ぬ。

しかしあなたの命は救われる』(エゼキエル 33:8、9)。

悪しき人々に対して十分に警告を発するならば、

多くの者は悔い改めるだろう、そして、もし警告しないならば、

彼らの血がわたしの手に求められるだろう、とわたしは感じた。」⑧

 

彼は、だれか牧師がその趣旨を認めて、

宣教のために献身するように祈りながら、

機会を見ては、彼の見解を個人的に語り始めた。

しかし、自分で警告を発する義務があるという確信を、

払いのけることはできなかった。

「行って、それを世界に語れ。わたしは、彼らの血をあなたの手に求める」

という言葉が、彼の心にくり返し響いた。

9年間彼は待った。

彼の心の重荷はなおも彼に迫り、ついに1831年、

彼は初めて公に自分の信仰を説明した。

 

エリシャが、畑で牛を前に行かせて耕していたときに、

外套(がいとう)をかけられて、預言者の職に召されたように、

ウィリアム・ミラーは、鋤(すき)を捨てて、

神の国の奥義を人々に説き明かすように召された。

彼は、震えおののきながら、彼の働きを始め、

聴衆に預言の期間を1歩1歩説明し、

キリストの再臨にまで及んだ。

彼は、自分の語った言葉が広く人々の興味をひき起こしたのを見て、

努力するごとに、力と勇気が与えられた。

 

ミラーは、兄弟たちの勧誘を神の声と認めて、

ついに公衆の前で彼の見解を発表することに同意した。

彼はその時50才で、

公衆の前で話すことに慣れておらず、

自分がそうした働きに不適任であることを感じて悩んだ。

しかし、彼の働きは、

最初から驚くべき祝福を受けて、人々を救いに導いた。

彼の最初の講演の結果、信仰の覚醒が起こり、

2人を除いて、13家族の全員が悔い改めたのである。

彼はすぐに、

他の場所でも話すように頼まれた。

そしてそのほとんどの所で、彼の働きの結果、

神のみわざが再びあらわれた。

罪人は悔い改め、キリスト者は献身を新たにし、

理神論者や無神論者は、

聖書の真理とキリスト教の信仰を認めるように導かれた。

彼の働きに接した人々は、次のように証言した。

「彼は、他の人々では影響を及ぼすことができないような

人々の心をも動かした。」⑨

彼の説教は、一般の人々の心を、

宗教の大いなる事柄に目覚めさせ、

当時の俗化と堕落を阻止するものであった。

再臨のメッセージに対する反響

ほとんどの都市で、何十人という人々が彼の説教の結果悔い改め、

あるところでは、何百人もの者が悔い改めた。

多くの所で、プロテスタント諸教会の

ほとんどすべての教派が彼に扉を開き、

いくつもの教派の牧師たちから

説教の招待が来るのが普通であった。

彼は、招かれたところでだけ働くことにしていたが、

まもなく、続々と来る招待の半分にも

応じきれなくなった。

再臨の正確な時期に関する彼の見解に同意しない人々も、

キリストの再臨が確実なことであって、しかも切迫していること、

そして自分たちの準備が必要なことについては、

納得したものが多かった。

大都市のいくつかにおいて、彼の働きは著しい影響を及ぼした。

酒類の販売業者が商売をやめて、店を集会所にした。

賭博場(とばくじょう)が廃止された。

無神論者、理神論者、普遍救済論者たち、

また、最も身持ちの悪い道楽者までが改心し、

その中には、長年教会に来ていなかった者たちもいた。

種々の教派が各地において、

ほとんど毎時間祈祷会を持ち、

実業家たちは正午に、祈りと賛美のために集まった。

といっても別に、狂気じみた興奮などはなく、

人々の心にあったのは厳粛な思いであった。

彼の働きは、初期の宗教改革者たちの働きのように、

単に感情を動かすのではなくて

理解力に訴えて良心を目ざめさせるものであった。

 

ミラーは、1833年、

彼の属していたバプテスト教会から、

説教をする許可証を受けた。

彼の教派の多数の牧師も彼の働きを承認し、

彼が働きを継続することを正式に認めたのである。

彼は、その個人的活動は主として

ニュー・イングランド地方と中部諸州に限られていたが、

絶えず旅行しては説教した。

数年間は、彼は費用を全部自弁していた。

また後になっても、

招かれた所への旅費を決して十分には受けなかった。

こうして、彼の公の活動は、

金銭上の恩恵を受けることからは程遠く、

彼の財産に重い負担となり、

彼の生涯のこの時期にしだいに減少した。

彼は大家族の父であったが、

彼らはみな質素で勤勉であったので、

彼の農園は、彼と彼らを十分支えることができたのである。

落星―1833年11月13日

ミラーが、

キリストが間もなく来られるという

証拠を公に語り始めてから2年後の1833年に、

再臨のしるしとして救い主が約束された最後のしるしが現われた。

イエスは、「星は空から落ち」ると言われた(マタイ 24:29)。

ヨハネも黙示録の中で、

神の日の到来を告げる光景を幻に見て、

「天の星は、いちじくのまだ青い実が

大風に揺られて振り落されるように、

地に落ちた」と言った(黙示録 6:13)。

この預言は、1833年11月13日の大流星雨によって、

顕著にまた印象的に成就した。

これは、有史以来の最も広範囲に及ぶ驚くべき落星の光景であった。

「その時、全米の空全体が、

数時間にわたって燦然(さんぜん)と輝いた。

これは、この国に最初の植民地が設けられて以来、

起こったことのない天体の異変であった。

そして、ある人々は

熱烈な賛美をもって見る一方、

他の者たちは非常な恐れと不安をもって見ていた。」

「その崇高で荘厳な美しさは、

今なお多くの人々の心から消えない。・・・・

雨も及ばないような激しさで、流星が地に降った。

東も西も、北も南もどこも同じであった。

1言で言えば、

全天が活動しているように見えた。・・・・

シリマン教授の雑誌の記事によると、

この現象は、北米全土で見られた。

・・・・1時から夜明けまで、空は1片の雲もなく快晴であって、

絶え間ない流星のまばゆい光が、全天を照らしていた。」⑩

 

「実に、その壮麗な光景は言葉で描写することができない。・・・・

それを見なかった者は、その輝かしい光景がどんなものであったかが、

ほんとうにはわからない。

それは、ちょうど、

星が全部天頂近くの1点に集まって、

稲光りの早さで、同時に四方八方に降るように見えた。

それでも星は尽きなかった―幾千の星が、

この時のために創造されたかのように、

幾千の星にすぐ続いて降った。」⑪

「いちじくの実が大風に揺られて

振り落とされるという描写以上に

適切な表現はなかった。」⑫

 

1833年11月14日付ニューヨーク「商業新聞」には、

このふしぎな現象についての長文の記事が載ったが、

そこには次のようなことが書いてあった。

「昨朝のようなできごとは、どんな哲学者や学者も、

語ったこともなければ記録したこともなかったであろう。

もしわれわれが、

星が落ちるということを流星と解釈するならば、

1800年前の預言者が、それを正確に預言したのである・・・・

これ以外の言葉では表現できないような言い方で。」

 

こうして、イエスが弟子たちに言われた

再臨に関する最後のしるしが、あらわされた。

「そのように、すべてこれらのことを見たならば、

人の子が戸口まで近づいていると知りなさい」(マタイ 24:33)。

これらのしるしのあとで、ヨハネは、

天は巻き物が巻かれるように消えていき、地は震い、

山と島とはその場所から移され、悪人は恐れて人の子の前から

逃げるという、その次の大事件を見た(黙示録 6:12―17参照)。

 

落星を見た人々の多くは、

これを、来たるべき審判の先ぶれ、

「あの恐るべき大いなる日の型、確実な前兆、憐れみのしるし」

であるとみなした。⑬

こうして、人々の注目は、

預言の成就にむけられ、

多くの者が再臨の警告に注意を払うようになった。

オスマン帝国の没落

1 8 4 0 年に、預言のもう1 つの顕著な成就があって、

広く一般の人々の興味をひき起こした。

その2年前に、再臨を説く有力な牧師の1人、

ジョサイア・リッチは、黙示録 9:の解説を発行し、

オスマン(オットマン)帝国の滅亡を預言した。

彼の計算によるならば、同帝国は、

「紀元1840年8月中に」倒されるのであった。

そして、その預言が成就するほんの数日前に、

彼は次のように書いた。

「最初の期間である150年が、トルコの承認のもとに、

デアコゼスが即位する前に正確に成就したとするならば、

最初の期間終了とともに始まった391年15日という期間は、

1840年8月11日に終了する。

その時に、コンスタンチノープルにある

オスマンの権力は失墜すると思われる。

そしてこのことは、必ずそうなるものと私は信じる。」⑭

 

定められたまさにその時に、

トルコは、大使を通じて、

ヨーロッパの同盟諸国の保護を受けることを承諾し、

かくて自らをキリスト教諸国家の支配下においた。

この事件は、預言を正確に成就するものであった(付録参照)。

このことが人々に知れわたると、

多数の者が、ミラーとその同労者たちが採用している

預言解釈の原則の正確さを確信し、

再臨運動が一段と促進されることになった。

学識や地位のある人々がミラーに協力し、

彼の見解の講演や著述に加わったので、

1840年から1844年まで、働きは急速に進展した。

一般教会の反対

ウィリアム・ミラーは、思索と研究によって

訓練された強固な精神力を持っていた。

さらに彼は、知恵の源である神と結合することによって、

天の知恵をも兼ね備えていた。

高潔な品性、道徳的卓越などの評価においては、

彼は、人々の尊敬と敬意を集めずにはおかぬりっぱな人物であった。

彼は、キリスト者の謙そんと自制力とともに、

真に親切な心の持ち主であって、だれに対しても思いやりを持ち、

優しくて、喜んで他の人々の意見に耳を傾け、

彼らの議論を十分に検討した。

彼は感情に走ったり興奮したりせずに、

すべての説や教義を神のみ言葉によって試した。

そして彼は、その健全な推理力と聖書の深い知識とによって

誤りに反論し、虚偽を摘発することができた。

 

それにもかかわらず、彼は彼の働きを、

激しい反対を受けずに遂行することはできなかった。

初期の宗教改革者の場合のように、彼が伝えた真理は、

一般の宗教家たちに歓迎されなかった。

彼らは、聖書によって自分たちの立場を支持することができないので、

人間の教義や先祖たちの言い伝えに頼らなければならなかった。

しかし、再臨の真理の説教者たちが受け入れた唯一のあかしは、

神の言葉であった。

彼らの標語は、「聖書、そして、ただ聖書のみ」であった。

反対者たちは、聖書の根拠がないので、

嘲(ちょう)笑と軽べつの態度に出た。

再臨を伝える人々を中傷するために、時間と資力と才能が用いられた。

しかし、彼らの唯一の違反行為というのは、彼らが、

主の再臨を喜びをもって待望し、清い生活を送り、

主の出現に対する準備をするよう人々に勧めているという、

そのことであったのである。

 

人々の心を再臨の問題から

他にそらせようとする努力が熱心に行われた。

キリストの再臨と世界の終末に関する預言を研究することは罪で、

何かはずかしいことでもあるかのように扱われた。

こうして一般の牧師は、神のみ言葉に対する信仰を掘り崩した。

彼らの教えは、人々を無神論者にし、

多くの者は、彼ら自身の不信仰な欲情のままに、

ほしいままな生活をした。

そうしておいて、悪の張本人たちは、

それをみな再臨信徒のせいにしたのである。

 

知的で熱心な多数の聴衆を引きつけていたにもかかわらず、

ミラーの名は、あざけりや非難の的になる以外には、

宗教新聞で触れられることはほとんどなかった。

宗教の教師たちのとった態度に勢いづいた、

軽薄で不信仰な人々は、無礼なあだ名や、

下品で不敬な悪口を言い、

彼と彼の働きに侮辱を加えようとした。

安楽な家庭を離れて、都市から都市、

町から町へと自費で旅をし、

切迫する審判の厳粛な警告を世界に伝えるために絶えず労している

白髪のミラーは、狂信者、

うそつき、山師と言われて嘲笑された。

 

彼に浴びせられた嘲笑、虚言、悪口には、

世俗の新聞すら憤慨して抗議するに至った。

「このように圧倒的な荘重さと恐るべき結果を伴う問題」を

軽々しくののしることは、

「ただ単に、それを宣布し擁護する者の心を

愚弄(ぐろう)するばかりでなくて、審判の日をあざ笑い、

神ご自身を嘲笑し、神の審判廷の恐るべきことを軽べつするのである」

と世の人々が言うほどであった。⑮

ミラーの奮闘

あらゆる悪の煽動者サタンは、

再臨使命の影響を無に帰そうとしたばかりでなくて、

使命者自身の生命を取ろうとした。

ミラーは、聖書の真理を彼の聴衆の心に実際にあてはめて訴え、

彼らの罪を責め、彼らの自己満足を打ち破った。

そして、彼の明白で鋭い言葉は、人々の敵意を引き起こした。

教会員が彼の使命に反対するのを見て、低俗な人々は、

より大胆な行動へと進んだ。

そして、敵たちは、彼が集会場を出ようとする時に彼を殺そうと謀った。

しかし、天使たちが群衆の中にいた。

そして、人間の姿をした1人の天使が、

主のしもべの腕をとって、

怒った群衆の中を安全に連れ出した。

彼の働きは、まだ終わっていなかった。

そしてサタンとサタンの使者たちは、

その目的を達することができなかった。

 

あらゆる迫害にもかかわらず、

再臨運動に対する関心は高まっていった。

最初は、数十、

数百であった会衆が、幾千にも増していった。

種々の教会に多くの信者が加えられたが、

しばらくすると、

こうした改心者に対してさえ反対の精神があらわされ、

教会は、ミラーの見解を信じる者に対して、

懲罰処置をとるようになった。

こうした事態が起こったために、ミラーは、

あらゆる宗派のキリスト者に対する訴えを書き、

もし彼の教義が誤りであるならば、

その誤りを聖書によって示してもらいたいと言った。

 

「われわれの信仰と行為の規準、いや、唯一の規準であると

あなたがたが認めている神の言葉が、

信じよと命じていないどんなものを、われわれは信じたであろうか。

われわれ〔アドベンチスト(再臨信徒)〕は、説教壇からの、

または印刷物によるこのような悪意に満ちた非難を受け、

また教会の交わりから除外されねばならぬような、

どんなことをしたのであろうか。」

「もしわれわれがまちがっているならば、

何がまちがいであるかを示していただきたい。

われわれの誤りを、神の言葉から示していただきたい。

われわれはもう十分あざけりを受けた。

あざけりは、われわれがまちがっていたことを納得させ得ない。

われわれの見解を変えるのは、神の言葉だけである。

われわれの結論は、聖書の証拠に基づいて、

慎重な吟味と祈りによって達したものなのである。」⑯

使命宣布と嘲笑(ちょうしょう)非難

どの時代にあっても、神がそのしもべによって

世界に伝えられた警告は、

疑いと不信をもって迎えられた。

洪水前の人々の罪悪のゆえに、

地が洪水で滅ぼされることになった時、

神は、まず彼らに悪の道を離れる機会を与えるために、

ご自分の意図をお告げになった。

神の怒りによって彼らが滅ぼされないように、

120年の間、

悔い改めの警告が彼らの耳に発せられた。

しかし、彼らはその警告を、

たわごとと考えて信じなかった。

彼らは、大胆に罪悪にふけり、神の使者を嘲笑し、

その嘆願を軽んじ、

彼を僣越(せんえつ)であるとさえ非難した。

ただ1人の人間が、

地のすべての偉大な人物たちに対抗して立ちはだかるのか?

もしノアの言うことが真実であれば、

なぜ全世界がそれを認めて信じないのか?

数千人の知恵に対抗する、1人の人間の主張!

彼らは、警告を信じようとせず、

箱舟の中に避難しようとしなかったのである。

 

あざける者たちは、自然の事物―相も変わらぬ季節の推移、

雨を降らせたことのない青空、

柔らかな夜の露に生気をとりもどした緑の野―を指さして、

「彼はたとえ話を語っているのではないか?」と叫んだ。

彼らは、義の宣伝者を軽べつして、無謀な熱狂家と呼んだ。

そして彼らは、これまで以上に快楽の追求に走り、

悪の道に進んでいった。

しかし、彼らの不信は、

予告されたできごとが起こるのを妨げはしなかった。

神は、彼らの悪を長く忍ばれ、

彼らに悔い改めの機会を十分にお与えになった。

しかし、定められた時が来た時に、

神の憐れみを拒んだ者に神の刑罰が下ったのである。

 

キリストは、再臨に関しても

同様の不信があらわされるであろうと言われた。

ノアの時代の人々が、「洪水が襲ってきて、

いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった」ように、

「人の子の現れるのも、」そのようであろうと

救い主は言われた(マタイ 24:39)。

神の民と称する人々が、世と結合し、世の人々のように生活し、

禁じられた快楽を彼らとともにしている時、

世俗のぜいたくが教会のぜいたくとなり、結婚の鐘が鳴りひびき、

すべての者が、世俗の繁栄が長年にわたって続くと思っている

その時に、突然、いなずまが天からきらめくように、

彼らの輝かしい幻とむなしい望みとは、消えさるのである。

 

神は、洪水が来ることを世界に警告するために

しもべを送られたように、最後の審判の切迫を知らせるために、

使者を選んでつかわされた。

そして、ノアの時代の人々が、義の宣伝者の予告を

軽べつしてあざ笑ったように、ミラーの時代においても、

多くの者が、いや神の民と称する人々でさえ、

彼の警告の言葉をあざ笑ったのである。

真理は人を分ける

では、なぜ教会は、キリスト再臨の教義と説教を、

このように歓迎しなかったのであろうか。

主の再臨は、悪人に災いと滅びをもたらすが、

義人にとっては喜びと希望に満ちている。

この大真理は、各時代にわたって、神の忠実な者たちの慰めであった。

それがなぜ、ユダヤ人たちにとってのイエスと同様に、

神の民と称する人々にとって

「つまずきの石、さまたげの岩」となったのであろうか。

「行って、場所の用意ができたならば、またきて、

あなたがたをわたしのところに迎えよう」と弟子たちに

約束されたのは、主ご自身であった(ヨハネ 14;3)。

弟子たちの寂しさと悲しさを思って、天使たちに、

自分は天に昇っていったのと同じありさまでまた来るという

保証を与えて彼らを慰めるよう命じられたのは、

憐れみ深い救い主であった。

弟子たちが、愛する主の最後の姿を見ようとして、

天をみつめて立っていると、

「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。

あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、

天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、

またおいでになるであろう」

という言葉に注意をひかれた(使徒行伝 1:11)。

弟子たちは、天使の言葉によって、新たな希望を抱いた。

彼らは、「非常な喜びをもってエルサレムに帰り、絶えず宮にいて、

神をほめたたえていた」(ルカ 24:52、53)。

彼らが喜んだのは、イエスが彼らを去り、

残された彼らが世の試練や誘惑と

戦わねばならなくなったからではなくて、

天使が彼らに、主はまた来られるという保証を与えたからであった。

 

今日、キリスト再臨の布告は、

天使たちがベツレヘムの羊飼いたちに告げた時のように、

大きな喜びの知らせでなければならない。

救い主を真に愛する人々は、

聖書に基づいた告知を、

喜びをもって叫ばないではおられない。

永遠の生命という彼らの希望の中心であられる主が、

初臨の時のように嘲笑され、

侮辱され、拒否されるためではなくて、

力と栄光のうちに神の民を贖うために、また来られるのである。

救い主を遠ざけておこうと望む者は、彼を愛さない人々である。

この天からの使命にいらだちを感じ、悪意を抱くことほど、

教会が神から離反したことの決定的証拠はないのである。

 

再臨の教義を受け入れたものは、

神の前に悔い改めてへりくだることの必要を自覚した。

キリストと世との間をためらっていたものが多くいたが、

今こそ決心すべき時であると感じた。

「彼らには、永遠に関することが、

これまでになく現実のものとなった。

天は近くなり、神の前に自分たちの罪深さを感じた。」⑰

キリスト者は、新しい霊的生命に活気づいた。

彼らは、時が短いことを感じ、同胞のためになすべきことは、

速やかにしなければならないと感じた。

地は、退いていき、永遠が彼らの前に

開かれるように思われた。

そして、魂とその永遠の運命にかかわるすべてのことが、

地上のすべてのものの光をあせさせるように感じられた。

神の霊が彼らに宿り、罪人に対すると同様に同信者たちに対しても、

神の日の準備をするように熱心に訴える力を与えた。

彼らの日ごとの生活の無言のあかしは、

形式的で献身していない教会員に対する絶えざる譴責(けんせき)であった。

この人々は、自分たちの快楽の追求、

金もうけへの熱意、

世俗の栄誉欲などが妨げられるのを望まなかった。

そのために、再臨の信仰とそれを宣布する者に対して、

敵意と反対が起こったのであった。

預言書研究の重要性

反対者たちは、預言の期間に関する議論には

とうてい打ち勝てないので、

預言は封じられたものであると教えることによって、

この問題の研究を妨げようとした。

こうしてプロテスタントも、カトリック教会がしたのと

同じことをしたのである。ローマ・カトリック教会は、

人々に聖書を読むことを禁じたが(付録参照)、プロテスタント教会は、聖書の重要な部分―それも、われわれの時代に特に適用される真理を示している部分―を、理解することができないと主張したのである。

 

牧師と信徒とは、ダニエル書と黙示録の預言は、

不可解な神秘であると言った。

しかし、キリストは、ご自分の弟子たちの時代に起こるできごとに

関する預言者ダニエルの言葉を示して、

「(読者よ、悟れ)」と言われた(マタイ 24:15)。

また、黙示録が神秘であって理解できないという主張は、

この書の表題そのものと矛盾している。

「イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、

すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、・・・・

この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、

その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。

時が近づいているからである」(黙示録 1:1-3)。

 

預言者は言う、

「朗読する者はさいわいである。」

読もうとしない者もあるであろうが、

そうした人々には祝福は与えられない。

「これを聞いて。」預言のことは何1つ聞こうとしない人々もいる。

この人々も祝福を受けることができない。

「その中に書かれていることを守る者たち。」

黙示録に記されている警告や教えに注意しようとしない者が多い。

このような人々は、約束された祝福を受けることができない。

預言の諸問題をあざ笑い、

そこに厳粛に示された象徴を潮笑する者、

また、生活を改めて人の子の再臨の準備をすることを拒む者は、

みな祝福を受けることができない。

 

このような聖書の証言がある以上、

黙示録は人間の理解を超えた神秘なものであるなどと、

どうして教えることができよう。

それは啓示された神秘であり、開かれた書である。

黙示録の研究は、

ダニエル書の預言に心を向けさせる。

この両書は、世界歴史の終末に起きる諸事件について、

神からの最も重大な教えを与えている。

 

ヨハネは、教会が経ていくさまざまの

興味深い場面を見せられた。

彼は、神の民の立場、

危険、争闘、そして最後の救済を見た。

彼は、地の収穫を実らせる最後の使命を記録している。

人々は天の倉に収められる穀物になるか、

それとも、滅びの火で焼かれる束になるかである。

非常に重大な問題が彼に示された。

それは、特に最後の教会に対するものであって、

誤りを捨てて真理を信じる者に、

彼らが出会う危険と闘いに関して教えるためのものであった。

地上に起ころうとしている事件について、

だれも無知である必要はないのである。

 

それでは、一般の人々はなぜ、聖書の重要な部分に対して、

このように無知なのであろうか。

なぜ、人々は一般にその教えを研究するのをいやがるのであろうか。

それは、暗黒の君が、自分の欺瞞を暴露するものを、

人々から隠そうとする巧妙な策略の結果である。

そのために、啓示者であられるキリストは、

黙示録の研究に対する戦いを予見して、

預言の言葉を読み、聞き、

守るすべての者に、祝福を宣言されたのであった。

 

 

第18章 注

①S. Bliss, "Memoirs of Wm. Miller," pp. 65-67.

②Bliss, p.70.

③Ibid., pp.74, 75.

④Ibid., p.75.

⑤Ibid., p.76

⑥Ibid., pp.76, 77

⑦Ibid.,p.81

⑧Ibid.,p92

⑨Ibid.,p.138

⑩R. M. Devense, "American Progress; or, The Great Events of the Greatest Century."

ch.28, pars,1-5.

⑪F. Reed, in the "Christian Advocate and Journal," Dec. 13, 1833.

⑫"The Old Countryman," in Portland "Evening Advertiser,"Nov. 26, 1833.

⑬Ibid.

⑭Josiah Litch, in "Signs of the Times, and Expositor of Prophecy," Aug. 1, 1840

⑮Bliss, p.183

⑯Ibid., pp.250, 252

⑰Ibid., p.146.

【 第19章 暗黒を照らす真理の光 】

神の導き

時代にわたって、地上で行われる神の働きには、

どの大改革や宗教運動を見ても、

著しい共通性がある。

神が人間を扱われる原則は、常に同じである。

現代の重要な運動は、

過去の運動と類似しており、昔の教会の経験は、

われわれの時代に対して大きな価値のある教訓を与えている。

 

救いの働きを前進させる大運動において、

神が聖霊を送って地上にいる

ご自分のしもべたちを特に指導されるということほど、

聖書の中で明白に教えられている真理はほかにない。

人間は、神の恵みと憐れみの御目的を遂行するために用いられる、

神のみ手の中の器である。

おのおのに、その果たすべき役割がある。

おのおのに、神が彼に与えられた

働きを成し遂げるのに十分な、

そしてその時代の必要に応じた光が与えられる。

しかし、どんなに天の栄誉を受けたものでも、

贖罪の大計画を知り尽くし、

彼の時代に対する働きにおける

神のみ心を全部悟った人はなかった。

人間は、神が彼らにお与えになる働きによって

何を遂行しようとしておられるか、

十分に理解することはできない。

彼らは、神のみ名によって語る使命をことごとく理解するのではない。

 

「あなたは神の深い事を窮めることができるか。

全能者の限界を窮めることができるか。」

「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、

わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。

天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、

わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。」

「わたしは神である、わたしと等しい者はない。

わたしは終りの事を初めから告げ、

まだなされない事を昔から告げて言う」

(ヨブ 11:7、イザヤ 55:8、9、46:9、10)。

 

聖霊の特別の光に浴した預言者たちでさえ、

自分たちにゆだねられた啓示の意味を、完全に理解してはいなかった。

その意味は、神の民が、

そこに含まれている教えを必要とするにしたがって、

代々にわたって示されるのであった。

 

 ペテロは、福音によって明らかにされた救いについて、

次のように書いた。

「この救については、あなたがたに対する恵みのことを預言した

預言者たちも、たずね求め、かつ、つぎに調べた。

彼らは、自分たちのうちにいますキリストの霊が、

キリストの苦難とそれに続く栄光とを、

あらかじめあかしした時、それはいつの時、

どんな場合をさしたのかを、調べたのである。

そして、それらについて調べたのは自分たちのためではなくて、

あなたが、たのための奉仕であることを示された」

(Ⅰ ペテロ1:10―12)。

 

預言者たちは、自分たちに啓示されたことを

十分に理解できなかったけれども、

神が彼らにあらわすことをよしとされた光は

みな把握しようと熱心に求めた。

彼らは、「たずね求め、かつ、つぶさに調べた。」

「自分たちのうちにいますキリストの霊が・・・・

いつの時、どんな場合をさしたのかを、調べたのである。」

こうした預言が神のしもべたちに与えられたのは、

新約時代のキリスト者のためであるとは、

神の民にとって、なんという教訓であろう。

「自分たちのためではなくて、

あなたがたのための奉仕であることを示された。」

まだ生まれてもいない後世の人々に与えられた啓示を、

これら神の聖者たちが

「たずね求め、かつ、つぶさに調べた」ことに注目しよう。

彼らの聖なる熱心さと、後世の恵まれた人々が

この天の贈り物を扱う無気力な冷淡さとを、比較してみよう。

これは、預言は理解できないものであると言って満足しているような、

安楽を愛し世俗を愛する無関心さに対しての、

なんという譴責(けんせき)であろうか。

弟子たちの経験

人間の有限な心は、無限の神のご計画を十分に悟ったり、

そのみ心の働きを完全に理解したりはできないけれども、

しかし神のメッセージをほんのわずかしか理解できないのは、

彼らの側の誤りや怠慢のゆえであるという場合も、

よくあるのである。

一般の人々、そして神のしもべたちでさえ、

人間の意見、人間の伝説や偽りの教えに目がくらんで、

神がみ言葉の中に啓示された大事実のほんの一部しか把握できない

場合がよくある。

救い主がこの地上におられたときの弟子たちでさえ、

そうであった。

彼らは、メシヤはイスラエルを

世界的王国とするこの世の王であるという

一般の思想に染まっていたために、

彼の苦難と死に関する預言の意味を

理解することができなかった。

 

彼らは、キリストご自身から、

「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」

との使命を帯びてつかわされた(マルコ 1:15)。

この使命は、ダニエル 9:の預言に基づいていた。

「メシヤなるひとりの君」が来るまで、

69週あると天使は言った。

そこで、弟子たちは、大きな希望と喜ばしい期待をもって、

全世界を支配するメシヤの王国が

エルサレムに建設されるのを待望した。

 

彼らは、キリストからゆだねられた

使命を宣べ伝えたのであるが、

彼ら自身その意味を誤って理解していた。

彼らの宣言は、ダニエル 9:25に基づいていたが、

彼らは、同じ章の次の聖句に、

メシヤは断たれるとあるのを見なかった。

彼らは、生まれた時から、地上王国の栄光を

待望するようにしつけられていたので、預言の明細な点も、

キリストの言葉も、理解できなかったのである。

彼らは、ユダヤの国民に恵みの招待を発して、彼らの義務を遂行した。

 

そして、主がダビデの王位につかれると

彼らが思ったその時に、

彼が罪人として捕えられ、

むち打たれ、あざけられ、罪に定められ、

カルバリーの十字架につけられるのを

彼らは見た。

主が墓の中で眠っておられる間、弟子たちは、

どんなに失望し、苦悩したことであろう。

 

キリストは、預言されたとおりの時に、

預言されたとおりの様子で、おいでになったのであった。

聖書の証言は、

彼の伝道の細かい点まで成就した。

彼は、救いの使命をお伝えになった。

そして、「その言葉に権威があった。」

聴衆は、

それが神からのものであることを証言した。

み言葉も、聖霊も、

み子が神の任命を受けていることをあかしした。

 

弟子たちは、彼らの愛する主を、

なお敬愛してやまなかった。

しかし、彼らの心は、不安と疑惑に閉ざされていた。

彼らは、その苦悩のなかで、

キリストが苦難と死について予告された言葉を思い出さなかった。

もし、ナザレのイエスが真のメシヤであったならば、

自分たちはこうした悲しみと失望に陥ったであろうか?

救い主が墓に横たわっておられた、

彼の死と復活の間の

あの安息日の絶望的な時間の間、

弟子たちはこの疑問に心を苦しめられていた。

 

イエスの弟子たちは、悲しみの夜に閉ざされてはいたが、

捨てられてはいなかった。預言者は言っている。

「たといわたしが暗やみの中にすわるとも、

主はわが光となられる。・・・・

主はわたしを光に導き出してくださる。

わたしは主の正義を見るであろう。」

「あなたには、やみも暗くはなく、夜も昼のように輝きます。

あなたには、やみも光も異なることはありません。」

神は次のように言われた。

「光は正しい者のために暗黒の中にもあらわれる。」

「わたしは目しいを彼らのまだ知らない大路に行かせ、

まだ知らない道に導き、暗きをその前に光とし、

高低のある所を平らにする。

わたしはこれらの事をおこなって彼らを捨てない」

(ミカ 7:8、9、詩篇 139:12、112:4、イザヤ 42:16)。

恵みの王国と栄光の王国

弟子たちが主の名によって宣べ伝えたものは、

すべての点において正確で、それが指し示すできごとは、

その当時でさえ起こりつつあった。

「時は満ちた、神の国は近づいた」というのが、

彼らのメッセージであった。

「時」―メシヤすなわち「油注がれた者」にまでおよぶ、

ダニエル 9:の69週―の終了にあたって、

キリストは、ヨルダン川でバプテスマのヨハネから

バプテスマを受けられた後、聖霊の油をお受けになった。

そして、彼らが「近づいた」と宣言した「神の国」は、

キリストの死によって建設された。

この王国は、彼らが信じるように教えられて

いた地上の帝国ではなかった。

また、「国と主権と全天下の国々の権威とは、

いと高き者の聖徒たる民に与えられる」時に建設される、

将来の不滅の王国、

「諸国の者はみな彼らに仕え、かつ従う」

永遠の王国でもなかった

(ダニエル 7:27)。

聖書でよく用いられている「神の国」という表現は、

恵みの王国と栄光の王国の

両方を指すのに用いられている。

 

恵みの王国は、パウロによって、

ヘブル人への手紙の中で述べられている。

キリストが、「わたしたちの弱さを思いやる」ことのできる

情け深い仲保者であることを指摘したあとで、

使徒は、「だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵み・・・・

を受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか」

と言っている(ヘブル 4:15、16)。

恵みのみ座は、恵みの王国を代表している。

なぜならばみ座の存在することは、

王国の存在を意味しているからである。

キリストは、多くのたとえのなかで、

人の心に働く神の恵みの活動を指すのに、

「天国」という表現を用いられた。

 

そのように、栄光のみ座は、栄光の王国を指すのである。

救い主は、この王国について次のように言われた。

「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、

彼はその栄光の座につくであろう。

そして、すべての国民をその前に集め」る

(マタイ 25:31、32)。

この王国は、まだ将来のものである。

それは、キリストの再臨の時まで建設されない。

 

恵みの王国は、人類の堕落後直ちに、

罪を犯した人類の贖罪の計画がたてられた時に、設立された。

それは、その時、神のみ心のうちに、

そして神のお約束のもとに存在していた。

そして、信仰によって、人々はその国民となることができた。

しかしそれは、キリストが亡なくなられるまでは、

実際に築かれなかった。

救い主は、地上の伝道開始後においても、

人類の強情さと忘恩にうみ疲れて、

カルバリーの犠牲を避けることも可能であった。

ゲッセマネにおいて、苦悶(くもん)の杯は、彼の手の中で震えた。

彼は、その時でも、額から血の汗をぬぐって、罪深い人類を、

その罪悪のうちに滅びるままにしておくことがおできになった。

もし彼がそうなさったならば、

堕落した人類の贖罪はあり得なかったのである。

しかし、救い主が、その生命をささげ、

「すべてが終った」と叫んで息を引き取られた時、

贖罪の計画の完成が確保された。

エデンにおいて、罪を犯した2人に対してなされた

救いの約束は、批准された。これまで神の約束によって存在していた恵みの王国が、この時、設立されたのである。

 

こうして、キリストの死、すなわち、

弟子たちの希望を最終的に打ち砕いたと思われた事件そのものが、

それを永遠に確かなものとした。

それは、彼らにとって悲痛な失望ではあったが、

彼らの信仰が正しかったという証明のクライマックスであった。

彼らを悲嘆と失望に陥れた事件は、

アダムのすべての子孫に希望の扉を開くものであり、

あらゆる時代の、神のすべての忠実な民に、

来世と永遠の幸福をもたらす中心事件であった。

必要な試練

弟子たちは失望に陥ったけれども、

神の無限の慈悲深いみ心は、成就しつつあった。

彼らの心は、「これまでだれも語ったことがないように語った」

彼の教えの恵みと力に捕えられていながらも、

イエスに対する彼らの純粋な愛に、

世俗的誇りや利己的野心がいり混じっていた。

彼らの主が、まさにゲッセマネの陰に入ろうとしておられた厳粛な時、

過越(すぎこし)の食事のための2階の広間においてさえ、

「自分たちの中でだれがいちばん偉いだろうかと言って、

争論が彼らの間に、起った」(ルカ 22:24)。

彼らのすぐ前には、ゲッセマネの園の恥辱と苦悩、審判廷、

カルバリーの十字架が待っていたのに、

彼らの目は、王座と冠と栄光だけを見ていた。

彼らが当時の偽りの教えに固執して、

彼の国の真の性質を示し、

彼の苦難と死を予告する救い主の言葉に注意を払わなかったのは、

彼らの心が高慢で、

世俗の栄誉を渇望していたからであった。

こうした誤りの結果、厳しいがしかし必要な試練がやってきた。

それは彼らを正すために、起こることを許された。

弟子たちは、彼らのメッセージの意味を取り違え、

期待したものを実現することはできなかったが、

しかしそれでも、神から与えられた警告を伝えたのであって、

主は、彼らの信仰に報い、彼らの服従に栄誉を与えられるのであった。

彼らには、復活の主の輝かしい福音を

全世界に伝える働きが託されるのであった。

彼らにはあまりに苛酷(かこく)と思われるような経験が許されたのは、

この働きに彼らを備えさせるためであった。

 

復活後、イエスは、エマオ途上の弟子たちに現われ、

「モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、

ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた」

(ルカ24:27)。

弟子たちの心は感動した。

信仰が燃えた。

イエスがご自分を彼らに現される前から、

彼らは、「新たに生れさせ」られ、「生ける望みをいだかせ」られた。

彼らの理解を明らかにし、「確実な預言の言葉」の上に

信仰を確立させることが、イエスの目的であった。

彼は、真理が、単にそれが彼ご自身のあかしによって

裏付けられたからだけでなく、型としての律法の象徴と影、

そして旧約の預言によって提示されたところの、

疑う余地のない証拠のゆえに、

彼らの心にしっかりと根をおろすよう望まれた。

キリストの弟子たちは、自分たちのためばかりでなく、

キリストに関する知識を世界に伝えるためにも、

正しい理解に基づいた信仰を持たねばならなかった。

イエスは、この知識を分け与える第1歩として、

「モーセやすべての預言者」を弟子たちに示された。

旧約聖書の価値と重要性について、

復活の救い主がお与えになったのは、このような証言であった。

絶望から喜びへ

弟子たちが、彼らの主の愛に満ちたお顔をもう1度見た時に、

彼らの心には、どんな変化が起こったことであろう

( ル力 24:32参照)。

彼らは、これまでにない完全な意味において、

「モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人」

を見つけたのである。

不安、苦悩、絶望が、完全な確信と曇りのない信仰にかわった。

主の昇天後、彼らは

「絶えず宮にいて、神をほめたたえていた」とは、

なんと驚くべきことであろう。

救い主の不面目な死しか知らなかった人々は、

弟子たちの顔に悲しみと

困惑と敗北の色を見ると思った。

しかし、そこには喜びと勝利があふれていた。

この弟子たちは、その前途に横たわる働きをなすために、

なんという準備を受けたことであろうか。

彼らは、経験し得る最も深刻な試練を越えて、

人間的見地からは全く敗北と思われた時に、

神のみ言葉が勝利のうちに

成し遂げられたのを見たのである。

とすれば、いったい何が彼らの信仰をくじき、

彼らの熱烈な愛を冷やすことができたであろうか。

最も激しい悲しみのなかで、彼らは「力強い励まし」を受け、

「たましいを安全にし不動にする錨」である

望みを持つことができた(ヘブル 8:18、19)。

彼らは、神の知恵と力とを目撃した。

そして彼らは、「死も生も、天使も支配者も、

現在のものも将来のものも、

力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、

わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、

わたしたちを引き離すこと」ができないことを確信した。

彼らは、「これらすべての事において勝ち得て余りがある」

と言った(ローマ 8:38、39、37)。

「主の言葉は、とこしえに残る」(Ⅰペテロ 1:24)。

「だれが、わたしたちを罪に定めるのか。

キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、

神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである」

(ローマ 8:34)。

 

「わが民は永遠にはずかしめられることがない」

と主は言われる(ヨエル 2:26)。

「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る」

(詩篇 30:5)。

これらの弟子たちは、復活の朝、救い主に会い、

み言葉を聞いて心が内に燃えた時、

また、自分たちのために傷つけられた頭と手と足を見た時、

また、イエスが昇天に先立って、彼らをベタニヤまで連れ出され、

手を天にあげて彼らを祝福し、

「全世界に出て行って・・・・福音を宣べ伝えよ」と命じられ、

「見よ、わたしは・・・・いつもあなたがたと共にいるのである」

と付け加えられた時(マルコ 16:15、マタイ 28:20)、

そして、ペンテコステの日に、約束された助け主がくだって

上からの力が授けられ、信ずる者たちの魂が、

昇天された主のご臨在を感じて震えた時―その時彼らは、

たとえ彼らの道が、主の道のように犠牲殉教の道であっても、

彼らが最初に弟子になったころ望んでいたような

地上の王国の栄光よりは、

主の恵みの福音の伝道に携わって、

主の再臨の時に「義の冠」を受けることの方を、

選ばなかったであろうか。

「わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、

はるかに越えてかなえて下さることができるかた」が、

その苦難にあずからせてくださるとともに、

彼の喜び、すなわち、

「多くの子らを栄光に導く」喜び、言葉に表わせない喜び、

「永遠の重い栄光」にあずからせてくださる。

それ「に比べると」、「このしばらくの軽い患難は」「言うに足りない」と、

パウロは言うのである。

再臨信徒と聖所問題

キリストの初臨の時に、

「天国の福音」を宣べ伝えた弟子たちの経験は、

彼の再臨の使命を宣言した人々の経験と

よく似ていた。

弟子たちが出て行って、「時は満ちた、神の国は近づいた」

と宣べ伝えたように、ミラーと彼の仲間は、

聖書に示されている最長にして最後の預言的期間がまさに

終了しようとしていること、

そして、審判の日が近づき、

永遠の王国が始まろうとしていることを宣言した。

時に関する弟子たちの宣教は、

ダニエル 9:の70週に基づいていた。

ミラーと彼の仲間が伝えた使命は、

70週を含んだダニエル 8:14の

2300日の終結を告げるものであった。

おのおのが伝えたことは、

同じ大預言期間の異なった部分の成就に基づくものであった。

 

ウィリアム・ミラーと彼の仲間は、初期の弟子たちと同様に、

自分たちが伝えているメッセージの意味を、

十分に理解してはいなかった。

長い間、教会内で確立されてきた誤りのために、

彼らは預言の重大な部分を

正しく解釈することができなかった。

したがって、彼らは、世界に伝えるために

神からゆだねられた使命を宣言したけれども、

その意味を取り違えて、

失望を味わうに至った。

 

ミラーは、ダニエル 8: 14の

「2300 の夕と朝の間である。

そして聖所は清められてその正しい状態に復する」

という言葉を解釈する際、すでに述べたように、

地上が聖所であるという一般の見解を採用し、

聖所の清めとは、

主の再臨の時に地上が火で清められることであると信じた。

したがって、2300日の終結が明確に

預言されているのを見いだした時、

これは再臨の時を示しているものであると結論を下した。

彼の誤りは、聖所とは何かということに関する

一般の見解を受け入れたためであった。

 

キリストの犠牲と祭司職の影であった、

型としての制度において、

聖所の清めは、年ごとの奉仕において

大祭司が行う最後の務めであった。

それは、贖罪の最後の働き、すなわち、

イスラエルから罪を取り除くことであった。

それは、天の記録に記されている神の民の罪を除く、

あるいは消し去るという、

天の大祭司の奉仕における最後の働きを予表していた。

この務めには、調査の働き、

審判の働きが含まれていた。

そして、それは、キリストが力と

大きな栄光のうちに天の雲に乗って来られる直前に起こる。

なぜならば、彼が来られる時には、

すべての人の運命は決定しているからである。

イエスは、「報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう」

と言われる(黙示録 22:12)。

黙示録 14:7の「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。

神のさばきの時がきたからである」

という第一天使の使命の宣言は、

再臨直前のこの審判の働きを言ったものである。

試練を乗り越えて

この警告を宣言した人々は、

正しい時に正しい使命を伝えたのである。

しかし、初期の弟子たちが、ダニエル 9:の預言に基づいて

「時は満ちた、神の国は近づいた」と宣言したが、

その同じ聖句の中にメシヤの死が預言されているのを

理解することができなかったように、

ミラーと彼の仲間も、

ダニエル 8:14と黙示録 15:7に基づいた使命を伝えながら、

主の再臨前に伝えなければならない他の使命が、

まだ黙示録14:に示されているのを悟ることができなかった。

弟子たちが、70週の終わりに建設される王国について

誤ったように、再臨信徒たちは、

2300日の終結に起こる

できごとについて誤っていたのである。

両方とも、一般の誤りを信じ、

あるいはそれに固執したことが、

真理に対して心を盲目にした。

両者とも、神が伝えることを望まれた

使命を布告して神のみ心を行ったが、

その使命を誤って解釈して、

失望を味わった。

 

しかし、神は、審判の警告を

そのまま伝えることをお許しになって、

ご自分の恵み深い御目的を果たされた。

大いなる日が近づいていた。

そして神は摂理のうちに、

人々に彼らの心の状態を示すために、

特定の時に関する試験をお与えになった。

使命は、教会を試し、清めるためのものであった。

彼らは、彼らの愛着がこの世にあるのか、

それともキリストと天にあるのかを、

悟らせられるのであった。

彼らは救い主を愛すると言っていた。

その愛を、今、証明しなければならなかった。

彼らは、快く世俗の希望と野心を捨てて、

主の再臨を歓迎したであろうか。

この使命は、彼らの真の霊的状態を彼らに認めさせるためであった。

それは、彼らが悔い改めて謙そんに主を求めるようになるために、

恵みのうちに与えられたのであった。

 

失望は、彼らが伝えた使命を

彼ら自身誤って解釈したことの

結果であったが、

しかしそれもまた、

良いように変えられた。

それは、警告を信じると言った人々の心を試すものとなった。

失望に陥った時に、彼らは、無分別に自分たちの経験を放棄し、

神の言葉に対する確信を捨てるであろうか。

それとも祈りと謙そんな心をもって、預言のどういう点が理解できていなかったかを知ろうと努めるであろうか。

どれくらい多くの者が、

恐怖や衝動や興奮にかられて行動していたことであろうか。

どれくらい多くの者が、

どっちつかずで半信半疑であったことだろうか。

主の出現を喜ぶといった者は、非常に多かった。

世の嘲笑と非難を受け、

遅延と失望の試練に会う時に、

彼らは、信仰を捨てるであろうか。

彼らは、神が彼らを扱われる方法が、

すぐに理解できないからといって、

神の言葉の明白な証言に支持された真理を捨ててしまうであろうか。

 

この試練は、真の信仰をもって、

み言葉と神の霊の教えであると信じている事柄に従っていた人々の、

その強さを明らかにするのであった。

聖書を聖書自身の注解者とせずに、

人間の説や解釈を信じることの危険が、

この経験によって、初めて教えられるのであった。

信仰の子供たちにとって、彼らの誤りからくる困惑と悲嘆は、

必要な矯正(きょうせい)を行うのであった。

彼らは、預言の言葉の、いっそう厳密な研究へと導かれるのであった。

彼らは、自分たちの信仰の基礎をもっと注意深く調べ、

一般に広くキリスト教界において受け入れられたものであっても、

真理の聖書に基礎をおかないものは、

みな拒否するように教えられるのであった。

 

こうした信者たちに、最初の弟子たちの場合と同様に、

試練の時には理解できなかったことが、

後に明らかにされるのであった。

彼らが、「主が彼になさったことの結末」を見る時、

彼らは、誤りの結果試練を受けたとはいえ、神の彼らに対する愛の御目的は着実に成就していたことを知るのであった。

彼らは、神が「いかに慈愛とあわれみとに富」んでおられるかということ、そして「主のすべての道はその契約とあかしとを守る者には

いつくしみであり、まことである」ということを、

尊い体験によって学ぶのであった。

 

 

【 第20章 19世紀の世界的再臨運動 】

世界的な大運動

キリストの再臨が間近いという宣言のもとに、

宗教的大覚醒運動が起こることが、

黙示録 14:の第一天使の使命の預言の中に予告されている。

「もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。

彼は地に住む者、すなわち、

あらゆる国民、部族、

国語、民族に宣べ伝えるために、

永遠の福音をたずさえてきて、大声で言った、

『神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。

天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め』」(同 14:6、7)。

 

この警告が、天使によって

宣布されるといわれていることは、意義深い。

神、天使の純潔と栄光と力とによって、

この使命の果たす働きの高尚な性質と、

それに付随した力と栄光とを

象徴することをよしとされた。

天使が、「中空を飛び、」

「地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に」

宣布するために、

「大声」で言ったということは、

この運動が急速で世界的範囲のものであることを証明している。

 

この運動がいつ起こるものであるかについては、

メッセージ自体が明らかにしている。

それは、「永遠の福音」の一部であると宣言されている。

そして、審判の開始を告知している。

救いのメッセージは、各時代において宣べ伝えられてきた。

しかし、このメッセージは、

終末時代においてのみ

宣布される福音の一部分である。

というのは、その時において初めて、

さばきの時が来たということができるからである。

預言は、審判が始まるまでに相次いで起こる種々の事件を示している。

特にダニエル書がそうである。

しかし、ダニエルは、最後の時代に関する預言を、

「終りの時まで」秘し、封じておくように命じられた。

この時が来るまで、これらの預言の成就に基づいて

審判に関するメッセージを宣布することはできなかった。

しかし、終わりの時に、

「多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう」

と預言者は言っている(ダニエル12:4)。

 

使徒パウロは、彼の時代にキリストが来られると

期待しないようにと、教会に警告した。

「まず背教のことが起り、

不法の者・・・・が現れるにちがいない」

と彼は言っている(Ⅱテサロニケ 2:3)。

大背教が起こり、

「不法の者」の長い支配期間の終わったあとで、

初めてわれわれは、主の再臨を期待することができる。

「不法の秘密の力」「滅びの子」

とも言われている「不法の者」とは、

1260年の間、

至上権をふるうと預言された法王権のことである。

この期間は、1798年に終結した。

キリストの再臨は、この時より前には起こり得ないのであった。

パウロは、1798年までに及ぶキリスト教時代全体を、

彼の警告の中に含ませている。

キリスト再臨のメッセージが宣布されるのは、

その時以後になるのである。

 

過去において、このようなメッセージは伝えられたことがない。

すでに触れたように、

パウロもそのことを宣布しなかった。

彼は主の来臨を、

その当時よりはるかに先のこととして回信の人々に示した。

マルチン・ルターは、審判を、

彼の時代から約300年後のことであるとした。

しかし、1798年以来、

ダニエル書は封を開かれ、預言の知識は増加し、

審判の切迫という厳粛なメッセージを多くの者が宣言したのである。

 

16世紀の大宗教改革と同様に、

再臨運動は、

キリスト教世界の各国で同時に起きた。

ヨーロッパとアメリカの両方で、

信仰と祈りの人々が、

預言を学び、聖書を研究して、

万物の終末が近いという確かな証拠を認めた。

各地において、孤立したキリスト者の諸団体が、

聖書の研究だけによって、

救い主の再臨が近いと信じるに至った。

伝道者ウォルフの少年時代

ミラーが、審判の時を示す預言の解釈に到達してから

3 年後の1821年に、

「世界的伝道者」ジョセフ・ウォルフが、

主の再臨の切迫を宣べ伝え始めた。

ウォルフは、ドイツ生まれのユダヤ人で、

彼の父はラビであった。

彼は、幼少の時に、

キリスト教の真理を信じた。

 

彼は、活発で探求心の強い精神の持ち主で、

毎日彼の父の家に敬虔なユダヤ人たちが集まって、

ユダヤ民族の希望と期待を語りあい、

来たるべきメシヤの栄光とイスラエルの回復について話すのを、

熱心に聞いた。ある日、ナザレのイエスのことを聞いたので、

少年は、それがだれであるかをたずねた。

「それは、最も大きな才能をもったユダヤ人だ。

しかし、自分がメシヤだと言ったために、

ユダヤの法廷は彼に死を宣告した」というのが答えであった。

「どうしてエルサレムは滅亡し、ぼくたちは、

とらわれの身になっているの?」と、さらにたずねた。

父は悲しげに、

「それはね、ユダヤ人が預言者たちを殺したからだよ」と答えた。

少年は、すぐに考えることがあった。

「イエスも預言者だったのだ。

そして、ユダヤ人は、罪がないのにその人を殺したのだ。」①

彼はこのことを、非常に強く感じたので、

キリスト教会に入ることは禁じられていたけれども、

しばしば教会の外に立ち止まって、説教を聞いた。

 

彼は、わずか7 才の時のことであるが、近所のキリスト者の老人に、

やがてメシヤが出現する時のイスラエルの勝利について

誇らしげに語っていた。

しかしその時、この老人は、親切に次のように言った

「坊や、ほんとうのメシヤはだれであるか、教えてあげよう。

それは、ナザレのイエスだ。・・・・その方を、きみたちの先祖たちが、

預言者たちと同じように十字架に架けたのだ。

家に帰って、イザヤ書の53章を読んでごらん。

そうすれば、イエス・キリストが神の子だということが

よくわかるだろう。」②

彼はすぐに納得がいった。家に帰って、聖書を読み、

それがナザレのイエスにおいて完全に成就しているのを見て驚いた。

あのキリスト者の言葉は、ほんとうだったのだろうか。

少年は、父親に預言の説明を求めたけれども、

父親は厳しい顔をして何も言わなかったので、

2度とこの問題についてたずねなかった。

しかし、このことは、キリスト教について

もっと知りたいという彼の願いを増すだけであった。

 

彼が知ろうとしたことは、このユダヤの家庭では、

故意に彼に知らせないようにされていた。

ところが彼は、まだ11才の時に、

父の家を離れて世の中に出て行き、

教育を受け、また自分の宗教と一生の仕事とを選ぶことになった。

彼は一時親類の家に泊まっていたが、間もなく、

背教者であるというのでそこを追われて、寂しく、無一文で、

見ず知らずの人々の間で生活しなければならなかった。

彼は熱心に研究を続け、

ヘブル語を教えて生活を支え、転々と流れ歩いた。

彼は、カトリックの教師の影響を受けて、

カトリック教を信じ、

自国民に伝道する宣教師になろうと考えた。

数年後に彼は、この目的のもとに、さらに研究を続けるために、

ローマのプロパガンダ大学へ行った。

ここにおいて彼は、その独立的思想と率直な発言のために、

異端者という非難を受けた。

彼は公然と教会の悪弊を攻撃し、改革の必要を説いた。

彼は、初めのうちはカトリック教の高位者たちから

特別に扱われていたが、しばらくしてローマから退去させられた。

彼は、教会の監視のもとに、各地を渡り歩いたが、

とうとう、彼はローマ教の拘束に

服従することができないということが明らかになった。

彼は、矯正(きょうせい)することが

できない者であるという宣告を受けて、

どこへでも自由に行ってよいことになった。

そこで彼は、英国へ行き、プロテスタントの信仰を表明して、

英国国教会に加わった。

彼は2か年の研究の後、1821年に伝道を開始した。

再臨の切迫とウォルフ

ウォルフは、「悲しみの人で、病を知っていた」人としての

キリストの初臨の大真理を受け入れるとともに、

預言が同様の明快さをもって、

力と栄光を伴うキリストの再臨を示していることをも悟った。

彼は人々を、約束されたお方としてのナザレのイエスに導き、

人々の罪の犠牲として身を低くして来られた

初臨へと向けるとともに、

王また救い主として来られる再臨のことをも人々に教えた。

 

彼は次のように言った。

「真のメシヤ、ナザレのイエス、すなわち、手と足を裂かれ、

ほふり場にひかれて行く小羊のように引いて行かれ、

悲しみの人で病を知っておられ、

つえがユダを離れ、

立法者のつえが足の間を離れたあとで初臨なさったお方は、

天使のかしらのラッパとともに、

天の雲に乗って再臨なさる。」③

「そして、オリブ山上に立たれる。

そして、ひとたびアダムに与えられて、

彼が失った世界の統治権(創世記 1:26、3:17参照)が、

イエスに与えられる。

彼は全地の王となる。

被造物のうめきと悲しみはやみ、

賛美と感謝の声が聞こえる。・・・・

イエスが父の栄光をもって、天使たちと来られる時、・・・・

死せる信徒たちがまずよみがえる

(Ⅰテサロニケ 4:16、Ⅰコリント 15:23参照)。

これは、われわれキリスト者が第一の復活と呼ぶものである。

それから動物界は、

その性質を変える(イザヤ 11:6―9参照)。

そして、イエスに従う(詩篇 8:参照)。

ここに全世界の平和が訪れる。」④

「主はもう1度地をごらんになって、

『それは、はなはだ良い』と言われる。」⑤

 

ウォルフは、主の来られるのが間近いと信じ、

彼の預言期間の解釈によれば、この大いなる成就の日は、

ミラーが指示した時期の、

まさにその数年以内におかれていた。

「その日、その時は、だれも知らない」という聖句を引用して、

人間は再臨の切迫について何も知るべきではないと

主張する人々に対し、ウォルフは答えた。

「主は、その日、その時は、

決してわからないと言われたであろうか。

いちじくの葉が出ると夏が近いことがわかるように、

少なくとも彼の再臨の接近をわれわれが知ることができるように、

時のしるしをお与えにならなかったであろうか

(マタイ 24:32参照)。

彼ご自身が、預言者ダニエルの書を読むだけでなく、

それを悟れと勧告されたのに、われわれは、その期間について、

決して知るべきではないのであろうか。

そして、そのダニエル書自体の中に、

この言葉は終わりの時まで封じておくように言われており

(彼の時代には封じられていたわけである)、

また『多くの者は、あちこちと探り調べ

(時について観察し思考するというヘブルの表現)、

そして知識(時に関する)が増すでしょう』(ダニエル 12:4)

と言われている。さらに、主はこれによって、

時の接近がわからないというのではなくて、

正確な、『その日その時が、あなたがたにはわからないからである』

と言われたのである。ノアが箱舟を用意したように、

われわれに主の再臨の準備をさせるだけの十分な時のしるしが

与えられると、主は言われるのである。」⑥

 

一般に行われていた聖書の解釈法、

あるいは誤った解釈法について、

ウォルフは次のように書いた。

「キリスト教会の大部分は、

聖書の明白な意味からそれて、

人類の将来の幸福は空中を動き回ることにあると信じる

仏教徒の空想的な解釈のほうに向かい、

ユダヤ人とあるところは異邦人と解釈し、

エルサレムとあるのは教会と解釈している。

また、地といえば空のことであり、

主の来られることは伝道団体の発展、

主の家の山にのぼるといえぱ、

メソジスト信者の大会合である

と解釈している。」⑦

ウォルフの世界的宣教

ウォルフは、1821年から1845年の24年間に、

広く各地を旅行した。

アフリカでは、エジプトとアビシニアを訪問した。

アジアでは、パレスチナ、シリア、ペルシア、ブハラ、インドを歴訪した。

また、アメリカヘも行き、その途中で、セント・ヘレナ島で説教した。

彼は、1837年8月にニューヨークに到着し、

同市で説教したあとで、フィラデルフィア、ボルチモアで説教し、

そして最後にワシントンに向かった。

彼は言っている。

「ここで、前大統領ジョン・クィンシー・アダムスは、

国会において動議の提出をなし、国会は満場一致で、

議場をわたしの講演のために提供することを可決した。

そこでわたしは、土曜日に講演を行い、

国会議員全員の出席とともに、バージニアの監督、

ワシントン市の聖職者や市民などの出席を得るの光栄に浴した。

ニュージャージー州、ペンシルバニア州においても、

同様の光栄が議会から与えられ、

その前で、わたしは、アジアにおけるわたしの研究と、

イエス・キリストの個人的支配についても語った。」⑧

 

ウォルフ博士は、ヨーロッパのいかなる権威の保護もなしに、

最も未開の国々を旅行し、

多くの苦難に耐え、数知れぬ危険に取りかこまれた。

彼は、むち打たれ、飢えに苦しみ、奴隷として売られ、

3度も死刑の宣告を受けた。

盗賊に襲われたこともあり、

渇きのために死にそうになったこともあった。

ある時には、持ち物を全部奪われて、

山の中を歩いて何百マイルも旅し、

激しい吹雪が顔面を打ち、

素足は凍った地にふれて感覚を失ってしまったこともあった。

 

野蛮で敵意を抱いた部族の中に武装なしで

行くものではないという警告に対して、彼は、自分には、

「祈り、キリストに対する熱心、キリストの助けに対する確信」という

「武装が備わっている」と言明した。

「わたしは、神の愛と隣人愛を心に抱いており、

手には聖書を持っている」とも言った。⑨

彼は、どこへ行くにも、英語とヘブル語の聖書を持って行った。

後年のある旅行について、彼は次のように言っている。

「わたしは、・・・・聖書を開いたまま手に持っていた。

わたしは、聖書の中にわたしの力があり、

その力がわたしを支えてくれるのを感じた。」⑩

 

こうして彼は働き続け、審判のメッセージは、

地球上人間の住んでいるところの大部分に伝えられた。

ユダヤ人、トルコ人、ゾロアスター教徒、

ヒンズー人、その他多くの国民や人種の間で、

彼は、それらさまざまの国語で神の言葉を伝え、

至るところで、メシヤの王国の接近を伝えた。

 

ブハラを旅行中に、彼は僻地(へきち)の孤立した人々が、

まもなく主が来られるという教義を信じているのを発見した。

イエメンのアラブ人は、

「シーラという書物を持っていて、

それにキリスト再臨と彼の栄光の支配のことが書かれている。

彼らは、1840年に大事件が起こると予期している」

と彼は言っている。⑪

 

「イエメンで、・・・・わたしはレカブの子孫たちと6日間過ごした。

彼らは、酒を飲まず、ぶどう畑を作らず、種をまかない。

彼らは天幕に住み、レカブの子、善きヨナダブ老人をおぼえている。

彼らの間に、ダンの部族のイスラエルの子孫がいて、・・・・

レカブの子孫とともに、メシヤが天の雲に乗って

まもなく来られることを待望しているのを、

わたしは見いだした。」⑫

 

同様の信仰が、他の宣教師によって、

タタール人たちの中にも見いだされた。

タタール人の祭司が、宣教師に、キリストの再臨はいつかと質問した。

宣教師が、それについては何も知らないと答えると、

祭司は、聖書の教師と称する人がそのように無知であるとは、

と非常に驚いた様子であった。

そして、キリストは1844年ごろに来られるという、

預言に基づいた彼自身の信仰を表明した。

世界各地の再臨運動

再臨使命は、英国においては、

早くも1826年から伝えられ始めた。

ここの運動は、米国のようにはっきりとした形をとらなかった。

再臨の正確な時は、それほど一般には伝えられなかったが、

しかしキリストが力と栄光をもってまもなく来られるという大真理は、

広く宣言された。

そして、これは、単に非国教徒たちの間だけではなかった。

英国の著作家モーラント・ブロックの言うところによれば、

英国国教会の牧師約700人が、

「この、御国の福音」の宣布に従事したということである。

1844年が主の再臨の時であるというメッセージも、

英国で伝えられた。

再臨に関する出版物が米国から来て広く配布された。

書籍や雑誌が英国で再発行された。

そして、1842年に、

米国で再臨信仰を受け入れた

英国人ロバート・ウィンターが帰国して、

主の来臨を宣布した。

彼の事業に協力する者が多くあらわれ、

審判のメッセージは英国各地で宣布された。

 

未開と聖職者たちの政略とのただ中にあった南米において、

スペイン人でイエズス会のラクンザは、

聖書を知って、

キリストが速やかに来られるという真理を受け入れた。

彼は、世に警告を発したいと思ったが、

ローマの譴責を免れるために、

改宗したユダヤ人をよそおって

「ラビ・ベンエズラ」という偽名で、彼の見解を発表した。

ラクンザは18世紀の人であったが、

1825年ごろに彼の本は

ロンドンに渡り、英訳された。

この書物の発行は、英国においてすでに起こっていた

再臨問題に関する興味を、深めることになった。

 

ドイツにおいてこの教義は、

18世紀に、ルーテル教会の牧師で、

聖書学者・批評家として有名なベンゲルによって唱えられた。

教育を終了したベンゲルは、

「神学の研究に没頭した。

若い時からの教育と訓練によって深められた、

彼のまじめで宗教的な性格は、

自然と彼をそのほうへ向けたのであった。

古今の思慮深い青年たちと同様に、

彼も、宗教的な疑惑や困難と戦わなければならなかった。

そして彼は、『彼の哀れな心を刺し通して、

彼の青春を耐え難いものにした多くの矢』について、

感慨深く語っている。」

ビュルテンベルクの宗教法院の一員となってから、

彼は宗教の自由を提唱した。

「彼は、教会の義務と特権を維持しながらも、

良心的理由のもとに

教会の交わりから去らねばならないと考える者には、

あらゆる正当な自由を与えるべきことを主張した。」⑬

この方針の好結果は、

今でも彼の故郷に残っている。

 

降誕節の日曜日の説教を

黙示録 21 : から準備していた時に、

キリスト再臨の光がベンゲルの心に差し込んだ。

黙示録の預言が、

これまでになくはっきりと理解できた。

彼は、預言者に示された光景の

驚くべき重要性とすばらしい栄光とに圧倒されて、

一時は、この問題の瞑想(めいそう)を

差し控えなければならなかった。

彼が講壇にあった時に、それが再び、

そのまま生き生きと力強く彼に示された。

その時以来彼は、預言、

特に黙示録の預言の研究に没頭し、

まもなく、預言はキリストの再臨が近いことを

示しているという信仰に到達した。

彼が再臨の時として定めた時は、

後にミラーが定めた時と2、3年しか離れていなかった。

 

ベンゲルの著書は、

キリスト教国に広く伝わった。

預言に対する彼の見解は、

彼の故郷のビュルテンベルクにおいて、一般に受け入れられ、

ドイツの他の地方にもある程度波及した。

この運動は彼の死後も続けられ、再臨使命は、

他の国々において人々の注目をひいたのと時を同じくして、

ドイツでも聞かれた。

初期のころにロシアに行き、そこで植民地を開いた信者もあった。

今日においても、同国のドイツ教会では、

キリストがまもなく来られるという信仰を保っている。

フランス、スイスの再臨運動

光は、フランスやスイスにも輝いた。

ファーレルやカルバンが

宗教改革の真理を広めたジュネーブでは、

ゴーセンが再臨使命を伝えた。

ゴーセンは、学生時代に、

18世紀末から19世紀の初めにかけて

全ヨーロッパに普及した合理主義の精神に出会った。

そして彼は、伝道を始めたころには、

真の信仰を知らなかったばかりか、懐疑的傾向を持っていた。

 

若い時から彼は

預言の研究に興味を持っていた。

彼は、ローリンの著わした『古代史』を読んで、

ダニエル 2:に注意を向けるようになった。

そして、歴史家の記録に見るとおり、

預言が驚くばかり正確に成就していることに心を打たれた。

これこそ、聖書が霊感によるものであるという証拠であった。

これが後年、危険のただ中において彼の錨となった。

彼は合理主義の教えに満足することができなかった。

そこで彼は、聖書を研究し、

さらに明らかな光を探究することによって、

やがて積極的な信仰へと導かれた。

 

預言の研究をしているうちに、彼は、

主の来臨は近いと確信するに至った。

彼は、この大真理の厳粛さと重要性を強く感じ、

それを人々に伝えたいと願った。

しかし、ダニエル書の預言は

神秘で理解できないという一般の見解が、

彼にとって重大な障害であった。

そこで彼は、ついに、

ファーレルがジュネーブ伝道の時にしたように、

まず子供たちから始めて、

彼らによって親たちの興味を起こさせようとした。

 

後年になって、この企ての目的について、彼は次のように言った。

「このことをよく理解してもらいたい。

わたしが、こうした親しみやすい方法で真理を提示したいと願い、

子供たちに語ったのは、それが重要でないからではなく、

かえって、それが非常に価値あるものだからなのである。

わたしは聞いてもらいたかった。

まず大人に話したなら、聞いてもらえないだろうと思った。」

「だからわたしは、いちばん小さい者のところへ行く決心をした。

わたしは子供たちを集めた。

もしこのグループが増加し、彼らが耳を傾けて、

喜びと興味をおぼえ、問題を理解して、

それを説明することができるようになれば、

まもなく次の仲間ができることは確かである。

そして、それに代わって今度は大人が、

これは腰をすえて研究する価値があると認めるようになる。

こうなった時に、目的が達成されたのである。」⑭

 

この努力は成功を収めた。

彼が子供たちに語っているうちに、大人が来て耳を傾けた。

彼の教会の座席は熱心な聴衆であふれた。

その中には、地位や学識のある人、

ジュネーブを訪問中の旅行者や外国人もいた。

こうしてメッセージは、他の地方にも伝わった。

 

こうした成功に力を得たゴーセンは、

フランス語を話す人々の教会において

預言書の研究を盛んにしたいと考え、教科書を発行した。

「子供たちに教えた教訓を出版することは、

わかりにくいという口実のもとにこうした書物を

なおざりにしがちな大人たちに対して、

『あなたがたの子供たちでさえ理解できるのに、

どうしてわかりにくいなどと言えるでしょうか?』

と言うためであった」とゴーセンは語っている。

彼はつけ加えて言う。

「わたしは、できることならば、

預言の知識を教会員に広く与えたいと熱望した。」 

「実際、時代の要求に答えるのに、

この研究以上のものはないように思われた。」

「われわれが、切迫している患難に備え、

主イエス・キリストを待ち望むのは、これによってである。」

 

ゴーセンは、フランス語の説教者中、

最も著名で愛された人々の1人であったが、

しばらく後に、聖職をやめさせられた。

その主な理由は、教会の教理問答―積極的信仰に欠けた、

単調で合理主義的な指針―を用いないで、

聖書を用いて青年を教育したからであった。

彼は後に、神学校の教師になり、

また日曜日には伝道師として子供たちに話し、

聖書を教え続けた。

預言についての彼の著書も、

非常な関心をひき起こした。

彼は、教授として、また、印刷物によって、

また、子供の教師という彼が最も愛した仕事によって、

長年の間、広汎(こうはん)な感化を及ぼした。

そして彼は、主の再臨が近いことを示す

預言の研究に多くの人の注意を引く器となった。

スカンジナビアにおける児童の説教

再臨使命は、スカンジナビアにおいても宣布され、

広く人々の興味を引き起こした。

多くの者は、軽率な安心感から覚めて、罪を告白して放棄し、

キリストの名による許しを求めた。

しかし、国教会の聖職者たちはこの運動に反対し、

そのために、使命の宣布者たちは投獄された。

主の再臨の説教者たちがこうして沈黙させられた多くの場所で、

神は、子供たちを用いて、

奇跡的方法でメッセージをお送りになった。

彼らは未青年であったから、

国の法律は彼らを禁じることができず、

彼らはなんの妨げもなく語ることを許された。

 

運動は主として下層階級の人々の間で行われ、

人々が警告を聞くために集まったのは、

労働者たちのそまつな住居においてであった。

幼い説教者自身も、たいていは貧しい家の子であった。

6才や8才の者たちもいた。

彼らは、救い主を愛することをその生活にあかしし、

神の聖なる要求に従って生活しようと努めていたが、

通常は同年配の子供たちの普通の知性と能力を

あらわしているにすぎなかった。

しかし、彼らが人々の前に立つと、

彼らの生来の能力以上の力に動かされていることは明白であった。

声も態度も一変し、

厳粛な力をもって審判の警告をなし、

「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。

神のさばきの時がきたからである」

という聖句を引用した。

彼らは、人々の罪を譴責し、

不道徳と悪徳を非難するだけでなく、

世俗と背教を責め、速やかに下ろうとしている怒りから

逃れるように聴衆に警告した。

 

人々は、これを聞いて震えた。

力ある神の霊が、彼らの心に語りかけた。

多くの者は、新たに深い興味をもって、

聖書の研究をするようになり、

不節制で不道徳な者は生活を改革し、

不正行為を改める者もあった。

このように著しい結果を見て、国教会の牧師でさえ、

この運動に神の手を認めないわけにはいかなかった。

 

救い主来臨の知らせがスカンジナビア諸国に伝えられることは、

神のみ心であった。

そして、神のしもべたちの声が沈黙させられた時に、

神は、働きを成し遂げるために、子供たちに聖霊を注がれた。

イエスが喜びに満ちた群衆を従えて、

エルサレムに近づかれた時、

彼らは勝利の叫びをあげ、しゅろの枝を打ち振って、

イエスをダビデの子と宣言した。

それを聞いたしっと深いパリサイ人たちは、

彼らを黙らせるようにイエスに求めた。

しかしイエスは、こうしたことはみな預言の成就であって、

もし彼らが黙っているならば、石が叫ぶであろうと言われた。

人々は、祭司や司たちにおどされて、

エルサレムの門に入ると喜びの叫びをやめた。

しかし、神殿の庭の子供たちは、その後でまた歌い出し、

しゅろの枝を振って、「ダビデの子に、ホサナ」と叫んだ

(マタイ 21:8―16参照)。

 

パリサイ人が、ひどくきげんを損じて、

「あの子たちが何を言っているのか、お聞きですか」

とイエスに言った時、イエスは答えて、

「そうだ、聞いている。あなたがたは

『幼な子、乳のみ子たちの口にさんびを備えられた』

とあるのを読んだことがないのか」と言われた。

神は、キリストの初臨の時に子供たちによって働かれたように、

再臨使命の宣布も彼らによってなされたのである。

救い主の再臨は、すべての民族、国語、国民に

宣べ伝えられるという神の言葉は、成就されなければならない。

米国の大再臨運動

ウィリアム・ミラーと彼の仲間に、

米国に警告を発する務めが与えられた。

米国は、大再臨運動の中心となった。

第一天使の使命が最も直接的に成就したのは米国であった。

ミラーと彼の仲間の著書は、

遠くの地方まで広まった。

世界じゅうで宣教師が行っているところはどこでも、

キリストがまもなく来られる

という喜びの知らせが伝えられた。

「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。

神のさばきの時がきたからである」

という永遠の福音の使命は、

遠く広く伝えられた。

 

1 8 4 4 年の春に

キリストの再臨があると指示するように思われる

預言のあかしは、人々の心を強くとらえた。

州から州へと使命が伝わるにつれて、

至るところで広く人々の興味をわき立たせた。

多くの者は預言の期間に関する議論の正しいことを認め、

自分たちの意見を捨てて、

喜んで真理を受け入れた。

ある牧師たちは、教派的見解や感情を捨て、

給料や教会も捨てて、

イエスの再臨を宣言することに参加した。

しかし、この使命を信じる牧師は、比較的少なかった。

したがって、それは、

質朴な一般信徒たちに大部分ゆだねられた。

農夫は畑を離れ、職工は道具を、商人は商品を、

知的職業の者はその地位を捨てた。

しかし、働き人の数は、

成し遂げるべき働きに比して少なかった。

神を敬わない教会や罪悪の中にある世界の状態は、

真の見張人たちの心を悩ました。

そして彼らは、人々を悔い改めと救いに導くために、

喜んで労苦と窮乏と苦難に耐えた。

働きは、サタンの攻撃に会いながらも、徐々に進展し、

幾千の者が再臨の真理を信じるようになった。

 

至るところで、人々の心を打つあかしが発せられ、

世俗の人々も教会員も、

罪人はともに来たるべき怒りから逃れるよう警告が発せられた。

キリストの先駆者、バプテスマのヨハネのように、

説教者たちは、木の根元におのを置き、

悔い改めにふさわしい実を結ぶようにとすべての者に訴えた。

彼らの感動的な訴えは、一般の説教壇から聞かれる平和と

無事の保証とは著しく異なっていた。

そして、使命が伝えられたところではどこでも、人々の心を動かした。

聖書からの単純で直接的な証言が、

聖霊の力によって心に印象づけられた時に、

その強い確信を拒みきれるものはなかった。

信仰を表明していた者たちも、

自分たちが危険を知らずに安心していたことに気づいた。

彼らは、自分たちの背教、世俗、不信、誇り、利己心に気づいた。

多くの者が悔い改めて、謙そんに主を求めた。

長い間地上の事物に執着していた愛情が、

今や天に向けられた。

神の霊が彼らの上に宿った。

そして彼らの心は和らげられ、静められて、

「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。

神のさばきの時がきたからである」

という叫びに参加した。

 

罪人は、泣いて、

「わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」とたずねた。

不正直であった者は、なんとかして賠償しようとした。

キリストのうちに平和を見いだした者はみな、

その祝福を人々に分かちたいと願った。

親の心は子に向けられ、

子の心は親に向けられた。

誇りと疎遠の壁は払いのけられた。

心からの告白がなされ、家族の者たちは、

最も近く最も愛する者の救いのために働いた。

熱心なとりなしの祈りの声が、

しばしば聞かれた。

どこでも、

苦悩にあえぐ魂が、神に嘆願していた。

自分自身の罪の許しの確証を得るために、

あるいは親族や隣人の改心のために、

一晩中熱心に祈る者も多かった。

 

あらゆる階級の人々が、再臨信徒の集会に群がり集まった。

金持ちも貧者も、地位の高い者も低い者も、

さまざまな理由から、

再臨の教義を自分で聞きたいと願った。

主は、主のしもべたちがその信仰の理由を説明するあいだ、

反対の精神を阻止された。

 

時には、器が弱いこともあった。

しかし、神の霊が、ご自身の真理に力を与えた。

これらの集会では、

天使がその場にいることが感じられ、

日ごとに多くの者が信者の群れに加えられた。

キリスト再臨切迫の証拠がくり返される時、

大群衆はかたずをのんで、厳粛な言葉に聞き入った。

天と地は、互いに接近したように思われた。

神の力が、

老いた者にも若い者にも、中年の者にも感じられた。

人々は、口々に賛美を歌いながら家に帰り、

喜ばしい歌声が、静かな夜空に響いた。

こうした集会に出席した者は、

その感銘深い光景を忘れることができなかった。

再臨運動に対する反対

キリスト再臨の時として特定の時を宣言したことは、

あらゆる階級の多くの者、すなわち、

説教壇に立つ牧師から神を恐れぬ無暴な罪人に至るまでの、

大反対を受けた。

これは、預言の言葉の成就であった。

「終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、

自分の欲情のままに生活し、『主の来臨の約束はどうなったのか。

先祖たちが眠りについてから、

すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、

変ってはいない』と言うであろう」(Ⅱペテロ 3:3、4)。

救い主を愛すると公言する多くの者は、

自分たちは再臨の教義に反対しているのではない、

ただ日を定めることに反対なのだと言った。

しかし、すべてを見られる神は、彼らの心を読まれた。

彼らは、キリストが義をもって

世界をさばくために来られるということを聞くことを好まなかった。

彼らは、不忠実なしもべたちであった。

彼らのわざは、心を探られる神の審査に耐えられなかったので、

彼らは主に会うことを恐れた。

キリスト初臨の際のユダヤ人たちのように、

彼らはイエスを迎える準備がなかった。

彼らは、聖書からの明白な議論に耳を傾けることを拒んだだけでなく、

主を待望している人々を嘲笑した。サタンと彼の天使たちは喜んだ。

そして、主の民と称する人々でさえ、

主に対する愛に欠け、主の再臨を望んでいないと言って、

キリストと天使たちの前で嘲笑した。

 

再臨の信仰に反対する人々が、最もひんぱんに持ち出した議論は、

「その日、その時はだれも知らない」ということであった。

聖書にも、「その日、その時は、だれも知らない。

天の御使たちも・・・・知らない、ただ父だけが知っておられる」

とある(マタイ 24:36)。

この聖句を明快に矛盾なく説明したのは、主を待望する人々であって、

これを誤って解釈していたのは反対者であったことが、

明らかに示された。

この言葉は、キリストが神殿に最後の別れを告げて出られた後、

オリブ山上での弟子たちとの記念すべき談話の中で

言われたものである。

弟子たちは、「あなたがまたおいでになる時や、

世の終りには、どんな前兆がありますか」とたずねた。

イエスは、彼らにしるしを与えて、そして言われた。

「そのように、すべてこれらのことを見たならば、

人の子が戸口まで近づいていると知りなさい」( 同 24:3、33)。

救い主の1つの言葉をもって、他の言葉を無意味にしてはならない。

彼が来られるその日、その時はだれも知らないが、

われわれは、それが近づく時について教えられており、

また、それを知るように求められている。

さらにまた、神の警告を無視し、

主の再臨が近いことを知ることを拒み、

またおろそかにすることは、

ノアの時代の人々が洪水の来るのを知らなかったのと同様に、

われわれにとっても致命的であることが教えられている。

また、同じ章のたとえでは、

忠実なしもべと不忠実なしもべが対比され、

「自分の主人は帰りがおそい」と心の中で思う者の運命が示されて、

キリストは、何によって、

目をさましてキリストの再臨を教える者と、

それを拒否する者とを見分けられ、報われるかが教えられている。

「だから、目をさましていなさい。」

「主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、

さいわいである」(同 24:42、46)。

「もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。

どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない」

と主は言われる(黙示録 3:3)。

再臨信仰と一般教会

パウロは、主の再臨が

不意に来ることになる人々のことについて語っている。

「主の日は盗人が夜くるように来る。

人々が平和だ無事だと言っているその矢先に・・・・

突如として滅びが彼らをおそって来る。

そして、それからのがれることは決してできない。」

しかし、救い主の警告に心をとめた人々について、

次のようにつけ加えている。

「しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、

その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。

あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。

わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない」(Ⅰテサロニケ 5:2―5)。

 

こうして、聖書は人々が、

キリストの再臨の切迫について

何も知らずにいてよいとは認めていないことが明らかにされた。

しかし、真理を拒否する口実だけを求めていた人々は、

この説明に耳を閉ざし、大胆にあざける者たちや、

またキリストの牧師と称する人々さえも、

「その日、その時は、だれも知らない」

という言葉を叫び続けた。

人々が目をさまして、救いの道を求め始めると、

宗教の教師たちは、彼らと真理の間に介入し、

神の言葉を曲解することによって

彼らの恐れをしずめようとした。

不忠実な見張人たちは、

一致して大欺瞞者(だいぎまんしゃ)の働きをなし、

神が平和を語られないのに、平和だ無事だと叫んだ。

キリスト時代のパリサイ人のように、

多くの者は、自分自身天国に入ることを拒み、

それに入ろうとする者を妨げたのであった。

この人々の血の責任は、彼らの手に求められるのである。

 

 

たいていの場合、教会内の最も謙遜(けんそん)で献身した人々が、

最初にメッセージを受け入れた。

聖書を自分で研究した人々は、

預言に関する一般的見解が

非聖書的であることを見ないわけにはいかなかった。

そして、人々が牧師たちの支配下にないところでは、

また人々が自分たちで聖書を研究したところでは、

どこでも、再臨の教義が神の権威に基づくということは、

ただ聖書と比較するだけで明らかとなった。

 

多くの者は、不信仰な信者仲間たちから迫害された。

教会での地位を保つために、

その希望について沈黙を守ることに同意した者もあった。

しかし、神に忠実であれば

神がゆだねられた真理を隠すことはできないと感ずる者もあった。

キリスト再臨の信仰を表明しただけで教会から除名された者も、

少なくなかった。信仰のこうした試練に耐えた者にとって、

「あなたがたの兄弟たちはあなたがたを憎み、

あなたがたをわが名のために追い出して言った、

『願わくは主がその栄光をあらわして、

われわれにあなたがたの喜びを見させよ』と。

しかし彼らは恥を受ける」という預言者の言葉は、

ほんとうに貴いものであった(イザヤ 66:5)。

 

神の天使たちは、

警告の結果を非常な興味をもって見守っていた。

教会が全般的に使命を拒否すると、

天使たちは悲しみながら去って行った。

しかし、再臨の真理について、

まだ試みられていない人々が多くいた。

夫、妻、両親、子供たちなどに迷わされて、

再臨信徒が説く異端は、

聞くだけでも罪であると思った者が多くいた。

天使たちは、このような人々をよく見守るように命じられた。

なぜならば、もう1つの光が、

神のみ座から彼らの上に輝くことになっていたからである。

再臨信徒の試練期

使命を信じた人々は、言うに言われぬ希望に満たされて、

救い主の来られるのを待った。

彼らが主に会うことを予期した時は切迫した。

彼らは、冷静な厳粛さをもってこの時を待った。

彼らは、神との親しい交わりの中で安んじていた。

これは、輝かしい来世において与えられる平和の先ぶれであった。

この希望と信頼を経験したものは、

あの待望の貴重な時のことを忘れることはできない。

この時の数週間前に、

世俗の業務の大部分は片づけてしまった。

まじめな信者たちは、あたかも死の床にあって、

あと数時間で地上に別れを告げるかのように、

心の思いと感情を注意深く吟味した。

だれも「昇天衣」など作らなかった(付録参照)。

しかし、すべての者は、

救い主を迎える準備ができたという内的証拠の必要を感じた。

彼らの白衣は、魂のきよめ、

キリストの贖罪の血によって罪からきよめられた品性であった。

今でも神の民と称する人々の間に、

これと同じ自分を吟味する精神、

同じ熱誠と断固とした信仰がほしいものである。

もしも彼らが、こうして主の前に心を低くし、

恵みの座において、彼らの嘆願を訴え続けたならば、

彼らは、今よりははるかに豊かな経験を

与えられたことであろう。

祈りがあまりにも少なく、罪に対する真の自覚があまりにも少ない。

そして、生きた信仰がないために、多くの者は、

贖い主が豊かに与えようとしておられる恵みを受けていないのである。

 

神はご自分の民を試みようとされた。

神のみ手は、

預言の期間の計算上の誤りを覆い隠された。

再臨信徒は、誤りを見つけなかった。

また、彼らの反対者の中の最も博学な人々も、それを発見しなかった。学者たちは言った。

「あなたがたの預言期間の計算は正しい。

何か大事件が起ころうとしている。

しかし、それは、ミラー氏の予言するものではない。

それは世界の改心である。キリストの再臨ではない」(付録参照)。

 

期待した時は過ぎた。

しかし、キリストは、民を救うためにおいでにはならなかった。

真実の愛と信仰をもって救い主を待望していた人々は、

苦い失望を味わった。

しかし、神のみ心は、なされつつあったのである。

神は、主の再臨を待つと言っていた人々の心を試しておられた。

彼らの中には、ただ恐怖にかられていた者が多かった。

彼らの信仰の表明は、

その心や生活に影響を及ぼしていなかった。

期待したできごとが起こらなかった時に、

この人々は、

自分たちは何も失望していないと言った。

彼らは、

キリストが来られるとは信じていなかった。

真の信者の悲しみをあざけりだしたのは、

彼らであった。

 

しかし、イエスと天の全軍は、試練を受け、忠実でありながらも失望に陥っている人々を、愛と同情をもって見つめていた。

もし、見える世界と見えない世界を隔てる幕が取り除かれたならば、

天使たちがこれらのしっかりした魂に近づき、

彼らをサタンの矢から守っているのが見えたことであろう。

 

第20章 注

①"Travels and Adventures of the Rev. Joseph Wolff,"vol.1, p. 6.

②Ibid., vol. 1, p. 7.

③Joseph Wolff, "Researches and Missionary Labors," p. 62.

④"Journal of the Rev. Joseph Wolff," pp. 378, 379.

⑤Ibid., p. 294.

⑥Wolff, "Researches and Missionary Labors," pp. 404, 405.

⑦"Journal of the Rev. Joseph Wolff," p.96.

⑧Ibid., pp. 398, 399.

⑨W. H. D. Adams, "In Perils Oft," p.192.

⑩Ibid., p. 201.

⑪"Journal of the Rev. Joseph Wolff," p.377.

⑫Ibid., p. 389.

⑬"Encyclopedia Britannica," 9th ed., art. "Bengel."

⑭L. Gaussen "Daniel the Prophet," vol. 2, Preface.

 

 

【 第21章 真理の拒否とその結果 】

再臨信徒の働き

ウィリアム・ミラーと彼の仲間たちは、

キリスト再臨の教義の宣布を通して、

審判に対する準備を人々に促すというただ1つの目的のために働いた。

彼らは、宗教を信じると公言する者たちに、

教会の真の希望と、

より深いキリスト者の経験の必要とを自覚させようとした。

彼らはまた、悔い改めていない人々に、

直ちに悔い改めて神に帰る義務があることを自覚させようとした。

「彼らは、宗教上の一派や一団体に人々を改宗させようとはしなかった。

それで彼らは、それぞれの組織や規則に干渉することなく、

あらゆる団体や教派の中で働いた。」

 

ミラーは、次のように言った。

「わたしは、自分のあらゆる活動において、

今ある教派を離れて別の派を作ろうとか、

あるいは、他を犠牲にしてだれかに利益を与えようとか、

そんなことは願いも思いもしなかった。

わたしは、すべての人の利益を考えた。

キリスト者ならだれでも、キリストの再臨を喜んで期待し、

わたしと同じように考えない人でも、

この教理を信じる人々を同様に愛するものと考えたので、

別の集会を開く必要を感じなかった。

わたしの目的とするところは、人々を神に立ち帰らせ、

来たるべき審判のことを世界に知らせ、

安らかに神にお目にかかる準備をするように、

同胞に訴えることであった。

わたしの働きによって悔い改めた者の大部分は、

既存の種々の教会に加わった。」①

 

彼の働きは、教会を盛んにするものであったから、

しばらくの間は喜んで迎えられた。

しかし、牧師や教会の指導者たちが、

再臨の教義に反対することを決めて、

その問題に関するいっさいの運動を圧迫するようになると、

彼らは説教壇から反対するばかりでなく、

教会員が再臨に関する説教を聞くことや、

教会の集会においてその希望を語ることさえも拒否した。

こうして信徒たちは、

非常な試練と苦しい立場に立たされた。

彼らは自分たちの教会を愛しており、

それから離れることをきらったが、神の言葉のあかしが圧迫され、

預言を研究する権利が拒否されるのを見た時に、

神に忠誠を尽くそうとすれば、服従することはできなかった。

彼らは、神の言葉のあかしを閉め出そうとする人々を、

キリストの教会を構成するもの、

「真理の柱であり基礎」をなすものと見なすことはできなかった。

そこで彼らは、

従来の関係から分離することが正しいと考えた。

1844年の夏、

約5万人が教会から脱会した。

一般キリスト教会の堕落

このころ、米国全体のほとんどの教会に、

著しい変化があらわれた。

長年にわたって、世俗の風俗習慣への適合が、

徐々にしかし着実に増大し、

真の霊的生活は衰退する一方であった。

しかし、この年は、全国のほとんどすべての教会において、

この衰退が急激で著しかった。

だれもその原因を明らかにし得るものはなかったが、

この事実そのものは、広く一般の認めるところで、

新聞も説教壇もそれについて語った。

 

フィラデルフィアの長老教会の集会において、

広く用いられていた注解書の著者であり、

同市の主要教会の牧師であったバーンズは、

「自分は20年間、牧師の働きをしてきたが、

この前までの聖餐式(せいさんしき)においては、

式を行うごとに必ず、多少にかかわらず教会に加わる人があった。

しかし、今や、

なんの覚醒もなく、悔い改めもない。

信者には恵みにおける成長がなく、

魂の救いについて語るために私の書斎に来るものもいない。

商売が盛んになり、

商業と工業が隆盛になるにつれて、

世俗の精神が旺盛(おうせい)になった。

こうして、すべての教派がそうなったのだ、

と述べた。」②

 

同年2 月に、

オベリン大学のフィニー教授は次のように言った。

「わが国のプロテスタント教会は、一般に、

現代の道徳的改革のほとんどすべてに対して、

無関心であるか、

さもなければ敵対心を抱いているように見受けられる。

一部の例外はあるが、

一般的傾向を覆すほどに十分なものではない。

われわれは、もう1つ確かな事実を知っている。

教会内には、

ほとんど全般的にリバイバルの精神が欠けている。

霊的無関心がほとんどすべてを覆い、恐ろしいまでに深刻である。

全国の宗教雑誌が、そう証言している。・・・・

流行の追求が広く教会員の間に行なわれ、

歓楽のパーティーやダンスやお祭り騒ぎなどで、

神を敬わない人々と手を握っている。・・・・

しかし、このような痛ましい問題を詳しく言う必要はない。

教会が一般に悲しむべき

堕落に陥りつつあることを示す証拠は、

われわれの回りに山積していることだけで十分である。

教会は主から遠く離れ、そして主は教会から退去された。」

 

『宗教展望』誌の一筆者は、次のように証言した。

「われわれは、現在ほど宗教が一般に低下したのを見たことがない。

真に、教会はめざめて、

この悲しむべき状態の原因をつきとめなければならない。

なぜなら、シオンを愛するすべての者が、

現状をまことに悲しむべき状態と見ているに相違ないからである。

真に悔い改める者の数が、いかに『少なく、まれ』であるかを考え、

また、罪人がかつてなかったほどに神を恐れず

かたくなであることを思う時に、われわれは、『神は恵み深くあることを忘れられたのか。あるいは、恵みの戸は閉じられたのか』と、

思わず叫ばずにはおられない。」

 

このような状態は、

教会自身に原因がなくして起こるものではない。

国家、教会、また個人が陥る霊的暗黒は、

神の側で独断的に

恵みの助けを取り除かれるのではなくて、

人間の側で、神からの光をないがしろにしたり、

拒否したりすることによるのである。

この事実の著しい例は、

キリストの時代のユダヤ人の歴史に示されている。

彼らは、世俗に従い、神と神の言葉を忘れたために、

彼らの理解力は暗くなり、彼らの心は、この世的で肉欲的になった。

こうして彼らは、メシヤの来臨を知らず、

誇りと不信によって、贖い主を拒否した。

それでも神は、ユダヤ民族が救いの祝福を知って、

それにあずかることから除外されなかった。

しかし、真理を拒否したものは、

天の賜物を得たいという願いを全く失ってしまった。

彼らは、「悪を呼んで善といい、善を呼んで悪といい、」ついに、

彼らのうちにあった光も暗くなった。

そして、その暗黒は、なんと大きかったことであろう。

使命を受け入れた人々

きわめて重要な敬虔の精神さえ欠けていれば、

人間が宗教の形式を保つことは、

サタンの策略には都合がいいのである。

ユダヤ人は、福音を拒否した後も、

相変わらず熱心に昔からの儀式を守り、

厳格に国家的排他主義を保ってきたが、その反面、

自分たちの間に神の臨在がもはや現れていないことを

認めないわけにいかなかった。

ダニエルの預言は、メシヤの来臨の時を明白に示し、彼の死をはっきりと預言していたので、彼らは、その研究をやめさせ、ついにラビたちは、時を計算しようとするすべての者に、のろいを宣言するに至った。

イスラエルの人々は、無分別と頑迷(がんめい)のうちに、

その後の歳月を送ってきた。

彼らは、救いの恵み深い招待に無関心であった。

また、福音の祝福と、天からの光を拒むことについての

厳粛で恐ろしい警告とに、心をとめなかった。

 

原因のあるところには、必ずその結果が伴う。

義務であると知りながらも、

それが自分の好みに合わないからと言って、

故意にその信念をもみ消すものは、

ついに、

真理と誤りの区別をする能力を失ってしまう。

理解力はにぶり、良心は無感覚になり、

心はかたくなになり、魂は神から離れてしまう。

神からの真理のメッセージが、拒絶または軽視される時に、

教会は暗黒に覆われる。

信仰と愛は冷え、離反と分離が起こる。

教会員は、世俗の追求に興味と精力を集中し、

罪人は心をかたくなにして悔い改めないのである。

 

神のさばきの時を知らせ、

神をおそれ礼拝するよう人々に呼びかけた、

黙示録 14:の第一天使の使命は、

神の民と称する人々を世俗の悪影響から引き離し、

世俗化と背信という彼らの真の状態を認めさせるためのものであった。

この使命によって、神は教会に1つの警告をお与えになった。

もし彼らが、それを受け入れていたならば、

彼らを神から閉め出していた

害悪を正すことができたのであった。

もしも彼らが、天からの使命を受け入れ、

主の前に心を低くして、

み前に立つ準備を真心から求めていたならば、

聖霊と神の力が、

彼らの間にあらわされていたことであろう。

教会は再び使徒時代の時のような、

一致と信仰と愛の幸福な状態に到達していたことであろう。

使徒時代には信者たちは、「心を1つにし思いを1つにして、」

「大胆に神の言を語り、」

「主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである」

(使徒行伝 4:32、31、2:47)。

 

もし神の民と称する人々が、み言葉から輝く光を受け入れるならば、

彼らは、キリストが祈られた一致に到達することであろう。

それは、使徒が「平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を」

と言ったところのものである。

「からだは1つ、御霊も1つである。あなたがたが召されたのは、

1つの望みを目ざして召されたのと同様である。

主は1つ、信仰は1つ、バプテスマは1つ」

と彼は言っている(エペソ 4:3―5)。

 

再臨使命を受け入れた人々は、

このような幸福を経験した。

彼らは、さまざまの異なった教派から来ていたが、

そうした教派的障害は打ち砕かれた。

相いれない信条は、こなごなに砕かれた。

この世の至福千年期という非聖書的な希望は、放棄された。

キリスト再臨に関する誤った見解は正された。

誇りと世俗との妥協は一掃された。悪は正された。

人々の心は親しい交わりを結び、愛と喜びがみなぎった。

もしこの教義が、これを信じた少数の者に、

このようにしたのであれば、すべての者が受け入れていたなら、

すべての者に同じような影響を及ぼしたはずであった。

使命を拒んだ人々

しかし、一般の教会は、警告を受け入れなかった。

「イスラエルの家」を見守る者として、

まず最初にイエスの再臨のしるしを認めるはずであった牧師たちは、

預言のあかしからも、時のしるしからも、

真理を学ぶことができなかった。

彼らの心は、世俗的な望みと野心に満ち、

神に対する愛と神の言葉に対する信仰は、冷たくなっていた。

そして、再臨の教義が示された時に、

それはただ偏見と不信をかきたてるだけであった。

この使命が、だいたいにおいて一般信徒によって説教されたことが、

それに反対する理由としてあげられた昔のように、

神の言葉の明白なあかしは、

「役人たちやパリサイ人たちの中で、

ひとりでも信じた者があっただろうか」と問われるのであった。

 

そして、預言的期間に基づく議論に反論することは

非常に困難であるのに気づいた多くの者は、

預言の書は封じられたものであって理解できないと教えて、

預言の研究を思いとどまらせた。

多くの者は、牧師を絶対的に信頼して、

警告に耳を傾けることを拒んだ。

ほかの者たちは、真理であると自覚はしても、

「会堂から追い出」されることを恐れて、

信仰を告白しなかった。

神が教会を試み、清めるために送られた使命は、

キリストよりはこの世を愛する人々の数が

どんなに多いかということを、あまりにも明白に示した。

彼らを地に結びつけるきずなは、

彼らを天にひきつけるものより強力であった。

彼らは、世俗の知恵の声に耳を傾けることを選び、

心をさぐる真理の使命に背を向けたのである。

 

彼らは、第1天使の使命を拒否することにより、

神が彼らの回復のために備えられた手段を拒絶した。

彼らは、彼らを神から隔てている

悪を矯正(きょうせい)したはずの

恵みの使者をはねつけ、

ますます熱心に世との交わりを求めた。

1844年の教会内における、

世俗化、背教、霊的死という恐るべき状態の原因は、

実にこれであった。

バビロンは倒れた

黙示録 1 4: において、第一天使に続いて、

第二天使が、

「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。

その不品行に対する激しい怒りのぶどう酒を、

あらゆる国民に飲ませた者」と宣言している(黙示録 14:8)。

「バビロン」という言葉は、「バベル」からきたもので、

混乱を意味している。

この言葉は、聖書では、種々の形をとった偽りの、

あるいは背教的な宗教を指すのに用いられている。

黙示録 17:には、バビロンは女であるといわれている。

女は、聖書では教会の象徴として用いられている。

純潔な女は、純潔な教会であり、汚れた女は、

背教した教会を表している。

 

聖書では、キリストとキリストの教会との間の

神聖で永続的な関係を、結婚の契りで表わしている。

主は、厳粛な契約によって、ご自分の民をご自分に結びつけられ、

ご自分が彼らの神になることを約束された。

そして彼らは、自分たちが神のものとなり、

神だけのものになることを誓ったのである。

神はこう言われる。「わたしは永遠にあなたとちぎりを結ぶ。

すなわち正義と、公平と、いつくしみと、

あわれみとをもってちぎりを結ぶ」(ホセア 2:19)。

そしてまた、「わたしはあなたがたの夫だからである」

と言っておられる(エレミヤ 3:14)。

パウロも新約聖書において、同じ象徴を用いて、

「あなたがたを、きよいおとめとして、

ただひとりの男子キリストにささげるために、婚約させたのである」

と言っている(Ⅱコリント 11:2)。

 

教会がキリストに不忠実であって、

キリストに対する信頼と愛情を失い、世

俗の事物に対する愛を心に抱くことは、

結婚の誓いを破ることにたとえられている。

主を離れたイスラエルの罪が、

この象徴によって語られている。

そして彼らが軽んじた、神の驚くべき愛が、

次のように感動的に描かれている。

「わたしは・・・・あなたに誓い、あなたと契約を結んだ。

そしてあなたはわたしのものとなったと、

主なる神は言われる。」

「あなたは非常に美しくなって王の地位に進み、

あなたの美しさのために、あなたの名声は国々に広まった。

これはわたしが、

あなたに施した飾りによって全うされたからである。

・・・・ところが、あなたは自分の美しさをたのみ、

自分の名声によって姦淫(かんいん)を行」った。

「『イスラエルの家よ、背信の妻が夫のもとを去るように、

たしかに、あなたがたはわたしにそむいた』と主は言われる。」

「自分の夫に替えて他人と通じる姦婦よ」

(エゼキエル 16:8、13―15、32、エレミヤ 3:20)。

 

新約聖書にも、神の恵みより世俗の交わりを求める自称キリスト者た

ちに、これと同様の言葉が語られている。

使徒ヤコブは次のように言っている。

「不貞のやからよ。世を友とするのは、

神への敵対であることを、知らないか。

おおよそ世の友となろうと思う者は、

自らを神の敵とするのである」(ヤコブ 4:4)。

 

黙示録17 章の女(バビロン)は、次のように描写されている。

「この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、

憎むべきものと・・・・汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、

その額には、1つの名がしるされていた。

それは奥義であって、

『大いなるバビロン、淫婦どもの母』というのであった。」

「わたしは、この女が聖徒の血と

イエスの証人の血に酔いしれているのを見た」と預言者は言っている。

バビロンは、さらに、「地の王たちを支配する大いなる都のことである」

と言われている(黙示録 17:4―6、18)。

幾世紀にもわたって、キリスト教国の君主たちの上に

独裁的支配を維持した権力は、ローマである。

紫と赤、金と宝石と真珠は、

華麗な王権にまさる豪華さを誇った

ローマ法王権を鮮やかに描写している。

また、キリストに従う者を残酷に迫害したこの教会ほど、

「イエスの証人の血に酔いしれている」ということが

当てはまる権力はほかにない。

またバビロンは、「地の王たち」と

非合法的関係を結んだと非難されている。

ユダヤの教会が淫婦になったのは、

主を離れ、異邦人と同盟を結んだためであったが、

ローマも同様に、俗権の支持を求めて堕落し、

同様の非難を受けている。

新教諸派の堕落

バビロンは、「淫婦どもの母」であると言われている。

その娘たちとは、

彼女の教義と言い伝えを重んじてその例にならい、

世との不法な同盟を結ぶために、

真理と神の是認とを犠牲にする諸教会の象徴でなければならない。

バビロンが倒れたことを宣言する黙示録 14:のメッセージは、

かつては純潔であったが腐敗するに至った

宗教団体に適用されねばならない。

このメッセージは審判の警告に続くものであるから、

最後の時代に発せられるものでなければならない。

したがって、これは、

ローマ・カトリック教会だけに当てはまるものではない。

なぜならば、この教会は、

幾世紀にわたって倒れた状態にあったからである。

さらに、黙示録 18:では、

神の民はバビロンから離れ去れと呼びかけられている。

この聖句によれば、多くの神の民がまだバビロンに

いなければならない。今、キリストに従うものの大部分は、

どの宗教団体に属しているであろうか。

言うまでもなく、プロテスタント各派の諸教会である。

これらの諸教会は、その出現の当初にあっては

神と真理のために崇高な態度をとり、神の祝福にあずかった。

不信仰な世の人々でさえ、

福音の原則を信じることに伴う恵みを

認めずにはおられなかった。

預言者はイスラエルに次のように言った。「あなたの美しさのために、

あなたの名声は国々に広まった。これはわたしが、

あなたに施した飾りによって全うされたからであると、

主なる神は言われる。」

しかし、彼らも、イスラエルののろいであり

滅びであったのと同じ欲望―神を信じない人々の習慣に習い、

彼らとの交わりを求めようとする欲望―によって堕落した。

「あなたは自分の美しさをたのみ、自分の名声によって姦淫を行」った

(エゼキエル 16:14、15)。

 

プロテスタント教会の多くは、ローマの例にならって

「地の王たち」と不法な関係を結んでいる。

国教会は俗権と提携することによって。

また他の教派は、世俗の歓心を求めることによって。

そこで、この「バビロン」(混乱)という言葉は、

それぞれ自分たちの教義は聖書に基づいたものであるといいながら、

ほとんど無数の教派に分かれ、

互いに衝突する信条と理論をもったこれらの諸団体に、

まことによく当てはまるのである。

 

諸教会は、ローマから分離していながら、

世俗との罪深い結合のほかにも、ローマの他の特質をあらわしている。

 

ローマ・カトリックの一著書に、次のようにある。

「もしローマの教会が、

諸聖人に関して偶像礼拝の罪があるとするならば、

その娘である英国国教会も同罪である。

英国では、キリストにささげられた教会1つ

に対して、マリヤにささげられた教会が10ある。」③

 

また、ホプキンス博士は、

『千年期に関する論文』の中で次のように言っている。

「反キリスト教的精神と習慣が、今、

ローマ教会と呼ばれているものに限られていると見なす理由はない。

プロテスタント諸教会も、

その中に多くの反キリスト的なものを持っており、

腐敗と罪悪・・・・から全くぬけ切ったとは、とうてい言えない。」④

 

長老教会がローマから分離したことに関して、

ガスリー博士は次のように書いている。

「今から300年前、わが教会は、

開かれた聖書を旗印とし、『聖書を調べよ』をその標語として、

ローマの門から進み出た。」

そして彼は、次のような意味深長な質問を発するのである。

「果たして彼らは、完全に、バビロンから出たであろうか?」⑤

 

また、スポルジョンは言っている。

「英国国教会は、徹頭徹尾、

秘蹟(ひせき)重視主義に陥っているように思われる。

しかし、非国教徒も同様に、

はなはだしく哲学的不信に打ち負かされているように思われる。

われわれが望みをかけていた者たちが、

1人また1人と、信仰の根本から離れ去っていく。

わたしは、今や英国の心臓部そのものが、

のろうべき無神思想に食いつくされていると思う。

それは、おくめんもなくなお説教壇に上がって

自らをキリスト教と称しているのだ。」

堕落の原因

この大背教の原因は、一体なんであったであろうか。

教会はどのようにして、福音の単純さから離れたのであろうか。

それはキリスト教が、異教徒に受け入れられやすいようにと、

多神教の習慣に順応したからであった。

使徒パウロは、彼の時代においてさえ、

「不法の秘密の力が、すでに働いているのである」と言った

(Ⅱテサロニケ 2:7)。

使徒たちの生きている間は、

教会は、比較的純潔を保っていた。

しかし、「2世紀の終わりごろに、

たいていの教会は、新しい形式を取り入れた。

最初の単純さは消えた。

そして、徐々に、年老いた弟子たちが墓に入るにつれて、

彼らの子供たちが、新しい改心者たちとともに・・・・

登場し、運動の形態を新たなものにした。」⑥

改宗者を得るために、キリスト教の高い標準は下げられ、

その結果、

「多神教が洪水のように教会内に流れ込み、

その習慣、風俗、偶像を持ち込んだ。」⑦

キリスト教が、世俗の支配者たちの愛顧と支持を受けるにつれて、

一般大衆も名目上はキリスト教を信じるようになった。

しかし、キリスト者らしく見えても、

多くの者は「実質上は多神教であって、

特に、隠れて彼らの偶像を礼拝していた。」⑧

 

プロテスタントであると称するたいていの教会は、

これと同様の過程を経たのではなかろうか。

真の改革の精神をもっていた創立者たちが死ぬと、

その子孫たちが登場して

「運動の形態を新たなものにする。」

改革者の子孫たちは、父祖たちの信条に盲目的に固執して、

彼らが認めたこと以上の真理を受け入れようとはせず、

その一方では、父祖たちの

謙遜、自己犠牲、世俗の放棄などの模範から、

遠く離れていった。

こうして、「最初の単純さは消える。」

世俗の洪水が教会に流れ込んで、

「その習慣、風俗、偶像」を持ち込んだ。

 

ああ、「神への敵対」である世を友とする精神が、

今日、キリストの弟子であると称する人々の間に、

なんと恐ろしいばかりに、広く行きわたっていることであろう。

キリスト教国の一般の教会は、謙遜、自己犠牲、単純、敬虔といった

聖書の標準から、なんと遠くかけ離れてしまったことであろう。

ジョン・ウェスレーは、金銭の正しい用い方について、

次のように語った。「このように貴重なタレントは、

不必要で高価な衣服や、あるいは不用な飾りなど、

単に目の欲を満足させるものに、少しでも浪費してはならない。

自分の家を妙に飾り立てるために浪費してはならない。

不必要な、または、高価な家具、ぜいたくな絵画、

飾り物のために浪費してはならない。・・・・

持ち物の誇りを満足させ、人間の賞賛を得るために

金を使ってはならない。・・・・

『みずから幸いな時に、人々から賞賛』される。

あなたが『紫の布や細布を着て、』

『毎日ぜいたくに』遊び暮らしているならば、確かに多くの者は、

あなたの趣味の高尚なことと、あなたの気前よさと、

歓待ぶりを賞賛するであろう。

しかし、そのように高価な賞賛を買ってはならない。

それよりも、神から受ける栄誉に満足すべきである。」⑨

ところが、われわれの時代の多くの教会は、

こうした教えを無視している。

世俗化と快楽追求

宗教を告白することは、世の人々に歓迎されるようになった。

為政者、政治家、弁護士、医師、実業家などは、

社会の尊敬と信頼を確保し、

自分たちの世俗的な利益を増進するために、

教会に加わる。

 

こうして彼らは、キリスト教を公言しながら、

そのかげであらゆる不正な取引を行おうとする。

こうして教会に加わった世俗の人々の、

富と影響力によって補強された種々の宗教団体は、

なおいっそう、世の人気と愛顧を得ようと努力する。

ぜいを尽くした教会堂が、繁華な通りに建設され、

礼拝者たちは、高価な流行の衣服をまとっている。

人々を喜ばせ引きつける才能ある牧師に、

高給が支払われる。

彼の説教は、

人々の罪にふれてはならず、

上流社会の人々の耳に

楽しい快いものでなければならない。

こうして、

上流社会の罪人たちが教会の名簿にのせられ、

社交界の罪が信心深い装いのかげに隠されている。

 

現代の自称キリスト者たちの世俗に対する態度について、

ある有力な一般雑誌は次のように言っている。

「教会は、知らず知らずのうちに、時代の精神に順応し、

その礼拝の形式も、現代の要求に適応させてしまった。」

「実際、教会は、今や宗教を魅力的にするのに役立つものならなんでも、

その手段として用いている。」

また、ニューヨークの『インディペンデント』誌の筆者は、

メソジスト教会について、次のように言っている。

「信心深い者と宗教的でない者との区別は、

あいまいになり、双方の側の熱心な人々は、

彼らの行動や楽しみの差異を

全部取り去ろうと努力している。」 

宗教を信じることが一般に歓迎されるようになると、

その義務を十分に果たすことをせずしてその恩恵に

あずかろうとする者が、はなはだしく増加するようになる。」

 

ハワード・クロスビーは、次のように言っている。

「キリスト教会が、主の意図されることをほとんど

果たしていない状態は、まことに憂慮すべきことである。

ちょうど昔のユダヤ人たちが、偶像国民と親しく交わって、

その心を神から奪い去られたように、・・・

イエスの教会は今、不信仰な世界と不実の提携をして、

神から与えられた真の生活の指針を放棄し、

キリストを信じない社会の、

もっともらしいが危険な習慣に順応し、

神の啓示とは無関係で、恵みにおけるあらゆる成長とは

全く反対の議論を行っては、そうした結論に達している。」⑩

 

この世俗化と快楽追求の潮流の中で、キリストのための克己と

自己犠牲とは、ほとんど全面的に忘れ去られている。

「今、教会で活動している男女のあるものは、子供の時に、

キリストのために何かをささげるか、または何かを行うために、

犠牲を払うようにと教えられたのである。」

しかし「今、資金が欠乏していても、・・・・ささげるようにとの

呼びかけはだれにもなされない。それよりも、慈善市、演劇、模擬裁判、

古物収集夕食会、あるいは何かの会食などー人々を

楽しませることを行おうとする。」

 

ウィスコンシン州のウォシュバーン知事は、

1873年1月9日の年頭報告の中で次のように言った。

「ばくち打ちが出てくるような学校を

閉鎖する法律が必要であるように思われる。

そういう学校が至るところにある。

教会でさえ(疑いもなく、知らずにではあろうが)、

悪魔の仕事をしていることがある。

時には宗教的または慈善の目的で開かれる景品付き音楽会や

景品付き売り出し、富くじなどは、しばしば、福引きや懸賞袋など

低級な目的のためにも開かれており、これらはみな、

射幸心をそそる手段である。

特に青年たちにとって、

労せずして金や物を手に入れることほど、

心を堕落させ、まひさせるものはない。

りっぱな人々が、こうした投機的な催しにたずさわり、

その金銭はよい目的のために

使われるのだと考えて安心している間に、

州の青年たちがかけごとに熱中する習慣に陥ってしまっても、

不思議ではない。」

 

世俗との妥協の精神が、

キリスト教国の至るところの教会に侵入しつつある。

ロバート・アトキンスは、ロンドンでの説教の中で、

英国に広く行きわたっている

霊的堕落の暗い絵を描いて次のように言っている。

「真に正しい人々は、地上から減りつつある。

そしてだれもそのことを気にかけない。

今日、各教会における信者たちは、世俗を愛し、世俗と妥協し、

肉体的な楽しみを愛し、

そして人々の尊敬を得たいとあこがれている。

彼らは、キリストとともに苦しむように召されているのに、非

難を受けることさえ恐れている。・・・・

背教、背教、背教が、各教会の真正面に刻印されている。

もし彼らがそれを知り、それを感じるならば、

望みがあろう。ところが、悲しいことに彼らは、

『自分は富んでいる、豊かになった。なんの不自由もない』

と叫ぶ。」⑪

バビロンより出(い)でよ

バビロンに対して宣告された大罪は、

「その不品行に対する激しい怒りのぶどう酒を、

あらゆる国民に飲ませた」ことである。

バビロンが世界に提供するこの杯は、

バビロンが地上の勢力者たちと不法な関係を結んだ結果受け入れた、

偽りの教義を表わしている。

世を友とすることは、その信仰を腐敗させる。

そして一方バビロンのほうは、

聖書の明白な言葉に反対する教義を教えて、

世に腐敗的影響を及ぼすのである。

 

ローマは、人々から聖書を取り上げて、

そのかわりにローマの教えを受け入れるよう、すべての者に要求した。

神の言葉を人々に取りもどすことが、

宗教改革の働きであった。

しかし、今日の教会においては、聖書よりはむしろ

教会の信条や教義を信じるように人々に教えているのが、

かくれもない事実ではなかろうか。

チャールズ・ビーチャーは、プロテスタント教会についてこう語った。

「かつて父祖たちが、自分たちが助長していたところの聖人や

殉教者たちへの崇敬の念の高まりに対して、それを非難する言葉を

注意深く避けたように、今日の新教教会は、信条を非難する

どのような言葉をも、注意深く避けている。・・・・

プロテスタントの福音諸教派は、自分の教派はもちろんのこと、

他の教派とも非常に堅く互いに手を握り合っているために、

聖書以外に何かの書を受け入れるのでなければ、

だれも絶対に牧師になることができない。・・・・

昔、ローマが聖書を禁じたと同様に、

今や信条の力が、より隠微な方法によってではあるが、

聖書を禁じ始めていると言っても、

決して単なる想像ではないのである。」⑫

 

忠実な教師が、神の言葉を説明すると、学者や、

自分は聖書を理解していると主張する牧師たちが現われて、

健全な教理を異端であると非難し、

こうして真理の探究者を追い返すのである。

世界がバビロンの酒に酔いつぶれていさえしなければ、

多くの者は、神の言葉の明白で鋭い真理によって心を打たれ、

改心することであろう。

しかし、宗教的信条が非常に混乱し矛盾しているように思えるので、

人々は何を真理として信じてよいのかわからずにいる。

世界が悔い改めないのは、

教会の責任である。

最後の警告

黙示録 1 4: の第二天使の使命は、

最初、1844年の夏、宣べ伝えられた。

そして、それは当時の米国の諸教会に直接当てはまるものであった。

米国においては、

審判の警告が最も広く宣言されたにもかかわらず、

大部分の教会はそれを拒否して、急速に堕落してしまった。

しかし、第二天使の使命は、

1844年に完全な成就を見たのではなかった。

その時、教会は、再臨使命の光を拒否したために、

道徳的堕落を経験したのであったが、

しかしその堕落は、全面的なものではなかった。

諸教会は現代に対する特別な真理を拒否しつづけてきたために、

ますますひどく堕落してしまった。

しかし、「バビロンは倒れた。・・・・その不品行に対する

激しい怒りのぶどう酒を、あらゆる国民に飲ませた者」

と言うまでには、まだなっていない。

彼女はまだあらゆる国民に飲ませてはいない。

世俗と妥協する精神と、

われわれの運命を決定する現代の真理に対する無関心とが、

すべてのキリスト教国の

プロテスタント諸教会内で力を得ている。

こうした教会も、

第2天使の厳粛で恐るべき告発の中に含まれる。

しかし、背教の活動は、

まだその頂点に達していない。

 

聖書は、主の再臨の前に、サタンが

「あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、

また、あらゆる不義の惑わしとを」もって働き、

「自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれ」ない者は、

「偽りを信じるように、迷わす力」を受けるに至る、

と言っている(Ⅱテサロニケ 2:9―11)。

こうした状態になって、

教会と世俗との結合がキリスト教国全体において完全に行われる時に、

初めてバビロンの堕落は完全なものとなる。

この変化は徐々に行われる。

黙示録 14:8の全面的成就は、まだ将来のことである。

 

バビロンを構成する諸教会は、

霊的暗黒と神からの離反に陥っているにもかかわらず、

その中にはまだ、

真のキリスト者が数多くいる。

この時代のための特別な使命を

まだ悟っていない人々が多くいる。

自分たちの現状に満足せず、

もっと明らかな光を待ち望んでいる者が、少なくない。

彼らは自分たちの所属する教会の中に、

キリストの姿を見ようとしても見ることができない。

こうした諸教会が、真理からますます遠く離れ、

世俗といっそう密接に結合するにつれて、

2つのグループの人々の相違は大きくなり、

ついには分離しなければならなくなる。

この上なく神を愛する人々は、

「神よりも快楽を愛する者、

信心深い様子をしながらその実を捨てる者」たちとは、

もはや関係を保つことができなくなる時が来る。

 

黙示録 18:は、教会が、

黙示録 14:6―12の三重の使命を拒否した結果、

第二天使の使命が預言した状態に完全に陥り、

そして、まだバビロンにいる神の民が、

その中から出るようにと求められる時を示している。

これは、世界に発せられる最後の器である。

そしてそれは、その働きを成し遂げる。

「真理を信じないで議を喜んでいた」人々は、

偽りを信じ、迷わす力に陥るままにされる(Ⅱテサロニケ 2:12)。

その時真理の光は、それを受けようと心を開くすべての人の上に輝き、

バビロンに残っている主の子供たちはみな、

「わたしの民よ。彼女から離れ去」れという

招きの声に耳を傾けるのである(黙示録 18:4)。

 

 

第21章 注

①Bliss, p.328

②"Congregational Journal, "May 23, 1844.

③Richard Challoner, "The Catholic Christian Instructed," Preface, pp. 21, 22.

④Samuel Hopkins, "Works," vol. 2, p.328.

⑤Thomas Guthrie, "The Gospel in Ezekiel," p.237.

⑥Robert Robinson, "Ecclesiastical Researches," ch.6, par.17, p.51.

⑦Gavazzi, "Lectures," p.278.

⑧Ibid.

⑨Wesley, "Works," Sermon 50, "The Use of Money."

⑩"The Healthy Christian: An Appeal to the Church, "pp.141, 142.

⑪Second Advent Library, tract No. 39.

⑫Sermon on "The Bible a Sufficient Creed, "delivered at Fort Wayne, Indiana,

Feb. 22, 1846.

 

【 第22章 預言の成就と大いなる試練 】

1844年当時の再臨信徒

主の再臨を最初に期待していた時

―すなわち1844年の春―が過ぎた時、

主の出現を信仰をもって待望していた人々は、

しばらくの間、疑惑と不安に閉ざされた。

世は、彼らが全く敗北し、

妄想(もうそう)にとりつかれていたことを証明したと考えたが、

しかし彼らの慰めの源は、なお神の言葉であった。

多くの者は、聖書の研究を続け、

自分たちの信仰の証拠を改めて吟味し、

注意深く預言を学んで、もっと光を受けようとした。

彼らのとった立場を支持する聖書の証言は、

明白で決定的であった。

まちがう余地のないいくつかのしるしが、

キリストの再臨の近いことを示していた。

罪人の悔い改めとキリスト者の霊的生命の

リバイバルという両面における主の特別な祝福は、

その使命が神からのものであることをあかししていた。

そして信徒たちは、

自分たちの失望を説明することはできなかったけれども、

これまでの経験において神の導きがあったことを確信した。

 

彼らが再臨の時にあてはまると考えた預言の中には、

彼らの不安と気がかりな状態に対して

特にあてはまる教訓があった。

そしてそれは、今はわからないことでも、

やがて明らかにされるという信仰をもって耐え忍んで待つようにと、

彼らを励ますものであった。

 

これらの預言の中に、ハバクク 2:1―4の預言があった。

「わたしはわたしの見張所に立ち、物見やぐらに身を置き、望み見て、

彼がわたしになんと語られるかを見、またわたしの訴えについて

わたし自らなんと答えたらよかろうかを見よう。

主はわたしに答えて言われた、『この幻を書き、

これを板の上に明らかにしるし、走りながらも、

これを読みうるようにせよ。この幻はなお定められたときを待ち、

終りをさして急いでいる。それは偽りではない。

もしおそければ待っておれ。それは必ず臨む。滞りはしない。

見よ、その魂の正しくない者は衰える。

しかし義人はその信仰によって生きる』。」

 

「この幻を書き、これを板の上に明らかにしるし、

走りながらも、これを読みうるようにせよ」

というこの預言の指示は、

早くも1842年に、ダニエル書と黙示録の幻を説明する

図表の作製をチャールズ・フィッチに思いつかせていた。

この図表の発表は、ハバククによって与えられた

命令の実現であると考えられた。

しかし、幻の成就には一見遅延―時期が遅れることーがある

ということが同じ預言の中に示されていることに、

その時だれも気づかなかった。

失望後、この聖句は非常に意味深く思われた。

「この幻はなお定められたときを待ち、終りをさして急いでいる。

それは偽りではない。もしおそければ待っておれ。

それは必ず臨む。滞りはしない。・・・・

義人はその信仰によって生きる。」

 

また、エゼキエルの預言の一部が

信徒にとって力と慰めの源となった。

「主の言葉がわたしに臨んだ、『人の子よ、イスラエルの地について、

あなたがたが「日は延び、すべての幻はむなしくなった」という、

このことわざはなんであるか。

それゆえ、彼らに言え、「主なる神はこう言われる、・・・・

日とすべての幻の実現とは近づいた」と。・・・・

わたしは、わが語るべきことを語り、それは必ず成就する。

決して延びることはない。』」

「イスラエルの家は言う、『彼の見る幻は、なお多くの日の後の事である。

彼が預言することは遠い後の時のことである』と。

それゆえ、彼らに言え、主なる神はこう言われる、

わたしの言葉はもはや延びない。

わたしの語る言葉は成就すると、主なる神は言われる」

( エゼキエル 1 2 :21-25、27、28)。

 

待っていた人々は、

初めから終わりのことを知っておられる方が、

各時代を見通し、彼らの失望を予見して、

勇気と希望の言葉を与えておられたことを信じて、喜んだ。

忍耐して待ち、神の言葉を堅く信じることを教える

こうした聖書の言葉がなかったならば、彼らの信仰は、

この試練の時にくじけてしまったことであろう。

「10人のおとめ」のたとえ

マタイ 2 5: の、

1 0人のおとめのたとえも、

再臨信徒の経験を説明している。

マタイ 24:において、

キリストは、再臨と世の終わりについての

弟子たちの質問に答えて、

彼の初臨から再臨までの間の

世界と教会の歴史における重要なできごとをいくつか指摘された。

すなわち、それらは、エルサレムの滅亡、

異教および法王権の迫害による教会の大患難、

日と月が暗くなること、落星などであった。

この後で、彼は、ご自分がみ国の力をもって来ることを語られ、

彼の出現を待つ二種類のしもべたちについてのたとえを話された。

25章は、「そこで、天国は、10人のおとめ・・・・に似ている」

という言葉で始まっている。

ここに、24章の終わりに示されているのと同様の、

終末時代に存在する教会が描かれている。

このたとえにおいて、彼らの経験は、

東洋の婚礼というできごとによって説明されている。

 

「そこで天国は、10人のおとめがそれぞれあかりを手にして、

花婿を迎えに出て行くのに似ている。

その中の5人は思慮が浅く、5人は思慮深い者であった。

思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。

しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと

一緒に、入れものの中に油を用意していた。

花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。

夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。」

 

第一天使の使命が布告したキリストの再臨は、

花婿が来ることによって表示されていると理解された。

キリストの再臨が近いという布告を聞いて広く改革が行われたことは、

おとめたちが出迎えたことに相当するものであった。

マタイ 24:と同じく、このたとえにおいても、

二種類の人々が表わされている。

すべての者が、あかりである聖書を手にし、

その光によって花婿を出迎えようとした。

ところが、「思慮の浅い者たちは、

あかりは持っていたが、油を用意していなかった。」

「思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、

入れものの中に油を用意していた。」

 

思慮深い者たちは、神の恵み、

すなわち、神の言葉を足のともしび、

また道の光とするところの、聖霊の再生と啓発の力を受けていた。

彼らは神を恐れ敬い、

真理を学ぶために聖書を研究し、

心と生活の清めを熱心に求めていた。

この人々は、自分自身の体験を持ち、神とみ言葉に対す

る信仰を持っていたから、

失望や遅延にもくじけることはなかった。

他の者たちは、「あかりは持っていたが、油を用意していなかった。」

彼らは、衝動に動かされたのであった。

彼らは、厳粛な使命を聞いて恐れを感じはしたものの、

同信の友だちの信仰にたよって、

真理の十分な理解を持たず、

また心に恵みの真の働きを経験せずに、

良き感情という危げな光に満足していた。

彼らは、すぐに報いが与えられるものと期待して、

主を迎えに出た。

しかし彼らには、遅延や失望に対する用意がなかった。

試練が来た時に、彼らの信仰はくじけ、

彼らの光は消えそうになった。

 

「花婿の来るのがおくれたので、

彼らはみな居眠りをし」た。

花婿の遅延は、

主が来られると期待した際の時の経過と、

失望と、そして一見遅延と思われたこととを表わしていた。

この不安な時において、表面的で半信半疑の人々の興味は

すぐに動揺し始め、その努力はゆるみ始めた。

しかし、自分で得た聖書の知識に信仰の基礎を置いた人々は、

失望の波に洗い去られることのない岩の上に立っていた。

「みな居眠りをして、寝てしまった。」

一方の人々は自分たちの信仰を平然と放棄して、

そしてもう一方の人々は、

より明らかな光が与えられるまで忍耐して待ちながら。

しかし、試練の夜、

後者は彼らの熱心と献身をいくぶんか失うかにみえた。

不熱心で表面的な人々は、

もはや同信の友だちの信仰に頼ることができなかった。

各自が、自分で立つか、倒れるかしなければならなかった。

サタンの活動

ちょうどこのころ、狂信が現われ始めた。

これまで使命を熱心に信じるといっていた人々が、

誤りのない手引きとしての神の言葉を拒否して、

自分は聖霊に導かれていると称し、

彼ら自身の感情、印象、

想像に身をゆだねた。

 

ある者たちは、無分別で頑迷(がんめい)な熱心さをあらわして、

自分たちの行動を認めない者をみな非難した。

彼らの狂信的な考えと行動は、再臨信徒の大部分の者の共感を得られなかったが、しかし、こうした者たちのために、

真理の運動そのものが非難を受けたりした。

 

サタンは、こうした方法で神の働きに反対し、

それを打ちこわそうとしていた。

人々は、再臨運動によって非常な感銘を受け、

遅延の期間中でさえ、幾千の罪人が悔い改め、

忠実な人々が真理の宣布のために献身していた。

悪の君は、彼の部下たちを失いつつあった。

そこで彼は、

神の働きに恥辱をもたらすために、

信仰を表明している人々のある者たちを欺いて、

極端に走らせようとした。

そうしておいて、彼の部下たちは、

すぐにその誤りや失敗や見苦しい行為をみな取り上げて、

それをはなはだしく誇張して人々に示し、

再臨信徒とその信仰を憎むべきものであると思わせようとした。

こうして、再臨信仰を公言していても心が

サタンの力に支配されている者が多ければ多いほど、

彼らを信者全体の代表であるとして

人々の注目を引くことによって、

サタンはますます有利になるのである。

 

サタンは、「われらの兄弟らを訴える者」である。

そして、人々に主の民の誤りや欠点を見つけさせ、

それを注目の的にする一方、

彼らの善行は何も言わずに見過ごしてしまわせることが、

サタンの精神である。

サタンは、神が救霊のために活動されるときは、いつも活躍する。

神の子供たちが主の前に現われる時、

サタンも彼らの中にいる。

すべてのリバイバル集会において、彼は、心が清められず、

精神の不健全な者を参加させようとしている。

この人々が、真理のいくぶんかを信じて、

信者の仲間に入ると、サタンは、彼らを通して、

軽率な人々を欺く説を持ち込んでくる。

神の子供たちの仲間に入り、礼拝の家にいて、

主の聖餐(せいさん)にあずかるからといって、

その人が真のキリスト者であるとはかぎらない。

サタンはしばしば、彼が用いることのできる者の姿をかりて、

最も厳粛な集会に連なっている。

誤謬(ごびゅう)の霊と真理の霊

悪の君は、

神の民が天の都に向かって進む

旅のその1歩ごとに妨害をする。

教会の全歴史において、

改革が行われるときには必ず重大な障害があった。

パウロの時代においてもそうであった。

彼が教会を起こしたところではどこでも、

信じると言いながら異端をもたらす者たちがあった。

そして、もしそれを信じるならば、

ついには真理に対する愛が失われてしまうのであった。

ルターもまた、

直接神の言葉に接したと主張して

自分の考えや意見を聖書の証言以上に

重要視する狂信的な人々に、

非常に悩まされ苦しめられた。

信仰と経験に欠けていながら、相当のうぬぼれを持ち、

新奇なことを聞いたり話したりすることが好きな多くの人々は、

このような新しい教師の主張に欺かれ、

神がルターを動かして

打ちたてようとなさったことを破壊するサタンの働きの、

その手先となった。

また、ウェスレー兄弟や、またその感化力と信仰とによって

世界に祝福をもたらした他の人々も、過激で不健全で清められて

いない人々をあらゆる種類の狂信に陥れるサタンの策略に、

終始悩まされたのである。

 

ウィリアム・ミラーは、

そうした狂信的傾向への動きには共鳴しなかった。

彼は、ルターと同様に、

すべての霊は神の言葉によって試されるべきであると断言した。

ミラーは言った。

「悪魔は、今日、ある人々の心に大きな勢力を持っている。

われわれは、彼らがどのような霊を持っているかを、

どうやって知ることができるであろうか。

聖書は、『あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう』

と答えている。・・・・

さまざまの霊が世に現われてきている。

そしてわれわれは、霊を試すように命じられている。

この世の中にあって、われわれを落ち着いて正しく信仰深く

生きるようにさせない霊は、キリストの霊ではない。

このような熱狂的運動は、サタンによるところ大であるとの確信を、

わたしはますます強くしている。・・・・

われわれの中には、全く清められたと主張する者が多くあるが、

彼らは、人間の言い伝えに従っているのであって、

真理を信じることを表明しない他の人々と同様に、

真理のことは何も知らないように思われる。」①

「誤りの霊は、われわれを真理から離れさせる。

そして、神の霊は、われわれを真理に導くのである。

しかし、あなたがたは言うであろう。

人は誤りの中にいながら自分は真理を持っていると考える時がある。

その場合はどうなのか、と。われわれはこう答える。

霊と言葉とは一致する、と。もし人が、神の言葉によって自分を判断し、

神の言葉全体と完全に調和していることがわかれば、

その時には自分は真理を持っていると信じなければならない。

しかし、もし自分を導いている霊が、

神の律法や聖書の全体の主旨と調和しないならば、

悪魔のわなに捕えられることのないように、

注意して歩かなければならない。」②

「わたしは、しばしば、キリスト教国全体の雑音の中よりは、

輝く目、涙にぬれたほお、とだえがちな言葉の中に、

内的敬虔さの証拠をより多く見つけるのであった。」③

厳粛な運動

宗教改革の時代に、改革の敵たちは、

狂信の害悪をすべて、

最も熱心に狂信に反対して働いていた人々自身のせいにした。

同様のことが、

再臨運動の反対者たちによって行われた。

極端な人々や狂信的な人々の誤りを、

偽り誇張して伝えるだけでは満足せずに、

なんの根拠もない悪評を

言いふらした。

これらの人々は、偏見と憎しみに動かされていた。

彼らは、キリストが門口に来られたという宣言を聞いて

心の平和を破られた。

彼らは、それが真実かもしれないと恐れながら、

そうでないことを望んだ。

彼らが再臨信徒とその信仰に戦いをいどんだ秘密はこれであった。

 

パウロやルターの時代に、

教会に狂信者や欺瞞者(ぎまんしゃ)がいたからといって、

彼らの働きを非難する理由にはならないのと同様に、

再臨信徒の中に少数の狂信者がいたからといって、

それが神の運動でなかったと決める理由にはならない。

神の民が、眠りからさめて、

悔い改めと改革の業に熱心に取りかかるなら、

また、イエスにある真理を学ぶために、聖書を探るなら、

そして、神に対して全的な献身をするなら、

その時には、サタンが今なお抜け目なく活動しているということが、

よくわかるであろう。

サタンは、できるかぎりの欺瞞を働かせ、彼の支配下のすべての堕落天使を動員して、彼の力をあらわすであろう。

 

再臨の宣布が、

狂信と分裂を引き起こしたのではなかった。

これらのことは、再臨信徒たちが、

自分たちの真の立場について疑惑と困惑の状態にあった

1844年の夏に、起きたのである。

第一天使の使命と「夜中の叫び」は、

直接、狂信と分裂をしずめるのに

役立った。

この厳粛な運動に参加した人々は一致していた。

彼らの心は、お互いに対する愛と、

まもなくお目にかかると待望していたイエスに対する愛に満ちていた。

1つの信仰、1つの祝福された望みが、彼らを高めて、

どんな人間的影響にも左右されぬようにし、

サタンの攻撃から彼らを守ったのである。

 

「花婿の来るのがおくれたので、

彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。

夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。

そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた」

( マタイ25:5―7)。

最初、2300日が終わると考えられた時と、

後に、それが延長していると考えられた同年の秋との、

その中間の1844年の夏に、

ちょうど聖書の言葉どおり、

「さあ花婿だ、迎えに出なさい」

という使命が伝えられた。

夜中の叫び

この運動が起きたのは、2300日の起算点であるところの、

エルサレムを建て直せというアルタシャスタ王の勅令は、

紀元前457年の秋に効力を発したのであって、

以前に信じられていたように、

その年の初めではなかったということが、発見されたからであった。

457年の秋から数えれば、2300年は、

1844年の秋に完了する(付録参照)。

 

また、旧約聖書の型から見ても、

「聖所の清め」によって

表わされている事件が起こるのは、

秋であることが示されていた。

これは、キリストの初臨に関する

型が成就した方法に注目した時、

非常に明瞭となった。

 

過越の小羊をほふることは、キリストの死の型であった。

パウロは次のように言っている。

「わたしたちの過越の小羊であるキリストは、

すでにほふられたのだ」(Ⅰコリント 5:7)。

過越の祭りの時に主の前で揺り動かす初穂の束は、

キリストの復活の典型であった。

パウロは、主と主のすべての民との復活について、

こう述べている。

「最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち」

(Ⅰコリント 15:23)。

収穫に先だって最初に実った穀物が揺祭としてささげられたように、

キリストは、

将来復活の時に神の倉に収められる贖われた人々の、

永遠の収穫の初穂である。

 

こうした型は、そのできごとだけでなくて、

その時に関しても成就した。

ユダヤ暦の1月14日、

すなわち1500年という長期にわたって

過越の小羊がほふられてきたその月その日に、

キリストは、弟子たちと過越の食事をともにし、

「世の罪を取り除く神の小羊」としての

ご自身の死を記念する式典を制定された。

その夜、彼は悪人たちの手に捕えられ、

そして十字架にかけられて殺されることになった。

そして、われわれの主は、揺祭の束の実体として、

3日目に死からよみがえり、「眠っている者の初穂」となり、

贖われたすべての者の「卑しいからだを、

ご自身の栄光のからだと同じかたちに変え」ることを実証された

( 同 15:20、ピリピ 3:21)。

 

これと同様に、再臨に関連した型も、

象徴的奉仕の中で指示された

その時期に成就しなければならない。

モーセの律法において、

聖所の清め、すなわち、大いなる贖罪の日は、

ユダヤ暦の7月10日に行われた

(レビ 16:29―34)。

その日に、大祭司は、全イスラエル人の罪の贖いをなし、

彼らの罪を聖所から除き、出て来て、民を祝福した。

そのように、われわれの大祭司キリストが現れて、

罪と罪人を滅ぼし、地を清め、

待望していた神の民に永遠の生命を与えるものと、

人々は信じた。

聖所の清めの時である大いなる贖罪の日の7月10日は、

1844年の10月22日にあたり、

その日が主の再臨の時であると考えられた。

これは、2300日が

秋に終結するという前記の証拠とも一致し、

この結論は反論できないと思われた。

 

マタイ 2 5: のたとえでは、

待機と眠りのあとに花婿が来ることになっている。

これは、預言と型との両面から提示された

今の議論とも一致していた。

彼らは、それらが真実であることを堅く信じた。

そして、「夜中の叫び」が、幾千の信徒たちによって叫ばれた。

主に立ち返れ

この運動は、潮流のように全土を覆った。

町々、村々、そして

僻地(へきち)にまで伝えられて、

待望していた神の民は、完全にめざめるに至った。

狂信は、昇る太陽の前の朝霜のように、

この宣言の前に消えていった。

信徒たちは、自分たちの疑いと困惑とが取り除かれたことを知り、

希望と勇気が彼らの心を活気づけた。

この運動には、人間的興奮だけで神の言葉と霊に

支配されていない時に

常にあらわれるところの極端さがなかった。

それは、古代のイスラエルが、

神のしもべたちからの譴責(けんせき)のメッセージを受けて、

心を低くし、主に立ち返る時の様子に似ていた。

それは、各時代における

神の働きのしるしであるところの特徴を帯びていた。

彼らは無我夢中で喜ぶということはせず、深く心を探り、

罪を告白し、世俗を捨てるのであった。

主に会う準備をするということが、苦悶(くもん)する魂の、

心の重荷であった。

彼らは、たゆまず祈るとともに、

神に全的に献身した。

 

ミラーは、その働きを次のように述べている。

「大きな喜びの表現などはない。

それは、天と地のすべてが、

言葉に尽くせない輝きに満ちた喜びをもってともに喜ぶ将来の時まで、

抑えておくもののように思われた。

大声で叫ぶこともない。

それもまた、天からの叫びがあるまで取っておかれる。

歌う者たちもだまっている。

彼らは、天使たち、天からの聖歌隊に加わるのを待っている。・・・・

感情の衝突はない。

すべての者は、心を1つにし、思いを1つにしている。」④

 

この運動に参加した他の者は、次のように証言した。

「この運動は、至るところで、

人々に深く心を探らせ、天の神の前に心を低くさせた。

それは、この世の事物に対する愛着を捨てさせ、

争いと敵意を和解させ、

罪の告白と神の前での屈伏を行わせ、

悔いくずおれて神に許しと嘉納を求めさせた。

それは、これまでわれわれが

目撃したことがなかったほど、

人々の心を神の前に低くし、ひれ伏させた。

神がヨエルによって命じられたように、

神の大いなる日が近づいた時、

人々は、衣服ではなく心を裂いて、

断食と嘆きと悲しみとをもって主に帰った。

また、神がゼカリヤによって言われたように、

神の子供たちに、恵みと祈りの霊とが注がれた。

彼らは自分たちが刺した主を見、

全地に大きな悲しみが起きた。・・・・

そして、主を待ち望んでいた者たちは、

そのみ前で心を悩ました。」⑤

 

使徒時代以来のすべての大宗教運動の中で、

1844年秋の運動ほど、

人間の不完全さとサタンの策略に

妨げられなかったものはない。

それから長年経過した今でさえ、

その運動に参加し、堅く真理に立った者はみな、

今なおあの祝福された事業の神聖な力を感じ、

それが神からのものであったことを証言するのである。

再臨信徒の信仰

「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と呼ぶ声がして、

待っていた者たちは「起きて、それぞれあかりを整えた。」

彼らは、これまでになかったほどの非常な興味をもって、

神の言葉を研究した。

失望しているものを奮起させて、

使命を受け入れるようにさせるために、

天からみ使いたちが送られた。

働きは、人間の知恵や学識によるものではなくて、

神の力によるものであった。

まず最初に召しを聞いて従ったものは、

最も学識のある人々ではなくて、最も謙遜で献身的な人々であった。

農夫は畑に作物を刈り残したままで、

そして、職人は道具を捨てて、

涙と喜びをもって、警告を伝えるために出て行った。

以前、運動の指導者であった人々は、

この運動では、いちばん最後になってから加わった。

一般の教会は、

この使命に対して戸を閉ざした。

そして、この使命を信じた多くの人々は、教会から脱会した。

この宣言は、神の摂理のもとに第2天使の使命と合流し、

その運動に力をそえた。

 

「さあ、花婿だ」というメッセージは、

聖書的証拠が明確で決定的ではあったが、

その議論が重要なのではなかった。

それには、人の心を動かさずにはおかぬ力が伴っていた。

それには疑惑も疑問もなかった。

キリストがエルサレムに勝利の入場をなさった時、

過越の祭りを祝うために各地から集まって来た人々が、

オリブ山に集まった。

そして、彼らがイエスに従っていた群衆に加わった時、

彼らはその場の霊感に打たれて、「主の御名によってきたる者に、

祝福あれ」という叫びに加わった(マタイ 21:9)。

そのように、再臨信徒の集会に集まった未信者たちも、

ある者は好奇心から、ある者はただ嘲笑するために来ていたが、

「さあ、花婿だ」というメッセージには、

彼らの心に強く迫るものがあった。

 

当時、人々は、祈りが答えられずにはいないような信仰、すなわち、

報いが与えられることを心にとめるところの信仰を持っていた。

乾いた土に雨が降るように、

恵みの霊は、熱心に求める者の上にくだった。

まもなく顔と顔を合わせて贖い主に会うことを期待した人々は、

言葉では表現できない厳粛な喜びを感じた。

忠実な信徒たちの上に、

神の祝福があふれるばかりに注がれて、

人々の心は、聖霊の和らげ静める力にとかされた。

 

メッセージを信じた人々は、注意深く厳粛に、

主に会うと期待しているその時を待った。

彼らは、毎朝、自分たちが神に受け入れられているという

確証を得ることを第1の義務と感じた。

彼らの心は堅く結ばれ、

ともに、そしてお互いのために、祈り合った。

彼らはしばしば、人里離れたところに集まって、

神と交わり、とりなしの声は野や林から天にのぼった。

彼らにとって、救い主に受け入れられたという確信は、

日ごとの糧よりも必要なものであった。

もし心に曇りが生じた場合には、

それが払いのけられるまでは安んじなかった。

彼らは、許されたという恵みの証拠を感じた時に、

彼らが心から愛している主を仰ぎ見たいと熱望したのである。

大失望

しかし、彼らは、再び失望を味わわなければならなかった。

期待した時は過ぎ、救い主はおいでにならなかった。

彼らは、ゆるぐことのない確信をもって、

主の来られるのを待望したのであったが、

しかし今は、マリヤが救い主の墓に来て、

それがからになっているのを見つけ、

「だれかが、わたしの主を取り去りました。

そして、どこに置いたのか、わからないのです」と泣いて叫んだのと同じように彼らは感じた(ヨハネ 20:13)。

 

使命が真実かもしれないという恐怖心が、

しばらくの間、

不信の世を抑制していた。

時が過ぎ去っても、これは、すぐには消え去らなかった。

最初、彼らは、失望した人々に勝ち誇ることはなかった。

しかし、神の怒りのしるしが現われないので、

彼らは恐怖心から立ち直り、ふたたび非難と嘲笑を始めた。

主の再臨が間近いことを信じると公言していた多くの者が、

信仰を捨てた。

非常な確信を持っていた人々の中には、

自尊心を深く傷つけられて、世から逃れたいと思う者もあった。

彼らは、ヨナのように神につぶやき、

生きるよりは死ぬことを願った。

神の言葉でなくて、

他人の意見に信仰の基礎をおいていた人々は、

今や、再び自分たちの見解を変えようとしていた。

嘲笑者たちは、弱くおくびょうな者たちを自分たちの側に引き入れた。

そしてこのような人々はみな、

もはや恐怖も期待もあり得ないのだと、口をそろえて宣言した。

時は過ぎ、主は来られなかった。

そして、世界は幾千年もこのまま続くように思われた。

 

熱心で誠実な信徒たちは、キリストのためにすべてをささげ、

これまでになく彼の臨在を感じていたのであった。

彼らは、自分たちの信じたとおり、

最後の警告を世界に伝えた。

そして、まもなく彼らの主と天使たちとの

交わりに入れられるものと期待していたので、

使命を受け入れない人々との交わりはほとんどしていなかった。

彼らは、切なる願望をもって、

「主イエスよ、来たりませ。

すぐ来たりませ」と祈っていた。

しかし、彼は来られなかった。

そして、今再び人生の心労と労苦の重荷を負い、

あざ笑う世のののしりと冷笑に耐えることは、

信仰と忍耐の恐ろしい試練であった。

使命宣布の意味

しかし、この失望は、

キリスト初臨の時の弟子たちの失望ほど

大きいものではなかった。

イエスが、エルサレムに勝利の入城をなさった時、

彼の弟子たちは、彼が今にもダビデの位について、

圧迫者からイスラエルを救済されるものと信じた。

大きな希望と喜ばしい期待をもって、

彼らは競って彼らの王に敬意を表した。

多くの者は、自分たちの上衣を彼の道に敷き物として敷いたり、

しゅろの枝を彼の前にまき散らしたりした。

熱狂的な喜びのうちに、彼らは、

「ダビデの子に、ホサナ」といっせいに歓呼の声をあげた。

パリサイ人がこの喜びの叫びを聞いて、きげんを損ね、

怒って、イエスに弟子たちをしかるように願った時、彼は、

「もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」と答えられた

(ルカ 19:40)。

預言は成就しなければならなかった。

弟子たちは、神のみこころを成し遂げつつあった。

そして彼らは、苦い失望に陥ることになっていた。

ほんの数日のうちに、彼らは、

救い主の苦難の死と葬りとを見なければならなかった。

彼らの期待は、何1つ成就せず、

彼らの希望もイエスとともに消え失せた。

主が勝利のうちに墓から出て来られるまで、

彼らは、すべてのことが預言されていたのだということ、

そして「キリストは必ず苦難を受け、

そして死人の中からよみがえるべきこと」を、

悟ることができなかった(使徒行伝 17:3)。

 

主は、500年前、

預言者ゼカリヤによって次のように宣言しておられた。

「シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。

見よ、あなたの王はあなたの所に来る。

彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。

すなわち、ろばの子である子馬に乗る」(ゼカリヤ 9:9)。

もし弟子たちが、キリストは審判と死に向かって

進んでおられるのだと知っていたならば、

彼らは、この預言を成就することはできなかったであろう。

 

同様に、ミラーと彼の仲間たちは、

霊感が世界に伝えるべきであると

預言したところの使命を伝えて、預言を成就したのである。

しかし、もし彼らが、自分たちの失望を指し示し、

主の再臨前にもう1つの使命が全世界に伝えられるべきことを

示しているところの、いくつかの預言を完全に知っていたならば、

彼らは、あの使命を宣布することはできなかったであろう。

第一と第二天使の使命は、正しい時に宣布されて、

神がそれらによってなそうと計画されたその働きを成し遂げた。

ゆるがぬ信仰に立って

その時が過ぎてキリストが現われないなら、

再臨運動全体が放棄されるであろうと期待しながら、

世の人々は見守っていた。

しかし、激しい試練のもとにあって、信仰を捨てたものも多かったが、

堅く立った者もいくらかあった。

再臨運動の実であるところのもの、すなわち、その働

きに伴ったところの、謙遜と自己吟味の精神、

世俗を捨てて生活の改革を行なう精神は、

それが神によるものであることを証明していた。

彼らは、再臨の宣布に対して

聖霊の力のあかしがあったことを否定できなかった。

また、自分たちの預言の期間の計算にまちがいを

見いだすことができなかった。

最も有能な反対者でさえ、

彼らの預言の解釈法を覆すことができなかった。

彼らは、神の聖霊に照らされた精神と

その生きた力に燃やされた心とが、

熱心な祈りをもって聖書を研究して得た結論を、

聖書の証拠がないかぎり、放棄することはできなかった。

一般の宗教家や世の知者たちの激烈な批評に耐え、

学識と雄弁による攻撃にも、

上層下層の人々のののしりと

冷笑とにも堅く立ってきた結論を、

放棄することはできなかった。

 

たしかに、期待したできごとについてまちがいはあったが、

それでさえ、神の言葉に対する彼らの信仰を

ゆるがすことはできなかった。

ヨナが、ニネベの町で、40日のうちに町が滅ぼされると宣言した時、

主はニネベの住民の悔い改めを受け入れて、

彼らの恩恵期間を延長された。

しかし、ヨナのメッセージは、神から送られたものであった。

そして、ニネベは、神のみこころに従って、試みられたのである。

同様に神は、再臨信徒を導いて、

審判の警告を宣布させられたのであると、彼らは信じた。

彼らはこう言った。

「それは、それを聞いたすべての者の心を試し、

主の出現を愛する心を起こさせるか、それとも再臨に対する

嫌悪(けんお)―程度の差はあろうが、しかし神はごぞんじである―

を起こさせるかした。

それは、一線を画した。・・・・

自分の心を吟味する者は、主がその時来られたならば、

自分たちはどちらの側にいたか

―『見よ、これはわれわれの神である。

わたしたちは彼を待ち望んだ。彼はわたしたちを救われる』と叫んだか、

それとも山と岩とに向かって、われわれを覆って、

み座にいますかたのみ顔と小羊の怒りとから

かくまってくれと叫んだか―を知ることができる。

こうして、神は、ご自分の民を試み、彼らの信仰をためして、

彼らが試練の時に、神が彼らを置こうとされた

その場所からしりごみするかどうか、そして彼らがこの世を捨てて、

神の言葉を絶対的確信をもって信じるかどうかを、

見られたのであるとわれわれは信じる。」⑥

 

過去の経験において神の導きがあったことを

なお信じた人々の気持ちが、

ウィリアム・ミラーの次の言葉に表現されている。

「あの時と同じ証拠が与えられて、もう1度生活をし、

神と人とに対して正直であろうとすれば、

わたしは、わたしがしたとおりのことをするであろう。」

「わたしは、自分の衣には人々の魂の血がついていないことを望む。

わたしは、自分のなしえたかぎりにおいて、

人々の罪の宣告に関し責任を問われるものではないと感じる。」

「わたしは2度失望したけれども、落胆や絶望はしていない。・・・・

キリストの再臨に対するわたしの希望は、これまでと同様に強い。

わたしは、長年まじめに研究したあとで、

自分の厳粛な義務と感じたことを行ったにすぎない。

もしわたしがまちがっていたとしても、

それは、同胞を愛し、神への義務を堅く信じてのことであった。」

「わたしが知っているただ1つのことは、

わたしは自分の信じたこと以外は何も説教しなかった

ということである。そして、神はわたしとともにおられた。

神の力が働きの中にあらわれ、多くのよい結果が生じた。」

「再臨の時期についての説教の結果、

幾千のものが、聖書を研究するようになった。

そしてそれによって彼らは、

信仰とキリストの血の注ぎによって、

神と和らいだ。」⑦

「わたしは、高慢な人の好意を求めず、世の非難にもおじけなかった。

わたしは今、彼らにへつらって好意を得ようとも、

分を越えて彼らの憎しみを買おうとも思わない。

わたしは、彼らに命乞(いのちご)いしようなどとは決して思わないし、

また、もし神のみこころであるならば、

生命を失うこともあえて恐れてはいないつもりである。」⑧

神の守りと信徒の希望

神は、ご自分の民を見捨てられなかった。

神の霊は、自分たちが受け入れていた光を軽々しく否定せず

再臨運動を放棄しなかった人々と、なおともにおられた。

ヘブル人への手紙の中に、この危機において試みられていたところの

待望者たちに対する励ましの言葉が記されている。

「だから、あなたがたは自分の持っている

確信を放棄してはいけない。

その確信には大きな報いが伴っているのである。

神の御旨を行って約束のものを受けるため、

あなたがたに必要なのは、忍耐である。

『もうしばらくすれば、きたるべきかたがお見えになる。

遅くなることはない。わが義人は、信仰によって生きる。

もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない。』

しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、

信仰に立って、いのちを得る者である」(ヘブル 10:35―39)。

 

この勧告が最後の時代の教会にあてられていることは、

主の再臨が近いことを指示している言葉を見ても明らかである。

「もうしばらくすれば、きたるべきかたがお見えになる。

遅くなることはない。」そして、見たところ遅延があり、

主のこられるのが遅れるように見えることが、

明らかに示されている。

ここに与えられている教訓は、

特にこの時の再臨信徒の経験に当てはまる。

ここで語りかけられている人々は、

信仰の破船となるおそれがあった。

彼らは、聖霊と神の言葉の指導に従って、

神のみこころを行った。

 

しかし、彼らは、過去の経験における神のみこころを

理解することができず、また、

彼らの前にある道を見ることもできなかった。

そして彼らは、神がほんとうに

自分たちを導いておられるのかどうか疑うように誘惑された。

この時に、「わが義人は、信仰によって生きる、」

という言葉が当てはまった。

「夜中の叫び」という輝かしい光が彼らの道を照らし、

預言の封が開かれ、キリストの再臨が近いことを

告げるしるしが急速に成就するのを見た時、

彼らは、いわば目で見つつ歩いたのであった。

ところが今、失望に打ちひしがれて、

彼らは神とみ言葉に対する信仰によってのみ立つことができた。

世の嘲笑者たちは、「あなたがたは欺かれたのだ。

信仰を捨て、再臨運動はサタンのものであったと言いなさい」

と言っていた。

しかし、神の言葉は、「もし信仰を捨てるなら、

わたしのたましいはこれを喜ばない」と宣言していた。

今、彼らの信仰を捨て、使命に伴っていた聖霊の力を拒否することは、

滅びに向かって後退することであった。

彼らは、「あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。」

「あなたがたに必要なのは、忍耐である。」

「もうしばらくすれば、きたるべきかたがお見えになる。

遅くなることはない」というパウロの言葉によって

堅く立つように励まされた。

彼らにとって唯一の安全な道は、

すでに神から受けた光をたいせつにし、

神の約束を堅く信じ、聖書を探りつづけ、

さらにそれ以上の光が与えられるのを忍耐して待ち、

見守ることであった。

 

 

第22章 注

①Bliss, pp.236, 237.

②"The Advent Herald and Signs of the Times Reporter," vol.8, No.23 (Jan. 15,

1845).

③Bliss, p.282.

④Ibid., pp.270, 271.

⑤Bliss, in "Advent Shield and Rveiew," vol. 1, p.271 (January 1845).

⑥"The Advent Herald and Signs of the Times Reporter," vol.8, No.14 (Nov. 13,

1844).

⑦Bliss, pp.256, 255, 277, 280, 281.

⑧J. White, "Life of Wm. Miller," p.315.

 

【 第23章 聖所とは何か 】

1844年と聖所問題

聖書の中で、他のどの聖句よりも、再臨信仰の基礎であり、

中心的な柱であったものは、「2300の夕と朝の間である。

そして聖所は清められてその正しい状態に復する」

という宣言であった(ダニエル 8:14)。

この聖句は、主がまもなく来られることを

信じたすべての信徒がよく知っていた言葉であった。

この預言は、信仰の合い言葉として、

幾千もの人々のくちびるによってくりかえされた。

すべての者は、ここに預言された事件に、

彼らの最も輝かしい期待と大事な希望とがかけられているのを感じた。

この預言の期間は、

1844年の秋に終わることが示されていた。

当時再臨信徒たちは、

キリスト教界の他の人々と同様に、

地上、あるいはその一部が、聖所であると思っていた。

そして聖所の清めとは、

最後の大いなる日の火によって地が清められることであり、

これはキリストの再臨の時に起こると、彼らは理解していた。

そこで、1844年にキリストが地上に帰られると

結論したのであった。

 

しかし、定められた時は過ぎ、

主は来られなかった。

信徒たちは、神の言葉に誤りがないことを知っていた。

自分たちの預言の解釈にまちがいがあったに違いない。

しかし、それではどこがまちがっていたのであろうか。

多くの者は、軽率にも、2300日が1844年に終わることを

否定することによって、難問を解決しようとした。

期待した時にキリストが来られなかったからということ以外に、

そうする理由は何もなかった。

もし預言の期間が1844年に終わったならば、

キリストは、火をもって地上を清めることによって

聖所を清めるために、帰って来られたはずである、

ところが彼は来られなかったのだから、

期間はまだ終わっていないのだ、と彼らは主張した。

 

このような結論を受け入れることは、

預言的期間のこれまでの計算法を放棄することであった。

2300日は、紀元前457年の秋に、

エルサレムを建て直せという

アルタシャスタの命令が

実施された時に始まることになっていた。

これを起算点にすれば、ダニエル 9:25―27にある、

この期間についての説明の中で預言されたすべての事件の適用が、

完全に調和する。

69週、すなわち、2300年の最初の483年がたつと、

油を注がれた者、メシヤが現われる。

そして、キリストは、紀元27年バプテスマを受け聖霊の油を注がれて、

この預言は正確に成就した。

70週目の半ばにメシヤは絶たれるのであった。

キリストは、バプテスマから3年半の後、

紀元31年の春に、十字架につけられた。

70週、すなわち490年は、特にユダヤ人にかかわるものであった。

この期間の終了後、ユダヤ人は、

キリストの弟子たちを迫害することによって、

キリストを決定的に拒否し、使徒たちは、

紀元34年、異邦人へと向かった。

こうして2300年の最初の490年が終わり、

あと1810年が残る。

紀元34年から1810年たつと、1844年である。

「そして聖所は清められてその正しい状態に復する」と天使は言った。

これまで預言に指定されていたことは、

みな、定められた時に、まちがいなく成就した。

 

この計算に関しては、1844年に聖所の清めに符合するどんなでき

ごとが起きたかがわからないということを除けば、

すべては明瞭(めいりょう)で調和していた。

この期間がこの時に終了したということを否定することは、

問題全体を混乱に陥れることであり、

預言の疑う余地のない成就によって確立されたところの見解を、

放棄することであった。

聖所とは何か

しかし、神は、この大再臨運動において、ご自分の民を導いて来られた。

神の力と栄光とが、この働きに伴っていた。

神は、それが暗黒と失望に終わることを、誤った狂信的な騒ぎであると非難されることを、許してはおかれなかった。

神は、ご自分の言葉を、

疑いと不確かさの中にあるままにしてはおかれなかった。

多くの者が、

預言の期間に関するこれまでの計算法を捨て、

それに根拠を置いていた運動の正しさを否定したが、

中には、聖書と神の霊のあかしとに支持された

信仰と経験とを放棄しようとしない人々もいた。

彼らは、自分たちの預言研究の解釈の原則は

正しかったことを信じ、

すでに得た真理を堅く保って、

同じ聖書研究を続けることが自分たちの義務であると信じた。

熱心な祈りをもって、彼らは自分たちの立場を再検討し、

誤りを発見するために聖書を研究した。

彼らは、預言の期間の計算に

誤りを見つけることができなかったので、

聖所の問題をもっと綿密に吟味するようになった。

 

研究の結果、彼らは、地上が聖所であるという

一般の見解を支持する証拠が、聖書にないことを知った。

しかし、聖書には、聖所とその本質、

場所、奉仕などの問題が十分に説明されているのを彼らは見いだした。

このことについての聖書記者たちの証言は、

疑問の余地がないほど明瞭で十分なものであった。

使徒パウロは、ヘブル人への手紙の中で、次のように言っている。

「さて、初めの契約にも、

礼拝についてのさまざまな規定と、地上の聖所とがあった。

すなわち、まず幕屋が設けられ、その前の場所には

燭台(しょくだい)と机と供えのパンとが置かれていた。

これが、聖所と呼ばれた。

また第2の幕の後に、別の場所があり、それは至聖所と呼ばれた。

そこには金の香壇と全面金でおおわれた契約の箱とが置かれ、

その中にはマナのはいっている金のつぼと、

芽を出したアロンのつえと、契約の石板とが入れてあり、

箱の上には栄光に輝くケルビムがあって、

贖罪所(しょくざいしょ)をおおっていた」(ヘブル 9:1―5)。

 

パウロがここで言及している聖所は、

いと高きお方の地上の住居として、

モーセが神の命令によって造った幕屋のことであった。

モーセは、神とともに山にいた時に、

「彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。

わたしが彼らのうちに住むためである」という命令を受けた

(出エジプト 25:8)。

イスラエル人は荒野の旅をしていたので、

幕屋は、移動できるように組み立てられていた。

しかしそれにしても、

それは非常に壮麗な建造物であった。

その壁は、金で覆った板で造られ

、銀の座にはめられていた。

屋根は、数枚の幕から成り、

外側は皮で、いちばん内側は、

ケルビムの姿を美しく織り出した亜麻布であった。

燔祭(はんさい)の壇は外庭にあったが、幕屋そのものは、

聖所、至聖所と呼ばれる2つの部屋から成り、

壮麗な幕でへだてられていた。

また、同様の幕が第1の部屋の入り口にもかけられていた。

 

聖所には、南側に燭台があって、その7つのともし火が、

昼も夜も聖所を照らしていた。北側には供えのパンの机があった。

そして聖所と至聖所をへだてる幕の前に、

金の香壇があって、

そこから香の煙がイスラエルの祈りとともに、

毎日神の前にのぼっていった。

 

至聖所には、貴い木で造られ、

金で覆われた箱があって、

その中に、神によって刻まれた

十戒の2枚の石の板が入れてあった。

この神聖な箱の上にあって、

そのふたの役目を果たしているのが、贖罪所であった。

これは、実に巧みに仕上げられたりっぱなもので、

その両端にケルビムが置かれ、全部純金で造られていた。

この部屋において、神の臨在が、

ケルビムの間の栄光の雲の中にあらわされたのであった。

新しい契約の聖所

ヘブル人がカナンに定住してから、

幕屋はソロモンの神殿に代わり、

規模は大きく、建築も永久的なものとなったけれども、

同様の比率で造られ、同じような器具が備えつけられていた。

こうして、聖所は、

ダニエルの時代に荒廃に帰した時を別として、

紀元70年にエルサレムがローマに滅ぼされるまで存在していた。

 

これが地上に存在した唯一の聖所で、

聖書が記録しているものである。

パウロはこれを、初めの契約の聖所と言った。

しかし、新しい契約に、聖所はないのであろうか。

 

真理の探究者たちは、再びヘブル人への手紙にもどって、

第2の、すなわち新しい契約の聖所の存在が、

すでに引用した「初めの契約にも、礼拝についてのさまざまな規定と、

地上の聖所とがあった」というパウロの言葉に

暗示されていることを発見した。

そして、「も」という言葉が用いられていることは、

パウロが前にこの聖所について述べたということを暗示している。

彼らは、その前の章にもどって、次のところを読んだ。

「以上述べたことの要点は、

このような大祭司がわたしたちのためにおられ、

天にあって大能者の御座の右に座し、

人間によらず主によって設けられた真の幕屋なる

聖所で仕えておられる、ということである」(ヘブル 8:1、2)。

 

ここに、新しい契約の聖所が明らかにされている。

初めの契約の聖所は、人によって張られ、モーセによって建てられたが、

これは、人間によらず主によって張られている。

初めの聖所では、地上の祭司たちが務めを行ったが、

こちらの聖所では、われわれの大祭司、キリストが、

神の右で仕えておられる。

一方の聖所は地上にあったが、もう一方は天にあるのである。

 

さらに、モーセが建てた幕屋は、

ひな型に従って造られた。

主は、次のように指示された。

「すべてあなたに示す幕屋の型および、

そのもろもろの器の型に従って、これを造らなければならない。」

また、次の命令が与えられた。

「そしてあなたが山で示された型に従い、

注意してこれを造らなければならない」(出エジプト 25:9、40)。

パウロは、最初の幕屋は、「その当時のための象徴であり、

そこで供え物やいけにえがささげられた」(英語訳)と言っている。

続いて彼は、その聖所は「天にあるもののひな型」であり、

律法に従って供え物をささげる祭司たちは、

「天にある聖所のひな型と影とに仕えている者」であり、

「キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、

手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、

今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである」

と言っている(ヘブル 9:9、23、8:5、9:24)。

天にある真の聖所

イエスがわれわれのために仕えておられる天の聖所は、

大いなる原型であって、

モーセが建てた聖所は、その写しであった。

神は、地上の聖所の建設者たちに、

神の霊をお与えになった。

その建設に当たってあらわされた芸術的技量は、

神の知恵を表示していた。

壁は、全体が巨大な金塊のように見え、

金の燭台の7つのともし火の光が、

四方に反射していた。

供えのパンの机と香壇は、よくみがいた金のように輝いていた。

天井になっていた華麗な幕には、青、紫、緋色(ひいろ)で

天使が織り出されて、いっそうの美しさを添えた。

そして、第2の幕の向こうには、

神の栄光の目に見える現われである聖なるシェキーナーがあり、

大祭司以外のだれ1人、

その前に立って生き得る者はいなかった。

 

地上の聖所の比類のない壮麗さは、

われわれのさきがけであられるキリストが神のみ座の前で

仕えておられる天の宮の栄光を、

人間の目に映すものであった。

王の王の住居において、彼に仕える者は千々、

彼の前にはべる者は万々(ダニエル 7:10参照)。

輝く守護セラピムが、崇敬のうちに顔を覆うところの、

永遠のみ座の栄光に輝く宮に比べるならば、

人間の手で造られた建造物は、

たとえどんなにりっぱであっても、

その壮大さと栄光のかすかな反映にすぎない。

しかし、そうはいっても、天の聖所に関する重大な真理と、

人間の贖罪のために行われた偉大な働きとは、

地上の聖所とその奉仕によって教えられたのであった。

 

天の聖所の聖所と至聖所は、

地上の聖所の2つの部屋によって表されている。

使徒ヨハネは、幻のなかで、

天にある神の宮を見ることを許された時、

「7つのともし火が、御座の前で燃えてい」るのを見た(黙示録4:5)。

彼は、1人の天使が、「金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。

たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈

に加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった」のを見た(黙示録 8:3)。

ここで、預言者は、

天の聖所の第1の部屋を見ることを許された。

そして、そこに、地上の聖所の金の燭台と香壇によって

表されていたところの、

「7つのともし火」と「金の祭壇」を見た。

再び、「天にある神の聖所が開けて」(黙示録 11:19)、

彼は、奥の幕の中の、至聖所を見た。

彼はここで、「契約の箱」を見た。

それは、神の律法を入れるためにモーセが作った

聖なる箱によって表されていたものであった。

 

こうして、この問題を研究していた人々は、

天に聖所があるという疑う余地のない証拠をつかんだ。

モーセは、示された型に従って、

地上の聖所を造った。

パウロはその型となった天の聖所が、

真の聖所であると教えている。

そしてヨハネは、それを天に見たと証言している。

 

神の住居である天の宮において、

そのみ座は、義と公正に基づいている。

至聖所には、正義の規準である神の律法があって、

全人類がそれによって審査されるのである。

律法の板を入れた箱は、贖罪所で覆われていて、

その前でキリストは、

ご自分の血によって罪人のためにとりなしをなさる。

こうして、人類の贖いの計画における、

義といつくしみの結合が表されている。

この結合は、無限の知恵のお方のみが考案し、

無限の力のお方のみが成し遂げることができた。

この結合は、全天を、驚異と賛美で満たすものである。

うやうやしく贖罪所を見おろしている、地上の聖所のケルビムは、

贖罪の業に対する天の軍勢の深い関心を表している。

これは、天使たちもうかがい見たいと願っている、

憐れみの神秘である。

すなわち、悔い改めた罪人を義とし、

堕落した人類との交わりを回復するとともに、

神自らが義となられること、また、キリストが、

ご自分の身を低めて、無数の群衆を滅びの淵から引き上げ、

彼ご自身の義の汚れない衣を着せて、

彼らを堕落しなかった天使たちとの交わりに入れ、

神の前に永遠に住まわせられること、このことである。

仲保者キリスト

人類の仲保者としてのキリストの働きは、

「その名を枝という人」に関する

ゼカリヤの美しい預言のなかに示されている。

預言者は、次のように言っている。

「彼は主の宮を建て、王としての光栄を帯び、

その位〔天父の〕に座して治める。

その位のかたわらに、ひとりの祭司がいて、

このふたりの間に平和の一致がある」(ゼカリヤ 6:12、13)。

 

「彼は主の宮を建て」る。

キリストは、彼の犠牲と仲保とによって、

神の教会の基礎であり、またその建設者でもあられる。

使徒パウロは、彼を指して、「隅のかしら石である」と言っている。

「このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、

主にある聖なる宮に成長し、そしてあなたがたも、

主にあって共に建てられて、

霊なる神のすまいとなるのである」(エペソ 2:20―22)。

 

「彼は・・・・王としての光栄を帯び。」堕落した人類のための贖いの栄光は、キリストにのみ帰せられる。贖われたものは、永遠にわたって「わ

たしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し・・・・て下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように」と歌う

(黙示録1:5、6)。

 

「その位に座して治める。その位のかたわらに、ひとりの祭司がい」る。

彼は今「その栄光の座に」おられるのではない。

栄光の王国は、まだ始まってはいない。

仲保者としての彼の働きが終わらなければ、

神は、「彼に父ダビデの王座を」、

「限りなく続く」その支配を、

「お与えにな」らない(ルカ 1:32、33)。

キリストは今、祭司として、

父とともにみ座についておられる(黙示録 3:21参照)。

永遠の、自存なさるお方とともに、

「われわれの病を負い、われわれの悲しみをになった」方、

「罪は犯されなかったが、すべてのことについて、

わたしたちと同じように試練に会われ」、

「試練の中にある者たちを助けることができる」方が、

おられるのである。「もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、

わたしたちのために助け主・・・・がおられる」

(イザヤ 53:4、ヘブル4:15、2:18、Ⅰヨハネ 2:1)。

彼の仲保は、刺され砕かれた体による仲保、

罪のない生涯による仲保である。

傷ついた手、刺されたわき、傷ついた足が、

罪に陥った人類のために嘆願しておられる。

人間の贖罪のためには、このように無限の価が払われたのである。

 

「このふたりの間に平和の一致がある。」

み子の愛に劣ることのない天父の愛が、

失われた人類に対する救いの基礎である。

イエスは、去る前に弟子たちに次のように言われた。

「わたしは、あなたがたのために父に願ってあげようとは言うまい。

父ご自身があなたがたを愛しておいでになるからである」

(ヨハネ 16:26、27)。

「神はキリストにおいて世をご自分に和解させ」られた

( Ⅱ コリント5:19)。

そして、天の聖所の奉仕において、

「このふたりの間に平和の一致がある。」

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。

それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、

永遠の命を得るためである」(ヨハネ 3:16)。

聖所の清めとは何か

聖所とは何かという質問に対して、

聖書ははっきりと解答を与えている。

聖書に用いられている「聖所」という言葉は、まず第1に、

天にあるもののひな型としてモーセが建てた幕屋をさし、

そして第2に、地上の聖所が指し示していたところの、

天にある「真の幕屋をさしている。

キリストの死によって、型としての奉仕は終わった。

天にある「真の幕屋」は、

新しい契約の聖所である。

そして、ダニエル 8:14の預言は、

この時代に成就されるのであるから、

ここで言う聖所は、新しい契約の聖所であるに違いない。

2300日が1844年に終結した時に、

この地上には幾世紀もの間、聖所はなかった。

こうして、「2300の夕と朝の間である。

そして聖所は清められてその正しい状態に復する」という預言は、

疑いもなく天の聖所をさすのである。

 

しかし、聖所の清めとは何かという、

最も重要な問題が、未解決のまま残っている。

地上の聖所に関連してこうした儀式があったことは、

旧約聖書に記されている。

しかし、天において、清められねばならないものが、あるのであろうか。

ヘブル人への手紙9章には、

地上と天の両方の聖所の清めが明らかに教えられている。

「こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、

血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、

罪のゆるしはあり得ない。このように、天にあるもののひな型は、

これらのもの〔動物の血〕できよめられる必要があるが、

天にあるものは、これらより更にすぐれたいけにえで、

きよめられねばならない」(ヘブル 9:22、23)。

それは、キリストの尊い血である。

 

この清めは、型としての儀式においても実際の儀式においても、

血によって成し遂げられなければならない。

前者は、動物の血によって行われ、

後者は、キリストの血によって行われる。

パウロは、なぜこの清めが血によって行われねばならないか

ということの理由として、血を流すことなしには、

罪のゆるしがないからであると述べている。

ゆるし、すなわち罪の除去という働きが、

成し遂げられなければならない。

しかし、罪は、天や地上の聖所とどのような関係にあるのであろうか。

このことは、象徴的儀式を調べることによって学ぶことができる。

なぜなら、地上で奉仕した祭司は、

「天にある聖所のひな型と影とに」仕えていたからである(ヘブル 8:5)。

 

地上の聖所の務めは、2つの部分から成っていた。

すなわち、祭司たちは毎日聖所で務めを行っていたが、

大祭司は1年に1度、聖所を清めるために、

至聖所において贖いの特別な働きを行った。

毎日、悔い改めた罪人が幕屋の入り口に供え物を持って来て、

手を犠牲の頭において自分の罪を告白し、

こうして自分の罪を象徴的に

自分自身から罪のない犠牲へと移した。

それから動物はほふられた。

「血を流すことなしには」

罪のゆるしはあり得ない、

と使徒は言っている。

「肉の命は血にあるからである」(レビ 17:11)。

破られた神の律法は、

罪人の生命を要求した。

罪人の失われた生命を表す血、

すなわち犠牲が彼の罪を負って流したものが、

祭司によって聖所の中に運ばれ、幕の前に注がれた。

幕の後ろには、罪人が犯したその律法を入れた箱があった。

この儀式において、罪は、血によって、象徴的に聖所に移された。

ある場合には、血を聖所に持って入らず、

モーセがアロンの子らに命じて

「あなたがたが会衆の罪を負(う)・・・・ため、

あなたがたに賜わった物である」と言ったように、

祭司は、そこで肉を食べなければならなかった(レビ 10:17)。

どちらの儀式も同様に、悔い改めた者から聖所へと、

罪が移されることを象徴していた。

大いなる贖罪の日

こうした務めが毎日、

1年中を通じて行われた。

イスラエルの罪がこうして聖所に移され、

そして、それを取り除くために特別の務めが必要であった。

そこで、神は、

聖所の各部屋のために贖いをすることをお命じになった。

「イスラエルの人々の汚れと、そのとが、すなわち、彼らの

もろもろの罪のゆえに、

聖所のためにあがないをしなければならない。

また彼らの汚れのうちに、彼らと共にある会見の幕屋のためにも、

そのようにしなければならない。」

また、贖罪は、祭壇にも行われるべきで、

「イスラエルの人々の汚れを除いてこれを清くし、

聖別しなければならない」(レビ 16:16、19)。

 

1年に1度、大いなる贖罪の日に、

大祭司は聖所を清めるために至聖所に入った。

そこで行われた務めによって、1年間の務めが完了した。

贖罪の日に、

2頭のやぎが幕屋の入り口に連れてこられ、くじが引かれた。

「1つのくじは主のため、

1つのくじはアザゼルのため」( 同 16:8)。

主のためのくじに当たったやぎは、

民のための罪祭としてほふられた。

そして、大祭司は、

その血を幕の中に携えていき、

贖罪所の上と贖罪所の前に注がなければならなかった。

血は、幕の前の香壇にも

注がなければならなかった。

 

「そしてアロンは、その生きているやぎの頭に両手をおき、

イスラエルの人々のもろもろの悪と、もろもろのとが、

すなわち、彼らのもろもろの罪をその上に告白して、

これをやぎの頭にのせ、定めておいた人の手によって、

これを荒野に送らなければならない。

こうしてやぎは彼らのもろもろの悪をになって、

人里離れた地に行くであろう」(同 16:21、22)。

アザゼルのやぎは、もはやイスラエルの宿営に帰っては来なかった。

そして、やぎを連れ出した人々は、宿営に帰る前に、

水で身をすすぎ、衣服を洗わなければならなかった。

 

この儀式全体は、神が聖であられて、罪をいみきらわれることを、

イスラエルの人々に深く感じさせるよう意図されていた。

そして、さらに、罪に触れるならば必ず汚れることを、

彼らに示すものであった。

贖罪の業が進行している間、すべての者は、

身を悩まさなければならなかった。

仕事をすべてやめて、イスラエルの全会衆は、

厳粛に神の前にへりくだり、祈り、断食し、

心を深く探って1日を過ごさなければならなかった。

型と実体

贖罪に関する重要な真理が、

型としての儀式によって教えられている。

罪人の代わりに、

その身代わりとなるものが受け入れられた。

しかし、犠牲の血によって

罪が取り消されたわけではなかった。

こうした方法によって、罪が聖所に移されたのであった。

罪人は、血のささげ物によって、律法の権威を認め、

犯した罪を告白し、来たるべき贖い主を信じる信仰によって

許しを願っていることを表明した。

しかし彼は、

律法の宣告から全く解放されたのではなかった。

大祭司は、贖罪の日に、

会衆からのささげ物をとって、

その血をたずさえて至聖所に入り、

律法の真上にある贖罪所の上にそれを注いで、

律法の要求を満たした。

それから彼は、仲保者として、

罪を自ら負って、聖所から持ち出した。

彼は、アザゼルのやぎの頭に手をおいて、

すべての罪を告白し、

こうして、象徴的に、自分からアザゼルのやぎへと罪を移した。

それからやぎは、罪を背負って去り、

そして罪は永遠に民から切り離されたものと見なされた。

 

これが、「天にある聖所のひな型と影」に従って行われた儀式であった。

そして、地上の聖所の務めにおいて、

型として行われたことが、

天の聖所の務めにおいて、現実に行われるのである。

われわれの救い主は、昇天ののち、

われわれの大祭司としての働きを始められた。

パウロは次のように言っている。

「ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、

手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、

今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである」

( ヘブル 9 :24)。

 

戸口であり、聖所を中庭から区別するものであった

「幕の内」において、すなわち、

聖所の第1の部屋において

1年を通じて行われる祭司の務めは、

キリストが昇天の時に始められた務めを表している。

神の前に罪祭の血をささげ、

イスラエルの祈りとともにたちのぼる香をたくことが、

日ごとの務めにおける祭司の働きであった。

同様にキリストは、

罪人のためにご自分の血をもって天父に嘆願なさり、

そのみ前に、ご自身の義の尊い香とともに、

悔い改めた信者の祈りを差し出された。

これが、天の聖所の

第1の部屋における務めであった。

 

キリストが弟子たちを離れて昇天された時、

弟子たちは、信仰によってここまで彼についていった。

ここに彼らの希望は集中した。

パウロは次のように言った。

「この望みは、わたしたちにとって、

いわば、たましいを安全にし不動にする錨であり、

かつ『幕の内』にはいり行かせるものである。

その幕の内に、イエスは、永遠に・・・・大祭司として、

わたしたちのためにさきがけとなって、はいられたのである。」

かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、

1度だけ聖所に入られそれによって

永遠のあがないを全うされたのである」

(ヘブル 6:19、20、9:12)。

贖いの最後の働き

1800年にわたって、

聖所の第1の部屋において、この務めが続けられた。

キリストの血は、悔い改めた信者のために嘆願し、

彼らがゆるされ天父に受け入れられるようにしてきたが、

しかし彼らの罪は、まだ記録の書に残っていた。

型としての儀式において、

1年の終わりに贖罪の働きがあったように、

人類の贖いのためのキリストの働きが終わる前に、

聖所から罪を取り除く贖罪の働きが行われるのである。

これが、2300日が終了した時に始まった務めであった。

その時に、預言者ダニエルが預言したとおり、

われわれの大祭司は、彼の厳粛な働きの最後の部分を行うために、

すなわち聖所を清めるために、至聖所に入られたのであった。

 

古代において、民の罪が、信仰によって罪祭の上におかれ、

そしてその血によって、象徴的に地上の聖所に移されたように、

新しい契約においては、悔い改めた者の罪は、

信仰によってキリストの上におかれ、

そして実際に天の聖所に移されるのである。

そして、地上の聖所の型としての清めが、

それを汚してきた罪を取り除くことによって成し遂げられたように、

天の聖所の実際の清めも、

そこに記録されている罪を取り除くことによって、

すなわち消し去ることによって、成し遂げられねばならない。

しかし、これを完成するためには、

だれが罪の悔い改めとキリストを信じる信仰によって、

贖いの恵みを受ける資格があるかを決定するために、

記録の書の調査がなされねばならない。

したがって、聖所の清めには、調査の働き、

すなわち審判の働きが含まれるのである。

この働きは、キリストがご自分の民を贖うために

来られる前に行われねばならない。なぜなら、

彼が来られる時には、彼はすべての者に、それぞれの行為に応じて

報いを与えられるからである(黙示録 22:12参照)。

 

こうして、預言の言葉の光に従った者たちは、

キリストは、2300日が1844年に終了した時に、

この地上に来られるのではなくて、

再臨に備えて贖いの最後の働きをするために、

天の聖所の至聖所に入られたのだということを知った。

 

また、罪祭が犠牲としてのキリストをさし、

大祭司が仲保者としてのキリストを表す一方、

アザゼルのやぎは罪の張本人であるサタンを象徴していて、

彼の上に、真に悔い改めた者たちの罪が最終的に置かれるのだ、

ということもわかった。

大祭司は、罪祭の血によって、

聖所から罪を除去した時に、

それをアザゼルのやぎの上においた。

キリストが、彼の務めの最後に、

ご自身の血によって、

天の聖所からご自分の民の罪を除去される時、

彼はそれをサタンの上におかれる。

サタンは、審判の執行において、最終的な刑罰を負わねばならない。

アザゼルのやぎは、人里離れた地へと追い払われ、

イスラエルの宿営には2度と帰って来なかった。

そのように、サタンは、神と神の民の前から永遠に追放される。

そして、罪と罪人の最終的な滅亡の時に消し去られるのである。

 

【 第24章 天の至聖所における大事件 】

調査審判の開始

聖所問題が、

1844 年の失望の秘密を解くかぎであった。

それは、互いに関連し調和する真理の全体系を明らかにし、

神のみ手が大再臨運動を導いてきたことを示し、

そして、神の民の立場と働きとをはっきりさせて、

今なすべきことを明らかにした。

イエスの弟子たちが、

苦悩と失望の恐ろしい夜を過ごした後で、

「主を見て喜んだ」ように、信仰をも

って主の再臨を待ち望んでいた人々は、今喜びに満たされた。

彼らは、主が、しもべたちに報いを与えるために、

栄光のうちに出現なさるものと期待していたのであった。

その望みが失望に終わった時、彼らはイエスを見失い、

墓のそばのマリヤとともに、

「だれかが、わたしの主を取り去りました。

そして、どこに置いたのか、わからないのです」と叫んだのであった。

今彼らは、至聖所の中に、再び主を見た。

それは、彼らの憐れみに満ちた大祭司であり、

まもなく彼らの王として、救出者として来られる方であった。

聖所からの光が、過去と現在と未来を照らした。

彼らは、神が、

誤ることのない摂理によって自分たちを導いてこられたことを知った。

彼らは、最初の弟子たちと同様に、

自分たちが伝えた使命を理解できなかったのであったが、

しかしその使命は、あらゆる点において、正しかったのであった。

それを宣言することにおいて、

彼らは神のみ心を成し遂げたのであって、

彼らの労苦は主にあってむだではなかった。

彼らは、新たに生まれて、「生ける望みをいだかせ」られ、

「言葉につくせない、輝きにみちた喜びに」あふれたのである。

 

「2300の夕と朝の間である。

そして聖所は清められてその正しい状態に復する」という

ダニエル 8:14の預言と、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。

神のさばきの時がきたからである」という第1天使の使命とは、

ともに、至聖所におけるキリストの務め、

すなわち調査審判をさすもので、

神の民の救いと悪人の絶滅のために

キリストが来られることをさすものではなかった。

まちがいは、

預言期間の計算にではなくて、

2300日の終わりに起きる事件にあった。

このまちがいのために、

信徒たちは失望に陥ったのであったが、

しかし預言の中で予告されたすべてのこと、

また、聖書に起こると保証されたできごとは、みな成就した。

彼らが、自分たちの希望がかなえられなかったことを嘆いていた、

まさにその時に、使命によって予告されたこと、

そして、主がしもべたちに報いを与えるために現れる前に

成就されねばならないことが、起きたのであった。

 

 

キリストは、彼らが期待していた地上にではなくて、

型において予表されていたように、

天にある神の宮の至聖所に来られたのであった。

預言者ダニエルは、キリストはこの時、

日の老いたる者のもとに来ると表現している。

「わたしはまた夜の幻のうちに見ていると、見よ、

人の子のような者が、天の雲に乗ってきて、」地上ではなくて、

「日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた」

(ダニエル 7:13)。

 

この来られることについては預言者マラキも預言している。

「あなたがたが求める所の主は、たちまち〔突然・英語訳〕その宮に来る。

見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる」

(マラキ 3:1)。

主がその宮に来られたのは突然で、彼の民は予期していなかった。

彼らは、主が、そこに来られるとは考えていなかった。

彼らは、主が、「炎の中で・・・・神を認めない者たちや、・・・・

福音に聞き従わない者たちに報復」するために、

地上に来られるものと予期していた(Ⅱテサロニケ 1:7、8)。

主を迎える準備

しかし、人々は、まだ主に会う準備ができていなかった。

まだ、彼らのために

なされねばならぬ準備の働きがあった。

彼らは、まず光を受けて、

天にある神の宮に心を向けねばならなかった。

そして彼らが、そこで奉仕しておられる彼らの大祭司に、

信仰によって従っていく時に、新しい義務が示されるのであった。

もう1つの警告と教えの使命が、

教会に与えられるのであった。

 

預言者は語っている。

「その来る日には、だれが耐え得よう。

そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。

彼は金をふきわける者の火のようであり、

布さらしの灰汁(あく)のようである。

彼は銀をふきわけて清める者のように座して、

レビの子孫を清め、金銀のように彼らを清める。そして彼らは

義をもって、ささげ物を主にささげる」(マラキ 3:2、3)。

天の聖所におけるキリストのとりなしがやむ時地上に住んでいる

人々は、聖なる神の前で、

仲保者なしに立たなければならない。

彼らの着物は汚れがなく、彼らの品性は、

血をそそがれて罪から清まっていなければならない。

キリストの恵みと、彼ら自身の熱心な努力とによって、

彼らは悪との戦いの勝利者とならなければならない。

天で調査審判が行われ、

悔い改めた罪人の罪が聖所から除かれているその間に、

地上の神の民の間では、清めの特別な働き、

すなわち罪の除去が行われなければならない。

この働きは、黙示録 14:の使命の中にさらに

明瞭(めいりょう)に示されている。

 

この働きが成し遂げられると、キリストの弟子たちは、

主の再臨を迎える準備ができるのである。

「その時ユダとエルサレムとのささげ物は、昔の日のように、

また先の年のように主に喜ばれる」(マラキ 3:4)。

その時、主が再臨されてご自分のもとに受け入れられる教会は、

「しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、・・・・

栄光の姿の教会」である(エペソ 5:27)。

また、その教会は、

「しののめのように見え、

月のように美しく、太陽のように輝き、恐るべき事、

旗を立てた軍勢のような者」である(雅歌 6:10)。

調査審判と婚宴のたとえ

マラキは、主がその宮に来られるということのほかに、主の再臨、

すなわち、主がさばきを実行するために来られることについても、

次のように預言している。

「そしてわたしはあなたがたに近づいて、

さばきをなし、占い者、姦淫を行う者、偽りの誓いをなす者にむかい、

雇人の賃銀をかすめ、やもめと、みなしごとをしえたげ、

寄留の他国人を押しのけ、わたしを恐れない者どもにむかって、

すみやかにあかしを立てると、万軍の主は言われる」

(マラキ 3:5)。

ユダは、この同じ光景について、次のように言っている。

「見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた。

それは、すべての者にさばきを行うためであり、

また、不信心な者が、信仰を無視して犯したすべての不信心

なしわざ・・・・を責めるためである」(ユダ 14、15)。

この来臨と、主が主の宮に来られることとは、全く別のできごとである。

 

ダニエル 8: 14に示されているところの、

キリストがわれわれの大祭司として、

聖所を清めるために至聖所に来られるということ、

ダニエル 7:13に提示されている、

人の子が日の老いたる者のもとに来るということ、

そしてマラキが預言した主がその宮に来られるということ、

これらはみな、同じできごとの描写である。

そして、これはまた、キリストがマタイ25章の

10人のおとめのたとえの中で語られた、

婚宴の席への花婿の到着ということによっても表されている。

 

1844年の夏から秋にかけて、

「さあ、花婿だ」という宣言が発せられた。

その時に、思慮深いおとめたちと思慮の浅いおとめたちによって

表されている二種類の人々が現れた。

すなわち、主の出現を喜んで待ち、

主に会う準備にいそしんだ人々と、

恐怖にかられて衝動的に行動し、真理の理論だけに満足して、

神の恵みに欠けていた人々とであった。

たとえの中では、花婿が来た時に

「用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはい」った。

ここで示されている、

花婿の到着は、婚宴の前に起こる。

婚宴は、

キリストがみ国をお受けになることを意味している。

み国の首都でありその代表である聖なる都、

新エルサレムは、

「小羊の妻なる花嫁」と呼ばれている。

天使は、ヨハネに言った。

「さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう。」

「この御使は、わたしを御霊に感じたまま、・・・・

連れて行き、聖都エルサレムが・・・・

神のみもとを出て天から下って来るのを見せてくれた」

とヨハネは言っている(黙示録21:9、10)。

したがって、明らかに、花嫁は聖都を表し、

花婿を迎えに出るおとめたちは、教会の象徴である。

黙示録によれば、神の民は、

婚宴に招かれた客であると言われている(黙示録 19:9参照)。

もし彼らが客であれば、花嫁をも代表することはできない。

キリストは、預言者ダニエルが言っているように、

天の日の老いたる者から、「主権と光栄と国」とを賜るのである。

彼は、「夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえ」

たみ国の首都、新しいエルサレムをお受けになる

(ダニエル 7:14、黙示録 21:2)。

み国を受けたのちに、彼はご自分の民を救うために、

王の王、主の主として栄光のうちに来られる。

そして彼らは、天国で「アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に」

つき、小羊の婚宴にあずかるのである

(マタイ 8:11、ルカ 22:30参照)。

婚宴の部屋に入るもの

1844年の夏の「さあ、花婿だ」という宣言は、

多くの者に、主の再臨はすぐだと期待させた。

その指定された時に、花婿は、人々が期待したように地上にではなくて、

婚宴のために、すなわちみ国を受けるために、

天の日の老いたる者のもとに来たのである。

「用意のできていた女たちは、

花婿と一緒に婚宴のへやに入り、そして戸がしめられた。」

彼らは、婚宴の席に列することはできなかった。

なぜなら、これは天において起こり、彼らは地上にいるからである。

キリストの弟子たちは、「主人が婚宴から帰って」くるのを

「待って」いなければならない(ルカ 12:36)。

しかし、彼らは、主の働きをよく理解し、

彼が神の前に出られるのに信仰によって従っていかねばならない。

この意味において、彼らは、

婚宴の部屋に入ったと言われているのである。

 

たとえによると、婚宴の部屋に入ったのは、

あかりとともに器に油を持っていた者たちであった。

聖書から真理の知識を得るとともに、

聖霊と神の恵みとを持っていた人々、

厳しい試練の夜も、忍耐して待ち、

より明らかな光を求めて聖書を研究した人々、

―これらの人々は、天の聖所に関する真理と、

救い主の務めの変化とを認め、信仰によって、

天の聖所における彼の働きに従っていった。

そして、聖書のあかしをとおして同じ真理を受けいれ、

キリストが仲保の最後の働きを行うために、

そしてその最後にはみ国を受けるために、

神の前に出られるのに信仰によって従っていく者たちは、

すべて、婚宴の部屋に入るものとして表わされているのである。

 

マタイ 2 2: のたとえにおいて、

同じ婚宴の象徴が用いられ、

婚宴に先だって調査審判が行われることが明示されている。

婚宴に先だって、王は、すべての客が、

礼服、すなわち、小羊の血で洗って白くした

しみのない品性の衣を着ているかを

見るために入ってくる( マタイ 2 2:11、黙示録 7:14参照)。

欠けていることを発見された者は、

追い出されるが、

調査の上で礼服を着ていることが認められたすべての者は、

神に受け入れられ、み国に入って

神のみ座のもとに座るに足る者と見なされるのである。

品性を調査し、だれが神の国に入る準備をしたかを決定する

この働きが、調査審判の働きであり、

天の聖所における最後の働きなのである。

 

調査の働きが終わり、

各時代においてキリストに従う者であると

称してきた人々の調査と決定がなされた時、

その時初めて、恩恵期間が終わり、

恵みの扉が閉じられる。

このように、

「用意のできていた女たちは、

花婿と一緒に婚宴のへやに入り、そして戸が閉められた」

という短い1節の中に、救い主の最後の務めが終わって、

人間の救いの大事業が完成される時までが、示されている。

天におけるキリストの奉仕

すでに見たように天の聖所の型である地上の聖所の務めにおいては、

贖罪の日に大祭司が聖所の至聖所に入った時に、

第1室における務めはやんだのである。

神は、次のように命じられた。

「彼が聖所であがないをするために、はいった時は、・・・・

出るまで、だれも会見の幕屋の内にいてはならない」

(レビ 16:17)。

そのように、キリストが、贖罪の最後の務めを行うために

至聖所に入られた時、彼は、第1室の務めを終えられた。

しかし、第1室の務めが終わった時に、第2室の務めが始まった。

型としての奉仕において、

贖罪の日に大祭司は、聖所を去って、

神の前に出て、

真に罪を悔いるすべてのイスラエル人のために

罪祭の血をささげた。

そのようにキリストは、

仲保者としての働きの一部を終えて、

そのみ業のもう1つの部分を開始され、

そして、なお天父の前で、

ご自分の血によって罪人のために嘆願なさるのであった。

 

1844年には、再臨信徒はこの問題を理解していなかった。

救い主が来られると期待していたその時が過ぎたあとも、

なお彼らは、再臨は近いと信じていた。

彼らは、今や重大危機にさしかかったと考え、

神の前における仲保者としてのキリストの働きは終わったと考えた。

人類の恩恵期間は、主が天の雲に乗って実際に来られる

少し前に終わると聖書に教えられているように、

彼らには思われた。

このことは、人々が恵みの扉の前で求め、

たたき、叫ぶけれども開かれないという時を示す聖句から見て、

明白なように思われた。

そして、彼らがキリストの再臨を待望していたその期日が、

キリスト再臨直前のこの期間の開始を

意味するものなのかどうかということが、

彼らにとっての疑問であった。

審判の切迫の警告を発した彼らは、

世界に対する彼らの務めをなし終えたと感じ、

罪人の救いに関する魂の重荷を感じなくなった。

他方、神を敬わない人々の、大胆で冒涜的(ぼうとくてき)な嘲笑は、

神の恵みを拒んだ人々から神の霊が取り去られたことを示す、

もう1つの証拠であるように思われた。

こうしたことはみな、恩恵期間は終わった、

すなわち、彼らの表現によれば、

「恵みの扉は閉ざされた」と、彼らに堅く信じさせたのであった。

 

しかし、聖所の問題を研究するにつれて、

より明白な光が与えられた。

今や彼らは、2300日が終わる1844年は、重大な危機を

画するものであると信じたことが正しかったことを知った。

しかし、人々が1800年にわたって

神に近づく道を見いだしてきたところの、

望みと憐れみの扉が閉じられたことは事実であったが、

もう1つの扉が開かれて、至聖所におけるキリストの仲保によって、

人々に罪のゆるしが与えられるのであった。

彼の務めの1部は終わったが、それは、

それに代わってもう1つの働きが行われるためにほかならなかった。

依然として天の聖所には「開いた門」があり、

そこでキリストは、罪人のために奉仕しておられるのであった。

 

まさにこの時代の教会にあてられた、

黙示録の中のキリストの言葉の適用が、今わかってきた。

「聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、

開けばだれにも閉じられることがなく、

閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。

わたしは、あなたのわざを知っている。

見よ、わたしは、あなたの前に、

だれも閉じることのできない門を開いておいた」(黙示録 3:7、8)。

 

イエスの仲保による祝福にあずかる者は、

贖罪の大事業をなさるイエスに、信仰によって従っていく人々である。

一方、この働きに関する光を拒む者は、

その祝福にあずかることができない。

キリストの初臨の時に与えられた光を拒み、

彼を世の救い主として信じなかったユダヤ人たちは、

彼によるゆるしを受けることができなかった。

イエスが昇天して、ご自分の血によって天の聖所に入り、

弟子たちにご自分の仲保による祝福を注ごうとされた時、

ユダヤ人たちは全くの暗黒の中に取り残されて、

彼らの無益な犠牲と供え物を続けたのであった。

型と影の奉仕は終わっていた。

これまで人が神に近づいていた扉は、

もはや開かれてはいなかった。

ユダヤ人は、彼を見いだし得る唯一の道、すなわち、

天の聖所における奉仕を通して彼を求めることを、拒んだのであった。

したがって彼らは、神との交わりを見いだすことができなかった。

彼らに対して、扉は閉められた。

彼らは、キリストが真の犠牲であり、

神の前の唯一の仲保者であることを知らなかった。

そのために彼らは、

彼の仲保の祝福にあずかることができなかった。

重大厳粛な真理

不信のユダヤ人たちの状態は、

キリスト者と称しながら

恵み深い大祭司の働きを故意に知らずにいる、

軽率で不信の人々の状態を例示するものである。

型としての奉仕において、大祭司が至聖所に入った時、

全イスラエルは聖所のまわりに集まり、

罪のゆるしを受けて、会衆の中から絶たれることがないようにと、

この上なく厳粛な態度で、神の前に心を低くしなければならなかった。

贖罪の日の実体である今日、われわれが、

われわれの大祭司の働きを理解し、

どのような義務がわれわれに要求されているかを知ることは、

どんなにか重要なことであろう。

 

人間は、神が憐れみのうちにお与えになった

警告を拒否して無事ではあり得ない。

ノアの時代に天からの使命が世に送られた。

そして、彼らの救いは、

彼らがその使命をどう受けるかにかかっていた。

彼らが警告を拒否したために、

神の霊は罪深い人類から退き、彼らは洪水によって滅びた。

アブラハムの時代に、恵みは、

ソドムの邪悪な住民に訴えることをやめた。

そして、ロトと彼の妻と2人の娘のほかは、

みな、天から降った火で焼き尽くされた。

キリストの時代でもそうであった。

神のみ子は、その時代の不信なユダヤ人に、「おまえたちの家は

見捨てられてしまう」と言われた(マタイ 23:38)。

同じ無限の力のお方は、最後の時代をながめて、

「自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった」者について、「そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、

こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、

さばくのである」と宣言しておられる

(Ⅱテサロニケ 2:10―12)。

彼らが神の言葉の教えを拒否する時に、神はみ霊を取り去って、

彼らを、彼らが好む惑わしの中に捨てておかれる。

 

しかし、キリストは、なおも、

人類のためにとりなしておられ、求める者には光が与えられる。

このことは、初め再臨信徒には理解されなかったが、

彼らの真の立場を確定する聖句が示されるにつれて、

後には明瞭になった。

 

1 8 4 4 年の時が過ぎて、その次に、

まだ再臨の信仰を持っている人々には、

大きな試練の時期が来た。

彼らの真の立場を確かめることについて唯一のたのみは、

天の聖所に彼らの心を向けた光であった。

預言の期間に関するこれまでの計算に対しての信仰を放棄し、

再臨運動に伴った聖霊の強力な力を、

人間やサタンの力によるものであるとした人々もあった。

また、過去の経験は主の導きによるものであると、

堅く信じた人々もあった。

そして、彼らが、神のみ心を知ろうとして、

待ち、見守り、祈った時に、

彼らは、彼らの大祭司が、

奉仕のもう1つの業を始められたのを知った。

そして彼らは、信仰によって彼に従っていき、

教会の最後の働きをも知るに至った。

彼らは、第一と第二天使の使命を、いっそう明瞭に理解した。

そして、黙示録 14:の第三天使の厳粛な警告を受けて、

それを世に伝えるよう準備させられた。

 

 

【 第25章 預言に現われたアメリカ合衆国 】

聖所と神の律法

「そして、天にある神の聖所が開けて、

聖所の中に契約の箱が見えた」(黙示録 11:19)。

神の契約の箱は、

聖所の第2の部屋、至聖所にある。

「天にある聖所のひな型と影」であった

地上の幕屋の奉仕においては、この部屋は、

大いなる贖罪の日に聖所の清めのために開かれるだけであった。

したがって、天にある聖所が開かれて、

契約の箱が見えたという告知は、

1844年に天の至聖所が開かれて、

キリストが贖罪の最後の働きをするために

そこに入られたことを示している。

至聖所において奉仕を始められた大祭司に、

信仰によって従っていった人々は、

彼の契約の箱を見た。

彼らは、聖所の問題を研究して、

救い主の奉仕が変わったことを理解するようになっていた。

そして彼らは、彼が今、神の箱の前で務めをなし、

ご自分の血によって罪人のために

嘆願しておられるのを見たのであった。

 

地上の幕屋の箱には、

神の律法が刻まれた

2枚の石の板が入っていた。

箱は、ただ律法の板の容器にすぎなかったが、

神の律法が入っていたために、

それに価値と神聖さがあったのであった。

天にある神の聖所が開かれた時、

契約の箱が見えた。

天の聖所の至聖所の中に、

神の律法がたいせつに安置されている。

それは、神ご自身がシナイの雷鳴の中で語り、

ご自分の手で石の板に書かれた律法であった。

 

天の聖所にある神の律法は、

大いなる実体であって、石の板に刻まれ、

モーセによって五書の中に記録された戒めは、

その正確な写しである。

この重要な点を理解するに至った人々は、

こうして、神の律法の神聖さと不変性を知るようになった。

彼らは、「天地が滅び行くまでは、律法の一点、

一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである」

という救い主の言葉の力を、

これまでになく悟った(マタイ 5:18)。

神の律法は、神のみこころの啓示であり、

神の品性の写しであるから、「天における忠実な証人のように」(英語訳)

永遠に続かなければならない。1つとして廃された戒めはない。

一点、一画も変更されてはいない。

「主よ、あなたのみ言葉は天においてとこしえに堅く定まり、」

「すべてのさとしは確かである。これらは世々かぎりなく堅く立ち、」

と詩篇記者は言っている(詩篇 119:89、111:7、8)。

神の律法とその第4条

最初に布告された時と同様に、第4条は、

十戒の中心の位置を占めている。

「安息日を覚えて、これを聖とせよ。

6日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。

7日目はあなたの神、主の安息であるから、

なんのわざをもしてはならない。

あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、

またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。

主は6日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、

7日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して

聖とされた」(出エジプト 20:8―11)。

 

神の霊が、

これらみ言葉の研究者たちの心に感動を与えた。

彼らは、自分たちが

創造主の休みの日を無視して、

知らずにこの戒めを犯していたことを悟らせられた。

彼らは、神が清められた日の代わりに

週の第1日を守るその理由を調べ始めた。

彼らは、第4条が廃されたとか、

安息日が変更されたとかいう証拠を、

聖書の中に見つけることができなかった。

最初に7日目を聖別した祝福は、取り除かれてはいなかった。

彼らは真心から、神のみこころを知り実行しようとしていた。

そして今、彼らは、

自分たちが神の律法の違反者であることを知って、深く悲しんだ。

そして、神の安息日を清く守ることによって、神への忠誠を表わした。

 

彼らの信仰を覆そうとして、

さまざまの熱心な働きかけがなされた。

地上の聖所が、天の聖所の象徴であり、

ひな型であるならば、地上の箱の中の律法は、

天の箱の中の律法の正確な写しであるということは、

だれの目にも明白なことであった。

そして、天の聖所に関する真理を信じることは、

神の律法の要求を認め、

第4条の安息日の義務を認めることを必然的に伴う、

ということも明白である。

ここに、天の聖所におけるキリストの奉仕を明らかにする、

調和のとれた聖書解釈法に対して、

きびしく断固たる反対が起こる原因があった。

人々は、神が開かれた門を閉ざし、神が閉じられた門を開けようとした。

しかし、「開けばだれにも閉じられることがなく、

閉じればだれにも開かれることのない者」が、

「見よ、わたしは、あなたの前に、

だれも閉じることのできない門を開いておいた」

と宣言しておられた(黙示録 3:7、8)。

キリストは、至聖所の門を、つまり、その務めを、お開きになった。

そして、光が、天の聖所のその開かれた門から輝いていた。

そして、そこに置かれた律法の中に

第4条の戒めが含まれていることが示された。

神が確立されたものを、だれも覆すことはできなかった。

 

キリストの仲保と神の律法の永遠性に関する光を受け入れた人々は、

これらが黙示録 14:に示された

真理であることを見いだした。

この章のメッセージは、主の再臨のために

地上の住民に準備をさせる

三重の警告から成っている(付録参照)。

「神のさばきの時がきた」という告知は、

人類の救いのためのキリストの務めの

最後の働きを指している。

それは、救い主のとりなしが終わり、

彼がご自分の民を迎えるために地上に帰られるまで

宣布しなければならない真理を伝えるものである。

1844年に始まった審判の働きは、生きている者も死んだ者も、

すべての者の運命が決定されるまで継続しなければならない。

したがって、これは、人類の恩恵期間の終わりまで続くのである。

人々に審判に立つ準備をさせるために、メッセージは、

「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。」

「天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」

と彼らに命じている。

これらのメッセージを受け入れる結果は、

「ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける

聖徒の忍耐がある」という言葉で表わされている。

審判に対する備えをするためには、

人は神の律法を守らなければならない。

その律法が、審判の時の品性の規準となるのである。

使徒パウロは、次のように言明している。

「律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。・・・・

神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらを

さばかれるその日に、」 また、彼は「律法を行う者が、義とされる」

と言っている(ローマ 2:12―16)。

神の律法を守るためには、信仰が不可欠である。

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。」

「すべて信仰によらないことは、罪である」

(ヘブル 11:6、ローマ 14:23)。

安息日の意味

第一天使は、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ」、

神を天地の創造主として礼拝せよと、人々に呼びかけている。

そうするためには、神の律法に従わなければならない。

賢者は、「神を恐れ、その命令を守れ。

これはすべての人の本分である」

と言っている(伝道の書 12:13)。

神の戒めに対する服従がないならば、

どんな礼拝も神に喜ばれることはできない。

「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。」

「耳をそむけて律法を聞かない者は、その祈でさえも憎まれる」

(Ⅰヨハネ 5:3、箴言 28:9 )。

 

神を礼拝する義務は、神が創造主であり、

他のすべてのものはその存在を神に依存している、

という事実に基づいている。

そして、聖書の中で、異教の神々にまさって

神が崇敬と礼拝を受けるべきであると示されている時は、

常に、神の創造の力がその実証としてあげられている。

「もろもろの民のすべての神はむなしい。

しかし主はもろもろの天を造られた」(詩篇 96:5)。

「聖者は言われる、『それで、あなたがたは、

わたしをだれにくらべ、わたしは、だれにひとしいというのか。』

目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。」

「天を創造された主、すなわち神であって、・・・・地を・・・・造られた

主はこう言われる、『わたしは主である、わたしのほかに神はない。』」

(イザヤ 40:25、26、45:18)。詩篇記者も言っている。

「主こそ神であることを知れ、われらを造られたものは主であって、

われらは主のものである。」「さあ、われらは拝み、

ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう」

( 詩篇 100:3、95:6)。

また、天において神を礼拝する聖者たちは、

神をあがめるべきその理由として、

「あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。

あなたは万物を造られました」と述べている(黙示録4:11)。

 

黙示録 1 4: には、創造主を礼拝するように

という呼びかけが人々に対してなされている。

そして、三重の使命の結果として、

神の戒めを守る一団の人々が起こることを、預言は示している。

これらの戒めの1つは、神が創造主であることを直接指示している。

第4条は、次のように宣言している。

「7日目はあなたの神、主の安息である。・・・・

主は6日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、

7日目に休まれたからである。

それで主は安息日を祝福して聖とされた」

(出エジプト20:10、11)。

安息日について、主は、さらに、それが

「しるしとなって、主なるわたしがあなたがたの神であることを、

あなたがたに知らせるためである」と言われる

(エゼキエル 20:20)。

そしてその理由は、「それは主が6日のあいだに天地を造り、

7日目に休み、かつ、いこわれたからである」

と言われているのである(出エジプト 3 1:17)。

 

「創造の記念としての安息日の重要さは、

われわれがなぜ神を礼拝すべきであるかという

真の理由を常に考えさせるところにある。」

すなわち、神は創造主であって、

われわれは神に造られたものだからである。

「それゆえに、安息日は、礼拝の根底そのものである。

というのは、安息日が、他のどんな制度よりも、

最も感銘深い方法で、この大真理を教えているからである。

7日目における礼拝だけでなく、

すべての礼拝の真の根拠は、

創造主と造られたものとの区別にある。

この大事実は、決して廃することのできるものではなく、

また決して忘れてはならないものである。」①

神がエデンで安息日を制定されたのは、

この真理を常に人々の心に留めておくためであった。

そして神がわれわれの創造主であるという事実が、

神を礼拝する理由として存続するかぎり、

安息日は、そのしるし、また記念として、存続するのである。

安息日がすべての人に守られ、人間の思いと愛情が、

崇敬と礼拝の対象としての創造主に向けられていたならば、

偶像礼拝者や無神論者や不信心者は

決してでてこなかったことであろう。

安息日を守ることは、

「天と地と海と水の源とを造られた」

真の神に対する忠誠のしるしである。

それゆえに、

神を礼拝し神の戒めを守ることを命じるメッセージは、

特に第4条の戒めを守るよう人々に呼びかけるのである。

獣とは何か

第三天使は、

神の戒めを守り、

イエスを信じる信仰を持ち続ける者とは対照的に、

別の一団を指摘している。

そして彼らの誤りに対して、厳粛で恐ろしい警告が発せられている。

「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、・・・・

神の激しい怒りのぶどう酒を飲」む(黙示録 14:9、10)。

このメッセージを理解するには、ここに用いられている

象徴を正しく解釈することが必要である。

獣、像、刻印とは、いったい何を表わしているのであろうか。

 

これらの象徴が用いられている一連の預言は、

黙示録 12 : から、キリストを誕生の時に滅ぼそうとした

龍から、始まっている。

龍は、サタンであると言われている(同 12:9)。

救い主を殺すためにヘロデを動かしたのは、サタンであった。

しかし、キリスト教時代の初期において、

キリストと彼の民に戦いをいどんだサタンの主力は、

ローマ帝国であり、

そこにおいて最も有力な宗教は、異教であった。

こうして、龍は、第一義的にはサタンを表わすが、

第二義的には異教ローマの象徴である。

 

第13章(1―10)にはもう1つの獣が描かれていて、

それは「ひょうに似ており、」

龍は、「自分の力と位と大いなる権威とを、この獣に与えた。」

この象徴は、

たいていのプロテスタントが信じてきたように、

かつて古代ローマ帝国が握っていた

力と位と権威とを継承した法王権を表わしている。

ひょうに似た獣について、次のように言われている。

「この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、・・・・

そこで、彼は口を開いて神を汚し、

神の御名と、その幕屋、

すなわち、天に住む者たちとを汚した。

そして彼は、

聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、

さらに、すべての部族、民族、

国語、国民を支配する権威を与えられた。」

ダニエル 7:の小さい角の描写と

ほとんど同じであるこの預言は、

疑いもなく法王権を指している。

 

「4 2か月のあいだ活動する権威が与えられた。」 そして、

「その頭の1つが、死ぬほどの傷を受けた」

と預言者は言っている。

また、「とりこになるべき者は、とりこになっていく。

つるぎで殺す者は、自らもつるぎで殺されねばならない」とある。

42か月は、ダニエル 7:の

「ひと時と、ふた時と、半時の間」、

つまり3年半、すなわち1260日と同じで、

その期間のあいだ、

法王権は神の民を圧迫するのであった。

この期間は、すでに述べたように、

法王権が至上権を握った紀元538年に始まり、

1798年に終わった。

この時、法王はフランス軍の捕虜になり、

法王権は致命的な傷を受けた。

「とりこになるべき者は、とりこになっていく。」

アメリカ合衆国の出現

ここで、もう1つの象徴が紹介される。

預言者は、次のように言っている。

「わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。

それには小羊のような角が2つあっ」た(ダニエル 7:11)。

この獣の外見と出現の模様はともに、

それが表している国家が、

それに先だってさまざまの象徴のもとに表された国々とは

異なっているということを示している。

世界を支配してきた強国は、

「天の四方からの風が大海をかきたて」た時に現れた猛獣として、

ダニエルに示された(ダニエル 7:3)。

黙示録 17:では、天使が、

水は「あらゆる民族、群衆、国民、国語」

を表わしていると説明した(黙示録 17:15)。

風は、争闘を象徴している。

天の四方からの風が大海をかきたてるとは、

諸国が権力を握るために起こした征服と

革命の恐るべき光景を表している。

 

しかし、小羊のような角をもった獣は、

「地から上って来る」のが見えたのであった。

このように表される国は、自国を確立するために他の諸国を覆すのではなくて、まだだれにも占有されていない領土に起こり、

徐々にまた平和のうちに成長する国でなければならない。

したがって、旧世界の込み合った争い合う国々の中、

すなわち、あの「民族、群衆、国民、国語」の

荒海の中からは起こり得ないのである。

それは、西半球の大陸に求められねばならない。

 

1798年に、新世界のどんな国が、勢力を伸ばし、

将来強大な国家になる可能性を示して、

世界の注目を集めていたであろうか。

この象徴が、どの国に適用されるかは、実に明白である。

この預言の指示するところに合致する国は、ただ1つしかない。

それは、疑いもなく、

アメリカ合衆国を指している。

弁論家や歴史家は、

この国の起源と成長を描写するのに、

無意識のうちに、聖書記者の思想を、

またほとんど同じ言葉を、くり返し用いてきた。

獣は、「地から上って来る」のが見えた。

そして、翻訳者たちによれば、

ここで「上って来る」と訳されている言葉は、字義どおりには、

「植物のように成長する、または、生える」という意味である。

そして、すでに見たように、その国は、

どの国にも占有されていない領土に起こらなければならない。

ある有名な著者は、米国の出現を描写して、

「その空虚からの出現の神秘」について語り、

「黙した種子のように、われわれは成長して帝国になった」

と述べている。②

1850年にヨーロッパのある雑誌は、

米国のことを、「現れ出て」、

「地の沈黙の中で日ごとにその権力と誇りを増しつつある」

不思議な帝国、と述べた。③

また、エドワード・エベレットは、

同国の建設者である清教徒たちについての演説の中で、

「彼らは、ライデンの小さな教会が

良心の自由を享受することができるところを、

人跡まれで、人目につかず、

安全な遠隔の地に求めたのであろうか。

彼らが、平和的征服のうちに、・・・・

十字架の旗をかかげた・・・・

巨大な地域を見よ!」④

と言った。

アメリカの変貌(へんぼう)

「それには小羊のような角が2つあっ」た。

小羊のような角は、

若々しさと無垢(むく)と温順さとを示すもので、

1798年に「上って来る」のを預言者が見た時の

米国の性格をよく表わしている。

最初、米国に逃れ、王の圧迫と司祭たちの迫害からの

避難所を求めた亡命キリスト者たちの中には、

政治的自由と宗教的自由の

広い基盤の上に政府を樹立しようと

決意したものが多くあった。

彼らの意見は、独立宣言の中に織り込まれ、

「すべての人は平等に造られ、」「生命、自由、および幸福の追求」

という奪うことのできない権利を与えられている、

という偉大な真理の表明となっている。

そして、憲法は、国民に自治権を保証し、

一般投票によって選ばれた代議員が法律の制定と

執行にあたるべきことを規定している。

宗教の自由も保証され、

すべての人は良心の命じるところに

従って神を礼拝することが許されている。

共和主義とプロテスタント主義が、

国家の根本原則となった。

これらの原則が、その権力と繁栄の秘けつである。

全キリスト教国の、圧迫され踏みにじられた人々が、

関心と希望を抱いてこの国に目を向けた。

幾百万という人々がその岸辺にやって来て、

米国は、世界で最も強い国の1つに

数えられるまでになった。

 

しかし、小羊のような角をもった獣は、「龍のように物を言った。

そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。

また、地と地に住む人々に、

致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。・・・・

地に住む人々を惑わし、かつ、

つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、

地に住む人々に命じた」(黙示録 13:11―14)。

 

この象徴の持つ、小羊のような角と龍のような声は、

ここで表されている国家の宣言と実行との

著しい矛盾を示すものである。

国家が「物を言う」とは、

その立法および司法権の活動のことである。

米国は、そのような行為によって、

国家の方針の基礎として宣言した

自由と平和の原則を裏切るのである。

それが「龍のように」語り、

「先の獣の持つすべての権力」

を働かせるという預言は、明らかに、

それが、龍やひょうに似た獣によって象徴される国々が表した

狭量と迫害の精神を持つようになるということを予告している。

 

そして、2つの角を持った獣が

「地と地に住む人々に、・・・・先の獣を拝ませ」るという言葉は、

この国が権力を行使して、

法王権に対する礼拝行為となるような

何かの遵守を強要することを示している。

 

このような行動は、この政府の原則、自由制度の精神、

独立宣言の率直厳粛な言明、そして憲法に、全く相反するものである。

米国の建国に当たった人々は、世俗の権力が教会のことに用いられて、

その当然の結果として狭量と迫害が起こることを避けようと、

賢明にも努めた。

憲法には、「国会は、宗教の設立に関する、

もしくはその自由な活動を禁ずる法律を制定してはならない」、

また、「合衆国のいかなる公職につくに当たっても、

その資格として、

宗教的条件を課してはならない」とある。

国民の自由を擁護するこれらの条項に

はなはだしく違反することなしには、国権は、

どんな宗教的法令も施行することはできない。

しかし、そのような矛盾した行動をとることは、

象徴に示されているとおりである。

小羊のような角を持った獣は、

純潔柔和で悪意のないことを公言しながら、

龍のように物を言うのである。

 

「地に住む人々を惑わし・・・・

(彼らに)獣の像を造ることを・・・・命じた。」

ここに、立法権が国民にある政体が明示されている。

これは、合衆国が預言に示された国であるという

きわめて顕著な証拠である。

政権と教権との提携

しかし、この「獣の像」とは何であろうか。

そして、それは、どのようにして造られるものなのであろうか。

この像は、2本の角をもった獣によって造られるものであり、

先の獣に模した像である。

それは、また、獣の像とも呼ばれている。

したがって、像が何であり、どのようにして造られるかを知るためには、

獣そのもの、すなわち法王権の特徴を研究しなければならない。

 

初代教会は、福音の単純さを離れて堕落し、

異教の儀式と習慣を受け入れた時に、

聖霊と神の力を失った。

そして、人々の良心を支配するために、

世俗の権力の援助を求めた。

 

その結果が、法王権であって、それは、

国家の権力を支配し、それを教会自身の目的、

特に「異端」の処罰のために用いた教会であった。

米国が獣の像を造るためには、

宗教的権力が政府を支配し、

教会が、教会自身の目的を遂行するために、

国家の権力を用いるようにならなければならない。

 

教会が世俗の権力を握った場合は常に、

教会はそれを自分の教義に反対する者を罰するために用いてきた。

世俗の権力と提携することによって

ローマの範に従ったプロテスタント諸教会も、

良心の自由を束縛しようとする同様の欲望を表した。

英国の国教会が、長年にわたって反対者を迫害したことは、

そのよい例である。

16世紀と17世紀にわたって、

幾千という非国教徒の牧師たちが、教会を去らなければならなかった。

そして、牧師も信徒も、多くの者が罰金、

投獄、拷問、殉教の憂き目にあったのである。

 

初代教会が政府の支持を求めるようになったのは、

背教のためであった。

そして、これが、法王権―獣―の発展する道を開いた。

「まず背教のことが起り、不法の者・・・・が現れる」

とパウロは言った(Ⅱテサロニケ 2:3 )。

そのように、教会内の背教が、獣の像を造る道を開くのである。

アメリカと獣の像

聖書は、主の再臨に先だって、

初期の時代の状態に似た宗教的堕落の状態が起こるといっている。

「終りの時には、苦難の時代が来る。

その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、

大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、

恩を知らぬ者、神聖を汚す者、無情な者、融和しない者、

そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、

裏切り者、乱暴者、高言をする者、

神よりも快楽を愛する者、

信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう」

(Ⅱテモテ 3:1―5)。

 

「しかし、御霊は明らかに告げて言う。

後の時になると、ある人々は、惑わす霊と悪霊の教とに気をとられて、

信仰から離れ去るであろう」(Ⅰテモテ 4:1)。

サタンは、「あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、

また、あらゆる不義の惑わしとを」もって働く。

そして、「自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれな」い者は

みな、「彼らが偽りを信じるように、迷わす力」に

陥ってしまうのである(Ⅱテサロニケ 2:9―11)。

こうした不信の状態に達した時に、

初期の時代におけると同様の結果が生じるのである。

 

プロテスタント教会内の大きな信仰の差異は、

どんなに努力しても一致を図ることはできないということの

決定的証拠であると考える人が多い。

しかし、ここ数年にわたって、プロテスタントの諸教会内において

共通の教義を土台として合同しようとする気運が強く動き出している。

このような合同を達成するためには、

たとい聖書的見地からどんなに重要なものであっても、

すべての者が一致しない問題点は、

必然的に放棄されねばならなくなる。

 

1846年、チャールズ・ビーチャーは、

ある説教の中で次のように言明した。

「福音主義のプロテスタント諸派の牧師たちは、

単なる人間的恐怖にはなはだしく打ちひしがれているだけでなく、

根本的に腐敗した状態のもとに生き、動き、呼吸している。

そして、常に、

自分たちの性質のあらゆる卑しい要素に訴えて、

真理については沈黙し、背教の勢力にはひざをかがめている。

これは、ローマが行ったことではなかったか。

われわれもまた、同じことをしているのではなかろうか。

そして、われわれは、前途に何を見るであろうか。

それは、もう1つの全体会議、

世界大会、伝道同盟、

そして共通の信条ということである。」⑤

これが達成されるならば、

その時には、完全な合同を確保するには、

ただ1歩進んで暴力に訴えればよいのである。

 

米国の主要な教会が、

その共通の教理において合同し、

国家を動かして教会の法令を施行させ、

教会の制度を支持させるようになるその時に、

プロテスタント・アメリカは、ローマ法王制の像を造り、

その必然の結果として、

反対者たちに法律上の刑罰を加えることになるのである。

獣の刻印とは何か

2つの角を持った獣は、「また、小さき者にも、大いなる者にも、

富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、

すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、

この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである」

(黙示録 13:16、17)。

第3天使の警告は、「おおよそ、獣とその像とを拝み、

額や手に刻印を受ける者は、神の怒りの杯・・・・を飲」むと告げている。

このメッセージの中にあげられている「獣」、

それを礼拝するようにと2つの角を持った獣が強制するところの獣は、

黙示録13章の最初の獣、

すなわちひょうに似た獣―法王制―のことである。

「獣の像」は、プロテスタント諸教会が自分たちの教義を

強制するために公権力の助けを求める時に起きてくるところの、

そうした背教のプロテスタント教会を表している。

ここで、さらに、「獣の刻印」が明らかにされなければならない。

 

預言は、獣とその像とを拝することについて警告したあとで、

「ここに、神の戒めを守り、

イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒・・・・がある」と宣言する。

神の戒めを守る人々が、獣とその像とを拝み、

その刻印を受ける者たちと、

このように対照されていることから見ると、

神を拝む者と獣を拝む者との間の区別は、

一方は神の戒めを守り、

他方はそれを犯すことにあるとわかる。

 

獣の特徴、したがって、その像の特徴は、神の戒めを破ることである。

ダニエルは、小さい角、

すなわち法王制について、次のように言っている。

「彼はまた時と律法とを変えようと望む」(ダニエル 7:25)。

そして、パウロは、この同じ権力を、

神よりも自分を高める「不法の者」と呼んだ。

1つの預言は他の預言を補足する。

法王制は、神の律法を変更することによってのみ、

自らを神よりも高くすることができたのである。

だれであっても、こうして変更された律法を、

それと知りつつ守るならば、

律法を変更した権力に最高の栄誉を帰していることになる。

法王制の律法に従うこのような行為は、

神のかわりに法王に忠誠を誓うしるしとなるのである。

 

法王制は、神の律法を変更しようとした。

偶像礼拝を禁じる第2条を律法から除去し、

第4条は、7日目のかわりに第1日を安息日として

守ることを公認するように変更された。

しかし、法王側の人々は、第2条を除去したことを、

それは第1条に含まれているから不必要であり、

われわれは神がわれわれに理解させたいと

望んでおられるとおりに律法を与えたのであると主張する。

これは、預言者が預言したところの変更ではない。

預言されたその変更は、計画的で故意の変更である。

すなわち「彼はまた時と律法とを変えようと望む。」

第4条の変更こそ、まさしくこの預言の成就である。

これに関して主張できる権威は、

ただ教会の権威のみである。

ここにおいて、法王権は、

公然と自らを神よりも高めているのである。

安息日の変更

神を拝む者たちが、第4条を尊重することによって特に目立つーな

ぜならこれは、神の創造の力のしるしであり、

神が人間に崇敬と服従を要求なさるその証拠だからであるーのに対し、

獣を拝む人々は、創造主の記念を踏みにじり、

ローマの制度を高めようと努めることによって目立つものとなる。

法王制が最初にその高慢な主張をしたのは、

日曜日のためであった(付録参照)。

そして、最初に国家の権力の助けを求めたのは、

日曜日を「主の日」として守ることを強制するためであった。

しかし聖書は、主の日として、第1日ではなくて7日目をさしている。

キリストは、「人の子は、安息日にもまた主なのである」と言われた。

第4条の戒めには、

「7日目はあなたの神、主の安息である」と言われている。

そして、主は、預言者イザヤによって、

その日を「わが聖日」と呼ばれた

(マルコ 2:28、イザヤ 58:13)。

 

安息日を変更したのはキリストであるとよく言われるが、

キリストご自身の言葉が、そうでないことを証明している。

彼は、山上の垂訓の中で次のように言われた。

「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。

廃するためではなく、成就するためにきたのである。

よく言っておく。天地が滅び行くまでは、

律法の1点、1画もすたることはなく、

ことごとく全うされるのである。

それだから、これらの最も小さいいましめの1つでも破り、

またそうするように人に教えたりする者は、

天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。

しかし、これをおこないまたそう教える者は、

天国で大いなる者と呼ばれるであろう」(マタイ5:17―19)。

 

安息日の変更について聖書的根拠がないことは、

プロテスタントが一般に認めている事実である。

これは、米国トラクト協会と米国日曜学校同盟が発行した

出版物の中に明らかに記されている。

これらの書物の1つは、

「安息日〔週の第1日、日曜日〕に関して、

新約聖書には、なんら明白な命令もなければ、

その遵守に関する明確な規則も記されていない」

と認めている。⑥

 

他の者は次のように言っている。

「キリストが死なれるまで、日の変更はなかった。」

そして「記録によるかぎり、彼ら〔使徒たち〕は、・・・・

7日目の安息日を廃止して

週の第1日を守るようにさせるような、

どんな明白な命令をも与えてはいない。」⑦

 

ローマ・カトリック教徒は、

彼らの教会が安息日を変更したことを認め、

プロテスタントが日曜日を守るのはカトリック教会の権威を

認めることであるという。

カトリック教会の教理問答には、

第4条の戒めに従って守るべき日についての質問の答えとして、

次のように書いてある。

「古い律法の時代には、土曜日が聖日であった。

しかし、教会は、イエス・キリストの教えと神の霊の指導の下に、

日曜日を土曜日の代わりにした。

それゆえに今、われわれは、7日目でなくて、

第1日を聖なる日とする。日曜日が、今では、主の日である。」

 

カトリックの著者たちも、カトリック教会の権威のしるしとして、

「安息日を日曜日に変更したという、まさにその行為」を挙げ、

それは「プロテスタントも承認している。・・・・

彼らは日曜日を守ることによって、

祝祭日を制定し人々を罪に定める教会の権威を、認めているのである」

と言っている。⑧ とするならば、安息日の変更は、

ローマ教会の権威のしるし、あるいは刻印、

すなわち「獣の刻印」でなくて何であろうか。

日曜休業令の本質

ローマ教会は、その至上権の主張を撤回してはいない。

そして、世界とプロテスタント諸教会は、

聖書の安息日を拒否して、

ローマ教会が造った安息日を受け入れる時に、

事実上この主張を認めるのである。

彼らは、その変更は伝承や教父たちの

権威によるものであると主張するかもしれない。

しかし、そうすることによって、彼らは、

「聖書、しかも聖書のみが、プロテスタントの宗教である」という、

彼らをローマから隔てている原則そのものを無視するのである。

法王教徒は、彼らがこの事実に故意に目を閉じて、

自分たちを欺いているのを見ることができる。

日曜休業運動が世に迎えられるにつれて、

法王教徒は、やがては全プロテスタント世界が

ローマの旗の下にくだることを確信して喜ぶのである。

 

ローマ教徒は、「プロテスタントの日曜日遵守は、

彼らが、それとは気づかずに、

〔カトリック〕教会の権威に従っているのである」と宣言している。⑨

プロテスタント諸教会が、日曜日遵守を強要することは、

法王制、すなわち獣を拝むことを強要することである。

第4条の要求を知りながら、

真の安息日の代わりに偽物を守ることを選ぶ者は、

そうすることによって、

それを命じた唯一の権威に敬意を表しているのである。

しかし、宗教的義務を世俗の権力によって

強制するという行為そのものによって、

教会自身が獣の像を作るに至る。

それゆえに、米国における

日曜日遵守の強制は、獣とその像の礼拝の強制となるのである。

 

しかし、過去においては、

聖書の安息日を守っていると信じて、

日曜日を守ってきたキリスト者たちがいた。

また、日曜日は神が定められた安息日であると

心から信じている真のキリスト者たちが、

今も各教会におり、ローマ・カトリック教会も例外ではない。

神は彼らの真剣な心と神の前での誠実さを受け入れられる。

しかし、日曜日遵守が法律によって強いられ、

真の安息日を守るべきことが世界に明らかにされるその時に、

神の戒めを破って、

単にローマの権威によるものにすぎないところの戒めに従う者は、

それによって、

神よりも法王教をあがめるのである。

そのような人は、ローマに敬意を払い、

ローマが定めた制度を強制する権力に敬意を払っている。

彼は、獣とその像を拝んでいる。

こうして、神がご自分の権威のしるしであると宣言された制度を

拒んで、その代わりに、ローマがその至上権のしるしとして

選んだものを尊重する時に、人々は、それによって、

ローマに対する忠誠のしるし、すなわち「獣の刻印」を受けるのである。

こうして、この問題が人々の前に明らかに示されて、

神の戒めと人間の戒めのどちらかを選ばねばならなくなった時、

それでも神の戒めを犯し続ける人々が、

「獣の刻印」を受けるのである。

二種類の人々

これまで人類に与えられたことのない恐ろしい威嚇(いかく)の言葉が、

第3天使の使命の中に含まれている。

憐れみを混じえない神の怒りをひき起こすものは、

恐ろしい罪に違いない。

この重大なことについて、人々は、無知のままであってはならない。

この罪に対する警告は、

神の罰が下る前に世界に伝えられなければならない。

それはすべての者が、罰を受ける理由を知り、

それを逃れる機会が与えられるためである。

預言は、第一天使が

「あらゆる国民、部族、国語、民族」に布告すると言っている。

同じ三重の使命の一部である第三天使の警告は、

同じ範囲に及ぶのである。

預言の中で、それは、

中空を飛ぶ天使によって

大声で宣言されるものとして表わされている。

そして、それは世界の注目をひくのである。

 

この争いの結果、全キリスト教世界は二種類の人々に分けられる。

すなわち、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持つ者と、

獣とその像とを拝み、その刻印を受ける者とである。

教会と国家とが力を合わせて、

「小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、

自由人にも、奴隷にも、すべての人々に」

「獣の刻印」を受けるように強制しても(黙示録 13:16)、

神の民は、それを受けない。

パトモスの預言者は、「このガラスの海のそばに、

獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々が、

神の立琴を手にして立って」、

「モーセの歌と小羊の歌とを歌って」いるのを見るのである

(黙示録 15:2、3)。

第25章 注

1 J. N. Andrews, "History of Sabbath," ch.27.

2 G. A. Townsend, "The New World Compared With the Old," p.462.

3 The "Dublin Nation."

4 Speech delivered at Plymouth, Massachusetts, Dec. 22, 1824, p.11.

5 Sermon on "The Bible a Sufficient Creed," delivered at Fort Wayne, Indiana, Feb.

22, 1846.

6 George Elliott, "The Abiding Sabbath," p.184.

7 A. E. Waffle, "The Lord's Day," pp.186-188.

8 Henry Tuberville, "An Abridgement of the Christian Doctrine," p.58.

9 Mgr. Segur, "Plain Talk About the Protestantism of Today," p.213.

 

【 第26章 安息日の意義とその回復 】

終末における改革事業

最後の時代に安息日の改革の働きが完成されることが、

イザヤの預言の中に予告されている。

「主はこう言われる、『あなたがたは公平を守って正義を行え。

わが救の来るのは近く、わが助けのあらわれるのが近いからだ。

安息日を守って、これを汚さず、その手をおさえて、

悪しき事をせず、このように行う人、

これを堅く守る人の子はさいわいである。』」

「また主に連なり、主に仕え、主の名を愛し、そのしもべとなり、

すべて安息日を守って、これを汚さず、

わが契約を堅く守る異邦人は―

わたしはこれをわが聖なる山にこさせ、

わが祈の家のうちで楽しませる」

(イザヤ 56:1、2、6、7)。

 

この聖句が、キリスト教時代にあてはまることは、

その前後関係から見て明らかである。

「イスラエルの追いやられた者を集められる主なる神はこう言われる、

『わたしはさらに人を集めて、すでに集められた者に加えよう』と」

(同 56:8)。

ここに、福音によって異邦人が集められることが予告されている。

そして、その時安息日を尊ぶ者たちに、

祝福が宣言されている。

こうして、第4条を守る義務は、

キリストの十字架と復活と昇天を越えて、

彼のしもべたちが福音の使命をすべての国民に

宣べ伝える時にまで及ぶのである。

 

主は、同じ預言者によって、

「あかしをたばねよ。律法をわが弟子たちのうちに印せよ」

と命じておられる(イザヤ 8:16・英語訳)。

神の律法の印は、第4条の戒めの中に見いだされる。

十戒の中で、第4条だけが、

律法を与えた方の名と称号とを2つとも明らかにしている。

それは、彼が、天と地の創造者であることを宣言し、

したがって、他のすべてにまさって崇敬と

礼拝を受くべき方であることを示している。

この戒めを除いては、だれの権威によって

律法が与えられたかを示すものは、十戒の中に何もない。

法王権が安息日を変更した時、

律法から印が取り除かれた。

イエスの弟子たちは、

第4条の安息日を、創造主の記念と

彼の権威のしるしとしての正当な位置に高めることによって、

それを回復するように求められている。

 

「ただ律法と証とを求むべし。」

種々の矛盾した教義や意見が盛んに唱えられているが、

神の律法は、あらゆる意見、教義、

説などを吟味する誤つことのない唯一の規準である。

「彼らのいうところ、この言葉にかなわずば、しののめあらじ」

(同 8:20・文語訳)。

 

また、次のような命令が与えられている。

「大いに呼ばわって声を惜しむな。

あなたの声をラッパのようにあげ、わが民にそのとがを告げ、

ヤコブの家にその罪を告げ示せ。」

罪の譴責(けんせき)を受けなければならない者は、

邪悪な世ではなくて、主が「わが民」と呼ばれる人々である。

主は、さらにこう言われる。

「彼らは日々わたしを尋ね求め、義を行い、

神のおきてを捨てない国民のように、わが道を知ることを喜ぶ」

(イザヤ 58:1、2)。

ここには、自分たちを義とし、

神の奉仕に非常な関心を示すかのように思われる

一団の人々が示されている。

しかし、人の心を見通されるお方の、手きびしい厳粛な譴責は、

彼らが神の律法を踏みにじっているということを証明している。

 

こうして預言者は、見捨てられていた戒めを指摘する。

「あなたは代々やぶれた基を立て、

人はあなたを『破れを繕う者』と呼び、

『市街を繕って住むべき所となす者』と呼ぶようになる。

もし安息日にあなたの足をとどめ、

わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、

主の聖日を尊ぶべき日ととなえ、これを尊んで、

おのが道を行わず、おのが楽しみを求めず、

むなしい言葉を語らないならば、

その時あなたは主によって喜びを得」る( 同 58:12―14)。

この預言もまた、

われわれの時代に当てはまる。

ローマの権力によって安息日が変更された時、

神の律法に破れができた。

しかし、神の制度が回復される時が来た。

破れは修繕され、

代々の基は立てられなければならない。

 

真の安息日の回復

創造主の休息と祝福とによって聖別された安息日は、

罪を犯さないアダムが聖なるエデンにおいて守ったものであり、

また、堕落したが悔い改めたアダムが、

楽園を追放された後も守ったものであった。

安息日は、アベルから義人ノア、アブラハム、

ヤコブに至るすべての家長たちが守った。

選民がエジプトに奴隷になった時、多くの者は、

広く行き渡っていた偶像礼拝のただ中で、神の律法の知識を忘れた。

しかし、主は、イスラエルを救い出された時、

集まった群衆に、大いなる威光の中で、ご自分の律法を宣言された。

それは彼らが神のみこころを知り、

永遠に神を畏れ神に従うためであった。

 

その時から現在に至るまで、

神の律法に関する知識は地上で保たれ、

第4条の安息日は守られてきた。

「不法の者」が、神の聖日を踏みにじりはしたが、

その至上権時代にあっても、ひそかなところに隠れて、

忠実な人々が安息日を尊んでいた。

宗教改革以後、いつの時代においても、

だれかが安息日を守り続けていた。

しばしば非難と迫害のただ中にあっても、

神の律法の不変性と、

創造の安息日を聖く守るべきこととが、

絶えずあかしされてきた。

 

これらの真理は、

黙示録 14 : において「永遠の福音」と関連して示されているように、

再臨の時のキリストの教会の特徴である。

なぜなら、三重の使命が伝えられる結果として、

「ここに、神の戒めを守り、

イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」

と言われているからである。

そして、この使命は、主の再臨に先だって伝えられる最後のものである。

これが宣布されたあと、直ちに、人の子が地の収穫を刈るために

栄光のうちに来られるのを、預言者は見たのである。

 

聖所と神の律法の不変性とについての光を受けた人々は、

彼らが理解した真理の体系の美と調和を見て、

喜びと驚きに満たされた。

彼らは、非常に貴重なものに思われたその光を、

すべてのキリスト者たちに伝えたいと願った。

そして、それが喜んで迎えられるものと

信じて疑わなかった。

しかし、人々をして世と異なったものにする真理は、

キリストの弟子であると称する多くの者に、

歓迎されなかった。

第4条への服従は犠牲を要求するものであり、

大部分の者はこれに背を向けたのであった。

日曜日遵守論

安息日の義務が示された時、多くの者は、

世俗の立場から考えて、次のように言うのであった。

「われわれは、これまで常に日曜日を守ってきた。

われわれの先祖たちも守った。

そして、多くの善良で敬虔な人々が、日曜日を守って幸福に死んだ。

もし彼らが正しかったのであれば、われわれも正しい。

この新しい安息日を守れば、世との調和から外れ、

彼らに感化を及ぼすことができない。

7日目を守る小さな団体が、日曜日を守る全世界に対抗して、

いったい何を成し遂げようというのか?」

ユダヤ人が、キリストを拒んだことを正当化しようとしたのは、

同様の議論によってであった。

われわれの先祖たちは、

犠牲をささげることによって神に受け入れられてきたのだから、

その子孫であるわれわれも、

同様の方法で救いを受けることのできないはずがあろうか、

というのであった。

同様に、ルターの時代において、法王教徒たちは、

真のキリス卜者たちはカトリックの信仰をもって死んだ、

それゆえにこの信仰は、救いを受けるのに十分である、と論じた。

しかし、このような論理は、宗教的信仰や行為のあらゆる発達を、

はなはだしく阻害するものである。

 

日曜日遵守は確立された教義で、

幾世紀にもわたって広く行われてきた教会の慣習である、

と論じる者が多い。

このような議論に対し、安息日とその遵守は、

もっと古くもっと広範囲のもの、創世以来のものであり、

神と天使たちとの認めるものであることが示された。

地の基がすえ

られ、明けの星が相共に歌い、

神の子たちがみな喜び呼ばわったその時、

安息日の基礎が置かれたのである(創世記 2:1―3、ヨブ 38:6、7参照)。

この制度がわれわれの崇敬を要求するのは当然である。

それは、人間の権威によって命じられたものでも、

人間の伝承によるものでもない。

それは、日の老いたる者によって制定され、

その永遠の言葉によって命じられたものである。

 

安息日改革の問題に人々の注意が喚起されると、

一般の牧師たちは、

神の言葉を曲げて、

人々の探究心を巧みにしずめるような解釈をほどこした。

そして、自分で聖書を探究しない人々は、

自分たちの欲求に合った結論を受け入れて満足した。

議論、詭弁(きべん)、教父たちの伝承、

また教会の権威などによって、

真理を覆そうとした者が多くいた。

真理の擁護者たちは、自分たちの聖書を頼りにして、

第4条の戒めの正当性を擁護した。

真理の言葉だけで武装した謙遜な人々が、

学者たちの攻撃に対抗した。

学者たちは、自分たちの巧みな詭弁が、

難解な学問よりも聖書によく通じた人々の、

単純で率直な論理に対してなんの力もないのを知って、驚き怒った。

 

多くの者は、自分たちに有利な聖書の証言がないために、

同じ論法がキリストと彼の使徒たちに

反対して用いられたことを忘れて、頑固(がんこ)に次のように主張した。

「われわれの偉大な人々がこの安息日問題を

理解しないのはどういうわけか。

あなたがたのように信じている者はほんのわずかである。

あなたがたが正しくて、

世の中の学者たちがみなまちがっている、

などということはあり得ない。」

 

このような議論に反論するには、

ただ聖書の教えと、各時代において

主がご自分の民を扱われた歴史とを引用すればよかった。

神は、神の声を聞いて従う者、

必要ならば俗受けのしない真理を語る者、

広く行われている罪を譴責することを恐れない者を用いて働かれる。

神が、学者や高い地位にある人々を選んで

改革運動の指導者になさらないのは、

彼らが、自分たちの信条、理論、神学体系などに頼って、

神に教えられることの必要を感じないからである。

知恵の根源である神と個人的につながっている者だけが、

聖書を理解し説明することができる。

学校教育をわずかしか受けていない人々が、

真理を宣言するために召されることがあるが、

それは彼らが無学であるためではなくて、

自分に頼らずに神から教えを受けるからである。

彼らは、キリストの学校で学び、

その謙遜と服従が、彼らを偉大にするのである。

神は彼らに、神の真理の知識をゆだねて、彼らに栄誉をお与えになる。

それに比べるならば、地上の栄誉や人間的偉大さは、

とるに足りないものなのである。

光を拒むことの危険

再臨信徒の大部分は、

聖所と神の律法に関する真理を拒否した。

そして、多くの者は、

再臨運動に関する信仰をも放棄して、

この働きに適用された預言について、

不健全で矛盾した意見を取り入れた。

ある人々は、キリスト再臨のはっきりした時日を

何度も定めるという誤りに陥った。

今や、聖所問題の上に輝いている光は、

どんな預言的期間も再臨までは及んでいないこと、

そして、この事件の正確な時は預言されていないことを、

彼らに示したはずであった。

しかし彼らは、光から顔をそむけて、主の来られる日を定め続け、

そのたびに失望に陥っていた。

 

テサロニケ教会が、

キリストの再臨に関して誤った見解を抱いた時、

使徒パウロは、彼らの希望と期待とを

注意深く神の言葉によって吟味するように、

彼らに勧告した。

彼は、キリスト再臨の前に起こる事件を示している預言を引用して、

彼らの時代にキリストがおいでになると

期待する根拠がないことを彼らに示した。

「だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない」

と彼は警告している(Ⅱテサロニケ 2:3)。

もしも彼らが、聖書の承認しない期待を抱くならば、

誤った行動に走り、失望の結果不信心な者たちの笑いものになり、

落胆して、自分たちの救いに不可欠な真理を

疑うような誘惑に陥ってしまったであろう。

テサロニケ人への使徒の勧告は、

終末時代に生きている者たちに対しての、

重大な教訓を含んでいる。

主の再臨の明確な時日の上に信仰を置くことができないなら、

熱心に準備にいそしむことができないと感じている再臨信徒が多い。

しかし、彼らの希望が、

何度も何度も燃え上がっては崩れ去るうちに、

彼らの信仰は打撃を受けて、

預言の大真理を

ほとんど感じることができなくなってしまうのである。

 

最初の使命宣布に当たって、審判の明確な時を伝えることは、

神の命令であった。

この使命の根拠をなす預言期間の計算が、

2300日の終わりを1844年の秋であると定めたことは、

非難の余地がない。

預言期間の始まりと終わりの

新しい年代を発見しようとくり返し努力し、

そうした主張を支持するのに必要な不健全な推論をすることは、

人々の心を現代の真理から引き離すだけでなく、

預言の解説に対するあらゆる努力を軽べつするものである。

再臨の明確な時が、何度も定められれば定められるほど、

そしてそれが広く伝えられれば伝えられるほど、

それだけいっそうサタンの目的にかなうのである。

時が過ぎ去ると、サタンはその支持者たちをあざけり軽べつして、

1843年と1844年の大再臨運動をも非難するのである。

このような誤りを犯し続ける者は、

ついにはキリストの再臨をはるか遠い将来に定めるようになる。

こうして彼らは、誤った安心感を抱くに至り、

多くの者がその惑わしに気づいた時には、すでにおそすぎるのである。

重大な教訓

むかしのイスラエルの歴史は、

再臨信徒の団体の過去の経験の、顕著な実例である。

神は、イスラエルの人々をエジプトから導き出されたように、

ご自分の民を再臨運動において導かれた。

大失望のときに、彼らの信仰は、

ヘブル人が紅海で試みられたような試練を受けた。

もしも彼らが、過去の経験において彼らとともにあった

神の導きの手に、なおも信頼していたならば、

彼らは神の救いを見たことであろう。

もしも、1844年の運動に一致して働いた者がみな、

第3天使の使命を受け入れ、

聖霊の力によってそれを宣布していたならば、

主は彼らの努力とともに力強く働かれたことであろう。

輝かしい光が、洪水のように世界を覆ったことであろう。

何年も前に、地の住民に警告は発せられ、

最後の働きが完結して、

キリストはご自分の民を救うためにおいでになっていたであろう。

 

イスラエル人が荒野を40年もさまようことは、

神のみこころではなかった。

神は、彼らをまっすぐにカナンの地に導いて、

彼らをそこで、聖く幸福な国民として定住させようとしておられた。

しかし、「彼らがはいることのできなかったのは、

不信仰のゆえで」あった(ヘブル 3:19)。

堕落と背信のために彼らは荒野で滅び、

他の者たちが約束の国に入るために起こされた。

同じように、キリストの再臨がこのように遅れ、

神の民がこのように長く、

罪と悲しみのこの世にとどまることは、

神のみこころではなかった。

しかし、不信が、彼らを神から引き離した。

彼らが神に命じられた働きをすることを拒んだ時に、

使命を宣言するために他の者たちが起こされた。

イエスは、世界をあわれんで、彼の再臨を延ばしておられる。

それは、罪人に警告を聞く機会を与え、

神の怒りが注がれる前に、主のうちに避難させるためである。

 

昔と同様に今日においても、

時代の罪と誤りを指摘する真理を伝えることは、反対を引き起こす。

「悪を行っている者はみな光を憎む。

そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、

光にこようとはしない」(ヨハネ 3:20)。

人々は、自分たちの立場を聖書によって

支持することができないのがわかると、

多くの者はなんとかしてそれを支持しようと決意し、

一般受けのしない真理を擁護して立つ者たちの品性や動機を、

悪意をもって攻撃するのである。

各時代においてとられてきたのは、この同じ方針であった。

エリヤはイスラエルを悩ます者と言われ、

エレミヤは裏切り者と言われ、パウロは神殿を汚す者と言われた。

その当時から今日に至るまで、真理に忠誠を尽くそうとする者は、

治安を妨害する者、異端者、分離者と非難されてきた。

預言の確実な言葉をなかなか信じようとしない群衆は、

その時代の罪を大胆に譴責する者への非難を、

なんの疑いもなく受け入れる。

この精神は、ますます増大している。

そして聖書は、国家の法律が神の律法と激しく衝突するために、

神のすべての戒めに従おうとする者は悪事を行う者として

非難され罰せられるようになる、

という時が近づきつつあることをはっきりと教えている。

われわれの責任は何か

こうしたことを考える時、真理の使者の義務は何であろうか。

真理を伝えても、人々はその主張を避けるか、

または反抗するに至るだけの場合がよくあるから、

真理は伝えるべきではないと結論すべきであろうか。

そうではない。反対を引き起こすからと言って、

神の言葉のあかしをさしひかえる理由は、

初期の改革者たちに無かったと同様に今もないのである。

聖徒や殉教者たちの行った信仰の告白は、

後の時代のために記録された。

これらの人々の聖潔とゆるがぬ誠実の生きた模範は、

今日神のための証人として立つように召された者たちを励ますために、

語りつがれてきた。

彼らが恵みと真理を受けたのは、自分たちのためだけでなく、

彼らを通して、神の知識が地を輝かすためであった。

神は、この時代の神のしもべたちに、

光を与えておられるであろうか。

それならば、彼らは世界にそれを輝かさなければならない。

 

主は、昔、主の名によって語った者に次のように言われた。

「イスラエルの家はあなたに聞くのを好まない。

彼らはわたしに聞くのを好まないからである。」 にもかかわらず、

主はこう言われた。「彼らが聞いても、拒んでも、

あなたはただわたしの言葉を彼らに語らなければならない」

(エゼキエル 3:7、2:7)。

現代の神のしもべには、「大いに呼ばわって声を惜しむな。

あなたの声をラッパのようにあげ、わが民にそのとがを告げ、

ヤコブの家にその罪を告げ示せ」という命令が与えられている

(イザヤ 58:1)。

 

真理の光を受けた者はみな、機会があるかぎり、

イスラエルの預言者と同様に厳粛で恐るべき責任を負わせられている。

主は預言者に次のように言われた。

「それゆえ、人の子よ、わたしはあなたを立てて、

イスラエルの家を見守る者とする。

あなたはわたしの口から言葉を聞き、わたしに代って彼らを戒めよ。

わたしが悪人に向かって、悪人よ、あなたは必ず死ぬと言う時、

あなたが悪人を戒めて、

その道から離れさせるように語らなかったら、

悪人は自分の罪によって死ぬ。

しかしわたしはその血を、あなたの手に求める。

しかしあなたが悪人に、その道を離れるように戒めても、

その悪人がその道を離れないなら、彼は自分の罪によって死ぬ。

しかしあなたの命は救われる」(エゼキエル 33:7―9)。

 

真理を受け入れ、それを伝えるにあたっての大きな障害は、

そこに不都合と恥辱が含まれていることである。

これは、真理の擁護者たちが反論できなかった

唯一の真理反対論である。

しかし、このことも、

キリストの真の弟子たちを思いとどまらせはしない。

彼らは、真理の受けがよくなるまで待ったりなどしない。

彼らは、自分たちの義務を確信して、進んで十字架を負い、

使徒パウロとともに、「このしばらくの軽い患難は働いて、

永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させる」

と見なし、古代の聖徒とともに、

「キリストのゆえに受けるそしりを、

エジプトの宝にまさる富と考え」るのである(Ⅱコリント4:17、ヘブル 11:26)。

 

口では何を言っていようとも、宗教的な事柄において、

原則によらないで策を弄して行動する者は、

内心で世俗に仕えているものにほかならない。

われわれは、正しいことを、それが正しいことであるがゆえに選び、

結果は神にゆだねなければならない。

世界の大改革は、

原則と信仰と勇気の人々によって行われたのである。

そのような人々によって、

この時代の改革も推進されなければならない。

 

主は、こう言われる。

「義を知る者よ、心のうちにわが律法をたもつ者よ、わたしに聞け。

人のそしりを恐れてはならない、

彼らのののしりに驚いてはならない。

彼らは衣のように、しみに食われ、

羊の毛のように虫に食われるからだ。

しかし、わが義はとこしえにながらえ、わが救はよろず代に及ぶ」

(イザヤ 51:7、8)。

 

 

【 第27章 リバイバルと清め 】

罪の自覚と悔い改め

神の言葉が忠実に説かれたところではどこでも、

それが神から出たものであることを証明する結果が伴った。

神の霊が、神のしもべたちのメッセージに伴い、

その言葉には力があった。罪人は、良心が目覚めるのを感じた。

「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。」

その光が、彼らの心の密室を照らし、

隠された暗黒のことをあらわした。彼らの心は、深い感動を受けた。

彼らは、罪と義と、来たるべきさばきとについて、目を開かれた。

彼らは、主の義を認め、自分たちの罪と汚れのまま、

心をさぐられる方の前に出ることを恐れた。

彼らは、苦悶(くもん)の声をあげて、

「だれが、この死のからだから、

わたしを救ってくれるだろうか」と叫んだ。

人間の罪のために無限の犠牲が払われた

カルバリーの十字架が示された時、

彼らは、自分たちの罪を贖い得るものは、

キリストの功績以外にないことを悟った。

ただこれだけが、

人間を神に和解させることができるのであった。

信仰をもって謙遜に、

彼らは世の罪を取り除く神の小羊を受け入れた。

イエスの血によって、

彼らは、「今までに犯した罪のゆるし」を得た。

 

この人々は、悔い改めにふさわしい実を結んだ。

彼らは信じてバプテスマを受け、

キリスト・イエスにあって新しく造られた者として、

新しい生活を始めた。

彼らは以前の欲に従うことなく、神のみ子を信じる信仰によって、

み足の跡に従い、主の品性を反映し、

主が清くあられるように自分たちも清くなろうとした。

彼らは、かつて憎んだものを愛し、

愛したものを憎むようになった。

高慢で自負心の強い者は、柔和で謙遜になった。

虚栄心があっておうへいな者は、まじめでひかえ目になった。

低俗な者は敬虔に、酒のみは謹直に、

そして放蕩(ほうとう)者は純潔になった。

世俗のむなしい流行は、放棄された。

キリスト者は、「髪を編み、金の飾りをつけ、

服装をととのえるような外面の飾りではなく、かくれた内なる人、

柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを」求めた。

「これこそ、神のみまえに、

きわめて尊いものである」(Ⅰペテロ 3:3、4)。

 

リバイバル(信仰復興)は、

深い内省と謙遜をもたらした。

罪人に対しては厳粛熱心に訴え、

キリストの血による贖いに対しては憐れみを求めるのが、

リバイバルの特徴であった。

男も女も、魂の救いのために、

神に祈り神と格闘した。

こうしたリバイバルの結果、克己と犠牲をもいとわず、

むしろキリストのためにそしりと

試練を受けるに足る者とされたことを喜ぶ者たちが現れた。

人々は、イエスの名を告白する者たちの生活が

変化したことを認めた。

社会は、彼らの感化によって益を受けた。

彼らは、キリストとともに集め、

永遠の生命を刈り取るために霊にまいた。

 

彼らについては、

「悲しんで悔い改めるに至った」と言うことができる。

「神のみこころに添うた悲しみは、

悔いのない救を得させる悔改めに導き、

この世の悲しみは死をきたらせる。

見よ、神のみこころに添うたその悲しみが、

どんなにか熱情をあなたがたに起させたことか。

また、弁明、義憤、恐れ、愛慕、熱意、それから処罰に至らせたことか。

あなたがたはあの問題については、

すべての点において潔白であることを証明したのである」

(Ⅱコリント 7:9―11)。

 

これは、神の霊の働きの結果である。

改革が行われないようなら、真の悔い改めとは言えない。

もし罪人が、質物を返し、奪った物をもどし、罪を告白し、

神と同胞を愛するならば、

彼が神と和らいだことは確かである。

昔は、宗教的覚醒が起きた時には、それに伴って、

このような結果が生じた。

そうした実から判断して、それらは、

人々の救いと人類の向上のために

神の祝福を受けたものであることが明らかになった。

現代のリバイバルは本物か

ところが、現代のリバイバルの多くは、

初期の時代において神のしもべたちの働きに伴った

神の恵みのあらわれと、著しく異なっている。

たしかに、広く人々の関心をあおり、

多くの者が自分たちは改心したと言い、

教会に多数の信者が加わっている。

しかし、それに伴って真の霊的生命が向上したということを

保証するような結果は、あらわれていない。

一時燃え立った火は、すぐに消えて、

暗黒は前よりもいっそう深刻になる。

 

一般のリバイバルは、ともすれば、

想像に訴え、感情を刺激し、

新奇なことに対する愛好心を満足させるようなやり方で行われている。

こうして得た改心者は、聖書の真理を聞くことを望まず、

預言者や使徒たちのあかしに興味を示さない。

集会も何か感情をそそるようなものが無いかぎり、

彼らをひきつけることができない。

冷静な理性に訴えるメッセージは、

なんの反応も起こさない。

彼らの永遠の幸福に直接関係のある、

神の言葉の明白な警告も、

注意を払われないのである。

 

真に改心したすべての魂にとって、

神と永遠の事物とに対する関係は、人生の大問題である。

しかし今日、一般の教会のどこに、

神への献身の精神があるであろうか。

改心者たちは、誇りと世俗を愛する心を捨てていない。

彼らが、自己を否定し、

十字架を取り上げて、

柔和で謙遜なイエスに従っていこうとしないのは、

改心前と全く同様である。

宗教は、多くの者が、その名をとなえながらその原則に

無知であるために、

無神論者や懐疑論者の物笑いとなってきた。

敬虔(けいけん)さの持つ力は、

多くの教会からほとんど姿を消している。

行楽、演劇、バザー、りっぱな建物、

信徒の華美な装いなどが、

神の思いを遠ざけてしまっている。

土地、財産、世俗の職業が心を奪い、

永遠のことに気を配るものはほとんどいない。

 

しかし、信仰と敬虔さが一般に衰微したとはいっても、

これらの教会の中に、

キリストの真の弟子たちがいるのである。

地上に神の最後のさばきが下るに先だって、

主の民の間に、

使徒時代以来かつて見られなかったような

初代の敬虔のリバイバルが起きる。

神の霊と力が神の子供たちの上に注がれる。

その時、多くの者が、

神と神の言葉の代わりにこの世を愛してきた諸教会から離れる。

牧師も信徒も、多くの者が、

主の再臨に民を備えさせるために

神が今宣布させておられるこれらの大真理を、喜んで受け入れる。

魂の敵は、この働きを妨害しようとする。

そして、こうした運動が起こる前に、

偽物を提示することによってそれを妨害しようとする。

彼は、自分の欺瞞(ぎまん)の力のもとに

置くことのできる諸教会において、

神の特別な祝福が注がれているかのように見せかける。

大いなる宗教的関心と思われるものが現れる。

多くの人々は、

神が彼らのために驚くべきことをしておられると喜ぶが、

それは、別の霊の働きなのである。

宗教的装いのもとに、サタンは、

キリスト教世界に自分の勢力を広げようとする。

 

過去半世紀の間に起こったリバイバルの多くには、

将来大規模にあらわれるのと同じ勢力が、多少とも働いていた。

そこには感情の興奮と、真理と虚偽の混合が見られ、

それは人を欺くのに好適なのである。

しかし、だれも欺かれる必要はない。

神の言葉に照らしてみるならば、

これらの運動の本質を見定めることは、

むずかしいことではない。

人々が聖書の証言をおろそかにし、

克己と世俗の放棄とを要求する明快で人の心を試す真理から

顔をそむけるならば、

神の祝福を受けることができないのは確かである。

そして、「その実によって彼らを見わけるであろう」という、

キリストご自身がお与えになった規準によって、

これらの運動は神の霊の働きではないことが明らかなのである

(マタイ 7:16)。

無力さの原因

神は、み言葉の真理の中で、

ご自身についての啓示を人間にお与えになった。

そして、真理を受け入れるすべての者にとって、

真理は、サタンの欺瞞から彼らを守るたてである。

今日、宗教界に広く行きわたっている

害悪に戸を開いたものは、

これらの真理の軽視である。

神の律法の性質と重要性が、ほとんど見失われている。

神の律法の性格、永続性、

義務についての誤った観念が、

改心と清めについての誤りをひき起こし、

その結果教会内の敬虔さの標準を低下させるに至っている。

ここに、今日のリバイバルにおいて

神の霊と力が欠けている理由を見いだすのである。

 

さまざまな教派の信仰深い人々が、この事実を認めて嘆いている。

エドワード・A・パーク教授は、現代の宗教的危機を指摘して、

次のように言っている。

「危険の原因の1つは、

説教壇から神の律法を強く主張しないことにある。

かつては説教壇は、良心の声が響くところであった。・・・・

われわれの最も著名な説教者たちは、

主の模範にならって、

律法の戒めと警告とを強調することによって、

彼らの説教を驚くほど威厳のあるものにした。

彼らは、律法は神の完全の写しであって、

律法を愛さない者は福音を愛していないという、

二大真理をくり返した。

なぜなら律法は、福音と同様に、

神の真の品性を反映する鏡だからである。

この危険は、さらに次へと発展して、

罪の害悪とその範囲、

その恐ろしさなどを過小評価させるに至る。

戒めが義であればあるほど、

それに服従しないことははなはだしい悪なのである。・・・・

 

上述の危険と密接に関係しているのが、

神の義を軽視する危険である。

現代の説教の傾向は、神の義を神の慈愛から引き離して、

慈愛を原則として高めるよりむしろ1つの感情に低下させている。

新たな神学は、神が結合されたものを分裂させた。

神の律法は善か悪か。

善である。

それならば正義は善である。

なぜなら、正義は律法を実施するものだからである。

人間は、神の律法と正義を軽視し、

人間の不服従の程度と恐ろしさを軽視する習慣から、

罪の贖いのために備えられた恵みを

過小評価する習慣に陥りやすい。」

こうして人々は、

福音の価値と重要性を忘れ、

そしてまもなく、

実質的に聖書そのものを放棄するようになる。

誤った律法観

多くの宗教教師たちは、キリストはご自分の死によって律法を廃された、それゆえに人はその要求から解放されている、と主張する。

なかには、律法を重苦しいくびきであると言い、

律法の束縛とは対照的に、福音の下において自由が

享受(きょうじゅ)できると主張する人々もいる。

 

しかし、預言者や使徒たちは、

神の聖なる律法をそのようには見なさなかった。

「わたしはあなたのさとしを求めたので、

自由に歩むことができます」(詩篇 119:45)。

キリストの死後に書いた使徒ヤコブは、

十戒を「尊い律法」「完全な自由の律法」と言っている

(ヤコブ 2:8、1:25)。

そして、十字架から、半世紀の後に、ヨハネは、

「いのちの木にあずかる特権を与えられ、

また門をとおって都にはいるために、神の律法を行う者」は

さいわいであると言明している(黙示録 22:14・英語訳)。

 

キリストがその死によって天父の律法を廃したという主張には、

なんの根拠もない。

もしも律法を変えたり、廃止したりすることができるのであれば、

人間を罪の刑罰から救うためにキリストが死なれる必要はなかった。

キリストの死は、律法を廃止するどころか、

それが不変のものだということを証明しているのである。

神のみ子は、「律法を大いなるものとし、

かつ光栄あるものとする」ために来られた(イザヤ 42:21・英語訳)。

「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。」

「天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはな」い

と彼は言われた(マタイ 5:17、18)。

また、ご自身について、

「わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。

あなたのおきてはわたしの心のうちにあります」

と宣言しておられる(詩篇 40:8)。

 

神の律法は、その性質そのものから考えても、不変のものである。

それは、その制定者の意志と品性の啓示である。

神は愛である。そして、神の律法は愛である。

その二大原則は、神に対する愛と人間に対する愛である。

「愛は律法を完成するものである」(ローマ 13:10)。

神の品性は、義と真理である。神の律法の性質もそうである。

詩篇記者は言っている。

「あなたのおきてはまことです。」

「あなたのすべての戒めは正しい」(詩篇 119:142、172)。

そして、使徒パウロは、「律法そのものは聖なるものであり、

戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである」

と宣言している(ローマ 7:12)。

神の心と意志の表現であるこのような律法は、

その制定者と同様に永続的なものでなければならない。

律法と信仰との関係

人間を神の律法の原則に調和させることによって神と和解させるのは、

改心と清めの働きである。

初めに、人間は神のかたちに創造された。

人間は、神の性質と神の律法とに完全に調和していた。

義の原則が、彼の心に書かれていた。

しかし、罪が、彼を創造主から引き離した。

彼は、もはや、神のかたちを反映しなくなった。

彼の心は、神の律法の原則と争うようになった。

「肉の思いは神に敵するからである。

すなわち、それは神の律法に従わず、

否、従い得ないのである」(ローマ 8:7)。

しかし、神は、

人間が神と和解することができるように、

「そのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。」

人間は、キリストの功績によって、

創造主との調和を回復することができるのである。

彼の心は、神の恵みによって新しくされなければならない。

彼は、上からの新しい生命を受けなければならない。

この変化が新生であって、これがなければ

「神の国を見ることはできない」とイエスは言われるのである。

 

神と和解する第1歩は、罪を認めることである。

「罪は不法である。」「律法によっては、罪の自覚が生じるのみである」

(Ⅰヨハネ 3:4、ローマ 3:20)。

自分の罪を悟るためには、罪人は自分の品性を、

神の義の偉大な標準によって吟味しなければならない。

それは、正しい品性の完全さを示して、

罪人に自分の品性の欠陥を発見させる鏡である。

 

律法は、人間に罪を示すが、救いは与えない。

律法は、服従する者には生命を約束するが、犯す者には死を宣告する。

人間を罪の宣告や罪の汚れから解放することができるのは、

キリストの福音だけである。

人間は、神の律法を犯したのであるから、

神に向かって悔い改めなければならない。

そして、キリストに対しては信じて

その贖いの犠牲を受け入れなければならない。

こうして人間は、「今までに犯した罪のゆるし」を受け、

神の性質にあずかる者となる。

彼は、子たる身分の霊を授けられた神の子であるから、

「アバ、父よ」と呼ぶのである。

 

さて、このような人は、自由に神の律法を犯してもよいであろうか。

パウロは、次のように言っている。

「すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。

断じてそうではない。

かえって、それによって律法を確立するのである。」

「罪に対して死んだわたしたちが、どうして、なお、

その中に生きておれるだろうか。」そしてヨハネは宣言する。

「神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。

そして、その戒めはむずかしいものではない」

(ローマ 3:31、6:2、Ⅰヨハネ 5:3)。

人の心は、新しく生まれることにより、

神の律法と一致するとともに、神と調和するようになる。

この大きな変化が罪人の中に起きたとき、彼は、死から生命へ、

罪から聖潔へ、違犯と反逆から服従と忠誠へと移ったのである。

神から離反していた古い生活は終わった。

和解の生活、信仰と愛の新しい生活が始まった。

こうして、「律法の要求が、

肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされる」

のである(ローマ 8:4)。

その時、「いかにわたしはあなたのおきてを愛することでしょう。

わたしはひねもすこれを深く思います」という

魂の言葉が発せられるのである(詩篇 119:97)。

 

「主のおきては完全であって、

魂を生きかえらせ」る(詩篇19:7)。

人間は、律法がなければ、神の純潔と神聖さ、

あるいは自分自身の罪と汚れについて、

正しい考えを持つことができない。

罪についての真の自覚もなく、悔い改めの必要も感じない。

自分たちが神の律法の違反者であるという失われた状態を悟らず、

キリストの贖罪の血の必要を自覚しないのである。

心の根本的変化も生活の改変もなしに、救いの希望を受け入れる。

このような表面的改心が広く行われていて、

キリストと結合したことのない

多くの者が教会に加えられているのである。

清めとは何か

また、神の律法の軽視や拒否から生じるところの、

誤った聖化論が、

今日の宗教運動において顕著な位置を占めている。

これらの理論は、教義的に偽りであり、

実際的結果においても危険である。

そして、それらの説が一般に歓迎されているという事実を見る時、

この点についての聖書の教えをすべての者がはっきり理解することが、

なおいっそう必要となる。

 

真の清め( 聖化) は、聖書が教えている教義である。

使徒パウロは、テサロニケ教会への手紙の中で次のように言っている。

「神のみこころは、あなたがたが清くなることである。」

そして、「どうか、平和の神ご自身が、

あなたがたを全くきよめて下さるように」と祈っている

(Ⅰテサロニケ 4:3、5:23)。

聖書は、清めとは何であって、

どのようにしてそれに到達できるかを、はっきりと教えている。

救い主は、弟子たちのために祈って、

「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります」

と言われた(ヨハネ 17:17、19参照)。

使徒パウロは、信者たちに、「聖霊によってきよめられ」るようにと

教えた(ローマ 15:16)。聖霊の働きは、何であろうか。

イエスは、弟子たちに次のように言われた。

「けれども真理の御霊が来る時には、

あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう」

(ヨハネ 16:13)。

詩篇記者も、「あなたのおきてはまことです」と言っている。

神の言葉と聖霊によって、

神の律法の中に現れている義の大原則が、人間に示される。

そして、神の律法は、「聖であって、正しく、かつ善なるものであ」り、

神の完全の写しであるから、その律法に従って形造られる品性も、

清いものとなる。

キリストは、このような品性の完全な模範である。

「わたし(は)わたしの父のいましめを守った。」

「わたしは、いつも神のみこころにかなうことをしている」

と主は言われる(ヨハネ 15:10、8:29)。

キリストの弟子たちは、彼のようにならなければならない。

神の恵みによって、神の聖なる律法の原則に調和した

品性を形成しなければならない。これが聖書のいう清めである。

 

この働きは、キリストを信じる信仰によってのみ達成されるもので、

神の霊の内住の力によるのである。

パウロは、信者たちに次のように勧告している。

「恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。

あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、

かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである」(ピリピ 2:12、13)。

キリスト者も罪の誘惑は感じるが、しかし常にそれと戦い続ける。

ここにおいて、キリストの援助が必要になる。

人間の弱さが神の力と結合する。

そして信仰は、「感謝すべきことには、神はわたしたちの主

イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである」

と叫ぶのである(Ⅰコリント 15:57)。

 

聖書は、清めの働きが、

漸進的なものであることをはっきりと示している。

罪人が悔い改めて、贖罪の血によって神と和解する時、

キリスト者の生活ははじまったばかりである。

彼は、「完全を目ざして進」み、

「キリストの満ちみちた徳の高さにまで」成長しなければならない。

使徒パウロは言っている。

「ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、

前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、

キリスト・イエスにおいて上に召して下さる

神の賞与を得ようと努めているのである」(ピリピ 3:13、14)。

ペテロは、聖書が教える清めへと到達するための段階を、

われわれに提示している。

「それだから、あなたがたは、力の限りをつくして、

あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、知識に節制を、

節制に忍耐を、忍耐に信心を、信心に兄弟愛を、

兄弟愛に愛を加えなさい。・・・・

そうすれば、決してあやまちに陥ること

はない」(Ⅱペテロ 1:5―10)。

清めの実例

聖書のいう清めを経験する者は、謙遜の精神をあらわす。

彼らは、モーセのように、

聖なるお方のおそるべき威光をながめ、

無限のお方の純潔と崇高な完全さと比べて

自分たちの無価値なことを認めるのである。

 

預言者ダニエルは、真の清めの実例である。

彼の長い一生は、主のための気高い奉仕に満ちていた。

彼は、神に「大いに愛せられる人」であった(ダニエル 10:11)。

この栄誉にあずかった預言者は、しかし自分の純潔と清さを主張しないで、自分を真に罪深いイスラエルの1人とみなし、

自国民のために神の前で懇願した。

 

「われわれがあなたの前に祈をささげるのは、

われわれの義によるのではなく、

ただあなたの大いなるあわれみによるのです。」

「われわれは罪を犯し、よこしまなふるまいをしました。」

ダニエルは「こう言って祈り、かつわが罪とわが民の罪をざんげ」

したのである。

そして、後に、神のみ子が現れて、彼に教えをさずけられた時、

「わが顔の輝きは恐ろしく変って、全く力がなくなった」

とダニエルは言っている(ダニエル 9:18、15、20、10:8)。

 

ヨブは、つむじ風の中から主の声を聞いた時に、

「それでわたしはみずから恨み、ちり灰の中で悔います」

と叫んだ(ヨブ 42:6)。

イザヤは、主の栄光を見、ケルビムが

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主」

と呼ばわるのを聞いて、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ」

と叫んだ(イザヤ 6:3、5)。

パウロは、第3の天にまで引き上げられ、

人間には語ることのできない言葉を聞いた後、自分のことを、

「聖徒たちのうちで最も小さい者である」と言っている

(Ⅱコリント 12:2―4参照。エペソ 3:8)。

また、かつてはイエスの胸によりかかった愛弟子(まなでし)ヨハネは、

主の栄光に接した時、その足もとに倒れて死人のようになった

(黙示録 1:17参照)。

 

カルバリーの十字架の影を歩くものには、自分を高めたり、

自分はもはや罪を犯さないなどと誇ったりすることはあり得ない。

彼らは、自分たちの罪が、

神のみ子の心臓を破裂させるほどの苦悩を引き起こしたことを感じる。

そしてこの思いが、彼らをへりくだらせる。

イエスに最も近く生活する者が、

人間の弱さと罪深さを最もはっきりと認める。

そして自分たちの唯一の希望を、

十字架につけられ復活された救い主の功績に置くのである。

 

現在、宗教界において注目を集めている清めには、

自己賞揚の精神と神の律法の無視とが伴っており、

このことは、それが聖書の宗教とは

異なったものであることを示している。

その主唱者たちは、清めは瞬間的な業で、

信仰だけによって、完全な清めに到達すると教えるのである。

彼らは、「ただ信じなさい。

そうすれば、祝福が与えられる」と言う。

これを受ける者はなんの努力もしないでよいと思っている。

それとともに、彼らは、

神の律法の権威を拒否し、

自分たちは戒めを守る義務から解放されたと主張する。

しかし、神の性質とみ旨の表現であり、

何が神のみこころにかなうかを示している

原則に調和せずして、

人間は、神のみこころと品性とに一致して

清くなることができるであろうか。

信仰と行い

なんの努力も克己も、

世俗の愚かさからの分離をも要求しない安易な宗教を望む心が、

ただ信じさえすればよいという一般うけのする

信仰の教義をつくり上げた。

使徒ヤコブは、次のように言っている。

「わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、

もし行いがなかったら、なんの役に立つか。

その信仰は彼を救うことができるか。・・・・ああ、愚かな人よ。

行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。

わたしたちの父祖アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげた時、行いによって義とされたのではなかったか。

あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、

その行いによって信仰が全うされ・・・・たのである。

これでわかるように、人が義とされるのは、

行いによるのであって、信仰だけによるのではない」

(ヤコブ 2:14―24)。

 

神の言葉の証言は、

この、行いを伴わない信仰という人を惑わす教義に反対している。

憐れみを受ける条件に従わずに神の恵みを受けることができると

主張することは、信仰ではなくて、臆断(おくだん)である。

なぜなら、

真の信仰は、聖書の約束と規定とに基づくものだからである。

 

神の要求を1つでも故意に犯していながら、

清くなれると信じて、自分を欺いてはならない。

罪と知りながらそれを犯すことは、聖霊のあかしの声を沈黙させ、

魂を神から引き離すものである。「罪は不法である。」

そして、「すべて罪を犯す者〔律法を犯す者〕は、

彼を見たこともなく、知ったこともない者である」

(Ⅰヨハネ 3:6)。

ヨハネは彼の手紙の中で、愛についてくわしく述べたのであるが、

しかしまた、神の律法を犯す生活をしながら清められたと

主張している人々の正体を、摘発することを躊躇(ちゅうちょ)しなかった。

「『彼を知っている』と言いながら、その戒めを守らない者は、

偽り者であって、真理はその人のうちにない。

しかし、彼の御言を守る者があれば、その人のうちに、

神の愛が真に全うされるのである」(Ⅰヨハネ 2:4、5)。

ここに、すべての人の信仰の告白を試みる試金石がある。

天においても地においても、

清めに関する神の唯一の標準によって量るのでなければ、

だれひとり、清い人であるとはいえない。

もし人々が、道徳律を重んじず、神の教えを軽んじ無視し、

これらの最も小さい戒めの1つを破り、

またそうするように人に教えるならば、

そのような人々は、

神の目からは評価されない。

そしてわれわれは、彼らの主張することには

なんの根拠もないことを知ることができるのである。

 

また、自分には罪がないと主張する者は、

そう主張すること自体が、清めから程遠い証拠である。

そのような主張は、彼が、

神の無限の純潔と神聖さとを真に認識していないためである。

あるいは、神の品性と調和するためにはどのように

ならなければならないかを、悟らないためである。

イエスの純潔と気高い美しさを知らず、

罪の邪悪さと害悪を真に理解しないために、

人は自分を清いものと考えるのである。

自分とキリストの間の距離が、遠ければ遠いほど、

また、神の品性と要求に対する見解が不十分であればあるほど、

人間は、自分自身の目に正しく思われるのである。

全人的な清め

聖書に示されている清めとは、

全存在―霊と魂と体―を含むものである。

パウロは、神がテサロニケの人々の「霊と心とからだとを完全に守って、

わたしたちの主イエス・キリストの来臨のときに、

責められるところのない者にして下さるように」と祈った

(Ⅰ テサロニケ 5:23)。

 

 また、信者たちに、「兄弟たちよ。そういうわけで、

神のあわれみによってあなたがたに勧める。

あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、

聖なる供え物としてささげなさい」と彼は書いた(ローマ 12:1)。

昔のイスラエルの時代において、

神に犠牲として献げられるものは、みな、注意深く調べられた。

その動物にもし1つでも欠陥があれば、それは拒否された。

なぜなら、神は、供え物は「傷のないもの」でなければならないと

命じられたからである。

そのように、キリスト者は、自分たちの体を、「神に喜ばれる、

生きた、聖なる供え物として」ささげるように命じられている。

そうするためには、彼らのすべての能力を、

なしうる最上の状態に保たなければならない。

肉体的、または知的能力を弱める習慣はすべて、

人間を創造主に奉仕するのにふさわしくない者にする。

神は、われわれが、自分たちのささげうる

最上のものより劣るものをささげるとき、喜ばれるであろうか。

キリストは、「心をつくし・・・・て、主なるあなたの神を愛せよ」

と言われた。心をつくして神を愛する者は、

その生涯をもって最上の奉仕をすることを望み、

神のみこころを行う能力を増進させる法則に、

心身のすべての能力を調和させようと常に努力する。

彼らは、食欲や情欲をほしいままにして、

彼らの天の父にささげる供え物を弱めたり汚したりしないのである。

 

ペテロは、「たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい」

と言っている(Ⅰペテロ 2:11)。

すべての罪深い満足は、機能をまひさせ、知的霊的知覚力を鈍らせる。

そして、神の言葉や聖霊も、

心になんの印象も与えることができなくなるのである。

パウロは、コリント人に次のように書いている。

「肉と霊とのいっさいの汚れから自分をきよめ、

神をおそれて全く清くなろうではないか」(Ⅱコリント 7:1)。

そして彼は、「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和」など

み霊の実に「自制」も加えている(ガラテヤ 5:22、23)。

 

このような霊感の言葉があるにもかかわらず、

利益や流行を追ってその能力を弱めている自称キリスト者たちが、

なんと多いことであろう。

また、暴食、飲酒、放蕩などによって、神のかたちである人性を堕落させているものが、なんと多いことであろう。

しかも教会は、これを譴責するどころか、かえって食欲に訴え、

物欲や快楽を愛する心に訴えることによって、こうした害悪を助長し、

キリストに対する愛が弱いために供給できない教会の資金を、

補充しようとするのである。

もしキリストが、今日の教会に入ってこられ、宗教の名の

もとに行われている飲食と汚れた取引を見られるならば、

昔、神殿から両替人たちを追い出されたように、これらの神を汚す人々をも追い出されないであろうか。

清めと日常生活

使徒ヤコブは、上からの知恵は、「第1 に清く」と言っている。

もしも彼が、たばこで汚れたくちびるで

イエスの尊い御名を唱える人々、その息も体も悪臭に染まった人々、

そして、大気を汚染して回りのすべての者に毒を吸わせる人々に

出会ったならば、すなわち、もし使徒が、

福音の純潔とは全く逆の習慣と接触したならば、

彼はそれを、「地につくもの、肉に属するもの、悪魔的なもの」と

非難しないであろうか。

たばこの奴隷になっている人々は、

自分たちは全き清めの祝福にあずかっていると主張して、

天国への望みについて語る。

しかし、神の言葉は、「汚れた者・・・・は、その中に決してはいれない」

と言明しているのである(黙示録 21:27)。

 

「あなたがたは知らないのか。

自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている

聖霊の宮であって、あなたがたは、

もはや自分自身のものではないのである。

あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。

それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい」

(Ⅰコリント 6:19、20)。

自分の体が聖霊の宮であるものは、有害な習慣の奴隷にはならない。

彼の能力は、血の代価をもって彼を買い取られた

キリストに属している。

彼の持ち物は主のものである。

この託された資本を浪費するならば、

どうして罪を免れることができようか。

自称キリスト者たちが、毎年、

無用で有害な道楽のために莫大(ばくだい)な額を消費している一方で、

魂は生命の言葉が与えられずに滅びている。

彼らは、什一や献金において神のものを盗み、

貧しい人々の救援や福音の支持に与えるよりもっと多くのものを、

破滅的な欲望の祭壇で焼き尽くしている。

もしも、キリストの弟子であると公言する者がみな、

真に清められるならば、彼らの財産は、

無用で有害な道楽のために費やされるかわりに、

主の金庫におさめられ、キリスト者は、

節制と克己と自己犠牲の模範となるであろう。

その時彼らは、世の光となるのである。

 

世界は、あげて放縦に陥っている。

「肉の欲、目の欲、持ち物の誇」が大多数の人々を支配している。

しかし、キリストの弟子たちは、

より聖なる召しを受けている。

「彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ、

と主は言われる。

そして、汚れたものに触れてはならない。」

神の言葉に照らしてみても、

邪悪な習慣や世俗の欲望の満足を全く放棄しない清めは

真実のものでないという、われわれの主張は正しい。

 

「彼らの間から出て行き、彼らと分離せよ、・・・・

そして、汚れたものに触れてはならない」という条件に従うものに、

神は、「わたしはあなたがたを受けいれよう。

そしてわたしは、あなたがたの父となり、あなたがたは、

わたしのむすこ、むすめとなるであろう。全能の主が、こう言われる」

と約束なさるのである(Ⅱコリント 6:17、18)。

神の事柄において豊富な体験を持つことは、

すべてのキリスト者の特権であり義務である。

「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、

やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」

とイエスは言われた(ヨハネ 8:12)。

「正しい者の道は、夜明けの光のようだ、

いよいよ輝きを増して真昼となる」( 箴言4:18)。

信仰と服従は、1歩ごとに、

「少しの暗いところもない」世の光に、魂を密接に結びつける。

義の太陽の輝く光線が、神のしもべたちの上に照り輝く。

そして彼らは、その光を反射しなければならない。

ちょうど天空の星が、天には大いなる光があって、

その栄光によって自分たちは輝いているのだということを、

われわれに告げているように、キリスト者は、自分たちが賛美し、

倣(なら)うべき品性をお持ちの神が、

宇宙の王座におられるということを、あらわさなければならない。

神の霊の恵み、神の品性の純潔と聖潔とが、

神の証人たちによってあらわされるのである。

キリスト者の特権

パウロは、コロサイ人への手紙の中で、

神の子供たちに与えられる豊かな祝福について述べている。

彼は言う。わたしたちが

「絶えずあなたがたのために祈り求めているのは、

あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力とをもって、

神の御旨を深く知り、主のみこころにかなった生活をして

真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざを行って実を結び、

神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである。

更にまた祈るのは、あなたがたが、

神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力によって強くされ、

何事も喜んで耐えかつ忍(ぶことである)」(コロサイ 1:9―11)。

 

また彼は、エペソの兄弟たちが、

キリスト者の特権の高さを理解するに至ることを望むと書いている。彼は、至高者のむすこ、

むすめとして彼らが持つことのできる驚くべき力と知識を、

非常に意味深い言葉で示している。

彼らは、「御霊により、力をもって・・・・内なる人」が強くされ、

「愛に根ざし愛を基として生活することにより、

すべての聖徒と共に、

その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、

また人知をはるかに越えたキリストの愛を知」ることができる。

しかし、使徒が、

「神に満ちているもののすべてをもって、

あなたがたが満たされるように」と祈る時に、

この特権は最高潮に達するのである(エペソ 3:16―19)。

 

ここに、われわれが神の要求に応じる時に、

われわれの天の父の約束を信じる信仰によって

到達することのできる最高点が示されている。

われわれは、キリストの功績によって、

無限の力を持たれるお方のみ座に近づくのである。

「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために

死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも

賜わらないことがあろうか」(ローマ 8:32)。

父なる神は、み子に聖霊をあふれるばかりにお与えになった。

そして、われわれもまた、霊に満たされることができるのである。

イエスは言われる。「このように、あなたがたは悪い者であっても、

自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、

天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」

(ルカ 11:13)。

「何事でもわたしの名によって願うならば、

わたしはそれをかなえてあげよう。」

「求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。

そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう」

(ヨハネ 14:14、16:24)。

キリストにある勝利の生活

キリスト者の生涯は、謙遜がその特徴であるが、

悲しみや自己を卑下する気持ちがあってはならない。

神に受け入れられ祝福されるような生活をすることは、

すべての者の特権である。

われわれが、常に罪の宣告と暗黒のもとにあることは、

われわれの天の父のみこころではない。

頭をうなだれて、

自分のことばかりを考えているのは、

真の謙遜の証拠ではない。

われわれは、イエスのところへ行って、清められ、

律法の前にはばかることなく立つことができるのである。

「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は

罪に定められることがない」(ローマ 8:1)。

 

イエスによって、堕落したアダムの子供たちは、「神の子」となる。

「実に、きよめるかたも、きよめられる者たちも、

皆ひとりのかたから出ている。それゆえに主は、

彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされない」(ヘブル2:11)。

キリスト者の生活は、信仰と、勝利と、

神にある喜びとの生活でなければならない。

「なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。

そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である」

(Ⅰヨハネ 5:4)。

神のしもべ、ネヘミヤが、「主を喜ぶことはあなたがたの力です」

と言ったのは至言である(ネヘミヤ 8:10)。

パウロも言っている。「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。

繰り返して言うが、喜びなさい。」

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、

感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、

神があなたがたに求めておられることである」

(ピリピ 4:4、Ⅰテサロニケ 5:16―18)。

 

これが、聖書のいう悔い改めと清めの実である。

しかし、神の律法に示された義の大原則が、

キリスト教界において冷淡に扱われているために、

こうした実はほとんど見ることができない。

これが、かつてのリバイバルにあらわれたような

神の霊の深い永続的な働きが、

ほとんど見られない理由である。

 

 

われわれが変化するのは、ながめることによってである。

神がご自分の品性の完全さと神聖さを示されたこれらの聖なる戒めを、

人々がなおざりにし、

人間の教えや理論に心をひかれるならば、

教会内で生きた敬虔の念が低下しても少しも不思議ではないのである。

主は言われる。

彼らは、「生ける水の源であるわたしを捨てて、

自分で水ためを掘った、それは、こわれた水ためで、

水を入れておくことのできないものだ」(エレミヤ 2:13)。

 

「悪しき者のはかりごとに歩ま・・・・ぬ人はさいわいである。

このような人は主のおきてをよろこび、

昼も夜もそのおきてを思う。

このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、

その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える」

(詩篇 1:1―3)。

神の律法が、その正当な位置に回復されて初めて、

神の民と称する人々に、

初代教会の信仰と敬虔のリバイバルが起こり得るのである。

「主はこう言われる、『あなたがたはわかれ道に立って、

よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、

その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ』」

(エレミヤ 6:16)。

 

 

【 第28章 天における調査審判 】

天の大法廷

預言者ダニエルは次のように言っている。

「わたしが見ていると、もろもろのみ座が設けられて、

日の老いたる者が座しておられた。

その衣は雪のように白く、

頭の毛は混じりもののない羊の毛のようであった。

そのみ座は火の炎であり、その車輪は燃える火であった。

彼の前から、ひと筋の火の流れが出てきた。

彼に仕える者は千々前にはべる者は万々、

審判を行う者はその席に着き、かずかずの書き物が開かれた」

(ダニエル7:9、10)。

 

こうして、人々の品性と生活が、

全地の裁判官であられる神の前で調査され、

各人が「そのしわざに応じ」て報いられる重大で厳粛な日が、

預言者の幻に示された。

日の老いたる者とは、父なる神のことである。

詩篇記者は、

「山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを

造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、

あなたは神でいらせられる」と言っている(詩篇 90:2)。

万物の根源であり、すべての律法の源であられるお方が、

審判をつかさどられる。

そして、「万の幾万倍、千の幾千倍」の聖天使たちが、

仕える者、また証人として、

この大法廷に列席するのである。

 

「わたしはまた夜の幻のうちに見ていると、

見よ、人の子のような者が、天の雲に乗ってきて、

日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。

彼に主権と光栄と国とを

賜い、諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。

その主権は永遠の主権であって、なくなることがなく、

その国は滅びることがない」(ダニエル 7:13、14)。

ここに描かれているキリストの来臨は、

キリストが地上に再臨されることではない。

キリストは、天において日の老いたる者のもとに来られるのであって、

それは、彼の仲保者としての働きが終わるときに与えられる

「主権と光栄と国」とをお受けになるためである。

2300日の終わりである1844年に起こると預言されたのは、

この来臨のことであって、

キリストが地上に再臨されることではなかった。

われわれの大祭司は、

天使たちを従えて、至聖所に入り、

神のみ前で、人類のための彼の最後の務めをなさる。

それは、調査審判の働きであり、

贖罪(しょくざい)の恵みにあずかる資格があることを示した

すべての人のために贖いをなさることである。

 

象徴的儀式においては、

告白と悔い改めによって神の前に出て、

その罪が罪祭の血によって聖所に移された者だけが、

贖罪の日の儀式にあずかることができた。

そのように、最終的な贖罪と調査審判の大いなる日に、

審査されるのは、神の民と称する人々だけである。

悪人の審判は、

これとは全く別の働きで、もっとあとで行われる。

「さばきが神の家から始められる時がきた。

それが、わたしたちからまず始められるとしたら、

神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか」

(Ⅰペテロ 4:17)。

天の書物

天には、人々の名と行為を記録した書物があって、

審判の決定は、それによってなされる。

預言者ダニエルは、「審判を行う者はその席に着き、

かずかずの書き物が開かれた」と言っている。

ヨハネも、この同じ光景を描写して、

「かずかずの書物が開かれたが、もう1つの書物が開かれた。

これはいのちの書であった。

死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、

さばかれた」と言っている(黙示録 20:12)。

 

命の書には、神の働きをしたすべての人の名が記されている。

イエスは、弟子たちに

「あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい」

と言われた(ルカ 10:20)。

パウロは、忠実な同労者の名が「『いのちの書』に・・・・

書きとめられている」と言っている(ピリピ 4:3)。

ダニエルは、「かつてなかったほどの悩みの時」を予見して、

「あの書に名をしるされた」すべての神の民は

救われると言っている。

また、ヨハネは、神の都に「はいれる者は、

小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである」

と言っている(ダニエル 12:1、黙示録21:27)。

 

神の前に、「覚えの書」が記されているが、それには、

「主を恐れる者、およびその名を心に留めている者」の善行が

記録されている( マラキ3:16)。

彼らの信仰の言葉、彼らの愛の行為は、天に記録されている。

ネヘミヤは、このことについて、次のように言っている。

「わが神よ、・・・・わたしを覚えてください。・・・・

神の宮・・・・のためにわたしが行った良きわざを

ぬぐい去らないでください」(ネヘミヤ 13:14)。

神の覚えの書には、すべての正しい行為が永久に記されている。

誘惑を退けたこと、悪に打ち勝ったこと、

憐れみの言葉をかけたことなどが、忠実に記録されている。

また、すべての犠牲の行為、

キリストのために耐えたすべての苦しみや悲しみが記録されている。

「あなたはわたしのさすらいを数えられました。

わたしの涙をあなたの皮袋にたくわえてください。

これは皆あなたの書にしるされているではありませんか」

と詩篇記者は言っている(詩篇 56:8)。

 

また、人々の罪の記録もある。

「神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を

善悪ともにさばかれるからである」(伝道の書 12:14)。

救い主は次のように言われた。

「審判の日には、人はその語る無益な言葉に対して、

言い開きをしなければならないであろう。

あなたは、自分の言葉によって正しいとされ、

また自分の言葉によって罪ありとされるからである」

(マタイ 12:36、37)。

隠れた目的や動機もまちがいなく記録される。

「主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で

企てられていることを、あらわにされるであろう」(Ⅰコリント 4:5)。

「見よ、この事はわが前にしるされた、・・・・

『彼らの不義と、彼らの先祖たちの不義とを共に報い返す』

と主は言われる」(イザヤ 65:6、7)。

 

すべての人の行為は、神の前で調査され、

忠実であったか不忠実であったかが記録されている。

天の書物の中の各自の名の向かい側には、恐るべき正確さで、

すべての悪い言葉、利己的な行為、義務の怠慢、隠れた罪、

巧妙な偽善行為などが記入されている。

天からの警告や譴責(けんせき)をなおざりにしたこと、

時間を浪費し、機会を活用しなかったこと、

善きにつけ悪しきにつけ、

及ぼした感化とその広範囲にわたる結果などがみな、

記録天使によって記録されている。

助け主キリスト

神の律法が、審判の時に人々の品性と生活を吟味する基準である。

賢者は「神を恐れ、その命令を守れ。

これはすべての人の本分である。神はすべてのわざ、

ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである」

と言っている(伝道の書 12:13、14)。

使徒ヤコブは、兄弟たちに、

「だから、自由の律法によってさばかるべき者らしく語り、

かつ行いなさい」と勧告している

(ヤコブ 2:12)。

 

審判において、「あずかるにふさわしい」とされた者は、

義人の復活にあずかる。

「かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、

・・・・天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、

神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ない」

とイエスは言われた( ルカ 20:35、36)。

彼は、また、「善をおこなった人々は、

生命を受けるためによみがえ」って出てくると宣言しておられる

( ヨハネ5:29)。

つまり、死んだ義人は、審判がすみ「生命を受けるためによみがえ」るにふさわしい者とされるまでは、復活することはない。

したがって、彼らの記録が調査され、運命が決定される時に、

彼ら自身はその法廷にはいないのである。

 

イエスは彼らの助け主として、

神の前で、彼らのためにとりなしをなさる。

「もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために

助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる」(Ⅰヨハネ 2:1)。

「ところが、キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、

手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、

今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである。」

「そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのために

とりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、

いつも救うことができるのである」(ヘブル 9:24、7:25)。

 

審判において、記録の書が開かれる時に、

イエスを信じたすべての人の生涯が神の前で調べられる。

われわれの助け主であられるイエスは、

この地上に最初に生存した人々から始めて、

各時代の人々のためにとりなし、現在生きている人々で終わられる。

すべての名があげられ、すべての人の事情が詳しく調査される。

受け入れられる名もあれば、拒まれる名もある。

もしだれかが、罪を悔い改めず、許されないまま、

記録の書に残しておくならば、彼らの名は、いのちの書から消されて、

彼らの善行の記録も神の覚えの書から消される。

「すべてわたしに罪を犯した者は、

これをわたしのふみから消し去るであろう」と

主はモーセに言われた(出エジプト 32:33)。

また預言者エゼキエルも言っている。

「しかし義人がもしその義をはなれて悪を行い、

悪人のなすもろもろの憎むべき事を行うならば、生きるであろうか。

彼が行ったもろもろの正しい事は覚えられない」

(エゼキエル 18:24)。

キリストの血による勝利

真に罪を悔い改め、

キリストの血が自分たちの贖いの犠牲であることを信じたものは、

みな、天の書物の彼らの名のところに、罪の許しが書き込まれる。

彼らは、キリストの義にあずかる者となり、彼らの品性は、

神の律法にかなったものとなったので、彼らの罪は、ぬぐい去られ、

彼ら自身は、永遠の生命にあずかるに

ふさわしいものとされるのである。

主は、預言者イザヤによって、こう宣言しておられる。

「わたしこそ、わたし自身のためにあなたのとがを消す者である。

わたしは、あなたの罪を心にとめない」(イザヤ 43:25)。

イエスは、次のように言われた。

「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。

わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。

また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう。」

「だから人の前でわたしを受けいれる者を、

わたしもまた、

天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。

しかし、人の前でわたしを拒む者を、

わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう」

(黙示録3:5、マタイ 10:32、33)。

 

人々は、地上の法廷の判決に深い関心を示すのであるが、

しかしそれも、いのちの書にその名を記された人々が、

全地の審判者の前で調査される時の天の法廷における関心とは、

とうてい比較にならない。

仲保者イエスは、彼の血を信じる信仰によって勝利したものがみな、

その罪を許され、再びエデンの家郷にもどって

「以前の主権」を彼とともに継ぐ者となるように、

嘆願されるのである(ミカ 4:8)。

サタンは、人類をあざむき、誘惑することによって、

人類創造における神のご計画を挫折(ざせつ)させようと考えた。

しかし、キリストは今、人間が堕落しなかったかのように、

この計画の実行を求められるのである。

キリストは、ご自分の民のために、

完全で十分な許しと義認だけでなくて、

彼らが、ご自分の栄光にあずかり、

ともにみ座につくことを求められるのである。

 

イエスが、彼の恵みに浴する人々のために嘆願される一方において、

サタンは、彼らを罪人として神の前に告訴する。

大欺瞞(ぎまん)者サタンは、彼らに疑惑を抱かせ、

神に対する信頼を失わせ、神の愛から彼らを引き離し、

神の律法を犯させようとしてきた。

そして今度は、サタンは、

彼らの生涯の記録を指摘し、品性の欠陥、

贖い主のみ栄えを汚したところの、キリストに似ていない点、

そして、彼が誘惑して彼らに犯させたすべての罪を指摘して、

これらのことのゆえに彼らは自分の臣下であると主張するのである。

 

イエスは、彼らの罪の弁解はなさらないが、

彼らの悔い改めと信仰を示して、彼らの許しを主張なさり、

天父と天使たちの前で、ご自分の傷ついた両手をあげ、

わたしは彼らの名を知っている、わたしは彼らを、

わたしのたなごころに彫り刻んだ、と言われるのである。

「神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは

砕けた悔いた心をかろしめられません」(詩篇 51:17)。

そして、ご自分の民を訴える者にむかって、

「サタンよ主はあなたを責めるのだ。

すなわちエルサレムを選んだ主はあなたを責めるのだ。

これは火の中から取り出した燃えさしではないか」

と宣言される(ゼカリヤ 3:2)。

キリストは、忠実な人々に、ご自分の義の衣を着せて、

父なる神の前に「しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、

清くて傷のない栄光の姿の教会」として立たせてくださる

(エペソ 5:27)。

彼らの名は、いのちの書に書きとめられる。

そして彼らについて、「彼らは白い衣を着て、わたしと共に

歩みを続けるであろう。彼らは、それにふさわしい者である」

と記されているのである(黙示録 3:4)。

 

こうして、新しい契約が完全に成就する。

「わたしは彼らの不義をゆるし、

もはやその罪を思わない。」

「主は言われる、その日その時には、

イスラエルのとがを探しても見当らず、

ユダの罪を探してもない」

(エレミヤ 31:34、50:20)。

「その日、主の枝は麗しく栄え、地の産物は

イスラエルの生き残った者の誇、また光栄となる。

そして・・・・シオンに残るもの、

エルサレムにとどまる者、

すべてエルサレムにあって、生命の書にしるされた者は

聖なる者ととなえられる」

(イザヤ 4:2、3)。

調査審判と罪の除去

調査審判と罪をぬぐい去る働きは、

主の再臨の前に完了しなければならない。

死者は、書物に記録されたことによって裁かれるのであるから、

彼らが調査されるその審判が終わるまでは、

彼らの罪はぬぐい去られることはできない。

しかし、使徒ペテロは、はっきりと、信者の罪は、

「主のみ前から慰め

〔原文ではrefreshing(活気づけ、回復の意)〕の時が」

くる時にぬぐい去られる。

そして、「キリストなるイエスを、神がつかわして下さる」

と言っている(使徒行伝 3:19参照、20)。

調査審判が終わると、キリストは来られる。

そして、たずさえて来た報いを、

それぞれの人の行いにしたがってお与えになるのである。

 

型としての奉仕において、大祭司は、

イスラエルのために贖罪をなし終えると、

外に出て来て、会衆を祝福した。

そのように、キリストも、仲保者としての働きを終えられると、

「罪を負うためではなしに・・・・救いを与える」ために来られて、

彼を待っている人々に永遠の生命をお与えになる(ヘブル 9:28)。

祭司が聖所から罪を除去した時に、

アザゼルの山羊の上にそれを告白したように、

キリストは、罪の創始者であり煽(せん)動者であるサタンの上に、

これらの罪をすべて置かれるのである。

アザゼルの山羊は、イスラエルの罪を負って、

「人里離れた地」に送られた(レビ 16:22)。

そのように、サタンは、自分が神の民に犯させたすべての罪を背負って、

1000年の間、この地上に監禁される。

地上はその時、荒れ果てて住む者もいない。

そして彼は、ついに、すべての悪人を滅ぼす火の中で、

罪の刑罰を余さず受ける。

こうして、罪は最終的に除去され、

進んで悪を捨て去った人々がすべて救われて、

贖いの大計画は完成するのである。

 

審判が指定されていた時、すなわち、

2300日の終わる1844年に、

調査と罪の除去の働きが始まった。

これまでにキリストの名をとなえたことのある者はすべて、

この厳密な審査を受けなければならない。

生きている者も死んだ者もともに「そのしわざに応じ、

この書物に書かれていることにしたがって」裁かれる。

 

悔い改めず棄て去っていない罪は、許されず、

記録の書からぬぐい去られない。

それは、神の大いなる日に、罪人に不利な証言をする。

その悪行は、昼の明るみで行われたものかもしれないし、

あるいは夜の暗やみの中で行われたものかもしれない。

しかし、いずれにしてもそれらは、

われわれが申し開きをしなければならない神の前には、

そのままはっきりとあらわれていた。

神の天使たちが、1つ1つの罪を目撃し、それを誤りなく記録した。

罪は、父母や妻子、そして同僚たちからは、隠し、

否定し、秘密にしておくことができるかもしれない。

罪を犯した者たち以外は、

だれもその罪悪を疑ったりなどしないかもしれない。

しかし、天の知的存在者たちの前には、

それはあらわにされている。

どんなに暗い夜の暗黒も、極秘の欺瞞的手段も、

永遠の神から1つの思いすら隠すものとはならないのである。

神は、すべての不正な計算、不正な取引を、正確に記録しておられる。

神は、信心深い様子に欺かれることはない。

神は品性の評価において、決して誤られることはない。

人間は、心の汚れた人々に欺かれるかもしれないが、

神は、すべての見せかけを見破り、内的生活を読みとられる。

さばきの厳粛さ

これは、なんと厳粛な思想であろう。

毎日毎日が永遠の中に過ぎ去り、その日のことが天の書に記録される。

1度口に出した言葉、1度行った行為は、

2度と取り返すことができない。

天使は、善悪ともに記録しているのである。

この世のどんなに偉大な征服者でも、

ただ1日の記録さえ取り消すことはできない。

われわれの行動、言葉、そして極秘の動機でさえも、みな、われわれの運命を禍福(かふく)いずれかに決定する重要な役割を持っている。

たとえわれわれが忘れていても、それらは、

義とするかそれとも罪に定めるかの、証言を立てるのである。

 

芸術家のよく磨かれた金属板に、

人間の顔かたちが正確に反映されるように、

人の品性も天の書物に、そのまま描写されている。

にもかかわらず人々は、

天の存在者たちに見られねばならないその記録について、

憂慮することのなんと少ないことであろう。

もし、見える世界と見えない世界とをへだてている幕が取り除かれて、

人々が、審判において再び直面しなければならないすべての言行を、

天使たちが記録しているのを見ることができるならば、

日ごとに語られるどれだけ多くの言葉が、

語られずにすみ、どれだけ多くの行為が、なされずにすむことであろう。

 

審判の時には、すべての才能の用途がくわしく調べられる。

われわれは、

天から貸し与えられた資本をどのように用いたであろうか。主は、

来られる時に、

ご自分のものを利子とともにお受けになるであろうか。

われわれは、肉体的、精神的、知的に託された力を活用して、

神に栄光を帰し、世界に祝福をもたらしたであろうか。

われわれは、時間、筆、声、金銭、影響力などを、

どのように用いたであろうか。

貧しい人、苦しんでいる人、孤児や寡婦を助けて、

キリストのために何をしてきたであろうか。

神はわれわれを、神のみ言葉の保管者となさった。

そしてわれわれは、救いに至る知識を人々に伝えるために、

われわれに与えられた光と真理を、

どのようにしてきたであろうか。

キリストを信じるとただ表明するだけではなんの価値もない。

行為にあらわされた愛だけが、本物とみなされる。

神の目の前で、行為を価値あるものにするのは、愛だけである。

愛によって行われたことは、人間がどんなに低く評価しよ

うとも、神に受け入れられ、報われるのである。

 

人々の隠れた利己心が、天の書の中であらわにされている。

同胞に対して義務を怠ったことが記録され、

救い主の要求を忘れたことが記録されている。

キリストに属する時間、思想、能力を、

なんとたびたびサタンに与えたかを、彼らはそこに見るのである。

天使が天にたずさえて行く記録は、実に悲しいものである。

キリストの弟子であると称する英知ある人間が、

世的財産の蓄積や、地上の快楽の追求に没頭している。

金銭、時間、能力は、虚飾と放縦の犠牲になっている。

しかし、祈りや聖書研究にあてられる時間、

魂のへりくだりと罪の告白にあてられる時間は、

ほとんどないのである。

 

サタンは、数えきれないほど多くの策略を考え出して

われわれの心を捕え、われわれが最もよく知っていなければならない

働きそのものについて、われわれに考えさせまいとしている。

大欺瞞者サタンは、贖罪の犠牲と全能の仲保者を明らかにする

大真理を憎んでいる。

イエスと彼の真理から人々の心をそらすことに、

万事がかかっていることを、彼は知っているのである。

救いの計画に不可欠なもの

救い主の仲保の恵みにあずかりたいと思うものは、

神を畏(おそ)れつつ聖潔を完成していくというその義務を、

何ものにも妨げられてはならない。

貴重な時間は、快楽や虚飾、

または利益の追求に費やすのではなくて、真理の言葉を熱心に、

祈りとともに研究するために用いなければならない。

聖所と調査審判の問題は、

神の民によってはっきりと理解されねばならない。

すべての者は、自分たちの大いなる

大祭司キリストの立場と働きについて、自分で知っている必要がある。

そうしなければ、この時代にあって必要な信仰を働かせることも、

神が彼らのために計画しておられる立場を占めることもできなくなる。

1人1人の魂は、救われるか、滅びるか、そのどちらかなのである。

各自は、今、神に裁かれようとしている。

各自は大いなる審判者と顔を合わせなければならない。

とするならば、審判が始まり、かずかずの書物が開かれる厳粛な時のことを、ダニエルとともに、定められた日の終わりに立って、

自分たちの分を受けねばならない厳粛な時のことを、

たびたび瞑想することは、

すべての者にとってどんなにか重要なことであろう。

 

こうした問題について光を受けた者はみな、

神が彼らにゆだねられた大いなる真理について

証言しなければならない。

天の聖所は、

人類のためのキリストのお働きの中心そのものである。

それは、地上に生存するすべての者に関係している。

それは、贖罪の計画を明らかにし、

われわれをまさに時の終わりへと至らせて、

義と罪との戦いの最後の勝利を示してくれる。

すべての者が、これらの問題を徹底的に研究し、

彼らのうちにある望みについて説明を求める人に

答えることができるようにすることは、

何よりも重要なことである。

 

天の聖所における、人類のためのキリストのとりなしは、

キリストの十字架上の死と同様に、

救いの計画にとって欠くことのできないものである。

キリストは、ご自分の死によって開始された働きを、

復活後、天において完成するために昇天されたのである。

われわれは、信仰によって、

「わたしたちのためにさきがけとなって、はいられた」

幕の内に入らなければならない(ヘブル 6:20)。

 

そこには、カルバリーの十字架からの光が反映している。

そこにおいて、われわれは、贖罪の奥義について、

もっとはっきりした理解を持つことができる。

人間の救済は、天が無限の価を払うことによって達成された。

払われた犠牲は、

破られた神の律法の最大限の要求に相当するものである。

イエスは、父なる神のみ座への道を開かれた。

そして、信仰によって彼に来るすべての者の心からの願いは、

彼のとりなしによって、神の前にささげられるのである。

 

「その罪を隠す者は栄えることがない、言い表してこれを離れる者は、

あわれみをうける」(箴言 28:13)。

自分たちの過ちを隠し、言いわけをする人々が、

もし、サタンが彼らのことでどんなに喜び、

そうした彼らの行為のゆえにキリストと聖天使たちを

どんなに嘲笑するかを見ることができるならば、

彼らは、急いでその罪を告白し、捨て去ることであろう。

品性の欠陥を通して、

サタンはその人の心全体を支配しようと働きかける。

彼は、人がこれらの欠陥に固執するならば、

自分が成功を収めることを知っている。

それだから彼は、欠陥に打ち勝つことは

不可能であるという致命的な詭弁(きべん)をもって、

キリストに従う人々を欺こうと、いつもけんめいになっている。

しかしイエスは、彼の傷ついた手と砕かれた体をもって、

彼らのために嘆願される。

そして、彼に従ってくるすべての者に「わたしの恵みはあなたに

対して十分である」と宣言されるのである(Ⅱコリント 12:9)。

「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、

わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。

そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」

(マタイ 11:29、30)。

それだから、だれでも、

自分たちの欠陥は不治のものであると思ってはならない。

神は、それらに打ち勝つ信仰と恵みをお与えになるのである。

 

今は大いなる贖罪の日

われわれは、今、大いなる贖罪の日に生存している。

型としての儀式においては、

大祭司がイスラエルのために贖罪をなしている間、

すべての者は、主の前に罪を悔い改め、心を低くすることによって、

身を悩まさなければならなかった。

もしそうしなければ、彼らは、民の中から絶たれるのであった。

それと同様に、自分たちの名がいのちの書にとどめられることを

願うものはみな、今、残り少ない恩恵期間のうちに、

罪を悲しみ、真に悔い改めて、神の前に身を悩まさなければならない。

われわれは、心を深く忠実に探らなければならない。

多くの自称キリスト者がいだいている軽薄な精神は、

捨て去らねばならない。

われわれを打ち負かそうとする悪癖に勝利しようとする者は、

みな、はげしく戦わなければならない。

準備は、1人1人がしなければならない。

われわれは、団体として救われるのではない。

1人の者の純潔と献身は、

これらの資格を欠く他の人の埋め合わせにはならない。

すべての国民が神の前で審判を受けるのであるが、しかし神は、

あたかもこの地上にその人1人しかいないかのように、

厳密に1人1人を審査されるのである。

すべての者が調べられねばならない。

そして、しみもしわもそのたぐいのものが

いっさいあってはならないのである。

 

贖罪の働きが終結しようとする時の光景は、実に厳粛である。

そこには、実に重大な意義が含まれている。

審判は今、天の聖所において進行中である。

長年にわたって、この働きは続けられてきた。

間もなく―その時がいつかはだれも知らないが―

生きている人々の番になる。

神のおそるべき御前で、われわれの生涯が調査されねばならない。

今は、他のどんな時にもまさって、

すべての者が救い主の勧告に心をとめるべき時である。

「気をつけて、目をさましていなさい。

その時がいつであるか、あなたがたにはわからないからである」

(マルコ 13:33)。

「もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。

どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない」

(黙示録3:3)。

 

調査審判の働きが終わる時、すべての人の運命は、

生か死かに決定されてしまっている。

恩恵期間は、主が天の雲に乗って来られる少し前に終了する。

キリストは、その時を予見して、

黙示録の中で次のように宣言しておられる。

「不義な者はさらに不義を行い、

汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、

聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ。

見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、

それぞれのしわざに応じて報いよう」(黙示録 22:11、12)。

 

その時が来ても、義人と悪人は、

その死ぬべき肉体のままで、地上で生活をしている。

天の聖所では、最終的で取り消すことのできない決定が

宣告されたことも知らずに、人々は、植えたり、

建てたり、飲んだり、食べたりしている。

洪水の前に、ノアが箱舟に入ったあとで、神は彼を舟の中に閉じ込め、

神を恐れない人々を外に閉め出されたのである。

しかし、人々は、7日の間、彼らの運命が決定されたことも知らずに、

不注意な放縦の生活を続け、

差し迫った審判の警告をあざけったのであった。

「人の子の現れるのも、そのようであろう」

と救い主は言われる(マタイ 24:39)。

真夜中の盗人のように静かに、人に気づかれずに、

すべての人の運命が定まる決定的な時、

罪人に対する恵みの招きが最終的に取り去られる時がやって来る。

 

「だから、目をさましていなさい。・・・・あるいは急に帰ってきて、

あなたがたの眠っているところを見つけるかもしれない」

(マルコ 13:35、36)。

目をさまして待つことにうみ疲れ、

世俗の魅力に心を向ける人々の状態は、実に危険である。

実業家が利益の追求に心を奪われ、

快楽の愛好家が楽しみにふけり、

流行を追う女性が身を飾っているそのときに、全地の審判者が、

「あなたがはかりで量られて、その量の足りないことがあらわれた」

という宣言をなさるかもしれないのである(ダニエル 5:27)。

 

 

【 第29章 罪悪の起源 】

罪の存在に対する疑問

どうして罪というものが起こったのか、

なぜ罪があるのかということは、

多くの人々の心を苦しめる問題である。

人々は、悪の働き、その恐るべき結果である不幸と悲しみを見て、

いったいなぜ限りない知恵と力と愛であられる神の主権の下に

こうしたすべてのことが存在するのかと疑問をいだく。

人間の説明できない神秘がここにある。

人々は、半信半疑でいるために、

神のみ言葉の中にはっきりあらわされていて救いに不可欠な真理を、

悟ることができないのである。

なぜ罪というものがあるのかということを調べるために、

神が啓示されたことのない点まで追求する人たちがいる。

そのため彼らは、この困難な問題を解決することができない。

疑ったり、あらさがしをしたりするような気持ちに動かされる人は、

これを口実にして聖書のみ言葉を拒否してしまう。

中にはまた、言い伝えや誤った解釈のために、神のご品性、

神の統治の性質、

罪に対する神の取り扱いの原則などについての

聖書の教えに暗くなり、悪という大問題について

満足な理解を得ることができない者もある。

 

罪の存在を理由づけようとして

罪の起源を説明することは、不可能である。

しかし、罪の起源についてもその処分についても、

悪に対する神のすべての取り扱いの中に、

神の公義と憐れみが完全にあらわされているということに関しては、

十分に理解できるのである。

聖書の中に何よりもはっきり教えられていることは、罪が入ってきたことに対して神にはなんの責任もないということ、すなわち神の恵みが独断的にとり去られたり、神の統治に欠陥があったりして

それが反逆の発生のきっかけになったのではないということである。

罪は侵入者であって、その存在については理由をあげることができない。それは神秘的であり、不可解であって、

その言いわけをすることは、それを弁護することになる。

もし罪の言いわけがあったり、その存在の原因を示すことができたら、

それはもはや罪ではなくなる。罪についての唯一の定義は、

神のみ言葉のうちに与えられている定義である。

それは「罪は不法である」という

ことである。すなわち罪は、神の統治の基礎である愛という

大法則と戦っている原則が、外にあらわれた結果である。

宇宙の調和

悪が入る前には、全宇宙には平和と喜びがあった。

すべては創造主のみこころと完全に調和していた。

神に対する愛が最高の位置を占め、

お互いの間の愛はかたよっていなかった。

神の独り子で、言葉であられるキリストは、

永遠の父と1つであられた。

すなわち、その性質において、品性において、

目的において1つであり、この宇宙全体で、

神の計画と相談にあずかることのできるただ1人のお方であった。

天の父は、キリストによって、天の全住民を創造する働きをされた。

「万物は、天にあるものも地にあるものも・・・・位も主権も、

支配も権威も、みな御子にあって造られた」(コロサイ 1:16)。

こうして全天は、キリストに対して、

天父に対するのと同じ忠順をあらわした。

 

愛の律法は神の統治の基礎であるから、

すべての被造物の幸福は、

この偉大な義の原則に完全に一致することにあった。

神は、

すべての被造物の愛の奉仕、すなわち、

神のご品性に対する賢明な理解から

生ずる尊敬をお望みになる。

神は、強制的な忠誠をお喜びにならないで、

だれでも神に自発的な奉仕をささげるように、

すべてのものに意志の自由を与えておられる。

罪の侵入

しかし、この自由を悪用した者があった。

キリストに次いで最も神から栄誉を受け、

天の住民の中で最高の権威と栄光を与えられていた者から

罪が始まった。

ルシファーは、堕落する前は、清く汚れのない、

おおうことをなすケルビムの中の第1位の者であった。

「主なる神はこう言われる、あなたは知恵に満ち、

美のきわみである完全な印である。

あなたは神の園エデンにあって、

もろもろの宝石が、あなたをおおっていた。・・・・

わたしはあなたを油そそがれた守護のケルブと一緒に置いた。

あなたは神の聖なる山にいて、火の石の間を歩いた。

あなたは造られた日から、

あなたの中に悪が見いだされた日まではそのおこないが完全であった」

(エゼキエル28:12―15)。

 

ルシファーは、神の恵みのうちにとどまって、全天使の愛と尊敬を受け、

ほかの者たちの祝福となり創造主の栄えをあらわすために、

その高貴な能力を働かせることができたのである。

しかし預言者は、「あなたは自分の美しさのために心高ぶり、

その輝きのために自分の知恵を汚した」と言っている

(エゼキエル 28:17)。

しだいにルシファーは、自分を高めたいという思いを

ほしいままにするようになった。

「あなたは自分を神のように賢いと思っている」( 同 28:6)。

「あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、

わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、

雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』」

(イザヤ 14:13、14)。

ルシファーは、被造物の最高の愛情と忠誠心を

神にささげさせようとしないで、

彼らの奉仕と服従とを自分に向けさせようと努力した。

この天使たちの君は、無限なるお方であられる

神がみ子にお与えになっていた栄誉をほしがって、

キリストだけがお用いになれる大権である権力にあこがれた。

 

全天は、創造主の栄光を反映し、神を賛美することを喜びとしていた。

そして神がこのようにあがめられている間は、

すべては平和であり、喜びであった。

しかしいま、不協和音が天のハーモニーをそこなった。

創造主のご計画とは逆の、自分に仕え自分を高める思いが、

神の栄光を第1としていた者たちの心に、

悪の予感を感じさせた。

天の会議は、ルシファーに嘆願した。

神のみ子は、創造主が偉大であられ、恵み深く、

公義の神であられること、

そして神の律法は聖にして不変の性質のものであることを、

彼に示された。

神ご自身が天の秩序をお定めになったのであるから、

ルシファーがそれを無視することは、創造主のみ名をけがし、

自分自身を破滅させることになるのであった。

しかし、無限の愛と憐れみをもって与えられた警告は、

反抗の精神をひき起こしただけであった。

ルシファーはキリストに対するしっとの念にかられ、

ますます決意を固めた。

 

自分自身の栄光に対する誇りは、

主権を求める欲望を助長した。

ルシファーは自分に与えられた高い栄誉を神の賜物として認めず、

創造主に対して感謝の念を起こさなかった。

彼は自分の聡明さと高い地位を誇り、神と同等になることを熱望した。

彼は天の住民から愛され、尊敬されていた。

天使たちは彼の命令を実行することを喜び、

彼はすべての天使たちにまさる知恵と栄光を身につけていた。

しかし神のみ子は、天の君主として、

すなわち天の父と同じ権力と

権威をもっておられるお方として認められていた。

キリストは、神のすべての相談に参加しておられたが、

ルシファーはキリストのように

神の目的を知ることを許されていなかった。

「なぜキリストが主権をもっておられるのか。

なぜキリストがこのようにルシファーよりもあがめられるのか」と、

この強力な天使は疑った。

ルシファーの悪だくみ

ルシファーは、

神のみ座のすぐ近くにある自分の座を離れて、

天使たちの間に不満の精神をひろめるために出て行った。

彼は神秘的な秘密をもって働き、

一時は神に対する尊敬をよそおって自分の真意をかくし、

天の住民を支配している律法によって

不必要な束縛が加えられているとほのめかしながら、

律法に対する不満の念を引き起こそうと努力した。

天使たちの性質は聖なのだから、

彼らは自分自身の意志の命令に従うべきであると彼は説いた。

神がキリストに最高の栄誉をお与えになったことは、

自分に対する不当な待遇であると言って、

彼は自分自身に対する同情を引き起こそうと努めた。

彼は、自分がもっと大きな権力と栄誉とを求めるのは、

決して自分を高めるためではなく、

天のすべての住民のために自由を確保するためであって、

こうすることによって彼らはもっと高い身分になれるのだと主張した。

 

神は、大いなる憐れみをもって、

長い間ルシファーに対して忍耐された。

彼は、最初不満の念にかられた時も、

あるいは忠誠な天使たちの前で虚偽の主張をしはじめた時でさえ、

その高い地位からすぐに追い出されるようなことはなかった。

彼は長い間天にとどまっていた。

何度も何度も彼には、

悔い改めと服従の条件のもとに許しが提供された。

彼にそのまちがいを自覚させるために、

無限の愛と知恵であられる神だけが考えだすことが

おできになるような努力が払われた。

不満の精神というものは、それまで天で見られたことがなかった。

ルシファー自身も、最初は、

自分がどちらへ押し流されているのかがわからず、

自分の感情のほんとうの姿がわかっていなかった。

しかしルシファーは、

自分の不満が理由のないものであることがわかると、

彼は、自分が誤っていたこと、神の主張が正当であること、

また事実を全天の前に明らかにすべきであることを自覚した。

もし彼がそうしていたら、

彼は自分自身と多くの天使たちとを救っていたかもしれなかった。

この時、彼は、神に対する忠誠を完全に放棄していたわけではなかった。

彼は守護のケルブとしての地位を捨てたけれども、

もし彼が創造主の知恵を認めて自分から進んで神のみもとに帰り、

神の大いなるご計画のうちに定められた地位を占めることに

満足したら、彼はその地位に復帰させられていたのである。

しかし高慢心に妨げられて、彼は服従しようとしなかった。

彼はあくまでも自分の行動を弁護し、

悔い改めの必要はないと言い張り、

創造主に対する大争闘に完全に身を投じてしまった。

欺瞞(ぎまん)の大計画

今や彼は、部下の天使たちの同情を得るために、

その偉大な知能の全能力をもって欺瞞の業に打ち込んだ。

キリストが彼に警告と勧告をお与えになったことさえ曲解されて、

彼の反逆的な計画に利用された。

彼は自分を親しく信頼し、

かたく結び合っていた者たちに向かって、

自分は神からまちがった判断をされている、

自分の地位は尊敬してもらえない、

また自分の自由は制限されようとしていると語った。

 

彼はキリストの言葉をまちがったふうに伝えただけでなく、

キリストは天の住民の前で彼に屈辱を与えようとしていると言って、

ごまかしと露骨な虚偽をもって神のみ子を非難した。

彼はまた、自分と忠実な天使たちとの間に、

ありもしない問題を引き起こそうとした。

彼は、忠誠心を失わせて自分の側に

完全に引き入れることのできなかった者たちに向かって、

天の住民の利益に対して冷淡であると言って非難した。

彼は自分自身のしている行為を、

神に忠誠を保っている者たちのせいにした。

また彼は、神が自分に対して不公正であるという

彼の非難を裏づけるために、

創造主のみ言葉と行為をまちがったふうに伝えるという手を用いた。

神の御目的について巧妙な議論をすることによって

天使たちを困惑させるのが、彼の政策であった。

彼は単純なことの1つ1つに神秘の衣を着せ、

また巧妙に曲解して、

神の最も明白なみ言葉に対して疑いを投げかけた。

彼は神の統治と密接に関連した高い地位を占めていたので、

彼の言うことにはいっそう大きな力が加わり、

多くの者が引きずられて彼に加担し、

神の権威に対する反逆に加わった。

 

賢明な神は、このような不満の精神が積極的な反乱に発展するまで、

サタンがその行為を進めるのをゆるされた。

すべての者が、サタンの計画の真相と傾向とを知るように

なるためには、彼の計画を十分に発展させる必要があった。

ルシファーは油をそそがれたケルブとして、非常にあがめられていた。

彼は天の住民から非常に愛されていたので、

彼らに対する影響力は大きかった。

神の統治には天の住民だけでなく、

神がお造りになったすべての世界が含まれていたので、

サタンは、天使たちを反逆に加わらせることができるならば、

他世界もまきこむことができると考えた。

サタンは、自分の目的を達するために、

詭弁(きべん)と虚偽とを用いて、巧妙に彼の疑問点をもちだした。

彼の欺瞞の能力は大したものであり、

また虚偽の仮面で変装することによって、

彼は有利な立場を得ていた。

忠誠な天使たちでさえ、彼の本性を十分に見分けたり、また

彼の行為がどこに向けられているかを見たりすることができなかった。

 

サタンはもともと非常な栄誉を受けていたのであり、

またその行為のいっさいが神秘に包まれていたので、

彼の行為の真相を天使たちの前にあばくことは困難であった。

罪は、完全に姿を現すまでは、

それがどんなに邪悪なものであるかがわからない。

それまで神の宇宙には罪というものがなかったので、

天の住民は罪の性質と邪悪さについて

なんの概念も持っていなかった。

彼らは、神の律法を無視することから生じる恐るべき結果を、

見分けることができなかった。

サタンは、最初は神に対する忠誠をもっともらしく

告白することによって、自分の行為をかくしていた。

彼は、神のみ栄え、神の統治の安定、

天の全住民の幸福を増進しようとしているのだと主張した。

部下の天使たちの心に不満を吹き込みながら、

彼は、不満を取り除こうとしているかのように

たくみに見せかけた。

彼が神の統治の秩序と律法の変更を強調した時も、

天の調和を保つためにはそうすることが

必要であるというふうに見せかけた。

反逆の結果

罪を取り扱われるにあたって、

神は義と真実だけをお用いになることができた。

サタンは、神がお用いになることのできないもの、

すなわち追従と欺瞞とを用いることができた。

彼は神のみ言葉を偽り、

神の統治の計画を天使たちの前にまちがって伝え、

神が天の住民のために律法と規則を定められたのは正しくない、

また神が被造物から服従と従順とを要求されるのは、

ただ神がご自身を高めるためであると主張した。

そこで、すべての世界の住民はもちろん、天の住民の前に、神の統治が正しく、神の律法が完全であることが実証されねばならなかった。

サタンは、自分こそ宇宙の幸福を

増進しようとしているのだと見せかけていた。

この横領者の本性、彼の真の目的を、

すべての者にわからせねばならなかった。

彼がその邪悪な業によって本性を暴露するまで、

時間を与えねばならなかった。

 

サタンは、彼自身が天に引き起こした不和を、

神の律法と統治のせいにした。

すべての悪は、神の政治の結果であると彼は断言した。

彼は、神の法令を改正するのが自分の目的であると主張した。

そこで彼に、自分の主張の内容を証明させ、

彼がもくろんでいる神の律法の変更の結果がどうなるかを

示させる必要があった。

彼自身の行為が彼を罪に定めるのでなければならなかった。

サタンは初めから、

自分は反逆しているのではないと主張していた。

全宇宙はこの欺瞞者の仮面がはがれるのを

見なければならないのであった。

 

サタンをこれ以上天に

とどめておくべきではないと決定された時でさえ、

無限の知恵にいます神は、サタンを滅ぼされなかった。

ただ愛の奉仕だけが神に受け入れられるのであるから、

神に対する被造物の忠誠は、

神の公義と慈愛とに対する確信に基づかねばならない。

天と他世界の住民たちは、

まだ罪の本性とその結果を理解する用意ができていなかったので、

サタンを滅ぼしてしまったら、

神の正義と憐れみとを認めることができなかったであろう。

もしサタンの存在がたちまち抹殺されて

しまったら、彼らは愛よりもむしろ恐怖から神に仕えたであろう。

欺瞞者の感化を完全に滅ぼすことも、

反逆の精神を根絶することもできなかったであろう。

悪は十分に成熟させねばならなかった。

永遠にわたる全宇宙の幸福のために、

サタンの原則を十分に発揮させてみる必要があった。

それは、すべての被造物が、

神の統治に対するサタンの非難の真相を知り、神の公義と憐れみ、

また神の律法の不変性が、

永遠に疑問の余地なきものとなるためであった。

 

サタンの反逆は、きたるべきすべての時代にわたって、

全宇宙にとって1つの教訓、すなわち罪の本性と

その恐ろしい結果についての永久的なあかしとなるのであった。

サタンの支配がもたらすもの、

人と天使たちに及ぼすその影響は、

神の権威を無視することがどんな結果になるかを示すのであった。

それはまた、神のお造りになったすべての被造物の幸福は、

神の統治及びその律法の存在と

切っても切れない関係にあるということを証明するのであった。

このようにして、この恐るべき反逆の実験の歴史は、

すべての聖なる知者たちにとっての永久的な保障となり、

彼らが不法の性質についてだまされることがないようにし、

彼らが罪を犯してその刑罰を受けるようなことが

ないようにするのであった。

天からの追放と地上での反逆

天における争闘が終わるそのまぎわまで、

この横領者サタンは、自分が正しいと主張し続けた。

この反逆の指導者は、

すべての共鳴者たちとともに

幸福な住み家から追放されなければならないことが布告された時、

大胆にも創造主の律法に対する軽べつを口に出した。

彼は、天使たちは支配される必要はなく、

自分自身の意志に従うべきで、この意志こそ、

いつでも彼らを正しく導くものであるという主張をくり返した。

彼は、神の律法は彼らの自由を束縛するものであると言って攻撃し、

このような律法を廃止することが自分の目的である、

天の万軍はこの束縛から解放されて、

もっと高貴なもっとすばらしい身分になるのだと断言した。

 

サタンとその軍勢は、口をそろえて、

自分たちの反逆のとがをすべてキリストのせいにし、

もし自分たちが譴責(けんせき)されなかったら

反逆はしなかったのだと言明した。

このようにして反逆のかしらサタンとそのすべての共鳴者たちは、

神の統治を倒そうとむだな努力をし、しかも、自分たちは圧制的な

権力の、罪のない犠牲者であると言い張って、かたくなに、

大胆に不服従を続けたため、ついに天から追放された。

 

天で反逆を起こしたのと同じ精神が、

今もなお地上で反逆を起こさせている。

サタンは天使たちに対して用いたのと同じ政策を、

人類に対して用いてきた。

彼の精神は、今、不従順の子らを支配している。

サタンと同じように、

彼らは神の律法の拘束を打破しようとし、

律法に違反することによって人々に自由を約束する。

罪に対する譴責は、

依然として憎悪と抵抗の精神を呼び起こす。

神の警告の言葉が良心に訴えられると、

サタンは、人々に自分は正しいのだと思わせ、

彼らの罪の行為に他人の共鳴を求めさせる。

彼らは自分の誤りを直さないで、かえって譴責者が

問題の唯一の原因でもあるかのように、

その譴責者に対して憤慨する。

これが義人アベルの時代から今日に至るまで、

罪をあえて責める者に対して示されてきた精神である。

 

サタンは、天において行ったように、

神のご品性をまちがって伝えることによって、

神を苛酷(かこく)で圧制的なお方であると思わせ、人類を罪にさそった。

そしてそれが成功すると、サタンは、神の不当な束縛が、

彼自身の反逆を引き起こしたように、

人類の堕落を引き起こしたのだと宣言した。

 

しかし永遠なる神は、

ご自分の品性について自らこう宣言しておられる。

「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、

まこととの豊かなる神、いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、

罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず」

(出エジプト34:6、7)。

 

神は、サタンを天から追放することによって、

ご自分の公義を宣言し、み座の栄えを保たれた。

しかし、人類がこの背信的な精神の

欺瞞に負けて罪を犯したとき、

神は堕落した人類のために

ご自分の独り子を死なせることによって、

神の愛の証拠をお与えになった。

この贖罪(しょくざい)のうちに、神のご品性があらわされている。

十字架という力強い証拠は、ルシファーが選んだ罪の道は

決して神の統治の責任ではないことを、全宇宙に証明している。

キリストに対するサタンの挑戦

救い主の地上でのご生涯の間、キリスト対サタンの戦いにおいて、

この大欺瞞者の品性が暴露された。

世の救い主に対するサタンの残酷な戦いほど、

サタンに対する天使たちと忠実な全宇宙との

同情を失わせるのに効果のあったものはなかった。

キリストに対して屈服を要求したあの大胆な冒涜(ぼうとく)、

キリストを山の頂きと宮の頂上に連れて行った

彼の僭越(せんえつ)な大胆さ、目がくらむような高い所から

身を投げるようキリストにすすめることによって

暴露された悪意ある計画、あちらからこちらへと

キリストを追い回した絶えざる敵意、

祭司や民たちの心をあおりたててキリストの愛を拒否させ、

ついには「十字架につけよ、彼を十字架につけよ」

と叫ばせたことなど―こうしたすべてのことが全宇宙を驚かせ、

憤慨させた。

 

世の人々をしてキリストを拒むようにさせたのは、サタンであった。

悪の君はイエスを滅ぼすために、

彼のあらゆる力と悪知恵を傾けた。というのは彼は、救い主の憐れみと愛、同情とやさしさが、

神のご品性を世の人々にあらわしているのを見たからであった。

サタンは神のみ子が口にされる1つ1つの主張と論争し、

人間を手先に使って救い主の生涯を苦しみと悲しみで満たした。

イエスの働きを妨げようとして彼が用いた詭弁と虚偽、

不従順の子らによってあらわされた憎悪、

比類のない善良な一生を送られた神のみ子に対する

サタンの残忍な非難、こうしたことはすべて

根深い報復の念から出たのであった。

閉じ込められていた

しっと、うらみ、憎悪、ふくしゅうの炎は、

神のみ子に対してカルバリーで爆発し、

一方全天は恐怖のうちに沈黙してこの光景を見つめた。

 

大いなる犠牲が完結された時、キリストは昇天されたが、

彼は「父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、

わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい」

との懇願をささげるまでは、

天使たちの賛美を受けようとされなかった(ヨハネ 17:24)。

そのとき天の父のみ座から、言い表わしようのない愛と力とをもって、

「神の御使たちはことごとく、彼を拝すべきである」

との答えが与えられた(ヘブル 1:6)。

イエスには少しの汚れもなかった。

イエスの屈辱は終わり、その犠牲は完結し、

すべての名にまさる名がイエスに与えられた。

 

今やサタンの不義は言いわけの余地がなくなった。

彼は、偽り者、人殺しとしての彼の本性を暴露してしまった。

もしサタンが天の住民を支配することを許されたら、

自分の権力の下にあった人の子らを支配したのと

同じ精神で支配しただろうということが、

明らかになった。

彼は神の律法を破ることによって

自由と高い身分が得られると主張していたが、

その結果は束縛と堕落であることが明らかになった。

贖いの計画の意味

神のご品性とその統治に対するサタンの偽りの攻撃は、

その真相をさらけ出した。

彼は、神が被造物に服従を要求されるのは、

ただ神ご自身を高めるためにすぎないと非難し、

創造主はすべての者に自己犠牲を強制しながらご自分は

克己も犠牲もしておられないと主張してきた。

今や、堕落した罪深い人類の救いのために、

宇宙の支配者であられる神が、その愛によっての

みなし得られる最大の犠牲をお払いになったことが明らかになった。

なぜなら「神はキリストにおいて

世をご自分に和解させ」られたからである(Ⅱコリント 5:19)。

また、ルシファーは栄誉と主権とを

望んだために罪の門戸を開いたが、

一方キリストは罪を滅ぼすために身をいやしくして

死に至るまで従順であられたことが明らかになった。

 

神は反逆の原則に嫌悪(けんお)を示しておられた。

全天は、サタンが罪に定められたことにも、人類が贖われたことにも、

神の公義があらわされたのを見た。

ルシファーは、神の律法が不変なものであり、

その刑罰は免れることができないものであるならば、

これを犯す者はみな永久に

創造主の恩恵から除外されると言明していた。

彼は、罪深い人類は贖われる見込みがなく、

したがって彼の当然のえじきであると言っていた。

ところがキリストの死は、

人類のための覆すことのできない証拠であった。

律法の刑罰は、神と等しいお方であられるキリストに負わされた。

そして人は、自由にキリストの義を受け入れることができ、

謙遜と悔い改めの生活を送ることによって、神のみ子が勝利された

ように、サタンの力に勝利することができるのであった。

このように、神は正しいお方であって、

しかも、イエスを信じるすべての者を義とされるお方なのである。

 

しかし、キリストが地上にくだって苦難と死を受けられたのは、

ただ人類の贖いを成し遂げるためだけではなかった。

キリストは「律法を大いなるものとし」(英語訳)

これを「光栄あるものとする」ために来られたのである。

この世界の住民が律法を正しく認識するようにするだけでなく、

神の律法が不変なものであることを、

宇宙の全世界に対して証明するためであった。

律法の要求が廃止できるものであったら、

神のみ子は罪を贖うためにご自分の生命をささげられる

必要はなかったのである。

キリストの死は、律法が不変であることを証明している。

罪人を救うために、父とみ子が限りない

愛に迫られて払われた犠牲

―この贖いの計画以外に方法はなかった―は、

公義と憐れみが神の律法と統治の基礎であることを

全宇宙の前に証明している。

 

罪の根絶

審判が最終的に執行される時、

罪の理由は存在しないことが明らかになる。

全地の審判者が、サタンに向かって

「あなたはなぜわたしにそむき、

わたしの国の民を奪ったのか」

と聞きただされる時、悪の創始者である

サタンはなんの言いわけもできない。

どの口も閉じられ、反逆者の全軍は言葉もないのである。

 

カルバリーの十字架は、律法が不変なものであることを

宣言しているとともに、罪の価は死であることを宇宙に宣言している。

「すべてが終わった」との救い主の臨終の叫びによって、

サタンに対するとむらいの鐘が鳴らされた。

長い間継続されてきた大争闘はここに決定し、

悪の最終的な根絶が確実となった。

神のみ子は、「死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼ」すため、自ら墓の門をくぐられた(ヘブル 2:14)。

ルシファーは自分が高い地位にのぼりたいとの望みから、

「わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、・・・・

いと高き者のようになろう」と言ったのであったが、

神はこう宣言しておられる。

「わたしは・・・・あなたを地の上の灰とした。・・・・

あなたは・・・・永遠にうせはてる。」

「万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。

その時すべて高ぶる者と、

悪を行う者とは、わらのようになる。

その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない」

(イザヤ 14:13、14、エゼキエル 28:18、19、マラキ 4:1)。

 

全宇宙は、罪の性質とその結果について証人となるであろう。

罪を徹底的に根絶することは、世の初めだったら天使を恐れさせ、

神の栄えを汚したであろうが、

いまでは、神のみこころを行なことを喜び、

心のうちに神のおきてをもっている宇宙の全住民の前に、

神の愛を立証し、そのみ栄えを確立するものとなる。

もはや悪は再び現れてこない。

「患難かさねて起こらじ」と聖書には言われている

(ナホム 1:9・文語訳)。

サタンが束縛のくびきであると非難してきた神の律法は、

自由の律法として尊ばれる。試練を通り越してきた被造物は、

はかりしれない愛と限りない知恵のお方として

そのご品性が自分たちの前に十分にあらわされた神に対し、

忠誠をひるがえすようなことはもはや2度とないのである。

【 第30章 悪魔(サタン)と人類の戦い 】

サタンと人間との間の敵意

「わたしは恨みをおく、おまえと女とのあいだに、

おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、

おまえは彼のかかとを砕くであろう」(創世記 3:15)。

人類の堕落後、サタンに対して下された神の宣告は、

終末に至るまでの各時代にわたる預言でもあった。

そしてそれは、地上に生存するすべての人類が参加する

大争闘を予表していた。

 

神は、「わたしは恨み〔敵意―英語訳〕をおく」と宣言された。

この恨みは、人間が生まれながらに持っているものではない。

人間は、神の律法を犯した時に、その性質は邪悪となり、

サタンに敵対するのでなく、協調するようになった。

罪人と罪の張本人との間には、当然、なんの恨み(敵意)もない。

両方とも、背信によって、邪悪になった。

背信者は、他の人々を自分の模範に従うよう勧誘して、

同情と支持を得るまでは安んじない。

こういうわけで、堕落した天使たちと悪人たちとは、

絶望的なつながりで結ばれた。

もしも神が特別に介入されなかったならば、

サタンと人間は、天に対抗して同盟を結んだことであろう。

そして、人類家族全体は、サタンに恨みをいだくのではなくて、

彼と結束して神に反抗したことであろう。

 

サタンは、天使たちを反逆させたように、

人間を罪に誘惑し、こうして、

天に対する彼の戦いにおける協力を得ようとした。

キリストを憎むことに関しては、

サタンと堕落した天使たちとの間に意見の相違はなかった。

その他のあらゆる点に関しては、一致がなかったが、

宇宙の支配者の権威に反対することについては、固く結束していた。

しかし、サタンは、彼と女とのあいだ、

彼のすえと女のすえとの間に恨みが存在するという宣言を聞いたとき、

人間の性質を堕落させようとする彼の努力が阻止されることを知った。

また、人間はなんらかの方法によって、

彼の力に抵抗することができるようになることを知った。

 

人類が、キリストを通して、

神の愛と憐れみの対象となっているために、

人類に対するサタンの敵意が燃え上がっている。

彼は、人類を贖おうとする神の計画を妨害しようと望み、

神のみ手のわざを傷つけ汚すことによって、

神のみ栄えを汚そうと望んでいる。

彼は、天を悲しませ、地を苦悩と荒廃で満たそうと望んでいるのである。

そして彼は、こうした害悪はみな、

神が人間を創造したために起こったと指摘する。

 

人間のうちに、サタンに対する敵意を起こさせるのは、

キリストが心の中に植え付けられる恵みである。

この改変の恵みと更生の力とがなければ、

人間は引き続きサタンの捕虜であり、

常に彼の命令に従うしもべであるしかない。

しかし、心の中の新しい原則が、

これまで平和であったところに争闘を起こすのである。

キリストがお与えになる力によって、

人間は、暴君であり、横領者であるサタンに抵抗する力を得る。

だれでも、罪を愛するかわりに罪を憎み、

これまで心の中を支配していた欲望に抵抗して、

それに打ち勝つならば、

それは、全く上からの原則が働いていることを示している。

悪の勢力の猛威

キリストの精神とサタンの精神との間の敵意は、

世がイエスをどのように受け入れたかということにおいて、

最も著しくあらわされた。

イエスが世の富や華麗さ、

威光を持って来られなかったために

ユダヤ人が彼を拒んだというのではなかった。

彼らは、イエスが、こうした外面的利点の不足を補って

余りある力を持っておられるのを見た。

しかし、キリストの純潔と聖潔が、

不信心な人々の彼に対する憎しみを引き起こした。

彼の、克己と罪なき献身の生涯は、

高慢で肉欲をほしいままにする人々への、

絶えざる譴責であった。

神のみ子に対する敵意を引き起こしたのは、これであった。

サタンと悪天使たちが悪人たちに加わった。

背信の全勢力が、真理の君を倒そうと謀ったのであった。

 

キリストの弟子たちには、

彼らの主にあらわされたのと同じ敵意があらわされる。

罪のいとわしい性質を認めて、

上からの力によって誘惑に抵抗するものはだれでも、

必ずサタンとその部下たちの激怒を引き起こす。

真理の純潔な原則への憎しみと、

その擁護者たちに対する非難と迫害は、

罪と罪人が存在するかぎり続くのである。

キリストに従う者たちとサタンのしもべたちは、

一致することができない。

十字架のつまずきは、なくなってはいない。

「いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、

みな、迫害を受ける」(Ⅱテモテ 3:12)。

 

サタンの部下たちは、彼の指揮のもとに常に活動して、

彼の権威を確立し、

神の政府に対抗して彼の王国を建設しようとしている。

このために、彼らは、キリストに従う人々を欺き、

その忠誠を失わせようと誘惑する。

彼らは、指導者サタンと同様に、

目的を達成するためには聖書を誤解し曲解する。

サタンが神を非難しようとしたように、

その手下たちも神の民を中傷しようとする。

キリストを死刑に処した精神が、

悪人たちを動かして、彼に従う人々を滅ぼそうとする。

このことは、すべて、「わたしは恨みをおく、

おまえと女とのあいだに、おまえのすえと女のすえとの間に」

というあの最初の預言に、予表されている。

そして、これは終末まで続くのである。

惰眠をむさぼるキリスト者

サタンは、彼の全軍を動員して、戦闘に全力を傾けている。

彼が、大きな抵抗に会わないのは、なぜであろうか。

キリストの兵卒たちが、このように眠りをむさぼり、

冷淡なのは、なぜであろうか。

それは彼らが、キリストとの真のつながりを

ほとんど持っていないからである。

キリストの霊に欠けているからである。

彼らの主にとって、

罪はいまわしく嫌悪すべきものであったが、

彼らにとってはそうではないのである。

彼らは、それに対して、

キリストのように決然と抵抗をしない。

彼らは、罪のはなはだしい邪悪さといまわしさを悟っていない。

 

そして、暗黒の君の性質についても権力についても、無感覚である。

彼らには、サタンとその働きに対する敵意はない。

というのは、彼の権力と悪意、また、

キリストとその教会に対する彼の広範囲に及ぶ戦闘について、

彼らはきわめて無知だからである。多くの人々はここで欺かれる。

彼らは、自分たちの敵が、悪天使たちの心を支配する大指揮官であって、

よく練った計画と巧妙な活動をもってキリストに対抗して戦い、

魂の救いを妨害しようとしていることを知らない。

キリスト者と称する人々、いや牧師たちの間でさえ、

サタンについて語るのは、

講壇から何かのついでに触れるくらいのことで、非常にまれである。

彼らは、サタンの絶えざる活動と成功の証拠を見落としている。

彼らは、サタンの狡猾(こうかつ)さについてたびたび警告を受けるが、

それに気をとめない。

彼らは、サタンの存在そのものを無視しているように見える。

 

人々が彼の策略を知らずにいる間に、

この油断のない敵は、彼らのあとを絶えずねらっている。

彼は、家の中のすべてのところ、われわれの都市のすべての通り、

教会の中、議会の中、裁判所の中などに入り込み、

人を惑わし、欺き、だまし、

至るところで、老若男女を問わずその心と体を破滅させ、

家庭を破壊し、憎しみや競争、争闘や暴動や殺人の種をまき散らす。

そして、キリスト教界一般は、こうしたことを、

あたかも神が定められたもので、

当然存在するものであるかのように思っているのである。

 

サタンは、神の民と世俗とをへだてている壁を取りこわすことによっ

て、神の民に打ち勝とうと絶えず努めている。

古代イスラエル人は、禁じられていた

異邦人との交際に足を踏み入れた時に、罪に誘惑された。

同じようにして現代のイスラエルも道から外れて行く。

「この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、

神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、

見えなくしているのである」(Ⅱコリント 4:4)。

断固としてキリストに従う決心をしていないものは、

サタンのしもべである。

生まれ変わっていない者の心には、

罪を愛する思いがあり、

罪を抱いてその言いわけをする傾向がある。

生まれ変わった心には、罪に対する憎しみと、

それに対する断固とした抵抗がある。

キリスト者が、神を恐れない不信仰な人々と交わることは、

誘惑に身をさらすことである。

サタンは姿をかくして、ひそかに彼らの目に、

彼の欺瞞(ぎまん)のおおいをかける。

彼らは、このような連れがいて

彼らに害を与えようとしているとは

気づかず、品性、言葉、行動において、

常に世俗に同化していき、ますます無分別になってしまうのである。

重大な危険

世俗の習慣に従うならば、教会が世俗化する。

それは決して世俗をキリストに改宗させることにはならない。

罪になれてくると、必然的に、それがいとわしくなくなってくる。

サタンのしもべたちと交わるものは、

やがて、彼らの主人をも恐れなくなる。

宮廷におけるダニエルのように、われわれも、

義務を遂行するにあたって試練に会う時には、

神の保護を受けることを確信してよいのであるが、

しかし自分で誘惑に身をさらすならば、

おそかれ早かれ、倒れることになるのである。

 

サタンはしばしば、われわれが、

彼の支配下にある人物だとは思いもしないような人々を用いて、

実に巧妙に働きかける。

才能や教育がある人々は、神を恐れる心がなくても、

これらの特質がそれを補い、神の恵みに浴させるかのように、

賞賛され、栄誉を帰せられている。

才能と教養は、それ自体、神の賜物である。

しかしそれらが、信心の代用にされるならば、

そして、魂を神に近づけるかわりに神から引き離すならば、

その時それらはのろいとなり、わなとなるのである。

礼儀正しく見えることや洗練された感じを与えることはみな、

何かの意味でキリストに関係するものである、と考えている人が多い。

しかし、これほど大きなまちがいはない。

こうした特質は、

真の宗教のために強力な影響を及ぼすものであるから、

すべてのキリスト者の品性の美点でなければならない。

しかし、それらは、神にささげられねばならない。

さもないと、それらもまた、悪のための力となってしまう。

一般に不道徳と見なされている行為はあえてしないところの、

知的で教養があり、礼儀正しい人が多くいるが、

このような人々は、サタンの手にある洗練された器にすぎない。

彼の狡猾で欺瞞的な影響と模範は、

キリストの働きにとって、

無知で教養のない人々よりはるかに危険である。

 

ソロモンは、熱心な祈りと神への依存によって、

世界の驚きと賞賛を引き起こしたところの

知恵の持ち主になった。

ところが、彼が力の源である神から離れて、

自分の力に頼って進んだ時に、

彼は誘惑のとりことなった。

その時、この最も賢い王に授けられていた驚くべき能力は、

彼を、魂の敵サタンの最も

強力な手先としたにすぎなかった。

 

サタンとの戦い

サタンは、この事実に対して人々の

心を無感覚にしようと常に努めている。

そこでキリスト者は、自分たちの戦いは、

「血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、

やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦い」であることを、

決して忘れてはならない(エペソ6:12)。

霊感による次のような警告が、

幾世紀の昔からわれわれの時代にまで鳴りひびいている。

「身を慎み、目をさましていなさい。

あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、

食いつくすべきものを求めて歩き回っている」(Ⅰペテロ 5:8)。

「悪魔の策略に対抗して立ちうるために、

神の武具で身を固めなさい」(エペソ 6:11)。

 

われわれの大いなる敵サタンは、

アダムの時代から今日に至るまで、

圧迫と破壊のために力をふるってきた。

そして今、彼は、教会に対する最後の戦闘の準備をしている。

イエスに従おうとする者はみな、

この残忍な敵と戦わねばならない。

キリスト者が、模範であられるイエスにならえばならうほど、

サタンの攻撃の的になることは確実である。

神の事業に活発に従事し、

悪魔の欺瞞をあばき、

人々の前にキリストを紹介しようとする者はみな、

パウロと同じあかしー謙遜の限りを尽くし、

多くの涙と数々の試練の中にあって、

主に仕えてきたというあかしーをすることができるのである。

 

サタンは、最も激烈で狡猾な誘惑をもってキリストを攻撃したが、

そのたびに撃退された。

それらの戦いは、われわれのための戦いであった。

そしてそれらの勝利は、われわれにも勝利を得させるのである。

キリストは、求めるすべての者に力をお与えになる。

だれでも、自分が同意せずにサタンに敗北することはない。

誘惑者サタンは、人の意志を支配したり、

強制して罪を犯させたりすることはできない。

彼は、われわれを悩ますことはできるが、汚すことはできない。

苦悩を与えることはできても、

汚辱することはできないのである。

キリストが勝利されたという事実は、彼に従う者たちに、

罪とサタンに対して雄々しく戦う勇気を与えるものである。

【 第31章 天使とは何か 】

天使の実在

目に見える世界と目に見えない世界との関係、

神の天使の奉仕、そして悪霊の働きなどは、

聖書の中にはっきりと示されており、

人類歴史と不可分に織り混ざっている。

一般に、悪霊の存在に関しては、信じない傾向が強まっており、

他方、「救を受け継ぐべき人々に奉仕する」聖天使たちは、

死者の霊であると考えている人が多い(ヘブル 1:14)。

しかし、聖書は、

善天使と悪天使は両方とも存在することを教えているばかりでなく、

これらは肉体を離れた死者の霊ではないという、

疑うことのできない証拠を提示している。

 

人類が創造される前に、天使は存在していた。

それは、地の基がすえられた時、

「明けの星は相共に歌い、神の子たちはみな喜び呼ばわった」

とあることからもわかる(ヨブ 38:7)。

また、人類の堕落後、命の木を守るために天使が送られたが、

この時には、まだだれも人間は死んではいなかった。

天使は、人間よりは優れた性質のもので、人は、

「ただ少しく天使よりも低く」造られたと、詩篇記者は言っている

(詩篇 8:5・英語訳)。

 

聖書には、天の存在者の数、

またその力と栄光が書かれている。

また、彼らと神の統治との関係、

そして贖罪の働きとの関連についても記されている。

「主はその玉座を天に堅くすえられ、

そのまつりごとはすべての物を統べ治める。」

「御座・・・・のまわりに、

多くの御使たちの声が上がるのを聞いた」

と預言者は言っている。

彼らは、王の王の面前にはべる「勇士たち」、

「そのみこころを行うしもべたち」、

「そのみ言葉の声を聞」く「使たち」である

(詩篇 103:19―21、黙示録 5:11)。

預言者ダニエルは、千々、万々の天使たちを見た。

使徒パウロは、「無数の天使の祝会」と言った

(ダニエル 7:10参照、ヘブル 12:22)。

 

彼らは、神の使者として、

「いなずまのひらめきのように速く」行き来する

(エゼキエル 1:14)。栄光に輝き、迅速に飛ぶ。

救い主の墓に現れた天使の姿は、

「いなずまのように輝き、

その衣は雪のように真白であった」ので、

見張りたちは恐ろしさのあまり震えあがって、

「死人のようになった」(マタイ 28:3、4)。

高慢なアッスリヤ人、

セナケリブが、神をののしり、冒涜(ぼうとく)した時、

「その夜、主の使が出て、

アッスリヤの陣営で18万5千人を撃ち殺した。」

セナケリブの軍隊の

「すべての大勇士と将官、軍長ら」が滅ぼされた。

「それで王は赤面して自分の国に帰った」

(列王紀下 19:35、歴代志下 32:21)。

神の民を保護するもの

天使たちは、神の子供たちに恵みを与えるために遣わされる。

アブラハムには、祝福の約束を伝えるため、

ソドムの門には、火の破壊から義人ロトを救い出すため、

また、荒野で疲労と飢えのために死ぬばかりになっていた

エリヤを救うため、敵軍に包囲された

小さい町のまわりに火の馬と火の戦車を送ってエリシャを救うため、

異教の王の宮廷で神の知恵を求め、

また、ししの穴にえじきとして投げ込まれたダニエルを救うため、

ヘロデの牢獄で死の宣告を受けたペテロを救うため、

ピリピの牢獄の囚人たちを救うため、夜、

海上で暴風に会ったパウロとその仲間を救うため、

福音を信じるようにコルネリオの心を開くため、

そして、この未知の異邦人に救いの使命を伝えにペテロを送るため、

こうしたことのために天使たちは、

各時代において、神の民のために奉仕してきたのである。

 

キリストに従うすべての者に保護天使がつけられている。

これら天からの守護者が、悪い者の力から義人を守るのである。

このことは、サタン自身も認めて、

「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。

あなたは彼とその家およびすべての所有物のまわりにくまなく、

まがきを設けられたではありませんか」と言った

(ヨブ 1:9、10)。

神がご自分の民を守られる方法について、

詩篇記者は、

「主の使は主を恐れる者のまわりに陣をしいて

彼らを助けられる」と言っている( 詩篇 34:7)。

救い主は、彼を信じる者たちについて、

「あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、

気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、

天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである」

と言われた(マタイ 18:10)。

神の子供たちに奉仕することを命じられた天使たちは、

常に神のみ前に行くことができるのである。

 

こうして神の民は、暗黒の君の欺瞞(ぎまん)の力と

絶え間ない悪意にさらされ、悪のあらゆる勢力と戦う時にも

天使たちの絶えざる保護が保証されている。

必要がなければ、このような保証は与えられはしない。

神がご自分の子供たちに、

恵みと保護の約束をお与えになったということは、

当面すべき強力な悪の勢力―無数の、断固たる、

疲れを知らぬ勢力であって、

その悪意と力について無知であったり無関心でいては、

だれ1人安全ではありえない―があるからである。

サタンの軍勢

悪霊たちは、最初、

罪のないものとして創造され、

その性質と力と栄光において、

今神の使いをしている聖なる存在者たちと同等であった。

しかし、罪のために堕落して、彼らは、

神のみ名を汚し人間を破滅させるために団結しているのである。

彼らはサタンの反逆に加担し、

彼とともに天から追放され、各時代を通じて、

彼と協力して神の権威に逆らって戦ってきた。

聖書には、彼らの同盟と政府、

種々の階級、その知性と陰険さ、

人間の平和と幸福を破壊しようとする悪だくみのことが記されている。

 

旧約歴史にも、彼らの存在と活動についての言及が時々見られる。

しかし、悪霊がその力を最も著しくあらわしたのは、

キリストがこの地上におられた時であった。

キリストは、人間を贖うために考え出された

計画を実行するために来られた。

そしてサタンは、世界の支配権は自分にあるということを

断固として主張することに決めた。

彼は、パレスチナを除く全地に、

偶像礼拝を確立することに成功していた。

キリストは、誘惑者の支配に完全には服していない唯一の国に、

天の光を人々の上に輝かすために来られた。

ここで、2つの対立した勢力が、覇権を争うことになった。

イエスは、彼の愛の手を広げて、

彼から許しと平和を受けるようにと、すべての者を招かれた。

暗黒の軍勢は、自分たちの支配には限度があることを認め、

もしキリストの任務が成功するならば、

すぐに自分たちの支配は終わることを知った。

そこでサタンは、

鎖につながれたししのように、ほえたけり、

人びとの心にも体にも、猛然と力をふるった。

 

人間が悪霊につかれるということは、

新約聖書の中にはっきりと述べられている。

これに悩まされた人々は、

ただ単に普通の原因で起きる病気に苦しんでいたのではなかった。

キリストは、

ご自分が扱っておられる事態を完全に理解し、

そこに悪霊が実際に存在し働いていることを認めておられた。

 

彼らの数と力と凶悪さの顕著な実例、

そして同時にキリストの力と恵みの顕著な実例は、ガダラでの、

悪霊につかれた人々のいやしに関する聖書の記録に示されている。

悪霊につかれたこれらの哀れな人々は、あらゆる鎖を絶ち切って、

もがき苦しみ、あわをふいて、怒り狂い、

大声で叫びながら、自分たちの身を傷つけ、

近づいてくる人にはだれにでも飛びかかりそうであった。

彼らの傷ついた血みどろの体と錯乱した精神は、

暗黒の君が喜ぶ光景であった。

彼らにとりついていた悪霊のひとりは、

「レギオンと言います。大ぜいなのですから」

と言った(マルコ 5:9)。

ローマの軍隊では、

レギオンというのは、3000から5000の人員で構成されていた。

サタンの軍勢もまた、隊を組んで進軍し、

これらの悪霊の属していた一隊は、

レギオンほどの大きなものであった。

悪霊につかれた者

イエスのご命令によって、悪霊は今までとりついていた人々から離れ、

彼らは平静と知性と温順さを取りもどして、

救い主の足もとに静かに座っていた。

しかし、悪霊たちは、豚の一群を海へと駆け下らせることを許された。

そして、ガダラの住民たちは、

キリストがお与えになった祝福よりこの損失のほうが重大だったので、

天来の医師に退去することを願った。

これは、サタンが引き起こそうと企てたことであった。

彼らの損失をイエスのせいにして、人々に利己的恐怖心を起こさせ、

彼の言葉を聞かせまいとしたのである。

サタンは、損失や不幸や苦難を、

自分と自分の手下たちで引き起こしておきながら、

その当然の責めを負わず、

常にそれをキリスト者のせいにして非難するのである。

 

しかし、キリストの目的は妨害されなかった。

彼は、利益のためにこれらの汚れた

獣を飼育していたユダヤ人たちへの譴責(けんせき)として、

悪霊が豚の群れを滅ぼすことを許された。

もしキリストが、悪霊を抑制されなかったならば、彼らは、豚ばかりでなく、飼い主たちや持ち主たちをも海に投げこんだことであろう。

飼い主たちと持ち主たちとがともに保護されたことは、

キリストの力が彼らの救いのために、

恵みのうちに働いたからにほかならなかった。

さらに、この事件は、人間と動物の両方に対するサタンの残酷な力を弟子たちに目撃させるために、起こることを許されたのであった。

救い主は、彼の弟子たちが、彼らの当面しなければならない

敵をよく知って、その悪だくみに欺かれたり、

敗北したりすることがないようにと望まれた。

それとともに、その地方の人々が、

サタンの束縛を砕いてその捕虜を解放なさる

キリストの力を見ることが、

彼のみこころであった。

そして、イエスご自身は去られたけれども、

驚くべき救いにあずかった人々は残り、

彼らに恵みをほどこされたイエスの憐れみを宣べ伝えたのである。

 

同様の例が、ほかにも聖書に記されている。

スロ・フェニキヤの女の娘は、

悪霊につかれて非常に苦しんでいたが、

イエスはみ言葉によって悪霊を追い出された

(マルコ 7:26―30参照)。

「悪霊につかれた盲人で口のきけない人」

(マタイ 12:22)。

たびたび「火の中、水の中に投げ入れて、殺そうと」

する口をきけなくする霊につかれた子供(マルコ 9:17―27)。

安息日にカペナウムの会堂の静けさを破った

「汚れた悪霊につかれた人」(ルカ 34:33―36)。

これらの人はみな、憐れみ深い救い主にいやされたのである。

ほとんどすべての場合、キリストは、

1個の知性をもった実在としての悪霊に語りかけて、

とりついている人から出て、

今後苦しめないようにと命じられたのである。

カペナウムで礼拝していた人々は、彼の偉大な力を見て、

「驚いて、互に語り合って言った、

『これは、いったい、なんという言葉だろう。

権威と力とをもって汚れた霊に命じられると、

彼らは出て行くのだ』」(ルカ 4:36)。

 

普通、悪霊につかれた者は非常に苦しむものとされているが、

その例外もあった。

超自然の力を得るために、

サタンの影響力を歓迎するものがある。

このような人々には、悪霊との戦いはもちろんない。

この種の人々に、占いの霊につかれた者たち、すなわち、

魔術師シモンや魔術師エルマ、

また、ピリピでパウロとシラスのあとを追ってきた娘などがある。

サタンの巧妙な策略

聖書に直接的な多数の証拠があるにもかかわらず、

悪魔と悪天使たちの存在と働きを否定する人々ほど、

悪霊の力に動かされる大きな危険の中にある人たちはいない。

われわれが彼らの策略に無知であるかぎり、

彼らは、われわれには想像もつかないほど優位にある。

多くの者は、彼らの暗示に耳をかし、

それでいて、自分自身の知恵の命じるところに従っていると考える。

このために、サタンは、人々を欺き滅ぼすために全力で働く

世の終末が近づくにつれて、

サタンは存在しないという考えを

至る所に広めるのである。

自分と自分のやり方とを隠すのが、サタンの手である。

 

この大欺瞞者が最も恐れていることは、

われわれが彼の策略を見破ることである。

彼は自分の正体と目的を巧みに隠すために、嘲笑、

あるいは軽べつぐらいはよいが、

それ以上の激しい感情を人々に抱かせないように、

自分を描写させている。

彼は自分が、こっけいな、あるいは胸の悪くなるようなもの、

ぶかっこうな半獣人として描かれることを好む。

またサタンは、知力と世知にたけていると自認する人々が

彼の名を嘲笑し冷やかすのを聞いて、喜ぶのである。

 

「そんなものが実際にいるのか」という疑問が広く発せられるのは、

サタンが非常に巧妙な仮面をかぶってきたためである。

また、宗教界においても、

聖書の明白な証言に矛盾する説が一般に受け入れられていることは、

彼の成功を証拠だてている。

そして神のみ言葉が、彼の悪意に満ちた働きの例を多数挙げて、

彼のかくれた力を暴露し、その攻撃に対してわれわれに

警戒させているのは、

サタンの力を知らない者の心は実にたやすく

サタンに支配されるからである。

 

もしわれわれが、サタン以上の贖い主の力のうちに、

かくれがと救いを得ていないならば、

サタンとその軍勢の力と悪意とに恐怖を抱くのは当然であろう。

われわれは、錠をかけて家の戸締まりをよくし、

生命と財産を悪人の手から守ろうと気をつける。

しかしわれわれは、常にわれわれに近づこうとしている

悪天使のことは、ほとんど考えない。

われわれはその攻撃に対して、自分では防御する方法がないのである。

もし許されるならば、彼らはわれわれの心を狂わせ、

体に変調を起こさせて苦しめ、財産を破壊し生命を奪うのである。

彼らの唯一の喜びは、悲惨と破壊である。

神の要求を拒み、サタンの誘惑に負ける者の状態は、

実に恐ろしく、神もついには彼らを、

悪霊の支配にわたされるようなことになるのである。

しかし、キリストに従う者は、

常に彼の保護のもとにあって安全である。

力強い天使が天から送られて彼らを守る。

悪人たちは、神が神の民の回りに配置された

警護を破ることができないのである。

【 第32章 悪魔(サタン)のわな 】

サタンの妨害

約6000年近くも続けられてきたキリストとサタンとの間の

大争闘は、まもなく終わる。

そこでサタンは、キリストが人間のためにしておられる

働きを妨げる努力を倍加し、魂を彼のわなの中に捕えておこうとする。

救い主の仲保のお働きが終わり、

もはや罪のための犠牲がなくなってしまうその時まで、

人々を悔い改めさせず、

暗黒の中に閉じこめておくことが、サタンのめざすところである。

 

サタンの権力に抵抗しようとする特別の努力もなく、

教会と世の中に無関心の状態がみなぎっていれば、

サタンは別に気にとめないのである。

というのは、彼は自分がその意のままに捕えている者たちを

失う危険がないからである。

ところが、人の心が永遠の事柄に向けられ、

「わたしは、救われるために、何をすべきでしょうか」と魂が叫ぶ時、

サタンはキリストの力に抵抗し、

聖霊の感化を妨害しようと動き始める。

 

ある時、神の天使たちが主のみ前に立った時、

サタンもその中に現れたと聖書に記されている(ヨブ 1:6参照)。

それは、永遠の神のみ前にひざまずくためではなく、

義人に対する悪意あるたくらみを進めるためであった。

同じ目的をもってサタンは、

人々が神の礼拝のために集まる時にその場に現れるのである。

目にこそ見えないが、サタンは礼拝者たちの心を支配するため、

一生懸命に働いている。

サタンは、老練な将軍のように、前もって計画をたてる。

神の使命者が聖書を調べているのを見ると、

どのような使命が人々に語られるかに注意する。

そして、その点について彼が欺いている人々に、

その使命を聞かせないように、

あらゆる巧妙な策略を用いて、事情を支配しようとする。

ぜひともその警告を聞かねばならない人々が、

何かの重要な商用のために出向かなければならないようにしたり、

あるいは、何かほかの方法で、

いのちからいのちに至らせるかおりとなる

み言葉を聞くのを妨げるのである。

 

またサタンは、神のしもべたちが

人々の霊的暗黒に心を悩ましているのを見る。

そして彼らが、冷淡、不注意、怠惰などの魔力から逃れられるように、

神の恵みと力とを熱心に祈り求めているのを聞く。

すると彼は、熱心さをもりかえして策動する。

すなわち、人々に食欲をほしいままにさせたり、

または、何かほかのことで放縦な生活をさせたりして知覚をまひさせ、

彼らが最も学ばなければならないことを

聞かせないようにしてしまうのである。

兄弟を訴える者

人々に祈りを怠るようにさせ、

聖書の研究もなおざりにするようにさせておけば、

だれでも彼の攻撃に打ち負かされてしまうことを、

彼はよく知っている。

そのため、彼は、あらゆる策略をめぐらして、

人心を夢中にさせるものを考案する。

神を信じると言いながら、真理の研究を続けないで、

自分と意見の合わない人々の人格の欠点とか信仰上の

誤りとかを指摘することを自分の義務であるかのように

思っている人々が、いつもいるものである。

こうした人々は、サタンの右腕ともいうべきである。

兄弟を訴える者たちは、決して少なくはない。

神が働いておられ、神のしもべたちが真心から神をあがめている時、

彼らも休みなく活動している。

彼らは、真理を愛し真理に従っている者の言行を、

全くそうでないかのように誤り伝え、どんなに熱心でまじめな、

自己犠牲的なキリストのしもべたちをも、

欺かれた者であるとか、

人を欺く者であるとかいうのである。

どんなに誠実で気高い行為の動機も、

真実を曲げて非難し、未経験な者の心に疑惑の念を起こさせる。

彼らは、あらゆる策を用いて、純潔で正しい者を、

不潔で欺瞞的な者であると思わせる。

 

しかし、彼らについてだれも欺かれる必要はない。

彼らが、だれの子らであって、だれの模範に従い、

だれの業をしているかは、すぐにわかるのである。

「あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう」

(マタイ 7:16)。彼らの行為は、毒舌をもって「兄弟らを訴える者」

であるサタンの態度と似ている(黙示録 12:10)。

 

大欺瞞者サタンは、魂をわなに落ち込ませるために、

あらゆる種類の誤りを伝えるように多くの手下をもっている。

すなわち、滅びに陥れようとしている人々の

それぞれの好みや能力に適した種々の異端を用意している。

サタンは、教会の中に不まじめで

悔い改めていない分子を入りこませて、疑惑と不信の念を助長させ、

神の働きの進展を見たいと望み自らもともに進歩したいと

望む者たちのじゃまをする。

神と神のみ言葉に対する真の信仰はないのに、真理のいくつかの原則に同意し、クリスチャンとして通用している人が多い。

こうして彼らは、彼らの誤りを聖書の教理として

人々に伝えるのである。

偽教師たち

人が何を信じても、それはさほど重要なことではないという態度は、

サタンが最も成功を収めている欺瞞の1つである。

人が真理を愛して、受け入れる時、

真理はそれを受け入れた人の魂を清めることをサタンは知っている。

そのために、彼は絶えず偽教理、作り話、

別の福音などを真理の代わりにしようとしている。

神のしもべたちは、最初から偽りの教師たちと戦ってきた。

それは彼らが悪徳の人々であるというだけではなくて、

魂を危険に陥れる偽りを説く人々であったからである。

エリヤ、エレミヤ、パウロなどは、断固としてはばかるところなく、

神のみ言葉から人々を引き離す者たちと戦ったのである。

これら真理の擁護者たちは、

厳正な信仰を軽視する自由主義に賛成しなかった。

 

聖書についてあいまいな、変わった解釈をしたり、

またキリスト教界において、

宗教的信仰に関して多くの矛盾した説があったりすることは、

人心を混乱させて真理を見分けられないようにするための

大敵サタンのしわざである。

キリスト教会内にある不和、分裂は、

自分の気に入った理論を裏づけるために

聖書を歪曲(わいきょく)する

という一般的な風習のせいであることが非常に多い。

神のみこころを知ろうとして

謙遜に注意深く聖書を研究しないで、

何か変わった独創的なものを発見しようとする者が多い。

 

誤った教理や非キリスト教的習慣を支持するために、

聖書の前後関係を考えずに1節の半分だけを

引き離して引用する人々がいるが、その残りの半分を見れば、

全く反対の意味になることもある。

彼らは、自分の肉の欲をほしいままにするために、

へびのような狡猾(こうかつ)さで、

曲解された無関係ないくつかの聖句のかげに、

自分の立場を守るのである。

このようにして、神のみ言葉を故意に曲解する者が多い他方、

聖書の型や象徴について想像をたくましくする者もある。

そのような人々は、聖書が聖書自らの解釈をしている

その証言も無視して、思いのままに解釈を下し、

自分たちの臆測(おくそく)を

聖書の教えであるかのように説くのである。

聖書を学ぶ精神

聖書の研究は、祈りの精神に満たされ、

謙遜に教えを聞く精神で行われないならば、

難解な聖句はもちろん、やさしいところでも、

その意味を取り違えて曲解してしまう。

法王教の指導者たちは、

彼らの目的に最も役立つ聖句を選び、

彼ら自身に都合のよい解釈をして人々に教える。

一方彼らは、人々が聖書を研究して、

尊い真理を自分で理解する特権をゆるさない。

しかし、聖書全体は、

書かれているそのまま

人々に与えられなければならない聖書の教えが、

このようにはなはだしく曲解されるくらいならば、

聖書の教えを全然人々に与えない方がましである。

 

聖書は、創造主のみこころを知りたいと願う

すべての者を導くために与えられたものである。

神は人々に預言の確かな言葉をお与えになった。

天使だけでなく、キリストご自身さえおいでになって、ダニエルとヨハネに、やがて起こるべき事柄についてお知らせになった。

われわれの救いに関する重要な事柄は、

神秘につつまれたままにしておかれなかった。

それは、まじめに真理を求める者を惑わせ

誤らせるようには示されていない。

預言者ハバククは、神の言われたことを次のように記した。

「この幻を書き、これを・・・・明らかにしるし、走りながらも、

これを読みうるようにせよ」(ハバクク 2:2 )。

祈りの精神をもって聖書を学ぶすべての者に、

神のみ言葉は明らかに示され、真に誠実な者はだれでも、

真理の光にくることができる。

「光は正しい人のために現れ・・・・る」(詩篇 97:1 1 )。

教会員が隠れた宝を捜すように真理を熱心に探究しないならば、

どの教会も聖潔に進むことはできない。

 

人類の敵がその目的を達成するために着々と働き続けているのに、

人々は「寛大」という叫びによって、

サタンの策略に目をくらまされている。

サタンが、聖書に代えて人間の思想を置くことに成功する時、

神の律法は廃され、教会は、自由であることを主張しながら、

罪に縛られているのである。

科学と啓示

多くの者にとって、科学の研究はわざわいとなっている。

神は、科学と技術方面の種々な発見によって

世界に輝かしい光が注がれるのをお許しになった。

しかし、どんなに偉大な頭脳の持ち主であっても、

その研究が神のみ言葉によって導かれないならば、

科学と啓示の関係を探究するのに困難を感じるのである。

 

物質的および霊的な面における人間の知識は、

部分的で、不完全なものである。

だから多くの者は、その科学的見解を、

聖書に述べられていることと一致させることができないのである。

単なる学説や推測を科学的事実として受け入れる者が多い。

そして彼らは、神のみ言葉が、いわゆる

「偽りの『知識』」によってためされなければならないと考える

(Ⅰテモテ 6: 2 0 )。

創造主とそのみ業は、彼らの理解を越えたものである。

ところが彼らはそれを自然の法則によって説明できないために、

聖書の歴史は信頼できないと考える。

旧新約聖書の記録が信頼に値するものであることを疑う者は、

さらに1歩進んで、神の存在に関して疑惑を抱き、

無限の力を自然界のせいにしてしまう。

彼らは錨(いかり)を捨ててしまった以上、

無信仰という暗礁にのり上げてしまうよりほかはないのである。

 

このようにして、信仰から離れ、

悪魔に欺かれる者が多い人間は、

その創造主よりも賢くなろうと努めてきた。

人間の哲学は、永遠に啓示されることのない

神秘を探り出して説明しようと試みてきた。

もし人々が、神がご自身とその御目的に関して

人間にあらわされたことだけを探り、理解するならば、

彼らは主の栄光と威光と権力とを知るとともに、

自分自身の小さなことを認め、

自分たちと自分たちの子らのために

啓示されたことに満足するであろう。

 

神が啓示しておられないことや、

われわれが理解するよう計画してはおられないことを、

人が探り、推測をたくましくするようにすることは、

サタンの欺瞞中の傑作である。

ルシファーが天上の地位を失ったのも、

こうしたことからであった。

彼は、神の御目的の秘密がすべて自分に示されなかったことに

不満を抱き、

自分に与えられていた高い地位の職務に関して

示されたことなどは全く顧みなかった。

彼は、部下の天使たちにも同じ不満の念を抱かせて、

堕落させてしまった。

今度は、人の心にも同じ精神を吹き込んで、

神の直接のご命令を無視させようとするのである。

真理の偽物

聖書の明らかで率直な真理を受け入れたくない人たちは、

自分の良心を鎮静するのに都合のよい

作り話を絶えず求めるようになる。

霊的でなく、へりくだって

自己を犠牲にする必要のないような教理であればあるだけ、

ますます一般からの受けはよいのである。

こうした人たちは、自分の肉欲をほしいままにするために、

その知的能力を低下させているのである。

彼らは自分が知者だと思いあがって、

砕けた心をもって聖書を探ることをせず、

また神の導きを熱心に祈り求めもしないので、

欺瞞に対する防備は何もない。

サタンは、彼らの心の欲求にいつでも応じ、

真理の代わりに偽物をつかませる。

法王制が人心を支配した秘けつは、ここにあった。

そして、真理には苦難の十字架があるからといって

これを拒否することによって、新教徒もまた同じ道を踏んでいる。

世俗と歩調を合わせるために、

便宜的な都合主義をとって神のみ言葉の研究を怠る者はみな、

宗教的真理の代わりにいまわしい異端を信じてしまうのである。

故意に真理を拒む者は、ついには、

あらゆる種類の誤りを受け入れるようになる。

ある種の欺瞞は嫌悪(けんお)する人が、

他の欺瞞は簡単に受け入れるのである。

使徒パウロは、

「自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれな」い種類の

人々について次のように言っている。

「そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、

こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、

さばくのである」(Ⅱテサロニケ 2:10― 1 2 )。

このような警告は、われわれがどのような真理を

受け入れるかを十分注意する必要があることを示している。

 

大欺瞞者サタンの働きの中で最も成功しているものの1つは、

心霊術(降神術)の欺瞞的な教えと偽りの奇跡である。

彼は、光の天使を装って、

人が全く予期していないところに網を張っている。

もし人々が、神の書を理解できるようにと

熱心に祈りながらみ言葉を研究しさえすれば、

彼らは暗黒の中に放置されて偽りの教理を信じるようなことはない。

しかし真理を拒否する時、彼らは惑わしの餌食になるのである。

キリストの神性

もう1つの危険な誤りは、キリストの神性を否定する教理である。

すなわち、キリストは

この世においでになる前には存在されなかったという主張である。

この説は、聖書を信じると表明する

多くの者によって信じられている。

しかしこれは、救い主が、

ご自分と天父との関係について、

またご自分の神性と先在について、

明言されたことと全く相反するものである。

これは、聖書を不当に曲解しなければ

受け入れられない説である。

これは、贖いの業についての

人間の観念を低下させるだけでなく、

聖書が神の啓示であるという信仰を危くするものである。

このことによってこの説は一層危険なものとなり、

これに対抗することはますます困難になる。

キリストの神性に関して霊感によって書かれた聖書のあかしを

拒むならば、その点についていくら議論してもむだである。

なぜなら、どんな決定的な議論も、

彼らを説得することはできないからである。

「生れながらの人は、神の御霊の賜物を受け入れない。

それは彼には愚かなものだからである。

また、御霊によって判断されるべきであるから、

彼はそれを理解することができない」(Ⅰ コリント 2:1 4 )。

このような誤った考えを抱いている者は、

キリストのご品性とその働き、あるいは

人類の贖罪(しょくざい)という大計画を、真に理解することはできない。

種々の欺瞞

さらにまた、巧妙で有害な誤りは、サタンとは、

個性をもった者として存在しているのではなくて、

聖書の中に彼の名が用いられているのは、

ただ人間の邪悪な思いや

欲望をあらわしたものにすぎないという説である。

 

キリストの再臨とは人が死ぬ時に来られることであると、

一般の講壇から広く説かれているが、

これは、キリストが天の雲に乗って来られることから

人の心をそらす策略である。

「見よ、へやの中にいる」とサタンは長い間言い続けてきた

(マタイ 24:13- 1 6 )。

そして多くの者が、こうした欺瞞を受け入れて滅びに陥ったのである。

 

また、この世の知恵は、祈りは無用であると教える。

祈りに応答などはないと、科学者たちは主張する。

そんなことは、自然の法則に反することであって、

奇跡である、そして奇跡などはないというのである。

宇宙は一定の法則に支配されていて、神ご自身、

そうした法則に反することは何事もなさらないというのである。

このようにして、神はご自分の法則に縛られていて、

その法則を自由に支配することがおできにならないかのように

彼らは言う。

このような教えは、聖書の証言に反している。

キリストとその弟子たちによって、奇跡が行われなかったであろうか。

その同じ憐れみ深い救い主が、今日も生きておられて、

ご在世のころと同様に信仰の祈りに喜んで

耳を傾けてくださるのである。自然が超自然と協力するのである。

われわれがこのようにして求めなければ与えられないものが、

信仰の祈りにこたえて、われわれにさずけられることが、

神のご計画の一部である。

 

キリスト教会の中にある誤った教理や

奇怪な考え方は数えきれないほどである。

神のみ言葉によって建てられた道標の1つを動かすことによって

生じる有害な結果は、計り知れないものがある。

あえてこうしたことをする人々の中で、

真理を1つだけ拒むにとどまるという例はほとんどない。

大多数の者は真理の原則を次々に覆していき、ついには、

事実上無神論者になってしまうのである。

懐疑主義をもたらすもの

俗受けのする神学の誤りが、多くの者を懐疑論者にしてしまった。

これらの人々は、そのようなことがなければ、

聖書を信じていた人々なのである。

人は自分の抱いている正義感、慈悲、博愛の精神などを

踏みにじるような教理は、受け入れることができない。

しかも、それが聖書の教えであると説かれるために、

聖書を神のみ言葉として受け入れようとしないのである。

 

これこそ、サタンが達成しようとねらっている目的である。

サタンは何よりも、

神と神のみ言葉に対する信頼感を失わせようと望んでいる。

サタンは懐疑主義者の大軍の首領であって、

人々を欺いて自分の味方にしようと全力を尽くしている。

疑うことが流行になっている。

聖書が、その著者であられる神と同様に、罪を責め、

人々を罪に定めるので、多くの者は、

神のみ言葉を不信の念をもって見る。

聖書の要求に服従しようとしない者は、

その権威を覆そうとはかる。

彼らが聖書を読み、説教を聞くのは、

聖書や説教の中に欠点を見つけようとするためである。

自らを義とするために、

または、果たすべき義務を怠った言いわけのために、

無神論者になる者も少なくない。

高慢と怠慢から懐疑的になる者もいる。

彼らは安逸を好むために、努力と克己を要する

何か価値のある働きを

達成することによって抜きんでようとはしない。

そこで、聖書を批評することによって、

すぐれた知恵の持ち主であるという名声を得たいと思うのである。

天からの知恵によって光が与えられなければ、

限りある人間にはわからないことが多い。

そこに彼らは、批評の機会を見いだす。

不信、懐疑、無神論の側に立つことが、

何か名誉ででもあるかのように思っている者が多い。

彼らは、いかにも率直をよそおっているが、

実は、自負心高慢心に駆られているのである。

他の人の頭を悩ますような聖句を見いだすことに

興味を感じている者が多い。

初めはただの議論好きから、

反対の側に立って批評したり

理屈を言ったりする者もある。

彼らはこのようにして

捕獲者の網にかかってしまうことを知らない。

彼らは、すでに公然と不信を表明した以上、

あくまでもその立場を守らなければならないと考える。

こうして、彼らは不信仰な者と一致し、

自分から天国の門を閉ざしてしまうのである。

十分な証拠

神は、み言葉の中に、

み言葉が神からのものであるという証拠を

十分にお与えになった。

われわれの贖いに関する大真理は、

はっきりと示されている。

心から求めるすべての者に約束されている聖霊の助けによって、

だれでも自分で理解することができるのである。

神は、人が信仰をおくことのできる

固い基礎をお与えになっている。

 

それにしても、限りある人間の知力は、

無限の神のご計画と御目的とを十分に悟ることはできない。

われわれは、神の深いことを窮め尽くすことはできない。

神がご自身の威光をおおっておられる幕を、

僣越(せんえつ)にも引き上げようとしてはならない。

使徒はこう言っている。

「ああ深いかな、神の知恵と知識との富は、

そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい」(ローマ 11:3 3 )。

われわれは、限りない愛と憐れみが無限の力と結合していることを

認識できる程度には、神が人間を救われる方法や

神の行動の動機について理解することができる。

天の父は、すべてのことを知恵と義とによって行われるのであるから、

われわれは、不満に思ったり、

不信を抱いたりしないで、うやうやしく服従すべきである。

神は、われわれが知ってよいことだったら、何でもご自分の目的を示してくださるであろう。それ以上のことは、全能のみ手と、

愛に満ちたみこころにおまかせしなければならない。

疑いの口実

神は、われわれが信ずるに足る十分な証拠をお与えになっているが、

一方また不信に対する口実を全部取り除かれるわけではない。

疑おうと思うなら、その余地はいくらでもある。

そして、すべての反論が一掃されて

疑う余地がなくなるまで

神の言葉を受け入れず従わないというなら、

決して光にくることはできないのである。

 

神への不信は、新生を経験していない

神に逆らう心の当然の結果である。

しかし、信仰は、聖霊によって与えられるものであり、

それをたいせつに育てるときにのみ栄えるものである。

だれも固い決意をもって努力するのでなければ、

強い信仰を持つことはできない。

不信は、助長すれば深まっていく。

そして人々が、彼らの信仰を支えるために神がお与えになった

証拠に思いをめぐらさずに、疑惑を抱き、

とがめだてをするならば、

彼らの疑惑はますます深まっていくのである。

 

神の約束を疑い、神の恵みの確証を信じない者は、

神のみ名を汚しているのである。

そして彼らは、人々をキリストに引きつけるのでなくて、

人々をキリストから離反させがちである。

彼らは、広々と黒い枝を広げて、

他の植物の上に射(さ)す日光をさえぎり、

その冷たい影の中で彼らをしおれて枯死させるところの、

実を結ばぬ木のようなものである。

このような人々の一生の働きは、

彼らに不利な証言を立て続けることであろう。

彼らは、必ず収穫をもたらすところの、

疑惑と懐疑の種をまいているのである。

疑惑からの解放

疑惑から解放されることを

心から願う者の取るべき道は、1つしかない。

わからないことに反問してつぶやくのをやめて、

すでに自分たちの上に輝いている光に注意を向けるならば、

さらに大きな光に浴することができる。

すでに明らかにされた義務をすべて行うがよい。

そうすれば、現在疑問に思っていることも理解し、

行うことができるようになる。

 

サタンは、全く真理としか思えないような偽物を示すことによって、

真理が要求する克己と犠牲を好まず、

欺かれることをいとわない者たちを、欺くことができる。

ところが、どんな犠牲を払っても真理を知りたいと

心から願っている者を、

たとえ1人といえどもサタンは自己の権力下におくことはできない。

キリストは、真理であり、「すべての人を照すまことの光があって、

世にきた」と言われている光であられる(ヨハネ1:9 )。

真理のみ霊が、人をすべての真理に導くためにつかわされたのである。

そして、神のみ子の権威によって次のように宣言されている。

「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。」

「神のみこころを行おうと思う者であれば、だれでも、・・・・

この教えが・・・・わかるであろう」(マタイ 7:7、ヨハネ 7:17 )。

 

キリストに従う者たちは、サタンとサタンの部下たちが、

彼らに対して何を企てているかをほとんど知っていない。

しかし、天にいます神は、これらの策略を覆して、

ご自分の深遠なご計画を完成される。

神は、ご自分の民が火のような試練に会うことをお許しになるが、

それは、彼らの苦しみを見て喜ばれるためではなくて、この試練を

経ることが、彼らの最後の勝利のために必要であるからである。

神はご自分の栄光のために、

彼らを誘惑から守ることがおできにならないというのは、

彼らがどんな悪のそそのかしにも耐えられるようにすることこそ、

試練の目的だからである。

 

神の民が、心からへりくだり、悔い改めた心をもって、

彼らの罪を告白して捨て去り、信仰によって神のお約束を

求めるならば、どのような悪人も悪天使も、神のお働きを妨げたり、

神のご臨在をさえぎったりすることはできない。

すべての誘惑、すべての反対の勢力は、公然とくるものであろうと、

隠れたものであろうと、必ず撃退することができる。

「これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである」

と「万軍の主は仰せられる」のである(ゼカリヤ 4:6 )。

主の守りの実例

「主の目は義人たちに注がれ、主の耳は彼らの祈にかたむく。・・・・

そこで、もしあなたがたが善に熱心であれば、

だれが、あなたがたに危害を加えようか」(Ⅰペテロ3:12、13)。

バラムが、莫大(ばくだい)な報酬の約束に誘われて、

イスラエルに不利な魔術を行い、

主に犠牲をささげて神の民にのろいをかけようとした時に、

神の霊は、彼が言おうとしていた災いを言うことを許さなかった。

そして、バラムは、次のように言わなければならなかった。

「神ののろわない者を、わたしがどうしてのろえよう。

主ののろわない者を、わたしがどうしてのろえよう。」

「わたしは義人のように死に、

わたしの終りは彼らの終りのようでありたい。」

犠牲が再びささげられた時、この神を敬わない預言者は宣言した。

「祝福せよとの命をわたしはうけた、すでに神が祝福されたものを、

わたしは変えることができない。

だれもヤコブのうちに災のあるのを見ない、

またイスラエルのうちに悩みのあるのを見ない。

彼らの神、主が共にいまし、王をたたえる声がその中に聞える。」

「ヤコブには魔術がなく、イスラエルには占いがない。

神がそのなすところを時に応じてヤコブに告げ、

イスラエルに示されるからだ。」それでも三度祭壇が設けられて、

バラムはもう1度、のろいを言おうと試みた。

しかし神の霊は、預言者の、

自らは望まないくちびるを通して、

神の選民の繁栄を告げ、

その敵の愚かさと悪意を譴責(けんせき)したのである。

「あなたを祝福する者は祝福され、あなたをの

ろう者はのろわれるであろう」

(民数記 23:8、10、20 )。

 

この時、イスラエルの人々は、神に忠誠であった。

そして、彼らが神の律法に服従しているかぎり、

地上や陰府(よみ)のどんな力も、彼らに打ち勝つことはできなかった。

しかし、バラムは、

神の民に対して宣言することを許されなかったのろいを、

彼らを罪に誘惑することによって、

ついに彼らの上にもたらすことができた。

彼らが神の戒めを破り、神から離反していった時に、

彼らは、破壊者サタンの圧迫を受けるままに放置されたのである。

勝利の秘けつ

サタンは、キリストのうちに住んでいるどんなに弱い魂でさえも、

暗黒の軍勢よりはるかに強力であることをよく知っている。

彼は、もし自分が公然とその正体を現したりすれば、

すぐに撃退されてしまうことをよく知っている。

そこで、彼は、このような十字架の戦士たちを

その堅固な要塞(ようさい)からさそい出すとともに、伏兵を設けておいて、

自分の陣地に入ってくる者をすべて滅ぼそうと待ちかまえている。

へりくだった心で神によりたのみ、

神のすべての戒めに服従する者だけが安全なのである。

 

祈りを怠っては、1日、1時間たりとも安全ではない。

特にわれわれは神のみ言葉を理解する

知恵を祈り求めなければならない。

聖書の中に、サタンの策略が示されている。

またそれに対抗する手段も教えられている。

サタンは巧みに聖書を引用し、彼自身の解釈をほどこして、

われわれをつまずかせようとする。

われわれは、謙遜な態度で聖書を学び、

どんな場合にも神に依存していることを忘れてはならない。

こうして常にサタンの策略に注意する一方、

たえず、「わたしたちを試みに会わせないで・・・・下さい」

と信仰をもって祈らなければならない。

 

 

【 第33章 人は死んだらどうなるか 】

最初の大欺瞞

人間の歴史の最初から、サタンは人類を欺こうとする働きを始めた。

天で反逆を起こしたサタンは、この世界の住民を、

神の政府に反抗する彼の戦いに参加させようと望んだ。

アダムとエバは、神の律法に服従して、完全に幸福な生活を送っていた。

ところがそのことは、神の律法は圧制的であるとか、

神の被造物の幸福に反するものであるとか言って、

サタンが天で主張してきたことに対して、

たえず不利な証言となっていた。

そればかりではなく、

この罪のない2人のために備えられた美しいホームをながめて、

サタンはしっと心をかきたてられた。

彼は人間を堕落させようと決心した。

彼らを神から引き離して、自分の権力下におき、この地球を手に入れて、

ここに至高者なる神に反対する王国を建設しようとした。

 

アダムとエバには、この危険な敵について警告が与えられていたから、

サタンがその本性そのままの姿を現したなら、

たちまち撃退されてしまったであろう。

だが、彼は効果的に目的を達成するために、真意を隠して秘密に働いた。

当時魅惑的な姿をしていたへびを媒介者に用いて、サタンは、

「園にあるどの木からも取って食べるなと、

ほんとうに神が言われたのですか」とエバに話しかけた

(創世記 3:1 )。

エバがこの誘惑者と言葉をかわしさえしなかったら、

彼女は安全であっただろう。

だが彼女は、サタンにかかわり合ったために、

彼の策略に落ちてしまった。

今でも多くの者が打ち負かされるのは、

このようにしてである。

彼らは、神のご要求について疑いを抱き、議論する。

彼らは、神のご命令に従わないで人間の説を受け入れるが、

それは、偽装されたサタンの策略にすぎない。

 

 

「女はへびに言った、『わたしたちは園の木の実を食べることは許さ

れていますが、ただ園の中央にある木の実については、

これを取って食べるな、これに触れるな、

死んではいけないからと、神は言われました。』

へびは女に言った、

『あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。

それを食べると、あなたがたの目が開け、

神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです』」

(同 3 : 2 ― 5 )。

あなたがたは神のようになって、

これまでよりももっとすばらしい知恵をもち、

これまでよりももっと高い身分になることができるだろうと、

サタンは言明した。エバは誘惑に負けた。

そしてエバに感化されて、アダムも罪に陥った。

神の言葉はそのまま信じるべきでないというへびの言葉を、

彼らは受け入れた。

彼らは、創造主を信じないで、神が彼らの自由を束縛しておられるものと考え、神の律法を犯すことによって、

大きな知恵と高い地位を得ようとしたのである。

 

しかしアダムは、罪を犯した後、

「それを取って食べると、きっと死ぬであろう」

という言葉の意味をどのように悟ったであろうか。

それは、サタンが彼に信じさせようとしていたように、

もっと高い身分に導き入れられるということであったろうか。

そうだとすれば、罪を犯すことによって大きな利益が得られ、

サタンは、人類の恩人になったわけである。

しかしアダムは、

神のみ言葉がそういう意味ではなかったことを知った。

罪の刑罰として人間はその取られたところの

土へもどらなければならないと、神は宣告された。

「あなたは、ちりだから、ちりに帰る」(同 3:1 9 )。

「あなたがたの目が開け」るというサタンの言葉は、

次のような意味においてのみ真実であった。

すなわち、アダムとエバは、神にそむいたあとで、

目が開かれて、自分たちの愚かさを悟った。

彼らは悪を知り、

戒めを犯した苦い結果を味わったのであった。

失われた永遠の生命

エデンの中央にいのちの木が生えていて、

その実には、生命を永続させる力があった。

もしアダムが神に従っていたなら、

この木に自由に近づくことができて、永遠に生きたのである。

しかし罪を犯した時に、彼は、

いのちの木の実を食べることができなくなり、

死ぬべきものとなった。

「あなたは、ちりだから、ちりに帰る」との神の宣告は、

生命が完全に断たれることを示している。

 

服従することを条件として人間に約束された不死は、

戒めにそむいたために失われた。

アダムは、自分が持っていないものを

子孫に伝えることはできなかった。

もし神が、み子の犠牲によって、不死を与えてくださらなかったら、

堕落した人類に生きる望みはなかったのである。

「すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである」

が、キリストは、

「福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである」

(ローマ 5:12、Ⅱテモテ 1: 1 0 )。

しかも不死はキリストによってのみ獲得するこどができるのである。

「御子を信じる者は永遠の命をもつ。

御子に従わない者は、命にあずかることがない」

とイエスは言われた(ヨハネ 3:3 6 )。

だれでも条件に応じさえすれば、

この貴重な祝福を手に入れることができる。

「耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、

永遠のいのちが与えられ」るのである(ローマ2 : 7 )。

 

アダムに向かって、服従することなしに生命を約束したのは、

大欺瞞者サタンだけであった。

そして、エデンの園でへびがエバに言った

「あなたは決して死ぬことはないでしょう」という言葉は、

霊魂の不滅について語られた最初の説教であった。

しかも、サタンの権威だけに基づくこの宣言が、

キリスト教界の講壇からくり返して叫ばれ、そして、

われわれの祖先が受け入れたように、

人類の大部分は、簡単にそれを受け入れているのである。

「罪を犯す魂は死ぬ」という神の宣言が、

罪を犯す魂は死なないで永遠に生きるという意味に解されている

(エゼキエル18:20)。

サタンの言葉は軽々しく信じながら、

神のみ言葉はなかなか信じようとしない人々の不思議な迷妄には、

驚かずにはいられないのである。

 

もし人間が、堕落後もいのちの木に近づくことが許されたとすれば、

人間は永遠に生きることになり、

こうして罪は永遠に続いたであろう。

しかし、ケルビムと炎のつるぎが、

「命の木の道」を守っていたので、

アダムの家族の者はだれ1人、そのさくを越えて、

いのちを与える実を食べることができなかった(創世記 3:24 )。

だから永遠に生きる罪人はいないのである。

サタンの魔手

しかしサタンは、人類の堕落後、部下の天使たちに命じて、

人間は生まれながらに不死であると信じこませるように努力させた。

まずこうしたまちがった考えを受け入れさせておいて、

罪人は永遠の不幸の中に生きなければ

ならないものであると思い込ませるのである。

そして今度は、暗黒の君は、その部下を使って、

神は執念深い暴君であるかのようにみせかけ、

神のみこころを喜ばせない者はすべて地獄に投げ込まれ、

永遠に神の怒りを受けねばならないのだと断言し、

またこのように彼らが永遠の炎の中で、

口に言い表せないほどの苦しみにもだえているのに、

創造主は彼らをながめて満足なさるのだと断言する。

 

このようにしてサタンは、自分自身の性質を、

人類の創造主であり恵み深い主であられる

神の性質であるかのように思わせる。

残酷さはサタンのものである。神は愛である。

最初の反逆者によって罪が生じるまでは、

神の創造されたものは、すべて純潔で清く美しかった。

人間を罪に誘惑し、できれば滅ぼしてしまおうとする敵はサタン自身である。そして犠牲者を確実に手に入れてしまうと、

自分が生じさせた滅びに狂喜する。

彼はもし許されるなら、全人類をその網の中に捕えるであろう。

もし神の力が介入しなければ、

アダムの子らは1人も逃れることはできないであろう。

 

創造主に対する信頼感をゆるがせ、

神の統治の賢明さと神の律法の正当さとを疑わせて、

われわれの祖先に打ち勝ったサタンは、

今日も同じようにして、人間を打ち負かそうとしている。

サタンとその部下たちは、

自分たちの悪意と反逆を正当化するために、

神を自分たち以上に悪いお方であるかのように言う。

大欺瞞者サタンは、

自分の恐ろしい残酷さを天父になすりつけて、

このような不正な統治者に従おうとしなかったために

天から追放されたことは非常に不当な扱いであったと、

見せかけようとしている。

彼は、主の厳格な命令の下に課せられる束縛と対照的に、

自分の寛大な支配下で持つことのできる

自由を世の人々の前に示す。

こうして彼は、人々の心が

神に忠誠を尽くさないように誘惑することに成功する。

恐るべき永遠責め苦説

悪人が死ぬと永遠の焦熱地獄において

火と硫黄をもって苦しめられるという教理や、

この短い地上の生涯において犯した罪のために、

神が生きておられるかぎり責め苦を受けるという教理は、

愛と憐れみの感情や正義感から見て、実にいまわしいかぎりである。

それにもかかわらずこの教理は広く教えられて、

今なお、多くのキリスト教会の信条の中に含まれている。

博学なある神学博士は、次のように言った。

「地獄の責め苦の光景は、永遠に聖徒たちの幸福を増進するのである。

同じ性質を持ち、同じ環境のもとに生まれた他の者たちが、

こうした悲惨な状態に陥っているにもかかわらず、

自分たちは特別な恵みにあずかっているということを自覚する時、

彼らは自分たちがどんなに幸福であるかを感じるのである。」

他の者は、また次のように言った。

「滅亡の命令が、怒りの器たちの上に永遠に執行され、

その苦しみの煙は、憐れみの器たちの目の前で永遠に立ちのぼる。

憐れみの器たちは、

こうした悲惨な者たちの運命に陥ることを免れて、

アーメン、ハレルヤ!主を賛美せよ!というのである。」

 

神の言葉のどこに、そのような教えが見いだされるであろうか。

贖われて天にある者たちは、あらゆる憐れみと同情の念を失い、

普通の人間の感情さえ持たなくなるのであろうか。

彼らは、禁欲主義者のように無関心になり、

未開人のように残酷になるのであろうか。

いや、そうではない。

こうしたことは、神の書の教えではない。

ここに引用したような意見を表明する人々は、

学識があり、まじめな人々であろうが、

しかし、サタンの詭弁(きべん)にまどわされているのである。

サタンは、聖書の強烈な表現を彼らに曲解させ、その言葉を、

創造主ではなくて、彼自身の恨みと悪意で彩るのである。

「主なる神は言われる、わたしは生きている。

わたしは悪人の死を喜ばない。

むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ。

あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。・・・・

あなたはどうして死んでよかろうか」(エゼキエル 33:1 1 )。

 

もし仮に、神が絶え間ない責め苦を見て喜びとし、

地獄の炎の中に閉じ込められている者たちの苦しみの叫びや

悲鳴やのろいの声を楽しみとされるとしたところで、

それはいったい神にとってなんの益になるであろうか。

このような恐ろしい叫びが、

無限の愛の神の耳に音楽となるであろうか。

悪人が永遠の責め苦を受けることは、

神が罪を、宇宙の平和と秩序を乱す悪として

憎悪されることを示すものであると、主張されている。

ああ、これはなんという冒涜であろう。

罪に対する神の憎悪が、

それを永続させる理由であるかのように言われている。

これらの神学者の教えによるならば、

憐れみを受ける望みもなく永遠の責め苦に会うことは、

その哀れな苦悩者たちを狂気に陥れ、

そして彼らが怒り狂ってのろいと冒涜の言葉を吐く時、

彼らは自分たちの罪の量を永遠に増し加えているのである。

しかし、このようにして永遠にわたって罪を増し加えていっても、

神の栄光は決して高揚されるものではない。

 

永遠の責め苦という邪説が及ぼした害悪は、

とうてい人間の知力でははかり知ることができない。

愛と恵みに満ち、憐れみに富んだ聖書の宗教が、

迷信によって暗くされ、恐怖でおおわれている。

サタンが、神の品性を

どんなに誤った色彩で彩ってきたかを考えるとき、

人々が恵み深い創造主を恐れ、

憎みさえするのも、

不思議ではないのである。

教会の説教壇から説かれて、

今日全世界に広がっている神に関する恐ろしい見解は、

幾千、いや幾百万の人々を、懐疑論者や無神論者にしたのである。

 

この永遠責め苦説は、バビロンがすべての国民に

飲ませる憎むべき酒といわれている偽りの教理の1つである

(黙示録 14:8、17:2参照)。

キリストの牧師たちが、この邪説を受け入れて、

説教壇から語るということは、ほんとうに不思議である。

彼らはこれを、偽りの安息日と同様に、

ローマから受け継いだのである。

確かに、これは、偉大で善良な人々によって教えられてきた。

しかし彼らには、この問題について、

われわれに与えられたような光が与えられてはいなかったのである。

彼らは、その時代に輝いた光にだけ責任があった。

そしてわれわれは、われわれの時代に輝く光に責任がある。

もしわれわれが、神の言葉のあかしを離れ、

先祖たちが教えたものであるからという理由で

偽りの教理を受け入れるならば、われわれは、

バビロンにくだされた罪の宣告を受ける。

われわれはその憎むべき酒を飲んでいることになるのである。

普遍救済説の欺瞞

永遠の責め苦の教理を嫌悪(けんお)する多くの人々は、

これと反対の誤りに追い込まれる。

聖書に神は愛と憐れみに満ちたお方として示されているので、

被造物を永遠の焦熱地獄に投げ込むとは

信じることができないのである。

しかし、魂はもともと不死であると信じられているので、

全人類はついには救われると結論するほかはないのである。

聖書に恐ろしいことが記されていても、

それは単に人を服従させるためのおどしであって、

文字どおりに実現はしないと思っている人が多い。

こうして、罪人は利己的な快楽を楽しみ、神の律法を無視しても、

ついには神の恵みにあずかることができるということになる。

神の恵みにつけ込んだこのような教理は、

神の正義を無視し、肉の心を喜ばせ、

大胆に罪を犯させるようになる。

 

万人は救われると信じる人々が、

魂を破滅に陥れるこの教理を支持するために、

聖書をどのように曲解するかを示すためには、

彼ら自身が言っていることを引用すれば十分であろう。

事故のために即死したところの、神を信じていなかった一青年の葬式において、普遍救済論者(ユニバーサリスト)の牧師は、

ダビデに関する次の聖句を引用した。

「彼は、アムノンが死んだのを見て、アムノンに関しては気持ちが

落ち着いた」(サムエル下 13:39・英語訳)。

 

説教者は次のように言った。

「わたしは、罪のうちにこの世を去る人々、酩酊状態のまま死ぬ人、

その着物に罪の赤いしみを残したままで死ぬ人、または、

この青年のように、信仰を告白せず、

宗教生活の経験を持たないで死ぬ人の運命について、

よく質問を受ける。われわれは聖書でもって満足している。

聖書の解答が、恐ろしい問題に解決を与える。

アムノンは、非常に罪深かった。彼は悔い改めなかった。

そして、酒に酔い、酩酊状態のまま殺された。

ダビデは、神の預言者であった。

彼は、アムノンが来世において、

幸福になるか不幸になるかを知っていたにちがいない。

彼の心境についてなんと言われているであろうか。

『王は心に、アブサロムに会うことを、せつに望んだ。

彼はアムノンが死んだのを見て、

アムノンに関しては気持ちが落ち着いたからである。』

 

この言葉から、どんな結論が得られるであろうか。

ダビデは永遠の苦しみを信じていなかったのではなかろうか。

われわれはそう考える。

そして、最後には普遍的な純潔と平和が来るという、

さらに喜ばしくさらに高尚で慈愛にあふれた仮説を支持するところの、

輝かしい論証をここに発見するのである。

彼は、自分の息子が死んだのを見て、気持ちが落ち着いた。

それは、なぜであるか。

それは、彼が予言的眼をもって、輝かしい将来をながめ、

息子がすべての誘惑から遠く引き離され、束縛から解放されて、

罪の汚れから清められ、

そして、十分に清めと光を与えられた後で、

昇天して、天の喜びにあずかっている霊魂の群れに入れられるのを

見ることができたからである。

彼の唯一の慰めは、彼の愛する息子が、

現在の罪と苦悩の状態から取り去られて、

聖霊の高貴ないぶきが彼の暗くなった心にそそがれるところに行き、

彼の心が天の知恵と永遠の愛の喜びに対して開かれて、

こうして、清い性質を与えられて、

天の嗣業の休息と交わりに入ることであった。

 

こう考える時に、天国の救いは、人間がこの地上でなし得ることや、

今心を変化させること、あるいは、今何を信じ、

どんな信仰を告白するかなどによらないと、

われわれが信じていることも、理解してもらえるであろう。」

 

こうして、キリストの牧師と称している人が、

エデンでへびが言った「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。」

「それを食べると、あなたがたの目が開け、

神のように善悪を知る者となる」という偽りをくり返している。

彼は、極悪の罪人たち、すなわち、人を殺し、盗み、

姦淫(かんいん)を行う人々が、死後、

永遠の祝福にあずかる準備をすることができるというのである。

 

この聖書の曲解者は、何を根拠にして、

こういう結論に達するのであろうか。

それは、神の摂理に対するダビデの服従をあらわしている

1つの文章からである。

「王は心に、アブサロムに会うことを、せつに望んだ。

彼はアムノンが死んだのを見て、アムノンに関しては

気持ちが落ち着いたからである。」

彼の激しい悲哀は、時がたつにつれて、やわらげられ、その思いは、

死んだ息子から、生きている息子に、すなわち、

自分の犯罪の当然の罰を恐れて逃亡した息子に向けられたのであった。

ところが、これが、近親相姦の罪を犯し、酒に酔ったアムノンが、

死んだ時に直ちに幸福な住居に移され、そこで清められて、

罪のない天使たちとの交わりに入る準備をするということの、

証拠だというのである。

これは、まことに、肉の心を満足させるのに

都合のよい快い作り話である。

これは、サタン自身が作り出した教義であって、

効果的にサタンの働きをしている。

こういう教えがあるのであるから、

罪悪が満ちても驚くにはあたらないのである。

誤った聖書解釈

この1人の偽教師の行ったことは、

他の多くの人々のしていることの一例である。

多くの場合、

聖書本来の解釈とは全く正反対の意味となるような

数語を、文脈を無視して聖書から切り離す。

そして、このようにして切り離された聖句が曲解されて、

神の言葉に基づかない教理の証拠に用いられる。

酒に酔ったアムノンが、天国にいる証拠として引用された証言は、

酒に酔う者は神の国をつぐことはないという、

明確で否定することのできない聖書の言葉に

全く相反する推論にすぎない(Ⅰコリント 6:10 参照)。

このようにして、疑う人々、信じない人々、

懐疑論者たちは、真理を偽りにしてしまうのである。

そして、多くの人々が、

かれらの詭弁に欺かれて、

肉の生活に安んじ、惰眠をむさぼっている。

 

もしだれでも、死ねばすぐその魂が天に行くのなら、

生きているよりは、

死んだほうが望ましく思われることであろう。

こうしたことを信じた結果、

自分の生命を断ったものも多いのである。

困難や悩みや失望に陥った場合、

もろい生命の糸を断ち切って、

永遠の世界の幸福へと舞いあがることが、

いかにもやさしいことのように思われるのである。

 

神の律法を犯す者は必ず罰を受けるということは、

神がみ言葉の中にはっきりと証拠を与えておられる。

神は恵み深いお方であるから、

罪人を罰するようなことはなさらないと思い込んでいる者は、

ただカルバリーの十字架をながめて見るとよい。

汚れのない神のみ子の死が、「罪の支払う報酬は死である」ことと、

神の律法を犯せばそれに相当する報いがあることとの、

証拠である。

罪のないキリストが、人のために罪となられた。

罪を負い、天父のみ顔をかくされて見ることができず、ついに、

キリストの心臓は破裂し、その生命は砕かれたのである。

こうした犠牲は、すべて、

罪人が贖われるために払われたのである。

他のどんな方法によっても、

人は罪の刑罰から救われることはできない。

このような価を払って備えられた贖いにあずかることを拒否する者は、

犯した罪の刑罰を自分の身に負わなければならない。

 

普遍救済論者(ユニバーサリスト)が、幸福な聖天使として

天国に入れている、不信仰の者や悔い改めない人々について、

聖書はさらになんと教えているかを考えてみよう。

 

「かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう」

(黙示録 21: 6 )。

この約束は、かわく者にだけ与えられている。

命の水の必要を感じ、他のすべてのものを失っても

それを求める者だけが、満たされるのである。

「勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。

わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる」(同 21:7 )。

ここにも、条件が明示されている。

すべてのものを受け継ぐためには、

罪に抵抗して勝利しなければならないのである。

 

主は、預言者イザヤによって、こう言われる。

「正しい人に言え、彼らはさいわいであると。

彼らはその行いの実を食べるからである。」

「悪しき者はわざわいだ、彼は災をうける。その手のなした事が

彼に報いられるからである」(イザヤ 3:10、11)。

 

また、「罪びとで10 0度悪をなして、

なお長生きするものがあるけれども、神をかしこみ、

み前に恐れをいだく者には幸福があることを、わたしは知っている。

しかし罪人には幸福がない」と賢者は言っている

(伝道の書 8:12、1 3 )。

そしてパウロも、次のように証言している。

罪人は、「神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、

自分の身に積んでいるのである。」

「神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。」

「悪を行うすべての人には、・・・・患難と苦悩とが与えられ(る)」

(ローマ 21:5、6、9 )。

 

「すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲(どんよく)な者、

すなわち、偶像を礼拝する者は、

キリストと神との国をつぐことができない」(エペソ5 : 5 )。

「すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。

きよくならなければ、だれも主を見ることはできない」

(ヘブル12:14)。

「いのちの木にあずかる特権を与えられ、

また門をとおって都にはいるために、

自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。

犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、

人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、

外に出されている」(黙示録 22:14、15)。

人は自ら運命を定める

神は、神の品性と神が罪を処理される方法とを、人間に宣言された。

「主、主、あわれみあり、恵みあり、

怒ることおそく、いつくしみと、

まこととの豊かなる神、いつくしみを千代までも施し、

悪と、とがと、罪とをゆるす者、

しかし、罰すべき者をば決してゆるさず」

(出エジプト34:6、7 )。

「主は・・・・悪しき者をことごとく滅ぼされます。」

「罪を犯す者どもは共に滅ぼされ、悪しき者の子孫は断たれる」

(詩篇 145:20、37:3 8 )。

神の政府の権力と権威とが、反逆を鎮圧するために用いられる。

しかし、あらゆる応報・処罰の執行は、

恵み深く忍耐強い、

慈悲に富んだお方としての神の品性と完全に調和するのである。

 

神は、どんな人の意志または判断をも強制なさらない。

神は、奴隷的服従をお喜びにならない。

神は、神のみ手に造られたものたちが、

愛するにふさわしいお方として神を愛するよう望まれる。

神は、彼らが、神の知恵と正義と慈愛とをよく悟った上で、

神に従うことを望まれる。

そして、神のこうした性質について

正しい理解を持つものはみな、

神の特性に感嘆して神に引きつけられ、

神を愛するようになるのである。

 

救い主が教え、模範を示された、思いやりと憐れみと愛の原則は、

神のみこころと品性の写しである。

キリストは、ご自分は天父から

受けたもののほかは何も教えないと宣言された。

神の政府の原則は、「あなたの敵を愛せ」という

救い主の教えと完全に調和している。

神は悪人を処罰されるが、それは宇宙の幸福のためであり、

刑罰が下される本人たちの幸福のためでさえあるのである。

神は、神の政府の律法と神の品性の正しさとに

調和させることができるなら、彼らを幸福にしたいと望まれる。

神は彼らを、ご自分の愛のしるしで取り巻き、

神の律法の知識を彼らに与え、憐れみの招きを発して彼らを追われる。

しかし、彼らは、神の愛を軽んじ、

神の律法を無効にし、神の憐れみを拒むのである。

彼らは、絶えず神の賜物を受けながら、

与え主である神のみ名を汚す。

彼らは、神が彼らの罪を憎まれることを知って、

神を憎むのである。

神は、彼らの強情を長く忍ばれる。

しかし、ついに、

彼らの運命が決まる決定的な時が来る。

その時、神は、このような反逆者たちを

ご自分の側に縛りつけられるであろうか。

彼らに、神のみこころを行うように強制されるであろうか。

 

サタンを指導者とし、その力に支配されてきた者は、

神の前に出る用意がない。

高慢、欺瞞、放蕩(ほうとう)、残酷が、

彼らの性質になってしまった。

彼らは、天国に入って、この地上で軽べつし憎んでいた人々と、

永遠に住むことができるであろうか。

真理は、偽りを言う人には決して好まれない。

柔和は、自尊心や誇りを満足させない。

純潔は、腐敗した人には受け入れられない。

無我の愛は、利己的な者には、

魅力あるものと思われない。

この地上の利己的利益に全く心を奪われている者に、

天は、どんな楽しみを与えることができるであろうか。

神の正義と憐れみ

一生神に反逆していた者が、仮に急に天国に移されて、

そこにいつもみなぎっている

高尚な清い完全な状態を目撃したとしよう。

どの人の心も愛に満たされ、どの顔も喜びに輝き、

神と小羊をほめたたえる美しい音楽が聞こえ、

み座に座しておられるお方の顔からは、

贖われた者たちの上に絶えず光が照り輝いている。

神に対して憎しみを抱き、真理と聖潔を憎んでいた者たちが、

ここで、天の群れに加わって賛美の歌を歌うことができるであろうか。

果たして彼らは、神と小羊の栄光に耐え得るであろうか。

いや、それはできないのである。

彼らには、天国のために準備をするように

幾年もの恵みの期間が与えられていた。

にもかかわらず、彼らは純潔を愛するように心の訓練をしなかった。

彼らは、天国の言語を学ばなかったので、

今となってはもうおそすぎるのである。

神に反逆した生活が、彼らを天にふさわしくない者にしてしまった。

天の純潔と聖潔と平和とは、彼らにとっては責め苦となるであろう。

神の栄光は、焼き尽くす火となるであろう。

彼らはその清い場所から逃れたいと願うであろう。

彼らを贖うために死なれたお方の顔を避けるために、

滅亡を歓迎するであろう。

悪人の運命は、彼ら自身の選択によってきまるのである。

彼らが天から除外されるのは、彼らが自ら進んでそうするのであり、

神の正義と憐れみによるのである。

 

大いなる日の炎は、ノアの洪水の水のように、

悪人たちは直すことができないという、神の裁断を宣言する。

彼らには、神の権威に服従する気持ちがない。

彼らの意志は反逆に用いられてきた。

そのために、死に臨んで、彼らの思想の流れを反対の方向にむけ、

背反から服従へ、憎しみから愛へと変えるには、

もはやおそ過ぎるのである。

 

神は、殺人者カインの生命を助けることによって、

罪人を生かしてかってきままな罪の生活を続けさせる

結果がどうなるかという実例を、世界に示された。

カインの教えと模範の影響によって、

彼の子孫の大群衆は罪に誘われ、

ついに

「人の悪が地にはびこり、

すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかり」になった。

「時に世は神の前に乱れて、

暴虐が地に満ちた」(創世記 6:5、11)。

 

神は、世界をあわれんで、ノアの時代の悪い住民たちを一掃された。

神は、憐れみのうちに、ソドムの堕落した住民たちを滅ぼされた。

悪を行う人々は、サタンの欺瞞の力によって、

共鳴と賞賛をかちえ、

こうして常に他の人々を反逆に引き入れている。

カインの時代、ノアの時代、そして、

アブラハムとロトの時代においてそうであった。

われわれの時代においても同様である。

神が、神の恵みを拒否する人々を最終的に滅ぼされるのは、

宇宙に対する憐れみからである。

永遠の生命か、永遠の滅びか

「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの

主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである」(ローマ 6:23 )。

義人の嗣業は生命であるが、

悪人が受けるものは死である。

モーセは、イスラエルに次のように宣言した。

「見よ、わたしは、きょう、命とさいわい、

および死と災をあなたの前においた」(申命記 30:1 5 )。

この聖句の中で言われている死は、

アダムに宣告された死ではない。

なぜなら、全人類が彼の罪の報いを受けているからである。

永遠の生命と対照されているのは、「第2の死」である。

 

アダムの罪のために、死は全人類に及んだ。

だれでも同じように墓に下って行く。

そして、救いの計画が設けられたことによって、

すべての者が、墓からよみがえらせられるのである。

「正しい者も正しくない者も、やがてよみがえる。」

「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、

キリストにあってすべての人が生かされるのである」

(使徒行伝24:15、Ⅰコリント 15:2 2 )。

しかし、よみがえらせられる2種類の人々は、

はっきりと区別されている。

「墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、善をおこなった人々は、

生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、

さばきを受けるためによみがえって、

それぞれ出てくる時が来るであろう」(ヨハネ 5:28、29 )。

復活に「あずかるにふさわしい」者たちは、

「さいわいな者であり、また聖なる者である。」

「この人たちに対しては、第2 の死はなんの力もない」

(黙示録2 0:6 )。

しかし、悔い改めと信仰によって許しを受けなかった人々は、

罪の刑罰すなわち、「罪の支払う報酬」を受けなければならない。

 

彼らは、「そのしわざに応じて」長さと激しさの異なる刑罰を受けるが、

ついには、第2の死に終わる。罪のうちにある罪人を救うことは、

神の正義と憐れみからいって不可能なために、

神は罪人からその存在を剥奪される。

彼は罪のゆえに、生きる権利を喪失し、

生きるにふさわしくないことを証明したのである。

霊感を受けた筆者は言っている。

「悪しき者はただしばらくで、うせ去る。

あなたは彼の所をつぶさに尋ねても彼はいない。」

また別の筆者は宣言する。彼らは「かつてなかったようになる」

(詩篇 37:10、オバデヤ 16 )。

彼らは、辱めを受けて、希望のない永遠の滅びに沈むのである。

 

こうして、罪と罪の結果で

あるあらゆる災いと破滅が終わりを告げる。

詩篇記者は、「あなたは、・・・・悪しき者を滅ぼし、

永久に彼らの名を消し去られました。

敵は絶えはてて、とこしえに滅び」と言っている(詩篇9:5、6)。

黙示録の中で、ヨハネは、永遠の世界を予見し、

不調和な音が1つもない全宇宙の賛美の歌を聞いている。

天地のすべての被造物が、神に栄光を帰していた

(黙示録 5:13 参照)。

その時には、永遠の刑罰を受けて苦しみながら

神を汚す失われた魂などいないのである。

地獄の哀れな魂の叫びが、

救われた者の歌に混じることなどないのである。

死後の状態

死者に意識があるという教理は、

霊魂不滅という根本的な誤りに基づくものである。

そしてこの教理は、永遠の責め苦という教えと同様、

聖書の教えに反するものであり、理性の命じるところにも、

人間の慈悲の心にも、相反するものである。

一般に信じられているところによれば、贖われて天にある者たちは、

地上で起きるすべてのことを、そして特に、

彼らがあとに残してきた友人たちの生活を、

よく知っているというのである。

しかし、死者が、生きている人々の悩みを知り、

自分の愛する者たちの罪を目撃し、彼らが人生のあらゆる悲哀、

失望、苦悩に耐えるのを見ることが、

どうして幸福の源となり得ようか。

地上の友人たちの上をさまよう者に、

天国の喜びがどれだけ味わえようか。

また、息が絶えるとすぐに、

悔い改めなかった者の魂は地獄の炎の中に投げ込まれるという考えは、

なんと嫌悪すべきものであろうか。

自分たちの友人が、不用意のまま墓にくだり、

永遠の苦悩に陥るのを見る人々は、

どんなに激しい苦しみを味わうことであろうか。

このような悲惨なことを考えて、気が狂ったものも多いのである。

 

こうしたことについて、聖書はなんと言っているであろうか。

ダビデは、人間が死んだならば、意識はないと言明している。

「その息が出ていけば彼は土に帰る。

その日には彼のもろもろの計画は滅びる」(詩篇146:4)。

ソロモンも同じ証言をしている。

「生きている者は死ぬべき事を知っている。

しかし死者は何事をも知らない。」

「その愛も、憎しみも、ねたみも、すでに消えうせて、

彼らはもはや日の下に行われるすべての事に、

永久にかかわることがない。」

「あなたの行く陰府(よみ)には、わざも、計略も、知識も、

知恵もないからである」(伝道の書 9:5、6、1 0 )。

 

ヒゼキヤの祈りに答えて、彼の生命が15年延ばされた時、

感謝にあふれた王は、

神の大いなる憐れみに対して賛美の言葉をささげた。

彼は、この歌の中で、彼の大きな喜びの理由を挙げている。

「陰府は、あなたに感謝することはできない。

死はあなたをさんびすることはできない。

墓にくだる者は、あなたのまことを望むことはできない。

ただ生ける者、生ける者のみ、きょう、わたしがするように、

あなたに感謝する」(イザヤ 38:18、19)。

一般にゆきわたっている神学は、死んだ義人は天国の喜びにあずかり、

朽ちることのない舌で神を賛美していると言うのである。

しかし、ヒゼキヤは死にあたって、

そのような輝かしい期待を持つことはできなかった。

彼の言葉と詩篇記者の証言は一致している。

「死においては、あなたを覚えるものはなく、陰府においては、

だれがあなたをほめたたえることができましょうか。」

「死んだ者も、音なき所に下る者も、主をほめたたえることはない」

(詩篇 6:5、115:17 )。

 

ペテロは、ペンテコステの日に、ダビデについて、

「彼は死んで葬られ、現にその墓が今日に至るまで、

わたしたちの間に残っている。」

「ダビデが天に上ったのではない」と言明した

(使徒行伝 2:29、3 4 )。

ダビデが復活の時まで墓の中にとどまっているという事実は、

義人は死んだ時に天に行くのではないということを証明している。

復活を経ることによってはじめて、

そしてキリストの復活の事実の功績によって、

ダビデは、ついに神の右に座すことができるのである。

 

パウロも言っている。「もし死人がよみがえらないなら、

キリストもよみがえらなかったであろう。

もしキリストがよみがえらなかったとすれば、

あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、

いまなお罪の中にいることになろう。

そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、

滅んでしまったのである」(Ⅰ コリント 15:16―1 8 )。

もしも、4000年にわたって、

義人が死ぬと直接天国に行っていたとするならば、パウロはどうして、

もし復活がないならば「キリストにあって眠った者たちは、

滅んでしまった」ということができたのであろうか。

もしも、義人が死ぬとすぐに天国に行ったのであれば、

復活は必要ないはずである。

復活信仰の重要性

殉教者ティンダルは、死者の状態について次のように言明した。

「わたしは、彼らがすでにキリストのような、

あるいは、神に選ばれた天使たちのような、

完全な栄光に入っているとは考えていないことを、

はっきり申し上げる。

わたしは信仰の上から、そうは思わないのである。

なぜならば、もしそうであるとすると、

肉体の復活を説くことはむだであるとしか思われないからである。」①

 

死ねば不死の祝福にあずかるという希望のために、

聖書の復活の教理が一般に軽視されるようになったということは、

否定できない事実である。

アダム・クラーク博士は、この傾向について、次のように言った。

「復活の教義は、現代よりは初期のキリスト者たちの間で、

はるかに重要視されていたように思われる。

これはどうしてであろうか。使徒たちは絶えずそれを力説し、

それによって、熱心、従順、快活であるようにと、

信者たちを激励していた。

それだのに、今日の彼らの後継者たちは、

そのことをほとんど言わない。

使徒たちが説教したことを信者たちは信じた。

われわれが説教することを、

われわれの聴衆は信じるのである。

福音の教義の中で、これほど強調されているものはない。

しかるに、現代の説教のやり方の中で、

これほど軽々しく扱われている教理は、ほかにないのである。」②

 

このような状態が続いて、ついに、復活の輝かしい真理は

ほとんど隠され、キリスト教世界から見失われてしまった。

こうして、ある指導的な宗教的著作家は、

Ⅰテサロニケ 4:13―18のパウロの言葉を注解して、

次のように言うのである。

「主の再臨という疑わしい教理の代わりに、

義人は祝福された不死が与えられるという教理が、

実際にわれわれに慰めを与える。

われわれが死ぬ時に主が来られるのである。

われわれはそれを待ち望み、見守っていなければならない。

死者は、すでに栄光に入っている。

彼らは、審判と祝福を受けるために

ラッパが鳴るのを待たないのである。」

 

しかし、イエスは、弟子たちのもとを去るにあたって、

彼らがすぐにご自分のところに来るであろうとは言われなかった。

「あなたがたのために、場所を用意しに行く。」

「そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、

あなたがたをわたしのところに迎えよう」と彼は言われた

(ヨハネ 14:2、3 )。

パウロはさらに次のように言っている。

「すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と

神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。

その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、

それから生き残っているわたしたちが、

彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、

こうして、いつも主と共にいるであろう。」

そして、彼は、「これらの言葉をもって互に慰め合いなさい」

とつけ加えている(Ⅰテサロニケ 4:16―1 8 )。

 

こうした慰めの言葉と、前に引用した普遍救済論者の牧師の言葉とは、

なんと大きな相違があることであろう。

後者は、死者がどんなに罪深くあっても、

地上で息を引き取った時天使たちの間に迎え入れられたと言って、

友を失って悲しむ人々を慰めた。

しかし、パウロは、兄弟たちに、来たるべき主の再臨を示し、

その時に、墓の束縛が解かれて、

「キリストにあって死んだ人々」が

永遠の生命によみがえると言っている。

審判はいつ行われるか

だれでも、祝福された者の住居に入り得る前に、調査され、

その品性と行為が、神の前で吟味されねばならない。

すべての者は、天の書物に記されたことに従ってさばかれ、

その行為に従って報いを受ける。

この審判は、死ぬ時に行われるのではない。

パウロの次の言葉に注意したい。

「神は、義をもってこの世界をさばくためにその日を定め、

お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。

すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、

その確証をすべての人に示されたのである」(使徒行伝 1 7 : 3 1 )。

使徒パウロは、ここで、ある一定の時―その当時にあっては、

まだ将来のことであったが―が、この世の審判の時として

定められていることを、はっきりと述べた。

 

ユダは、その同じ時のことについて、次のように言っている。

「主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、

そのおるべき所を捨て去った御使たちを、

大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、

暗やみの中に閉じ込めておかれた。」

そしてまた、彼はエノクの言葉を引用している。

「見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた。

それは、すべての者にさばきを行うためで」ある

(ユダ 6、14、15)。

また、ヨハネは言っている。

「死んでいた者が、・・・・御座の前に立っているのが見えた。

かずかずの書物が開かれた。・・・・死人は・・・・

この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた」

(黙示録 20:12 )。

 

しかし、もし死者がすでに天国の祝福にあずかっているのであれば、

あるいは地獄の炎に苦しめられているのであれば、

将来の審判は何のために必要なのであろうか。

これらの重大な点に関する神の言葉の教えは、

あいまいでもなければ矛盾してもいない。

それは普通の人の頭で理解できるのである。

率直な心の持ち主であれば、こうした一般の説に、

知恵と正当性を認めることができるであろうか。

義人は、長期間にわたって神のみ前に住みながら、

審判の時に調査を受けて、そのあとで、

「宜(よ)いかな、善かつ忠なる僕(しもべ)、・・・・

汝の主人の歓喜(よろこび)に入(い)れ」(文語訳)

と賞賛されるのであろうか。

悪人は、刑罰の場から引き出されて、全地の審判主から、

「のろわれた者どもよ、わたしを離れて、

悪魔とその使たちとのために用意されている

永遠の火にはいってしまえ」という宣告を受けるのであろうか

(マタイ25:21、41 )。

ああ、なんというあざけり、

神の知恵と正義に対するなんと恥ずべき非難であろう。

死は眠りである

霊魂不滅説は、ローマが異教から借りてきて、

キリスト教の中に織り込んだ偽りの教理の1つである。

マルチン・ルターは、これを

「ローマ法王の教書というはきだめの一部をなす、奇怪な作り話」

であると言っている。③

伝道の書の中にある「死者は何事をも知らない」という

ソロモンの言葉に注を加えて、

ルターはこう言っている。

「これは、死者には感覚がないというもう1つの証拠である。

義務もなければ、科学も、知識も、

知恵もないとソロモンは言っている。

死者は全く何も感じないで眠っていると、

ソロモンは判断している。

死者は、日も年も数えることなく横たわっている。

しかし目がさめる時には、

ほんの一瞬眠ったか眠らなかったか、

というほどにしか思わないであろう。」④

 

死ねば、義人は天に行き、

悪人は罰せられるというようなことは、

聖書のどこにも書いてない。

父祖たちや預言者たちは、そのような確証を残さなかった。

キリストと弟子たちは、そのような暗示は何も与えなかった。

死人は、すぐに天に行くものではないと、

聖書に明らかに教えられている。

彼らは復活まで眠っていると記されている

(Ⅰ テサロニケ4:14、ヨブ 14:10―12 参照)。

銀のひもが切れ、金の皿が砕ける時に、

人の思いはなくなるのである(伝道の書 12:6参照)。

 

墓に下る者は、何も言わない。

日の下に行われることは何事も知らない(ヨブ 14:21参照)。

疲れた義人たちにとって、それは幸福な休息である。

時は、長かろうと短かろうと、彼らにとってはほんの一瞬間にすぎない。

彼らは眠っているのである。

そして、神のラッパによって呼び起こされて、

輝く不死が与えられるのである。

「ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、・・・・

この朽ちるものが朽ちないものを着、

この死ぬものが死なないものを着るとき、

聖書に書いてある言葉が成就するのである。

『死は勝利にのまれてしまった』」(Ⅰ コリント 1 5 :52-55)。

深い眠りから目ざめた時に、彼らは、

考えることをやめたそのところから考え始める。

最後の感覚は死の苦痛であった。

最後の思いは、自分は死の力に屈するのだ、ということであった。

しかし、彼らが、墓から起きあがる時に、彼らの最初の喜ばしい思いは、

「死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。

死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」

という勝利の叫び声となってひびくのである(同 15:5 5 )。

 

第33章 注

1 William Tyndale, Preface to New Testament (ed. 1534). Reprint ed in "British

Reformers-Tindal, Firth, Barnes," p.349.

2 "Commentary" remarks on 1 Corinthians 15, par.3.

3 E. Petavel, "The Problem of Immortality," p.255.

4 Martin Luther "Exposition of Solomon's Books Called Ecclesiastes," p.152.

 

【 第34章 心霊術の正体 】

死者の霊とは何か

聖書に示されている聖天使たちの奉仕は、

キリストに従うすべての者にとって、

最も大きな慰めとなる貴重な真理である。

しかし、この点に関する聖書の教えは、

一般の神学の誤りによって不明瞭(ふめいりょう)にされ、

曲解されてきた。

最初は異教の哲学からの借り物で、

大背教の暗黒の間にキリスト教の信仰の中に混入した

霊魂不滅の教えが、聖書にはっきり教えられている

「死者は何事をも知らない」という真理に、取って代わった。

「仕える霊であって、救いを受け継ぐべき人々に奉仕するため、

つかわされた」のは、死んだ者の霊であると、

多くの人々は信じるようになった。

しかも、人間界に死が入る前から天使たちは存在し、

人間の歴史と関係があったという聖書のあかしがあるにもかかわらず、

人々はそう信じているのである。

 

死んでも人には意識があるという教え、特に、

死んだ者の霊が生きている者に仕えるためにもどってくるという

信仰は、近代心霊術(降神術)への道を備えた。

もし死んだ者が、神と聖天使たちとの前に出ることを許され、

また彼らが前に持っていたものよりはるかに優れた知識を持つ

特権が与えられるなら、

彼らは生きている者を啓発し教えるために、

地上に帰って来ないはずがないのではないか。

一般の神学者たちが教えるように、

もし死んだ者の霊が地上の友人たちの回りをさまよっているなら、

彼らはその友人たちと連絡を取り、悪事を戒め、

あるいは悲しみを慰めないはずがないのではないか。

死んでも人には意識があると信ずる者は、

栄化した霊によって伝えられる天来の光として

彼らに与えられるものを、どうして拒むことができようか。

ここに、神聖なものとみなされている経路(チャンネル)があって、

サタンはこの経路を通じて目的を達成するために働いているのである。

サタンの命令を行う堕落天使たちが、

霊界からの使者として現われる。

生きている者が死んだ者と連絡できるようにすると公言しながら、

悪の君は、生きている者の精神に

その魅惑的な感化力を働かすのである。

 

サタンは人々の前に、

彼らの死んだ友人たちの姿をあらわす力を持っている。

その偽者にせものは完全である。

見なれた表情や言葉や声の調子などが、

信じられないほどの正確さをもって再現される。

多くの者は、自分たちの愛する者が

天の無上の幸福を味わっていると信じて慰められる。

そして危険を少しも感じないで、

「惑わす霊と悪霊の教え」に耳を傾けるのである。

心霊術の正体

死んだ者が実際に自分たちと交わるためにもどって来ると

人々が信じるようになると、サタンは、

備えのないまま墓にくだった者たちを出現させる。

彼らは、自分たちは天では幸福であり、

高い地位さえ占めていると公言する。

そしてこのようにして、正しい者と悪い者との間に違いはない

という誤謬(ごびゅう)が広く教えられる。

霊界から来たと称する者たちは、時には注意や警告を語って、

それがそのとおりになることがある。

そこで信頼を得ると、

彼らは聖書の信仰を直接侵害するような教えを持ち出す。

地上にある友人たちの幸福に対する深い関心を装いながら、

彼らは最も危険な誤謬をそれとなくほのめかす。

彼らが幾つかの真理を語り、また時には未来のできごとを

預言することができるという事実から、

彼らの言葉には信ぴょう性があるように見える。

そして彼らの偽りの教えは、

あたかも聖書の最も神聖な真理であるかのように、

大衆によってたやすく承認され、盲目的に信じられる。

神の律法は退けられ、恵みのみ霊は軽べつされ、

契約の血は清くないものとみなされる。

霊たちはキリストの神性を否定し、

創造主さえ自分たちと同じ水準に置く。

このように新しい変装の下に、大反逆者サタンは、天において始まり、

地上において6000年近く続いている、

神に対する彼の戦いを、依然として続けるのである。

 

多くの者は、心霊現象を、

全く霊媒の欺きやからくりであると説明しようと努める。

しかし、ごまかしをほんものと信じさせた場合が

たびたびあったことは事実だが、

一方超自然的な力の著しい現われもまたあったのである。

近代心霊術はコツコツたたく不思議な音(ラッピング)から始まった

のであるが、その音は人間のごまかしや欺きによるのではなく、

悪天使たちの直接の働きであった。

彼らはこのようにして、

魂を滅ぼすのに最も効果的な惑わしの1つを持ち込んだのである。

多くの者は、心霊術は単なる人間のごまかしであるという

信念によってわなにかかる。

というのは、超自然的と思わないではいられないような

現象に直面した場合、彼らは欺かれ、

それを神の偉大な力として承認するようになってしまうからである。

 

こうした人たちは、サタンとその代理者たちとによって行われる

不思議なことについての、聖書のあかしを見落としているのである。

パロの魔術師たちが神のみ業のまねをすることができたのは、

サタンの助けによってであった。

パウロは、キリストの再臨の前には同じような

サタンの力の現れがあるであろうと証言している。

主の来臨に先だって、「あらゆる偽りの力と、

しるしと、不思議と、また、あらゆる不義の惑わし」を行う

「サタンの働き」がある(Ⅱテサロニケ 2:9、1 0 )。

また使徒ヨハネは、終わりの時代に現れる、

奇跡を行なう権力を描写して、「また、大いなるしるしを行って、

人々の前で火を天から地に降らせることさえした。

さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、

地に住む人々を惑わした」と述べている(黙示録 13:13、14)。

ここにされているのは単なる詐欺ではない。

サタンの代理者たちが人の目をごまかして

行うようなことによってではなく、

実際に彼らが行う力をもっているその奇跡によって、

人々は欺かれるのである。

欺瞞の張本人

長い間その熟達した能力を欺瞞の働きに注いできた暗黒の君は、

あらゆる階層あらゆる状況の人々に、彼の誘惑を巧妙に当てはめる。

彼は、教養のある上品な人々に向かっては、

心霊術をいっそう洗練された知的なものとして示す。

こうして彼は、多くの人々を自分のわなに引き込むことに成功する。

心霊術が与える知恵は、使徒ヤコブが

「上から下ってきたものではなくて、地につくもの、

肉に属するもの、悪魔的なもの」と述べたものである

(ヤコブ 3:1 5 )。

しかし大欺瞞者サタンは、

隠すことが最もよく

彼の目的にかなう時には、このことを隠すのである。

荒野の試みの時、キリストの前に天の使いの輝きを装って

現われることができたサタンは、

人々の前に光の天使として最も魅惑的な様子をもって来る。

彼は高尚なテーマを示すことによって理性に訴える。

また彼は、うっとりさせるような光景をもって

空想力を楽しませる。

また愛と慈悲とを雄弁に描いて愛情を呼び起こす。

彼は人々の空想を高く飛躍させ、

人々が自分たちの知恵に大きな誇りを持つように導き、

そしてついには心の中で永遠なるお方を軽べつするようにさせる。

世の救い主を非常に高い山に連れて行き、

そのお方の前に地上のすべての国々と

その栄華を示すことができたこの力ある者は、

神の力によって守られていないすべての者の感覚を

誤らせるような方法で、人々に誘惑を仕掛けるのである。

 

サタンは、エデンでエバを欺いたように、

へつらったり、禁じられた知識への欲望をかき立てたり、

自己を高める野心を起こさせたりして、

今も人々を欺くのである。

彼が堕落したのは、こうした悪を心に抱いたためであった。

そして、彼は、これらによって、人類を破滅させようとしている。

「あなたがた(は)・・・・神のように善悪を知る者となる」

と彼は言った(創世記 3:5 )。

心霊術は、「人間は進歩する生物である。

人間はその誕生の時から、永遠に向かい神に向かって

進歩するように運命づけられている」と教える。

また、「心を判断する者は、

各人の心それ自身であって、他の何者でもない。」

「その判断は正しい。なぜならば、それは自己の判断だからである。

・・・・王座は、あなたの内にある」とも言う。

ある心霊術の教師は、彼のうちに「霊的意識」が起きた時に、

「同胞よ、すべての者は、堕落しない半神半人であった」と言った。

また他の者は、

「正しく完全な人間は、だれでもキリストである」と言っている。

 

こうしてサタンは、

崇敬の真の対象である無限の神の義と完全、

また、人間の到達すべき真の標準である

神の律法の完全な義の代わりに、

罪深く誤りやすい人間自身を、崇敬の唯一の対象とし、

判断の唯一の規準、品性の標準とした。

これは、進歩ではなくて、退歩である。

 

ながめることによって変化するということは、

知的方面においても霊的方面においても1つの法則である。

心は、いつも考えていることに次第に順応するものである。

それは、日ごろから愛し尊敬しているものに、同化していくのである。

人は、自分が立てた純潔、善良、または真理の標準よりも

高きに達することは決してない。

もし自分が最高の理想であれば、

それ以上の高尚なものに到達することは決してできない。

いや、かえって常に下へ下へと落ちていくのである。

ただ神の恵みだけが、人間を高める力を持っている。

人間は、そのままにしておけば、必然的に堕落していくのである。

人間を破滅させるもの

心霊術は、放縦で快楽を愛好し、肉欲的な人々には、

教養があって知的な人々に対するほど巧妙に偽装しなくてもよい。

彼らは、その低劣な形態の中に、彼らの好みに合ったものを見つける。

サタンは、人間の性質のあらゆる弱さの徴候をよく調べ、

それぞれが犯しやすい罪に注目し、

悪の傾向を満足させる機会に欠げることのないように注意を払う。

サタンは人々を、それ自身は正当であるものに過度に陥らせ、

不節制によって、彼らの肉体的、精神的、道徳的能力を低下させる。

彼は、人々に情欲をほしいままにさせ、

こうして人間の性質全体を獣的なものにして、

これまでに幾千の人々を破滅させ、

また今も破滅に陥れつつあるのである。

そして彼は、彼の働きを完成させるために、霊たちを通して、

「真の知識は、人間をしてすべての律法を超越したものとする」、

「存在するものは、すべて正しい」、

「神は、罪に定めることはない」、

そして、

「犯した罪はすべて無罪である」、と言うのである。

このようにして、欲望が最高の律法であって、自由は放縦であり、

人間はただ自分に対する責任しかないと、

人々が考えるようになれば、

至るところに腐敗と堕落がはびこっても不思議ではないのである。

多くの者は、肉の心のおもむくままに自由な行動をすることを

許す教えを、熱心に受け入れるのである。

彼らは、肉の欲をほしいままにし、

心と魂の能力は、動物的な傾向に従属するものとなる。

そしてサタンは、キリストの弟子であると称する

幾千の人々を彼の網の中に捕えて勝ち誇るのである。

 

しかし、だれも心霊術の偽りの主張に欺かれる必要はない。

神は、わなを見つけることができるのに十分な光を、

世の人々に与えておられる。

すでに示したように、

心霊術のいちばん根底にある教えは、

聖書の最も明瞭な言葉に相反するものである。

聖書には、

死者は何事も知らない、

彼らの思いは滅びた、

彼らは日の下に行われるどんなことにもかかわりがない、

彼らは地上にいる愛する者たちの喜びや悲しみを知ることはないと、

はっきり述べられている。

 

さらに神は、いわゆる死者の霊との交通と称するものを、

すべてはっきりと禁じておられる。

ヘブル人の時代にも、今日の心霊術者と同様に、

死者と交通すると主張するある種の人々がいた。

しかし、他の世界から来たといわれている

「口よせの霊」が、聖書には「悪鬼の霊」と断言されている

(民数記 25:1―3、詩篇 106:28、Ⅰコリント 10:20、黙示録 16:14を比較せよ)。

口よせの霊を呼ぶことは神が忌みきらわれるものと明言され、

死の刑罰をもって厳しく禁じられていた

(レビ 19:31、20:27参照)。

口よせという名称そのものは、

今日では軽べつされている。

人が悪霊と交わることができるという主張は、

暗黒時代の作り話と考えられている。

しかし心霊術は、幾十万、いや幾百万の信者をもち、

科学者たちの仲間にも入り込み、

諸教会に侵入し、

議会の好意を得、王室にまでも侵入している。

この巨大な欺瞞は、

昔罪とされ、禁じられていた口よせが、

新しく変装して復活したものにすぎないのである。

悪霊の本性

もし心霊術の真の性質についてほかの証拠がないとしても、

霊というものが義と罪とを区別せず、

キリストの最も気高く純潔な使徒たちとサタンの最も堕落した

しもべたちとを区別することをしないということだけで、

キリスト者たちにとっては十分であろう。

どんな卑劣な人間であっても、

天にいて非常にあがめられているということを示して、

サタンは世の人々に向かって次のように言うのである。

「あなたがたがどんなに悪くても、かまわない。

神と聖書を信じようと信じまいと問題ではない。

あなたがたが好むように生活しなさい。天はあなたがたの家なのだ。」

心霊術者たちは、事実上次のように宣言しているのである。

「すべて悪を行うものは主の目に良く見え、かつ彼に喜ばれる。また、さばきを行う神はどこにあるか」(マラキ 2:2 7 )。

神のみ言葉には、「わざわいなるかな、彼らは悪を呼んで善といい、

善を呼んで悪といい、暗きを光とし、光を暗しとし」と言われている

(イザヤ 5: 2 0 )。

 

使徒たちの姿を装った偽りの霊は、使徒たちが地上にいる時

聖霊のさしずのままに書いたものと矛盾することを教える。

彼らは聖書が神から出たものであることを否定し、

こうしてキリスト者の望みの土台を破壊し、

天への道を照らす光を消し去る。

サタンは、聖書は単なる作り話であるとか、

少なくとも人類の初期にはふさわしい書であったが、

今日では軽く見過ごすか、

すたれたものとして捨ててしまってよい本だと、

世の人々に信じさせている。

そして彼は神のみ言葉の代わりに、心霊現象を持ち出す。

ここに完全にサタンの支配下にある経路がある。

そして彼はこの方法によって、

自分の思うままに世の人々に信じさせることができる。

サタンとその従者たちをさばく書を、

彼は自分の思いのままに陰に隠す。

彼は世の救い主を、ただの人間にしてしまう。

ちょうど、イエスの墓の番をしていたローマの番兵たちが、

イエスの復活を否認するよう祭司や長老たちから教え込まれて、

偽りの報告を言い広めたように、心霊術の信者たちは、

われわれの救い主イエスの生涯にはなんの奇跡もなかったかのように

見せかけようとする。

こうして、イエスを後方に押しのけて、

自分たち自身の奇跡に注意を引き、それがキリストの業よりも

はるかに優れていると宣言するのである。

心霊術の変貌(へんぼう)

心霊術はたしかに今ではその外形を変え、

不都合な点を隠して、

キリスト教の装いをとっている。

しかしその主張は、長年にわたって、

講壇や出版物を通して公表され、

その中に真の性質が表されてきた。

これらの教えは、否定することも隠すこともできない。

 

心霊術は現在の形においてさえ、

以前よりも容認すべき性質のものではないどころか、

実際にはもっと巧妙な欺瞞であるためにいっそう危険である。

それは以前にはキリストと聖書を非難していたが、

今はこの両者を受け入れると公言している。

しかし、生まれ変わっていない心を喜ばすような方法で

聖書が解釈され、他方、聖書の厳粛で重大な数々の真理が

力ないものとされている。

愛は神の第1のご性質としてくり返し説明されてはいるが、

善と悪をほとんど区別しない弱々しい感傷主義に堕している。

神の正義、罪に対する神の非難、

神の聖なる律法の諸要求は、

すべて無視されている。

人々は十戒は死文であると考えるように教えられる。

喜ばせ魅惑するような作り話が人々の感情をとらえ、

聖書を自分たちの信仰の基盤とするのを拒否させようとする。

以前と同じにキリストは実際には拒まれているのであるが、

サタンは人々を盲目にしてその惑わしが

見分けられないようにしているのである。

 

心霊術の欺瞞的な力と、その影響を受けることの危険性を、

正しく認めている者はほとんどいない。

多くの者は、単に好奇心を満足させるために心霊術に手を出す。

彼らはそれをほんとうに信じているのではない。

かえって霊の支配に服することを思うと恐怖で満たされる。

しかし彼らは、禁じられた地に危険を顧みないで入っていく。

そして強大な破壊者が、

彼らの意志に反して彼らの上にその力を働かすのである。

彼らが1度でもその心をサタンの命令に従わせる気になると、

サタンは彼らをとりこにする。

サタンの魅惑的な魔力を、

自分の力で断ち切ることは不可能である。

信仰の熱心な祈りに答えて与えられる神の力だけが、

これらの捕えられた魂を解放できるのである。

悪霊との戦い

罪深い性質をほしいままにしたり、

知っている罪を故意に抱いている者はみな、サタンの誘惑を招く。

彼らは自分を神から、また神のみ使いの守護から引き離している。

悪魔が彼らを惑わす時に、彼らは、守って

くれるものもなく、容易にそのえじきとなる。このようにしてサタンの

力に身をゆだねる者は、自分たちの道がどこで終わるかを悟らないので

ある。彼らを征服してしまうと、誘惑者サタンは、ほかの者を滅びにお

びきよせる手先として彼らを用いる。

 

預言者イザヤはこう言っている。「もし人なんじらにつげて巫女(みこ)および魔術者のさえずるがごとく細語(ささやく)がごとき者に

もとめよといわば、民はおのれの神にもとむべきにあらずや。

いかで活者(いけるもの)のために死者(しねるもの)にもとむることを

為(せ)んといえ。ただ律法(おきて)と証詞(あかし)とを求むべし、

彼らの言うところこの言(ことば)にかなわずば晨光(しののめ)あらじ」

(イザヤ 8:19、20・文語訳)。

もし人々が、人間の性質や死人の状態について

聖書の中に明らかに述べられている真理を喜んで受け入れていたら、

心霊術の主張や現象の中に、

力としるしと偽りの不思議とを伴ったサタンの働きを認めるであろう。

しかし多くの人々は、肉の思いに都合のよい自由を放棄したり、

愛好している罪を捨てたりするよりはむしろ、光に目を閉じ、

警告も顧みないで突き進んでいく。

するとサタンは、彼らの回りにわなを仕掛け、

彼らを捕えてしまうのである。

彼らが「自分らの救となるべき真理に対する

愛を受けいれなかった」から、

「そこで神は、彼らが偽りを信じるように、

迷わす力を送」られるのである(Ⅱテサロニケ 2:10、11 )。

 

心霊術の教えに反対する者は、

ただ人間だけではなくサタンと悪天使たちを攻撃しているのである。

彼らは、もろもろの支配と、

権威と、天上にいる悪の霊との戦いに入ったのである。

サタンは、天の使いの力によって撃退されないかぎり、

一歩も退却しようとはしない。

神の民は、救い主がなさったように、「・・・・と書いてある」

という言葉をもってサタンに対抗することができる。

サタンは今もキリストの時と同様に聖書を引用できるので、

自分の惑わしを支持するために、聖書の教えを悪用するであろう。

この危険な時に立とうとする者は、

聖書のあかしを自分で理解しなければならない。

全世界に臨む欺瞞

多くの者は、愛する肉親や友人の姿をして

もっとも危険な異端の説を唱える悪霊たちに直面するであろう。

これらの来訪者たちは、

われわれの最も感じやすい同情に訴え、

自分の主張を支持するために奇跡を行う。

われわれは、死んだ者は何事をも知らない、

このように現れる者は悪鬼の霊である、

という聖書の真理によって彼らに抵抗する用意がなければならない。

 

今われわれの前には、「地上に住む者たちをためすために、

全世界に臨もうとしている試練の時」がある(黙示録 3:1 0 )。

神のみ言葉の上に信仰を堅く打ち立てていない者はみな、

欺かれて敗北する。

サタンは人の子らを支配するために「あらゆる不義の惑わしを行い、」

彼の惑わしは絶えず増大する。

しかしサタンは、ただ人々がその誘惑に自分から負けるときだけ

その相手を獲得することができる。

真理の知識を熱心に求め、

服従によって魂を清めるために励み、

こうしてその戦いに備えて自分にできるところを行っている者は、

真理の神が確かな保護者であられることを見いだす。

「忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、

わたしも・・・・あなたを防ぎ守ろう」

と救い主は約束しておられる(同3:10 )。

主は、ご自分に頼る魂が1人でも

サタンに打ち負かされるままにしておくくらいなら、

ご自分の民を守るために

天からすべての天使を遣わしたいと思っておられる。

 

預言者イザヤは、神のさばきの時に自分は安全であると

考えさせるような恐ろしい惑わしが悪人たちに臨むことについて、

次のように描写している。

「われわれは死と契約をなし、陰府と協定を結んだ。

みなぎりあふれる災の過ぎる時にも、

それはわれわれに来ない。

われわれはうそを避け所となし、

偽りをもって身をかくしたからである」(イザヤ 28:1 5 )。

ここに描写されている種類の人々の中には、

かたくなな悔い改めない心を持ち、

罪人に刑罰はないと信じて自分を慰めている者たちが含まれている。

すなわち彼らは、人間はどんなに堕落しようと問題ではなく、

すべて天にあげられ、

神の使いのようになるのだと信じているのである。

特に、死と契約をなし、陰府と協定を結んだ者とは、

天が悩みの時に義人のために守りとして与えた真理を捨て、

サタンが代わりに提供した偽りの避け所、

すなわち心霊術の惑わしの主張を受け入れる者のことである。

現代人の盲目

現代人の盲目は、

言い表しようのないほど驚くべきものである。

幾千の人々が神のみ言葉を、信じる価値がないものとして拒み、

サタンの惑わしを非常な確信をもって受け入れる。

懐疑主義者や嘲笑家たちは、

預言者たちと使徒たちの信仰を強く主張する者の頑固さを攻撃する。

そして、キリストと救いの計画について、

また真理を拒む者の上に臨む刑罰について、

聖書に厳粛に宣言されていることを、公然と嘲笑して気をまぎらわす。

彼らは、神のご要求を認めてその律法の要求に従うような、

狭く弱く迷信的な精神を

大いにあわれんでいるかのような態度を取る。

彼らは実際、あたかも死と契約をなし、

陰府と協定を結んだかのように、

すなわち、あたかも自分たちと神の刑罰との間に、

通ることも突き抜けることもできない壁を

打ち立ててしまったかのように、大いなる確信を示す。

彼らの恐怖を引き起こすことができるものは何もない。

彼らは、完全に誘惑者に屈服し、

それと緊密に結合し、

その精神をすっかり吹き込まれているので、

誘惑者のわなを断ち切る力も気力もない。

 

サタンは世界を惑わす最後の努力をなすために、

長い間準備してきた。

彼の働きの基礎は、エデンにおいてエバに与えた

保証「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。

それを食べると、あなたがたの目が開け、

神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」

という言葉におかれている(創世記 3:4、5)。

サタンは、心霊術の発展の中に、

その惑わしの傑作のための道を少しずつ備えてきた。

彼はまだ自分の陰謀を完成してはいない。

 

それは最後の残りの時に達成されるのである。

預言者はこう言っている。

「また見ると、・・・・かえるのような3つの汚れた霊が出て来た。

これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、

全世界の王たちのところに行き、

彼らを召集したが、

それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった」

(黙示録 16:13、1 4 )。

み言葉を信じる信仰によって、

神の力に守られている者を除いて、

全世界は、この惑わしの隊列の中にまきこまれる。

人々は致命的な安心感へと急速に誘い込まれているので、

神の怒りが降下して初めて目をさますのである。

 

主なる神は言われる。

「『わたしは公平を、測りなわとし、正義を、下げ振りとする。

ひょうは偽りの避け所を滅ぼし、水は隠れ場を押し倒す。』

その時あなたが死とたてた契約は取り消され、

陰府と結んだ協定は行われない。

みなぎりあふれる災の過ぎるとき、

あなたがたはこれによって打ち倒される」

(イザヤ 28:17、18)。

【 第35章 良心の自由の危機 】

カトリックは変わったか

今日ローマ・カトリック教は、プロテスタントから、

過去の時代よりもはるかに好感をもってみられている。

カトリック主義が優勢ではなくて、カトリック教会が

勢力を得るために融和的な態度をとっている国々においては、

改革主義の教会を法王教から区別する教理に対して、

ますます関心が薄らいできている。

結局われわれは、主要な点では今まで考えられてきたほど

広く隔たってはいない、われわれの側のわずかな譲歩によって

ローマとのより良い理解がもたらされるであろう、

という意見が有力になってきている。

高い犠牲を払って贖った良心の自由に、

プロテスタントが高い価値を置いた時代があった。

彼らは子供たちに法王教をきらうように教え、

ローマと一致しようとすることは神に対して不忠実であると主張した。

しかし今日表明される意見は、

なんとはなはだしく異なっていることであろう。

 

法王教の擁護者たちは、この教会が中傷されてきたと言い、

プロテスタント側はこの主張を認める傾向がある。

多くの者は、無知と暗黒の時代に教会の統治の特徴であった

憎むべき行為や不合理をもって、

今日の教会をさばくのは正しくない、と主張する。

彼らは法王制の恐ろしい残酷な行為を、

野蛮な時代の結果であると弁解し、

近代文明の影響がこの教会の考えを変えたと弁護する。

 

これらの人々は、この高慢な権力によって800年の間

無謬(むびゅう)説が唱えられたことを忘れてしまったのであろうか。

この主張は捨てられるどころか、19世紀に入って、

以前にもまして積極的に主張されたのである。

ローマ教会は、

「教会はこれまで決して誤ったことはなかった、

また聖書によれば、これからも決して誤りを犯すことはないのである」

と主張しているのだから、

過去にそのやり方を支配していた主義を

どうして放棄することがあるだろうか。①

良心の自由とローマ・カトリック

カトリック教会は無謬の主張を決してやめないであろう。

この教会は、

その教義に反対する者を迫害するために行った

すべてのことを、正しいと主張する。

とすれば、機会があったら

同じ行為をくり返すのではなかろうか。

現在諸国家の政府によって課せられている

数々の拘束が取り除かれ、

ローマが以前の権力を取りもどす時、

たちまち圧制と迫害が復活するであろう。

 

ある有名な著述家は、

良心の自由に関する法王政治の態度について、

またその政策の成功が特にアメリカ合衆国を脅かす危険について、

次のように語っている。

 

 

「アメリカ合衆国におけるローマ・カトリック教を恐れることは、

頑迷(がんめい)である、

あるいは幼稚であると見なしがちな者が多い。

このような者は、ローマ・カトリックの性格と態度の中に

われわれの自由な制度に敵するものがあることを全然見ていないか、

それとも、この教会の発展の中に不吉なものを

なんら見いだしていないかである。

そこでまず、米国政府の基本的な原則のうちのいくつかを、

カトリック教会の原則と比較してみたい。

 

アメリカ合衆国の憲法は、良心の自由を保証している。

これ以上貴重で根本的なものはない。

法王ピオ9世は、1854年8月15日の回勅の中で

『良心の自由を擁護するという不合理で誤った教理

あるいはたわごとは、

きわめて有害な誤謬、すなわち、

国家にとってほかの何よりも恐れねばならない病毒である』と言った。

同じ法王は、1864年12月8日の回勅の中で、

『良心の自由と、宗教上の礼拝の自由を主張する者』また

『教会は暴力を用いてはならないと

主張するすべての者』をのろった。

 

米国におけるローマの穏やかな態度は、

心の変化を意味するのではない。

この教会は自分が無力であるところでは寛大である。

オコンナー司教は、『カトリックの世界に危険を及ぼすことなく

反対政策を実施できるようになるまで、

信教の自由をがまんしているにすぎない』と言っている。・・・・

セントルイスの大司教は、かつて次のように語った。

『異端や不信仰は犯罪である。だから、たとえばイタリアや

スペインのように、すべての人がカトリック教徒であって、

カトリック教がその国の法律の不可欠な一部となっている

キリスト教国においては、

こうしたことは他の犯罪と同様に処罰される』。

 

カトリック教会のすべての枢機卿、

大司教、司教が、法王に対して、

忠誠の宣誓を行うが、その中に次のような言葉がある。

『われわれの上記の主(法王)、

またはその後継者に対する異端者、

分離者、反逆者たちは、私が全力をあげて迫害し阻止する。』」②

法王制の本質

ローマ・カトリック教会の中に

真のキリスト者たちがいることは事実である。

この教会の幾千の者は、

自分たちに与えられている最善の光に従って神に仕えている。

彼らは、神の言葉を手に入れることが許されていない。

だから彼らは、真理に気がつかないのである。

彼らは、生きた、心からの奉仕と、

単なる形式や儀式のくり返しとの間の、

著しい相違に気づいたことがなかった。

うわべだけの、満たされない信仰の中で教育されたこれらの人々を、

神はやさしい憐れみをもってごらんになる。

神は、彼らをとりまいている濃い暗黒に光が射し込むようにされる。

神がイエスのうちにある真理を彼らに示されるので、

やがて多くの者が神の民とともに立つのである。

 

しかし1つの制度としてのローマ・カトリックは、

この教会の歴史上のどの時代においてもそうであったように、

今日でもキリストの福音と調和するものではない。

プロテスタント教会は大いなる暗黒の中にある。

そうでなければ、彼らは時のしるしを見分けるはずである。

ローマ教会の計画や運営方式には遠大なものがある。

この教会は、再び世界を支配するために、

また迫害を復活させるために、

またプロテスタントが行ったすべてのことを無効にするために、

激しい決定的な戦いの準備として、

その感化力を広げ、その勢力を強めようと、

あらゆる手段を用いている。

カトリック教は至るところに地歩を占めつつある。

プロテスタント諸国において、

カトリックの教会や礼拝堂が数をましているのを見られよ。

米国において、カトリック教の大学や神学校が人気を集め、

プロテスタントに広く後援されているのを見られよ。

英国における儀式主義の発展や、カトリック教会へ入るために

新教から脱落する者が多いことを見られよ。

こうした事柄は、福音の純粋な原則を尊ぶすべての者が憂慮しな

ければならないことである。

 

プロテスタントは法王制によけいな手出しをし、

後援してきた。

彼らは、法王教徒自身が見て驚き、

理解しかねるような妥協と譲歩をしてきた。

人々は法王制の真の性格、

またこの教会が

支配権を得た時心配される危険に対して目を閉じている。

政治的また宗教的自由に対するこの最も危険な

敵の進出に反対するように、人々は目覚める必要がある。

カトリックの欺瞞的魅力

多くのプロテスタントは、カトリックの宗教は魅力がなく、

その礼拝は退屈で、

無意味な儀式のくり返しであると思っている。

この点彼らはまちがっている。

ローマ・カトリック教は、偽りに基づいているとはいえ、

粗野で見苦しい欺瞞ではない。

カトリック教会の礼拝は、きわめて印象的な儀式である。

その豪華で荘厳な儀式は、人々の感覚を魅了し、

理性と良心の声を沈黙させるのである。

目は魅せられる。

壮麗な教会堂、堂々たる行列、金色の祭壇、

宝石をちりばめた聖遺物の箱、えりぬきの絵画、

そして、精巧な彫刻などが、美を愛する心を魅了する。

耳もまた恍惚とさせられる。

その音楽は絶妙無比である。

オルガンの豊かな音色が、

聖歌隊の多くの歌声と相和して、

大聖堂の高い円天井と円柱の立ち並ぶ通廊に響き渡り、

人々の心に畏敬と尊崇の念を起こさずにはいないのである。

 

こうした外見上の壮麗さと虚飾と儀式は、

罪に悩む魂の渇望を満たすように見せかけるものにすぎず、

内面の腐敗を示すものである。

キリストの宗教は、人々の受けをよくするための

そういった呼びものを必要としない。

真のキリスト教は、十字架から輝く光に照らされて、

実に純潔で美しく見えるので、

その真価を高めるためのなんの外面的装飾も必要ではないのである。

神が価値を認められるのは、聖潔の美であり、

柔和でおだやかな精神の美である。

 

すぐれた文体は、必ずしも純粋で高尚な思想を示すものではない。

芸術上の高尚な観念、微妙に洗練された趣味は、

現世的で肉欲的な心の中にもよくある。

これらはしばしばサタンに用いられて、

人々に、魂の必要を忘れさせ、

将来と永遠の生命を見失わせ、

無限の援助者であられる神から離れさせ、

現世のためだけに生きるようにさせるのである。

 

形式的な宗教は、生まれ変わらない心にとって魅力がある。

カトリック教会の礼拝の虚飾や儀式は、

魅惑的な力を持っており、

それによって多くの者が欺かれる。

そして彼らはローマ教会を

ほんとうの天の門と見るようになる。

その足を真理の土台の上に堅く置いて、

その心を神のみ霊によって新たにする者でなければ、

法王制の影響に耐えることはできない。

キリストについての経験的知識を持っていない幾千の者は、

力のない形だけの敬虔さを受け入れるようになる。

そのような宗教こそ大衆が望むところのものなのである。

「神の代理者」

カトリック教会は罪を許す権威があると主張しているために、

信者たちは罪を犯してもかまわないと思うようになる。

また、それなしには教会の許しは与えられないという告解の儀式は、

悪を承認するのにも役立っている。

堕落した人間の前にひざまずき、

心の中の隠れた思想や思いを打ち明けて告白する者は、

自分の人格を汚し、

その魂のあらゆる気高い性質を堕落させているのである。

人間は、自分の生活の罪を司祭―誤りがあり、罪深く、

死すべき者で、しばしば酒と放蕩(ほうとう)のために腐敗した人間―に

告白することによって、品性の標準は低下し、

彼はそのために汚されるのである。

神に関する彼の観念は、堕落した人間の姿に下落する。

なぜなら、司祭が神の代理として立つからである。

人間が人間に行なうこの下劣な告白は、

世界を汚して最後の破滅に陥れている

罪悪の多くが流れ出た秘密の泉である。

しかし、放縦を愛する者にとっては、心を神に開くよりは、

同じ人間に告白するほうが好ましいのである。

人間の性質として、罪を捨てるよりは苦行をするほうが、

好みに合うのである。

肉の欲を十字架につけるよりは、

麻布といらくさと皮膚をすりむく鎖によって肉体を苦しめるほうが、

やさしいのである。肉の心は、キリストのくびきに服すよりはむしろ、

重いくびきであっても自分から進んで負おうとするのである。

 

ローマ教会とキリスト初臨当時のユダヤ教会の間には、

著しい類似点がある。

ユダヤ人は、神の律法のすべての戒めを

ひそかに踏みにじっていながら、

外面的にはその戒めを厳格に守り、それに苛酷な要求と言い伝えを

付け加えて、服従することを苦痛とし重苦しいものとしていた。

ユダヤ人たちが律法をあがめると公言したように、

カトリック教徒も、十字架をあがめると主張している。

彼らは、キリストの苦悩の象徴を高める一方において、

それが表わしているところの主を、

その生活において拒否しているのである。

 

カトリック教徒は、その教会、祭壇、衣服に十字架をつける。

至るところに、十字架のしるしが見られる。

至るところで、それは、外面的に崇敬され、高められている。

しかし、キリストの教えは、多くの無意味な伝説、

偽りの解釈、厳格な規則の下に埋もれている。

頑迷なユダヤ人に関する救い主の言葉は、

ローマ・カトリック教会の指導者たちに、

いっそう大きな迫力をもって当てはまる。

「また、重い荷物をくくって人々の肩にのせるが、それを動かすために、

自分では指1本も貸そうとはしない」(マタイ 23:4 )。

良心的な人々が、怒った神の復讐に絶えずおののいているにも

かかわらず、教会の高位にある者たちの多くは、

ぜいたくな暮らしをして、享楽をほしいままにしているのである。

 

聖画像や聖遺物の崇敬、聖徒たちへの祈り、また法王崇拝は、

人々の心を神と神のみ子から引き離すサタンの策略である。

サタンは、人々を滅ぼしてしまうために、

救いを見いだすことのできる唯一のお方から彼らの関心を

そらそうと努めている。

彼は、「すべて重荷を負うて苦労している者は、

わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」

と言われたお方に代わることができる何かの対象物に、

人々を向かわせるのである(マタイ 11:28 )。

迫害の歴史

サタンは、神のご品性、罪の性質、

また大争闘において問題となっている真の論争点について、

誤解させようとたえず努力している。

サタンの詭弁によって神の律法に対する義務は弱められ、

人々は罪を犯すことをなんとも思わなくなる。

同時にサタンは、人々が愛をもって神を見るより、

恐れと憎しみをもって見るようにと、

神に関して誤った考えを抱かせようとする。

サタンは自分自身の固有の品性である残酷さを創造主におしつける。

それは宗教組織に織り込まれ、礼拝の様式の中に表現されている。

このようにして人々の心の目はとざされ、

サタンは、神と戦うために彼らを自分の手先として獲得する。

神の属性についての誤った考え方によって、

異教の国民は、神の恩恵を得るためには

人間の犠牲が必要であると信じるようになった。

そしてさまざまな形の偶像礼拝のもとに、

恐るべき残酷な行為が行われてきた。

 

ローマ・カトリック教会は、異教とキリスト教との形式を

結合したものであり、異教と同じに神のご品性をまちがって伝え、

異教におとらないほど残酷でいまわしい慣習を用いてきた。

ローマ法王の至上権時代には、

教会の教理に対する同意を強制するために拷問の道具があった。

教会の主張に譲歩しない者のためには火刑柱があった。

審判においてはっきりさせられるまでは

決してわからないほどの規模の虐殺があった。

教会の高僧たちは、彼らの主人であるサタンの下で、

その犠牲者に死を与えることなく最大の苦痛を与える方法を

発明しようと苦心した。

多くの場合、恐ろしい拷問は、

人間の耐久力の限界までくり返された。

そして犠牲者は力がつき果てて、

死を快い解放として喜んで迎えるのであった。

 

これがローマ教会の反対者たちの運命であった。

また教会の信者に対しては、

考えられるかぎりのあらゆる悲痛な形において、

むち打ちや飢餓や身体の苦行などによる訓練をした。

ざんげ者は、天の神の恩恵を得るために

自然の法則を犯すことによって、

神の律法を犯していた。

彼らは、神が人間の地上の生涯を祝福し喜ばせるために

作られたきずなを、断ち切るように教えられた。

自然な愛情を抑圧し、同胞に対するあらゆる同情の思いと心情を、

神に敵するものとしておさえつけようとむなしい努力をして

一生を送った無数の犠牲者が、墓地に横たわっている。

 

神のことを聞いたことのない人々の間でではなく、

キリスト教世界の中心とその全域において、

幾百年の長きにわたってあらわされたサタンの

徹底的残酷さを知ろうと思えば、

ローマ・カトリック教会の歴史を見さえすればよいのである。

この巨大な欺瞞の組織を通して、悪の君サタンは、

神の栄えを汚し、人間を悲惨に陥れる彼の計画を成し遂げる。

そして、サタンが姿を変えて、

教会の指導者たちによって自分の目的を達成するのを見るときに、

われわれは、彼がなぜ聖書を非常にきらうかという理由を、

よく理解できるのである。

もし聖書を読むならば、神の慈悲と愛とがよく理解される。

神はこのような重荷を何1つ人間に負わせられないことがわかる。

神がお求めになるものは、砕けた悔いた心、

へりくだって服従する精神だけである。

キリストなしのキリスト教

キリストは、天にふさわしくなるために男も女も

修道院の中に閉じ込もるというような手本は、

ご自分の一生をとおして1つもお与えになってはいない。

キリストは、愛と同情が抑制されなければならないとは

決してお教えにならなかった。救い主の心は愛にあふれていた。

人は道徳的完全さに近づくにつれて、その感覚は鋭くなり、

罪をいっそう鋭く感ずるようになり、

苦しむ者に対する同情がますます深くなる。

法王はキリストの代理者であると主張しているが、

彼の品性はわれらの救い主のご品性と

どのようにくらべることができるであろうか。

天の王としての尊敬を自分に示さないからといって、

キリストが人々を牢獄や拷問台に渡された

ということがあっただろうか。

ご自分を受け入れない者を死に定めるみ声が聞かれただろうか。

主がサマリヤの村で人々に侮辱を受けられた時、

使徒ヨハネは怒りに満たされて、

「主よ、いかがでしょう。

彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」

とたずねた。

イエスはこの弟子を憐れみをもってごらんになり、

「人の子は、人の命を滅ぼすために来たのでなく、

救うために来たのだ」

と言われて、彼の粗暴な精神を戒められた

(ルカ 9:54、56英語訳参照)。

キリストによってあらわされた精神と、

その自称代理者の精神との間には、

なんという違いがあることだろう。

 

現在ローマ教会は、その恐ろしい残虐行為の記録を弁解しながら隠し、

世界にもっともらしい顔を見せている。

この教会はキリストのような衣を装っている。

しかし教会は変わっていない。

過去に存在した法王制のあらゆる原則は、

今日も保持されている。

最も暗い時代に案出された数々の教理は、

今もなお支持されている。

だれも欺かれてはならない。

今日プロテスタントが尊敬しようとしている法王制は、

宗教改革の時代に世界を支配していたのと同じものである。

その時神の民は、自分の生命の危険をおかして、

この教会の悪を暴露するために立ち上がったのであった。

教会は、かつて王たちや諸侯たちの上に君臨し、

神の大権を主張した時と同じ誇りと尊大不遜な心を持っている。

今日もこの教会の精神は、かつて人間の自由を押しつぶし、

いと高き者の聖徒たちを殺した時と同じに残酷であり、

専横である。

 

法王制はまさしく、

預言の中でこのようになると言われているとおりのもの、

すなわち終末時代の背教である(Ⅱテサロニケ 2:3、4参照)。

自分の目的を達成するのに最も都合のよい性格を身に装うことが、

この教会の方針の1つである。

しかしカメレオンのように変わりやすい外見の下に、

この教会はへびのような不変の毒を隠している。

「異端者もしくは異端の嫌疑ある者との誓約は守ってはならない」

と教会は明言している。③

1000年にわたるその記録が、

聖徒の血によって書かれているこの権力が、

今日キリストの教会の一部として承認されてよいであろうか。

プロテスタントの変質

カトリック教は以前ほど

プロテスタントと広く隔たってはいないという主張が、

プロテスタントの諸国において唱えられてきたことには、

理由がないではない。そこには変化があったのである。

しかしその変化は、法王制の中にあったのではない。

なるほどカトリック教は、

今日存在しているプロテスタントによく類似している。

それはプロテスタントが、宗教改革者の時代以後、

ひどく堕落してしまったからである。

 

プロテスタント諸教会は世の関心を求めたために、

誤った愛がその目を見えなくした。

彼らはどんな悪の中にも善いものがあると信ずることは

正しいことである、と思い込んでいる。

だからその必然的な結果として、ついにはすべての善いものの中に

悪なるものを信ずるようになるのである。

かつて聖徒たちに伝えられた信仰を守って立とうとしないで、彼らは

今や、いわばローマに対して無情な意見を抱いていたことを陳謝し、

自分たちがかたくなであったことに対して許しを求めているのである。

 

大多数の者は、法王制に対して好意をもっていない人たちでさえ、

この教会の権力と影響からくる危険をほとんど理解していない。

多くの者は、中世をおおっていた知的道徳的暗黒は、

法王制の教義、

迷信、圧制を広げるのに役立ったが、

現代のすぐれた知性や、

知識の普及、また宗教問題に関する自由の増大は、

不寛容や専制政治の復興を押しとどめている、と主張する。

この文明の時代に

そのような事態が存在するというような考え方は、

嘲笑される。

知的、道徳的、宗教的な大きな光がこの時代に

輝いているということは事実である。

神の聖なるみ言葉が開かれて、天よりの光が世界を照らしてきた。

しかし、いっそう大きな光が与えられれば与えられるほど、

それを曲解し、拒む者の暗黒はますますひどくなるということを

忘れてはならない。

 

祈りをもって聖書を研究する時、

プロテスタントは法王制の本性を知り、

法王制を嫌悪しそれを避けるようになる。

しかし多くの者は、自分では賢いと思っているために、

真理に導かれるために謙遜に神を求めることの必要を感じていない。

彼らは自分たちの進歩を誇っているが、

聖書も神の力も知らない。

彼らは自分たちの良心を沈黙させる何かの手段が

どうしてもほしいので、最も霊的ではないもの、

最も自尊心を傷つけないものを求める。

彼らが願うものは、神を覚える方法として通用して、

その実は神を忘れる方法である。

法王制はこれらすべての欲求によくかなっている。

それはほとんど全世界を包含する

二種類の人々―自分の功績によって救われようとする者と、

罪の中にあって救われようとする者―のために用意されている。

ここにその権力の秘けつがある。

 

知的大暗黒の時代は法王制の成功に

都合がよかったように見られてきた。

しかし大いなる知的進歩の時代もその成功にとって

同じく都合がよいことが、実際に示されるであろう。

神のみ言葉もなく、真理の知識もなかった過去の時代には、

人々の目は欺かれ、幾千の者は、

自分たちの足もとに張られた網が見えないでわなに捕えられた。

今の時代には、「偽りの知識」である人間的思索のはなやかな光に

目をくらまされている人が多い。

彼らは網に気づかず、目隠しされたようにたやすく

それに入り込んでしまう。

神は、人間の知的能力がその造り主からの賜物とみなされ、

真理と義の奉仕に用いられるよう計画なさった。

しかし、人々が高慢と野望を抱き、

神のみ言葉よりも自分自身の説を高める時、

知識は無知よりも

大きな害を与え得るのである。

こうして、聖書の信仰の基礎を覆す現代の偽りの知識は、

知識の抑圧が暗黒時代に法王制拡大強化の道を開くのに

成功したように、

人々の喜ぶ形式をもった法王制が受け入れられる

道を備えることに成功するのである。

 

アメリカにおける宗教界の傾向

教会の制度と慣習に対して国家の支持を得るために

目下米国で進行している運動において、

プロテスタントはカトリック教徒の例にならっている。

いやそればかりか、

彼らは法王制が旧世界において失った至上権を、

プロテスタント・アメリカにおいて再び得るための

戸を開いているのである。

そしてこの運動にもっと重大な意義を与えるものは、

そこに企図されている主要な目的が日曜日遵守

―ローマ法王制に始まり、

この教会がその権威のしるしとして主張する慣習―

の強制であるという事実である。

プロテスタント諸教会にゆきわたり、

法王制がかつて行った日曜日尊重の働きと同じことをするよう

プロテスタント教会を導いているものは、

法王制の精神、

すなわち、世俗的習慣への一致の精神、

神の戒めよりも人間の言い伝えを尊重する精神である。

 

もし読者が、まもなく起ころうとしている戦いにおいて用いられる

手段を理解したければ、

過去の時代に同じ目的のためにローマが用いた

手段の記録をたどるだけでよい。

法王制とプロテスタントが合同して、

彼らの教義を拒む者をどのように扱うかを知りたいならば、

ローマが安息日とその擁護者たちに対して表した

精神を見ればよい。

 

世俗の権力に支持された勅令、宗教会議、教会礼典などによって、

異教の祭日がキリスト教界に高い地位を獲得していった。

日曜日遵守を強いる最初の法令は、

コンスタンティヌスによって制定された法律であった

(紀元321年・付録参照)。

この法令は、町の住民には「この尊ぶべき太陽の日」

に休むことを要求したが、

農民には農業に従事することを許した。

実質的には異教の法令であったけれども、それは皇帝がキリス

ト教を名目上受け入れた後、皇帝によって施行されたのである。

 

勅令は神の権威に十分に代わり得るものとならなかったので、

王侯の寵遇を求めた司教で、

コンスタンティヌスの特別な友人であり、追従者であったエウセビウスは、

キリストが安息日を日曜日に移されたという主張を持ち出した。

この新しい教理を証明するのに、

聖書のあかしは1つも示されなかった。

エウセビウス自身も無意識のうちにその誤りを認め、

この変更の真の創始者を指摘している。

「安息日になすべき義務はどんなことでもすべて、

われわれが主の日に移した」と彼は言っている。④

しかし、根拠がないにもかかわらず、

日曜日についての議論は、

人々に主の安息日を大胆にふみにじらせた。

世の尊敬を受けたいと願う者はすべて、

この俗受けのする祭日を受け入れた。

日曜休業令とその影響

法王制が確立されるにつれて、日曜日尊重の運動が続けられた。

一時は、人々は教会に出席しない時には畑仕事に従事し、

第7日は依然として安息日とみなされていた。

しかし、変更は着々と成し遂げられた。

聖職にある者は、日曜日には

どんな民事紛争の判決をすることも禁じられた。

その後まもなく、

どんな階級の者でも、すべての人は、

自由人は罰金、奴隷はむち打ちの刑罰をもって、

通常の労働をやめさせられた。

後に、金持ちはその財産の半分の没収をもって

罰せられることが命令された。

そしてついには、なお強情ならば、

彼らを奴隷にするという法令がでた。

下層階級の人々は、一生の間追放の刑罰を受けるのであった。

 

奇跡も利用された。

いろいろの不思議な話の1つとして、

ある農夫が日曜日に畑を耕そうとして、

鉄片ですきをみがいていたら、

その鉄片が彼の手にしっかりとくっついたので、

2年の間彼は「ひどい痛みと恥」をこらえて、

それを身につけていたということが伝えられた。⑤

 

のちに法王は、教区司祭に、

日曜日を犯す者たちを訓戒し、

彼らが自分自身や隣人の上に

大きな災害を招くことがないように教会へ行って

祈りをささげるよう勧めることを命じた。

教会会議は、日曜日に働いていた者たちが雷に打たれたから、

この日は安息日に違いない、という論法を持ち出した。

これは、その後も広く用いられ、

新教徒さえ採用したものである。

高位聖職者たちは、

「この日を彼らがなおざりにすることを、

神がどんなに嫌悪されるか明らかである」と言った。

さらに、司祭や聖職者たち、王侯や貴族たち、

そしてすべての忠実な人々は、「この日の栄誉を回復し、

キリスト教のために、今後ますます熱心に遵守するよう、

彼らの全力をあげて、努力し配慮すること」

が要請された。⑥

 

会議の決議に基づく布告では不十分なことがわかると、

教会は、人心に恐怖を与えて日曜日に労働をやめるように

強制する法令を発布するよう、

政府当局に懇請した。

ローマで開かれた宗教会議においては、

従来のすべての決定について、

さらに大きな強制力と厳格さが再確認された。

それらはまた教会法の中に加えられ、

ほとんど全キリスト教国にわたって

政府当局によって施行された。⑦

 

偽造文書による権威づけ

日曜日遵守に関して聖書上の権威がないことはなお、

少なからぬ困惑を引き起こした。

人々は、太陽の日をあがめるために

「7日目はあなたの神、主の安息である」という

神の明白な宣言を退ける自分たちの教師の権威に、

疑問を抱いた。

聖書の証言がないのを補うために、

ほかの工夫が必要となった。

12世紀の終わりごろ英国の教会を訪れた

ある熱心な日曜日擁護者は、

真理の忠実な証人たちの抵抗を受けた。

そしてその働きはほとんど効果がなかったので、

彼はしばらくその国を離れ、

自分の教えを強要するなんらかの手段を考案した。

彼がもどってきた時、その欠陥は補われ、

その後の働きに大きな成功をおさめた。

彼は、神ご自身からのものであると称する1巻の巻き物を持ってきた。

それには日曜日遵守に必要な命令が書かれていて、

それに服従しない者を恐れさせるような

恐ろしい脅しが付け加えられていた。

この貴重な文書―それが支持する制度と同様悪質な偽物―は、

天から降下したもので、

エルサレムのゴルゴタの聖シメオン寺院の祭壇の上で

発見されたものであると言われた。

しかし実際は、ローマにある法王の宮殿が、それを生んだ出所である。

教会の勢力と繁栄を進展させるための詐欺や偽造行為は、

どの時代においても、

法王制によって合法とみなされてきたのである。

 

この巻き物は、

土曜日の午後3時から月曜日の日の出まで、労働を禁じていた。

そして、その権威は、多くの奇跡によって確証されたと言われていた。

定められた時間が過ぎても働いていた人は、

体がまひしたと言い伝えられた。

粉屋が穀物をひこうとしたところ、粉の代わりに血が吹き出し、

水は勢いよく流れているにもかかわらず、

水車は動かないのであった。

また、生パンをオーブンに入れた婦人は、

オーブンは非常に熱かったにもかかわらず、

それを出してみたら生であった。

また、別の婦人は、生パンを焼くために3時に用意したが、

それを月曜日までとっておくことにしたところ、

次の日、それが神の力によって、

パンの形にこねられ焼かれているのを見つけた。

土曜日の午後3時以後にパンを焼いた人は、

翌朝パンをさいたところ、そこから血が流れ出た。

このような途方もない迷信的な作りごとによって、

日曜日の擁護者たちは、

その神聖さを確立しようとしたのであった。⑧

 

英国におけると同様に、スコットランドにおいても、

昔からの安息日の一部を日曜日と結合することによって、

日曜日をもっと尊ぶことを確立した。

しかし、聖く守るべき時間は、いろいろと異なっていた。

スコットランド王の勅令は、

「土曜日は、正午から神聖なものとする」ことを宣言し、

その時間から月曜日の朝までは、

だれも世俗の仕事に従事してはならなかった。⑨

 

しかし、日曜日の神聖を確立するために

あらゆる努力をしているにもかかわらず、カトリックの聖職者たちは、

安息日の神聖な権威と、それに取って代わった制度が

人間から出たものであることとを、公然と認めた。

16世紀に、法王庁会議は次のように明白に宣言した。

「すべてのキリスト者は、第7日が神によって聖別され、

ユダヤ人のみならず、神を礼拝するように見せかける

すべての者によって受け入れられ、守られてきたことを

覚えねばならない。しかし、われわれキリスト者は、

彼らの安息日を主の日に変えたのである。」⑩

神の律法に不正な変更を加えていた者たちは、

自分たちの行為の性質を知らなかったのではなかった。

彼らは故意に自らを神の上に置いたのである。

暗黒時代の歴史

自分たちと一致しないものに対する

ローマ教会の方針についての著しい例は、

そのある者たちが安息日遵守者であった

ワルド派(ワルデンセス)への長期間にわたる

残忍な迫害の中にみられた。

ほかにも第4条の戒めに対する忠誠のゆえに、

同様な方法で苦しみを受けた者たちがあった。

エチオピアとアビシニアの教会の歴史は特に意義がある。

暗黒時代の暗やみの中で、中央アフリカのキリスト者たちは

世界から見落とされ忘れられて、

幾世紀にもわたって自分たちの信仰を実践する自由を享受した。

しかし、ついにローマ教会が彼らの存在を知り、

まもなくアビシニアの皇帝はだまされて法王を

キリストの代理者として承認した。

続いてその他の譲歩が行われた。

最もきびしい刑罰の下に、

安息日の遵守を禁ずる法令が発布された。⑪

しかし、まもなく法王の暴政は非常に耐えがたいくびきとなったので、

アビシニア人は自分たちの首からそれを断ち切る決心をした。

恐ろしい戦いの後、

ローマ教徒たちは国外に追放され、

昔からの信仰が回復された。

教会は自分たちの自由を喜んだ。

そしてローマの惑わしと狂信と専制権力に関して

学んだ教訓を決して忘れなかった。

彼らはその孤立した地域で、

他のキリスト教国に知られないでいることに満足していた。

 

アフリカの教会は、カトリック教会が

完全に背信する前に守っていたように、安息日を守っていた。

彼らは、神の戒めに従って7日目を守っていたが、

教会の習慣に従って、日曜日に仕事をすることを避けていた。

ローマは、至上権を獲得するに及んで、

神の安息日をふみにじって教会自身の日を高めた。

しかし、アフリカの諸教会は、

1000年近くの間隠されていて、

この背信に加わらなかった。

ローマの権力下に陥ってからは、彼らは、

真の安息日を捨てて偽りの安息日を高めるよう強制された。

しかし彼らは、独立を回復するや否や、

第4条の戒めの服従に立ちかえった(付録参照)。

 

過去のこうした記録は、

真の安息日とその擁護者たちに対するローマ教会の敵意と、

この教会が作りあげた制度に尊敬を払わせるために

教会が用いた数々の手段を、はっきりあらわしている。

神のみ言葉には、ローマ・カトリックとプロテスタントが

日曜日を高めるために協力する時、

これらの光景がくり返されるということが教えられている。

「死ぬほどの傷」がなおる

黙示録 1 3: の預言には、

小羊のような角をもつ獣によって象徴された権力が、

「地と地に住む人々」に、法王権―そこでは「ひょうに似て」いる

獣によって象徴されている―を礼拝させるということが、

はっきり述べられている。

2つの角を持つその獣は、また

「獣の像を造ることを、地に住む人々に」語る。

さらにそれは、「小さき者にも、大いなる者にも、

富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも」

すべての人々に、獣のしるしを受けるように命じる

(黙示録 1 3 : 1 1 -1 6 )。

米国が小羊のような角をもつ獣によって象徴された権力であることと、

ローマ教会が自分の至上権を特に承認するものであると主張する

日曜日遵守を米国が強制する時に、

この預言が成就するということとは、すでに明らかにされた。

しかし、法王制に忠順の意を表わすのは米国だけではない。

かつてローマ教会の支配を承認した国々における

ローマ教会の影響力は、なお破壊されずに強く残っている。

そして預言にはその権力の回復が予告されている。

「その頭の1つが、死ぬほどの傷を受けたが、

その致命的な傷もなおってしまった。

そこで全地の人々は驚きおそれて、その獣に従」った(同 13: 3 )。

死ぬほどの傷を受けたとは、1798年の法王権の失墜をさしている。

この後、「その致命的な傷もなおってしまった。

そこで、全地の人々は驚きおそれて、その獣に従」ったと預言者は言う。

パウロは「不法の者」が再臨の時まで存続するということを

はっきり述べている(Ⅱ テサロニケ 2:3- 8 参照)。

時の終わりに至るまで、彼はその惑わしの働きを続けるのである。

また黙示録記者は法王権に関して、

「地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名・・・・をしるされていない者はみな、

この獣を拝むであろう」と述べている(黙示録 13:8 )。

旧大陸においても新大陸においても、

ローマ教会の権威だけに基づいている日曜日制度を

あがめることによって、

人々は法王制に忠順の意を表明するのである。

 

19世紀の半ば以来、米国の預言研究者たちは、

このあかしを世に発表してきた。

今日起こっている数々のできごとの中に、

その預言の成就に向かっての急速な進展が見られる。

神からの命令に代えてそこを補うために奇跡を捏造した

法王教の指導者たちと同じに、

プロテスタントの教師たちも、

日曜日遵守には神の権威があると主張するが、

やはり同じように、

聖書上の証拠に欠けている。

日曜安息日の違反に対して人々に神のさばきが臨むという

主張がくり返されるであろう。

すでにそうした主張が始まっている。

そして日曜日遵守を強制する運動は確実に勢力を得てきている。

 

ローマ教会の将来

ローマ教会の抜け目なさと狡猾さには驚くべきものがある。

この教会は、何が起こるかを読みとることができる。

法王教は、プロテスタント教会が偽りの安息日を承認して

忠順を表わしていることや、過去に法王教自身が用いたのと

同じ手段で、プロテスタント教会がそれを強制する準備を

していることを見て、時機を待っている。

真理の光を拒む者たちが、ローマ教会が起こした

1つの制度をあがめるために、この無謬を自称する

権力の助けを求める時が来るであろう。

ローマ教会がこの働きにおいて、

すぐプロテスタント教会に助けの手をさしのべるであろうことは、

想像にかたくない。

教会に服従しない者をどう取り扱うべきかを、

法王教の指導者たち以上によく知っている者はいないであろう。

 

ローマ・カトリック教会は全世界にわたって根を張り、

法王庁の支配下にあってその利害に役立つよう計画されている

一大組織を形成している。

全世界のあらゆる国において、聖餐にあずかる幾千万の者たちは、

法王に対する忠誠を堅く保つように教えられている。

国籍や政府がどうであろうと、

彼らは教会の権威をほかのいっさいのものの上にあるものと

みなさなければならない。

彼らは国家に忠誠を誓うかもしれないが、

その背後には、ローマに対する服従の誓約があって、

教会の利益に反する場合には、

国家に対するどんな誓いも破ってもよいことになっている。

 

歴史は、教会がたくみに根気よく国事に入り込む努力を続け、

1度足場を得てしまうと、王侯や人民を破滅させてでも

教会自身の目的を進めることを証明している。

1204年に、法王インノセント3世は、

アラゴン王ペドロ2世にむりやり次のような異常な誓約を強制した。

「わたくしアラゴン王ペドロは、

わが主なる法王インノセント及びその正統なる後継者並びに

ローマ教会に対して、絶えず忠実かつ従順であること、

また、カトリックの信仰を擁護し、

異端に堕落した者を迫害して、

法王に対するわが国の服従を保つことを、

ここに明言し、約束する。」⑫

このことは、「法王が皇帝を廃することは合法である」、

「法王は不正な統治者の臣下には、その王に対する

忠誠を免ずることができる」、

という法王権に関する主張と一致している。⑬

(付録をも参照)

さし迫った危険

また、ローマ教会は決して変わらないということが

この教会の自慢の種であることを忘れてはならない。

グレゴリー7世やインノセント3世の主義は、

今なおローマ・カトリック教の主義である。

そして教会がもしひとたび権力を持つならば、

過去の場合と同じ勢力をもって、その主義を行動に移すであろう。

プロテスタントが日曜日をあがめる運動において、

ローマ教会の助けを受け入れようと企てる時、

彼らは自分たちのしていることがわからないのである。

 

プロテスタントが自分たちの目的の達成に夢中になっている間に、

ローマ教会は、その権力を再び確立して、

失われた至上権を回復することをねらっているのである。

教会が国家の権力を用いたり、支配したりす

るような、また宗教上の制度が

国家の法律によって強制されるような、

すなわち、教会と国家の権威が良心を支配するような、

そのような原則が米国にひとたび確立されるならば、

この国におけるローマ教会の勝利は確実なものとなる。

 

神のみ言葉はこのさし迫った危険について警告を与えてきた。

これが顧みられないならば、プロテスタントの世界は、

ローマ教会の目的が実際に何であったかを知った時には、

もはや手遅れになってそのわなを逃れることができないであろう。

ローマ教会は黙々としてその勢力をのばしつつある。

その教えは議会に、

教会に、また人々の心に影響を及ぼしている。

法王制は堂々たる大建造物を築き上げているが、

その奥まった部屋では昔の迫害がくり返されるであろう。

自分が手を下す時が来たら自分自身の目的を押し進めるために、

教会は、ひそかに、

そしてあやしまれないように、

勢力をのばしつつある。

この教会が何よりも望むものは、有利な立場である。

そしてこれはすでに教会に与えられつつある。

われわれはローマ教会の真の目的が何であるかをまもなく見、

かつ感じるであろう。

神のみ言葉を信じ、それに従う者はだれでも、

そのことによって非難と迫害を受けるであろう。

 

 

第35章 注

1 John L. von Mosheim, "Institutes of Ecclesiastical History," book 3, century 11,

part 2, chapter 2, section 9, note 17.

2 Josiah Strong, "Our Country," ch. 5, pars. 2-4.

3 Lenfant, vol. 1, p.516.

4 Robert Cox, "Sabbath Laws and Sabbath Duties," p.538.

5 Francis West "Historical and Practical Discourse on the Lord's Day," p.174.

6 Thomas Morer, "Discourse in Six Dialogues on the Name, Notion, and

Observation of the Lord's Day," p.271.

7 Heylyn "History of the Sabbath" pt.2, ch. 5, sec. 7 を参照。

8 Roger de Hoveden, "Annals," vol.2, pp.528-530 を参照。

9 Morer, pp.290, 291.

1 0 lbid., pp.281, 282.

11 Michael Geddes "Church History of Ethiopia" pp.311, 312 を参照。

12 John Dowling, "The History of Romanism," b.5, ch.6, sec.55.

1 3 Mosheim, b.3, cent.11, pt.2, ch.2, sec.9, note17.

 

【 第36章 差し迫った戦い 】

サタンの目的は何か

天における大争闘のその最初から、

神の律法を覆すことがサタンの目的であった。

彼が創造主に対する反逆を始めたのは、

この目的を達成するためであった。

そしてサタンは、天から追放されたけれども、

この地上で同じ戦いを続けてきた。

人を欺き、それによって神の律法を犯すようにさせることこそ、

サタンが着々と追い求めてきた目的である。

このことは、律法全体を廃することによって成し遂げられても、

あるいはまた、戒めの1つを拒むことによって成し遂げられても、

最終的な結果は同じである。「その1つの点」でも犯す者は、

律法全体に対する軽べつをあらわすのであり、

その影響と手本は罪に味方するものであって、

「全体を犯したことになる」のである(ヤコブ 2: 1 0 )。

 

神の戒めを軽べつするために、

サタンは聖書の教えを曲解し、

そうすることによって、

聖書を信ずると告白する幾千もの

人たちの信仰に誤謬を混ぜてきた。

真理と誤謬の最後の大争闘は、長い間続いてきた神の律

法に関する論争の最後の戦いにほかならない。

われわれは今や、この戦い、すなわち、人のおきてと主の戒めとの間の、

また、聖書の宗教と作り話や言い伝えの宗教との間の、

戦いに入っているのである。

 

この戦いにおいて真理と正義に対抗して結束する勢力が、

今活発に働いている。

苦難と血の大きな犠牲を払ってわれわれに

伝えられてきた聖なる神のみ言葉は、ほとんど尊重されていない。

聖書はどんな人の手にも入るが、

それを真に人生の道しるべとして受け入れる人は少ない。

不信仰は単に世の中ばかりでなく、

教会内にも驚くほど広くゆきわたっている。

多くの人は、キリスト教信仰の支柱そのものになっている教理を

否定するようにさえなっている。

 

霊感を受けた記者たちによって書かれている、創造の偉大な事実、

人類の堕落、贖い、神の律法の永遠性などの大真理が、

自称キリスト教界の大部分の人たちによって、

全体的に、あるいは部分的に受け入れられなくなっている。

知恵と自主性を誇る幾千もの人々が、

聖書に絶対的信頼を置くことを弱さの証拠と考え、

聖書の揚げ足を取ったり、最も重要な真理を抽象化したり

言い抜けたりすることを、

優れた才能や学識の証拠だと思っている。

神の律法が変更されたとか廃されたとかいうことを、

信者たちに教えている牧師や、

学生たちに教えている教授、教師が多い。

そして、律法の要求がなお有効であり、

字義通りに従わなければならないものであるとみなす人々は、

嘲笑と侮べつにしか値しないと思われている。

 

人々は真理を否定することによって、

その著者であられる神を否定している。

彼らは神の律法を踏みつけることによって、

律法の制定者であられる神の権威を否定している。

偽りの教理や理論という偶像を刻むことは、

木や石の偶像を刻むのと同じに容易である。

サタンは、神の属性を誤り伝えることによって、

人々に神についての誤った品性を想像させるのである。

多くの人々にとって、主の代わりに哲学的偶像が王位を占めている。

一方、み言葉の中に、キリストの中に、そして創造のみ業の中に

啓示されている生ける神を礼拝する人は、少数にすぎない。

幾千もの人々は、自然を神格化していながら、

自然の神を否定している。

形こそ違うが、偶像崇拝は、今日のキリスト教界にも、

古代イスラエルのエリヤの時代にあったのと同じように存在している。

自ら賢人と称する多くの人々、

哲学者、詩人、政治家、ジャーナリストたちの神、

洗練された上流社会、多くの大学、

はては幾つかの神学校などの神も、

フェニキヤの太陽神バアルとほとんど変わるところがない。

統治に不可欠なもの

キリスト教界で受け入れられている誤謬ほど、

天の神の権威に大胆に打撃を与えるものはなく、

また、神の律法はもはや人間を拘束しないという、

急速に力を増しつつある近代的教理ほど、

理性の命令に真っ向から反しており、結果の有害なものはない。

どの国もみな法律があって、

これを尊重しこれに服従することが要求される。

法律がなければ政府は存在することができない。

天地の創造主に、自ら造られた

被造物を治める律法がないなどということが、想像できるであろうか。

国を統治し、市民の権利を擁護する法律に、従う義務がないとか、

法律は人民の自由を制限するからそれに従う必要はないなどと、

かりに著名な牧師たちが、公然と教えるとしたらどうだろう。

このような人たちはいつまで講壇に立つことを許されるだろうか。

しかし州や国家の法律を無視することは、

あらゆる政府の基礎であるこれらの

聖なる戒めをふみにじるよりも重い罪科であろうか。

 

国々がその法律を廃し、

人民の好きかってにさせるということはあり得ないが、

まして、宇宙の支配者なる神が、

その戒めを無効にし、

不義な者を罪に定め従う者を義とする規準なしに

この世を放置されるなどということは、考えられもしないことである。

神の律法を無にした結果を知りたいだろうか。

その実験は試みられた。

フランスにおいて、無神論が支配的な勢力となった時に

演じられた光景は、恐るべきものであった。

神が課せられた拘束を投げ捨てることは、

最も残酷な暴君サタンの支配を受け入れることであるということが、

そのとき世界に証明された。

義の標準が廃される時に、

悪の君がこの地上に権力を打ち立てる道が開かれる。

 

神の戒めが拒絶されるところではどこでも、

罪がもはやいまわしく思えなくなり、

義は慕わしいものではなくなる。

神の統治に服従することを拒む者は、

自らを治めるのに全く不適当な者となる。

彼らの有害な教えを通して、不従順の精神が、

もともと支配されることを喜ばない子供や

青年たちの心に植え付けられ、

無法で放縦な社会が生じる。

多くの人々は、神のご要求に従う人たちの信心深さを嘲笑しながら、

サタンの惑わしを熱心に受け入れる。

彼らは欲情をほしいままにし、

かつて異教徒たちの上にさばきを招いた罪にふける。

無法がもたらすもの

人々に神の戒めを軽んじるように教えるものは、

不従順の種をまき、不従順を刈り入れる。

神の律法によって課せられている

拘束を全部取り去るならば、

人間の法律もまもなく無視されるであろう。

神は不正な慣習、貪欲、虚偽、

詐取を禁じておられるので、

人々は自分たちが世俗的に繁栄する道の障害として、

神の戒めをやすやすとふみにじる。

しかし、これらの戒めを追い払った結果は、

彼らの予期しなかったものとなるであろう。

もし法律に拘束されないならば、

違反を恐れる必要があろうか。

財産はもはや安全ではなくなる。

人々は力ずくで隣人の持ち物を手に入れ、

最も強い者が最も富める者になる。

生命そのものが尊重されなくなる。

結婚の誓約は、もはや家族を守る

神聖なとりでとしての用をなさなくなる。

力を持っている者が、もし望むなら、

隣人の妻を腕ずくで取るようになる。

第5条は第4条とともに廃される。

子供たちは、親の生命を取ることで

自分の堕落した心の願いを達成できるならば、

そうすることを恐れなくなる。

文明社会は強奪者、暗殺者の大群と化し、

平和、休息、幸福は地上から消滅してしまう。

 

人間は神のご要求に従うことから解放されているという教えが、

すでに道徳的義務の力を弱め、

世に不法の水門を開いてしまった。

無法、放蕩、堕落が、押し寄せる潮のように、

われわれの上に流れ込んできている。

家庭においてもサタンは働いている。

サタンの旗は、

キリスト者と称する家庭にもひるがえっている。

ねたみ、中傷、偽善、不和、競争、争い、

聖なる信頼に対する裏切り、肉欲の放縦がある。

社会生活の土台であり

骨組みである宗教的原則と教理の全体系が、

ひとかたまりとなってよろめき、

今にも崩壊しそうに見える。

凶悪きわまる犯罪者が、投獄されたような場合でも、

何かうらやまれるほどの手柄を立てたかのように、

贈り物を受けたり注目を集めたりすることがしばしばある。

彼らの性格と犯罪行為が、大々的に宣伝される。

新聞は悪徳の詳細を報道し、

こうして他の人々に、

詐欺や強奪や殺人を行うことを教え込む。

 

そしてサタンは、

自分の邪悪な計略が成功したことに狂喜するのである。

悪徳の蔓延、理由のない残忍な殺傷、あらゆる種類あらゆる程度の

不節制と不正行為の恐るべき増加を見る時、

神をおそれる者たちはみな目覚めて、この悪の潮流をとどめるには

どうしたらよいかを考えてみなければならない。

 

裁判所は腐敗している。

支配者たちは利益と享楽を求めて行動している。

不節制によって多くの人の能力がくもらされ、

そのためサタンは彼らをほとんど完全に支配している。

法曹(ほうそう)界は堕落し、

買収され、だまされている。

飲酒、歓楽、欲情、ねたみ、あらゆる種類の不正が、

為政者たちの中に現われている。

「公平はうしろに退けられ、正義ははるかに立つ」

(イザヤ 59:1 4 )。

堕落の原因

ローマの主権下にゆきわたった不法と霊的暗黒は、

教会が聖書を抑圧したための避けられぬ結果であった。

しかし、宗教自由の時代において福音のあかあかとした光のもとで、

不信仰が広がり、神の律法が退けられ、その結果堕落が生じた原因は、

どこに見いだされるであろうか。

サタンは、もはや聖書を遠ざけておくことによって

世界を支配することができなくなったので、

同じ目的を達成するために違った手段に訴えている。

聖書に対する信仰を破壊することは、

聖書そのものを破壊するのと同様に彼の目的に役立つのである。

神の律法はもはや拘束力がないという信仰を

導入することによって、

彼は、ちょうど戒めに全く無知である場合と

同じほど効果的に人々を導いて罪を犯させるのである。

そしてサタンは現在も、昔の時代と同様に、

教会を通して自分の計画を進めようと働いている。

今日の宗教団体は、

聖書の中に明白に示されている俗受

けのしない真理に耳を傾けようとしない。

そしてその真理と対抗するために、

懐疑論の種を広くまくことになった解釈と

立場を採用した。

 

 

彼らは、人間は本来不死であって死後も意識があるという

カトリック教の誤謬に固執して、

心霊術の惑わしに対する唯一の防備を拒んできた。

永遠に苦しめられるという教えは、多くの人々に、

聖書に対する信仰を失わせた。

そしてまた、第4条の要求が人々に示される時、

第7日安息日の遵守が命じられていることがわかる。

すると一般の多くの教師たちは、

あまり守りたくない義務から逃れる唯一の道として、

神の律法はもはや拘束力を持っていないと宣言する。

このようにして彼らは、律法も安息日もともに捨て去るのである。

安息日の改革の運動が広がるにつれて、

第4条の要求を無効にするため神の律法を退けることが、

ほとんど世界的になる。

宗教界の指導者たちの教えは、

不信仰への道、心霊術への道、

そして神の律法に対する軽べつへの道を開いてきた。

だから、今日のキリスト教界に存在する不法の恐るべき責任は、

これらの指導者たちにあるのである。

二大誤謬と三重の結合

ところがこの階層の人たちは、急速に広がっている堕落は、

主としていわゆる「キリスト教的安息日」を汚すことに

その原因があるのだから、

日曜日遵守を強制することが社会道徳を

大いに向上させるであろうと主張する。

この主張が特に強調されるのは、真の安息日の教理が

最も広く宣べ伝えられてきたアメリカにおいてである。

アメリカにおいては、最も目だった重要な道徳的改革の1つである

禁酒禁煙運動が、しばしば日曜日遵守運動と結びつけられる。

日曜日遵守運動の主張者たちは、自分たちは社会の最高の利益を

促進するためにほねおっていると称し、彼らとの協力を拒む者は、

禁酒禁煙運動と改革の敵であると非難される。

しかし、誤謬を助長する運動が、

それ自体は善である働きと結合しているからといって、

その誤謬を支持してよいということにはならない。

われわれは、

健全な食物にまぜることによって毒を隠すことはできても、

それが毒であることには変わりないのである。

それどころか、毒と気づかれないために、

それだけいっそう危険なものとなる。

 

虚偽を、それをもっともらしく見えるようにさせるに

足るだけの真理と結合させることが、サタンの策略の1つである。

日曜日遵守運動の指導者たちは、

人々が必要としている改革を提唱し、

聖書と調和している諸原則を提唱するかもしれない。

しかし、その中に、神の律法に矛盾する要求が含まれているかぎり、

主のしもべたちは彼らと手をつなぐことはできない。

彼らが神の戒めを捨てて人間の戒めを置いたことは、

どんな理由によっても正当化できないのである。

 

サタンは、霊魂不滅と日曜日の神聖化という

2つの重大な誤りを通して、人々を彼の欺瞞のもとに引き入れる。

前者は心霊術の基礎を置き、

後者はローマとの親交のきずなを作り出す。

合衆国の新教徒は、率先して、

心霊術と手を結ぶために淵を越えて手を差しのべる。

彼らはまた、ローマの権力と握手するために

深淵を越えて手を差し出す。

この三重の結合による勢力下に、

アメリカはローマの例にならって良心の権利をふみにじるのである。

 

心霊術が現代の名ばかりのキリスト教をますますそっくり

まねるようになるにつれて、

それは人々をだまし、わなにかけるのに、

いっそう大きな力を持つようになる。

サタン自身も、近代的な形態に応じて姿を変える。

彼は光の天使を装って現われる。

心霊術を通して奇跡が行なわれ、病人はいやされ、

否定することのできない多くの不思議なことが行われる。

そして悪霊が聖書に対する信仰を告白し、

教会の諸制度に敬意をあらわすので、

そうした霊の働きは神の力の現れとして受け入れられる。

 

現在は自称キリスト者と

不敬虔な人たちとの間の区別がほとんどわからない。

教会員は世の人々が愛するものを愛し、

すぐに彼らといっしょになるので、

サタンはこの人たちを一体として結合させ、

すべての人を心霊術の味方に引き入れることによって、

自分の立場を強化しようと決意している。

カトリック教徒は、奇跡を真の教会の1つの確証として

誇っているので、不思議なことを行うこの力に容易にだまされる。

また新教徒も、真理のたてを投げ捨ててしまったので、

同じように惑わされるであろう。

旧教徒、新教徒、それに世俗の人たちもみな同じように、

力のない形だけの敬虔を受け入れるであろう。

そして彼らはこの合同の中に、全世界を改心させるための一大運動と、

長く待ち望んでいた福千年期の先触れを認めるのである。

破滅への道

サタンは心霊術を通して人々の病気をいやし、

もっと高尚な新しい信仰を提供すると称して、

人類の恩人のように見せかける。

だが同時に彼は破壊者として働く。

彼の誘惑は多くの人々を破滅に導く。不節制が理

性を王座から追い出し、

肉欲の放縦、争い、流血が続く。

サタンは戦争を喜ぶ。

なぜなら戦争は、魂の最悪の激情をかきたて、

悪と流血に染まった犠牲者たちを永遠に葬り去ってしまうからである。

国々が互いに戦争を起こすように煽動するのがサタンの目的である。

なぜなら、そうすることによって人々の心を、

神の日に立つ備えの働きからそらすことができるからである。

 

サタンはまた、備えのできていない魂を自分の収穫として

取り入れるために、自然力を通しても働く。

彼は自然の実験室の秘密を研究してきたので、

神が許される範囲内で自然を支配するため全力を用いる。

彼がヨブを試みることを許された時、どんなに速やかに、

家畜の群れやしもべたちや家や子供たちが取り去られ、

またたく間に事件があいついで起こったことだろう。

被造物を保護し、破壊者の力から守られるのは神である。

しかし、キリスト教界が主の律法をないがしろにしてきたため、

主は、なすと仰せになったことをそのとおりなさるであろう。

すなわち、主は地上から祝福を取り去り、

神の律法に反逆している者たち、

また人にそうするように教えたり強制したりしている者たちから、

保護のみ手を取り除かれるであろう。

サタンは、神が特に保護されないすべての者に対する

支配力を持っている。

彼は、自分のたくらみを押し進めるために、

ある者たちには恩恵と繁栄を与える。

そして、他の者たちには災いをもたらして、

人々に、彼らを悩ませているのは神だと信じさせようとする。

 

サタンは人々に対し、

あらゆる病気をいやすことのできる偉大な医師のように

みせかけながら、他方では病気や災害を生じさせ、

ついには人口の多い都市が破滅して荒廃する。

彼は今も活動している。

 

海や陸における事故や災害、大火災、激しい突風、

すさまじい降雹(ひょう)、あらし、

洪水、たつまき、津波、地震など、

あらゆる場所に幾多の形でサタンは力をふるっている。

彼は取り入れまぎわの収穫を全滅させ、

ききんと困窮を引き起こす。

彼は空気を恐るべき病毒で汚染させ、

幾千人もの人が悪疫で死ぬ。

これらのできごとはますますひんぱんになり、

悲惨なものになる。

破滅は人間にも、動物にもおよぶ。

「地は悲しみ、衰え、・・・・

天も地と共にしおれはてる。

地はその住む民の下に汚された。

これは彼らが律法にそむき、定めを犯し、

とこしえの契約を破ったからだ」(イザヤ 24:4 、5 )。

忠実な者が非難される

しかもこの大欺瞞者サタンは、

神に仕える者たちがこれらの災害を引き起こしているのだと、

人々に説く。

天の神の不興を引き起こしてきた人たちは、

すべての災いを、神の戒めに服従することによって絶えず

違反者たちへの譴責となっている人たちのせいにする。

日曜安息日を犯すことは神を怒らせることであり、

この罪が災害をもたらすのであって、

それは日曜日遵守がきびしく実施されねばやまない、と宣言される。

また、第4条の要求を主張して日曜日尊重を傷つける者は

民を悩ます者であって、

神の恩寵とこの世における繁栄とを妨げている、と宣言される。

このようにして、昔神のしもべに向けられた非難が、

同じようにもっともらしい理由のもとにくり返される。

「アハブはエリヤを見たとき、彼に言った、

『イスラエルを悩ます者よ、あなたはここにいるのですか。』

彼は答えた、『わたしがイスラエルを悩ますのではありません。

あなたと、あなたの父の家が悩ましたのです。

あなたがたが主の命令を捨て、バアルに従ったためです』」

(列王紀上 18:17、18)。

民衆の怒りは偽りの非難によってかきたてられるので、

彼らは神の使者たちに対して、

背信のイスラエルがエリヤに対してとったのと

同じような態度をとるであろう。

 

心霊術を通して現される奇跡の力は、

人間に従うよりは神に従うことを選ぶ人たちに不利な影響を与える。

いろいろな霊からの伝達は、

神は日曜日を拒絶する者たちに

そのまちがいを悟らせるために

自分たちを送られたのだと宣言し、

国家の法律は神の律法と同様に

遵守しなければならないと断言する。

霊たちはまた、世の中が非常に悪くなったことを嘆き、

道徳的に堕落している状態は日曜日の冒涜に原因があるという

宗教家たちの証言を支持する。

彼らのあかしを信じようとしないすべての者に対して、

ますます激しい怒りが引き起こされる。

 

サタンが神の民との最後の大争闘に用いる手段は、

天において大争闘を開始した時に用いたものと同じである。

彼は神の統治の安定を推進しようとしているのだと公言しながら、

一方においては

これを転覆するためにひそかにあらゆる努力を傾けた。

そして自分が達成しようとこのように努力している働きを、

忠実な天使たちのせいにした。

同じような欺瞞の手段が、

ローマ教会の歴史の特徴であった。

天の神の代理者として行動していると公言しながら、

自らを神の上に置き、

神の律法を変えようと望んだ。

ローマの支配下にあって、

福音に対して忠誠であったために死刑にされた人たちは、

悪を行う者と宣言され、

サタンの味方とののしられた。

そして彼らに非難を浴びせ、

人々にも彼ら自身にも最悪の犯罪人と思わせるために、

あらゆる手段がとられた。今も同じである。

サタンは、神の戒めを守る者たちを滅ぼそうとする一方では、

この人たちが律法の違反者として、

また神を汚し世にさばきを招く者として非難されるように計る。

教会と国家の一致

神は決して意志や良心を強制されない。

しかし、他の方法で誘惑できない者を

自分の自由にしようとするサタンの常套手段は、

残酷な強制である。

サタンは、脅迫と強制によって良心を支配し、

自分に服従させようと努める。

それを実現するためには、宗教と政治の当局を通じて働き、

神の律法に反抗して人間の法律を強制するよう働きかける。

 

聖書の安息日をあがめる者は、法と秩序の敵であり、

社会の道徳的抑制を破り、無政府と堕落とを引き起こし、

神のさばきを地上に招く者であるといって攻撃される。

彼らの良心的な信念は、

強情、頑迷、権威に対する侮べつであると宣告される。

彼らは政府に対して忠誠を尽くさないといって告発される。

神の律法への義務を否定する牧師たちは、

国家の権威に服従する義務は神によって定められたものであると

講壇から主張する。

立法府や裁判所においては、

神の戒めを守る者たちについて虚偽の訴えがなされ、

有罪の宣告がくだされる。

彼らの言葉は誤って解釈され、

彼らの動機は最も悪質なものに作りあげられる。

 

プロテスタントの諸教会が、

神の律法を擁護している明白な聖書の論拠を退ける時、

彼らは、聖書によっては覆すことのできないような

信仰を持った人々を、沈黙させたいと望むであろう。

彼らは目をおおって事実を見ようとしないが、

実は、彼らはほとんどのキリスト教界が行っていること

つまり法王教の安息日の要求を認めることを、良心的に拒否する

人々を、迫害するようになる道を選びつつあるのである。

 

教会と国家の高官たちは、すべての階級の人々に日曜日を

尊重させるために、結束して買収や説得や強制を行うであろう。

神の権威の欠如は、圧制的な法令によって補われる。

政治的腐敗は、正義を愛し真理を尊ぶ思いを破壊しつつある。

そして自由の国アメリカにおいてさえ、

為政者や議員たちは民衆の歓心を買うために、

日曜日遵守を強制する法律を求める大衆の要求に屈服する。

非常に大きな犠牲を払って得られた良心の自由は、

もはや尊重されなくなる。

まもなく起ころうとしている争闘において、

われわれは預言者の言葉の成就を見るのである。

「龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、

すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている

者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った」

(黙示録 12:1 7 )。

 

 

【 第37章 ただ1つの防壁―聖書 】

聖書に対するサタンの攻撃

「ただ律法(おきて)と証詞(あかし)とを求むべし、

彼らの言うところこの言(ことば)にかなわずば晨光(しののめ)あらじ」

(イザヤ 8:20・文語訳)。

神の民には、偽りの教師の感化と暗黒の霊の欺瞞的な力に対する

防壁として、聖書がさし示されている。

サタンは、人が聖書の知識を得るのを妨げるためには

あらゆる手段を用いる。

なぜなら聖書の明白な言葉は彼の欺瞞を暴露するからである。

神の働きが復興されるたびに

悪の君は奮起していっそう激しく働く。

彼は今やキリストとその信徒たちに対する

最後の闘争に最大の努力を傾けている。

まもなく最後の大いなる欺瞞が

われわれの前に展開されようとしている。

反キリストがわれわれの目の前で驚くべき業を行うのである。

偽物があまりにも本物によく似ているために、

聖書による以外には両者の見分けは不可能である。

すべての言説や奇跡は、

聖書のあかしによって吟味されなければならない。

 

神の戒めのすべてに従おうと努力する者は、

反対と嘲笑に会うであろう。

彼らは神のうちにある時にのみ立つことができる。

彼らは目の前にある試練に耐えるためには、

み言葉の中に示されている神のみこころを理解しなければならない。

彼らは、神のご品性、統治、御目的について正しい理解を持ち、

それに従って行動する時にのみ、神をあがめることができる。

聖書の真理によって心を堅固にした人たち以外には、

だれも最後の大争闘に耐え抜くことはできない。

わたしは人に従うより神に従うべきかという鋭い質問が、

1人1人に臨むであろう。

その決定の時は今目の前に迫っている。

われわれの足は、変わることのない神のみ言葉という岩の上に、

しっかり立っているだろうか。

われわれは、神の戒めとイエスを信じる信仰をとりでとして、

堅く立つ用意ができているだろうか。

 

救い主は十字架におかかりになる前に、弟子たちに、

ご自分が殺され、墓からよみがえられることを説明された。

そして天使たちがその場にいて、

主のみ言葉を頭と心に深く印象づけた。

しかし、弟子たちは、この世においてローマのくびきから

解放されることを期待していたので、

彼らの望みの中心である主が不名誉な死を

受けられなければならないという思いに耐えられなかった。

彼らが覚えていなければならなかったみ言葉は、

その心から消えさり、

試練の時がやって来た時には備えができていなかった。

イエスの死は、まるで主がなんの予告も

しておられなかったかのように、

彼らの望みを徹底的に打ち砕いたのであった。

キリストのみ言葉によって弟子たちに将来が

はっきり示されていたように、

われわれにも将来のことが預言の中にはっきり示されている。

恩恵期間の終わりに関係のあるできごとと、

悩みの時のために備える働きとが、はっきり示されている。

しかし多くの人々は、全然啓示を受けなかったかの

ように、これらの重要な真理を理解していない。

サタンは、彼らに救いに至る知恵を与えるような

感化をことごとく奪い去ろうとうかがっているので、

彼らは悩みの時に備えができていない。

すべての教理の基準

非常に重大であるために、中空を飛ぶ聖天使たちによって

宣べ伝えられたと表現されているほど重要な警告を、

神が人々にお送りになる時、

神は理性を持つ者がすべて

このメッセージに耳を傾けるように求めておられる。

獣とその像を拝むことに対して宣告されている恐るべきさばき

(黙示録 14:9―11 参照)について知る時、

だれでもみな、獣の印とは何か、

それを受けないようにするにはどうすればよいかということを

学ぶために、熱心に預言を研究するようになるはずである。

しかし大部分の人々は、真理を聞くことから耳をそらし、

作り話へと向かってしまう。使徒パウロは終末の時代を予見して、

「人々が健全な教に耐えられなくな」ると言明した(Ⅱ テモテ 4 : 3 )。

その時がちょうど到来している。

多くの人々は聖書の真理を好まない。

なぜなら真理は、罪深い、世を愛する心の欲望を、妨げるからである。

そしてサタンは、彼らの好む偽りを提供するのである。

 

しかし神はこの地上に、聖書、

そしてただ聖書だけをすべての教理の基準、

すべての改革の基礎として保持する1つの民を、

お持ちになるであろう。

学識者の意見、科学の推論、教会会議の定めた信条や決議

(これらは、教会の数が多くてその主張も違うように、

おびただしい数にのぼって内容も千差万別である)、

大衆の声、―これらのうちの1つであれ全部であれ、

それをもって信仰上の事柄に関する賛否の根拠と見なしてはならない。

どんな教理や戒めでも、それを受け入れる前に、「主はこう言われる」

という明日な事実をその裏づけとして要求すべきである。

 

サタンはいつも、

神の代わりに人間に注意を向けさせようと努力している。

彼は、人々が自分で聖書を探って自分の義務を学ばないで、

監督や牧師や神学者を案内者とするように導く。

そうする時に、サタンはこれらの指導者たちの心を

支配することによって、大衆を意のままに

感化することができるのである。

 

キリストがいのちのみ言葉を語りにこられた時、

一般の人々は喜んでそれを聞いた。

そして多くの者が、祭司や役人たちでさえ、主の言われることを信じた。

しかし、祭司長と民の有力者たちは、

キリストの教えを非難し否認することを決心していた。

彼らは、キリストに対する言いがかりを見つけようとする

努力がことごとく失敗し、キリストの言葉に伴う神の力と

知恵の感化を感じないではいられなかったにもかかわらず、

なお自分自身の偏見の中に閉じこもった。

彼らは、キリストの弟子にならないではいられなくなることを

おそれて、キリストがメシヤであることの最も明白な証拠を退けた。

これらイエスの反対者たちは、人々が子供の時から

尊敬するように教えられ、彼らの権威には絶対に従うように

習慣づけられていた、その者たちであった。

人々は、「なぜわれわれの役人たちや学者たちは

イエスを信じないのだろうか。

もしこの人がキリストであるなら、こうした敬虔な人たちが

この人を受け入れないことがあろうか」と問うた。

ユダヤ民族に彼らの贖い主を拒否させたのは、

このような教師たちの影響であった。

 

これらの祭司や役人たちを動かした精神は、

今日もなお、深い敬虔を表明する多くの人々に見られる。

彼らは、今の時代のための特別な真理について、

聖書のあかしを調べることを拒んでいる。

彼らは自分たちが多数であることや、

富や、人気を指摘し、

真理の擁護者に対しては、世からかけ離れた信仰を持つ少数、

貧困、不人気な者として、軽べつの目で見るのである。

 

自分で調べよ

キリストは、学者やパリサイ人たちがほしいままにした、

権力の不当な掌握が、

ユダヤ人の離散をもって終わるのではないことを予見された。

キリストは、人間の権威があがめられて良心を支配し、

それが各時代の教会にとって恐るべき災いになることを、

預言の眼をもってごらんになった。

そして学者やパリサイ人に対して向けられた彼の恐るべき非難や、

盲目的な指導者に追従しないようにとの

民たちに対する彼の警告は、

後の時代に対する訓戒として記録に残された。

 

ローマ教会は聖書を解釈する権利を、

聖職者のものとして保留している。

神の言葉は、聖職者だけが説明することができるという理由のもとに、

一般の人々には与えられていない。宗教改革によって聖書は万人の

ものとなったが、ローマが主張したのと全く同じ原則が、

プロテスタント諸教会の多くの人々が

自分で聖書を探究するのを妨げている。

彼らは、教会によって解釈されたものとして

聖書の教えを受け入れるように教えられる。

そのために、どんなに聖書の中にはっきり示されていても、

自分たちの信条に反するものや、

自分たちの教会によって確立されている教えに反するものは、

あえて受け入れようとしない人々が何千といるのである。

 

聖書には偽教師に対する警告が満ちているにもかかわらず、

多くの人たちはこのようにしてすぐに

自分たちの魂を牧師に預けてしまう。

今日、信仰を告白する幾千の人たちは、

牧師からそう教えられたということ以外には、

自分の信じる信仰の要点について理由を説明することができない。

彼らは救い主の教えにほとんど注意を払わず、

牧師たちの言葉に全面的な信頼を置いている。

 

しかし、牧師は絶対に誤りを犯さない者であろうか。

われわれは、彼らが光を掲げる者であるということを、

神のみ言葉によって知らないかぎり、

自分の魂を彼らの指導にゆだねることがどうしてできようか。

世の踏みならされた道から踏み出す精神的な勇気が欠けているため、

多くの人々は学識者の道に従い、

自ら調べるのに無精であるため、

絶望的なまでに誤謬の鎖につながれている。

彼らは、今の時代のための真理が聖書の中に

明白に示されていることを認め、

み言葉に伴う聖霊の力を感じていながら、

牧師たちに反対されるままに光にそむいてしまう。

理性と良心では確信していながら、

これらの欺かれた人たちは、

あえて牧師と違った考え方をしようとしないで、

自分自身の判断と、自分たちの永遠の利益を、

他人の不信仰や誇りや偏見の犠牲にしてしまうのである。

正しい道標(みちしるべ)のもとに

サタンが人間の影響力を通して

とりこを縛りつけようと働く方法は、たくさんある。

サタンは、愛情という絹ひもで、

多くの人々をキリストの十字架の反対者たちに

結びつけることによって、彼らを自分の側に確保する。

この愛着が親子の間であろうと、夫婦の間であろうと、

社交的なものであろうと、結果は同じである。

真理の反対者たちが良心を支配しようと影響力を及ぼすので、

彼らの支配下に捕えられている魂は、義務に関する

自分自身の確信に従うだけの勇気や独立心をもっていない。

 

真理と神の栄光とは、切り離すことができない。

われわれは、手近に聖書を持っていながら、

誤った見解をもって神をあがめることはできない。

多くの人々は、生活さえ正しければ、

何を信じているかは問題ではないと主張する。

しかし生活は信仰によって形造られる。

光と真理が手近にありながら、それを聞き、それを見る特権を利用するのを怠るなら、われわれは事実上それを拒絶し、

光よりもやみを選んでいることになる。

 

「人が見て自分で正しいとする道があり、

その終りはついに死にいたる道となるものがある」(箴言 16:2 5 )。

神のみこころを知るあらゆる機会がある時に、

知らないということは誤謬や罪の言いわけにならない。

人は旅をしていて、それぞれの行く先を示す

道標のある別れ道にさしかかる。

もし彼が道標を無視して、自分に正しいと見える道を選ぶなら、

彼がどんなにまじめであっても、

自分がまちがった道を歩いていることにおそらく気づくであろう。

 

神は、われわれが神の教えに通じ、

神が求めておられることを自分で知ることができるようにと、

み言葉をわれわれにお与えになっている。

律法学者がイエスのところに来て、

「何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」と尋ねた。

救い主は聖書を引用しながら、

「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」と言われた。

知らなかったということは、

若い者にも年寄りにも言いわけにはならないし、

また神の律法を犯した当然の刑罰から免れさせるものでもない。

なぜなら彼らは、律法とその原則、その要求について

忠実に書いているものを、手に持っているからである。

正しい意図があったというだけでは足りない。

人は自分が正しいと思うことや牧師が

正しいと言うことをするだけでは不十分である。

自分の魂の救いにかかわる問題である以上、

人は自分で聖書を探究しなければならない。

彼の確信がどんなに強くても、牧師は何が真理かを知っていると

いくら彼が信頼していても、それは彼の土台とはならない。

彼は天への旅路におけるすべての道標を示す地図を持っている

のであるから、何事も臆測によるべきではない。

聖書の学びかた

聖書から真理を学び、その光に歩み、

そして他人にも自分の模範に従うように励ますことは、

すべて理性のある者の第1にして最高の義務である。

われわれは日々熱心に聖書を研究し、すべての思想を熟考し、

聖句と聖句を対照すべきである。

われわれは神の前で自分で答えるのであるから、

神の助けによって自分で自分の考えを定めなければならない。

 

聖書の中に最も明白に示されている真理が、

学者たちによって疑いと暗黒に包まれてきた。

彼らは、偉大な知恵を持っているように見せかけながら、

聖書にはそこに用いられている言葉に現れていない神秘的で

霊的な隠れた意味があると教える。

これらの人々は偽教師である。

イエスが「あなたがた・・・・は、聖書も神の力も知らないからではないか」

と言われたのは、こういう種類の人々に向かってであった

(マルコ 1 2 :2 4 )。

聖書の言葉は、象徴や比喩が用いられていないかぎり、

その明瞭な意味に従って解釈さるべきである。

キリストは「神のみこころを行おうと思う者であれば、

だれでも、わたしの語っているこの教えが・・・・わかるであろう」

と約束された(ヨハネ 7:1 7 )。

もし人々が、聖書をその書いてあるとおりに受け取りさえすれば、

もし人々を誤らせ、その心を混乱させるような偽教師がいないならば、

現在誤謬の中に迷っている幾千もの人々をキリストの囲いの中に導き、

天使たちを喜ばせるような働きが成し遂げられるであろう。

 

われわれは聖書の研究に知能の全力を注ぎ、人間として及ぶかぎり、

神の深い事柄を悟るために理解力を働かせねばならない。

しかし幼な子のような従順と服従が、

学ぶ者の真の精神であることを忘れてはならない。

聖書の難解なところは、

哲学上の問題を把握するのに用いるのと

同じ方法では決して解決されない。

多くの人々が科学の領域に入る時に抱いているような、

自分を頼みとする心をもって聖書の研究にたずさわるべきではなく、

祈りのうちに神により頼む思いと、

みこころを知りたいというまじめな願いをもってなすべきである。

「わたしは有る」という偉大なお方から知識を得るために、

謙遜ですなおな精神をもってみもとに行かねばならない。

そうでないと、悪天使たちはわれわれが真理から

感銘を受けないように、

われわれの頭をくもらせ、心をかたくなにする。

 

聖書の中で、学者たちが不可解であると断言し、

また重要でないものとして見のがしている多くの部分は、

キリストの学校で教えられた者にとっては慰めと教訓に満ちている。

多くの神学者が神のみ言葉について明快な理解を持っていない

1つの理由は、彼らが自分の実行したくない真理に対しては

目を閉じてしまうからである。

聖書の真理に対する理解は、

研究に払われる知力によるよりは、むしろ誠実な意図と、

義を熱心に追い求める心とにかかっているのである。

み言葉をたくわえよ

聖書は祈りなしに研究すべきではない。

聖霊だけが、理解しやすい事柄の重要性を感じさせ、

あるいは理解の困難なものを曲解しないように守る。

われわれがみ言葉の美しさに心をひかれ、その警告に戒められ、

み約束によって活気づけられ、力づけられるように、

心を備えさせて神のみ言葉を理解させるのが、天使たちの働きである。

われわれは詩篇記者の「わたしの目を開いて、

あなたのおきてのうちのくすしき事を見させてください」

という訴えを、自分のものとしなければならない

(詩篇119:18 )。

試みがしばしば抵抗できないもののように見えるのは、

祈りと聖書研究を怠っているために、

試みられている者が神のみ約束をすぐに思いだすことができず、

聖書という武器をもって

サタンに対抗することができないからである。

しかし天使たちは、

神の事柄を喜んで学ぼうとする人々のまわりにいて、

緊急の場合には必要な真理を思い起こさせる。

こうして、「敵が洪水のように押し寄せるときに、

主の霊はそれに向かって旗をあげられる」

(イザヤ 59:19・英語訳)。

 

イエスは、「助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされ

る聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、

またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう」

と弟子たちに約束された(ヨハネ 14:26 )。

しかし、危機の時に、神のみ霊(たま)がわれわれに

キリストの教えを思い起こさせてくださるためには、

それをあらかじめ心の中にたくわえておかねばならない。

ダビデは「わたしはあなたにむかって罪を犯すことのないように、

心のうちにみ言葉をたくわえました」と言った(詩篇 119: 1 1 )。

懐疑論のわな

自分の永遠の利益を重んずる者はみな、

懐疑論の侵入に対して警戒しなければならない。

真理の柱そのものが攻撃されるであろう。

 

現代の不信仰の風刺や詭弁―狡猾で有害な教え―が

届かないところに身を置くことは、不可能である。

サタンはその誘惑をあらゆる階級に適合させる。

彼は、無学の者には冗談と嘲笑をもって攻撃し、

教育ある者には科学的な反対論や哲学的な推論をもって対抗するが、

どちらも聖書に対する

不信と軽べつ心をかきたてようとねらっている。

経験の浅い青年でさえ、

あえてキリスト教の根本原理に関して懐疑をほのめかす。

しかもこうした青年の不信仰は、

それ自体は浅薄なものであっても、影響力をもっている。

多くの者はこのようにして父祖たちの信仰をあざわらい、

恵みのみ霊を侮るように導かれる。

神の誉れとなり世の祝福となると思われた多くの人々の生涯が、

不信仰の汚れた空気を吸うことによってそこなわれてきた。

人間の理性による高慢な結論に頼って、

自分たちは神の知恵の助けなしに聖なる神秘を説明し、

真理に到達できると思う者はみな、

サタンのわなにかかるのである。

世界の運命

われわれは世界歴史の最も厳粛な時代に生存している。

地上のおびただしい数の人々の運命が、決定されようとしている。

われわれ自身の将来の幸福も、他の魂の救いも、

今われわれが歩いている道にかかっている。

われわれは真理のみ霊(たま)によって導かれる必要がある。

キリストに従う者はみな、

「主よ、わたしは何をしたらよいでしょうか」と

熱心にたずねるべきである。

われわれは祈りと断食をもって主の前にへりくだり、

主のみ言葉について、特にさばきの光景について瞑想する必要がある。

われわれは今、神のことについて、

深い、生きた経験を求めなければならない。

一刻もむだにはできない。

われわれの周囲には重大な事件が起こっており、

われわれはサタンの魔法の働いている場にいるのである。

神の見張り人たちよ、眠ってはいけない。

敵は近くに忍び込んでいて、

あなたが気をゆるめて眠気を催すならば、

いつでも飛びかかってえじきにしようと待ち構えている。

 

多くの者は、神の前における自分の真の姿について欺かれている。

彼らは自分たちは悪事を行っていないと喜んでいるが、

神が彼らに要求され、しかも彼らが実行することを怠った、

善にして高潔な行為のことを数えるのを忘れている。

彼らは神の園の木であるだけでは十分ではない。

彼らは実を結ぶことによって神のご期待に答えなければならない。

自分を力づけてくれる

神の恵みを通してなすことができたはずの

善行をしなかった責任を、神は問われる。

彼らは地をふさぐものとして天の書に記録される。

しかし、この種の人の場合も、

全く絶望的というわけではない。

神の恵みを軽視し、神の恵みを悪用したこれらの人々に、

忍耐深い愛の神のみ心は、「『眠っている者よ、起きなさい。

死人のなかから、立ち上がりなさい。

そうすれば、キリストがあなたを照すであろう。』そこで、

あなたがたの歩きかたによく注意して、・・・・

今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである」

と訴えておられる(エペソ 5:14―1 6 )。

 

試みの時が来ると、

神のみ言葉を自分の人生の尺度としてきた人たちが、

はっきりわかるであろう。

夏には常緑樹とほかの木々との間に著しい違いがないが、

冬のこがらしが吹く時になると、常緑樹は変わらないが、

ほかの木々は葉が落ちて裸になる。

そのように、現在は心に偽りのある信者と

真のキリスト者との見分けがつかないが、

しかしその違いが明らかになる日が、

今まさにわれわれに臨もうとしている。

反対が起こり、頑迷と偏狭が再び吹きまくり、迫害の火が燃やされる

時に、二心の偽善者たちは動揺して信仰を放棄するであろう。

しかし真のキリスト者は岩のように堅く立ち、

繁栄の日よりも信仰が強くなり、望みはいっそう明るくなるであろう。

 

詩篇記者は、次のように言っている。

「わたしはあなたのあかしを深く思う。」

「わたしはあなたのさとしによって知恵を得ました。

それゆえ、わたしは偽りのすべての道を憎みます」

(詩篇 119:99、10 4 )。

 

「知恵を求めて得る人、悟りを得る人はさいわいである。」

「彼は水のほとりに植えた木のようで、

その根を川にのばし、

暑さにあっても恐れることはない。

その葉は常に青く、ひでりの年にも憂えることなく、

絶えず実を結ぶ」(箴言3:13、エレミヤ 17 : 8 )。

 

 

【 第38章 世界への最後の警告 】

最後のメッセージ

「この後、わたしは、もうひとりの御使が、

大いなる権威を持って、天から降りて来るのを見た。

地は彼の栄光によって明るくされた。

彼は力強い声で叫んで言った、『倒れた、大いなるバビロンは倒れた。

そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、

また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。』」

「わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、

『わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、

その災害に巻き込まれないようにせよ』」

(黙示録18:1、2 、4 )。

 

この聖句は、黙示録14 : (14: 8 )の

第二天使によってなされたバビロンは倒れたという宣言が、

くり返して行われる時を指し示すものであり、

それとともに、この使命が1844年の夏最初に宣言されて以来、

バビロンを構成する諸団体に入り込んできた腐敗について述べている。

ここに、宗教界の恐るべき状態が描かれている。

真理を拒否するごとに、人々の心はますます暗く、

ますますかたくなになり、ついには不信にこりかたまってしまう。

彼らは、神がお与えになった警告を無視して、

十戒の戒めの1つをふみにじりつづけ、ついには、

それをきよく守る人々を迫害するようになるのである。

キリストは、

彼の言葉と彼の民とに浴びせられた侮辱によって、

無視されている。

心霊術の教えが教会に受け入れられるに従って、

肉の心の抑制が取り除かれ、

信仰の表明は、

最も卑しい不正を隠すためのおおいとなるであろう。

霊の現われを信じることは、

惑わす霊と悪霊の教えに対して

扉を開くことになり、こうして、

悪天使の影響が教会内に及んでくる。

 

この預言に示された時のバビロンについて、

「彼女の罪は積り積って天に達しており、

神はその不義の行いを覚えておられる」

と宣言されている(黙示録 18:5 )。

バビロンはその罪のます目を満たし、破滅するばかりになっている。

 

しかし神は、まだバビロンの中にご自分の民を持っておられる。

そして、神の刑罰が下る前に、これらの忠実な人々を呼び出して、

彼らがその罪にあずからず、

「その災害に巻き込まれないように」しなければならないのである。

そこで、この天使―天から下って来、

栄光をもって地を照らし、

力強い声でバビロンの罪を知らせる天使―によって

象徴されているところの運動が起こる。

この天使のメッセージと関連して、

「わたしの民よ。彼女から離れ去れ」という呼びかけが聞かれる。

これらの布告は、第三天使の使命とともに、

地上の住民に与えられる最後の警告なのである。

安息日が論争点

世界は、恐ろしい結果をもたらす問題に直面しようとしている。

地の権力者たちは、合同して神の戒めに逆らって戦い、

「小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、

自由人にも、奴隷にも、すべての人々に」、

偽りの安息日を守ることによって教会の習慣に従うよう

命じるのである(黙示録 13:1 6 )。

これに従わない者はすべて、法律上の刑罰を受ける。

そして、ついには、

彼らは死刑に値する者であると宣告される。

他方、創造主の安息日を守ることを命じる神の律法は、

それに対する服従を要求し、

その戒めを犯すすべての者に神の怒りを警告する。

 

こうして問題点が明らかに示されるとともに、

だれでも神の律法をふみにじって人間の法令に従うものは、

獣の刻印を受ける。

彼は、神の代わりに服従することを選んだ

その権力に対する忠誠のしるしを受けるのである。

天よりの警告は次のとおりである。

「おおよそ、獣とその像とを拝み、

額や手に刻印を受ける者は、

神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、

神の激しい怒りのぶどう酒を飲」む(黙示録 14:9、10 )。

 

しかし、真理が人の心と良心に明らかに示され、

そしてそれが拒否された上でなければ、

だれ1人として神の怒りを受けることはない。

現代に対する特別の真理を聞く機会が

これまでになかった者が大勢いる。

第4条の戒めに従うべきことの真の意味が、

まだ彼らに示されていない。

すべての人の心を見ぬき、あらゆる動機を探られるお方は、

真理を知りたいと願っている者をだれ1人として、

争闘の論点について欺かれるままにしてはおかれない。

法令は、盲目的に人々に強制されることはない。

すべての者は、

賢明な決断を下すに十分なだけの光が与えられるのである。

 

安息日は、特に論争点となっている真理であるから、

忠誠の大試金石となる。

最後の試練が人々を襲う時、

神に仕える者と神に仕えない者の区別が明らかになる。

第4条の戒めに反して、

国家の法律に従って偽りの安息日を

守ることは、神に敵対する権力に

忠誠を尽くすという表明であり、

一方、神の戒めに従って真の安息日を守ることは、

創造主に対する忠誠の証拠である。

一方は、地上の権力に

服従するしるしを受け入れることによって、

獣の刻印を受け、他方は、

神の権威に対する忠誠のしるしを選んで、

神の印を受けるのである。

 

これまで、第三天使の使命の真理を伝えた者は、

単に人騒がせな者としか思われないことがよくあった。

米国において宗教的不寛容が勢いを増し、

教会と国家が結束して、

神の戒めを守る者を迫害する、という彼らの予告は、

なんの根拠もないばかげたことであると評されてきた。

この国は宗教自由の擁護者であったのだから、

これ以外の何ものにもなり得ない、

と確信をもって宣言されてきた。

しかし、日曜日遵守を強制する問題が広く論じられるとき、

長い間疑われ信じられなかった

事件が近づいてくるのがわかり、

第三天使の使命は、

今までになかったような結果をもたらすことであろう。

現代のエリヤたち

神は、どの時代においても、世俗と教会の罪を責めるために、

ご自分のしもべたちを遣わされた。

しかし人々は、自分たちに対し耳ざわりの良いことが語られることを

望み、純粋な、ありのままの真理は受け入れないのである。

多くの改革者たちは、その仕事を始めたときに、

教会と国家の罪を非難するのに、きわめて慎重を期した。

彼らは、真のキリスト者の生活の模範を示すことによって、

人々を聖書の教理に引きもどそうとした。

しかし、神の霊がエリヤに臨み、

悪王と背信の民を譴責させられたのと同じように、

彼らにも神の霊が与えられた。

彼らは、聖書の明白な言葉、すなわち、

これまで伝えることを躊躇していた教理を、

伝えずにはおれなくなった。

彼らは、真理と、魂をおびやかす危険とを、

熱心に宣言せずにはおられなくなった。

彼らは、その結果がどうなろうと、

主が彼らに与えられたその言葉を語った。

そして、人々はその警告を聞かなければならなかった。

 

第三天使の使命も、このようにして宣布される。

それが非常な力で伝えられる時が来るならば、

主は謙遜な器を通して働かれ、

主の奉仕に献身した人々の心を導かれる。

働き人は、学歴ではなくて、

聖霊を注がれることによって資格を与えられる。

信仰と祈りの人は、聖なる熱意に燃えて出て行き、

神から与えられる言葉を宣言せざるをえなくなる。

バビロンの罪は暴露される。

教会の法令を政権によって強制することの恐るべき結果、

心霊術の侵入、法王権のひそかではあるが急速な発展などが、

みな暴露される。

これらの厳粛な警告によって、人々は動かされる。

こうした言葉を聞いたことのない者が、幾千となく耳を傾ける。

バビロンとは、その誤りと罪のために、

また、天からの真理を拒んだために倒れた教会である、

ということを聞いて、彼らは驚くのである。

人々が、彼らのかつての教師たちのところへ行って、

これらのことは真実であるかと、熱心に尋ねるときに、

牧師たちは、作り話を語り、耳ざわりの良いことを予言し、

彼らの恐怖と目ざめた良心をしずめようとする。

しかし、多くの人々は、単なる人間の権威に満足せずに、

はっきりした「主はこう言われる」という言葉を要求するので、

一般教会の牧師たちは、

昔のパリサイ人のように、

自分たちの権威が疑われたことを怒って、

そのメッセージはサタンから出たものであると非難し、

罪を愛する群衆を煽動して、その宣布者たちをあざけり、

迫害するのである。

ふるいの時

争闘が新しい分野に及び、ふみにじられた神の律法に

人々の心が向けられる時、サタンは騒ぎ出す。

使命に伴う力は、それに反抗する人々を怒らせるだけである。

牧師たちは、その光が彼らの群れの上に輝かないようにと、

ほとんど超人的な力で、それをさえぎろうとする。

彼らは、あらゆる手段に訴えて、

これらの重大な問題に関する討論を圧迫しようとする。

教会は、政権の強大な権力に訴える。

そして、この働きにおいて、

カトリックとプロテスタントは提携する。

日曜休業運動が、ますます大胆に、

ますます断固として推進されるにつれて、

戒めを守る人々に対して法令が発布される。

彼らは、罰金や投獄をもって脅かされる。

そして、ある者は有力な地位によって、また他の者は報賞や

便宜の提供によって、信仰を放棄するよう勧誘される。

しかし彼らは、断固として、

「われわれが誤っていることを神の言葉によって示してほしい」

と答えるのである。

これは、同様の状況の下でルターが行ったのと同じ訴えである。

法廷に呼び出された者たちは、真理の力強い弁明をする。

そして、それを聞く者の中には、

神のすべての戒めを守るという

立場をとるように導かれる者が出てくる。

こうして、他の方法ではこれらの真理を知ることができない

幾千という人々の前に、光がもたらされるのである。

 

神の言葉に良心的に従うことは、反逆と見なされる。

サタンに目をくらまされた親は、信仰を持つ子供を残酷無情に扱う。

主人や女主人は、戒めを守るしもべを虐げる。

愛情は、冷ややかになる。

子供たちは勘当されて、家から追い出される。

パウロの言葉は、

文字通り成就する。

「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、

みな、迫害を受ける」(Ⅱテモテ 3:1 2 )。

真理の擁護者たちが、

日曜安息日を尊ぶことを拒む時、投獄される者もあれば、

追放される者もあり、また奴隷として扱われる者もいる。

人間的に考えて、

今そうしたことはありえないように思われる。

しかし、神の霊の抑制が人々から除かれ、

彼らが神の戒めを憎むサタンの支配下に陥る時、

異様な事態が展開するのである。

神に対する恐れと愛が取り除かれる時、

人の心は、はなはだ残酷になりうるのである。

 

あらしが迫って来る時、

第三天使の使命を信じると公言していながら、

真理に従うことによって清められていなかった多くの者が、

その信仰を棄てて反対の側に加わる。

彼らは、世俗と結合し、その精神を抱くことによって、

ほとんど同じ見方で物事を見るようになっている。

そして、試練が来ると、彼らはすぐに、

安易で一般うけのする側を選ぶのである。

かつては真理を喜んだところの、

才能ある雄弁な人々は、

その力を用いて他の人々を欺き迷わす。

彼らは、以前の兄弟たちにとって、最も苦い敵となる。

安息日遵守者が法廷に呼び出されて、信仰について答える時に、

これらの背教者たちは、サタンの最も強力な手先となって、

彼らを中傷し非難する。

そして、偽りの報告やあてこすりによって、

彼らに対する権力者たちの怒りをかき立てる。

神の民の経験

この迫害の時に、主のしもべたちの信仰が試みられる。

彼らは、神と神の言葉だけに頼って、

忠実に警告を発してきた。

神の霊が彼らの心を動かして、彼らに語らせたのである。

彼らは、聖なる熱意と神の強い力に刺激されて、

主が彼らに与えられた言葉を人々に語ることの結果などは

少しも考えに入れずに、

彼らの義務の遂行に取りかかった。

彼らは、現世の利益を考えたり、

名声や生命を保とうとしたりはしなかった。

しかし、反対と非難のあらしが彼らに襲いかかる時、

ある者は、驚きのあまり、

「もしわれわれの言葉の結果を予知していたら、

われわれは黙っていたであろうに」と叫ぶであろう。

彼らは困難に取り囲まれる。

サタンは激しい誘惑をもって彼らを攻撃する。

彼らが手がけた仕事は、

とうてい彼らの能力では成し遂げられないように思われる。

彼らは滅亡に脅かされる。

彼らを活気づけた熱は去った。

しかし彼らは引き返すことができない。

その時彼らは、自分たちの全くの無力さを悟り、

全能者のもとに逃れて力を求める。

彼らは、自分たちが語った言葉が、

自分たちの言葉ではなくて、

警告せよと命じられた主のものであったことを思い出す。

神が彼らの心に真理を入れられた。

そして彼らは、

それを宣べ伝えざるをえなかったのである。

 

過去の時代の神の人々は、この同じ試練に会った。

ウィクリフ、フス、ルター、ティンダル、バクスター、ウェスレーたちは、

すべての教理は聖書によって吟味されるべきで、

聖書が認めないものはすべて拒否すると宣言した。

迫害はこれらの人々に対して、情け容赦なく猛威をふるった。

しかし彼らは、真理を伝えることをやめなかった。

教会史上の各時代は、

その時代の神の民の必要に応じた特別な真理の展開によって

それぞれ特徴づけられている。

新しい真理はみな、憎悪と圧迫を押しきって進んだ。

真理の光を受けた人々は、誘惑と試練に会った。

主は、危急の場合には、人々に特別な真理をお与えになる。

いったいだれが、それを布告することを拒むことができようか。

主はご自分のしもべたちに、

最後の憐れみの招きを世に提示するよう命じられる。

彼らは、黙っていることができない。

もし黙っていれば、彼らの魂が危機に瀕するのである。

キリストの使者たちは、

結果には関係しない。

彼らは自分たちの義務を遂行して、

結果は神にゆだねなければならない。

大争闘の激化

反対がますます激しくなるにつれて、神のしもべたちは再び困惑する。

というのは、彼らには、

自分たちが危機をもたらしたように思われるからである。

しかし、良心と神の言葉は、彼らの道が正しいことを保証してくれる。

そして、試練は続いても、彼らにはそれに耐える力が与えられる。

争いは、いよいよ切迫し激化する。

しかし彼らの信仰と勇気は、危機とともに高揚する。

彼らのあかしはこうである。

「われわれは、世の歓心を買うために聖なる律法を分かち、

ある部分を重要であるとし、他の部分を重要でないとして、

神の言葉に手を入れるようなことはしない。

われわれが仕える主は、われわれを救うことがおできになる。

キリストは地上の諸権力を征服された。

だからわれわれは、すでに征服された世界を恐れることがあろうか。」

 

さまざまな形の迫害は、サタンが存在し、キリスト教が

生きた力を持っているかぎり存続する原則の、展開である。

暗黒の軍勢の反対を受けることなしに、

神に仕えることができる者はいない。

悪天使たちは、彼の影響によって彼らの手から

獲物が奪われることを恐れて、彼を攻撃する。

彼の模範によって譴責を受けた悪人たちは、

悪天使たちと力を合わせて、

魅力的な誘惑をもって彼を神から引き離そうとする。

それでも成功しなければ、

今度は強制的な力を用いて良心に強いるのである。

 

しかし、天の聖所において、

イエスが人間の仲保者としておられるかぎり、

聖霊の抑制力が支配者と国民に及んでいるのである。

それは今なお、ある程度国家の法律を支配している。

このような法律がなかったならば、

世界の状態は現在よりはるかに悪化していたことであろう。

この世の支配者の多くは、サタンの有力な手下であるが、

神もまた国家の指導者たちの中に、ご自分の代表者を持っておられる。

敵はそのしもべたちを動かして、

神の働きをはなはだしく阻止するような法案を提出するが、

主を恐れる政治家たちは、聖天使に動かされて、

このような提案に断固として反対する。

こうして、数名の者が、悪の強力な潮流を阻止するのである。

真理の敵たちの反対は、

第三天使の使命がその働きを遂行するために、抑制される。

最後の警告が発せられる時、それは、

今主の働きの器になっているこれらの有力者たちの注意をひく。

そして、彼らの中のある者は、それを受け入れ、

神の民とともに立って、悩みの時を通過するのである。

後の雨と大いなる叫び

第三天使の使命の宣布に協力する天使は、

その栄光で全地を照らすのである。

ここに、全世界的で

比類のない力を持った働きが予告されている。

1840年から44年に至る再臨運動は、

神の力の輝かしいあらわれであった。

第一天使の使命は、世界の各伝道地に伝えられた。

そしてある国々においては、

16世紀の宗教改革以来どの国にもなかったような

大いなる宗教的関心が引き起こされた。

しかし、第三天使の最後の警告下における大運動は、

これをはるかに超えるものとなるのである。

 

その働きは、ペンテコステの日の働きに似ている。

福音の開始にあたって、貴重な種を発芽させるために、

聖霊が注がれて「前の雨」が与えられたように、

その終わりにおいて、収穫を実らせるために、

「後の雨」が与えられるのである。

「この故にわれらエホバをしるべし、切にエホバを知ることを求むべし。

エホバはあしたの光のごとく必ずあらわれいで、

雨のごとくわれらにのぞみ、後の雨のごとく地をうるおしたもう」

(ホセア 6:3・文語訳)。

「シオンの子らよ、あなたがたの神、主によって喜び楽しめ。

主はあなたがたを義とするために秋の雨〔前の雨―英語訳。以下同じ〕

を賜い、またあなたがたのために豊かに雨を降らせ、前のように、

秋の雨〔前の雨〕と春の雨〔後の雨〕とを降らせられる」

(ヨエル2 : 2 3 )。「神がこう仰せになる。

終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。」

「そのとき、主の名を呼び求める者は、

みな救われるであろう」(使徒行伝 2:17、2 1 )。

 

福音の大いなる働きは、その開始を示した神の力のあらわれより

劣るもので終わることはない。

福音の開始にあたって秋の雨(前の雨)となって成就した預言は、

その終局において、春の雨(後の雨)となって再び成就するのである。

これが、使徒ペテロが待望した「慰め〔原文ではrefreshing (活気づけ、回復の意)〕の時」である。彼は次のように言った。

「だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に

立ちかえりなさい。それは、主のみ前から慰めの時がきて、・・・・

イエスを、神がつかわして下さるためである」

(使徒行伝 3:19、20 )。

 

神のしもべたちは、きよい献身の喜びに顔を輝かせ、

天からの使命を伝えるために、

ここかしこと奔走する。

全世界の幾千の声によって、警告が発せられる。

奇跡が行われ、病人はいやされ、

しるしと不思議が信じる者に伴う。

サタンもまた、偽りの不思議を行い、

人々の前で天から火を降らすことさえする

(黙示録 13:13参照)。

こうして、地上の住民は、

立場を明らかにしなければならなくなる。

 

使命は、議論によるよりも、

神の霊の深い感動によって伝えられる。

論拠はすでに示された。

種はまかれた。

そして今、それが生えて、実を結ぶのである。

伝道者によって配布された文書は、その感化を及ぼした。

しかし、感動を受けた人々の多くは、

真理を十分に理解して、

それに服従することを、妨げられていた。

けれども、今、光は至るところにゆき

わたり、真理は明らかにされ、

神の忠実な子供たちは、

彼らを束縛していたかせを絶ち切るのである。

家族関係、教会関係は、もはや彼らを止める力がない。

真理は他の何物よりも尊いのである。

諸勢力が力を結集して真理に反対するにもかかわらず、

多くの者が主の側に立つのである。

 

 

【 第39章 大いなる悩みの時 】

恩恵期間の終わり

「その時あなたの民を守っている大いなる君

ミカエルが立ちあがります。

また国がはじまってから、その時にいたるまで、

かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。

しかし、その時あなたの民は救われます。

すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます」

(ダニエル12:1 )。

 

第三天使の使命が閉じられると、

もはや地の罪深い住民のための憐れみの嘆願はなされない。

神の民はその働きを成し遂げたのである。

彼らは「後の雨」と「主のみ前から」来る「慰め」を受けて、

自分たちの前にある試みの時に対する準備ができた。

天使たちは、天をあちらこちらへと急ぎまわっている。

1人の天使が地から戻ってきて、自分の働きが終わったことを告げる。

すなわち、最後の試みが世界に臨み、

神の戒めに忠実であることを示した者はみな、

「生ける神の印」を受けたのである。

その時イエスは天の聖所でのとりなしをやめられる。

イエスはご自分の手をあげて、

大声で「事はすでに成った」と仰せになる。

そして、イエスが「不義な者はさらに不義を行い、

汚れた者はさらに汚れたことを行い、

義なる者はさらに義を行い、

聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」

と厳粛に宣言されると、天使の全軍はその冠をぬぐ

(黙示録22:11)。

どの人の判決も、生か死かに決まった。

キリストはご自分の民のために贖いをなさり、

彼らの罪を消し去られた。

キリストの民の数は満たされ、

「国と主権と全天下の国々の権威」とは、

今まさに救いを相続する者に与えられようとしており、

イエスは王の王、主の主として統治されるのである。

 

イエスが聖所を去られると、

暗黒が地の住民をおおう。

その恐ろしい時に、

義人は仲保者なしに聖なる神のみ前に生きなければならない。

 

悪人の上に置かれていた抑制が取り除かれ、

サタンは最後まで悔い改めない者を完全に支配する。

神の忍耐は終わった。

世は神の憐れみを拒み、その愛をさげすみ、

その律法をふみにじってきた。

悪人は恩恵期間の限界を越えた。

頑強に拒まれてきた神のみ霊は、ついに取り去られた。

彼らは神の恵みの守りを失って、

悪魔に対する防備が全くない。

その時サタンは、

地の住民を大いなる最後の悩みに投げ入れる。

神の天使たちが人間の激情の激しい風を抑えるのをやめると、

争いの諸要素がことごとく解き放たれる。

全世界は、

昔のエルサレムを襲ったものより

もっと恐ろしい破滅に巻き込まれる。

 

ただ1人の天使が、

エジプト人の長子をみな殺しにして、

国じゅうを嘆きで満たした。

ダビデが民を数えて、神にそむいた時、

1人の天使が恐ろしい破滅を引き起こして、彼の罪を罰した。

神がお命じになる時に聖天使たちによって行使されるのと

同じ破壊力が、

神のお許しになる時には悪天使たちによっても行使される。

勢力はすでにととのっていて、

あらゆるところに荒廃を広げようと、神の許しを待つばかりである。

憎悪と迫害

神の律法を尊ぶ者は、

世に災いをもたらす者として非難されてきた。

そして彼らは、地球を災いで満たしているところの、

恐ろしい自然の猛威と人間どうしの

争いと流血の原因とみなされる。

最後の警告に伴う力が、

悪人たちを激怒させた。

彼らの怒りはメッセージを受け入れたすべての人に向かって

燃え上がり、サタンは憎悪と迫害の精神をいっそう強くあおりたてる。

 

神のご臨在が最後的にユダヤ国民から取り去られた時、

祭司と民はそれを知らなかった。

サタンの支配下にあって、

最も恐ろしい悪意に満ちた激情に支配されながら、

彼らはなお自分たちが神に選ばれた者であると考えていた。

神殿の奉仕は続けられ、

犠牲は汚れた祭壇にささげられていた。

神の愛されたみ子の血を流すという罪を犯し、

そのしもべたちや使徒たちを殺そうとする民に、

神の祝福が毎日求められていた。

同じように、聖所での、

取り消すことのできない判決が発表され、

世界の運命が永遠に定まっても、

地上の住民はそれを知らないであろう。

宗教の形式は、神のみ霊が最後的に取り去られてしまった

民によって続けられる。

そして、悪の君が自分の悪だくみを成し遂げるために彼らに

吹き込む悪魔的な熱心さは、神に対する熱心さと似ているであろう。

 

安息日がキリスト教世界全体の特別な論争点となり、

宗教と政治の当局者が結束して日曜日遵守を強要する時、

少数の者は、

世間の要求に屈することを断固として拒むために、

全世界ののろいの的となる。

教会の制度と国家の法律に反対の立場をとる

少数者は許すべからざる者であり、

全世界が混乱と無法の状態に陥るよりも、

彼らが苦しみを受けるほうがよいと主張される。

同じ議論が1800年前〔注・著者の執筆当時から〕に、

「民の役人たち」によってキリストに対してなされた。

陰険なカヤパは、「ひとりの人が人民に代って死んで、

全国民が滅びないようになるのがわたしたちにとって得だ」

と言った(ヨハネ 11:5 0 )。

この議論は決定的なものに思われ、

ついに、第4条の戒めにある安息日を聖とする者に対して

法令が発せられ、

彼らは最も重い刑罰に相当する者として非難される。

そして人々は、

一定期間ののちには彼らを殺してもよい自由が与えられる。

旧世界のカトリック教と新世界の背教的新教とは、

神の戒めの全部を尊ぶ者たちに対して、

同じような手段をとるであろう。

 

その時神の民は、ヤコブの悩みの時として

預言者によって描かれている悩みと苦しみの場面に投げ入れられる。

「主はこう仰せられる、われわれはおののきの声を聞いた。

恐れがあり、平安はない。・・・・

なぜ、どの人の顔色も青く変っているのか。

悲しいかな、その日は大いなる日であって、それに比べるべき日はない。

それはヤコブの悩みの時である。

しかし彼はそれから救い出される」(エレミヤ 30:5―7 )。

 

ヤコブの悩みの時

エサウの手からの救出を

熱心に祈り求めたヤコブの苦悶の夜

(創世記32:24―30参照)は、

悩みの時の神の民の経験をあらわしている。

ヤコブは、エサウに与えられることになっていた

父の祝福を欺瞞によって得たために、兄の恐ろしい脅迫におびえて、

命からがら逃げ出したのであった。

彼は、長年の流浪の生活のあとで、神の命令によって、

妻子と家畜を連れて故郷へと出発した。

国境についた時、彼は、エサウが勇士の一隊を率いて

近づいているという知らせを受けて、恐怖に満たされた。

エサウが復讐の念に燃えていることは、疑う余地がなかった。

ヤコブの一族は、武装も防備もないので、

今にも暴力と虐殺の無力な犠牲になるかと思われた。

ヤコブは不安と恐怖に襲われた上に、重苦しい自責の念にかられた。

というのは、このような危険をもたらしたのは、

彼自身の罪であったからである。

彼の唯一の希望は、神の憐れみにすがることであった。

彼の唯一の防備は、祈りでなければならなかった。

しかもなお、彼は、兄に対して行った罪悪の償いのためと、

切迫した危険を避けるために、

自分としてできることはすべてなしたのである。

そのように、キリスト者も、悩みの時に近づくにつれて、

人々の前で自分たちの立場を明らかにし、

偏見を取り去り、そして良心の自由を脅かす危険を避けるために、

全力を尽くさなければならない。

 

ヤコブは、家族の者が彼の苦悩を見ないように、

彼らを送り出してから、1人残って神に懇願した。

彼は自分の罪を告白し、彼に対する神の憐れみを感謝するとともに、

深くへりくだった心で、彼の先祖に与えられた契約と、

ベテルにおける夜の幻の中で、また流浪の地において、

彼に与えられた約束とが、行われることを嘆願した。

彼の生涯の危機がやってきていた。すべてが危うくなった。

暗黒と孤独の中で、彼は祈りつづけ、神の前に身を低くしつづけた。

突然、1つの手が彼の肩におかれた。

彼は、敵が彼の生命をねらっているのだと考える。

そして、必死になって敵と闘う。

夜が明けようとする時、この見知らぬ人は超人的な力をあらわす。

彼が触れると、頑強なヤコブはまひしたようになる。

そしてヤコブは力を失って倒れ、

この不思議な敵の首にすがって、涙ながらに懇願する。

ヤコブは、今、自分が闘っていたお方が、

契約の天使であられることを知る。

彼は体の自由を失い、激しい痛みを感じながらも、

彼の願いを放棄しない。

彼は自分の罪のために、長い聞悩み、自責の念にかられ、

苦しみに耐えてきた。

今彼は、それが許されたという確証を得なければならない。

天からの来訪者は、今にも立ち去ろうとするように見える。

しかしヤコブは、彼にすがって、祝福を求める。

天使は、「夜が明けるからわたしを去らせてください」と言うが、

ヤコブは、「わたしを祝福してくださらないなら、

あなたを去らせません」と叫ぶのである。

なんという確信、なんという堅忍不抜の精神が、

ここにあらわされていることであろう。

もしもこれが、高慢で僣越(せんえつ)な要求であったならば、

ヤコブは直ちに滅ぼされたことであろう。

しかし彼の要求は、自分の弱さと無価値なことを告白しながらも、

契約を果たされる神の憐れみに信頼する者の確信であった。

 

「彼は天の使と争って勝」った(ホセア 12:4 )。

この罪深く、誤りを犯した人間は、

へりくだりと悔い改めと自己放棄とによって、

天の君と闘って勝ったのである。

彼はそのふるえる手で、神の約束をしっかりとつかんだ。

その時、無限の愛のお方は、

罪人の願いを退けることがおできにならなかった。

彼の勝利の証拠、そして彼の模範にならう他の人々への

励ましの証拠として、彼の名が、彼の罪を思い起こさせるものから、

彼の勝利を記念するものへと変えられた。

そして、ヤコブが神と争って勝ったということは、

彼が人にも勝つという保証であった。

彼はもはや兄の怒りに直面することを恐れなかった。

なぜなら、主が彼の防御だからであった。

恐るべき苦悩

サタンは神の天使たちの前でヤコブを訴え、

彼は罪を犯したのであるから自分には彼を滅ぼす権利があると

主張して、エサウに働きかけて彼のほうへと向かわせていた。

そして、ヤコブの長い苦闘の夜の間、サタンは、

彼に自分の罪を思い起こさせて、失望に陥れ、

彼が神にすがっているその手を引き離そうとした。

ヤコブはほとんど絶望しそうになった。

しかし彼は、天からの助けがなければ

自分は滅びるしかないことを知っていた。

彼は、自分の大きな罪を心から悔い改め、神の憐れみをこい求めた。

彼はその目的をすてようとはせず、

しっかりと天の使いを捉え、苦悶の叫びをあげて熱烈に懇願し、

ついに勝利したのであった。

 

サタンは、エサウを動かしてヤコブに立ち向かわせたように、

悩みの時に、悪人たちを煽動して神の民を滅ぼそうとする。

そして彼は、ヤコブを訴えたように、

神の民に対する非難を申し立てる。

彼は、世界を自分の手中にあるものと考えている。

しかし神の戒めを守る小さな群れが、

彼の主権に反抗しているのである。

もし彼が、彼らを地上から一掃することができるなら、

彼の勝利は完全なものとなる。

彼は、天使が彼らを守っているのを見て、

彼らの罪が許されたことを推測するが、

彼らの調査が天の聖所において決定されたことは知らない。

サタンは、

自分が彼らを誘惑して犯させた罪を正確に知っている。

そして彼は、それらを神の前に大きく誇張して示し、

この人々は自分と同様に神の恵みから

当然除外されるべきであると主張する。

主が、彼らの罪を許しながら、

サタンとその使いたちを滅ぼすことは、

正当ではないと彼は宣言するのである。

サタンは彼らを、

自分のえじきであると主張し、

滅ぼすために自分の手に与えられるべきであると要求する。

 

サタンが、神の民をその罪のゆえに責める時に、

主はサタンが、彼らを極限まで試みることを許される。

神に対する彼らの信頼、彼らの信仰と堅実さとが、激しく試みられる。

彼らは、過去をふりかえると、望みを失ってしまう。

なぜなら、その全生涯の中に、

よいところをほとんど見ることができないからである。

彼らは、自分たちの弱さと無価値とを十分に自覚している。

サタンは、彼らの状態は絶望的で、

彼らの汚れたしみは洗い去ることができないと思わせて、

彼らを恐怖に陥れようとする。

サタンは、彼らの信仰をくじいて、彼らを彼の誘惑に負けさせ、

神に対する忠誠を放棄させようと望むのである。

 

 

神の民は、彼らを滅ぼそうとする敵に取り囲まれるが、

しかし彼らの味わう苦悩は、

真理のために受ける迫害を恐れてのものではない。

彼らは、自分たちがすべての罪を悔い改めているかどうか、

また、自分たちの中の何かのあやまちによって、

「全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう」

という救い主の約束の成就を妨げるのではないか、

ということを恐れるのである(黙示録 3:1 0 )。

もし彼らが、許しの確証を持つことができるならば、

拷問も死をもいとわないであろう。

しかし万一、許しに値しない者であることがわかって、

自分自身の品性の欠陥のゆえに生命を失うようなことがあれば、

それは神の聖なるみ名を辱しめることになってしまう。

 

彼らは、至るところに反逆の陰謀を聞き、

暴動が活発に起きるのを見る。

そして彼らの心の中には、この大いなる背教が終わるように、

そして悪人たちのよこしまが終わるようにという、

強烈な願望と熱望が起こる。

しかし、彼らが、

反逆の活動をとどめるよう神に祈っていながらも、

自分自身には悪の大きな潮流に抵抗する力も

押し返す力もないことを感じて、激しい自責の念にかられる。

もし彼らが、

彼らの全能力を常にキリストの奉仕に用いていたならば、

そして力から力へと進んでいたならば、

サタンの勢力はこれほど優勢な力をもって襲ってはこないだろうと、

彼らは感じるのである。

金は火で練られる

彼らは、彼らの多くの罪をこれまで悔い改めたことを指し示して、

神の前で彼らの心を悩まし、

「わたしの保護にたよって、わたしと和らぎをなせ、

わたしと和らぎをなせ」という救い主の約束をこい求める

(イザヤ27:5 )。

彼らの信仰は、祈りが直ちに答えられないからと言って、

なくなってしまわない。

激しい不安、恐怖、苦悩に苦しみながらも、

彼らは祈り求めることをやめない。

彼らは、ヤコブが天使をつかまえたように、神の力を捕える。

そして、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」

と彼らは心の中で叫ぶのである。

 

もしヤコブが、欺瞞によって長子の特権を得た罪をあらかじめ

悔い改めていなかったならば、神は、彼の祈りを聞き、

憐れみ深く彼の生命を保つことを、なさらなかったであろう。

そのように、悩みの時においても、神の民は、恐怖と苦悩に

さいなまれている時、まだ告白していない罪を思い出すならば、

彼らは圧倒されてしまうことであろう。

絶望が彼らの信仰を断ち切り、

彼らは神に救いを求める確信が持てなくなることであろう。

しかし、彼らは、自分たちが無価値なことを深く感じてはいるが、

告白すべき罪を隠してはいない。

彼らの罪は、前もってさばかれて、消し去られている。

彼らは、罪を思い出すことができない。

 

神は人生の小さなことにおける不忠実を見のがされると、

サタンは多くの者に思い込ませている。

しかし、主は、ご自分が、悪を是認することも

大目に見ることもなさらないかたであることを、

ヤコブの取り扱いにおいて示された。

罪の言いわけをしたり、隠したりして、それを告白せず、

許されないまま、天の書に残しておく者は、

みなサタンに負けてしまうのである。

口でりっぱなことを言い、栄誉ある地位にあればあるほど、

その人々の行動は、神の目には嘆かわしいものであり、

大いなる敵サタンの勝利はいっそう確実なのである。

神の日のための準備を遅らせる者は、

悩みの時やそれ以後においては、準備することができない。

こうした人々は、すべて絶望である。

 

なんの準備もせずに、最後の恐るべき争闘に当面するこれらの

自称キリスト者たちは、絶望して、

激しい苦悶の叫びをあげて彼らの罪を告白する。

そして悪人たちは、彼らの苦悩をながめて勝ち誇るのである。

このような告白は、エサウやユダの告白と同じ性質のものである。

これをなすものは、罪そのものではなくて、

罪の結果を悲しむのである。

彼らは真の悔い改めをしておらず、

悪に対する嫌悪けんお感がない。

彼らは刑罰を恐れて罪を認めるのである。

そして、昔のパロのように、

刑罰が取り除かれるとまた天に反抗するのである。

 

ヤコブの生涯はまた、欺かれ、試みられ、罪に陥れられても、

真に悔い改めて神に立ちかえった者を、

神は見捨てられないという保証でもある。

サタンはこのような人々を滅ぼそうとするが、

神は天使を遣わして、危機の時に彼らを慰め、保護されるのである。

サタンの攻撃は、激しく、断固たるもので、

彼の欺瞞は恐るべきものである。

しかし、主の目はご自分の民に向けられ、

その耳は彼らの叫びを聞かれる。

彼らの苦悩は大きく、炉の火は彼らを焼き尽くすように思われる。

しかし、金を吹き分ける者であられる神は、

彼らを火で練った金として取り出される。

この最も激しい試練の時における、

神のその子供たちに対する愛は、

彼らの最も輝かしい繁栄の時と同じように、強く、やさしいのである。

しかし、彼らは、火の炉に投げ入れられる必要がある。

キリストの姿が完全に反映されるように、

彼らの世俗的なところが焼きつくされねばならない。

われわれに必要なもの

われわれの前にある苦悩と苦悶の時は、

疲労と遅延と飢えに耐えることのできる信仰、

すなわち、激しく試みられても落胆しない信仰を要求する。

その時に備えるために、すべての者に恩恵期間が与えられている。

ヤコブは、断固として屈しなかったために勝利した。

彼の勝利は、しきりに願い求める

祈りに力があるということの実証である。

彼のように神の約束をしっかりとつかみ、

彼のように熱心で忍耐強い者はみな、

彼が勝利したように勝利するのである。

自分をすて、神の前で心を悩まし、

神の祝福を求めて熱心に祈り続けようとしない者は、

それを受けることができない。

祈りによる神との格闘―このことを知っている人が

なんと少ないことであろう。

熱烈な願いをもって、心から神によりすがり、

全力を注ぎ出す人がなんと少ないことであろう。

嘆願者の上に、言葉では表現することのできない

絶望の波が押し寄せる時に、確固不動の信仰をもって

神の約束にすがる者が、なんと少ないことであろう。

 

今、少ししか信仰を働かせていない者は、

サタンの欺瞞の力と良心を強制する

法令の下に屈してしまう危険が多分にある。

そして、たとい彼らが試練に耐え得ても、

常に神に信頼する習慣を養ってこなかったために、

悩みの時には、さらに大きな苦難と苦悩に陥ることであろう。

彼らは、自分たちが学ぶことを怠っていた信仰の教訓を、

恐るべき失望のもとにあって学ばなければならなくなる。

 

われわれは今、神の約束を試すことによって、

神をよく知らなければならない。

天使は心からの熱心な祈りをすべて記録している。

われわれは、神との交わりを怠るよりも、

利己的な満足を求めることをやめるべきである。

神の是認の下にある最低の貧困、最大の自己犠牲は、

是認のない富、栄誉、安楽、友情にまさっている。

われわれは、時間をかけて祈らなければならない。

もしわれわれが世俗のことに心を奪われているならば、

主は、金、家屋、肥えた土地などの偶像を、

われわれから取り去ることによって、

われわれに時間をお与えになるかもしれない。

 

もし青年が、神の祝福を求めることができる道のほかには、

どんな道に入ることをも拒むならば、罪に誘われることはない。

世界に最後の厳粛な警告を伝える使命者たちが、

冷淡で無気力で怠惰な態度でなくて、

ヤコブのように、熱烈に、

信仰をもって神の祝福を祈り求めるならば、

「わたしは顔と顔をあわせて神を見たが、なお生きている」

と言うことのできる多くの場所を見いだすであろう

(創世記 32:3 0 )。

天は彼らを、神と人とに勝つ力をもった王子たちとみなすのである。

準備するのは今

「かつてなかったほどの悩みの時」が、

まもなくわれわれの前に展開する。

それだからわれわれには、1つの経験―今われわれが持っておらず、

また多くの者が怠けて持とうとしない経験―が必要なのである。

現実の困難というものは、

予想したほどではないということがしばしばある。

しかし、われわれの前にある危機の場合は、そうではない。

どんなに生々しく描写しても、

この試練の激しさには、とうてい及ばない。

この試練の時に、人間は、みな、自分で神の前に立たなければならない。

「主なる神は言われる、わたしは生きている、たといノア、ダニエル、

ヨブがそこにいても、彼らはそのむすこ娘を救うことができない。

ただその義によって自分の命を救いうるのみである」

(エゼキエル 1 4 :2 0 )。

 

今、われわれの大祭司がわれわれのために贖いをしておられる間に、

われわれは、キリストにあって完全になることを

求めなければならない。

救い主は、その思いにおいてさえ、誘惑の力に屈服されなかった。

サタンは、人々の心の中に、なんらかの足場を見つける。

心の中に罪の欲望があると、サタンはそれを用いて誘惑の力を表わす。

しかし、キリストはご自身について、「この世の君が来る・・・・。

だが、彼はわたしに対して、なんの力もない」と宣言された

(ヨハネ 14:30 )。

サタンは、神の子の中に、

彼に勝利を得させるなんのすきも見つけることができなかった。

神のみ子は、天父の戒めを守られた。そして、サタンが

自分に有利に活用することのできる罪が、彼の中にはなかった。

これが、悩みの時を耐えぬく人々のうちになければ

ならない状態なのである。

 

われわれが、キリストの贖罪の血を信じることによって、

罪を捨て去らなければならないのは、現世においてである。

われわれの尊い救い主は、われわれが彼と結合して、

われわれの弱さを彼の力に、

われわれの無知を彼の知恵に、

われわれの無価値さを彼の功績に結びつけるよう招いておられる。

神の摂理は、われわれがイエスの柔和と謙遜を学ぶ学校である。

主はわれわれの前に、

われわれが選ぶ安易で楽しく思われる道ではなくて、

人生の真の目的を、常に置かれる。

われわれの品性を天の型に形造るために神が用いられる手段に、

われわれは協力しなければならない。

このことを怠ったり、

遅らせたりする者は、

必ず魂を最も恐ろしい危険にさらすことになるのである。

最後を飾る大欺瞞

使徒ヨハネは幻の中で、大きな声が天でこう叫ぶのを聞いた。

「地と海よ、おまえたちはわざわいである。

悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、

おまえたちのところに下ってきたからである」

(黙示録 12: 1 2 )。

天の声にこう叫ばせる光景は、

実に恐ろしいものである。

サタンの怒りは、

彼の時が短くなるにつれて増し加わり、

欺瞞と破壊の働きは、悩みの時に最高潮に達する。

 

まもなく、超自然的な恐ろしい光景が、

奇跡を働く悪鬼たちの

力のしるしとして天に現れるであろう。

悪霊たちは地の王たちのところと全世界とに出て行って、

彼らを欺瞞の中に閉じ込め、

天の統治に対するサタンの

最後の闘争に加わるようにかり立てる。

これらの手先によって、

為政者も国民も一様に欺かれる。

自分はキリストであると称する者たちが現れ、

世の贖い主のものである称号と礼拝とを要求する。

彼らは不思議ないやしの奇跡を行い、

聖書のあかしとは相反する

啓示を天から受けたと公言する。

 

欺瞞の一大ドラマの最後を飾る一幕として、

サタンはキリストを装うであろう。

教会は、救い主の来臨を教会の望みの完成として

期待していると長い間公言してきた。

今や大欺瞞者は、キリストがおいでになったように見せかける。

地上のあちらこちらで、サタンは、

黙示録の中でヨハネが述べている神のみ子についての描写に似た、

まばゆく輝く威厳ある者として人々の中に現われる

(黙示録 1:13―15 参照)。

 

彼をとりまいている栄光は、

これまで人間の目が見たどんなものも及ばない

「キリストがこられた、キリストがこられた」という勝利の叫びが、

空中に鳴り響く。

人々が彼をあがめてその前にひれ伏すと、彼は両手をあげて、

キリストが地上におられた時に弟子たちを祝福されたように、

彼らに祝福を宣言する。彼の声は柔らかく穏やかで、

しかも美しい調べに満ちている。

やさしい同情のこもった調子で、彼は、

救い主が語られたのと同じ祝福に満ちた天の真理を幾つか述べる。

彼は人々の中の病人をいやし、それから、

キリストらしくみせかけながら、

安息日を日曜日に変えたことを主張し、すべての人に対して、

自分が祝福した日を聖とするようにと命じる。

彼は、あくまでも第7日をきよく守り続ける者は、

光と真理とをもって彼らに遣わされたわたしの

天使たちの言うことを聞かないで、

わたしの名を冒涜している者だと宣言する。

これは強力な、ほとんど圧倒的な惑わしである。

魔術師シモンに欺かれたサマリヤ人のように、

多くの人々は、小さい者から大きい者にいたるまで、

これらの魔術に心を奪われて、この人こそは「『大能』と呼ばれる神の力」

であると言う(使徒行伝 8:10 )。

 

しかし、神の民は欺かれない。

このにせキリストの教えは聖書と一致していない。

彼の祝福は、獣とその像を拝む者、すなわち、

神のまじりけのない怒りがその上に注がれると聖書が

断言しているその人々に対して、

宣言されているからである。

 

さらに、サタンには

キリストの来臨のありさまをまねることは許されない。

救い主はこの点についての惑わしに対してご自分の民に警告し、

再臨のありさまをはっきりと予告された。

「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、

大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、

選民をも惑わそうとするであろう。・・・・

だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、

出て行くな。

また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな。

ちょうど、

いなずまが東から西にひらめき渡るように、

人の子も現れるであろう」

(マタイ 24:24―27、31、25:31、黙示録 1:7、Ⅰテサロニケ 4:16、17参照)。

この来臨はまねることが不可能である。

それは世界じゅうに知られ、全世界の人々が目撃するのである。

危機迫る

聖書を熱心に研究し、

真理の愛を受けたものだけが、

世界をとりこにする強力な惑わしから守られる。

聖書のあかしによって、

これらの者は欺瞞者サタンの変装を見破る。

すべての人に試みの時がやってくる。

試みのふるいによって、

ほんもののキリスト者が明らかにされる。

神の民は、自分の感覚的証拠に屈しないほど、

今神のみ言葉に固く立っているだろうか。

こうした危機においても、彼らは聖書に、

しかも聖書だけにすがりつくだろうか。

サタンは、できることなら、

彼らがその日に立つ備えをするのを妨げようとする。

サタンは彼らの道をふさぎ、

この世の宝で彼らを迷わせ、

重くて疲れさせる荷を負わせて、

その心をこの世の煩いでいっぱいに満たし、

試みの日が盗人のように彼らを襲うようにと、

事を運ぶであろう。

 

キリスト教国のさまざまな為政者たちが、

戒めを守る者たちを抑圧するために出した法令によって、

政府の保護が取り除かれ、

彼らが彼らの滅亡を願う者たちの手にまかされると、

神の民は都市や村から逃れ、

群れを作って最も荒れ果てた寂しい場所に住む。

多くの者は山のとりでに避難所を見つける。

ピエモンテの谷間のキリスト者たちのように、

彼らは地の高い所を隠れ家とし、岩のとりでを神に感謝する

(イザヤ 33:16参照)。

しかし、あらゆる国のあらゆる階級の人々が、

身分の高い者も低い者も、富んだ者も貧しい者も、黒人も白人も、

大勢の者が最も不当で残酷なとらわれの身に突き落とされる。

神に愛されている者たちが、疲れきった日々を送り、

鎖につながれ、牢獄の格子の中に閉じ込められ、死刑の宣告を受ける。

ある者は暗くいまわしい土牢の中で、

餓死するままに放置されているように見える。

彼らのうめきを聞く人間の耳はなく、

彼らを助けようとする人間の手はない。

 

この試みの時に、主はご自分の民をお忘れになるだろうか。

主は、洪水前の世界に刑罰がくだった時、

忠実なノアをお忘れになっただろうか。

平地の町を焼き尽くすために火が天からくだった時、ロトを

お忘れになっただろうか。エジプトで偶像礼拝者たちに囲まれていた

ヨセフをお忘れになっただろうか。

イゼベルがエリヤをバアルの預言者と同じ運命にすると誓って

彼を脅かした時、主はエリヤをお忘れになっただろうか。

牢獄の暗く陰うつな穴にあったエレミヤをお忘れになっただろうか。火の炉の中の3人の人物を、

あるいはライオンの穴の中のダニエルを、

お忘れになっただろうか。

 

「シオンは言った、『主はわたしを捨て、主はわたしを忘れられた』と。

『女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、

あわれまないようなことがあろうか。

たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、

あなたを忘れることはない。

見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ。・・・・』」

(イザヤ 49:14―16 )。

万軍の主は言われた、「あなたがたにさわる者は、

彼の目の玉にさわるのである」(ゼカリヤ 2:8 )。

敵が彼らを牢獄に投げ入れても、

土牢の壁は彼らの魂とキリストとの交わりを断ち切ることはできない。

彼らのあらゆる弱さを見、あらゆる試みを知っておられるお方は、

地上のすべての権力にまさっておられる。

そして天使は寂しい独房に彼らを訪れ、

天よりの光と平安を伝える。

牢獄は宮殿のようになる。

それは信仰に富む者がそこに住んでいて、

パウロとシラスがピリピの獄屋の中で真夜中に祈りをささげ

賛美の歌声をあげた時のように、

陰うつな壁が天の光で照らされるからである。

恐るべき災い

神の民を抑圧し滅ぼそうと計る者たちの上に、神の刑罰がくだる。

悪人に対して神が長い間忍耐されたので、

人々は大胆に罪を犯している。

しかし、彼らに刑罰がくだるのが長い間延ばされているということは、

その刑罰が確実なものでないとか、

恐るべきものでないという理由には決してならない。

「主はペラジム山で立たれたように立ちあがり、

ギベオンの谷で憤られたように憤られて、その行いをなさる。

その行いは類のないものである。またそのわざをなされる。

そのわざは異なったものである」(イザヤ 28:2 1 )。

憐れみ深いわれらの神にとって、

罰するということは異なったわざである。

「主なる神は言われる、わたしは生きている。

わたしは悪人の死を喜ばない」(エゼキエル 33:1 1 )。

主は「あわれみあり、恵みあり、怒ることおそくいつくしみと、

まこととの豊かなる神、・・・・悪と、とがと、罪とをゆるす者」である。

 

しかし主は、「罰すべき者をば決してゆるさず」、

「主は怒ることおそく、力強き者、

主は罰すべき者を決してゆるされない者」である

(出エジプト 34:6、7、ナホム 1:3 )。

主は、ふみにじられたご自分の律法の権威を、

義の恐るべきわざによって擁護される。

罪人を待ち受けている報復がどんなに厳しいものであるかは、

主が刑罰の執行に気が進まれないことから判断することができる。

主が長く忍ばれ、神の御目にその罪悪の升目が満たされるまでは

お打ちにならない国民も、

ついには憐れみの混じらない怒りの杯を飲むのである。

 

キリストが聖所における彼のとりなしをやめられる時、

獣とその像を拝み、その刻印を受ける者たちに警告された、

混ぜもののない怒りが注がれる(黙示録 14:9、10参照)。

神がイスラエルを救い出そうとされた時に、

エジプトにくだった災いは、

神の民の最後の救出の直前に世界にくだるもっと恐ろしく

もっと広範囲に及ぶ刑罰と類似した性格のものであった。

黙示録の記者は、

その恐ろしい災いを描写して次のように言っている。

「獣の刻印を持つ人々と、その像を拝む人々とのからだに、

ひどい悪性のでき物ができた。」

「海は死人の血のようになって、

その中の生き物がみな死んでしまった。」

「川と水の源と(は)・・・・みな血になった。」

このような刑罰は恐ろしいものであるが、

神の正義は完全に擁護されるのである。

神の天使は、次のように叫ぶ。

「このようにお定めになったあなたは、

正しいかたであります。

聖徒と預言者との血を流した者たちに、

血をお飲ませになりましたが、

それは当然のことであります」

(黙示録 16: 2 ― 6 )。

彼らは、神の民を死に定めることによって、

彼ら自身の手で血を流したのと全く同じ罪を犯したのである。

同様に、キリストは、彼の時代のユダヤ人に、

アベルの時代からのすべての聖徒たちの血を流した

罪があると言われた。

それは、彼らが、預言者たちを殺した人々と同じ精神を持ち、

同じことをしようとしていたからである。

 

それに続く災いにおいて、

「太陽は火で人々を焼くことを許された。

人々は、激しい炎熱で焼かれた」(同 16:8、9 )。

預言者たちは、

この恐るべき時の地上の状態を次のように描写している。

「地は悲しむ。これは穀物が荒れはて・・・・るためである。

・・・・野のすべての木はしぼんだ。

それゆえ楽しみは人の子らからかれうせた。」

「種は土の下に朽ち、倉は荒れ・・・・る。

・・・・いかに家畜はうめき鳴くか。

牛の群れはさまよう。彼らには牧草がないからだ。

・・・・水の流れがかれはて、

火が荒野の牧草を焼き滅ぼしたからである。」

「『その日には宮の歌は嘆きに変り、

しかばねがおびただしく、

人々は無言でこれを至る所に投げ捨てる』と主なる神は言われる」

(ヨエル 1:10―12、17―20、アモス 8: 3 3 )。

神の保護の約束

これらの災いは、全世界的なものではない。

さもないと、地上の住民は全く滅ぼされてしまうであろう。

しかし、それでもこれは、

人類史上かつてなかった恐ろしい災いである。

恩恵期間の終了する前に人々の上にくだった刑罰には、

憐れみが混じっていた。

キリストのとりなしの血によって、

罪人はその罪にふさわしい罰を受けずにすんだのである。

しかし、最後の刑罰においては、

憐れみを混じえずに怒りが注がれるのである。

 

その日に、多くの人々は、

長い間軽べつしてきた神の憐れみの保護を受けたいと願う。

「主なる神は言われる、『見よ、わたしがききんをこの国に送る日が来る、

それはパンのききんではない、水にかわくのでもない、

主の言葉を聞くことのききんである。

彼らは海から海へさまよい歩き、主の言葉を求めて、

こなたかなたへはせまわる、しかしこれを得ないであろう』」

(アモス 8:11、1 2 )。

 

神の民は苦難を免れるわけではない。

彼らは迫害と苦しみに会い、窮乏に耐え、

食物の不足に苦しむのであるが、

滅びるままにほうっておかれたりはしない。

エリヤを養われた神は、

ご自分の献身的な子供たちを1人も見捨てられない。

彼らの頭の毛までも数えられるお方が、

彼らを保護し、ききんの時にあって満ち足らせられる。

悪人たちが飢えと疫病のために死んでいく時に、

天使は義人を守り、その必要を満たすのである。

「正しく歩む者」には、次のような約束が与えられている。

「そのパンは与えられ、その水は絶えることがない。」

「貧しい者と乏しい者とは水を求めても、水がなく、

その舌がかわいて焼けているとき、主なるわたしは彼らに答える、

イスラエルの神なるわたしは彼らを捨てることがない」

(イザヤ 33:15、16、41:17 )。

 

「いちじくの木は花咲かず、ぶどうの木は実らず、

オリブの木の産はむなしくなり、田畑は食物を生ぜず、

おりには羊が絶え、牛舎には牛がいなくなる。」

しかし、主を恐れる者たちは、

「主によって楽しみ、わが救いの神によって喜ぶ」

(ハバクク 3:17、18 )。

 

「主はあなたを守る者、主はあなたの右の手をおおう陰である。

昼は太陽があなたを撃つことなく、夜は月があなたを撃つことはない。

主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、

またあなたの命を守られる。」

「主はあなたをかりゅうどのわなと、

恐ろしい疫病から助け出されるからである。

主はその羽をもって、あなたをおおわれる。

あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。

そのまことは大盾、また小盾である。

あなたは夜の恐ろしい物をも、

昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。

また暗やみに歩きまわる疫病をも、

真昼に荒す滅びをも恐れることはない。

たとい1000人はあなたのかたわらに倒れ、

万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。

あなたはただ、

その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。

あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、

災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない」

(詩篇 121:5―7、91:3―10 )。

悩みの時の信仰

しかし、人間の目から見るならば、

神の民は、むかしの殉教者たちのように、

まもなくその血をもってあかしに印を

押さなければならないように思われる。

彼ら自身、主が彼らを離れて、

彼らを敵の手に渡されたのではないかと恐れ始める。

それは、恐ろしい苦悩の時である。

彼らは、昼も夜も神に救いを叫び求める。

悪人たちは勝ち誇り、あざけりの叫びをあげて、

「おまえたちの信仰は、どうなったのか。

もしおまえたちが神の民であるならば、神はどうしてわれわれの

手から、おまえたちを助け出さないのか」と言うのである。

 

しかし、待ち望む人々は、

カルバリーの十字架上で死に瀕しておられるイエスを思い出し、

祭司長や司たちがあざけり叫んで、

「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。

あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。

そうしたら信じよう」と言うのを思い出すのである

(マタイ 27:42 )。

すべての者はヤコブのように、祈りのうちに神と格闘している。

彼らの顔は、内面の苦闘をあらわしている。

どの顔も青ざめている。

それでも彼らは、熱烈な懇願をやめないのである。

 

もし人々の目が開かれて、

天の幻を見ることができたならば、力強い天使の一団が、

キリストの忍耐の言葉を守る者たちの回りに

駐屯しているのを見るであろう。

天使たちは、優しい同情の念をもって、

彼らの苦悩を見つめ、彼らの祈りを聞くのである。

彼らは、人々を危機から救出せよという指揮官の言葉を待っている。

しかし、彼らは、もう少し待たなければならない。

神の民は、杯を飲み、バプテスマを受けなければならない。

彼らにとっては非常な苦痛である遅延そのものが、

彼らの懇願に対する最上の応答である。

彼らが主に信頼して、主がお働きになるのを待とうとする時、

彼らは、これまで彼らの宗教経験において、

あまりにもわずかしか働かせてこなかった信仰と希望と忍耐を

働かせるように導かれるのである。

しかしそれでも、選民のために、悩みの時は短くされる。

「まして神は、日夜叫び求める選民のために、

正しいさばきをしてくださら・・・・(ない)ことがあろうか。

あなたがたに言っておくが、

神はすみやかにさばいてくださるであろう」(ルカ 18:7 、8 )。

終末は、人々が予期しているよりも速く来る。

麦は集められ、束にされて、神の倉におさめられる。

毒麦は束ねられて、滅びの火で焼かれる。

 

天使による守り

天の歩哨(ほしょう)たちは、

忠実に任務に服し、警戒を続ける。

戒めを守る人々を死刑にするという全般的布告は、

その時日を定めているにもかかわらず、

敵たちは、ある場合には法令の時期を早めて、

定められた時よりも前に彼らの命を取ろうとする。

しかし、すべての忠実な人々の回りに駐屯している

力強い警護者たちを通り過ぎることは、だれにもできない。

 

なかには、町や村から逃げる途中に襲われる者たちもいる。

しかし、彼らに向かってあげられた剣は、

折れてわらのように力なく落ちる。

また他の者たちは、軍人の姿をした天使たちによって守られる。

 

いつの時代においても、神は、聖天使たちによって、

神の民を救出し解放してこられた。

天使たちは、人間の事柄に活発に関与してきたのである。

彼らはいなずまのように輝く衣を着て現れた。

彼らは旅人の身なりをした人間としてやって来た。

天使たちは人間の姿をとって、神の人たちに現れた。

彼らは、疲労しているかのように、

昼ごろかしの木の下で休んだ。

彼らは、人々の家庭でもてなしを受けた。

彼らは行き暮れた旅人の案内をした。

彼らは、自分たちの手で、

祭壇に火を点じた。

彼らは牢獄の扉を開いて、

主のしもべたちを自由にした。

彼らは天の武具を身につけて、

救い主の墓から石を転がすためにやって来た。

 

天使たちは、しばしば、人間の姿をとって、

義人たちの集まりの中にいる。

また彼らは、ソドムにやって来たように、

悪人たちの集まりを訪れて、彼らの行為を記録し、

彼らが神の忍耐の限界を越えたかどうかを決定するのである。

主は憐れみを喜ばれる。

それゆえに、真心から主に仕えるわずかの者のために、災害を抑制し、

多くの人々の平穏な生活を引き延ばしておられるのである。

神にそむく罪人たちは、

自分たちがあざけり圧迫している少数の忠実な人々のおかげで、

自分たちは生きていられるのだということに、

少しも気づいてはいないのである。

 

この世の統治者たちは知らないでいるが、彼らの会議において、

しばしば天使が演説者であった。

人間の目が彼らをながめ、

人間の耳が彼らの訴えを聞いた。

人間のくちびるが彼らの提案に反対し、

彼らの勧告をあざけった。

人間の手が彼らを侮辱し乱暴を働いた。

議会や法廷において、これら天の使者たちは、

人類歴史に精通していることを示した。

彼らは、最も有能で最も雄弁な弁護者よりも巧みに、

圧迫された人々のために訴えることができたのである。

彼らは、神の働きをはなはだしく遅延させ神の民を

非常な苦しみに陥れるような策略を挫折させ、

害悪を阻止した。

危機と苦難の時に、

「主の使は主を恐れる者のまわりに陣をしいて彼らを助けられる」

のである(詩篇 34: 7 )。

 

神の民は、熱烈な渇望を抱いて、

来たるべき彼らの王のしるしを待望する。

「今は夜のなんどきですか」と、夜回りが問われると、

なんのためらいもなく「朝がきます、夜もまたきます」と答える

(イザヤ 21:11、1 2 )。

山頂の雲間に光がきらめいている。

やがて、主の栄光があらわれる。

義の太陽がまさに輝き出ようとしている。

朝と夜がともに近づいている。

それは、義人には、永遠の昼の開始であり、

悪人には、永遠の夜の幕がおろされる。

神の民の勝利

祈りのうちに神と格闘している者たちが、神の前に嘆願していると、

見えないものから彼らをさえぎっていた幕が、

ほとんど除かれたように思われる。

天は、永遠の日のあけぼのに輝き、

「あなたがたの忠誠を保ち続けよ。援助は与えられる」と言う言葉が、

天使の歌のメロディーのように耳に聞こえる。

全能の勝利者であられるキリストは、

ご自分の疲れた兵士たちに、永遠の栄光の冠をさし出される。

そして、彼の声が、開かれた門から聞こえてくる。

「見よ、わたしはあなたがたと共にいる。

恐れてはならない。

わたしは、あなたがたのすべての悲しみを知っている。

わたしは、あなたがたの悲しみをになった。

あなたがたが戦っている敵は、わたしがすでに戦った敵なのだ。

わたしはあなたがたのために戦った。

そして、あなたがたは、わたしの名によって、

勝ち得て余りあるのである。」

 

尊い救い主は、われわれが助けを必要とするちょうどその時に、

助けをお送りになる。天への道は、彼の足跡によって清められている。

われわれの足を傷つけるとげは、どれも彼の足を傷つけたものである。

われわれが負わせられる十字架は、

すべて、われわれに先だって彼が負われたものである。

主は、魂に平和をもたらすための準備として、

争闘が臨むことを許されるのである。

悩みの時は、神の民にとって恐ろしい試練である。

しかしそれは、すべての忠実な信者にとって、

上を見上げ、主をとりまく約束のにじを信仰によって見る時である。

 

「主にあがなわれた者は、歌うたいつつ、シオンに帰ってきて、

そのこうべに、とこしえの喜びをいただき、彼らは喜びと楽しみとを得、

悲しみと嘆きとは逃げ去る。

『わたしこそあなたを慰める者だ。

あなたは何者なれば、死ぬべき人を恐れ、

草のようになるべき人の子を恐れるのか。・・・・

あなたの造り主、主を忘れて、

なぜ、しえたげる者が滅ぼそうと備えをするとき、

その憤りのゆえに常にひねもす恐れるのか。

しえたげる者の憤りはどこにあるか。

身をかがめている捕われ人は、すみやかに解かれて、死ぬことなく、

穴にくだることなく、その食物はつきることがない。

わたしは海をふるわせ、その波をなりどよめかすあなたの神、

主である。

その名を万軍の主という。

わたしはわが言葉をあなたの口におき、わが手の陰にあなたを隠した』」

(イザヤ 51:11―16)。

 

「それゆえ、苦しめる者、酒にではなく酔っている者よ、これを聞け。

あなたの主、おのが民の訴えを弁護されるあなたの神、

主はこう言われる、

『見よ、わたしはよろめかす杯をあなたの手から取り除き、

わが憤りの大杯を取り除いた。あなたは再びこれを飲むことはない。

わたしはこれをあなたを悩ます者の手におく。

彼らはさきにあなたにむかって言った、

「身をかがめよ、われわれは越えていこう」と。

そしてあなたはその背を地のようにし、ちまたのようにして、

彼らの越えていくにまかせた』」(同 51:21―23)。

 

神の目は、各時代を見通して、

地上の勢力の総攻撃が起こる時神の民が直面しなければならない

危機に注がれる。

彼らは、捕われた流浪の民のように、

飢えや暴力によって死ぬのではないかと恐れる。

しかし、イスラエル人の前で紅海を分けられた聖なる神は、

その大いなる力をあらわして、

彼らを捕われの身からもどされるのである。

「万軍の主は言われる、彼らはわたしが手を下して事を行う日に、

わたしの者となり、わたしの宝となる。

また人が自分に仕える子をあわれむように、

わたしは彼らをあわれむ」(マラキ 3:17 )。

この時、キリストの忠実な証人たちの血が流されたとしても、

それは、殉教者の血のように神のために収穫をもたらすために

まかれる種とはならないのである。

 

彼らの忠誠は、他の人々に真理を悟らせるあかしとはならない。

なぜなら、強情な心は、寄せてくる憐れみの波を拒み続けて、

それらが2度とかえって来ないようにしてしまったからである。

今義人が、むざむざ敵の餌食になるならば、

それは暗黒の君の勝利になってしまう。

そこで詩篇記者は「主(は)悩みの日に、

その仮屋のうちにわたしを潜ませ、

その幕屋の奥にわたしを隠(される)」と言っている(詩篇 27:5)。

キリストも言われた。

「さあ、わが民よ、あなたのへやにはいり、

あなたのうしろの戸を閉じて、

憤りの過ぎ去るまで、しばらく隠れよ。

見よ、主はそのおられる所を出て、地に住む者の不義を罰せられる」

(イザヤ 26:20、21)。

彼が来られるのを忍耐して待つ者たち、

その名が命の書に記されている者たちの救出は、

実に輝かしいものとなる。

 

【 第40章 神の民の救出 】

約束のにじ

人間の法律による保護が、神の律法を尊ぶ者たちから取り去られると、

彼らを滅ぼそうとする運動が、

あちこちの国で、いっせいに起こる。

法令に定められた時が近づくにつれて、

人々は、この憎い教派を根こそぎにしようとたくらむ。

一夜のうちに決定的な打撃を与えて、異議と非難の声を、

全く沈黙させようということが決定される。

 

神の民は、独房の中にいる者たちもあれば、

森林や山々の寂しい隠れ家にいる者たちもあるが、

なおも神の保護を求めて祈っている。

一方、いたるところで、

武装した集団が悪天使の軍勢にかりたてられて殺害の準備をしている。

絶体絶命の今こそ、イスラエルの神が、

ご自分の選民を救うために手を下されるのである。

主は言われる。

「あなたがたは、聖なる祭を守る夜のように歌をうたう。

また・・・・主の山にきたり、イスラエルの岩なる

主にまみえる時のように心に喜ぶ。

主はその威厳ある声を聞かせ、

激しい怒りと、焼きつくす火の炎と、

豪雨と、暴風と、

ひょうとをもってその腕の下ることを示される」

(イザヤ 30:29、3 0 )。

 

かちどきや、あざけりや、のろいの声をあげながら、

悪人たちの群れが、

今にもそのえじきに飛びかかろうとするその時、

見よ、夜の暗黒以上の深いやみが、地をおおうのである。

続いて、神のみ座からの栄光に輝くにじが天にかかり、

祈っているどの群れをも取り囲むように見える。

怒り狂った群衆が、

急に引き止められる。

彼らのあざ笑いの叫びが消える。

なんのために殺気だっていたのかも忘れられる。

彼らは、

恐ろしい予感におののきながら神の契約の象徴を見つめ、

その圧倒的な輝きから隠れたいと願う。

 

神の民には、「上を見なさい」というはっきりした

音楽のような声が聞こえてくる。

彼らが目を天に向けると、約束のにじが見える。

大空をおおっていた黒い、怒ったような雲が裂けて、

彼らは、ステパノのようにじっと天を見つめて、

神の栄光と、人の子がそのみ座にすわっておられるのを見る。

イエスのこうごうしいお姿の中に、

十字架の恥を忍ばれた時の傷跡を、彼らは認める。

そして、主が天父と聖天使たちの前で、

「あなたがわたしに賜わった人々が、

わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい」と願われるのを、

主のくちびるから聞くのである(ヨハネ 17: 2 4 )。

「きよく、傷なく、汚れのない者たちがやってくる。

彼らは、わたしの忍耐のことばを守った。

彼らは、天使たちとともに歩くことができる」

と言われる音楽のような勝利に満ちたみ声が、再び聞こえてくる。

すると、信仰を固く保ってきた者たちの

青ざめふるえていたくちびるが、勝利の叫びをあげる。

大地震と特別な復活

神が、ご自分の民を救うためにその力をあらわされるのは、

真夜中である。

太陽がその力強い光を放って現れる。

しるしと不思議とがあとからあとから現れる。

悪人たちはこの光景を、恐れと驚きとをもってながめる。

一方義人たちは、自分たちの救いの前兆を厳粛な喜びで迎える。

自然界の万物は、それぞれの軌道からはずれたように見える。

川の流れは止まる。

黒い厚い雲が現れて、互いに衝突する。

この怒ったような天の真ん中に、

一か所言うに言われぬ栄光に満ちた澄んだ空間があって、

そこから神のみ声が、多くの水の音のように聞こえてきて、

「事はすでに成った」と告げるのである(黙示録 16:1 7 )。

 

その声が天と地とを震動させる。大地震が起こる。

「それは人間が地上にあらわれて以来、

かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった」

(同 16:18 )。

大空は、開いたり、閉じたりするように見える。

神のみ座からの栄光が、ひらめき渡るように見える。

山々は、風にゆらぐ葦(あし)のように揺れ、

ゴツゴツした岩があたり一面に飛び散る。

嵐が近づいているようなうなり声がする。

海は荒れ狂っている。

強風のかん高い音が、

破壊行為に従事している悪鬼らの声のように聞こえる。

全地は海の波のように隆起し揺れ動く。

地の表面は砕け散る。地の基そのものが崩れつつあるように見える。

山脈は沈下していく。

人々の住んでいる島々が消えていく。

罪悪に満ちてソドムのようになってしまった海港は、

怒った水にのまれてしまう。

神は大いなるバビロンを思い起こし、

「これに神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられ」る。

「1タラントの重さほど」の大きな雹が、

破壊の働きをしている(同 16:19、2 1 )。

おごり高ぶっていた地上の諸都市が低くされる。

世の偉大な人たちが、自分たちに

栄光を帰するために巨額の富を費やして建てた堂々たる宮殿が、

彼らの目の前で崩れ去る。

牢獄の壁は砕けて落ち、

信仰のためにつながれていた神の民が解放される。

 

墓が開かれる。「地のちりの中に眠っている者のうち、

多くの者は目をさますでしょう。

そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、

限りなき恥辱をうける者もあるでしょう」(ダニエル 12:2 )。

第3天使の使命を信じて死んだ者はみな、栄化されて墓から現れ、

神がご自分の律法を守った者たちと結ばれる

平和の契約を聞くのである。

「彼を刺しとおした者たち」(黙示録 1:7 )、

キリストの死の苦しみをあざ笑った者たち、

そして、キリストの真理とその民とに対して最も激しく反対した者

たちは、栄光をまとわれたキリストをながめるために、また、忠実で

従順な者たちに与えられる誉れを見るために、よみがえらせられる。

最後の日の人々の運命

重苦しい雲がなお空をおおっている。

しかし、時おり太陽がすきまから現れ、

それが主の報復の目のようである。

恐ろしいいなずまが天から

ひらめき、地球を一面の炎で包むように見える。

恐ろしい雷鳴を圧して、神秘的なおそるべき声が、

悪人たちの運命を宣告する。

この時語られる言葉は、すべての者に理解されるわけではないが、

偽教師たちには、それがはっきり理解される。

ついさっきまでは、向こう見ずで、高慢で、

反抗的で、神の戒めを守る民を残酷にあしらって勝ち誇っていた

者たちが、今はもうあわてふためき、恐れおののいている。

彼らの泣き叫ぶ声は、自然界の物音を越えて聞こえてくる。

悪鬼たちは、キリストの神性を認めて、

キリストの力の前に震えあがり、

一方人々は、憐れみをこい求めて、

目も当てられないような恐怖のうちにはいつくばる。

 

昔の預言者たちは、神の日の聖なる幻を見て言った。

「あなたがたは泣き叫べ。主の日が近づき、

滅びが全能者から来るからだ」(イザヤ1 3 : 6 )。

「あなたは岩の間にはいり、

ちりの中にかくれて、主の恐るべきみ前と、

その威光の輝きとを避けよ。

その日には目をあげて高ぶる者は

低くせられ、おごる人はかがめられ、

主のみ高くあげられる。

これは、万軍の主の1日があって、すべて誇る者と高ぶる者、

すべておのれを高くする者と得意な者とに臨むからである。」

「その日、人々は拝むためにみずから造ったしろがねの偶像と、

こがねの偶像とを、

もぐらもちと、こうもりに投げ与え、

岩のほら穴や、がけの裂け目にはいり、

主が立って地を脅かされるとき、

主の恐るべきみ前と、その威光の輝きとを避ける」

(イザヤ 2:10―12、20、2 1 )。

 

雲の切れ目から、暗黒とは対照的に、

4倍も輝きを増した1つの星が光る。

この星は、忠実な者には、望みと喜びとを語るが、

神の律法を犯した者たちには、きびしさと怒りとを語る。

キリストのためにすべてを犠牲にした者たちは、

主の仮屋の奥に隠されているかのように、今は安全である。

すでに彼らは試みられ、世界と真理を軽べつする人々との前で、

自分たちのために死なれたお方に対する忠誠心を証明したのである。

死に直面してもなお忠誠心を固く保ち続けた者たちの上に、

驚くべき変化が起きた。

彼らは、悪鬼と化した人々の暗黒と恐怖の圧制から、

突然救い出された。

さっきまで青ざめ、不安に閉ざされて、やつれはてていた彼らの顔が、

今は驚嘆と信仰と愛に輝いている。

彼らの声は、勝利の歌となってあがる。

「神はわれらの避け所また力である。

悩める時のいと近き助けである。

このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、

われらは恐れない。たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、

そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない」

(詩篇 46:1 ― 3 )。

十戒が全地に示される

このような聖なる信頼の言葉が

神のみもとにのぼって行く間に、

雲は退き、両側の暗い怒ったような大空とは対照的に、

言うに言われぬ栄光に輝く星空が見えてくる。

天の都の栄光が、開かれた門から流れ出る。

そのとき、折りたたんだ2枚の石の板を持った手が、空中に現れる。

「天は神の義をあらわす、神はみずから、さばきぬしだからである」

と預言者は言っている(詩篇 50:6 )。

シナイ山から雷鳴と炎の中で、

人生の指針として宣言された神の義であるあの聖なる律法が、

今やさばきの規準として人々に示される。

その手が石の板を開くと、

火のペンでしるされたかと思われる十戒の言葉が見える。

その言葉は、はっきり書かれていて、

だれでも読むことができる。

記憶が呼びさまされ、

すべての人の心から迷信と異端の暗黒が

払いのけられて、簡単で理解しやすく、

権威に満ちた神の10の言葉が、

地上の全住民の前に示される。

 

神の聖なる要求をふみにじってきた者たちの恐怖と失望とは、

描写することができない。

主は彼らに神の律法をお与えになった。

彼らは、自分たちの品性をそれと比較して、

まだ悔い改めて改革する機会のあるうちに、

自分たちの欠点を知ることができたはずであった。

しかし、世の支持を受けたいために、彼らは律法の教えを捨て去り、

またほかの者にも、それを犯すように教えたのである。

彼らは、神の民が安息日を汚すように強制してきた。

今となっては、彼らは自ら軽べつした律法によって

罪に定められるのである。

彼らは、もはや弁解の余地はないことを、

恐ろしいまでにはっきりと知る。

彼らは、自分たちが仕え礼拝する対象を自ら選んだのである。

「その時あなたがたは、再び義人と悪人、

神に仕える者と仕えない者との区別を知るようになる」

(マラキ 3:18 )。

 

神の律法の反対者たちは、牧師からいちばん小さい者にいたるまで、

真理と義務について新たな考えを抱く。

彼らは第4条の安息日が生ける神の印であることを知るが、

しかしもう遅い。

彼らは偽の安息日の真の性質を知り、

自分たちがこれまで砂の土台の上に築いていたことを知るが、

もう遅いのである。

彼らは、自分たちが神と戦っていたことに気づく。

牧師たちは人々を、天国の門へ導くと公言しながら、

滅びに導いていたのである。

聖職にある者の責任がどんなに恐ろしいものであるか、

また彼らの不忠実の結果がどんなに恐るべきものであるかは、

最後のさばきの日まで知ることができない。

たった1人の魂の損失でも、

われわれがそれを正しく評価できるのは、永遠においてのみである。

悪いしもべよ、わたしから離れ去れと神から言われる者の運命は、

実に恐ろしいものである。

イエスの来臨

天から神のみ声が聞こえて、

イエスのこられる日と時とが宣言され、

永遠の契約が神の民に伝えられる。

どんな雷鳴も及ばぬとどろきをもって、

神のみ言葉が地上になりひびく。

神のイスラエルは、耳を傾け、目を上方に注いで立っている。

彼らの顔は神の栄光に照らされて、

シナイ山から帰ってきた時のモーセの顔のように輝いている。

悪人たちは、彼らを見つめることができない。

神の安息日をきよく守ることによって

神をあがめてきた者たちに、

祝福が宣言されると、勝利の力強い叫びが起こる。

 

まもなく、東の方に、

人の手の半分くらいの大きさの小さい黒雲が現われる。

それは、救い主を囲んでいる雲で、遠くからは、

暗黒に包まれているように見える。

神の民は、これが人の子のしるしであることを知っている。

彼らは、厳粛な沈黙のうちに、その雲が地上に近づくのを見つめる。

それは次第に明るさと輝かしさを増し、

ついには大きな白い雲となって、

下のほうには焼き尽くす火のような栄光が輝き、

上のほうには契約のにじがかかっている。

イエスは、偉大な勝利者としておいでになる。

今度は、恥辱と苦悩の苦い杯を飲む「悲しみの人」ではなくて、

天地の勝利者として、

生きている者と死んだ者とをさばくためにこられる。

「忠実で真実な者」

「義によってさばき、また戦うかたである。」

そして「天の軍勢が」彼に従う(黙示録 19:11、14)。

数えることができないほどの聖天使の群れが、

天の聖歌を歌いながら付き従う。

大空は、「万の幾万倍、千の幾千倍」もの、

輝く天使たちで満たされたように見える。

この光景は、人間のどんな筆によっても描くことができない。

その輝かしさは、

どんな人間の頭でも十分に想像することはできない。

「その栄光は天をおおい、そのさんびは地に満ちた。

その輝きは光のようであ」る

(ハバクク 3:3、4 )。

生きている雲が、さらに近づくと、

すべての目は、いのちの君をながめる。

いまはその聖なる頭を傷つけるいばらの冠はなく、

その聖なる額には栄光の冠がある。

そのみ顔は、真昼の太陽よりもまぶしく輝く。

「その着物にも、そのももにも、『王の王、主の主』

という名がしるされていた」(黙示録 19:16)。

 

イエスを前にして、「どの人の顔色も青く変っている。」

神の恵みを拒んだ者に、永遠の絶望の恐怖がおそってくる。

「心は消え、ひざは震え、・・・・すべての顔は色を失った」

(エレミヤ 30:6、ナホム 2:1 0 )。

義人たちは、震えながら、

「だれが立つことができようか」と叫ぶ。

天使たちの歌はやみ、恐ろしい沈黙のひと時がくる。

すると、「わたしの恵みはあなたに対して十分である」

というイエスのみ声が聞こえる。

義人たちの顔は輝き、どの人の心も喜びに満たされる。

そして、天使たちは、

前よりも調子を高めて歌い始め、

ますます地上へと近づいてくる。

 

王の王は、燃える炎に包まれて、

雲に乗って降りて来られる。

天は巻物が巻かれるように消えていき、

地は、王の王の前に震え、すべての山と島とは、

その場所から移されてしまう。

「われらの神は来て、もだされない。

み前には焼きつくす火があり、

そのまわりには、はげしい暴風がある。

神はその民をさばくために、上なる天および地に呼ばわれる」

(詩篇50:3、4 )。

 

「地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、

自由人らはみな、ほら穴や山の岩かげに、身をかくした。

そして、山と岩とにむかって言った、

『さあ、われわれをおおって、

御座にいますかたの御顔と小羊の怒りとから、かくまってくれ。

御怒りの大いなる日が、

すでにきたのだ。だれが、その前に立つことができようか』」

(黙示録 6:15―17 )。

「御怒りの大いなる日」

あざけり笑う声はやんだ。

偽りのくちびるは沈黙させられた。

「騒々しい声と血まみれの衣」で相戦う戦いの騒ぎ、

武器の鳴り響く音は静まる(イザヤ 9:5・英語訳)。

今聞こえてくるのは、祈りと嘆きと悲しみの声だけである。

少し前まであざけり笑っていた者たちが、

「御怒りの大いなる日が、すでにきたのだ。

だれが、その前に立つことができようか」と叫ぶ。

悪人たちは、自分たちが軽べつし拒否してきた

おかたの顔を見るよりは、

山々の岩石の下に葬られることを願う。

 

死者の耳にも通るそのみ声を、彼らは知っている。

その優しい訴えのみ声は、どんなにたびたび、

彼らに悔い改めを呼びかけたことだろう。

そのみ声は、友人や兄弟、そして贖い主の、

心を打つ訴えのうちに、幾度聞かれたことだろう。

その恵みを拒否した者にとって、「あなたがたは心を翻せ、

心を翻してその悪しき道を離れよ。・・・・

あなたはどうして死んでよかろうか」と長い間訴えてきた

み声ほど非難に満ち、心を責めるものはない(エゼキエル 33:1 1 )。

ああ、むしろ、それが見知らぬ人の声であればよいだろうに。

「わたしは呼んだが、あなたがたは聞くことを拒み、手を伸べたが、

顧みる者はなく、かえって、あなたがたはわたしのすべての勧めを捨て、

わたしの戒めを受けなかった」とイエスは言われる

(箴言 1:24、25 )。

その声は、

彼らが消し去ってしまいたいと思う記憶―警告をあざけり、

招きを拒み、特権を軽んじた記憶―を呼び起こす。

 

そこには、キリストが十字架の辱しめを受けられた時に、

かれをあざけった者たちもいる。

大祭司から神に誓って答えを要求された時に、

苦難のうちにあられた主が、「あなたがたは、間もなく、

人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」

と厳粛に宣言された言葉を思い起こして、彼らは身震いする

(マタイ 26:6 4 )。

彼らは、今、栄光のうちにあられる人の子をながめているが、

これから、人の子が力ある者の右に座られるのを見るのである。

悪人たちの回想と後悔

わたしは神の子であるとのキリストの宣言をあざけった者たちは、

今は何も言えない。

そこには、イエスの王の称号をあざけって、

あざ笑う兵士たちに命じてイエスに冠をかぶらせたヘロデもいる。

不敬な手で紫の衣を着せ、

その尊い額にいばらの冠をかぶらせ、

なんの抵抗もなさらないみ手に偽の笏(しゃく)を持たせ、

嘲笑しながら礼拝のまねをして神を汚した、その当人たちがいる。

いのちの君を打ち、つばをはきかけた者たちは、今、

キリストの射るような視線から顔をそむけ、

そのご臨在の圧倒的な栄光から逃げようとする。

イエスの手と足に釘を打った者たちや、

その脇腹を刺した兵士は、

恐怖と後悔とに打ち震えてその傷跡を見る。

 

祭司たち、為政者たちは、恐ろしいばかりにはっきりと、

カルバリーのできごとを思い起こす。

悪魔のように勝ち誇った気持ちで、頭を振りながら

「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。

あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。

そうしたら信じよう。彼は神にたよっているが、

神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい」

と叫んだことを思い出して、彼らは震えあがる

(マタイ 27:42、43)。

 

彼らは、主人のぶどう園の実を納めることを拒んで、

主人のしもべたちを辱しめ、

主人の子を殺した農夫たちについての救い主のたとえ話を、

はっきり思い起こす。

彼らは、また、ぶどう園の主人は「悪人どもを皆殺しに」するであろうと、

彼ら自身が言い放った宣告を思い出す。

これらの不忠実な人々の罪と刑罰の中に、祭司や長老たちは、

自分たちの歩んだ道と、自分たちの受けるべき運命とを認める。

そして今や、彼らの断末魔の苦悩の叫びがあがる。

「十字架につけよ、十字架につけよ」

とエルサレムの町じゅうに響いた叫びよりも、

さらに大きな声で、

「かれは神のみ子だ!かれは真のメシヤだ!」という恐ろしい、

絶望的な嘆きの声があがる。

彼らは王の王のみ前から逃げようとする。

自然界の変動のためにできた

地のほら穴の奥深くに隠れようとするが、むだである。

 

だれでも真理を拒む者の一生には、いつかは、良心が目覚め、

偽善的な生活をふりかえって苦しみ、

魂がとりかえしのつかない後悔に悩まされる時がある。

けれども、そうしたことは、

「恐慌が、あらしのように・・・・臨」み、

「災が、つむじ風のように臨」むその日の激しい後悔とは、

とうていくらべられない(箴言 1:2 7 )。

キリストとキリストの忠実な民とを殺そうとした人々は、

今、その人たちの上に栄光が宿っているのを見る。

彼らは、自分たちが恐怖に襲われている最中に、

聖徒たちが喜ばしい声で、「見よ、これはわれわれの神である。

わたしたちは彼を待ち望んだ。彼はわたしたちを救われる」

と叫ぶのを聞く(イザヤ 25:9 )。

聖徒たちの復活

地がよろめき、いなずまがひらめき、雷がとどろく真っただ中で、

神のみ子の声が、眠っている聖徒たちを呼び起こす。

イエスは義人たちの墓をごらんになり、

それから両手を天のほうへ上げて、

「目ざめよ、目ざめよ、目ざめよ。ちりの中に眠る者たちよ、起きよ」

と呼ばれる。

地の全面にわたって、死者はその声を聞き、聞く者は生きる。

そして、全地に、あらゆる国民、部族、国語、

民族からなる大群の足音が鳴り響く。

「死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。

死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」と叫びながら、

彼らは死の獄屋から、不死の栄光をまとって現われる

(Ⅰコリント 15:5 5 )。

そして、生きていた聖徒たちと

よみがえった聖徒たちとはともに声をあわせて、

勝利の長い喜びの叫びをあげる。

 

どの人もみな、墓に入った時と同じ身長で墓から現われる。

よみがえった群衆の中に立っているアダムは、

背が高く堂々たる容姿で、神のみ子より少し低いだけである。

彼は後世の人々とは、著しい対照を示している。

この点からでも、人類の大きな退化がわかる。

しかし、どの人もみな、

永遠の若さの新鮮さと活力にあふれてよみがえる。

世の初めに、人は、品性だけでなく、

容貌や姿も神のみかたちにかたどって創造された。

罪のために神のかたちはそこなわれ、ほとんど消えてしまったが、

キリストは、その失われたものを回復するためにこられた。

キリストは、わたしたちの卑しい体を造り変えて、

ご自身の栄光の体に似たものとしてくださる。

1度罪に汚されてしまって美を失い、死ぬべき、

朽ち果てるべきものとなった体が、完全な、美しい、不死のものとなる。

すべての傷や醜さは、墓の中に残される。

贖われた者は、長い間失われていた

エデンのいのちの木に再び近づくことを許され、

最初の栄光に輝く人類の完全な背丈に「成長する」のである

(マラキ 4:2・英語訳)。

罪ののろいの最後の痕跡が取り除かれ、

キリストに忠実に仕える者たちは、知的にも、霊的にも、身体的にも、

主の完全な姿を反映して、「われらの神、主のうるわしさ」

を着て現われる。

ああ、なんというすばらしい贖いであろう。

これこそ長い間、語り、熱望し、熱心な期待をもって瞑想してきたが、

しかし決して十分には理解できなかったことであった。

 

生きている義人たちは、「またたく間に、一瞬にして」変えられる。

彼らは、神のみ声によって栄化された。

今や彼らは不死の者とされて、よみがえった聖徒たちとともに、

空中において主に会うために引き上げられる。

天使たちは、「天のはてからはてに至るまで、

四方からその選民を呼び集める。」小さい子供たちは、

天使たちに抱かれてきて、母親の腕に返される。

長く死に別れていた友人たちは再会して、

もう永久に別れることなく、

喜びの歌をうたいながら、

ともに神の都へと上っていく。

神の都への行進

雲の車の両側には翼があって、その下には、生きた輪がある。

そして車が上に進むにつれて、輪は「聖なるかな」と叫び、

翼も、動きながら「聖なるかな」と叫ぶ。

そして、付き従う天使たちは、

「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、主なる全能の神」と叫ぶ。

車が、新エルサレムに向かって進むにつれて、

贖われた者たちは「ハレルヤ!」と叫ぶ。

 

神の都に入る前に、救い主は、ご自分に従う者たちに、

勝利の象徴を与え、王族のしるしを授けてくださる。

輝く行列は、主なるイエスのまわりに四角形をつくる。

イエスのお姿は、聖徒たちや天使たちよりも高く堂々としており、

そのお顔からは、慈悲深い愛の輝きが、彼らの上にあふれ出ている。数えきれないほど多くの、あがなわれた者たちの視線

は、すべてイエスの上にそそがれ、「顔だちは、そこなわれて人と異なり、

その姿は人の子と異なっていた」お方の栄光を、すべての目がながめる。

勝利者の頭には、イエスご自身が右の手で、

栄光の冠をかぶらせてくださる。

すべての者のために、その人の「新しい名」と「主に聖なる者」

ということばが刻まれた冠がある(黙示録 2:1 7 )。

すべての者の手には、

勝利者のしゅろの枝と輝く立琴とが授けられる。

そして、指揮する天使たちが合図の音をかき鳴らすと、

すべての者の手はたくみに立琴をかなで、

すばらしい音楽の美しい調べがわき起こる。

すべての者の心は、

言葉に言いあらわすことのできない感激に心がふるえ、

すべての声は、

「わたしたちを愛し、

その血によってわたしたちを罪から解放し、

わたしたちを、その父なる神のために、

御国の民とし、

祭司として下さったかたに、

世々限りなく栄光と権力とがあるように」

と感謝の賛美をささげる(黙示録 1:5、6 )。

 

贖われた群衆の前には、聖都がある。

イエスは、真珠の門を広くあけられる。

そして、真理を守ってきた諸国の民がその中へ入る。

そこに彼らは、神のパラダイス、

すなわちアダムが罪を犯す前のふるさとを見る。

その時、人間の耳が今まで聞いたどんな音楽よりも

豊かな美しいあの声が、「あなたがたのたたかいは終わった。」

「わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、

世の初めからあなたがたのために用意されている

み国を受けつぎなさい」と言われる。

キリストの祈りの成就

ここで、「あなたがわたしに賜わった人々が、

わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい」

と弟子たちのために祈られた救い主の祈りが成就する。

キリストは、ご自分の血によって贖われた者たちを、

「その栄光のまえに傷なき者として、喜びのうちに」

父の前に示し(ユダ 2 4 )、「わたしはここにおります。

そして、あなたがわたしに下さった子供たちもおります。」

「あなたがわたしに下さったものを、わたしは守りました」と言われる。

ああ、なんという驚嘆すべき贖いの愛であろう。

無限なるお方であられる天父が、贖われた者たちをごらんになって、

罪による不調和が消え、罪ののろいが除かれ、

人性が再び神性と調和して、そこに神のみかたちをごらんになる時の、

その喜びはどんなであろう。

 

ことばに言い表すことのできない愛をもって、

イエスは忠実な者たちを主の喜びに迎え入れてくださる。

救い主の喜びは、ご自身の苦悩と屈辱とによって救われた魂を、

栄光のみ国において見ることである。

そして、贖われた者たちは、この祝福された人々の中に、

自分たちの祈りや働きや愛のこもった犠牲によって

キリストに導かれた人々があるのを見て、

主の喜びにともにあずかる者となる。

彼らが大いなる白いみ座のまわりに集まって、

自分がキリストに導いた人たちを見、

そして、その導かれた人たちがまたほかの者を導き、

その人たちがさらにほかの人たちを導いて、

すべての者が休息の港に入れられたことを見る時、

彼らは言うに言われぬ歓喜に心が満たされ、

自分たちの冠をイエスの足もとに投げ出して、

永遠に尽きることのない年月にわたってイエスを賛美するのである。

回復されたアダムの主権

贖われた人々が、神の都に迎え入れられる時に、

喜ばしい賛美の叫びが空に響きわたる。

今、2人のアダムが会おうとしているのである。

神のみ子は、立って手を広げ、人類の祖先を抱こうとしておられる。

神のみ子が、この人を創造された。その彼が創造主に罪を犯した。

そして、彼の罪のために、

救い主の体に十字架の傷が負わされたのである。

アダムは、残酷な釘のあとを見て、主の胸にはよりかからず、

恥じいって主の足もとにひれ伏し、

「ほふられた小羊こそは・・・・さんびを受けるにふさわしい」

と叫ぶのである。

救い主は、やさしく彼を抱き起こして、

彼が長い間追放されていたエデンの故郷を

もう1度見るようにとお命じになる。

 

 

エデンを追放されてからの、

アダムの地上の生涯は、悲しみに満ちたものであった。

木の葉が落ち、犠牲の動物がささげられるのを見、

自然の美が傷つけられ、人間の純潔が汚されるのを見るたびに、

彼は自分の罪をまざまざと思い出した。

彼は、罪悪がふえひろがるのを目撃し、警告の声をあげると、

それに答えて、罪の起こりは彼自身のせいであるとののしられて、

恐ろしい良心の呵責に悩まされた。

彼は1000年近くもの間、

身を低くして、罪の刑罰を耐え忍んだ。

彼は、心から自分の罪を悔い改めて、

約束された救い主の功績に信頼し、

復活の希望をもって死んだ。

神のみ子は、人間の失敗と堕落とを贖われた。

そして今、贖罪の働きによって、

アダムに最初の主権が返されたのである。

 

彼は、喜びのあまり我を忘れて、

かつて自分の楽しみであった木々、

まだ罪を犯さず喜びに満ちていた時に、

自分で実を集めたその木々をながめる。

彼は、自分の手で整えたぶどうの木、

かつて愛し育てた花々を見る。

彼の心は、この光景が現実であることを悟る。

これが回復されたエデンであること、

彼が追放された時よりももっと美しくなった

エデンであることを彼は悟るのである。

救い主は、彼を命の木に導き、その輝く実をとって、

アダムに食べるようお命じになる。彼は回りを見渡す。

そして、贖われた彼の家族の大群集が、

神のパラダイスに立っているのを見る。

その時、彼は、自分の輝く冠をイエスの足もとに投げ出して、

彼の胸によりすがり、贖い主を抱きしめるのである。

彼は黄金の立琴をかなでる。そして天の丸天井に、

「ほふられ、よみがえられた小羊は、さんびを受けるにふさわしい」

という勝利の歌がこだまする。アダムの家族は、

その旋律に合わせて声をあげ、彼らの冠を救い主の足もとに投げ出し、

崇敬の念をもって彼の前にひざまずくのである。

 

アダムが堕落した時に涙を流し、イエスが復活後、

み名を信じるすべての者のために墓を開いて、

天に昇られた時に喜んだ天使たちが、

この再会を目撃する。

今彼らは、贖罪の働きの完成を目撃し、

賛美の歌に彼らの声を合わせるのである。

モーセと小羊の歌

み座の前の、水晶のように透きとおった海、あの、

火のまじったガラスの海

―神の栄光でまばゆく輝いているところ―

の上に、

「獣とその像とその名の数字とにうち勝った人々が」

集まっている。シオンの山の小羊とともに、

人々の間から贖われた彼ら、すなわち、14万4千が、

「神の立琴を手にして」立つのである。

また、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のような、

「琴をひく人が立琴をひく音」のようなものが聞こえる。

そして、彼らは、み座の前で新しい歌をうたう。

この歌は、

14万4千以外のものは、だれも学ぶことができない。

それは、モーセと小羊の歌、すなわち、救いの歌である。

14万4千のほかは、だれもその歌を学ぶことができない。

なぜなら、それは彼らの体験

―他のどの群れもしたことのない体験―

の歌だからである。

「小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。」

彼らは、地上から、生きている者の間から、

天に移された者たちで、

「神と小羊とにささげられる初穂」とみなされる

(黙示録 15:2、3、14:1―5)。

「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって」、

国が始まって以来かつてなかったほどの悩みの時を通ってきた。

彼らは、ヤコブの悩みの時の苦しみに耐えた。

彼らは、神の最後の刑罰がくだる中を、

仲保者なしで立った。

しかし彼らは、

「その衣を小羊の血で洗い、それを白くした」ために、救われた。

「彼らの口には偽りがなく、彼らは」神の前に、「傷のない者であった。」

「それだから彼らは、神の御座の前におり、

昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。

御座にいますかたは、

彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。」

彼らは、地上が飢饉と疫病で荒廃し、

太陽が激しい熱で人々を焼くのを目撃した。

そして、彼ら自身も、苦しみ、飢えかわいたのであった。

しかし、「彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。

太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。

御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、

いのちの水の泉に導いて下さるであろう。

また神は、

彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」

(黙示録 7:14―17 )。

賛美の大合唱

各時代において、救い主の選びを受けた人々は、

試練の学校で教育され、訓練された。

彼らは、地上ではせまい道を歩んだ。

彼らは苦難の炉で清められた。

彼らは、イエスのために、反対、憎悪、中傷に耐えた。

彼らは、激しい争闘の中でイエスに従った。

彼らは、自己犠牲に耐え、苦い失望をも経験した。

彼らは、自分自身の悲痛な経験によって、

罪の邪悪さを知り、その力、そのとが、その悲惨を知った。

そして彼らは、罪を嫌悪する。

彼らは、自分たちが罪から救い出されるために払われた

無限の犠牲を悟る時に、おのずから心はへりくだり、

堕落したことのない者たちには味わうことのできない感謝と賛美に、

心が満たされるのである。

彼らは、多く許されたゆえに、多く愛するのである。

彼らは、キリストの苦難にともにあずかったことによって、

彼の栄光にもともにあずかるにふさわしい者とされるのである。

 

神の相続人たちは、屋根裏、あばらや、

牢獄、刑場、山々、砂漠、

地のほら穴、海の洞窟などから出て来た。

彼らは、この地上では、

「無一物になり、悩まされ、苦しめられた。」

幾百万という人々が、

サタンの欺瞞的主張に服することを

断固として拒んだために、汚名を着せられて墓にくだっていった。

 

彼らは、人間の法廷において、最悪の1 犯罪人であると宣告された。

しかし今、「神はみずから、さばきぬし・・・・である」(詩篇 50:6 )。

今、地上の判決はくつがえされる。

神は、「その民のはずかしめを・・・・除かれる」

(イザヤ 25:8 )。

「彼らは『聖なる民、主にあがなわれた者』ととなえられ」る。

主は「灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、

憂いの心にかえて、さんびの衣を与え」られる

(同 62:12、61:3 )。

彼らは、もはや、弱く、苦しめられ、追い散らされ、

圧迫される人々ではない。

これからは、彼らはいつまでも主とともにいるのである。

彼らは、

地上のどんな栄誉ある人も着たことのない美しい衣を着て、

み座の前に立つ。

彼らは、地上のどんな王もかぶったことのない

輝かしい王冠をかぶる。

痛みとなげきの時は、永遠に過ぎ去った。

栄光の王が、すべての者の顔から涙をぬぐいとってくださった。

悲しみの原因はすべて取り去られた。

彼らは、しゅろの枝を振りかざしながら、

美しく澄んで調和のとれた賛美の歌を歌い出す。

すべての者が、その調べに和して歌い、賛美の歌は、

天の丸天井に満ちあふれるのである。

「救は、御座にいますわれらの神と小羊からきたる。」

天の住民はみな、この賛美の言葉に答える。

「アァメン、さんび、栄光、知恵、感謝、ほまれ、力、

勢いが、世々限りなく、われらの神にあるように、アァメン」

(黙示録 7:10、12)。

永遠のテーマ

この世においては、われわれは、

贖いという驚嘆すべきテーマについて

ほんの初歩のことしか理解できない。

辱しめと栄光、いのちと死、公平と憐れみとが、

十字架において出会ったことを、

われわれの有限な理解力でどんなに熱心に探り調べてみても、

そしてわれわれの知力のかぎりを尽くしてみても、

われわれはその意味を十分につかむことはできない。

贖いの愛の長さ、広さ、深さ、高さは、かすかにしか理解されない。

贖いの計画は、贖われた者たちが、

見られているように見、知られているように知る時においてさえ、

十分には理解されない。

そして、永遠にわたって、新しい真理がたえず示されて、

心は驚きと喜びに満たされるのである。

地上の嘆き、痛み、誘惑は終わり、その原因は除かれても、

神の民は、自分たちの救いのためにどんな価が払われたかという

ことについて、はっきりした理解を持ち続けるのである。

 

キリストの十字架は、永遠にわたって、

贖われた者たちの科学となり歌となる。

栄光につつまれたキリストのうちに、

彼らは、十字架につけられたキリストを見る。

広大な空間に、数えきれないほどの諸世界を、

その力によって創造し、支えておられるお方、神の愛するみ子、

天の大君、ケルビムや輝くセラピムが喜んであがめるお方、

そのお方が、堕落した人類を救うために身を卑しくされたことは、

決して忘れられることがない。

また彼が、罪の苦痛と恥とを負われ、天父からはそのみ顔を隠されて、

ついには失われた世界の苦悩がその心臓を破裂させて、

カルバリーの十字架上でその命を絶たれたことは、

決して忘れられることがない。

諸世界の創造者、すべての運命の決定者が、人類に対する愛から、

ご自分の栄光を捨てて、ご自分を卑しくされたことは、

いつまでも宇宙の驚嘆と称賛の的となる。

救われた諸国民が、贖い主を見て、

そのみ顔に天父の永遠の栄光が輝いているのをながめる時、

また、永遠から永遠にいたるイエスのみ座をながめ、

イエスのみ国には終わりがないことを知る時、

彼らはどっと歓喜の歌声をあげて、「ほふられた小羊、

ご自身の尊い血によって、わたしたちを神に贖って下さったおかたは、

賛美を受けるにふさわしい、賛美を受けるにふさわしい」

と叫ぶのである。

 

十字架の奥義は、他のすべての奥義を説明する。

カルバリーから流れ出る光に照らして見る時、

われわれのうちに恐怖と畏敬の念を満たした神の属性は、

美しい、人を引きつけるものに見える。

憐れみ、やさしざ、父としての愛情が、

聖潔、公平、力と入りまじって見える。

われわれは、高くかかげられた神のみ座の威光をながめる一方では、

神のご品性の恵み深い憐れみを見て、

「われらの父よ」というあの永遠に続く称号の意味を、

いままでになく理解するのである。

 

限りない知恵を持っておられる神は、われわれの救いのためには、

み子の死よりほかに方法を考え出すことがおできにならなかった。

この犠牲に対する報いは、

きよく幸福で不死の身となって贖われた者たちを、

地に住まわせるという喜びである。

救い主が悪の権力と戦われた結果は、

贖われた者たちに与えられる喜びであり、

永遠にわたって神にみ栄えを帰することである。

魂にはこのように大きな価値があるので、天父は、

払われた価に満足される。

そして、キリストご自身も、

その大きな犠牲の実をごらんになって満足されるのである。

 

 

【 第41章 千年期と地上の荒廃 】

神の怒りの降下

「彼女の罪は積り積って天に達しており、

神はその不義の行いを覚えておられる。・・・・

彼女が混ぜて入れた杯の中に、その倍の量を、入れてやれ。

彼女が自ら高ぶり、ぜいたくをほしいままにしたので、

それに対して、同じほどの苦しみと悲しみとを味わわせてやれ。

彼女は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、

やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

それゆえ、さまざまの災害が、死と悲しみとききんとが、

1日のうちに彼女を襲い、そして、彼女は火で焼かれてしまう。

彼女をさばく主なる神は、力強いかたなのである。

彼女と姦淫を行い、ぜいたくをほしいままにしていた地の王たちは、

・・・・彼女のために胸を打って泣き悲しみ、・・・・

『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、

バビロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、

一瞬にしてきた』」(黙示録 28:5―10 )。

 

「彼女の極度のぜいたくによって富を得た」地上の商人たちは、

「彼女の苦しみに恐れをいだいて遠くに立ち、

泣き悲しんで言う、

『ああ、わざわいだ、麻布と紫布と緋布をまとい、

金や宝石や真珠で身を飾っていた大いなる都は、

わざわいだ。

これほどの富が、一瞬にして無に帰してしまうとは』」

(黙示録 18:3、15―17 )。

 

これが、神の怒りの日に、バビロンにくだる刑罰である。

バビロンの悪は満ちた。

その時は来た。

滅亡の時は熟した。

 

神のみ声が神の民を捕われの身からかえされる時に、

人生の大きな争闘においてすべてを失った人々に、

恐るべき覚醒が起こる。

恵みの期間が続いていた時、彼らは、

サタンの欺瞞に目をくらまされ、

自分たちの罪の行為を正当化していた。

金持ちは自分たちは貧しい人々に優越していると誇っていた。

しかし彼らは、神の律法を犯してその富を得たのであった。

彼らは、飢えた者に食べさせ、裸の者に着せ、正義を行い、

憐れみを愛することを、怠っていた。

 

彼らは、自分を高めることを、

そして人々の尊敬を受けることを求めていた。

ところが今、彼らは、彼らを偉大にしていた

すべてのものをはぎ取られて、何も持たず、

なんの防備もないのであった。

彼らは、自分たちが創造主よりも好んだ偶像が

破壊されるのを見て、恐れおののく。

彼らは、地上の富と快楽のためにその魂を売り渡してしまい、

神に対して富もうとしなかった。

そのために、彼らの生涯は失敗であった。

彼らの快楽は、今、苦いものとなり、彼らの財宝は朽ちる。

一生かかって得たものが、一瞬のうちに吹き払われる。

金持ちは、自分たちの豪壮な邸宅が破壊され、

金銀が四散するのを見て悲しむ。

しかし、彼らの悲しみは、

自分たちが偶像とともに滅びるという恐怖のために、沈黙にかわる。

 

悪人たちは、無念の思いに満たされる。

それは、彼らが神と同胞とを無視した罪深さのためではなく、

神が彼らに勝利されたためである。

彼らは、結果がこうした状態であることを悲しむ、

しかし、彼らは、その罪悪を悔いるのではない。

彼らは、できれば勝利を収めようとして、

ありとあらゆる手段を講じるのである。

 

世の人々は、彼らが嘲笑、愚弄し、

撲滅しようとしたその当人たちが、

疫病、嵐、地震にも耐えてなんの害も受けないのを見る。

神の律法を犯す者には焼きつくす火であられるかたが、

神の民にとっては安全な隠れ場なのである。

真相が明らかになる日

人々の歓心を得るために真理を犠牲にした牧師は、今、

自分の教えがどんな性質のもので、どんな影響を及ぼしたかを見る。

彼が講壇に立った時も、道を歩いた時も、

人生のさまざまな場合に人々と交わった時も、

全能の神の目が彼とともにあったことが明らかになる。

人々を偽りの避難所に休ませるように導いたすべての心の思い、

書いたすべての文字、語ったすべての言葉、

すべての行動は、種まきであった。

そして今、哀れな失われた魂にとりかこまれて、

彼はその収穫を見るのである。

 

「彼らは手軽に、わたしの民の傷をいやし、平安がないのに、

『平安、平安』と言っている。」

「あなたがたは偽りをもって正しい者の心を悩ました。

わたしはこれを悩まさなかった。またあなたがたは悪人が、

その命を救うために、その悪しき道から離れようとする時、

それをしないように勧める」と主は言われる

(エレミヤ 8:11、エゼキエル 13:2 2 )。

 

「わが牧場の羊を滅ぼし散らす牧者はわざわいである。・・・・

見よ、わたしはあなたがたの

悪しき行いによってあなたがたに報いる。」

「牧者よ、嘆き叫べ、群れのかしらたちよ、灰の中にまろべ。

あなたがたのほふられる日、

散らされる日が来たからだ。・・・・

牧者には、のがれ場なく、

群れのかしらたちは逃げる所がない」

(エレミヤ 23:1、2、25:34、3 5 )。

 

牧師たちと人々は、

自分たちが神との正しい関係を持ってこなかったことを悟る。

彼らは、自分たちが、

すべて公正で義である律法の創始者に反逆してきたことを知る。

神の戒めを破棄したことが、無数の罪悪、

不和、憎悪、不正の原因となり、

ついに地上は一大戦場、腐敗の巣くつとなった。

これが、真理を拒み、

誤りを信じることを選んだ者の目に写る光景である。

神に従わず、忠誠を保たなかった人々が、

永遠に失ったもの、すなわち永遠の生命に対して感じる渇望は、

言葉では表現することができない。

世からその才能と雄弁をもてはやされて崇拝された人々は、

今、そうしたものの真相を見る。

彼らは、罪によって何を失ったかを悟る。

そして彼らは、自分たちが軽べつし、

あざ笑っていた忠実な人々の足もとにひれ伏して、

彼らが神に愛されていたことを認める。

 

人々は、今まで自分たちが欺かれていたことを知る。

彼らは、破滅に陥ったことを互いに責め合う。

しかし彼らはみな一致して、最も激しい非難を牧師たちに浴びせる。

不忠実な牧師たちは、耳ざわりの良いことを言ってきた。

彼らは、聴衆に、神の律法を無視させ、

律法を聖く守る人々を迫害させた。

今、これらの教師たちは、絶望して、

自分たちの欺瞞行為を世の前に告白する。

群衆は激しい怒りに燃える。

「われわれは失われてしまった!

われわれの滅びの原因はあなたがただ」と彼らは叫ぶ。

 

そして彼らは、偽りの教師たちにつめ寄る。

かつて彼らを最も賞賛していたその人々が、

最も恐ろしいのろいの言葉を浴びせるのである。

かつて彼らに栄冠を与えたその手が、

彼らを滅ぼすためにあげられる。

神の民を滅ぼすために用いられることになっていた剣が、

今、その敵を滅ぼすために用いられる。

至るところに、争闘と流血が起こる。

争闘と流血

「叫びは地の果にまで響きわたる。

主が国々と争い、すべての肉なる者をさばき、

悪人をつるぎに渡すからである」

(エレミヤ 25:3 1 )。

大争闘は、6000年にわたって続いてきた。

神のみ子と天使たちは、人類に警告し、啓発し、

そして救いをもたらすために、悪魔の力と闘ってきた。

今や、すべての者が決定を下した。

すなわち、悪人は、神に反抗するサタンの戦いに、

完全に加担した。

神が、ふみにじられたご自分の律法の権威を

擁護される時が来たのである。

今や争闘は、サタンとの争闘だけでなく、

人間との争闘ともなる。

「主が国々と争い」「悪人をつるぎに渡すからである。」

 

「その中で行われているすべての憎むべきことに対して

嘆き悲しむ人々」に、救いのしるしがつけられた。

今や、エゼキエルの幻の中で、

その手に滅ぼす武器を持った人々に命令が与えられたように、

死の天使が出て行く。

「老若男女をことごとく殺せ。

しかし身にしるしのある者には触れるな。

まずわたしの聖所から始めよ。」

「そこで、彼らは宮の前に

いた老人から始めた」と預言者は言っている(エゼキエル 9:1― 6 )。

滅びの働きは、

人々の霊的保護者と称してきた人々から始められる。

偽りの夜回りがまず第1に倒れる。

あわれんだり助けたりする者はない。

老若男女がみな滅ぼされる。

 

「主はそのおられる所を出て、地に住む者の不義を罰せられる。

地はその上に流された血をあらわして、

殺された者を、もはやおおうことがない」

(イザヤ 26: 2 1 )。

「エルサレムを攻撃したもろもろの民を、

主は災をもって撃たれる。

すなわち彼らはなお足で立っているうちに、

その肉は腐れ、

目はその穴の中で腐れ、舌はその口の中で腐れる。

 

その日には、主は彼らを大いにあわてさせられるので、

彼らはおのおのその隣り人を捕え、

手をあげてその隣り人を攻める」

(ゼカリヤ 14:12、13)。

自分たち自身の激しい怒りによる争いと、

神の、あわれみを混じえない怒りの恐るべき降下によって、

地の悪しき住民たちは、聖職者も為政者も民衆も、

金持ちも貧乏人も、

地位の高い者も低い者も、倒れてしまう。

「その日、主に殺される人々は、地のこの果から、かの果

に及ぶ。彼らは悲しまれず、

集められず、また葬られずに、

地のおもてに糞土となる」(エレミヤ 25: 3 3 )。

地上の荒廃とサタンの幽閉

キリストがこられる時、悪人は、全地の表面から一掃される。

すなわち、主イエスの口の息によって殺され、

来臨の輝きによって滅ぼされる。

キリストはご自分の民を神の都へ連れて行かれ、

地には住民がいなくなる。

「見よ、主はこの地をむなしくし、

これを荒れすたれさせ、これをく

つがえして、その民を散らされる。」

「地は全くむなしくされ、全くかすめられる。

主がこの言葉を告げられたからである。」

「これは彼らが律法にそむき、定めを犯し、

とこしえの契約を破ったからだ。それゆえ、

のろいは地をのみつくし、そこに住む者はその罪に苦しみ、

また地の民は焼かれ」る

(イザヤ 24:1、3、5、6 )。

 

全地は荒涼たる荒野のように見える。

地震によって破壊された都市や村落の廃墟、

根こそぎにされた木々、海から投げ出されたり、

地中から引き裂かれたごつごつした岩石が、

地の表面にちらばっている。一方、広いほら穴は、

山々がその基から裂けてしまった跡を示している。

 

ここで、贖罪の日の最後の

厳粛な務めに予表されていた事件が起こる。

至聖所における務めが完了して、

イスラエルの罪が、罪祭の血によって聖所から除かれた時に、

アザゼルの山羊が生きたまま主の前に連れて来られた。

そして、大祭司は、会衆の前で、

「イスラエルの人々のもろもろの悪と、もろもろのとが、

すなわち、彼らのもろもろの罪をその上に告白し」た

(レビ 16:2 1 )。

それと同様に、

天の聖所における贖罪の働きが完了した時に、

神と天使たちと贖われた人々の群れとの前で、

神の民の罪が、

サタンの上におかれるのである。

彼が神の民に犯させたすべての罪悪の責任が、

彼にあることが宣言される。

アザゼルの山羊が、

人里離れた地に送り出されたように、サタンは、

住む者もいない荒涼たる荒野と化した地上に追放される。

 

黙示録の記者は、サタンが追放されることと、

地が混乱した荒廃状態になることを預言し、

この状態が1000年続くことを宣言している。

主の再臨の光景と悪人の滅亡について述べたあとで、

預言には、続いてこう言われている。

「またわたしが見ていると、ひとりの御使が、

底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。

彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、

かの年を経たへびを捕えて1000年の間つなぎおき、

そして、底知れぬ所に投げ込み、入り口を閉じてその上に封印し、

1000年の期間が終るまで、

諸国民を惑わすことがないようにしておいた。

その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた」

(黙示録 20:1―3 )。

 

「底知れぬ所」という言葉が、混乱と暗黒の状態にある

地球を象徴していることは、ほかの聖句によって明らかである。

地球の「はじめ」の状態について、聖書には、

「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり」と言われている

(創世記 1:2〔ここで「淵」と訳されている言葉は、黙示録 20:1―3で「底知れぬ所」と訳されている言葉と同じである〕)。

預言には、地が、少なくとも部分的に、

この状態にもどるということが教えられている。

預言者エレミヤは、神の大いなる日を待ち望んでこう宣言している。

「わたしは地を見たが、それは形がなく、またむなしかった。

天をあおいだが、そこには光がなかった。

わたしは山を見たが、みな震え、もろもろの丘は動いていた。

わたしは見たが、人はひとりもおらず、

空の鳥はみな飛び去っていた。

わたしは見たが、豊かな地は荒れ地となり、

そのすべての町は、主の前に、その激しい怒りの前に、

破壊されていた」(エレミヤ 4:23―26 )。

 

ここが、サタンと悪天使たちが、10 0 0年の間住むところとなる。

サタンは、地球に制限されているから、他世界に近づいて、

決して堕落したことのない者たちを試み悩ますことはできない。

こういう意味で、サタンはつながれるのである。

彼が働きかけることのできる者が、

だれもいなくなってしまうのである。

幾世紀にもわたって彼のただ1つの楽しみであった

欺瞞と破壊の行為が、全くできなくなるのである。

千年期

預言者イザヤは、

サタンが滅びるときを予見して、次のように叫んでいる。

「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。

もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。

あなたはさきに心のうちに言った、

『わたしは天にのぼり、

わたしの王座を高く神の星の上におき、・・・・

いと高き者のようになろう。』しかしあなたは陰府に落され、

穴の奥底に入れられる。

あなたを見る者はつくづくあなたを見、

あなたに目をとめて言う、

『この人は地を震わせ、国々を動かし、

世界を荒野のようにし、その都市をこわし、捕えた者をその家に解き帰さなかった者であるのか』」

(イザヤ 14:12―17 )。

 

サタンの反逆の働きは、6000年の間、「地を震わせ」た。

彼は、「世界を荒野のようにし、その都市をこわし」た。

彼は、「捕えた者をその家に解き帰さなかった。」

6000年の間、神の民は、彼の牢獄に入れられてきた。

そして彼は、彼らを永久に捕えておこうとした。

しかし、キリストは、彼の鎖を断ち切って、

補われている人々を解放されたのである。

 

今となっては、悪人たちでさえ、

サタンの力の及ばないところにおかれている。

サタンは悪天使たちとだけ取り残され、

罪がもたらしたのろいの結果を悟る。

「もろもろの国の王たちは皆尊いさまで、自分の墓に眠る。

しかしあなたは忌みきらわれる月足らぬ子のように、

墓のそとに捨てられ、・・・・あなたは自分の国を滅ぼし、

自分の民を殺したために、彼らと共に葬られることはない」

(イザヤ 14:18―2 0 )。

 

1000年の間、サタンは、荒れ果てた地上をさまよい歩いて、

自分が神の律法に反逆した結果をながめる。

この間のサタンの苦しみは非常なものである。

サタンは、堕落して以来、

たえず働き続けて、反省するひまがなかった。

ところが今は、力を奪われ、最初に天の政府に反逆して以来

自分がどんな事をしてきたかを熟考させられる。

そして彼は、恐ろしい将来を思ってふるえおののく。

その時には彼は、自分が行ったすべての悪のために苦しまねばならず、

また、自分が他の者に犯させた罪に対して

罰を受けねばならないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

悪人の審判

第1と第2の復活の間の1000年間に、悪人の審判が行なれる。

使徒パウロは、この審判を、再臨に続いて起こる事件として指し示す。

「だから、主がこられるまでは、何事についても、

先走りをしてさばいてはいけない。

主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、

心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう」

(Ⅰコリント 4:5 )。

ダニエルは、日の老いたる者がきて、

「いと高き者の聖徒のために審判をおこなった」

と言っている(ダニエル 7:22 )。

この時義人は、王、また祭司として支配する。

ヨハネは、黙示録の中で次のように言っている。

「また見ていると、数多くの座があり、その上に人々がすわっていた。

そして、彼らにさばきの権が与えられていた。」

「彼らは神とキリストとの祭司となり、

キリストと共に1 0 0 0 年の間、支配する」(黙示録20:4、6 )。

パウロが、「聖徒は世をさばく」と予見したのは、

この時のことを指しているのである(Ⅰコリント 6:2 )。

彼らはキリストと共に悪人を審き、

その行為を法規の書すなわち聖書と照らし合わせ、

それぞれのなしたわざに従って、すべての者に判決を下す。

その時、悪人は、それぞれのわざに応じて、

受けねばならない苦しみが定められる。

そして、それが、死の書の彼らの名のところに記録される。

 

サタンと悪天使たちも、キリストとその民によってさばかれる。

パウロは、「あなたがたは知らないのか、

わたしたちは御使をさえさばく者である」と言っている(同 6 : 3 )

また、ユダは、「主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、

そのおるべき所を捨て去った御使たちを、

大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、

暗やみの中に閉じ込めておかれた」と言っている (ユダ 6 )。

 

1000年の終わりに第2の復活がある。

その時に、悪人はよみがえらせられる。

そして、「記された審判」の執行を受けるために、

神の前に現れる。

こうして、黙示録の記者は、義人の復活を描写したあとで

「それ以外の死人は、

1000年の期間が終るまで生きかえらなかった」

と言っている(黙示録 2 0 : 5 )。

そしてイザヤは、悪人について、

「彼らは囚人が土ろうの中に集められるように集められて、

獄屋の中に閉ざされ、多くの日を経て後、

罰せられる」と宣言しているのである(イザヤ24:22)。

 

 

 

【 第42章 大争闘の終結 】

新エルサレムの降下と悪人たちの復活

千年期の終わりに、キリストは再び地上に帰ってこられる。

主は贖われた大群衆を伴い、

天使たちを従えてこられる。

彼は、恐るべき威光をもっておくだりになる時、

死んだ悪人たちに、

さばきの執行を受けるためによみがえるよう命じられる。

彼らは、海の砂のように、

無数の大群となって現れる。

第1の復活の時によみがえらせられた人たちと比較して、

なんという相違であろう。

義人たちは朽ちることのない若さと美しさを着せられていた。

ところがこの悪人たちは病気と死の跡を帯びている。

 

この大群衆のすべての眼が、神のみ子の栄光にそそがれる。

悪人たちはいっせいに、

「主のみ名によってこられるおかたに、祝福あれ」と叫ぶ。

このような言葉は、イエスに対する愛から出るのではない。

彼らは真理の力に迫られて、この言葉をしぶしぶ口から出すのである。

悪人たちは、墓に下った時と同じに、

キリストに対する憎悪と反逆精神をもって現われてくる。

彼らは、過去の生涯の欠点を除くための

新しい恩恵期間を与えられるのではない。

たとえ与えられても、なんの益もないであろう。

罪の一生は、彼らの心をやわらげなかった。

たとえ第2の恩恵期間が与えられたとしても、

第1の恩恵期間の場合と同じように、

神のご要求を回避し、

神に対する反逆を引き起こすだけであろう。

 

キリストはオリブ山におくだりになる。

そこはキリストが復活後昇天された場所であり、

また天使たちが、主の再臨について約束をくりかえしたところである。

預言者はこう言っている。

「あなたがたの神、主はこられる、もろもろの聖者と共にこられる。」

「その日には彼の足が、東の方エルサレムの前にある

オリブ山の上に立つ。

そしてオリブ山は、非常に広い1つの谷によって、

東から西に2つに裂け、」

「主は全地の王となられる。その日には、主ひとり、

その名1つのみとなる」(ゼカリヤ 14:5、4、9)。

 

新エルサレムが、目もくらむばかりに光り輝いて天からくだり、

きよめられて受け入れ準備の整った場所に落ち着くと、

キリストは、ご自分の民や天使たちとともに、

その聖なる都にお入りになる。

最後の戦いの準備

今やサタンは、主権をめざして最後の大いなる戦いの準備をする。

力を奪われ、欺瞞の働きができないようにされていた間は、

悪の君は、みじめな、意気消沈したありさまであった。

しかし今、悪人たちがよみがえり、

しかもその大群が自分の味方であることを知って、

彼は望みをとりもどし、大争闘に負けてはならないと決心する。

彼は、滅びる者たちの全軍を自分の旗下に集め、

彼らを通して自分の計画を遂行しようとする。

悪人たちはサタンのとりこである。

キリストを拒んだことによって、

彼らは反逆の指導者の支配を受け入れたのである。

彼らは簡単にサタンのそそのかしを受け入れ、その命令に従う。

しかもサタンは、昔と変わらないずるさで、

自分がサタンであるとは認めない。

彼は、自分がこの世界の正当な君であるのに

無法にもその継承権を奪われたのだと主張する。

彼はその欺いた部下に対して、

自分が贖い主であると主張し、

彼らを墓からよみがえらせたのは自分の力であって、

自分は残酷な暴政から

彼らを救い出そうとしているのだと言う。

キリストのお姿が見えなくなると、

サタンはこれらの主張を裏書きするために不思議な業を行う。

彼は、弱い者を強くし、

すべての者に彼自身の精神と力を吹き込む。

サタンは、彼らを指揮して聖徒たちの陣営を襲い、

神の都を占領しようと提案する。

彼は悪魔らしい大満悦をもって、

死からよみがえらされた無数の大群衆を指さし、

その指導者として、

聖都を破壊し王座と王国を奪還することが

十分できると宣言する。

 

この大群の中には、ノアの洪水前に生存していた長寿の種族がいる。

それはりっぱな体格と偉大な知能をもった人たちで、

堕落天使の支配に身をゆだねて、

あらゆる技量と知識を自分自身を高めるためにだけ

用いてきた人たちである。

それはまた、すばらしい芸術の作品によって、

世の人々からその天才を偶像視されながら、

その残酷さと邪悪な発明が地上を汚し、神のみかたちを汚したため、

神によって地から一掃された人たちである。

そこには、諸国を征服した王侯や将軍たち、

戦場においてかつて敗れたことのない勇士たち、

近づいただけで諸国を戦慄させた高慢で野心満々たる戦士たちがいる。

死によっても彼らは変化を経験しなかった。

彼らが墓から出て来た時、

彼らの考えはその停止していたところがら動き始める。

彼らは、彼らが倒れた時に彼らを支配していたのと

同じ征服欲によって行動する。

 

サタンは悪天使たちと相談し、

それからさらに王侯、征服者、

有力者たちと相談する。

彼らは、味方の勢力と数をながめて、

これにくらべれば

聖都の中の軍勢は少数だから打ち負かすことができると断言する。

彼らは新エルサレムの富と栄光を手に入れようと計画をたてる。

全員は直ちに戦闘準備を開始する。

熟練した技術者たちは兵器の製作にとりかかる。

作戦成功で有名な軍事指導者たちは、

好戦的な群衆を指揮していくつもの軍団に分ける。

 

ついに進軍命令が出され、無数の大軍が行進を開始する。

これは地上のどんな征服者によっても

召集されたことのない大軍であり、

この地上で戦争が始まって以来各時代の軍勢を合わせてもなお

比較することのできないほどの大軍である。

最も強力な戦士であるサタンは自ら先頭の軍を率い、

悪天使たちもこの最後の戦いに勢力を集中する。

王侯や将軍がサタンにつづき、群衆は大軍団となって従い、

各軍団にはそれぞれ指揮官が任命されている。

密集した部隊は、軍隊らしく秩序整然として、

破壊されてでこぼこになっている地上を神の都に向かって進軍する。

イエスのご命令によって新エルサレムの門は閉じられ、

サタンの大軍は都を包囲して、突撃の態勢をとる。

キリストの戴冠式

今、キリストは、再び敵から見えるところに姿を現される。

聖都の上はるか高く、

光り輝く純金の基(もとい)の上にみ座がある。

そのみ座の上に神のみ子が座し、

そのまわりを神のみ国の民がかこんでいる。

キリストの力と威光は、

言葉や文字で描写することができない。

永遠にいます父なる神の栄光が、

み子をおおっている。

その臨在の輝きは聖都に満ち、門の外にあふれ、

さらにまた全地にあふれている。

 

み座のいちばん近くには、かつてサタンの業に熱心であったが、

火の中からの燃えさしのように取り出されて、

深い熱心な信仰をもって救い主に従ってきた者たちがいる。

その次には、虚偽と不信仰のただ中にあって

キリスト者の品性を完成した者たち、

キリスト教界が神の律法は無効であると宣言した時にも

律法を尊重した人たち、さらに、各時代にわたり、

信仰のために殉教した無数の人たちがいる。

そしてその向こうには、

「あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、

数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、

しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に」立っている

(黙示録 7:9 )。彼らの戦いは終わり、彼らの勝利は獲得された。

彼らは走るべき行程を走り、ほうびをもらった。

彼らの手にあるしゅろの葉は勝利の象徴であり、

白い衣は、今は彼らのものとなっている

キリストの汚れなき義を示している。

 

贖われた者たちは、「救は、御座にいますわれらの神と小羊からきた

る」と賛美の歌声をあげるが、それは大空に反響をくりかえす

(黙示録7:10 )。

天使とセラピムとは声を合わせて賛美する。

贖われた者たちは、サタンの力と悪意を見たとき、

キリストの力以外のどんなものも彼らを勝利者にすることは

できなかったことを、これまでになかったほど知った。

輝く大群衆の中には、だれ1人、

自分自身の力と善行で勝利したかのように救いを

自分の手柄にする者はいない。

自分のしたことや苦しんだことについては一言もふれないで、

どの歌の主旨もどの賛美の基調音も、

「救いはわれらの神と、小羊のものである」というのである。

 

天と地の全住民が集合している前で、

神のみ子の最終的な戴冠式が行われる。

そして今や、王の王なるイエスは、最高の威厳と力とをもって、

神の政府に反逆した者に宣告をくだし、神の律法を犯し、

またその民を迫害した者たちにさばきを執行される。

このことについて神の預言者はこう言っている。

「また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。

天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。

また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、

御座の前に立っているのが見えた。

かずかずの書物が開かれたが、もう1つの書物が開かれた。

これはいのちの書であった。

死人はそのしわざに応じ、

この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた」

(黙示録 20:11、12)。

恐るべきパノラマ

記録の書が開かれ、

イエスの目が悪人たちの上にそそがれるやいなや、

彼らはこれまでに犯した罪の1つ1つを意識する。

彼らは、自分たちがどこで純潔と聖潔の道から足をふみはずしたか、

高慢と反逆のためにどんなに神から離れて

その律法を犯したかということを悟る。

罪にふけることによって誘惑をますます魅力的にしたこと、

祝福を悪用したこと、神の使者たちを軽べつしたこと、

警告を拒んだこと、神の恩恵を、

頑固な悔い改めない心で拒絶したこと―すべてのことが、

ちょうど火の文字で書かれているかのように現される。

 

み座の上に十字架が現される。

そしてちょうどパノラマの光景のように、

アダムの誘惑と堕落の場面、

救いの大いなる計画における1歩1歩が、次々に示される。

救い主がいやしい身分に生まれられたこと、

質素で従順なその幼年時代、ヨルダン川でのバプテスマ、

断食と荒野の試み、天の最も尊い祝福を人々に示されたその公生涯、

愛と恵みの行為に満ちた日々、寂しい山の中での夜通しの祈り、

恵みの行為に対してしっとと憎悪と悪意とによる陰謀をもって

報いられたこと、全世界の罪の重荷におしつぶされそうな

ゲッセマネにおける恐るべき神秘的な苦悩、

残忍な暴徒の手に売り渡されたこと、

あの恐怖の夜の恐ろしい諸事件、

すなわちいちばん愛された弟子たちにも捨てられ、

無抵抗の囚人として、荒々しくエルサレムの通りを

引き立てられて行ったこと、神のみ子がアンナスの前で

手柄顔に見せ物にされ、大祭司の邸宅とピラトの法廷で審問を受け、

卑怯で残酷なヘロデの前で嘲笑され、侮辱され、拷問を受け、

ついには死罪の宣告を受けられたこと、

―こうしたすべてのことが、ありありと描き出される。

 

そして今、動揺する群衆の前に、最後の光景が現される。

すなわち、苦難を耐え忍ばれる主が、

カルバリーへの道をたどって行かれる姿、

天の大君が十字架につけられ、高慢な祭司たちや

嘲笑している暴徒たちが、息もたえだえの神のみ子の

苦悩をあざけっている光景、超自然的な暗黒、

世の救い主が息を引き取られた瞬間に、地が揺れ動き、岩が裂け、

墓が開いたことなど、そうした最後の光景が示されるのである。

救われた者と滅びる者

恐るべき光景が、起こったとおりにそのまま示される。

サタンとその悪天使及びその民たちは、

自分たちのしわざであるその光景から顔をそむける力はない。

1人1人が、自分の演じた役割を思い出す。

イスラエルの王イエスを殺そうとして、

ベツレヘムの罪なき幼児たちを殺させたヘロデ、

バプテスマのヨハネの血について責めを負うべき卑劣なヘロデヤ、

優柔不断で無節操なピラト、嘲弄している兵士たち、

「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」

と叫んだ、祭司たちや役人たちや狂気のようになった群衆

―こうした人々はみな、自分たちの罪が

どんなに凶悪なものであったかを見る。

彼らは、太陽よりも強い光を放つ主のみ顔の威光から

かくれようとするがむだである。

一方贖われた者たちは、その冠を救い主の足もとに投げ、

「主はわれらのために死なれた」と叫ぶ。

 

贖われた群衆の中には、雄々しいパウロや熱心なペテロ、

愛し愛されたヨハネなどキリストの使徒たちや、

真実な心の持ち主であったその兄弟たちがおり、

彼らとともに大勢の殉教者たちがいる。

一方城壁の外には、あらゆる恥ずべきもの忌むべきものとともに、

かつて彼らを迫害し、投獄し、殺した者たちがいる。

かつて聖徒たちを責めさいなみ、

彼らの極度の苦悶を見て悪魔のような喜びを味わった

残忍非道なネロもいて、自分がかつて迫害した人々が高められ、

歓喜するありさまを見る。

またネロの母もそこにいて、自分自身の行為の結果を見、

自分の悪い品性がそのまま息子に遺伝したこと、

また自分の感化と手本とによって激情がますますひどくなり、

世を戦慄させるような犯罪の実を結んだことを知る。

 

そこにはまた、キリストの大使であると公言しながら、

神の民の良心を支配しようとして、

拷問台や土牢や火刑柱を使用した法王教の司祭や高僧たちがいる。

神よりも自分を高くし、僣越にもいと高きお方の律法を

変更しようとした、高慢な法王たちもいる。

こうした偽りの教会指導者たちは、神に対して申し開きをしなければならないが、できることならそれを免れたいと願う。

彼らは全知全能の神が、ご自分の律法を非常に大事になさる

お方であり、また罰すべき者を決しておゆるしにならない方で

あることを悟るが、もう手遅れである。

今彼らは、キリストが苦難のうちにあるご自分の民と

利害を1つになさったことを知り、また、

「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、

すなわち、わたしにしたのである」との

主ご自身のみ言葉の力を身に感じるのである(マタイ 25:40 )。

 

全世界の悪人たちは、

天の政府に対する大反逆という

罪名のもとに神の法廷に告訴される。

彼らを弁護する者もなければ、

言いわけの余地もない。

こうして永遠の死の宣告が彼らに下される。

 

罪の価は高尚な独立や永遠の生命ではなくて、

奴隷状態、滅亡、死であることが、今すべての人に明らかになる。

悪人たちは、自分たちの反逆の生涯によって何を失ったかを見る。

彼らは、永遠の重い栄光をあふれるばかりに提供された時には

それを軽べつしたが、

今はそれがなんと望ましいものにみえることだろう。

失われた魂は、「これはみなわたしのものになったかも

しれなかったのに、わたしは自分でそれを遠ざけてしまった。

ああ、とんでもない迷いだった。

わたしは平和と幸福と名誉を、

不幸と不名誉と絶望とにとりかえてしまった」と叫ぶ。

どの人も自分が天から除外されることが正しいことを認める。

彼らは自らの生活によって、

「この人〔イエス〕が王になるのをわれわれは望んでいない」

と宣言したのであった。

 

魅せられたかのように、悪人たちは神のみ子の戴冠式をながめた。

彼らは、神のみ子がそのみ手に、自分たちが今まで軽べつし

違反してきた神の律法の板を持っておられるのを見る。

また、救われた者たちがいっせいに驚嘆と喜びと

賛美の声をあげるのを見る。

そしてその歌声の波が城外の群衆にまで押し寄せると、

全部の者が異口同音に「全能者にして主なる神よ。

あなたのみわざは、大いなる、また驚くべきものであります。

万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります」と絶叫し、

ひれ伏していのちの君を拝するのである(黙示録 15: 3 )。

サタンの正体の暴露

サタンはキリストの栄光と威厳とを見てまひしたようになる。

かつては守護のケルブであった彼は、

自分がどこから落ちたかを思い出す。

光り輝くセラフ、「黎明(れいめい)の子、明けの明星」が、

なんと変わり、なんと堕落したことであろう。

かつては尊敬されていた会議から、

彼は永遠に除外されてしまったのである。

彼は、今は別の天使が

神の栄光をおおって天父のそばに立っているのを見る。

彼は、背が高く威厳に満ちた容姿の1人の天使が

キリストの頭に冠をのせるのを見、

この天使の高い地位に自分が立つはずであったことを知る。

 

サタンが罪を抱かず純潔であった時のふるさと、

神に対してつぶやき、キリストをねたむようになるまでは

彼のものであった平和と満足が、サタンの記憶によみがえる。

非難、反逆、天使たちの同情と支持を得るための欺瞞、

神がゆるしをお与えになることができた時に、

あくまでも心をかたくなにして、

もとの状態に立ちかえる努力をしなかったこと、

すべてがまざまざと目の前に浮かぶ。

彼は、自分が人々の中でした働きとその結果

―人と人との間の敵意、生命の恐るべき破壊、諸王国の興亡、

王位の転覆、暴動と闘争と革命の連続―を思い起こす。

彼はまた、自分が絶えずキリストのみ業に反対し、

人類をますます堕落させようと努めてきたことを思い出す。

彼は、自分のどんな悪らつな計略も、

イエスに信頼をおく者たちを滅ぼす力がなかったことを知る。

サタンは、その労苦の実である自分の王国を見る時、

ただ失敗と破滅だけを見る。

彼は群衆に、神の都はやすやすと

奪取することができると信じさせてきた。

しかし彼は、それが偽りであることを知っている。

大争闘の進展につれて、

サタンは何度も敗北し、降参させられた。

彼は永遠なる神の力と威厳とを、

身にしみて知っているのである。

 

この大反逆者のねらいは常に、自分を正当化して、

反逆の責任が神の統治にあることを証明することであった。

この目的のために、

サタンはその絶大な知力を注いできた。

彼は慎重に、組織的に行動し、

長い間にわたって進展してきた大争闘について、

自分の立場からの説明を驚くほど巧みに行って、

多くの人々に信じさせてきた。

 

幾千年にわたり、この陰謀のかしらは、

偽りを真理にみせかけてきた。

しかし、反逆がついに打ち破られ、

サタンの経歴と品性が明るみに出される時が、今きた。

大欺瞞者サタンが、キリストを王位から退け、神の民を滅ぼし、

神の都を占領しようと、最後の努力をすることにおいて、

彼の正体が完全に暴露された。

サタンと協力してきた者たちも、

彼の働きが全く失敗したことを知る。

キリストに従う者たちと忠実な天使たちは、

神の統治に対するサタンの陰謀の全容を見る。

サタンは全宇宙の憎悪の的となる。

大争闘の最終的結論

サタンは、自分から進んで反逆したことによって、

自分が天に適しない者になったことを知る。

彼は神と戦うために自分の能力を訓練してきた。

彼にとっては、天の純潔と平和と調和とは

この上ない苦痛となるであろう。

神の憐れみと正義に対するサタンの非難は、

今こそ沈黙させられた。

彼が主に浴びせようと努めてきた非難は、

全部彼自身に向けられる。

そして今、サタンはひれふして、

自分の上にくだった判決が正しいことを認める。

 

「主よ、あなたをおそれず、御名をほめたたえない者が、

ありましょうか。あなただけが聖なるかたであり、

あらゆる国民はきて、あなたを伏し拝むでしょう。

あなたの正しいさばきが、あらわれるに至ったからであります」

(黙示録 15:4)。

長年にわたって争われてきた真理と誤謬(ごびゅう)のすべての問題が、

今明らかにされた。

反逆の結果、すなわち神の律法を廃することの結果が、

すべての知的被造物の目の前で明らかになった。

神の統治と対照的なサタンの支配が行われた結果が、

全宇宙の前に公開された。

サタン自身の行為が、彼を罪に定めたのである。

神の知恵と正義といつくしみとが、完全に擁護される。

大争闘における神のすべての処置は、ご自分の民の永遠の

幸福のために、そして神の創造されたすべての世界の幸福のために

行われたものであることが明らかになる。

「主よ、あなたのすべてのみわざはあなたに感謝し、

あなたの聖徒はあなたをほめまつるでしょう」(詩篇 145:1 0 )。

罪の歴史は、神が創造されたすべての者の幸福が

神の律法の存在と結びついていることを、

永遠にわたってあかしする。

大争闘のいっさいの事実が明らかになると、

全宇宙は、忠誠な者も反逆者も、異口同音に、

「万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります」と言明する。

人類のために天父とみ子によって払われた大犠牲が、

全宇宙の前に明らかにされた。

今こそキリストがご自分の正当な地位を占め、

すべての支配、権威、また唱えられるあらゆる名に

まさってあがめられる時が来た。

キリストが恥をもいとわないで十字架に耐えられたのは、

ご自分の前に置かれた喜びのため、すなわち、

多くの子らを栄えに入らせるためであった。

その悲しみと恥は想像できないほど大きかったが、

しかし喜びと栄光はそれよりも大きいのである。

キリストは、贖われた者たちがご自分のみかたちに回復され、

そのおのおのの心に神の完全なお姿を宿し、

その顔に王なる神のみかたちを反映するのを見られる。

主は、ご自分の魂の苦しみの結果が、

彼らの上に現れているのをごらんになって満足される。

そして主は、義人の群れにも悪人の群れにも聞こえる声で、

「見よ、わたしの血をもって贖ったものを。

わたしが彼らのために苦難を受け、

彼らのために死んだのは、

永遠に彼らをわたしの前におらせるためである」

と主は宣言される。

そして、み座の周囲の白い衣をまとった者たちが

「ほふられた小羊こそは、

力と、富と、知恵と、勢いと、

ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」

と賛美する歌声があがる(黙示録 5:12)。

刑罰と滅びの時

サタンは、神の正義を認めて、

キリストの主権の前に

ひれふさずにはいられなかったにもかかわらず、

彼の品性はもとのままである。

反逆の精神は、奔流のように、再び爆発する。

狂気の思いに満たされて、

彼は大争闘に負けまいと決心する。

天の王に対して

最後の必死の戦いをする時が来た。

彼は部下たちの真ん中にとび込んで行って、

自分自身の怒りを彼らに吹き込み、

直ちに戦いに奮起させようとする。

 

しかし、サタンが反逆におびき入れた無数の群衆の中で、

サタンの主権を承認する者は1人もいない。

サタンの権力は終わりを告げたのである。

悪人たちは、サタンを奮起させたのと同じ神に対する

憎悪の念に燃えているが、

しかし自分たちの立場が絶望的であることと、

主に勝つことができないこととを知っている。

彼らの怒りはサタンと、

サタンの欺瞞の手先であった者たちとに向けられる。

彼らは悪鬼のような怒りに満たされて、彼らにとびかかる。

 

主はこう言われる、

「あなたは自分を神のように賢いと思っているゆえ、

見よ、わたしは、もろもろの国民の最も恐れている

異邦人をあなたに攻めこさせる。

彼らはつるぎを抜いて、あなたが知恵をもって得た麗しいものに

向かい、あなたの輝きを汚し、あなたを穴に投げ入れる。」

「このゆえに、

おおうことをなすところのケルブよ、われ・・・・

火の石の間より汝を滅ぼし去るべし・・・・

われ汝を地になげうち汝を王たちの前に置きて

観物(みもの)とならしむべし・・・・

汝を見る者の目の前にて汝を地に灰となさん・・・・

汝は人のおそれとなり、限りなくうせはてん」

(エゼキエル 28:6-8、16―19・文語訳)。

 

「すべて戦場で、歩兵のはいたくつと、血にまみれた衣とは、

火の燃えくさとなって焼かれる。」

「主はすべての国にむかって怒り、

そのすべての軍勢にむかって憤り、

彼らをことごとく滅ぼし、彼らをわたして、ほふらせられた。」

「主は悪しき者の上に炭火と硫黄とを降らせられる。

燃える風は彼らがその杯にうくべきものである」

(イザヤ 9:5、34:2 、詩篇 1 1 : 6 )。

火が天の神のみもとからくだる。地はくずれる。

地の深いところに隠されていた武器が引き出される。

焼き尽くす炎が、地のすべての裂け目から吹き出す。

岩石そのものが火になる。

「炉のように燃える日」が来たのである。

「天体は焼けてくずれ、

地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされる」

(マラキ 4:1、Ⅱペテロ 3:1 0 )。

地の表面は、ちょうど溶けたかたまり、

巨大な沸騰する火の池のように見える。

それは神を敬わない者たちの、

刑罰と滅びの時である。

「主はあだをかえす日をもち、

シオンの訴えのために報いられる年をもたれる」(イザヤ 34 : 8 )。

 

悪人はこの地上で報いを受ける。

「万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。・・・・

その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない」

(マラキ 4:1 )。

一瞬のうちに滅ぼされる者もあり、多くの日の間苦しむ者もある。

みな「彼らの行いにしたがって」罰せられる。

義人の罪はサタンに移されたので、

サタンは自分自身の反逆の罪だけでなく、

神の民に犯させたすべての罪のために苦しむ。

彼の受ける刑罰は、

彼がだました者たちの刑罰よりずっと重い。

サタンの欺きによって堕落した者たちがすべて滅びたのちも、

彼はまだ生き残って苦しみを受ける。

きよめの火によって、

悪人たちは根も枝もついに滅ぼされた。

サタンが根であり、サタンに従う者たちが枝である。

律法の刑罰は全部くだり、正義の要求は果たされた。

天と地はこれを見て、主の義を宣言する。

 

サタンの破壊の働きは、永久に終わりを告げた。

6000年の間、彼は自分の意志を実行し、

地を災いで満たし、全宇宙を悲しませてきた。

被造物全体が共にうめき、

共に産みの苦しみをしてきた。

今や神の被造物は、

サタンの存在と誘惑から永久に解放された。

「全地はやすみを得、穏やかになり、

ことごとく声をあげて歌う」

(イザヤ 14:7 )。

賛美と勝利の歌が、忠誠な全宇宙からわき起こる。

「大群衆の声、多くの水の音、また激しい雷鳴のようなもの」が、

「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、

主なる支配者であられる」というのが聞こえる

(黙示録 19:6 )。

 

地は滅亡の火をもって包まれたが、

義人は聖都の中に安全にいた。

第1の復活にあずかった者たちには、第2の死はなんの力もない。

神は悪人たちにとっては焼き尽くす火であるが、

神の民にとっては日であり、

盾である(黙示録 20:6、詩篇 84:11参照)。

 

「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。

先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった」(黙示録 21:1 )。

悪人たちを焼き尽くす火が地をきよめる。

あらゆる災いの跡は一掃される。

地獄の火が永遠に燃え続けて、

贖われた者たちの前に罪のおそるべき結果をいつまでも示す、

などというようなことはないのである。

 

ただ1つのしるし思い出させるものがただ1つある。

われわれの救い主は、永遠に十字架の傷跡をとどめられるのである。

主の傷ついたみ頭に、その脇腹に、その手と足に、

罪の残酷なしわざの唯一の跡がある。

預言者ハバククは栄光のキリストを見て、

「その光は彼の手〔脇腹―英語訳〕からほとばしる。

かしこにその力を隠す」と言っている(ハバクク 3:4 )。

人類を神に和らがせる真紅の血潮がほとばしり出た、

主の突き通された脇腹―そこに救い主の栄光があり、

そこに主の力が隠れている。

主は贖いの犠牲によって、「救いを施す力ある」おかたとなられたので、

神のあわれみをあなどった者たちに対しては、

強い態度でさばきを執行されたのである。

救い主の屈辱のしるしこそは、救い主の最高の栄誉である。

カルバリーの傷跡は永遠にわたって、主への賛美を示し、

主の力を宣言する。

 

「羊の群れのやぐら、シオンの娘の山よ、

以前の主権はあなたに帰ってくる」

(ミカ 4:8 )。

炎の剣によってアダムとエバがエデンからしめ出されて以来、

聖徒たちが待ちこがれていたところの、

「神につける者が全くあがなわれ」る時がきた

(エペソ 1:1 4 )。

もともと人にその王国として与えられたのに、

サタンの手に売り渡され、長い間強力な敵に占領されてきた地が、

大いなる贖いの計画によって再びもどされたのである。

罪によって失われたいっさいのものは回復された。

「天を創造された主、すなわち神であってまた地をも造り成し、

これを堅くし、いたずらにこれを創造されず、

これを人のすみかに造られた主はこう言われる」

(イザヤ 4 5 : 1 8 )。

地上が贖われた者たちの永遠のすみかとなる時、

地を創造された時の神の最初の目的が達成される。

「正しい者は国を継ぎ、とこしえにその中に住むことができる」

(詩篇 37:2 9 )。

永遠の家郷

未来の嗣業をあまりにも物質的なものに思わせはしないかとの

恐れから、それをわれわれのすまいとして見るようにと

教えられている真理そのものを霊的なものにしてしまう人が多い。

 

キリストは弟子たちに、

わたしはあなたがたのために父の家に住むところを

備えに行くのだとはっきり言われた。

神のみ言葉の教えを受け入れる者は、

天のすまいについて全く無知ではない。

しかもなお、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、

人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、

ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである

(Ⅰコリント 2:9 )。

人間の言葉では、義人の受ける報いを十分に描写することはできない。

それは見るものだけがわかるであろう。

限りある人知では、神のパラダイスの栄光を理解することができない。

 

聖書の中では、救われた者の嗣業が「ふるさと」と呼ばれている

(ヘブル 11:14―16参照)。

そこでは天の大牧者イエスが、

ご自分の群れを生ける水の源に連れて行ってくださる。

いのちの木は月ごとにその実を結び、

その葉は万民のために用いられる。

水晶のように透きとおった川が永遠に流れ、

そのそばにはゆれ動く木々が、

主に贖われた者たちのために備えられた道の上に影を投げている。

広々とひろがった平野の果ては、美しい丘となって盛りあがり、

神の山々が高くそびえ立っている。

この平和な平原に、また生ける流れのほとりに、

久しい年月の間旅人であり寄留者であった神の民が、

そのすまいを見いだすのである。

 

「わが民は平和の家におり、安らかなすみかにおり、

静かな休み所におる。」

「暴虐は、もはやあなたの地に聞かれず、荒廃と滅亡は、

もはやあなたの境のうちに聞かれず、

あなたはその城壁を『救』ととなえ、その門を『誉』ととなえる。」

「彼らは家を建てて、それに住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。

彼らが建てる所に、ほかの人は住まず、彼らが植えるものは、

ほかの人が食べない・・・・わが選んだ者は、

その手のわざをながく楽しむからである」

(イザヤ 32:18、60:18、65:21、22)。

 

そこにおいて、「荒野と、かわいた地とは楽しみ、

さばくは喜びて花咲き、」「いとすぎは、いばらに代って生え、

ミルトスの木は、おどろに代って生える」

(イザヤ 35:1、55:1 3 )。

「おおかみは小羊と共にやどり、

ひょうは子やぎと共に伏し、・・・・

小さいわらべに導かれ、」「彼らはわが聖なる山のどこにおいても、

そこなうことなく、やぶることがない」

と神は言われる(イザヤ 11:6、9)。

 

天のふんい気の中では、苦痛は存在することができない。

もはや涙はなく、葬式の行列も喪章もない。

「もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。

先のものが、すでに過ぎ去ったからである」

(黙示録 21:4 )。

「そこに住む者のうちには、『わたしは病気だ』と言う者はなく、

そこに住む民はその罪がゆるされる」

(イザヤ 33:24)。

新しい天と新しい地

そこには栄化された新しい地の首都、

新エルサレムがある。

それは「王の手にある麗しい冠」「あなたの神の手にある王の冠」

である(イザヤ6 2 : 3 )。

「その都の輝きは、高価な宝石のようであり、

透明な碧玉のようであった。」

「諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、

自分たちの光栄をそこに携えて来る」

(黙示録 21:11、24 )。

「わたしはエルサレムを喜び、わが民を楽しむ」

と主は言われる(イザヤ 65:1 9 )。

「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共にすみ、

人は神の民となり、神自ら人と共にいま」す(黙示録 21: 3 )。

 

神の都には「夜は、もはやない。」休みの必要な者や、

休みをほしいと思う者はだれもいない。

神のみこころを行ない、そのみ名を賛美するのに、疲れることがない。

いつも朝のすがすがしさを感じ、

それは決して尽きることがない。

「あかりも太陽の光も、いらない。

主なる神が彼らを照」らされるからである(黙示録 22:5 )。

太陽の光線の代わりに、目にまぶしくない光が与えられるが、

その明るさは今の真昼の輝きよりもはるかにまさっている。

神と小羊の栄光は、衰えることのない光をもって

神の都に満ちあふれる。

贖われた者たちは、太陽のない、

しかもとこしえの昼の光の中を歩むのである。

 

「わたしは、この都の中には聖所を見なかった。

全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである」

(黙示録 21:2 2 )。

神の民は天父とみ子とに自由に交わる特権がある。

「わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている」

(Ⅰコリント 13:1 2 )。

われわれは神のみ姿が、

自然界のみ業と人間に対する神の取り扱いとに反映しているのを、

ちょうど鏡の中に見るように見ている。

しかしその時には、中間にうすぐらい幕をはさまずに、

顔と顔とを合わせて神を見る。

われわれは神のみ前に立ち、そのみ顔の栄光を見るのである。

 

そこでは贖われた者たちは、

「完全に知られているように、完全に知る」のである。

神ご自身が魂にうえつけられた愛と同情とは、

そこで最も真実な、最も美しいものとして発揮される。

聖者たちとのきよい交わり、聖なる天使たち、

及びその衣を小羊の血で洗って

白くした各時代の忠実な者たちとの、

むつまじい社会生活、「天と地の全家族」を

1つに結びつける聖なるきずな―こうしたものが、

贖われた者たちの幸福となる

(エペソ 3:15・英語訳)。

 

そこでは、不死の者たちが、創造力の驚異、贖いの愛の奥義を、

永遠に尽きない喜びをもって研究する。

人を誘惑して神を忘れさせるような、残酷で欺瞞的な敵はもういない。

すべての才能が発達し、すべての能力が増大する。

知識を獲得するのに、頭脳を疲れさせたり、

精力を使いきってしまったりするようなことはない。

そこではどんな大きな企画も実行され、

どんな遠大な抱負も達成され、どんな大望も実現される。

そしてそれでもなお、

越えるべき新しい高いところ、

感嘆すべき新しい驚異、

理解すべき新しい真理、

頭と心と体の能力を呼び起こす新たな対象が現われてくる。

 

宇宙のすべての宝は、贖われた神の民が研究するために開放される。

死ぬべき人間という拘束をうけないで、

彼らは、はるかに遠い他世界―人間の悲惨な光景を見て悲しみに

身を震わせ、1人の魂が救われた知らせに

歓喜の歌をひびかせた他世界―へ、疲れも覚えず飛行する。

言葉では言い尽くすことのできない喜びをもって、

地上の子らは、

他世界の住民たちの喜びと知恵にあずかる。

世々にわたって神のみ手の業を熟視して得られた

知識と悟りの宝に、彼らは共にあずかる。

くもりのない目をもって、彼らは創造の栄光を見つめる。

すなわち、もろもろの太陽や星や天体が、

おのおのその定められた軌道を通って、

神のみ座の周囲を運行しているのを見るのである。

最も小さなものから最も大きなものに至るまで、

すべてのものの上に、創造主のみ名が書きしるされ、

すべてのものらの中に神の力の富が示されている。

神は愛である

永遠の年月が経過するにつれて、

神とキリストについてますます豊かで

ますます輝かしい啓示がもたらされる。

知識が進歩していくように、

愛と尊敬と幸福も増していく。

人々は神について学べば学ぶほど、

ますます神のご品性に感嘆するようになる。

イエスが彼らの前に、贖いの富と、

サタンとの大争闘における驚くべき功績とをお示しになると、

贖われた者たちの心はいっそう熱烈な献身の念に燃え立ち、

いよいよ喜びに満たされて黄金の立琴をかき鳴らし、

万の幾万倍、千の幾千倍の声が1つになり、

賛美の一大コーラスとなって盛りあがる。

 

「また、わたしは、天と地、

地の下と海の中にあるすべての造られたもの、

そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、

『御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、

栄光と、権力とが、世々限りなくあるように』」(黙示録 5:13 )。

 

大争闘は終わった。

もはや罪はなく罪人もいない。

全宇宙はきよくなった。

調和と喜びのただ1つの脈拍が、

広大な大宇宙に脈打つ。

いっさいを創造されたお方から、いのちと光と喜びとが、

無限に広がっている空間に流れ出る。

最も微細な原子から最大の世界に至るまで、

万物は、生物も無生物も、かげりのない美しさと完全な喜びをもって、

神は愛であると告げる。

 

 

 

各時代の大争闘 完